2017年07月25日

原町駅の人が駅舎を掃除していた (いろいろな人が駅で混じり合う)


原町駅の人が駅舎を掃除していた

(いろいろな人が駅で混じり合う)


今日は原の町駅から駅舎の掃除にきていた、長い箒をもって蜘蛛の巣を掃除していた
ホームの長椅子と他の椅子には雲の糞がついていいて汚れていた
そこは座るところだから掃除が必要だった
駅には何かしらこうして用事があり来る人がいる
昨日も水戸管理局からきていて建物を見ていた
こうして駅は常にJRでとか下請けで見て回る
それだけで人手がかかっている

だから自治体でもかかわらないと維持できない
トイレは車の人もしょちゅうきて利用している、農協の葬儀関係の人も来ている
トイレはJRを利用したものだけが使うのではない、関係ない人も使っているのである。
そして障害者施設の人に掃除してもらっているが金をJRで払っている
そうなると自治体でも市の方でも負担してくれともなる
つまりJRだけでは維持できないのである。
掃除くらいなら自分もできるが他はできないものがある

昨日は相馬農高の相農の高校生がいたい、その人は農家であり跡を継ぐという、それはなぜそうなのか?梨農家だからである。梨農家だと農業でも収入があり家を継いでもやっていけるからである。農業などやるなと親に殴られた人は梨も作っていない零細な農家だったのだろう。梨とかトマトとか花は収入になり農業でもやっていける
ただ飯館村には梨農家はいないようだったからあそこで梨はとれないのだろう。
他にも梨農家に生まれた人を知っているから梨農家はこの辺で多いのである。
だから一時放射能汚染で苦しかったのである。
今では影響はないとしているが風評被害はまだあるのかもしれない

もう一人の女性は農家ではないが相農に入った、中学生で相農に入った人は花栽培したいということで入ったからめずらしい、その二人の女性は農家の出ではない
一人は勉強嫌いで相農に入った、相農だと無試験でも入れるだろう。
定員割れにもなっている時代だからである。

ともかく駅にいるとこの辺の事情がわかることがある、家の跡を継ぐとなると進路も決まっているから悩む必要もないからから楽だともなる
農業の否定的な面だけを言ってきたが梨農家とかは農業としてやっていけるのである。

駅はいろんな人が行き交う場である。外部の人も交わる
だから何かそこが活気ある場ともなっている、なかなかそういう場がない
高校生が多いにしろ老男若女が行き交っているのである。
老人だけ集まるのが老人ホームであり同じ学年とかか年齢で区切られて集められるのが学校であり今の社会である。そこに何か世代間の交流がなくなっている
むしろ江戸時代の方が世代に関係なく交わっていたともなる
子供が生まれて名付け親になったりするのは村の人だったからである。
ずっと村人がみんなで見守っていたのである。
学校とかは一時期しか関係しないのである。そこに世代間の断絶がすでに生まれている

駅には何もできない場であるようでも何かが毎日ある場でもある
盲人など来て案内したりするのでもそうである。盲人と直接話した経験がないからであるたいしたことをするわけではないが駅は面白い場だなと実感した
ただ自分はせいぜい一時間くらいしか駅にはいないのである。
気まぐれに駅に行っているだけだともなる
それでも何かあるのが駅だったことを経験したのである。

旅だとすぐすぎさるからもったいなとなる、なぜならそこには一度しか行けないということがあるからだ。海外旅行の場合はそうである。
一方こうして定点観測するのも興味深いものだと思った。
一人一人の人間のことをみる、小さな町でも会わない知らない人がいかに多いかのかしるそんな人いたのかとなる、一万人いれば知らない人がそれだけ多いことを知る
これが4万とかさらに十万とかなると人間はもう会うこともちょっとでも関係することもないのである。
一万でも知らない人がこんなにいるのかと思う、世代が変わるとまた知らない人がふえてくるからだ、身内は公務員をやめてから役場に行っても知らない人ばかりになったと言っていた。回りですら知らない人が増えてくる
仕事しないと余計にそうなる、会社の人間が関係がきれるとまた新たな人間関係が作りにくいのである。
定点観測はその地点で何か深く知るのにはいい、一つの定点から街とか社会とかをみる
すると見えてくるものがあるとなる

幻想の森( illusion of forest) 幻想の森( illusion of forest)


幻想の森( illusion of forest)

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unknown forest

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a way of forest

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mountains in the evening




色には三つの世界がある、光のスペクトルによる物理的色、目で見る恒常性の色(抽象の色)心で見る心理的色、画家が描くとき心で見るのでありそこには外界の色とは異なった
画家の心の色がある、これは外界の特定の形に隷属して、いた色をその形から解放し、画家が獲得した高次の心的創造活動による、色の表現にかえる
(芸術脳の科学)塚田稔

自分のしていることはこれなのかもしれない、ただ自分の心ではしていない、ただコンピュターで変化させて、いるだけだからである。何かそこに創造的なものがないのである。機械的に変化させているだけだとなる
それでもこれだけ変化していることが芸術になっていることの不思議である。
そこには自分が創作したのとは違う、ただ変化したことによる芸術なのである。


When a psychological color, a painter watching it for a color (color of the abstraction) heart of the constancy to watch with the physical color by the spectrum of the light with three world, eyes in a color picture it, I watch it for a heart, and this with the color of the heart of the painter different from the color of the outside world is subordinate to specific form of the outside world there and frees the color that was from the form and is hatched in the expression of the color by the highly advanced mental creation activity that a painter acquired


 change it in one's mere computerj which it does not only do for one's heart which may be that it is this to do, and this is because it is only. There is not something creative there. It is the wonder of it being for art that only this changes in it to become when I only change it mechanically.
It is the different art by having merely changed there that oneself created.

地方の一新聞がピューリッツァー賞受賞 (報道は事実を伝えることー原発事故でも問われた報道)


地方の一新聞がピューリッツァー賞受賞


報道は事実を伝えることー原発事故でも問われた報道

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NHK国際報道


NHKの国際報道で3000部しか発行していない地方新聞がピューリッツァー賞を受賞したことで話題になった、それでも社員が十人くらいいた
そんな新聞社で給料が払えのかと見た
アメリカにもともとこうした小さな新聞社が多かったから伝統があるのかもしれない

この新聞社は地元密着であり狭い範囲でささいなことでも報道している
この新聞社で報道したのは農薬で川は汚染されていることに注目した
それはなぜか?それは毎日その川を見ているからである。
そうしたら地元の人だったら気になるのである。
例えばこの辺で屋形の家の裏の山の土がけずりとられたとき土がむき出しになっている
それを毎日見ているといい気持ちがしない、それはそこを通りすぎることができない、
嫌だなと思っても毎日見る、それは汚染された川を見ているのと同じなのである。

この新聞社では事実を伝えることにこだわった
まず事実を知ることだと事実を調査した
どこから金が支払われたかを調べた
そしたら化学肥料会社から農協のような自治体に支払われていた
それで公平な裁判は行われない
その事実を伝えたことが功績だった
しかし背後の化学肥料会社から金がでていることをつきとめることはむずかしかった
住民でも口を閉ざした、会社はそれだけどこでも権力をもっているからである。

結局人間は金には弱い、金はカルマであり責任であると書いたときここでもそうだった
一旦金をもらえば責任が生じる、それでこの辺では原発事故が起きても東電から金をもらっていたから責任を追及しにくくなった。
それは日本全体でもそうである。マスコミも東電から金をもらっていた
電事連から800億円という金が流れていたという、その額は巨額だったのである。
そもそもこのような一新聞社など簡単に買収できる金である。

この化学肥料会社はまだ小さい、東電は国家並であり国家もかかわっていたのだから
その事実を暴くことさえできなくなって「安全神話」が作られたのである。
例えば地元の新聞でも福島民報でも民友でも何も追及しなかった
福島民報は聖教新聞を刷っているし県で50パーセントも出資している官報と同じなのである。金をもらっているのだから何も追及できないのである
他の雑誌でも小規模だからそれだけの収入を得ることがむずかしい
すると東電のような国家並の会社からの宣伝費とかは経営を支えるものとなる

そもそもこの地方新聞が事実を暴くことができたのはまだ小さい会社だったからかもしれない、国までかかわる会社となると簡単にはできなくなる
原発は危険でもそういうものだったからである。国策として作られたものだからである。ただ今回の原発事故で一体地元を守るものは誰なのか?
それは地元の住民しかないのである。地元の住民が一番被害を受けるのだから無関心ではいられない問題だった、でも地元では金をもらえばいいくらいの意識しかなかったのである。ただこの一新聞社のように真のジャーナリズムがあれば違っていたかもしれない
それでも国家権力を相手にするととなる歯がたたないともなっていただろう。

ただそうはいっても一体地元では地元を自然でも何でも誰が守るのだろう?
それは地元の住民しかない、もしそれができなくなれば今回の原発事故のように地元に故郷にも住めなくなるのである。
そういうことを身をもって知ったのだから地元の人がもっと関心をもって地元を守ることをしなければ今回のように巨大企業や国家の言いなりになり住めなくなる
だから必要なのはこうした一地方新聞のジャーナリズムであることを示した

そういうことは日本でもあった、新潟の巻町は原発に反対して建てさせなかった
それを応援したのは新潟日報だと評価されているのである。
福島県では報道関係でそういうことはなかったのである。
そもそも自然が大事だとか自然を守れとかなると何かインパクトがない
現実に農民が土地を汚染されて農業もできないとかなると深刻に考える
この辺では土も水も空気まで汚染されたからその深刻さを身をもって知ったのである。

ただ原発は金になるからそれに抵抗するのは相当にむずかしい
金が入り豊かになればなんでもいいんだというのが現代だからである。
そもそも自然を大事にしろといっても景観を守れといっても金にはならない
だからソーラーパネルでも何でも金になるならと土地を売るのである
自分の場合は景観を重視しても地元の人は生活のために金が必要だとなる
ただ地元にも住めないとかなることを経験したから他とは違いここは環境破壊する原発には反対する、でも他の原発ではやはりここと同じように金が入るということで是認しているのである。ここでの経験を参考にしていないのである

いづれにしろ報道は何かというときネットでは常に言われている

事実だけを調査して伝えろ

その事実だけを報道してマスコミの報道する者は何か意見を添えるなと言っている
マスコミはNHKでも報道するというとき事実だけを報道するのではない
NHKで事実をそのまま伝えない、編集してこうあるべきだという方針のもと報道する
コメントするものもマスコミで選び、局の方針にそって意見を言わせられだけなのであるだから事実も作られフェイクニュースも流される
だから事実だけを報道している局はないのである。

歴史でも事実を基にしてあるべきだが小説家されドラマ化されるとそれが事実だと思い込む人が多い、それは事実だけだと面白くない、文献を調べたりするのは庶民にとって面白くないしめんどうだしわからないからそうなっているのである

報道というときインターネットはじめてから自分も報道にかかわるようになっていた
第一自分が報道する立場になるとは思っていなかった
それがインターネットだからできたのでするようになって報道を考えるようになったのである。
そしてインターネットでもマスコミと同じようなことが起きていたのである。
何かインターネットでは読まれること自体本当にむずかしい
すると何か目立つことをしなければ読まれないのである。政治家のプログでも読まれないから女性の議員がめだつためにサッカーのことで目立つことを言って炎上して読者の注目を集めるのである。
それはマスコミのしていることと同じだったのである。

インターネットで報道も変わらざるをえない、今までのマスコミの手法では時代についていけなくなる、インターネットはコストがかからないのが強みなのである。
でも読者を獲得することは至難だとなる
新聞はあと十数年で消えるという、そういう感じになっている
紙の膨大な無駄でありいちいち配達するためのコストもかかりすぎる、内容もない、住民のためにもなっていないとなると若い人はすでに新聞をとっていない、ただかえってこの新聞社のように生き残り策はあるのかもしれない福島県でも広いから福島県だけではない、相双地域とかいわき地域とか浜通りとか中通りとか会津とか三つに分かれた新聞などがジャーナリズムが必要になる
やはりより狭い範囲だと川が汚れているとか毎日見るからそこに関心をもち報道するから訴えるものとなる


2017年07月24日

「飯館村の原発事故避難者による営農再開と展望」を読む (ソーラーパネルなどで景観が破壊される)


「飯館村の原発事故避難者による営農再開と展望」を読む

(ソーラーパネルなどで景観が破壊される)


原発事故避難者による営農再開と展望
―福島県相馬郡飯舘村の事例分-

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営農を再開するという決意の前提として非経済的動機,つまり「何が何でも再開しよう」という動機があったと言えるだろう。それは,避難先の狭い住居で無
為に過ごし,体調を崩している親を「見るに見かねた」こと(K 氏)であったり

全体で60 ha の水田があり,そのうちの20 haはNTT と20年間の契約をして太陽光パネルの設置に利用することが決まっている。残りの40 ha を利用し
て牛の放牧をするのである。

「個人化」とは,避難生活によって地域社会や家族が分断され,一堂に会することが
物理的に難しくなるということでもあるが,それ以上に選択を被害者「本人の自由」に任せることによって,事実上,責任を被害者に負わせ,自己責任を強いることを意味する。


これは自分がプログで書いてきたことであり一致する、やはり無為にすごすことに耐えられないということがあった、毎日パチンコやギャンブルではやりきれないとなってゆく
かといって何をするかというと今までしたことをする他ない
それは農業である。それで仮設の前の畑にカボチャの種を植えて実ったことで喜びがあったとなる、つまり農業自体に喜びがある
だから趣味で畑で農作業している女性は文句は常に言っているがともかく畑の方に関心があり自分の家のことには関心がないのである。
自主的に汚れたところも掃除もするきがない、皿二三枚しか洗う他なにもしない
それは見ていてわかる、畑の方が文句ばかりでいつも関心は畑にある
その人は根っから農業が好きなのである。

飯館村はやはり水田があってももう米作りはしないのだろう。無惨に表土が削られてフレコンバックの山になっている。表土が削られることによって栄養分も喪失している
すると米作りも簡単にはできないのである。もともと飯館は高地であり米作りには向いていなかっだ、それで常に冷害に見舞われていた。
すると田んぼがなくなるから蛙も鳴かなくなり鷺なども見えなくなる
自分にとってこの蛙が盛んに鳴いたときこの辺は復興したなと感じた
ただ山側は田んぼになっていない、小池辺りでは田んぼを草地にして牛の飼料にしていただから飯館村でも田んぼを放牧地にしてあとはソーラパネルにする
その風景も奇妙なものになる

草野では原町から川俣への幹線道路沿いに道の駅を建設中でありその脇にメガソーラーパネル場になった、何かそこに違和感を感じる、素朴な飯館村という感じは喪失した
ソーラーパネルは森とか山の風致でも破壊するし何か台風とか来たりすると危険にもなるそういうことは土手を削った所にソーラーパネルを置いたので水害になったということがあった、これから何が起きるかわからないのである。
そして景観を破壊するから昔の飯館村、森につつまれた村ではなくなってゆく
ただ飯館村は広いから全部ソーラーパネルにはできないが一部でも森の中にソーラーパネルがあると景観が破壊される
でも土地の利用が方法がないからそうなってしまう
膨大な土地がありその土地から収入を得るにはソーラーパネルくらいしかないからである。
家族が分断され地域が分断されて個人化したということも書いた
飯館村では牧畜でも牛を飼うにしても農業するにも人手は家族でしている
だから三世代とかが住んで農業に従事していた
それが分断された、地域も分断された
結果的にどうなったかというと個人化した、それぞれの個人でやりたいようにやれとなった、そのために補償金を払ったのだとなる、自己責任化したのである。

南相馬市でも避難区域の小高ではそうなった、いろいろな人がいても補償金をもらったことにより個人化して地域の一体感は喪失した
家族も分断されて地域も分断された、親の子供世代は放射能が危険として帰ってこない
そして取り残されたのが老人だった、でも小高では2300人が帰っている
それが多いとなるのか少ないとなるのかわからない、ただ半分は65才以上の老人なのである。
小高の人は金がある人は新地であれ相馬市であれ鹿島であれ原町に家を建てた
浪江の人も建てた゛つまり地域は個人化して分断されたのである。
個人化すればをとすればいいんだとなれば金があれば他で家を建てて生計をたてる他ないからである。

飯館村では仮設暮らしの無為に暇に耐えられなくなったとき農業をはじめたがそれが非常な困難をともなっていた。その場所を探すこと一からはじめることが容易ではないからだ農業はそれなりに設備が必要なのである。
飯館で有名だったトルコキキョウなどの花栽培でもそうであり簡単にできるものではなかった、トルコキキョウというと飯館のような涼しい地にあっていたのかもしれない
トルコキキョウと竜胆(りんどう)はにている、飯館村は何か花が美しく見えた
それはいつも不思議だった、やはり何か環境が影響していたのである。
飯館村は一つの桃源郷とかアルカディアの雰囲気があった
ただそういうものは原発事故後そこなわれたのが残念である。
それよりそういう所を破壊した原発に怒りをもつのである。
アイヌのカムイコタンとは神の村と言うときそういう側面が飯館村にはまだあった
森につつまれてあった神秘性もあった
だから峠を越えてゆくと何か別世界に来たような新鮮な感覚になっていたのである。
それで詩を書いたりしていた。

ともかく飯館村の農業の復興は至難である。放射線量が高いこともある、土も水も森も汚染されたからである。それが致命的になったのである。
はっきりいって自分はソーラーパネルが置かれる場所には行きたくない
大倉から峠を越えて入った場所は前は森におおわれていて人が踏みいらぬ神秘的な場所だった、そこが道になり喪失した、だから原発事故前にすでに自然が破壊されていたということがあった、ただ全体的には森につつまれた森を維持していていて飯館村が好きな人が多くいたのである。
だから残念だとというより自分は原発事故に対して怒りをもっている
なぜそうした森につつまれた村を破壊したのだとなる
ただ自分のように景観とか風致にこだわる人はそこに住んでいる人でも少ない
やはり金が入れば土地の人は景観など考えない
だから容易に今や利用されない土地はソーラーパネル工場になってしまうのである。

森深く月のみのぞく神秘かな

そんな神秘的な世界がまだあった、それが失われたのである。




posted by 老鶯 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

時刻表を常に見に来る人がいる (手帳にいちいち時刻表を書いていた人がいた)


時刻表を常に見に来る人がいる

(手帳にいちいち時刻表を書いていた人がいた)


駅前にふえて飛び交う夏つばめ

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昨日は年配の女性が時刻表を手帳に書いていた、何か駅に来る人は時刻表を見ている
駅の中に時刻表を置いてもすぐなくなる、それはなぜなのか?
おそらくあの時刻表は小さいからなくしやすいのかもしれない、その時刻表を置くとすぐなくなる
その女性はカレンダーのように大きな時刻表で家に置きたいといっていた
確かにそういうものが必要である。

ただ今はスマホとかで時刻表を写真にとったりしているしすぐにインターネットで検索できる、でもその女性はスマホもしていないからできない
そういう人もまだいる、その割合も老人が多いからまだいる
自分でパソコンで印刷しようとしたらインクがきれてできなかった
印刷何か自分の場合うまくいっていない、印刷機も何台か買ったがうまくいかない
バソコンで調節できない、パソコンでもうまくできないものがある
こういうことはパソコンはそもそも教えてくれる人がいないから困るのである。
電器屋でも教えないし自分で習得するほかないのがパソコンなのである。

このように駅には何か毎日ある、昨日は日曜日で中国人が乗るので電光掲示板に出ているのを説明した、やはり無人駅ではわからないことがある
中国人は発音が全くわからないので困る、全くしゃべることができないからだ
それでもありがとうと言ったのはその人は日本で働いているからそのくらい覚えたとなるするとこちらも気持ちがいいとなる
だから外国に行ったらその国の言葉でありがとうくらい覚えないとまずい
でもその言葉を覚えるだけが大変である。旅行者は長くいないからわからないのである。英語だったら最低限わかるからいいのである。

今日はまた水戸からJRの人がきていた、必ず何か調査にきて見て歩く
駅には本当に絶えずそうして調査したり見て歩いているのである。
だから駅を維持することは人手がかかると思った
下請けの人もくるし人がそれだけかかわっているのである。
これがバスだったらこんなにかかわらないのである。
だから金がかかるからJRでは無人駅化しているのである。

駅前は人がともかく人が交じり行き交う場所なのである。
必ず娘を迎えに来る人がいる、昨日は乳母車で一人の子供を背負い向こうから階段を上り高架の通路をわたりおりてくる、それが結構難儀なのである。
スーツケースで上るときもそうである。
だからエレベーターがあると便利なことがわかる
新地は鹿島駅より小さいがエレベーターがついたからいいのである。
エレベーターをつけろという要望があったがやはり予算の関係でできていない
それもJRで金を払うことになるから余計に苦しくなる
トイレはJRで金を払って掃除してもらっている
でも駅を鉄道を利用しない人も使っているのである。
だから自治体がかかわることも援助することも必要になる
JRだけでは金銭的にも鉄道は維持できないのである。
ただJRは新幹線でもうけているから今回津浪で流された区間を400億円かけて修復したのである。

駅前つばめが飛び交っている、夏になると増える、そのように夏は活気が出ている
野馬追いになれば常磐線が開通してはじめてだから電車で来る人も増えるだろう
土日は仙台にゆく人が多いのである。



金と責任(カルマ)は一体だった (原発事故でも金をもらった結果責任が課せられていた)


金と責任(カルマ)は一体だった

(原発事故でも金をもらった結果責任が課せられていた)


金をもらえば今はなんでもいいと思っている
ところが金には責任が課せられている
金は具体的に責任がわかりやすい、金を借りればカルマとなりきっちりその金を返すことをカルマが要求される、それも利子付きになっているのだ
じは自分が借りた金を他人に負わせることは自分のカルマを他人を負わせることになる
そういうことを経験した、借金した人は苦しくなりそれが動機で犯罪にもなるし
殺人までなっている、自分で背負ったカルマを他人に負わせることでさらなるカルマを積む

つくづく今になると実家はなくなって墓だけがあるが墓を守ってくれと頼まれた親戚がいた、3百万円で頼まれた、その金は灯をともすようにしてためた金だった
頼まれた人は何か遺産とか金が入る人だったからそんな金は必要でもなかった
でも墓を維持するために3百万円というのは実際は安い
墓は墓というものではなく死者がそこに何人も埋まっているからだ
ではめんどうだからと放棄もできなくなる
つまり供養し続けねばならないとなる
それはたいした手間ではないにしろそれなりの責任が課せられていた
自分も母の実家だからかかわっていたがその責任は課せられなかった
だから気楽だともなるが墓に埋まっている一人は関係しているから責任がある

金というのは原発事故では常に補償金でこの辺ではもめた
でもまたその金もカルマとなりすべて良いものとしては働かなかった
みんな金がもらえればいい、多くもらえればいいとしか思っていない
それは自分だったそうである。でもその金に責任が課せられていたのである
特に船主は原発事故前も多額の補償金をもらっていた
原発御殿が建つほどの金をもらっていた
事故後ももらっていち早く立派な家を建てた
それで回りからう批判されるようになった
みんなそんなに港でも金をもらっているわけではなかったからである。
そして漁業権をもち東電に売り渡したということでも批判がある
今ではいくら金をもらってもその金をもらったことで批判されるから苦しいとなる

誰でも金をもらえればいい、多くもらえればいと考える、自分もそうだった
でもこの辺ではその金で補償金でもめた
なぜ原発避難民だけがそんなに金がもらえるのか?
それは避難民となったから当然の権利だとはなっていた
でもそこにも責任が課せられることになる
お前たちは十分な補償金をもらった、だからその金でお前たちだけで復興しろとかなる
俺たち金はもらっていない、だから協力もしないとまでなる

実際に浪江の会社経営している人が仕事くれと原町なのか仲間に頼んだらあなたは億の金をもらったのだから仕事しなくてもいいと言われた
それはNHKの放送で本音がちょっともれたのでわかった
実はそこにこそ大きなこの辺の問題があったのである。
金をもらったものともらわない人がいてそこで分断された
そして金には責任が課せられていたのである。

逆に金をもらわないと責任も課せられないのである。そもそも原発でも地元では金をもらったし事故前も得をしているのだから恩恵があったのだから責任があるとされたのだ
それは金をもらっていたからである。その金の額も大きかったからである。
だから必ずしも今となると金をもらうことがいいことばかりに作用しなかった。
つまり金には責任が課せられていたのである。
お前たちは東電から金をもらった、だから責任がある、責任をもって原発に同意したとなる
もし金をもらわなかったらその責任もないしその責任を追及できるのである。
でも金をもらったということで厳しい責任は追及できなくなっていたのである。
事故後も多額の金をもらったからそれも責任であり厳しく東電か国家でも責任は追及できなくなる、国民でもそれだけの補償金をもらっているのだから責任を果たしたとみられくからだ。
もし補償金でもそんなにもらえなかったら国でも東電でも厳しく責任を追及できたともなる

金とは誰でももらいたい、多ければ多い方がいいと思う
でもそこには責任が課せられていることを自覚する必要がある
何の謂われもない金をもらったりすると責任が問われる
金が落ちていても拾ったりするいいと思うがそこで責任が課せられているから危険になる金は具体的でわかりやすいカルマであり責任となっている
その額も多ければ多いほど責任が課せられているのだ
だから金からみるとわかりやすいのである。

だから金をもらえばもらうだけいいとか簡単に考えたのは危険だった
金にはなんでも何かしら責任がつきまとっているのである。
原発避難民は多額の補償金をもらったからその責任が課せられたいた
お前たちは十分な金をもらったのだからそれで復興しろとなる
地元では分断されて協力しないとかなる
ただ公平に補償金でも払われていたらこうはならなかった

いづれにしろ何がなんでも金をもらえばいい、奪ってなんでも金を得ればいいことだとなっている、でもそこには必ず金には責任が課せられている
おそらく3億円盗んだとかでもそれが責任となっているからうまくいったとはならない
3億円分の責任が課せられた結果になったかもしれない
だから金と責任は一体だったのである。
責任をとりたくなかった金をもらわないことだったのである。
原発でもそうして地元で金をもらわなかったら責任もなかったが多額の金をもらっていたから責任が問われたのである。

仕事でもこれくらいの金だからこれくらやればいい、大工でもこんな金じゃまともにやっていられない、手抜きしてやろうとかなる
金で仕事でもどれだけやるか計られる、金が多ければそれだけの責任を感じているのである。だから金と責任は一体なのである。
危険な仕事だと金が高くなるのも当然だとなる
それが資本主義社会のルールなのである。
これがかみあわないことがあっても金と責任は一般的に一体である。
ただ官僚とか政治家が巨額の金が入るときそこにも責任が課せられている
何かあったら責任をらされる、だから東電の幹部は死刑に値するような責任がある
でも責任をまねがれいるから国民の批判が大きいのである。
ただ日本には住んでないらしいからそれが責任なのかともなる

現代は地位によってより金によって責任が課せられている
金を多くとるものはそれだけ責任が重いのである。
だから金が多くもらえればいいとなるがいちがいには言えない
それだけの責任をになえるのかということを考慮する必要がある
でも実際は金を多くもらえればいいとなっているのだ
それで後で後悔することになる
posted by 老鶯 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年07月23日

カルマとは責任のことでもあった (カルマは責任をとらされること)


カルマとは責任のことでもあった

(カルマは責任をとらされること)


カルマというとき人間がもっている業のことだけどそれは責任のことである
人間は生まれたときから責任を課せられている、子供のときはその責任がない軽いだけなのである、だんだん成長するにつれてすでに責任が課せられている
なぜ子供が泣いて生まれてくるのか、笑って生まれてきてもいいはずである。
泣いて生まれるのはカルマを背負って生まれてきたから泣いているともなる
この世に生まれて来たことの重みを感じて泣いているともなる
最後には老人になると人生の結果としての責任を否応なくとらされる
そのカルマから責任から逃れることができないようになっている

健康というのも生まれつきのものではなく作られたものという側面もある
30代は20代の運動量で体力が決まるとかその頃から運動が大事になってくる
運動しないものは心臓でも筋肉でも衰えてゆく
生まれながらに体力ある人でも運動しないと衰えるという
自分は体力がないけどずっとデスクワークもしないで運動してきた
登山もしたしあとは自転車で運動していた
それで今に影響しているのかもしれない、ただ自分は実際は今でも体力はない
何か暑さでも寒さでも前もそうだったが弱いのである。
だから今回の暑さでぐったりして衰弱した

ただ自分が30頃登山して死ぬほど疲れた、そして一週間くらい眠りつづけたのである。
そうして疲れたら寝ていたというのも良かった、それでやっと体力が回復していたのである。その後登山はきついからやめた、自転車は今でも乗っているのは疲れたら休むとか激しい運動ではないからできているのである。

人間はなまけているとそれもカルマになる、何でも自己責任だというときそれはやはり
そうしてなまけていた者は貧乏でもそれは本人のせいだとなる
それには問題があるにしろ何か人生も積み重ねだからそうなりやすい
なまけるということの怖さは退職後なまけていると認知症になる割合が大きくなる
体も頭も働かせないと認知症になりやすいことは確かなのである。
何をしても何をしなくてもカルマとなりその結果があとで否応なく現れるのである。
あの人は才能があるからできたのでありそれは生まれつきだとか言う
でも人間の才能はわずかであり何かしら普通は積み重ねがないとできない
天才は例外なのである。だから手本にはできないのである。

雑学などくだらないとなるがそれも知識の積み重ねでありそれを集積していけばプロにもなる、あることを継続して追及していれば素人でもそのことについては詳しくなる
第一人間はあらゆることに詳しくはなれない、天才でもなれないからだ
時間が限られているからそうなっているのだ、特別時間をもたされる人はいない
時間は平等に与えられている、それも活かすも活かさないも本人の責任なのである。
ただ高齢化社会はその時間が伸びたから有利だとはなっている
時間は何か金のように意識できない、だから一番浪費するものなのである。

人間はカルマから責任から逃れられない、何かしらカルマを積み後に責任をとらされる
これは個人的にもそうであり社会的にもそうである。
原発事故でもやはり人間のカルマであり業であり危険な原子力に手をだして責任をとらされた。人間は原子力をあつかう能力がなかったのである。

人間の健康も暴飲暴食したり何か健康に悪いことをしているとあとでそのツケが必ず回ってくる、それはそういうことをしているときは気づかないのである。
気づかないからこそそういうことができる
10代20代なら無理をしてもいいにしろ30代頃になるとそうした無理はあとで健康をそこなうものとてし現れる

自由な方がいいから結婚もしない子供も育てないとなるときあとで老人になって世話するものもいなくなる、親でも楽していると子供はそれを見ているから世話になったとも思わない、その母親は子供の世話は5才くらいまでしかしなかった、実の親でもそういう人は子供は世話しないから頼っても悲惨な結果になっている
ただ金だけも求めているだけなのである。その女性は育ての親にも非情だから異常なことは確かだが楽した親は最後に悲惨なのである。
それもカルマだったとなる、カルマはその時はわからないのである。
ただ親となるのもカルマであり子もないのもカルマである。
結婚するのもカルマでありしないものもカルマである
カルマはどこにでもつきまとっているのである。
楽だなと思っていいなと過ごしていると後でそれがカルマとなりひどい目にあうのである親が苦労して育てるとそれを子がみているから親を世話する気持ちが湧いてくるのである

ただ人間はカルマを積まない人はいないのである。カルマは欲望でもありその欲望は老人になっても消えないである。だから色恋沙汰の争いが老人ホームで起きて殺人まで起きている、そういう本能的業は死ぬまでも消えないということである。
結果的にそれが災いをもたらすのである
罪障消滅など死なない限りないのかもしれない、人間は生きている限り業をつむ
そして責任をとらされる、カルト教団などは罪障とかそんなものは何の関係もない
みんな業のかたまりであり同じように責任をとらされる

つまりカルトなどはかえって罪障を大きくしているのである。
もしその団体がカルマがないとしたらこの世は天国になっているだろう。
この世のどろどろとしたものがカルト宗教団体に集積しているのである。
それは教会でもどこの宗教でも同じなのである。
団体とかもカルマを積んでいるから団体も歴史的には罰せられのである。
会社とかカルト宗教団体でも他の団体でも組織や団体自体が罰せられる
その団体に所属していただけで罰せられる、そこも罪の団体だからである。
団体組織が権力化して横暴になり社会に害をもたらしていたからである。
カトリックの歴史は暗黒の歴史でもあった、だからそれが今でも問われる
責任を言われるのである。

自分自身もカルマがあり罪障消滅していない、結果としてそのカルマの責任をとらされているのである。それはみんなそうなのである。
人間は生まれたことはカルマを積むことである。またカルマを積んだから生まれてきたともなる、すでに生まれてきたことがカルマを責任を課せられて返すことを要求されているともなる、親は親としてのカルマがあり子は子としてのカルマがあり責任が課せられている、そのカルマから逃れられないのである。
キリスト教では人間に原罪があるというときもそうである。
それはカルマのことなのである。それをとりのぞくことは信仰でしかできないとなる
いづれにしろこの世はカルマから解放されない限り平和はない
それは別に戦争ではなく個々人のカルマがありそれが平和を乱すものとなる
その根本のカルマが消滅しないからこの世に平和がないのである。
それは科学技術でもカルマから解放されない、原発のように人間の技(わざ)がかえって災い(わざわい)となるように科学技術の進歩ではカルマは消滅しないのである。

人間のカルマが最後に激しく燃え上がり焦土のように化したのが戦争なのだろう。
どっちに義があるというものでもない、人間のカルマが戦争を作り出すのである。
そして最終戦争ともなりハルマゲドンとかなり人類は消滅してカルマも消滅するともなるこの世は改革もできないし改善でもできない、一見できたようでもまた新たな問題が生まれる、そもそも人間のカルマは消滅しないから同じような問題が起きてくるのである。
結局プルトニウムの毒が二万年のカルマを作り出したように人間は責任をとらされるのである。

蓮月が経験したことから歴史をふりかえる (津浪や原発事故の動乱ともにていた)


蓮月が経験したことから歴史をふりかえる

(津浪や原発事故の動乱ともにていた)


生後すぐ、京都知恩院の寺士、大田垣伴左衛門光古(みつひさ/てるひさ)の養女となる。。文化四年(1807)、十七歳の時、大田垣家の養子望古(もちひさ)と結婚。一男二女をもうけたが、いずれも夭折した。文政二年(1819)、二十九歳の時、大田垣家に入家した古肥(ひさとし)と再婚し、一女を得たが、四年後夫は病没。養父と共に知恩院で剃髪し、蓮月を称す。二年後、七歳の娘を失い、さらに天保三年(1832)、四十二歳の時、養父を亡くすその後は岡崎・粟田・大原・北白川などを転々とし、急須・茶碗などを焼いて生計を立てた。やがてその名は高まり、自作の和歌を書きつけた彼女の陶器は「蓮月焼」と呼ばれて人気を博するようになる。明治八年(1875)十二月十日、八十五歳で逝去した。


京都の経済が大きな痛手をこうむりました。これ以前から,京都の最先端技術が地方に伝えられ,その地で生産された品が全国に出まわり,京都の産業を圧迫していました。桐生(きりゅう,群馬県)の織物や銚子(ちょうし,千葉県)の醤油はその代表です

この寛政二年に四か所の遊所が公許になる二年前、京都では天明の大火があり、京都の市街の八割を焼き尽くしました。当然京都の財政は逼迫しており、


京都の歴史をふりかえれば戦乱がありこうした大火もあった、鴨長明も京都の大火があって『方丈記』生まれた。
その天明の大火もそうだが天明の飢饉もありその時相馬藩の三分の一人口が減った
その減った分を越中の移民などが来て補って復興した。
この時各地の大名が京都に来て復興のために尽力した、そうして外部から人が流入して花街が賑わい生まれたのが蓮月だったという。
そういう動乱の中に生まれたのである。
津浪や原発事故でもそうだった、外部の人が大量に入ってきたのである。
それで韓国系のバーができたとか水商売の風俗関係の女性も外部から入ってきた。

何か歴史では同じようなことが繰り返される、大火というのは日本では木材の家だからどこでも起きていた、その記録はどこにでもあるからだ、一旦火事になると延焼しやすいから街ごと燃え尽くすのである。京都とか江戸になると凄まじいものとなる
関東大震災でも火事の影響であれだけの被害になった
神戸の地震でも火事になって燃えた時は恐ろしかった、その時アナウンサーがこれは人間の骨ですよとかいって手にもっていて放送していたから異常だった

経済的にも京都で発明されたものが地方に普及してかえって京都が経済的に衰退したというのも興味深い、それはグローバル経済で日本でも起きている、日本の電化製品が売れていたが今はまねられて中国とか韓国の製品が売れて日本の経済が衰退したからである。
何か必ず歴史では同じことが繰り返されているのである。
日本では自然災害が多く繰り返されていることである。
国内でも戦乱がありグローバル化すると世界大戦になる、そして日本では300万人が戦死した。
京都の寺の柱に応仁の乱の刀傷がついているのが残っている
京都は政治の中心だからそうした騒乱にもまきこまれる

蓮月が経験したことはそういう自己自身でも苦難があり悲劇があった、子供が三人死んだとかもそうである。全員死んだとなる、でもその頃子供は死ぬ子供が多かったのである。それだけの手当てができなかったからである。
それで必ず墓を見ればわかる、生まれてすぐに死ぬ幼児が多かった、童子の名前が記されているのである。子供が死ぬ率が多いから子だくさんになっていたのである。
それは蓮月だけのことではなかったのである。

人間は戦後は平和だったというけど70年生きると必ず動乱が生まれる、それは自然災害だったり昔だったら大火だったりする、現代でも自然災害はこの辺の津浪のように起きてくる、この辺では原発事故になった、その動乱は今でもつづいている
自分も書いてきたように家での介護とか自分の病気とかで惨憺たるものになった
そして外部でも動乱になったのである。
そういうことは何か人生70年の間には必ず起きてくる、平穏に70年を過ごせることはありえないのである。それが人間の歴史だったのである。
だから平和な時は長くつづかないのである。
日本の歴史でも明治維新が大動乱であり70年すぎて太平洋戦争であり大動乱でありそして70年くらいすぎるとまた東日本で津浪や原発事故の大動乱が起きた。
まず70年間平和でありえることはないのが人間の歴史なのである。

蓮月個人のことになると蓮月焼とかはたいした芸術性はなかった、でも売れたのは歌などを茶碗に記したことなど女性が作ったことなど話題性があったからである。
美人だということも影響したという。今でも女性の芸能人は美人を売りにしている
それでマスコミでとりあげる、話題性があるととりあげる、蓮月は美人である故に苦しんでいたというのもある、男が尼になってもいいよる男がいたのでそうなった
だから蓮月の焼き物や短歌はそれほど評価されていない

そして京都というとき京都で有名になると全国的になる、蓮月焼はその品物がたいしたものでなくても売れた、それで地方でもお土産に買っていったのである。
京都ではやるものは地方にも普及する、逆に地方ではやってもそれほど普及しない、京都は日本の都だからなんでも影響力が大きくなる
例えは検索でも京都と入れる人が多い、地方は検索に入らないのである。
俳句とか短歌でも京都とか鎌倉と検索で調べる人が多いが他は少ないのである。
それは京都とか鎌倉は古都であり知られているからである。
この辺はただ津浪や原発事故で世界まで知られたのである。

蓮月は明治維新の動乱にもかかわっていた、それで西郷隆盛に歌を進呈したという

あだみかた 勝つも負くるも哀れなり 同じ御国の人と思へば

このあだみかたというとき日本には敵味方塚とかあり敵味方も同じように葬っている
明治維新でも九州の藩の戦死者の墓が相馬藩でもあり東北にある
日本人にはそうした心情が昔からあった、これが大陸になると敵をそんなふうにはあつかわない、敵の墓を掘り起こしてまで侮辱を加えるのが中国だった
異民族との争いと徹底して過酷なものになる、人種差別などでもそういうことは引き継がれている。国内でも差別が厳しいのである。
逆に日本では異民族との徹底した戦いは太平洋戦争でしか経験していないのである。
世界の歴史では常時異民族との戦いが歴史だったからである。

これが江戸城無血開場に影響したという、そ真意は実際わからない、でも明治維新にもまだ生きていて歴史とかかわっていたのである。
ともかく一人の人間がこれだけの動乱の中に生きたのである
別に蓮月だけではない、大正生まれの人などもまだ90才以上で生きている
その人たちも動乱を生きたのである。戦争も経験しているからである。
何らか動乱を個人の人生でも歴史的なことでも経験しない人はいないのである。
人生の最後にきて自分も経験したしこの辺の人たちはそうである。

自分の母親も家が事業で破産して一家離散になったとか東京に女中にでて夫が事故で死んだ一人の子供交通事故で死んだとかそういうことは蓮月だけのことではない、そういう波乱を生きた女性も多いのである。だから蓮月だけが特別苦しい人生を生きたとはならないそういうことはみんな女性でも経験しているからである。
人間の一生をみれば聞けばそういうことは常にありめずらしいことではないのである。
一生平穏な人生などないのである。

いづれにしろ自分自身もここ十年は介護や病気で来た人が異常な人たちだった、苦しみに苦しみが加えられたのである。人格異常になった女性もいてそういう人が来ることの恐ろしさを味わった、家の中も認知症の人をかかえたら狂乱状態になった
そして外部では津浪や原発事故になったのである。
津浪では自分は被害はないから良かったが他の人は家族も死んでいるからまたこれも苦難だったとなる、この辺では家族が分離するとか地域が分断されるとか様々な混乱状態になったのである。一種の戦争状態にもなったのである。
それはまだ解決していない、混乱はつづいているのである。

そして今望むことは

静けさや窓にのぞきぬ夏の月事もなきしに夜もふけなむ

こんなふうになってしてまう。事もないことが幸福なことだった、30年間くらいは自分もそうだった、異常な家族でも自分にとってはそうだった
それが一転して事がありすぎて不幸になったのである。
それは自分だけではないこの辺ではみんなそうなってしまったのである。

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2017年07月22日

科学と政治の問題 (放射線量ですべては決まらない-汚染土の問題も)


科学と政治の問題

(放射線量ですべては決まらない-汚染土の問題も)

再び温暖化問題(武田邦彦プログ)

武田邦彦氏の言い分だと科学はガリオレの例があるように科学の真理だけで決まるわけではない、それは今でもつづいているという、ガリレオが科学の真理を主張したのだがカトリック教会は当時の政治を支配していたから反対した
政治のために科学の真理がねじまげられた。

それは今でもあるというとき科学者を牛耳っているのは金をくれる国家だからという、科学には実験などで金がかかる、理系は文系の5倍とか金がかかる、文系は本さえ読んでいればいいくらいだが理系は実験をするから金がかかる
つまり金に支配される、政治でも官僚でも一番力があるのは財務省だというとき金をにぎるからである。家でも金をもつもの管理するものが一番力をもつ
なかなか金をもっているのもが次世代に譲らない、すると力をもたされないのだから何もできないのである。
遺産でも今や60代でようやくゆずりうける高齢化時代である。
それで実質的世代交代が成されないのである。

温暖化問題でも科学的には温暖化を主張する学者の割合は少数である。それが科学より政治化している、政治の判断で決められる、原発も政治がかかわっていた
科学的のものを判断の基準にはしていなかった。アメリカとかの核戦略もかかわり日本に古い型のマーク1が売りつけられた、それは商売であるから経済的な圧力で買わされたともなる、科学的に安全という前に政治や経済がかかわる

原発事故が経済的コストを優先したとき高く設置するはずだったがその高く作った土盛りしたのをわざわざ削って低くしたのである。それはコストからすると安くつくからである人間の成すこと科学がすべてに優先されることはない、佐藤栄佐久知事時代にプルサーマル問題が起きて指摘したがこれも拒否された、それで佐藤知事は政界から追いやられたとかされる、それも政治的圧力だから科学より政治化した問題になっていた

政治と科学の問題を考えるとき原爆を発明したのはアイシュタインもかかわっていた。
科学者としては核開発が危険なことを知っていた、それであとで反省した
それを使うべきではないとしても原爆として使われたのは政治の圧力だった
政治と科学の問題もあり政治と経済の問題もあり政治と宗教の問題もある
それは密接に相互作用している、それは歴史的にもそうである。

南相馬市の除染土のことでNHKで放送していた、公共事業に利用するという、高速道路の4車線化で道を広げるのでまずそこに利用するという、それに地元で賛成する人と反対する人がいる、科学的には害はないという、でも反対する人は結果的には地元で責任を負うことになるから反対だとなる
それが一方的に国でその事業を計画してはじめていた、それに自治体ではかかわることもできなかったのである。
それは原発と同じである。国家権力によって地方自治体は逆らうことができず相談も無く一方的におしつけられるのである。
そこに話し合いがあればと学者が言っていたがそれもないのである。
そして事故が起きたら地元が責任をとらされるのである。
それで不安だから子供たちは帰ってこないという、それは科学的には判断しにくい、でもあとの責任は地元がいやおうなくとらされる
この辺では水も土も森も空気まで汚染された、そしたら住めなくなるのである。

ここにも汚染土が大量であり早く仮置き場をなくしたいというのも地元でもそうである。これも景観を害しているからだ、経済的コストとしては高速や公共事業に使うのがいいとなる、でも何か何十年後かにあっても地元が責任をとらされる
だから国と地方自治体で地元で話し合いが必要だとなるが実際は国で一方的に決めて事業をはじめているのである。
それは原発でもそうして地元の人と自治体とも良く話し合わないで了解をとらないで作られていたのである。ただ地元では金になるからと許可したのである。
金になっても今回のように責任をとらされるのは地元なのである。
戦争でも戦争するということを国が国民に納得させてしたかとなると疑問である。
でも結局3百万人が死んだという重い責任をとらされたのである。
何か必ずこうして責任問題が人間の社会にはつきまとっているのである。

科学の真理があってもそれをすべてとして受け入れられない、社会的にも受け入れられない、医者にかかりたくても貧乏でかかれなくて死んだ人も現代社会にいる
それは経済的問題でそうなった、
武田邦彦氏が一ミリシーベルを一年の被爆量として提示してもそれも社会的には実行できない、それにみんな従うこともできない、みんな住めなくなるからである。
そしたらどこに住むのかとなる、それを用意してくれるのかとなる
だから老人ならもう先がないのだから故郷に住んで死にたいとなる
それでチェルノブエリで老人は細々として畑を作り遂に医者にもかかれずに死んでゆく
それでも故郷に帰り住んでいたいとなりそうなったのである。

だから科学によってすべてのことは決められない、三陸では明治にも大きな津浪の被害があったが海側に住んだのはそこが便利だからである。
そこが危険なことをわかっていてもそうしていたのである。、それは経済的コストもある原発にしても科学だけではない政治や経済や社会の問題がある
それを受け入れるとどうなるのか?生態的問題としてもあった
地方は生態的に自然の中で生活してきた歴史かある、そういう生態系とか歴史も関係していたのである。
国家とか科学の力が巨大化したときそうした地域は多国籍大企業によっても簡単に破壊される、東南アジアの森林が日本の企業でも破壊しているというときそうである。
オラウータンの住む場所がなくなるというのは生態系が破壊されたからである。
そのことはひいては人間が住めなくなるのである。

いづれにしろ老人の場合は山尾三省のようになる

  • びろう葉帽子の下で


びろう葉帽子の下で
山に還る
その山がたとえチェルノブエリの灰で汚染されているとしても
わたしはほかに還る所がないのだから
山に還る
びろう葉帽子の下で
死期を迎えた動物のように
山に還る

飯館村に住んでいた老人も山菜までとって今でも食べているという、もう死期がせまれば放射能など関係ない、山に還る、そこが死に場所だとなる
科学的にどうのこうのというのは関係ないのである。
だから科学だけがすべてではない、ターミナルケアでもそうである。
もう科学的に医療の問題ではなく精神的な問題になる、どうせ死ぬのだから最期にその人の望むようにさせる、癌でも登山した人もいる、それで満足して死ぬということになる




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2017年07月21日

人間は暇になると博打になる (原発事故の避難民も同じだった)


人間は暇になると博打になる

(原発事故の避難民も同じだった)

 「学校」を意味する英語「school」の原義は、ギリシア語の「余暇」を意味する「schore」に由来していると言われています。古代ギリシア・古代ローマの市民が、音楽、スポーツ、芝居、議論などを楽しむために過ごす、「暇つぶしのための時間や場所」を表す言葉でした

上州の農村では、生糸をつむぐ女性が、一家の稼ぎ頭でした。
そのため、亭主は金と暇を持て余したのです。その暇を潰し、
更に金をもっと大きな金に変えてイイところを見せようと思っ
て、多くの男性が当時思い浮かべたこと。それは、博打だった
のです。


上州というと今の群馬県とか栃木県になるのか?群馬県の方だろう。
人間の暇の問題は実際は大きい、暇をどう使うかで人生も決まることもある。
ギリシャに哲学が生まれたのも暇が生まれたからである。
それは奴隷がいて暇が生まれていた、スクールがもともと暇の意味だったからである。
暇があるからスクールが生まれ学ぶことになった
それはいい面として暇が作用したのである。

それが悪い面として作用すると博打になりギャンブルになり風俗とか遊びになる
人間は暇というのが意外と大きな問題としてある
つまり暇をどう有効にもちいるかどうかが大きな問題となるしそれが人生を左右する
一見裕福な家に生まれると恵まれたとなるが放蕩する息子も生まれてくる
それは金があり暇があるからである、それが悪い方向になると遊び人になってしまうのである。遊びに費やされてしまい何か実りとならない、社会に貢献もしないとなる

この辺で原発事故で起きたこともいろいろある、それは常に自分が言ってきたけど避難して仮設に住んだ人は何もすることなく暇になった、そしたら何をしたかというとパチンコとギャンブルになったのである。風俗も通いもあった。
それでイワキなどでは顰蹙をかって落書きされたことなどが問題になった
今まで手にできない補償金をもらったからそうなった
その金を何か復興に使うとういことはない、ギャンブルに費やしていたのである。

人間は暇を有効に過ごすことはむずかしい、そのためには訓練も必要である。
学問でも芸術でもそれは暇を有効に使うためのものとして発達した
なぜならスクールが暇を意味していたからである。
だから自分が大学に行って驚いたのは大学が遊び人養成の場なのかと思ったことである。ほとんど授業には出なくてもいいのである。私立文系の場合はそうである。
朝からマージャンしていいる人も普通にいる、講義に出るということを馬鹿にする人もいる、講義に出ないのが大学では恰好いいものとされていたのである。
真面目な奴は嫌われていたのである。

だから高校と大学ではあまりにも違っていたのである。
大学は高校とか毎日授業しているのとは全く違った世界である。
授業に出なくてもいいのである。そしたら遊びたい者は遊ぶとなる
その遊ぶにしても何か有効な遊びならいいが毎日マージャンしているとかありパチンコすらしていた
だからそもそも大学とは何なのだろうと疑問になるのも当然である。
それである人は全学連とか学生運動に生きがいを見いだすようになったり自分のようにカルト宗教団体で活動したりするものがでてくる
それは大学が勉強する場ではないとなっているのだからそうなった
今でも一流大学の医学部の学生が強姦したとかあるがそれも大学になると高校とは違って解放的になるから起きてくるのも当然だとなる
大学になると大人にされる、勉強することも先生から学ぶのではない自分で学びなさいとなっているからだ。文系の場合は遊びを覚える場が大学なのである。

それで不思議なのはなぜそんな遊び人養成のような大学から真面目な企業戦士と団塊の世代がなったことである。それはほぼ全員である。大学ではあれほど自由に遊びを覚えたのに真面目な会社に尽くす企業戦士となったのである。
普通はそんな遊びを覚えると真面目に会社で働けなくなる
自分などはそうなった、就職もせず底辺労働者となってさまよっていたりしていた。それも結局大学に行ったことが影響していたのである。

だからこの上州の人が女性が絹織物産業で稼ぎが良くて男はヒモになっていて働かない
それで博打打ちになったというのも理解できる。それは男が暇になると博打になるからだこの辺では飯館村などは素朴な人が住んでいるように見えたが実際は馬券売り場とかありギャンブルする人はどこでもいる
今でも鹿島区の競輪の券の売り場に通う人がいる
ただ仮設に住んだ人は何もすることがなく金があるからパチンコ通いでありギャンブラーになった、何百万円もうけたとかそんな博打打ちになったのである。
それも結局暇があってその暇を有効に使えなかったことにあったのである。

「小人閑居して不善をなす」というとき小人とはみんな小人なのである。
自分もだから会社員にもならないから働かないから不善を成したのである。
今のニートとか働かない者は必ず不善を成す、何か変な方向に舵をきる
やはり普通は社会で働いて訓練された方がいいのである。
自分の場合は暇を旅に費やしたともなる
だから大学とはいうのはそうして不善を成す場だというのも奇妙なのである。
自分で勉強しろといっても普通はできない、その課題を見つけることもむずかしいからである。
大学生になって文系の場合、人生が狂るわされたということもあるだろう。
高校生だとたいがい就職してそういう暇をもたされないからである。

人間は金があっても暇があってもそれで堕落する、ローマ帝国は贅沢で滅びた
ローマ帝国はもともと質実な農民の国だったのである。
それが富を集めて贅沢で滅びたのである。
この辺も復興など関係なく仮設に住んだ人は暇をもてあましギャンブルーになったのが多い、金をもらったからといってそれが有効には使われるとは限らないのである。
フィリンピンの女性を連れ込んだとかもある、それも金が余ってそうなったのである。
そうして5年6年も過ごしていたらどうなるのか?
もう真面目に働く気もなくなるのである。
また老人が多いことでも働く気がなくなったのである。

日本でも平安時代になると宮廷で貴族は暇だから源氏物語のようなものができた
短歌でも万葉集とは違う、貴族が暇であり恋愛などで遊戯人間のようなものに化していたからである女性と遊んでいたとなる、ただそれが遊びでもかなを作ったの女性だったとか文化に貢献したのである。暇を与えられたものは何か文化に貢献するものとなるとそれは無益なものとはならない、万葉集と古今集が全く違ったものとなっていたのはそうした時代背景かある。万葉集には働く農民の歌があるが古今集にはないからである。
平安時代は時代的には堕落した時代とされるのは贅沢にふけったローマとにているのである。

ただここは特殊な事情でそうなったけど現代は全人口の三分の一が働いていない、ニートや老人でも多いし働いていない
すると老人でもここが特別ではなくパチンコとかしている、パチンコしているのは老人が多いという、それは暇だからである。
暇を有効に使うことはそれだけむずかしいのである。
そして老後の問題は平均寿命でも長くなると暇をどう使うということが問題になる
趣味に費やすとしてもこれも老後にすぐに身につけることはできない、今までしていればできるがそうでないと簡単にできない、では何か生きがいをることをしたいとなりボランティアになる、そのボランティアでもなかなか簡単にはできないのである。
老後になって暇になりそれが大きな高齢化社会の問題にもなっている
ただそれは人類がはじまってから起きていた問題なのである。
古代の天皇がサイコロをしていて博打をはじめたということでもわかる

結局避難解除になっても何か復興の仕事をしている人は少ない、以前としてギャンブルしている人が多いだろう。でもだんだん補償金も使うとできなくなる
そうなるとお前らはそうして遊んでいたのだから援助はしないとなるかもしれない。
でも今度は生活保護を要求する、それも原発のためにそうなったのだからという理由で許可されやすいかもしれない、つまりそうして堕落してゆく人が多いかのがこの辺だったとなる

人間は何か仕事が必要なのである。それは退職してもそうである。
何か仕事をしていないと怖いのは認知症になることである。
自分の家族の一人は公務員を退職してから全くなにもしない、家事もしない、趣味をしていてもそれはあっていないただのつきあいだった
家事は結構頭を使うから家事を94歳頃までしていた人は95ではぼけたとしてもそれまでぼけなかったのである。
高齢化社会というのは退職後でも長いから暇の問題があり生きがいをどうするかというのが大きな問題としてクローズアップされているのである。

暇を有効に使うことはやはり何か訓練が必要なのである。
そもそも暇からスクールが生まれたのだからそれは暇が文明を作ったともなるのである。
これからはAI化に機械化で人間の余暇は増大する、それは人類的課題にもなる
現実に家事は機械化して昔のように女中を中産階級で二人も雇うようなことは必要ない
そしたらどうなるのか?女性の仕事はなにになるのか?
家事も必要ないとしたら何になるのか?そうなると女性でも余暇を有効に過ごすことが課題になる
習い事とか何か余暇を有効に過ごすことが課題になる、平安時代の宮廷の女性のようになるのである。
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鰻を売りに天秤棒をかつぎ鹿島区の屋形から川俣まで行った人の話(続) (それは本当だった)


鰻を売りに天秤棒をかつぎ鹿島区の屋形から川俣まで行った人の話(続)

(それは本当だった)




うなぎ街道(山陰中央新聞)


この話しには驚いた。五貫目の鰻を天秤棒で八木沢峠を越えて川俣まで売りに行った話を聞いたという。川俣までとなると八木沢峠を越えること自体大変でありそれも天秤棒だとなるとバランスをとるのがむずかしいから余計に重労働になる。坂をのぼるときバランスをとるのが大変だったというからその話はリアルである。五貫目というとこれはかなりの重さである。

百匹にもなるのか?50匹くらいか、それほどの数でないとこれだけの重さにはならないかもしれない、それだけ売れたら大変な金になったからこそ川俣まで売りに行った。川俣では当時高く売れたということである。今でもそうだけどやはりバナナでも売れるのは金持ちの国である。食料品も金持ちの所に流れてゆく、松川浦でとれた魚も東京の方に高く売っていたのと同じである。地元ではかえって食べられなくなっていたのである。

川俣まで鰻を天秤棒で売りに行ったのは川俣が景気が良く高く売れるからだった。そうでなければわざわざそんな遠くに行かないのである。鰻取りは自分の家で思い出がある。父親が明治生まれであり鰻とりを田んぼの畦道などで良くしていたのである。子供のときついて行った。鰻の住んでいる穴を熟知していたりミミズを餌にして微妙に微調整して穴に入れるのがコツである。鰻をとったときはごちそうだった。家族みんなで鰻を料理したのである。その頃の鰻は天然だからうまかったのである。その鰻を川俣で売りに行ったというのは本当に驚きである。

うなぎ街道の記事を見て屋形で明治に川俣までうなぎを売りに行った話は何か信じられなかった、この記事を読んで信じた、全国的にうなぎは売られていたしうなぎは日本では貴重な食料でありエネルギー源であった
うなぎは栄養価が高いからである。地元でも自分の父親だけではなくみんなうなぎをとっていた。川でもとっていた。それはみんな天然ものだからうまかった
ただうなぎ街道となると相当な距離を運んだ、そのために苦しんだ

まず今の時代どうして天秤棒などでかついで川俣まで行けるのかというのが疑問になる
うなぎは水が必要だから水も運ばねばならない八木沢峠になると今でもそうだけど急峻な長い峠道なのである。そこをまず上るとすると容易ではない、天秤棒などかついで行けるのかとなり疑問だった、ただうなぎが屋形とか海老とかではとれた
結構多くとれたことはわかる、それを売りたいということもわかる
川俣は絹織物で栄えていたから金になり売りに行ったというのもわかる
でも本統治天秤棒をかついで八木沢峠を上れるのかとうことが疑問だった

でもこの記事のように他にもそういうことがあるということで信じるということがある
つまりここだけではなくうなぎを売るということは全国的にあったことなのである。
それもかなり不便な所を長い距離があるところを売っていたのである。
大阪まで売っていて出雲のうなぎは有名だったという、江戸時代とかがわかりにくいのは基本的に歩くほか移動できないことである。
川とか海でも船を利用しても基本的に歩くことなのである。
それが実感として理解できなくなっているからそんなことありうるのかとなる

うなぎは夏にはいいが今は中国産でありこのうなぎは何か不安なのである。
薬を使っているとか何を食わせているかわからないとかある、実際あれだけ安いということは何かあるということになる
ともかく過去はそれは実際にあったのか事実だったのかということがまず第一に知ることそれが歴史を学ぶことなのである。
時代劇だってあんなにばたばた人を切れるのかといったらそれは架空の物語である。
水戸黄門とか吉宗とかがバタバタと人を切るけど第一その人がそんなに位が高いと知ったら家来はいくらなんでも切ろうとするだろうか?
そんな危険なことはしないと思う、恐れいってしまうだろう。
それがフィクションであり事実に裏付けされていないからつまらないとなる
そんなハデなことはなかったのである。

第一水戸黄門は日本を旅行したことないというからあれはみんなフィクションなのである
ともかく昔の話でも伝説でも何でもそこに事実をよむことが大事になる
その事実から歴史をたどる、小説はフィクションである。事実を基にしてもフィクションである、それで司馬遼太郎は小説家であり坂本龍馬を英雄にしたてあげたというフィクションを歴史と信じてしてしまう危険がそこにあった。
いづれにしろ川俣まで屋形から天秤棒かついでうなぎを売りに行ったというのは事実である。するとその物語にも重みが生まれのである。

飯館村までの塩の道は実際に残っていた。それも沢の道であり馬一頭がやっと通れる細い道であり一歩あやまると下の谷底に転落する、そんな危険な道をよく行けたともなるがそれが歴史の道として残っている、それも全国的にありそもそもそうした危険の道が人びとは歩いていたのである。
山があっても道を作ることはできないとなるとそうした自然の道、尾根とか沢道を行ったとなる、そういう道はまだ残っているから実感できるのである。

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2017年07月20日

夏の日の平和な田舎駅の風景 (駅と街道の茶店には共通したものがある)


夏の日の平和な田舎駅の風景

(駅と街道の茶店には共通したものがある)


 電車が新地を発車した、電光掲示板の印が動くからわかる、相馬市に着き日立木駅を発車した、私は待っている
一人老人がおりた、高い階段を上り高架の通路をわたりまた階段を下りてくる
ここは意外と老人にとって難儀である、荷物をもつとさらに負担になる
原町方面に行くのはだからちょっと難儀になる
駅にはまだこうして乗り降りするにも不便なことがある
実際にその階段をおりるとき老人が落ちてケガをしたことがあった
エレベーターがあれば便利である。新地駅は小さいけどエレベーターがついた
クーラーも駅舎についている、でもここは自然の風がそよいでくるからかえっていいという面もある、海が近いから風が気持ちいい、クーラーもいいがそうなると自然を感じなくなる、何か便利なものは機械化すると自然から離れるのである。
現代とはそういうことが多い社会である。自然から涼しさを感じなくなる
アスハルトの道が照り返しで10度くらい高くなっている、だから熱中症になりやすいのである。

駅では人を待つ場所でもある、東京とか出た息子や娘でも帰ってくるとき駅にきて車で迎えるにくる、それは再会の場でもある、駅は出会いの場でもある
そういう舞台として駅がある、待っているということは不思議に心高鳴ることである
久しぶりで再会を喜ぶ、親しい愛する人と会う、逆に別れることもある
駅はそうした出会いと別れの場を演出しているのである。
車だとそういうことはない、車を待つといっても電車を待つという感覚が生まれない
急に車が来て急に去ってゆく、そこに人間的出会いと別れがない
突然人間が切れて離れてゆく分断されるともなる
車にはこうした人間的リズムがないのである。そこにキレル人間が生まれのも当然だとなる

田舎の駅では誰かが乗り下りる人を記憶している感覚になる、そういう舞台が用意されている、駅で待つホームに出て待つ、高架の通路をわたり待つ、待つ時間が記憶する時間になっているのだ。
例えば江戸時代の街道の茶屋とかだと歩いてきた人が休む、そしてまた歩いて去ってゆく後ろ姿があり記憶にとどめる、だから茶屋の人はそういう人を覚えている


碑にある子規の俳句は「かけはしの記」から採られており、この句の前に次の文が書かれている。
・・・・・馬籠峠の麓に来る。馬を尋ねれども居らず。詮方なければ草鞋はき直して下り来る人に里数を聞きながら
上りつめたり。此山を越ゆれば木曽30里の峡中を出づるとなん聞くにしばし越し方のみ見返りてなつかしき心地す。

 所在地 新茶屋  中山道の路傍

「桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな 」子規

草枕むすぶまもなきうたたねのゆめおどろかす野路の夕立 長塚節

子規の歩いた道

自転車で木曽街道を行ったから子規の句は実感している、ここでは穂麦となっているが
自分の場合は稲の実りだった

木曽路出て恵那に稲穂や月に寝る

その頃麦畑が結構多かったから子規の場合は麦になっていたのである。
長塚節の歌も旅ではこういう驚くことがあるからうまい表現である

木曽路といえば「送られつ別れつ果ては木曽の秋 芭蕉」が有名である。
これも歩く旅だからこそ送る人送られる人がそういう時間をもったのである。
そういう時間の流れがないのが現代である。
人間と人間の関係が突然にキレルのである。
つまり情を交わす時間がないのである。それは人間だけではない自然に関しても情を交わすというか見る時間がもてないのである。
今は茶店でも自動販売機とか駅でも無人駅化して人がいなくなる
それも人間的なものを失うのである。人件費を省くために自動化はすすむ
そうなると何かやはり欠けたものになる、


景色が変わるというとき歩く旅だったら桑の実から穂麦に変わる田園風景を感じる
桑の実というときその頃桑畑が非常に多かった、農家ではどこでも蚕を飼っていたからである。今でも兜型の屋根は多くこの辺にもあり全国的にもある、特に山の方では残っているのが多い、するとそういう蚕を飼う家がありそこを出たら麦が実る平野に出たとなる
自分の家の後ろでも麦畑があり蚕畑があったから戦後まもなくは江戸時代のつづきだったのである。

これは駅と関係ないようでも旅の駅となると茶店にもなる、それで駅弁があるいうとき茶店ではその土地の名物が売られていたというのも同じなのである。
原町駅では弁当をホームで売っていたからである。震災前も売っていたみたいだ
駅弁というのはまさに土地の料理を出すものだったからにているのである。

茶屋のあった場所は小豆餅、代金を受け取った場所は銭取(ぜにとり)という地名で呼ばれるようになった、遠州鉄道奥山線には小豆餅駅、銭取駅がある。
(静岡「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない静岡県の歴史を読み解く!)

つまりここでは街道の物語が駅名として残っている、駅に継続されて駅名として残っていることでも駅がやはり茶屋の役割も今でももっている、継続されているのである。
家康が茶店で銭を払わなかったので茶店の婆さんがおいかけてもらったから銭取となったとかあるが盗賊がいて銭をとられたからだともいう。
この奥山線は1964年に廃止されたからずいぶん昔にあった線だとなる
小豆餅にも古い謂れがあり名物となるしお土産ともなる

ただ茶屋というとき水商売とも関係している、茶屋町が各地にありそこは水商売であり女性が接待する場所になった、駅にも水商売、風俗関係の若い女性が来ていた、若い女性の警察官と話していた、何かマークされていたのか?女性の警察官も南相馬市管内にいたのである。それは一目でわかる恰好をしていた、この辺では外部からまだ原発事故などできている
だから原町に韓国系のバーができたとか言われる、暴力団関係も入ってきて治安が悪くなるということも地元の人が心配したのである。駅にはいろいろな人が出入りしているのである。昔の街道でもそうである。
監視カメラが三台あり振り込め詐欺の人が逮捕されたということもあった、どこでも今は監視カメラがある
駅とは関所の役割も果たしている、なぜなら街への入り口となっているからである。
今はただ高速とかの方が関所にてりやすい、そこでも出入りは監視カメラでチェックされている

インターネットはこうして旅をつづることができる、自分のした旅と重ね合わせてできるでもそこを一回も旅しないとやはりその場所を理解できないのである。

一人の労務者が駅の長いホームのベンチに寝ていた、その人は80歳の老人だったのである。海からの風がそよぎ日影であり涼しい、それは平和な風景だった、その時合歓の花に風がそよぎ咲きゆれていた


合歓の花風にそよぎてゆれにけり駅に一人の男寝てをり

a peaceful time
a man is sleeping
on the long bench
at the station
the flower of the silk tree blooms
in the breeze


2017年07月19日

時代劇も事実を基にしている (相馬藩の新田村のおみかとは実在したのかなの再考?)


時代劇も事実を基にしている

相馬藩の新田村のおみかとは実在したのかなの再考?


飯豊耕土にや 箒はいらぬ
新田、おみかの裾で掃く

こんな歌が残っていること自体、新田は相馬藩の城からもさほど遠くなく古い地だった。
柏崎梅川のお釣り場からの帰りにおみかという娘を見せめて城勤めになったという。
こういう話は他でもいろいろあるから何が本当かわからない、ただこんな歌が残っているのだから
おみかとは実在の娘だったのだろうか?でもなんらか相馬の城の殿様と関係していたのか?
新田という地はそれだけ何か相馬藩の城の殿様と親しい村だったともなるのか?
ただこんな浮ついた話しがあるとすると他の村では面白くないだろう。
そんなことで村が厚遇されたりしたら他の村人は働く気がなくなるだろう。
誰か器量のいい娘を殿様にあづけて楽しようとかなる。相馬藩は貧しいからそんな余裕があったのかということにもなる。ただ別に殿様は当時は側女を多くもつことはとがめられていなかった。ただそれも豊かな藩のことである。
おみかがいて飯豊では働かなくてもいいという戯れ歌が残った
おみかの裾で掃くというのはおみかがいてそのおかげで箒もいらない、楽できるとなる
その反面として他の村では年貢が高くとられて不満があったとなる

最近昔のテレビドラマでも見ている、時代劇では悪がわかりやすい、西部劇でもわかりやすいから共通点がある。
その解決方法は銃であり暴力になってしまう、ただ江戸時代は公儀に訴えることができて裁判もあった。悪代官がなんでも勝手にできたわけでもない、座頭市のドラマでは隠密が調べにきていたのである。

でもそのドラマで新田村のおみかと同じようなことをテーマにしていた、庄屋の娘を側室にしようとしていた、それは結婚式の日に強引に奪うという筋書きである
それを土地の農民が年貢をこれ以上とられるとやっていけないとして庄屋の娘を代官にやれとまでなっていた。
すると新田村のおみかの伝説はそういう過去の歴史があって残されたものだろう。
それもここだけの話ではない、この俗謡は全国的なものであり九州から広がったらしいからだ。だからこうしたことは江戸時代に全国的にあったのかもしれない。

 十九世紀の初頭、文化の前の享和の頃、名古屋では、

神戸伝馬町箒はいらぬ
  鯛屋のお仲の裾で掃く

こういうことは誰か一人の女性がいてそれで繁盛する店のことである。村でも一人の美人がいてその娘が殿様にみそめられて側室になったら年貢が高くならず助かり楽をしたとなる  

(現在の宮城県東松島市野蒜)を拠点とした近代的な港湾計画と、運河による交通網の整備を計画した。当時の大久保 

野蒜新町 ほうきはいらぬ 若い女の すそで掃く.

これは明治時代まで全国で受け継がれた俗謡なのである。

これは別に殿様だと町娘でも農民でも気にいった女性がいれば側室にできる権力をもっていた。なぜならその村の農民に年貢を高くされたりしたら困る、一人の美人の女性がいてそれを殿様に与えれば村自体の生活が楽になるからだ
今からすると理不尽であり殿様が批判されるだろう。

でももともと武士の元をたどれば盗賊ともにている、治外法権のような所がありそこでは盗賊が支配する、するとそんなことはドラマではあからさまにしている
盗賊が支配者になるということである、みんな怖いから逆らえないのである。
それで中国で盗賊の首領が皇帝までなったということもわかるのである。
人間を支配するものは暴力と経済的富だったからである。

延宝郡上騒動(郡上藩金森家の財政難)

国家老遠藤杢助は半ば強引に江戸に出府して、常春や後見役に農民の窮状を述べ、増税を強行すれば御家の一大事を招く恐れがあると説いた。対案として家臣の俸禄六分の一を減じて財政を財政を補填すべきて訴えた。

これも年貢をめぐる騒動だった、増税派と反対派がいて騒動になった
増税派は自分たちの取り分が減ると反対した、公務員が月給が減るのだから当然反対するのと同じである。ただその月給というのが当時は米とかその他のものにかけられた税金だった、そうなると農民は増税には反対であり年貢が増えることは反対である。
当時の支配体制は侍階級の維持は年貢があって成り立っていた、それはより具体的である江戸時代は今のように複雑ではないから何でも具体的に悪が見える

年貢というのは具体的だからそこから歴史を知るのにはいい、年貢はより身近なものであり農民が汗水垂らして収穫したものを侍に納めなければならないからである。
今でも税金の関心は高い、なんでこんなにとられるんだと今でなっている
ただ今だと自分たちのためにもなるからやむなく払っているとなる
ただ現代は何でも見えにくい、複雑になりすぎているし国民となると数も多いから予算がどう使われているとかわかりにくいし関心が薄いのである。
江戸時代の藩だったら郡上藩だって二万石とか小藩だからより身近なものとして政治があった。だからその構図がわかりやすいのである。

時代劇も歴史であり歴史を学ぶにはいい、時代劇でも事実を基にしている、ただ面白いとして見ているだけでは勉強にはならない、そこに歴史の事実があるとき真面目なものとして見る、やはり歴史は事実の重みがあり成り立っている
架空のことではない、ドラマでもすべて架空のことだったらつまらないとなる
座頭とかは盲人が江戸時代に人口の8バーセントもいたというとき普通にいたのである。
それも栄養がたりないで盲人になっていた事実がある。
そして座頭転がしとか琵琶転がしとかがあり道から転落する
馬転がしとか牛転がしという地名が残るのもそうである。
目が見えなかったら道から転落しやすいのである。山道はこの辺の塩の道でも飯館村にゆく栃窪から山の道は沢沿いの道であり細いし転落したら怖いと思った。
馬で塩を運んだが一歩あやまると下の谷底に落ちるのである。
そういう道を歩むことは目が見えないとしたら本当に怖いとなる

いづれにしろ事実を裏付けにしないとドラマでもつまらない、しょせん作り事だとなってしまうからだ。そこに事実があるとき人間の真実が見えてきて参考になるのである。
そして歴史というときむずかしいものが多いがドラマだと入り安い、そんなことがどうしてあったのかと疑問をもつ歴史に興味をもつ、学者でなくても興味をもつのである。
相馬藩などもだから年貢から調べると興味深いものとなる

今まで書いたものが膨大である。その書いたものをまた再考して発展させる、それがプログとかインターネットではしやすい、本だと完結したものとして出しているがプログとかインターネットは完結しないものとして提示しているからだ
そして同じテーマでも何度も掘り下げて提示できるのが今までもの本とかとは違うものとなっている



posted by 老鶯 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2017年07月18日

夕日に輝く山 (The mountain which glistens with the setting sun)


夕日に輝く山

The mountain which glistens with the setting sun

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コンピュターで作る絵は絵の具で描くのとは違う。それはコンピュターの電気の光として発する色だから今までにない芸術なのである。
コンピュターが生まれてできた芸術である。
電気の光が画面が出るのだからこれを紙に印刷してもその色は出ないのである。
コンピュターとかテレビの画面で見ないとその色は映えないのである。
だからソフトで変形したり電気の色を出している今までにない芸銃になっている
artは技術だからまさにこれが芸術である。
絵を全く描けない自分が絵を作り出していることが不思議なのである。


computer is different from drawing the picture to make with paint. It is the art that is unprecedented because it is a color to give off as electric light of computer
computerが is the art that I am born, and was possible.
Even if electric light prints this on paper because a screen exits, the color does not appear.
The color does not shine when I do not look with a screen of computer or TV.
Therefore this is right art because art where it is to the unprecedented art gun which I transform it by software, and starts an electric color is a technique.
It is mysterious that oneself who cannot draw a picture at all creates pictures.

軽度知的障害者の謎 (知的障害者と人格障害者の相違は何なのか?)


軽度知的障害者の謎

(知的障害者と人格障害者の相違は何なのか?)



その人は筋骨隆々である。その体つき見たらプロレスラーのようでありうらやましくなるそして顔つきでありちょっとつきあってもどこに障害があるかわからないのである。
ただちょっと知り合うくらいだからわからないのかもしれない
役所に出す書類もわかるしゲームなどしているからスマホなどは普通に使っているし詳しいのである
その人の40歳くらいなのかどこに障害があるかわからない
メール配達とかしていて仕事もしているからである

ただ変だなと思ったのは母親が懸命に世話していて苦労かけているがその母親をいたわりの心がない、母親を大事にしろとかいったらニタニタ笑っていた
母親にめんどうかけても何にか迷惑かけているという自覚がない
母親はそういうものだと思っている
だから母親は世話することを嫌がっている

でもこれも考えてみると別に障害者でなくても母親をいたわらない人は普通にいる
ニートとかいるだろう。20代くらいだと母親をいたわる気持ちがもてない
俺はこの世に生まれたくて生まれたわけではないとか言う
自分も20代の頃まで母親をいたわる気持ちがなかったから普通にそういう人は20代ではいる、でも30から40くらいになると母親が苦労していたりするといたわる気持ちがでてくる
ただ貧乏な国では家族思いであり20代で働かせられて外国人だと今でも仕送りしたりするそれは強いられている面もある、自分の母親などはただ親に尽くすことだけであり
紡績工場で働き女中になったりしていた、そして給料でも親に出していた
その頃子供は農家などでも働き手であり親に尽くしてくれるものとしてあった
それは貧乏だからそうなった、だから外国でも貧乏な国は今でもそうである。

親が苦労して育ててくれたりすると後に子供はそれを知るから感謝する、でも金持ちの家では親が苦労して育てるわけではない、家政婦などが料理を作ってくれたりしていたら親は子供を育てるにしても苦労がなくなる
だから意外と金持ちは親に冷たいとなるかもしれない、だから金持ちの親は子供が直接世話したりしない、介護はしない、金がかかる介護施設にあづけるだけだとなる
それもカルマなのかもしれない、子供だって別に苦労して育てたわけではないから子供も親に対して介護でも苦労はしないとなる
だからすべて金持ちがいいともならない、金をもったらもったでカルマがついてまわる
のが人間である。

不思議なのはではいたわる心がない人は何なのか、それが精神の障害なのかとなる
としたらいたわりの心がない人はいくらでもいる、地位がある人でも豊田 真由子でも東大からハーバードを出ても部下をいたわる心が微塵もなかった
でもそういう人は地位ある人とか金持ちには普通にいるだろう。
するとその人は知的障害者となるのか?
だから何が知的障害なのかわからない、ただ人格障害となると普通にこの世にいる
知的障害者と人格障害は違う、人格障害者は別に病気と認定されないし普通の社会人として生活している
でもそういう人格障害者はこの世で多いのである。

親戚といってもつきあいがなかったからわからなかったが明らかに人格障害者になっていた女性がいてかかわりひどいめにあった、あの人に労(いたわ)りの心がないのである。
でも見た目は普通の人であり外からは善人として見られているのである。
なぜその人はそんな人格異常者になったのか?
金には恵まれていたし愛情も注がれていた、ただ母親が三回変わったとかでそれが障害になったとはなる、でも60近くになってそんな過去のことが影響しているのか?

この世にこうした人格障害者は相当に多いだろう。でも別にそういう人が知的障害者でもないのでありかえって世の中で高い地位についている
そして社長とかなっている人はサイコパスが多いのだとかいわれる
非情な人間でしか社長とか政治家とか何か上に立てないとかも言われる
ブラック会社の社長とかなればそうである
つまり部下にいちいち同情していたら会社も運営できないということがあるからだろう。軍隊になるとまずサイコパスのような人が向いている
非情でなければ戦争などできないからだ

会社の経営者になって失敗した人もやはり人格障害者になったのか、もともとそういう人格だったのか?若い人はいい人だったと近くの人は言っている
会社経営に失敗して借金をかかえて変わってしまったのか?
借金すると人間は悪魔に変貌する、借金のためには犯罪を犯すことが普通にある
だから推理ドラマでは借金していないか調べる、借金していると動機があると見るのである。
こういう借金した人も労りの心などなくなる、ただ相手が弱みがあるとき借金のチャンスとなる、そうなると断りにくいからである。
だから借金した人は悪魔になりやすいのである。人のことなどかまっていられないからである。
そういうことを自分は自分の病気とか親の介護で経験した

いづれにしろ知的障害と人格障害は何が違うのかともなる
労りの心がない、人に同情する心がない、そういう人は知的障害なのか人格障害なのかとなる、あまりに苦労した人は人に同情しなくなる
さんざん苦しい目に合わされているから相手が苦しむといい気味だとなる
狭い市営住宅に住んでいた人は仮設に住んだ人がいたとき狭い所に住んでみればわかるんだと同情しなかった、そういう人もまた多いのである。
それも苦労しすぎて人格障害になったのかともなる

人格障害は恵まれすぎても金持ちでもなるし貧乏でも苦労しすぎた人もなるのである。
あまりに世の中で苦労した人は世の中に人に社会に恨みをもつ、そういう人の不満の捌け口がカルト教団とか左翼系の団体でありそれが票に結びつくのである。
だから「悲しむ者は幸いである」というキリストの言葉は本当に不思議だとなる
悲しむ者、虐(しい)げられたものがそう思わないからである。
みんな恨みとなっているからである。そこまで悟る人は世の中で極わずかである。
だからそうした恨みがカルト教団とか左翼系の団体の票田になっているのだ

ともかく人格障害というのは軽いものと見なせない、例えばヒットラーが画家になりたかっというときなれないから政治家になり自分を誇示しようとした
オウムの麻原も盲人であり劣等感をもっていた、その劣等感からカルト教団の教祖になり社会に恨みをはらそうとする、何かそういうことがカルト教団の教祖には多い
池田大作も大学出にこだわり強い劣等感をもっていた
それで世界から大学の博士号を金で買ったのである。

そしてなぜそういう人を神仏のように崇めているのか?それをいい大人が苦労した人たちがそんな人を崇めているのか?
そんな人を偉いと思うのか?そういうことは常識的にわかることではないか?
そんな人を崇めていること自体何かあわれだとなる
ただそういう場しか与えられないからそうなっているのかともなる
明らかにそういう上に立つ人も人格障害者だともなる
するとその団体に入っている人もみな人格者障害者なのかともなる
だってその人格障害者を模範にしているから当然そうなるのである。

人間は人格形成が大事だというとき教育からしてそんなことを教える人はいない、ただ知的なことだけを教える、モラルなどは教えない、それは受験にも役たたない、社会を生きるにもモラルはかえって邪魔になる、人格だってそういうものにこだわれば高い地位にはつけない、政治家になった人が人格をゆがめることを知っていて大衆にこびることをしている、一票のためには何でもするという、頭をもさげるのもただ票のためであり人びとを思う心からではない、そうしなければ票もとれないからである。
それで豊田由美子議員が金になる人とならない人を分けていたとかなる
要するに選挙は数だから一人一人のことだなと考えられないのである。
どれだけ数を集めるかであり一人一人のことなどどうでもいい、まとまった数を得ることが優先されるのである。

権力者がマキャベリズムに陥るのもわかる、現代だってトランプ大統領でも人格的にはどうをなのかとなると疑問である。プーチンでもそうである。人格がどうのこうのとはか政治家には関係ない世界だろう。政治家も非情にならなければ勤まらないことがあるからだ戦争を命令することは非情でなければできない、人を殺すをことを命令するからだ
そこで人を殺すことは罪だなと言っていられない、政治の世界では非情さが要求されている。トランプ大統領が「国防長官に『狂犬』マティスを指名する」と発表した。
まさに全員殺せとか非情だからこの地位につける

いづれにしろ宗教とかなると本当は人格形成を最大の眼目にしているのが普通である。
でもカルト宗教団体はその教祖がいびつなように歪(いびつ)になっている
それを習う人も当然歪(いびつ)になる、宗教と人格を考えると宗教から見ただけでその人の人格などわからないのである。それは偶像崇拝の一種なのかもしれない。
キリスト教徒がいるイスラム教徒がいる仏教徒がいる、いろいろ宗教があり世界にいる
でもその人たちの人格がどうかとなるとどんな宗教でも人格から見る人はいないのである人格がどんな宗教を信じていもゆがんでいる人は多いのである。
それはどんな宗教でもそうである。キリスト教徒だから人格が高潔だとかならない、イスラム教でもそうである。そこには無数にゆがんだ人格の人がいるのである。
宗教はそういう悪い人格を是正するはずだがそうはなっていない
だから宗教戦争とかあり宗教はなんなのだとなってしまう、世の中に災いをもたらすものが宗教だとなり嫌悪をする人が多いのも当然だとなる
















2017年07月17日

認知症の人の聞き書きは郷土史の発見に通じている


認知症の人の聞き書きは郷土史の発見に通じている


 高齢者に、その人生を語っていただき、その方の歴史として編集する「聞き書き」は、第三者がそれを行うことにより、高齢者が自分の人生を客観的に振り返ることができ、やり残した事を思いだす、生きがいを見出す、など、精神活動に効果があると考えられています。実際に、認知症で引きこもりがちであった高齢者が、「聞き書き」によって元気を取り戻し、自立に近づいた例も経験されています。



認知症というのは不可解な病気である。90歳くらいの女性が何もする気がないのだが草取り、草むしりをしたいという、その人は草むしりをずっとしてきたからである。
だから草むしりをしたいという、それで草むしりを介護の職員がさせた
その時車椅子から離れて草むしりをした、そしたらそのおばあちゃんは元気になった
ある女性はベッドで田植えのしぐさをしていたという、その人も農家の出だからそういうことをしていた

草むしりは農家では日常的な仕事である。草は絶えず生えてくる、草にもいろいろあり根を深く張るものもあるしいろいろなのである。
ともかく草むしりは農家の毎日の仕事なのである。
そういうことを長年してきたからまたしたいとなる、その草むしりは役に立つことである掃除ともにている

認知症でも過去にしたことは忘れない、姉は機械の操作がボタンを押すことすらできなくなった。テレビのリモコンも操作できない、すると洗濯していたのだが手でごしごし洗っていたのである。洗濯機がそばにあっても使えなくなっていたが手で洗っていた経験があり何か役に立ちたいとして洗濯を手で洗っていたのである。

老人ホームなどは確かに前に近くでデイサービスとかに行って話を聞いた、その聞いたことをプログに書いたりした、ただ内容を深くつっこむことができなかった
それは一回しか聞けなかったからである。何回も聞けばその人の経験したことがストリーとして理解できる
その人は老人ホームにいた人ではないが小高の80歳になる人の話は面白かった
原発でも働いていたのでその話を聞いたり全国を建築関係で回っていた
その人は話上手だった、男にしては何か話がうまいのである。
その人とは何回も土手の所で話した
今は小高に帰っている

話を聞いて興味を覚える人とあまり覚えない人がいる、ただそうして介護民俗学の本を出した人は介護に実際たずさわっていたからできたのである。
老人ホームの内部の人になったからできたのである。なかなか人の話を聞くことはむずかしい、語りたくないこともあるし聞く相手にもよるからだ

それと話を合わせるにはその土地のことに詳しくないとできないことがある。
どこに住んでいてそこがどういう場所かわからないと話を合わせられないのである。
自分は駅で遠くから来た人とちょっとでも話するとき出身地がわかると全国を隈なく旅しているから見当がつき話をあわすことがある程度はできる

話を聞くにしても聞く方でもまたその人を理解する力が必要になる
地元の人だと地理的なことや外に知っているから合わせやすいということはある
普通は地元の人から聞いたりすることもむずかしい、それができたのは原発事故とかで避難してきたりしてその話を聞きやすかったのである。
老人ホームなども話を聞き安い場所である、それも何回も聞けるからそこで働いていた人は本まで出したとなる

認知症の介護は身体介護は体力が必要なので若い人が向いている、でも認知症となると精神的介護の比重も大きい、認知症は生まれつきの知的障害者とは違う
長い年月を生きてきた足跡がありそれはその人の一生であり歴史である。
その歴史は郷土史でもありまた大きくは国の歴史ともかかわっている
姉は従軍看護婦としてシンガポールに4年間いたことは国の歴史に深くかかわってそうなった、戦争を経験した人はみんなそうである。そういう人はまだ生きている
でももう90以上であり戦争自体にかかわった人、戦地に行った人は相当に少なくなっているだろう。

でもそういう人の経験は貴重であり歴史の生き証人ともなる
姉は死ぬ間際まで戦争のことを語っていた、それだけ戦争というのが人生の中で最大の印象に残ることであり忘れることができなかったのである。
若い時のことは別に平和な時でも一番印象に残る
30歳くらいすぎると何か特別印象に残るということも希薄化する
人間は30歳まで経験したことが後の人生を作っているともなる

だから若い時苦労しないといくら東大出ても、ハーバード大学ででても豊田真由子議員のようになる、ただ一般的にそういう女性は優秀だと思うのが当然だと思う
ただ人格形成で下積みとかないと人間はまともになるないことがありうる
自分は苦労がなく大学など出てうぬぼれていたが就職もできず底辺で働いたりしてうめぼれることもなくなった、その後は隠者として老人になるまで故郷にいたのである
だから超エリートの家族に生まれても人格形成がうまくいかないことがあるから人間は本当に環境が影響するとしてもその環境に恵まれても恵まれすぎてだめになるものもいる、であういう女性は例外的なものだろう。
そういう異常な女性がいたからやはり恵まれたからといって金持ちの家に生まれても男でも女でも人格形成がうまくいくとは限らないのである。

いづれにしろ確かに認知症の介護というとき身体的側面だけではない、そうした老人の人生をふりかえることを共にする、聞き書きは有効である。
ただこれはかなり聞く方にもそれだけの聞く能力が必要になってくる
自分は原発事故とかで小高の人が仮設に住んだりして多少は話を聞いた
でも話す相手にもよる、小高の人と鹿島の人はうまくいかないこともありしずらかったことはある。
だから一人だけは話がうまいから聞くことができたとなる

郷土史はおじいちゃんやおばあちゃんの話を聞くことからはじまるということを書いた
それは家のことには誰でも関心があるからだ、それが身近だからそこから郷土史に興味をもつ、だから古い旧家に生まれた人は有利である。
そこには実際に蔵などに資料が物でも書類でも残っている場合がある、江戸時代のものも残っている、まず江戸時代のものが残っていたとしたら相当に貴重なものとなるからだ。そこから郷土に関心をもつことになる、自分はだから常に墓を見てあるったのはそれが過去に生きていたものの証として残されていたものだからである。

老人ホームで認知症の人で若い時のこと過去のことは覚えているからその話には意外なものがあり郷土史の発見に通じるものがある、ただその作業となるとやはり老人ホームに勤めていたらしやすい、外から入って聞くのはむずかしくなるからだ。
何か老人の介護など特に認知症の介護などしたくない、馬鹿を相手にしたくないということが若い人にある、でも郷土史ということから入ると認知症の人にも興味を覚えるのである。 


驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく) (単行本)

六車 由実 (著)
これは読んでないけどこういう本があるのも驚きである、ともかく本の量は膨大である。
今や読みきれないのである。だから一部分を抜粋して読む、それだと読むことかできる
全文を読むとなると本は長いからできなくなるのだ。


ちょっとした親切はしやすい (でもタイミングが大事)


ちょっとした親切はしやすい

(でもタイミングが大事)


自分が駅でしていることはちょっとした親切である。道案内したり無人駅だから乗車証明のとり方とか教えるのはそうである。
それから中学生が仙台の方から試験に来てちょうど昼間に腹が減っていた、その時近くのお菓子やで柏餅をくれた、そういう時は腹が減っているのだからタイミングが良かった
例えば砂漠のような所で水がないとき水がある場所があったら救われたとなる
乾いた土に雨がしみこむような感覚になる

今回は冷しタオルというのがアマゾンで売っていた、今暑い時期だから買ってみた
これが意外といい、ただ汗をふくだけではない、水にひたすと冷えたままになっている
だからそれでふくと汗をとるだけではない、ひんやりとして気持ちいいのである。
それを太っていて汗かきの女性にくれた、千円くらいだかやれた
その人は畑で仕事するのですごく汗をかくからだ
これは今の時期にいいものだった、相手も喜ぶものである。

こうしたちょっとした親切はしやすいのである。負担も少ないからだ
でも一方でなぜ人は病気になったり介護状態になったり借金とかしているとか重いものをもった人に近づきたくない、それはなぜなのか?。
自分も重い負担を強いられるからである。
例えは駅で盲人を電車にのせるのはちょっとした親切であり楽である
でも障害者の世話をするとなると特に重度となると負担が重いからしたくない
それで大量殺人までになった、その負担を負うことが重すぎるからそうなる

外にも金持ちでも貧乏人とつきあうことは負担を負うことになる
常に金がないという状態の人は相手に負担をかける、お前は金があるのだから金をよこせということを言わないまでもその人がいるだけで要求しているのである。
実際そういうことを経験しているからお手伝いさんとか家政婦とか家で働いてももらうことは負担になる
だから普通は金持ちは貧乏人とはつきあわない、アメリカとは極端であり富裕層と貧乏人は一緒に住まない、住む場所が分かれている、そしてその富裕層が住む所は門があり警護していて入れない、アメリカのような広い所だとそういう棲み分けができているという。つまり貧乏にとは極力接しないのである。そういう社会なのである。
日本では狭いし富裕層でも貧乏人でも混在して住んでいる
田舎だとまず徹底して平等を追及してくるから特別な富裕層は住めない
田舎だとそういう人は目立つからである。

良く親切にしなさい、愛をもちなさいというけどそれを実践すると簡単にはできない
ただちょっとした親切はしやすいのである。
それでもその機会はそんなにないのである。タイミングが大事なのである。
冷しタオルは今の時期に最適の贈り物だった、贈り物でもその人にあったものその時期にあったものだと喜ばれる
物でもこのタオルを発明した会社がありそしてその物を活かす人がいて物も活きる
物に愛が加わってその冷しタオルが活きたとなる
これはスーバーなどではただ買うだけでありそういうことを感じない
また通販という便利なインターネットが生まれてできこことでもある
その人はパソコンなどしていない年寄りだからである。

ともかくちょっとした親切はしやすい、負担も少ないからしやすい、ただ問題はそうした機会があまりない、タイミング良くできないことである。
一方で病人の世話とか介護とかなるとこれはちょっとした親切ではとてもできない
負担が大きいから誰でも敬遠するのである。そういう家にはみんな近づかなくなる
それは重い負担を背負っていからその負担を強いられることを嫌があるからである。
借金している人もにも近づきたくない、その借金はやはり大きな重荷を背負っているからそういう人とつきあうことはその借金を背負わされるからである。
ただ借金している人はわからないから知らないで近づく人は相当いる
病人とか老人の介護とかなると見てわかるから近づかないが借金の場合は隠しているからわからない、それが実際は怖いことなのである。
なぜなら借金の標的にいつされるかもしれない、その機会をねらってもいるからだ
そして何かの機会に借金を要求してくる、それは断りづらいときだといいわけである。
そういう経験をしたから借金ある人は危険なのである。

つくづく人間はこうしてちょっと親切くらいですむならいい、後腐れもないし負担もないそれが福祉でも病人とか老人介護とか障害者の世話とかその他でも負担が重すぎるから誰もしたくないのである。
医者とか看護師は給料が高いし地位も高いからいい、介護士とかなると給料も安いし負担ばかり多いから人が集まらないとういのもわかる
福祉でも認知症の話し相手くらいならしていいが下の世話となるとしたくない
そういう仕事は誰もしたくない、家族だったらしかたなくしているし動機もある
でも他人だったらそうした動機もないからだ
いくら愛だとか言ってもそれだけではもうすまされない、負担が大きいからもう耐えられないとなる、そして相手を殺したりまでするようになる
その人が愛がないとか責めることもできないことである。
それだけ負担が大きすぎるからそうなっているのだ。

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タグ:親切心
posted by 老鶯 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2017年07月16日

鉄道の明治の時刻表の考察 (そのスピードで時間の感覚が鉄道で変わる)


鉄道の明治の時刻表の考察

(そのスピードで時間の感覚が鉄道で変わる)

railwaymeiji1.jpg
人力車で引っ張るもの
乗合場所が橋をわたる
帆掛け舟が上ってくる
筏流しがいる
昔の宿場が残り茶屋がある
岸はコンクリートの岸壁になっていない
自然のままである。

railwaymeiji122.jpg

富士山を背景に六郷川橋梁を渡る車両を下流側から描いたもの。手前を横切るのは六郷渡船で多摩川を上り下りする筏や船舶との間で
河川交通事故などのトラブルもあったという。左側の町並みが川崎宿で、新田屋・萬年屋会津屋など旅籠の屋号が書き込まれている。

鉄橋が先にできて汽車が通る、でも川は渡し舟だった、鉄橋が先に作られていた


日本最初の鉄道時刻表の中で、発着時刻に「○字×分」のように「字」を使用していたのはこのためです。


品川〜川崎間には新しい駅「大森」が追加されている。この駅は鉄道開業の4年後、1876(明治9)年に開業した。この翌年、1877(明治10)年に、エドワード・S・モースが新橋行の列車の窓から、崖の途中に貝殻の地層らしき様子を見つける。これが後の大発見、大森貝塚である。大森駅を発車した直後、列車の速度が遅かったから見つけられたかも!?

もはや速すぎて途中駅での奉迎ができなくなりました。新幹線が行幸を大きく変えたと言えます。さらに東京近郊の場合、車を使うようになります。

不定時法の下では、鉄道はまず運行できない。鉄道開通にあたり工部省鉄道寮では、「芝増上寺の大鐘を愛宕山に移して、定時法で鐘を鳴らしてはどうか」などと提案している。



なぜ大森駅ができて大森貝塚が発見された、それはスピードが遅かったからゆっくり見ていたからだとなる、これも面白いと思う。
急行と普通車でもスピードが違うから外の景色も印象に残りにくい
そして新幹線になると天皇の行幸もできなくなった、一瞬にして過ぎ去るとなると天皇の顔を拝める時間もないとなるからだ
時間の感覚は社会を変える、時間は時代によって作られ技術によって作られているのだ。時間は文明の産物である。マヤ文明があれほど時間に執着したのもそのためである。

空間感覚でも時間感覚でも時代により文明により違うのである。
電車の旅は駅がポイントになり駅の名前だけ覚えたりしている、外の風景が思い出せないのである。黒松内とかは函館から札幌の間にあり黒松が多いからその地名が生まれた
そして黒松内のペットボトルを買ったときその黒松内の駅に一時とまったことを思い出してその水を飲んでいるのも不思議である。
電車の旅は駅名しか記憶されないことが多い、その電車の旅から地名に興味をもったとなる、地名というのは駅名だけではない何か呪術のようにその土地の地霊のごとく働いていることがあるのだ、それは単なるその地の目印ではない、その土地自体を象徴するものとしてある、ただ方角地名が多いがそういうものにはない、南相馬市などがそうである。
相馬市の南だとしか意識しないからである。

いづれにしろ駅でも待っている時間があるとそこに人間的な時間が生まれる
鹿島駅とか浜通りの駅は夏でも海からの東風がそよぐから涼しいとういことはある
今は合歓の花が咲いていた
そこで昼寝したりゆっくりと休んで電車を待つのが人間的なのである。

涼しさや海より風や駅に待つ

合歓花そよふく風にゆれにつつ駅に電車を待つ人ありぬ

とある駅木蔭に休み電車待つ北海道の夏旅の思い出

そんなことがあったなとか電車の旅が長いから記憶に残ってる
ただ電車の旅だった早いから何か心に残りにくいのである。外の景色でも印象に残らないのである。
新幹線だと余計にそうなる、それで不思議だったのは仙台から盛岡に行ったとき
岩手山がすぐ近くにあると錯覚したとであり青森の弘前から津軽鉄道で終点の中里に行ったときも近くに感じたのである。これも空間が狭くなった不思議なの感覚である
ただ途中が省かれてしまうから途中は見ていないとなる

まず江戸時代から明治時代の変化は今より大きかった、今良く三〇年前のドラマとかみるが今とさほど変わらない、テレビが見ると小さく旧式だなというくらいなのである。
車も古い型だなと見るくらいなのである。変化がほとんど感じられないのである。
江戸時代から明治時代を経験した人は本当に驚きだったとなる
その変化についていけないもなっていたろう。だから学校に反対したり鉄道にも馬車の人たちが反対したのもわかる

時ということを時刻表で表現できずに字を使ってたというのも発見である
何時というとき字になっていたのだから感覚的には当て字としては変である。
それは万葉集でも漢字にしたとき日本語の大和言葉の意味が失われたとかある
明治には三〇〇〇くらいの造語が漢字で作られた
だからこの変化も大きかったのである。

ともかく鉄道にはすでに百年以上の歴史がありそれをふりかえること時代は歴史である。自分も鉄道の旅が長いから興味がある、鉄道に技術系とかで興味がある人もいるしいろいろである。鉄道はそれだけ文化ともなっていたのである。
だから鉄道が廃止されることは足がなくなったというだけではない
文化も喪失したという感覚になるかもしれない、それだけの影響をもったものなのであるだから鉄道は簡単に廃止していいのかという議論にもなる
鉄道を探求することは様々なことがあるからきりがないとなる


移民の是非、少子高齢化、人手不足、AI化 (労働環境の変化)


移民の是非、少子高齢化、人手不足、AI化

(労働環境の変化)


これが同時平行的に起きている、人手不足が深刻化して会社が倒産するとか起業もできないとか起きている、人が集まらない、八〇歳の老人は横浜からここに来ていた
そんな人まで雇わなければ人がいない、ベトナム人からネバール人からスリランカ人からと中国人もいるが増えてきた
阿部政権は移民を支持している、経団連も支持している
安価な労働力として移民がいいとしている
ところが移民がなぜこれほど問題になるのか?
移民が日本に来て働いてどう思うか?

それは自分たちの貧乏をさらに意識する、なぜ日本人は豊かな生活をしているんだと実際に実感する、日本に来て贅沢な生活をしている人を知る
それで不満がかえって大きくなる、もし戦後十年のように電気製品も何もないバナナすら食べれない時代だったらみんなが貧乏だから貧乏を意識できないのである。
貧乏とか才能とか美貌とかは比較するとき顕著に意識させられるのである。
体力でもそうである。

花でも赤い花があり青い花があり黄色の花がありそれはかえってそれぞれの個性が一緒になるとき映える、自然の場合はそれで調和している
人間の場合は比較することでかえってそのみじめさや才能のなさや体力のなさでも意識されて不満になるのである。

貧乏というとき移民問題でもお手伝いさんとかが家政婦とかが一番意識する
皿二三枚洗ってもらうのにどれほど雇うほうでは大変なのか?
それは他人でも親戚でもそうだった、人のためにちょっとのことでもする人はいない
まずたいしたことをしなくても金が欲しいしかないのである。
それで泥棒だったり借金に首が回らない人は大金をまず要求してくる

つくづくそのお手伝いさんは今は四〇くらいの息子のためには食事も用意して世話をしてくれる、自分に対しては皿二三枚しか洗わないのに要求が多いのである。
金を絶えず要求してくる、前借りだとかなんだとか要求してくる
だから今になるとつくづく家族のありがたみがわかった、自分のために食事は三食用意してくれたし家事もしてくれた、他人になると金の要求しかないのである。

これを移民問題と共通な問題としてあることを知った、移民とは人間でありロボットのように使うことができない、食欲も性欲も様々な欲も日本人に住んでいる人と同じようにある、すると同じ家にお手伝いさんのように入るのとにているのである。
人間だから家族がいて仕送りするとかいろいろ困ることがあり相談するとか要求もする
問題も起すし犯罪も起す、それは相手がロボットではない人間だからである。

だからいくら安価な労働力として入れてもコストがかえってかかってくる、福祉だってかかる、移民はさらに文化が違うからヨーロッパでもそうなように問題を起こしやすいのである。それまた人間のやっかいなところである。
むしろローマのように戦争に勝って奴隷のように使えればいいとなる
でも結局相手が人間だからそれもできなくなった、人間である限り平等を追及するし要求する、やがてスパルタクスのような奴隷の反乱が起きた

家事手伝いの奴隷は多少は人間的な扱いを期待することができたし、場合によってはお金や財産を手にすることもできた。この財産はペクリウムと呼ばれ、法的には主人によって所有が認められた私有財産のことであった。つまり早い話が、奴隷は自分の好きなようにお金を使用できたということだ。

この指摘は面白い、家事手伝いの人がなぜこうなったのか?それは相手が人間でありいくら奴隷でも家の中で働けば情が移り家族の一員のようになる
相手が人間だからいくら奴隷として雇っても雇う方も人間であり雇われる方も人間だから人間として扱うようになる
だからある有名な俳優がお若い女性の手伝いさんを家族のようにかわいがっていた
でも子供が生まれてから子供に愛情が移りお手伝いさんに冷たくするようになったとかでお手伝いさんがその子供を殺す事件も起きているのである。
まさに家族の一員になっていたのである。

ローマにとって一番の悩みは、奴隷が取れなくなったらどうしようということでした。
なぜかというと、蛮族の抵抗も強くなったことで、奴隷を得ることは難しくなり、次第に海外領土を獲得することが難しくなりはじめたのです

奴隷が繁栄の基になっていることには限界がくる、人間は奴隷にして扱うとういことはできなくなる、それがやがてその国すら危うくして滅亡させる、ローマでは自国民が戦うことなく外国人の傭兵に頼りやがて滅んでゆく
この奴隷問題はヨーロッパに歴史的にあり黒人を奴隷としてアメリカで使うことによりそれが後の災いとなったのである。
スラブ民族とかがあるがそさはslaveであり奴隷のことだった、奴隷民族として見られていたのである。
アメリカの移民問題もメキシコからの大量の移民でもやがてアメリカがヒスパニック系なしではありえなくなり白人はもう人口的にも半分以下になり支配層も変わらざるをえなくなる

移民の是非を考えるとき移民も人間であり安価な労働力として奴隷のように使えないことである。相手は働くロボットではないからである。
結局こういう歴史があるとき移民に頼るときそれは国を滅ぼす結果にもなる
ただ世界史を見れば人間の歴史は強壮な民族が勝ち残り弱い民族は国は滅んでゆくから
移民に頼るときすでにその国は衰退しているのかともなる
ヨーロッパでもイスラム系にとって変わられるとかアメリカでもヒスパニック系に変わるとかなる、中国でも漢民族がなお中核として生き残っているが多国籍国家である。
だから遊牧民とかが絶えず侵入してモンゴルのようにジンギスハーンのような大帝国が生まれるのである。
日本ではそういう外国人の侵入が海に囲まれてないから民族として国としてこれまで維持されてきたのである。それが強みでもあり弱みにもなる

いづれにしろ人手不足が深刻になるときそれがいい面と悪い面に働く、どうしても国力は衰退する、でも会社では人手確保のために働く側にたたざるをえなくなる、働きやすい環境を作り人を呼び込む、働く方も会社に選ばれるのではなく働く方が選ぶのである。
そうなると労働の質が重視される、ただ賃金だけではない、生きがいを追及するということにもなる、これは今までにない労働の価値が生まれてくる
それはいいことなのである。労働の質を高める、今までは物でも大量生産であればいいがこれからは物の質を高めるようになっているのと同じである。

そして少子高齢化とかでも労働力が不足するときAI化が促進されることになる
家事でも戦前は中流階級でも二人も女中を雇っていたとかあった
それだけ家事のしめる仕事の割合が大きかった、洗濯するのにも洗濯板でごしごし洗っていたのだからその手間は並大抵のものではない、ご飯を炊くのにも竈(かまど)でしていたこれは薪をくべて煙もでるから汚れるし手間である。
家事の労働力が時間的に大きく他のことができないとなる
今は家事が電化したのと外が買ってまかなうので一人暮らしは困らないのである。
自分は全部家事一人でしている、お手伝いさんは皿二三枚洗って終わりである
後はなんにもしないのである。だからその人はお手伝いさんとはいえないのである。
時間にして五分もかからないからである。
そしてあとは全部自分でしている、でも時間があるから知的な創造的なことも追及できるのである。

要するにAI化やロボット化は時代の要請で不可欠なのである。移民だと問題が起きるし
人を雇うことは会社にとってコストがかかりすぎる、すると自動化、AI化、ロボット化は不可欠なのである。ロボットは人間のように文句を不満を言わないからである。
人間はともかくきりなく不満があり欲がある、ロボットの文句を言わずやってくれることはない、必ず不満があり要求だけが大きくなるのが人間なのである。
それは移民でも同じなのだ、色が違っていても人間だからである。

だから今や自動化、AI化は不可欠である。そうすれば移民を入れなくてもすむ、そして
人間が雇われなくなり失業するということも確かに過渡的には起きてくる
でもそれが人間の歴史だった、技術革新はとめることができない
そして人間の働き方も変わるのである。労働の質を求めるようになる
ロボットのような仕事はしなくてもいいとなる、すると人間的なものがロボットにはAI化してもできないより人間的なものが追及できる社会になる

芸術などはAI化してもできないから高い評価を得るようになる、何か他に医者でもAI化すると人間とのコミニーケーションにたけたものや情がある医者とか看護師でも介護師でも要求されて給料も高くなったりするかもしれない、価値観が変わるのである。
人間の歴史では常に価値観は変わってきた
そうなると教育すら変わらざるをえない、今までのような教育の仕方では人間の創造性が発揮されないからである。
人間はより創造的に感性をみがくとか庶民レベルでも情がある人選ばれる、価値ある人となるときそれはいいことなのである。
posted by 老鶯 at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年07月15日

市役所の人が防犯のために駅に来る


市役所の人が防犯のために駅に来る

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今日の夏の雲 雷鳴が一回くらい鳴った
でも雨がふらないのはなぜか?
何かこの辺は雨がふらない、干ばつ気味なのか?
水不足が心配される

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クリック拡大-合歓の花が川に咲いている




合歓の花かぜにそよゆれ駅に待つ

鹿狼山遠くに夏の日電車来る


昨日は電気系統のJRの下請け関係の人が二人来ていた、それから市役所で防犯ということでアンケートをとっていた、無人化しても鹿島駅に三つの防犯カメラがある
無人化した駅が落書きで荒らされたとういことがある
でも鹿島駅は人の出入りが結構多いからそういうことはありえない
高校生などが夏休みに入ることなどで市から防犯のために来ていた

駅は鉄道は自治体もかかわらないと維持できないと言われる
まず駅舎関係でも古くなりトタン屋根を新しくする、トイレも新装してきれいになり掃除を障害者施設に頼んでいる、それも金がかかる
でも鹿島には道の駅がないから車の人たちも利用している
駅には街の中心と思い車の人もくる
街の広場的機能がある

ともかく駅は駅として鉄道として電車を利用するだけではない機能がある
だから自治体でかかわらないと維持できないともいわれる
予算的にもそうである。いろいろ手間と金がかかるからJRでは無人駅化をすすめている
人件費を節約したいからである。
無人駅化しても困らないということもあるが何か街がさびれた感じにもなる
無人駅化に反対しているのは盲人団体である
一人盲人が電車にのる、その人を助けてのせたが電車は止まる時間が短いし危険である。それで実際に東京とかで盲人が死んでいる、東京のような大都会だと盲人は暮らしにくいだろう。あれだけの電車が来るなかでは危険がますからだ

今日は写真をとった、合歓の花は終わっていたのが残念、今年は合歓の花を見ないで散った、鉄道のような動く物体をとることはむずかしい
位置をきめてシャッターチャンスを逃さないことが大事だからである。
地元だとそういう場所を選べるが他にゆくとなかなか選べない
だから写真というのも地元だといい写真がとれる
いろんな角度から見れるしいつも見ているからだ。

タグ:駅に来る人