2017年04月02日

再開した浪江駅に行く (鉄道マニアが多かった)


再開した浪江駅に行く

(鉄道マニアが多かった)

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5万の放射線量を計る機器

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この愛知御津駅がなくなるとか言っていた

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学校の時計は3時30分でとまっている、震災以来とまったままである

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立派な眼科だけど震災前につぶれていたというのは意外
それだけの患者がいなかったのか? 
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飲み屋

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子供部屋がありベッドがある生活があった

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引っ越しの車


浪江まで開通するや草萌ゆる


原町から乗った老人は5万の放射線量を計る機械をもっていた、それはわかりやすいいいものだった、あれだと放射線量は計りやすい、それを見ていたが浪江に来ても0・3にしかならなかった、浪江は市街は意外と低いのである。
浪江におりて歩いたら通りの店はどこも開いていていない、町の役所まで歩いた。
浪江は広い街であり様々な店や医院もあった、でも眼科があったのでめずらしいと思ったが後で聞いたらあの眼科は震災前からつぶれていたというのも意外だった

大きな病院もあったがむずかしい病気は南相馬市立病院に来ていた、実際に浪江の人が入院していて同じ部屋だった、その人は農業で賞をもらうほど優秀な人だった
それだ大学に娘を三人出したのである。昔の平に野菜などを売っていた。
車で毎日来ていて30分かかると行っていた、その人は重体でありしゃべることもなにすることもできない、わずかに妻が来ると手をにぎるだけであり反応がない
植物人間の一歩手前だったのである。だから見ているだけで悲惨だった
でもそれだけした人だから妻と娘は来ていたのである。

浪江で今仕事はじめたのは警察署と消防署であり消防では訓練していてその声だけがひびいていた。あとは仮設の商店が二軒ほど開いていた、カフェが一軒開いていた、後はなにもない、人はまだ住んでいない、引っ越しの車が見えたりしたからこれから移ってくる人がいるのだろう。

何か6年も人が住んでいないとそこは死の街になっていた、小高もそうだったが浪江は小高より広いから余計にそうなる
小学校なのか中学校なのか時計が3時30分で止まったままになっていた
浪江はこの時計がとまっていらい時間がとまってしまったのである。

浪江駅に来ていたのは仙台からの鉄道マニアが多かった、仙台とかなるとそれだけマニアも増える、しきりに車両の写真をとっていた。
切符を集めている人がいてこの駅はなくなるんだよとか言っていた。
鉄道マニアにはいろいろな人がいる、そういう人と話すると確かに面白い
自分もマニアの一人だからである。それは年齢とは関係ないのである。
仙台に直通の電車が日に三本くらいでる、自分が乗ったのも帰りは直通で仙台に行く二両の電車だった、電車の中で近くの鉄道マニアなのか

「磐城太田は昔は高駅と言っていたんですよ」
「磐城太田はずっと磐城太田だよ、それはいつのことなんだよ」

そんなことを言う若い人がいたので調べてみたら確かに高駅として開業した、当時は立派な駅があり駅員もいて繁盛していたらしい。
高という地名があり字地名でありそれが駅名となった
双葉駅の前は長塚駅でありそれは長塚村が江戸時代の宿場町としてあり長塚駅になった
この長塚駅時代に自分の家が酒屋に父が勤めていて関係していてその話を聞いているから何か親しいのである。

高駅の高は古代の郷名に由来するものらしい、そうなると相当に古い地名でありこの辺は古くから人が住んでいたとなる、このように駅名にも歴史がある

それから原町に下りて原町の通りを歩いた、そして鹿島に帰って今度はシシドスーパーの隣の復興住宅の人がいたので話を聞いた、その人があの眼科は震災前につぶれたのだと言って教えてくれたのである。
その人は車を入念に手入れしていた、車庫がないので車が傷むと言っていた。そしてここに駐車しているだけで1500円とられると言っていた。
その人は室原の人でその親は豚を飼っていた、それは品種のいい豚でありキクチスーパーとかで売っていたのである。
伊藤忠商事とも関係して売っていたという、高速ができたので豚を運ぶのにいいとか言っていたがだめになったといっていた。た
でも伊藤忠商事とかと関係していることはそれなりに大規模にしていた
なぜではその人は原発でも働いていたのかとなる
何かこの辺ではそうして原発で働いたとしても農業していたり二つの職についている人も多かった。手間賃稼ぎに原発で働いていたともなる

その人は室原に帰るために拠点を作るのでそのために室原に時々帰っている、他の原町の人も浪江に一町の畑があると時々見に行っている、ここからだと近いからできる
それも確かに復興になっているのだ。すぐに帰って復興するのではなく時々見に行っては復興してゆく、拠点を作るのは帰ることを前提にしているからである。
5年後辺りには全部避難解除になるというからである。

ともかく浪江の前途は厳しい、まず人が住んでいない、人が帰らないのは小高と同じだが小高は住んでいる人がみかけたが浪江ではいない,これから帰るというがそれも一割程度とかなるととても街を復興することはむずかしい。
ここは原町とも離れているから買物でも不便になる、買物バスとかが出るというけど遠いから不便になる、だからここで帰って来る人は少ないし小高と同じく老人が多いのである
ただ浪江の人との軋轢は南相馬市ではまだ生れていない、鹿島と小高は犬猿の仲になったのは補償金のためだった
ただ浪江の人でも工場を経営している人が仕事をくれと原町の仲間に言ったらお前らは補償金たんまりもらっているからと断れた、だから浪江の人でも南相馬市の人とももめたとなる、現実に浪江の人が南相馬市に住んでいればそうなるのである。
シシドスーパーの隣の復興住宅に には浪江の人だけではない、他から来た人も住んでいるという、どこから来たかはわからない。

それでも県で建てた復興住宅で前の駐車場まで金をとっているというのもやはりもうそれだけ県でも国でも補償できないということなのか?
いつまでも補償できないということはあるだろう、県とか国では早く帰って復興してもらいたいのである。南相馬市でも小高の人に帰って復興してもらいたい
それがなかなかすすまないのである。小高は小高工業が300人とか通うようになるから電車でも駅でもにぎわうようになる、浪江はそういうものがないから復興となるなにか起爆剤が必要なのである。
それが何になるのかこれから模索することになる
観光だったらどうしても高瀬川に行けないのは致命的だとなる
あそこが避難解除されれば外から観光だけにでも来る人はいる、あそこは本当にこの辺ではめずらしい名勝の地だからでる



行方郡は陸奥国だけではなく、同名の行方郡が常陸国にあり、後述の『和名類聚抄』中の多珂郷は常陸国の多珂郡(多賀郡)と同じ名である。在地の国造ではなく、常陸国から来た移民を中心にして郡が建てられたのであろう。
古代の郡衙の場所は新田川の河口付近、現在の南相馬市原町区泉にある泉官衙遺跡と推定されている[3]。位置は不明だが行方団という軍団も置かれていた。『和名類聚抄』による読みは「なめかた[4]」で、吉名・大江・多珂・子鶴・真野の5郷があった。
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2017年04月01日

浪江町の春の詩 (浪江駅開通を祝して)


浪江町の春の詩

(浪江駅開通を祝して)

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春の渓流轟き鳴りぬれ
巌重なり塔なして
景勝の地、高瀬川にあれ
奥をたずねて心洗われむ

清流の岸辺、根を張る木
古の技を伝え育む
大堀の相馬焼きの窯元
畑耕す人もありしも

広々と海を望みぬ請戸港
漁に出る船や勇ましかも
鴎群れ飛び波のひびけり
大漁の時もありて港にぎわふ

浪江にそ二つの川の流れけり
鮭の上りて幸もあれ
川岸の桜並木を歩むもなつかし
いつの日か往時の栄いもどらむ

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棚塩の海岸

浪江はやはり高瀬川である、あの川はこの辺ではめずらしい、激流であり上流にダムはない、水墨画のような巌がある、あれが名勝の地である。
景観的にも二つの川があり恵まれている、海も望み請戸港もあり魚もとれたしあそこには岩手県の宮古から鉄の材料が運ばれて葛尾村で製鉄されて葛尾大臣の伝説が生れた

それから相馬焼きの窯元が大堀にあり高瀬川の上流の岸辺にあり立地的に恵まれていた。浪江町はこうして実際は景観的には恵まれていたから観光でも人を呼べる環境にあった
ただそれも請戸港から原発の煙突が見える、そんなに近いのに実は請戸港の放射線量は0、5とか低いのである。海に放射線量が流れたから海側は低いのである

それにしても請戸港は津浪で壊滅した、それがあまりにも酷い風景である。
ただすぐ近くに原発の煙突が見えたのだから危機感を感じる人がいたかもしれない、
でも実際は漁業権を東電に売り渡していい暮らしをしていたのである。
それが今になって露になり批判されている

ただ浪江とかなると実際は原発で働く人があれだかけ近いのだから三分の一はいた、原発は賃金が他により危険だから二倍三倍になるからだ
それで家を建てたという人がいたり金持ちになった人がいたのである。
とにかく経済的には原発周辺はうるおっていた。
だから誰も今でも東電を批判できないんだよなとなっているのである。

でも原発事故はあまりにもこれもひどいものだった、村とか町とか消滅させるほどの被害になるとは誰も思っていなかった、もう大堀の相馬焼きは回復しない、放射線量があそこは高く以前として避難が解除されないからである。
もうすでに相馬焼きの窯元は白河だとか二本松だとかではじめている、大堀で相馬焼きが作られることはないのである。

浪江町には二つの川があり風光明媚な土地だったのである。海はあり川あり山ありといい所だったのである。それが回復不可能になったというのはなぜだろうとなる
それほど原発事故の被害は大きかった
結局、原発でも公害になるとみんなだめになるというのは本当だった

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結局細々としてもそこには自然が汚されずあった、そこで町でも村でも継続されたのである。
まず公害になると市町村自体が継続されない消滅の危機にさらされるのである。
この辺ではつくづくこれと同じ反省を強いられているのである。


写真絵はがき-ここに激流の高瀬川


参考となる詩

浜街道春の浪江町

高瀬川轟き流れ春の日や
広々と浪江の大地開けたり
大堀に陶工の業は受け継がれ
相馬焼きの一品を買いぬ


高瀬川春の光にきらめきて
山鳩の嬉々と飛びつつ
春の日に二つの川落合いて
太平洋と流れゆくかな


その昔言祝ぐ橋の一つかな
村と村とは結ばれ栄いぬ
浪江の大地を耕すものや
新たなる力を注がむ


流れ入る川や広々と
かなたに望む行く船や
春の日に鴎群れ飛び
請戸の湊に漁船いでゆく


知られたる高瀬の清水や
西行もここに喉を潤しぬ
浪江の宿や相馬の殿も休み
磐城の境大熊に向かわむ


夜ノ森は余の森なりき
森深く小暗き道なり
その森に境を成しぬ
小良が浜もここより近しも


高瀬川轟きその奥そ深しも
葛尾村は山中郷の相馬藩
三春藩との境を成して
野馬追いの旗を伝えぬ


浪江は標葉郷にて相馬藩
野馬追いにその旗連らぬ
その日のまた来たらむや
相馬の武士の心騒ぐかも

タグ:浪江町の詩

つばめ来る(祝-浪江駅開通)


つばめ来る(祝-浪江駅開通)


我待ちて紛々とにおふ梅の花

梅の花余すことなく香り散る

万作に冬の貴婦人ボケの花

木蓮の蕾ふくらむ希望かな

10羽ほど一気に来る燕かな

浪江駅開通するやつばめ来る


東風(こち)吹いて枝のゆれにき四十雀しきりさえづりわたり飛ぶかな


今日は十羽ほど燕が来ていた、普通は一二羽と見かけるけど今年は一気に十羽も燕が飛んできていた、そして浪江駅が開通した
何か縁起がいい日だとなる、復興には曇っていたがいい日だったとなる
燕が来るということはやはり何か新しいものがもたらされて何か新しいことがはじまるとかそういう兆しとして燕が象徴されるからだ

でも実際は浪江町でも前途は厳しい、17パーセントとしか帰らないとか帰るのも老人だけである。自転車屋をはじめた人も78歳だとか跡継ぎもいないから店は補償金もらってやめたとかそんな人だけでは復興できないだろう。
でも浪江町はそもそも拠点となる町自体を失い役所も他の市町村にもうけていたので浪江町が避難解除されたことで拠点ができるのはいいことである。
復興するにも地元に帰らねばできないからである。浪江町では公務員が忙しくてやめたいとか言う人がいるというのも公務員は一番恵まれていたなど田舎ではなっていたがそんなものでもなくなった、もう町の生き残りをかけて仕事せざるをえなくなったのである。

浪江町に鉄道が開通したら避難解除したら行きたいのは高瀬川である。
あの川は激流となっているから他の川とは違うし名勝の地であった
ただあそこに大堀焼きの窯元があったがそれもなくなったし放射線量が高い所でそこは避難区域のままであり立ち入り禁止になっているみたいだ
そうなると浪江町の魅力がなくなる、でも駅が開通することは復興のはずみにはなる

東風(こち)は浜通りでは海から吹く春を告げる風である。
その風でしきりに枝がゆれ四十雀がさえづりつ飛びわたってゆく,いかにも春らしい
だからまた遠出したくなった、ただ自転車となると体力的に厳しくなっている
でもなんか自転車でないと自然と一体になりにくいのである。

吾妻山の記憶としては白木蓮である。

山高み残れる雪に木蓮の白さや朝の風に走りぬ

この辺では高い山がないから吾妻山は高い山として望めるから気持ちいいとなる。
これも自転車の旅だから記憶に残っているのである。
鉄道とかだと風を感じない、すると記憶に残らないのである。
意外と車でも風を感じない、するとその土地のことつまり風土が記憶されないのである。
ともかく介護もないから今になると自由にまた旅ができる、だからまた行ってみたいとなる





タグ:つばめ来る

2017年03月30日

自治が問われた原発事故周辺 巨額の国からの補償支援金は自治体の復興に使われなかった


自治が問われた原発事故周辺

巨額の国からの補償支援金は自治体の復興に使われなかった

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今日山梨の駅で話した人は結構いろいろ要点をついたことを言って共感した。
何か病気になって仕事できないので医者にみてもらいにきていた。
除染の仕事をしていた。

「この辺では復興として国からおりた金をみんなゼネコンとか暴力団とかに流れて肝心の市町村を復興するためには使われなかったんだよ、区長でもなんでもみんなでその金を使って復興しようとしなかった」
「その国からおりた金でもみんな個々人におりたので個々人が勝手に使い町全体とかの復興のために使われなかった」
「除染費用など自治体で使えば良かっただよ、そうすれば市町村の復興のために新しい街作りのために使うことができた
除染でもこの土地の人がやりそれを復興の街作りに回せば良かったんだよ」
「それはいえるな、結局この辺では6年間住民は何もしなかった、ただ個々に補償金をもうらことしか頭になくなった、それで家族でも地区でも市全体でもばらばらになってしまったんだよ」
「俺は飯館村で除染していたけど石ぶつけられたんだよ」
「ええ、なぜ、そんなことをしたの」
「その家は補償金はその時そんなにもらえない所だった、隣の家は高くもらっていたとかで頭にきて除染している人が怒っていた」
「そういうことはこの辺ではあった、国で放射線量を計り補償金を決めた、それでどこでももめた、地区でも隣がもらってこっちはもらえないとかもめた」
「それより自治体で一括して除染費用をもらって自治体主導で除染すれば良かった
そして復興のための街作りに使えば良かったんだよ」
「それは自分も感じていた、個々人に補償金もらったらみんなかえって町を出て外に家を建てたよ」
「莫大な補償金とかは街の復興のために使うべきだったんだよ」

この人の言っていることは全うだった。飯館村で除染している人に石をぶつけているとういことは飯館村でも補償金で分断されていたのである。今でも大きくは二つに分断されている、補償金をもらって外で生活再建する派と残る村長派である。
この辺は事故後ずっと補償金でもめて分断されてきたのである。
家族すらその一億円の補償金でもめて分裂したとかもある、額が大きくなると奪い合いになる。

その人が言うには区長でもいいからともかくみんなが集まって市町村のために全体の復興のために使うべきだった、そういうふうな仕組みを作るべきでもあった。
一括して自治体でも除染費用を受け取ればそれを極力自治体の力でやればその金は除染だけではない市町村全体のためにも使われたし自治体の人々が俺たちが復興しているんだという気持ちなり復興に精神的にも通じていた

ところが実際はほとんど6年の間住民は何していたかといえばパチンコでありギャンブルに興じていただけなのである。その時精神は荒廃して復興など関係なくなっていたのである。そして補償金しか興味がなくなっていたのである。
もし除染でもしていたら自分たちの土地を自分たちで除染している、復興しているんだという前向きな気持ちになったのである。全部でなくても自治体主導でしていればそうなった、一部では除染もそうしたところもあったがほとんどはゼネコン主体であり地元住民は何もせずにパチンコきギャンブルしかしていないのである。

南相馬市だと小高でも南相馬市内の仮設に住んだから近いのでできたのである。
でも実際は補償金をもらうことしかなくなった
それよりも除染だけではないなにかしら自分たちで復興しているんだというものがないと精神的にももう復興などどうでもいいとなってしまった
ただ補償金をもらえばいいとういうふうになり復興の気力もなくなっていった
だからいくら国から巨額な金が出てもそれが有効に回らなかった。
地区でも市町村単位でも補償金でもめて分断されたのである。

つまり民主主義の自治がなくなっていたのである。みんなでこの困難に立ち向かう下からの力が喪失した、自治体というとき自ら治めるということである、その自ら治めるがなく国からの一方的な指導しかなくそれが自治させなくさせたのである。
それは国だけに責任があるのではなく強力に自治体の住民が結束して立ち向かうことができなかったからである。

ではなぜできなかったのか?
それは震災前からすでにそうした原因があった
それが原発事故を通じて明確化されたというだけだとも見える

農民→農業したくなかった→土地は汚染されて農業はできなくなった
商店→シャッター通り→やめたかった→補償金が入ってやめた
若い人たち→田舎町から出て行きたかった→補償金もらって都会へ出た
若い妻たち→姑といたくなかった→別々に暮らせて良かった

何か前々からこうして田舎ではそういう状況があり原発事故がそれを促進させたのである
いづれにしろ復興というときこの辺では町でも村でも全体の復興には向かわなかった
みんな個々人が補償金をもらいそれを個々人が利用して町全体の復興には向かわなかった精神的にも一致して復興に向かわなかった、復興というとき本当は一年くらいはしかたないにしてもその辺からすでに何らか個々人が復興のために動き働いていないとできなことだったのである。その復興は個々人は故郷が出て家を建てたりして個々人の復興のために6年は費やされたのである。
6年すぎたらもうそうして若い人は流出してもう帰らない、もともと町から出たいということもあり他の都会で住みやすい所で生活しはじめて6年とかなると境遇も変わり簡単に元にもどれないし故郷の復興には関係なくなっていたのである。
人間は6年くらい音信不通になると相手のことがわからなくなり誤解が生れる
6年はやはり短いようで長かかったのである。

ともかく様々なことが問われたが自治体が自治がなかった、その自治とは市長とか議員の自治でもない、村民の町民の市民の自治がなかった、下から押し上げる力が不足していた補償金を要求するにしても個々人ではなく町全体を復興させるにはどうするのかということでその活用を議論すべきだったのである。
そしてその山梨の人が言うにはそうした新しい街作りをしないと若い人も住まない、そこに希望がないから住まない、そして全体が衰退してゆくというのは本当だろう
ただでは都会的な街がみんないいかといったら嫌な人もいる
自分の価値観は性分は都会向きではない、静かで人がいない方が落ち着くのである。
でも一般的にはそうではないから街が衰退してゆくことはいいことではないのである。



メディアが報じない原発禍の街の真実 <第6回>4人世帯で1億1000万円…賠償金で家族がバラバラに(日刊ゲンダイ)

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水俣病でもここと同じことが起きていた、補償金しかなくなったのである。
何か復興もない、昔の村は全くなくなったとある。


市町村でも全体が喪失したことが深刻だった (復興には個々人ではなく全体が一致協力しないとできない)


補償金、義援金で南相馬市の一体感は喪失 (原町の人が義援金も鹿島区に払うなと言うことの傲慢)

過度な原発避難者への援助がかえって不和をもたらし復興させなくした (内村鑑三の指摘の再考)

posted by 老鶯 at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

済州島の漢拏山 新しき地理の展望を得るのが旅


済州島の漢拏山

新しき地理の展望を得るのが旅


漢拏山力強きかも
韓国,中国、日本を望み
春の日に望み聳え立つかな
世界の地勢を知りて
新しき展望を得む

韓国はやはり歴史的だけではない、地理的に日本の中に入っている国である。
中国となると広すぎて日本とは別な世界になってしまう。
韓国は玄界灘をはさみ一衣帯水の国である。

『南史』に「陳の後主荒淫なり。我は百姓の父母為り。あに一衣帯水に限られて、これをすくわざるべけんや(君主の跡継ぎは、淫らで残酷だ。私は人民の父母である。陳と一本の帯のような細い川に隔てられているからといって、彼らを救わずにいることがどうして出来ようか)」とあるのに基づく。

一衣帯水の故事は中国をさしている、でも中国と日本の海は広い、韓国はそうではない、船で古代から行き来していた、韓国の一部が任那に日本府が置かれていた
韓国が一衣帯水の国としてふさわしい、確かに遣唐使が船で中国に渡ったとしてもそれは頻繁ではない、決死の渡航だった、そんなに行き来できる海ではなかったのである。
だから中国は地理的にも日本とは隔絶しているのである。
韓国は地理的にも一体感がもてる国なのである。
それを実感したのは済州島の漢拏山を見上げたときである。
島にこんな高い山があるのも驚きだった、それも力強いものを感じた

その山はまさに韓国と中国と日本を望んでそびえていたのである。
旅は視野を広くするというときそれは地理が地図をいくらみてもわからないからである。旅によって新しき展望を得る、世界となると広すぎる、でも韓国は地理的一体感を感じる場なのである。唯一外国で地理的一体感を感じるのは日本では韓国だけなのである。
他は海に囲まれて感じないのである。ロシアにも感じないし地理的一体感を感じない。

外国だと感覚的地続きだから地理的一体感を感じる、ただ人為的境界として国境があるだけであり日本のように海に囲まれて地理的に隔絶されたような感覚にはならない、日本にとって地の果ては海の向こうであり海に囲まれているからすぐに地の果てになってしまうのである。
だから地続きの感覚が世界の感覚であり日本は海によって隔絶された世界で特殊な国なのである。

世界を旅するとなると今やまた年とり楽ではない、もっとやはり山を見たいということがあった、それは自分の住んでいる所に大きな高い山がないためである。
海がない国は海に憧れるのとにている、山は富士山でもそうだが精神的象徴となる
山は精神をはぐくむ、一番の圧巻はヒマラヤだった、しかしこれも一回見ただけであり
その時曇っていたのではっきり見えなかったのが損したのである。
これだけ旅行しても見れなかったことを後悔する、人間にはそんなに時間がないのである富士山くらい見に行こうかと思うがこれも日本自体が旅しにくくなっている
外国人が増えてゆっくり旅できないとなると何か時代的に損である。
旅はやはり視野を広げ新たな展望を得ることなのである。



2017年03月29日

震災から6年の間に変わった原発避難者の境遇 (震災関連死数が物語るもの)


震災から6年の間に変わった原発避難者の境遇

(震災関連死数が物語るもの)


震災関連死数 2086 65才以上 1880


復興住宅に入っている浪江の人は一人は室原でその人は母が避難している内に死んで一人暮らしになった、今日あった人は兄と一緒に住んでいたがその兄が死んで一人暮らしだという、何かそれは関連死だったのかもしれない
要するに避難している6年の間に様々な変化があった、その中に震災関連死があった
兄が死んだ人は子供がいないから一人である。
子供がいた人もその息子は東京に出てその子供はその地元の高校を出て就職して帰らない妻も息子の所に帰っていないという、一町ばかりの畑があり通ってみている
近くになったのでそれができるから何か故郷と通じるものができてくる
すぐにではないが故郷とその土地を通じてつながっているという感じになる

ともかく6年という歳月が意外とこの辺りを実際は凄まじく変えてしまったのである。
津浪の被害もそうだけど原発事故の避難でもそうである。
家族でも地域でもばらばらになってしまったのである。
その中で境遇がみんな変わってしまった。身内が死んだりするのは大きな変化である。
自分も母親が死んだから同じである。

だから原発避難者が故郷に帰れというときその6年の間の変化でむすかしくなった。
なぜなら東京まで出てそこで中学校3年と高校3年を過ごすほど長かった
普通はそういう思春期は一番思い出にの残る時期かもしれないからだ。
小学生でも一年生が六年生になっていたからである。
その境遇の変化が既成事実となり重いものとなり帰れなくさせたのである。

ともかく人間の境遇も変化をまねがれない、自分は30年間くらいは変化がなかったが急速の変化に襲われて介護十年して身内はみんな死んだ
人間は別に震災がなくても境遇が変化する、親が死んだ人もいる、妻が死んだ人もいる、夫が死んだ人もいる、様々である
その境遇の変化のためにショックを受ける、世の無常を感じる

つくづく人間は一旦境遇が変化すると既成事実化すると簡単に元にもどれない
それが復興をむずかしくしている、6年も避難している内にみんな境遇が変わってしまったのである。
若い人は若い人で避難している間に生活でも避難した先で合わせる他なくなった
ともかく意外と老人になると境遇が変わりやすいのである。
それがショックになる、あちらこちら病院が変わったり施設が変わったりする人もいる
終の住処(ついのすみか)が得られない漂流老人になる
震災避難者はあちらこちら漂流した、そして震災関連死になった人も多い
そういう安定しないことが老人にとっては最大の不幸なのである。

いづれにしろこうした境遇の変化はもう一旦変えられると元にもどすことが困難になる
これは最初の内はそんなに大きな問題に見えなかった
しかし6年過ぎてその重さに気づいたのである。
一旦変わってしまった境遇はもう簡単には変えられない、町にしても村にしても簡単に修復して元にもどらない、それが大きな誤算だった
若い人でもそれぞれの生活が避難した先ではじまりそこで6年間過ぎたからである。

災害復興住宅の畳みは本物たたみでないらしい、外壁も塗装されていないとかヤハな作りになっている、やはり外観はいいのだがそれだけ安い材料とか手抜きしていたともなる
そうせざるをえない事情もある。
だから建物は外観を見ただけではわからないものだと思った。

復興は様々な悪条件で困難を究める、それぞれの境遇が変わってしまい、それも復興をむずかしくしていた、そして残されたのは老人が多い、福島県内からすら流出しているからである。復興住宅に入っている人すら老人が多い、一人暮らしも多いのである。
だからそういう人たちが帰って何ができるのかとなるし帰っても世話する人もいないのだから復興自体無理だとなる
何もできない、介護とか病気予備軍の老人が帰っても復興はできないからである。


タグ:震災関連死
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2017年03月27日

西の栄の桜の俳句十句 栄枯盛衰の桜(大坂城の散る桜の詩)


西の栄の桜の俳句十句

栄枯盛衰の桜(大坂城の散る桜の詩)

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吉野山おおふさくらや霞かな

(奈良)

大仏や平城宮(ならのみやこ)は八重桜

(京都)

椿落ち真昼に花散る詩仙院

花の色御池に濃しや塀長し

優艷に枝垂桜や京の暮る

(大阪)

散りやまぬ花や栄の大坂城

(近江)

栄とて志賀の都は山桜

(淡路島)

淡路島よす波静か花の散る

月の出て花の散りにき淡路島

(瀬戸内海)

百舟の行き来変わらず夕桜

瀬戸内や百舟行きて花に風

(四国)

海よりそ望む四国や花に城

金比羅におしよす人や花盛り

山峡に磐打つ流れ山桜



み吉野の吉野の山の桜花 白雲とのみ見えまがひつつ

青丹よし寧楽(なら)の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり
小野老

いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな

さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな(千載66)

露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢 秀吉


西の桜というときそれは自然のままの桜ではない、歴史がそこにかかわり映える桜である万葉集には桜の歌はほとんどなく梅の歌が多い、梅は中国より入った外来種である。
咲く花のにおうがごとくとは梅のことであり桜ではない
むしろ八重桜が奈良の都の栄の象徴だった、そこに奈良の特徴がある

そしてさざなみの志賀の都でも山桜である。都の跡でもそこは規模が小さいものであり一時の都であり人が去った時、都が移った時、そこも元の原野に帰ったのである。
そこに咲いていたのは山桜だったのである。

桜というとき何か一つのもののように見ているが違っている、万葉集時代は今に感じている桜は歌われていない、山桜の美は確かに歌われている
でもまた誤解しているのは一般的に桜というとき染井吉野でありそれは山桜とは本質的に異なるものなである。感覚的にもそうであり野性的な美である山桜とは違う。
江戸時代から染井吉野が開発されて花見の習慣も生れた、その辺から染井吉野が主流の桜となった。

花は桜木 人は武士 柱は檜 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの と続きます。
一休宗純禅師の言葉とされていて、花だったら人だったらと1位と思っているものをあげていった言葉のようです。
他の方も書かれていますが、桜は散り際が美しいもの、武士もまた潔く死に際が潔いもの、つまりは散り際が潔く美しいものが良いということを書いているそうです

一休というとき1400年であり南北朝の時代なのである。その時から武士というのはこういうものだということが一般化していたとなる、でもその桜は山桜であり染井吉野ではないいさぎよく散る美学が山桜から生れたのか?その辺がはっきりしない。

そもそも不思議なのは城に植えられていたのは桜ではない、今は桜に飾られているけどその桜は染井吉野であり城には桜は飾られていない、糸桜のような庭で鑑賞するもののようであり華やかに城を飾る桜はなかったのである。
それは城が廃止しされた明治以降である。だから城に登城した武士は桜を見ていないのである。殿様も見ていない、桜はなかったからである。
大坂城にも桜はなかった、だから何か当時もあのように桜が咲いていると錯覚している

でも何か大坂城の桜は一番自分には印象に残っていた。規模が大きいのと散る桜がなんともいえないものだった、それはなぜか?
それは歴史が反映していたからである。そこに人間の栄枯盛衰がありそのことのゆうえにただ散る桜ではない、その散っている桜が人間の栄枯盛衰、無常を反映していたからである。
自分が大坂城の桜を見たときはちょうど盛りを過ぎて散るときだったのだろう。
その散る桜がいつまでも心に残り今でもその桜は散っているのである。
栄枯盛衰がありまさにそれを象徴するかのように桜が散ってゆく

 ひさかたの 光のどけき 春の日に
    静心(しづごころ)なく 花の散るらむ

            紀友則(33番) 『古今集』春下・84

その桜が咲いていたときは光のどけきだった、それでも桜はひらひらと尽きることなく散ってゆく、静心なく(しずかな心ではいられない)心が騒ぐのが桜が散る時である。
それはあまりにも桜は早く散ることにある、華やかに咲いてもたちまち散ってしまうのが桜である。それゆえに桜は美しいものとなる
だからいさぎよく死ぬのがいいと戦争中には桜がもてはやされた、その通り300百万人の人が主に若者が死んだのでありそのことを批判する人もいる

難波のことは夢のまた夢という秀吉の辞世の歌もあるがみちのくとかなるとそうした栄華がないのである。そういう栄華があってこそ夢のまた夢と言える
西にはそうした栄があったからこそでありそれが桜を見るとき心に影響しているのであるだから山桜を見るのとは違っているのだ。            

敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににおう 山桜花 本居宣長

この歌は純真な自然の美そのものを歌ったものであり戦争とは結びつかない、戦争と結びついていたのは吉田松陰の辞世の歌の大和魂だったのである。
この歌は平和そのものの歌であり戦争とは関係ないからである。

いづれにしろ桜の季節だけど自分はずいぶん旅したから思い出して書いている
西の桜は山桜とかの自然そのものの美ではない、歴史の栄枯盛衰の中に咲く桜である。
だからカナダの山とかよりアンデスとかペルーの山とかが美しかったというときそこにはインカ文明とかが築かれた歴史がある場所だから違って見えた。
自然の山としても美があるとしてもそこにはすでに千年の歴史があるから違って見えたとなる、自然でも純粋な自然と歴史がかかわる自然とは違ってるのである。

今になると何か旅するのも疲れる、旅も何かそれだけのエネルギーが必要だった、それが介護とか自らの病気とか津浪とか原発事故とかで消耗した、旅すらいくら時間があってもできなくなるときがある。人生はそれほど短いものだったのである。
たちまち時間は過ぎてしまう、そして今になると外国人が多くなり旅しにくくなった。
あまりにも外国人が多くなると情緒がなくなるし宿すらとれなくなるというのも困るのである。外国人の花見ともなってしまう。日本文化がそうして世界的になるのかもしれないが日本人自体が桜をゆっちり楽しめないというのも困るとなる



大坂城に散る桜

尽きず散る大坂城の桜かな
はなれて遠くみちのくにあれ
その花の心に残りぬ
西の栄を集む大坂城なれ
華やかに花は散りやまず
尽きることなく花は散るかな
その栄の日は短かきも
一時この世の憂さを忘れて
その桜に酔い栄華を味わふ
争うときあれど過ぎされば
西の栄もまた東の栄なり
その栄華秀吉のものにのみあらじ
万人のものとて今桜咲き映え散りぬ
はなれても遠く心の中に花は
尽きず散りやまぬかも
赤々と夕陽耀ふその色や
なお人の出入りしつつ
日の本の国の栄の桜花
その花にこそ日本人は酔いぬ
西行の花にしなまし心かな


            

タグ:大坂城の桜

また建つ大東建託のアパート (鹿島区内で10数棟建つ相馬市も多い)


また建つ大東建託のアパート

(鹿島区内で10数棟建つ相馬市も多い)

賃貸経営は30年以上の長い事業です。
世間で言われている人口減少がこのまま改善しなければ、多くのアパートオーナーは首をくくることになるでしょう。

練馬で建築と不動産をやっています。やめましょう!
嘘です。820万戸も空き家があり10年で180万戸増えました。
失敗は大家のせい成功は大東建託です。

中々売れないような土地にアパートを建ててもすぐに空き部屋が目立つようになります、、そしてオール借金ですと手元には何も残りません、、赤字にならなければましと言う程度の物です



この辺では様々な変化があった、その一つが大東建託のアパートが次々に建ったことである。それは他所から原発事故で避難して入る人がありその需要が見込めたからだろう。
いわきナンバーが多いことでわかる、それにしても未だに建てられ続けていることの驚きである。
そこでちょうど建築中の場に人がいたので聞いてみた
そこは田んぼだったのだけど端になっていた

「ここは自分の土地なんだよ」
「田んぼだと簡単に宅地にはできないよな」
「ここはできる土地だよ」
「ここは土地を売って大東建託が建てるのか」
「違うよ、自分の土地に自分で金だしてアパートを建てる」
「じゃ、,金がかかるよな」
「一億かかるよ」
「ええ、そんなにかかる、そんな金が用意できるの」
「息子もいいというし借金だよ」
「借金では大変だな」
「15年くらい返すのにかかるよ」

大東建託でアパートを建ててもそれは土地をもった人が金を出して建てる、大東建託は売っているだけである。ただそこには

大東建託でのアパート経営を検討中です。
16戸×平均家賃5万円で初年度の月の収入が約15万円だそうです。
建築費用1億をすべて銀行による借入で30年返済、大東建託は
30年一括借り上げするのでリスクはないと言ってるみたいです。
10年間は家賃の値下げはしない、修繕費は大東建託持ちらしいです。

ここに問題を指摘している、そんなにもうかるものではない、一面危険がある。
こういうことを知ればそんなに大東建託が建っていいものかといぶかる
でもこの辺の特殊な事情がそうしたと自分は見ていた、津浪の被害者とか原発の避難者とか流入しているから需要があるから建ったと思っていた
それにしてもこんなに建っていいものだろうかという素朴な疑問が常にあった
これもかなりのリスクだなと思った。

ただこれももし15年間くらいで返済できればあとは楽になるかのかもしれない、アパート経営とかは千葉県だったかしらないが家賃収入で海外旅行が盛んでない時代からしていた人がいた、その人はそうした早い時期から海外をぶらぶらしている人だったのである。
それができたのは家賃収入で暮らすことができたからである。
だから地主とでアパート経営していた人は不労所得で余裕で暮らせたし働く必要もなかったのである。そういう時代もあった。
人間社会は何かそういう恵まれた人は必ずいる、それは自分もそうだった、親の遺産で暮らせる人もいる、でも自分は海外に気楽に行けるほどの金はなかった
海外旅行は一時航空運賃が馬鹿高い時があったからだ
それでシベリア回りの鉄道でヨーロッパに行った人を知っている、それだけ航空運賃が高かったからである。

賃貸アパートは供給過剰状態だと言っていましたね。マイナス金利政策で行き場を失ったお金が、賃貸アパート建設の融資に向かっているようです。

これと言えるだろう、投資信託などに老人が金をつぎこんでいるのもそうである。その一人が自分でもある
これももうかるとは言えないし危険なものでもマイナス金利になっているからである。
結局これも銀行が高い手数料をとりもうかるが預ける方はもうからない、この大東建託でももうかるのは大東建託で借金してももうからない、損したという人も多いとなる
何か世の中の仕組みはそうなっているのである。
会社とか銀行とかは損をしてまで他人の金を増やしてはくれないのである。

この辺ではともく新しい家がどれだけたったのか、数百個は建った、新しい街が三つできるくらい建った。その中でも目立ったのが大東建託のアパートだったのである。
相馬市だけで28軒ある、鹿島区でも相馬市の半分もある大東建託の数は全国で凄いものとなっているのだ。目につくのはまず大東建託なのである。
ただ原町区は何か少ない、検索できない、他の会社の方が多いのかもしれない。
相馬市は多い、何か理由があるのか?この辺はわからない、鹿島区と相馬市は特に多いことは確かである。

タグ:大東建託
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2017年03月26日

私たちのこれから認知症社会 (NHKの番組では厳しい現実を示さない)


私たちのこれから認知症社会

 (NHKの番組では厳しい現実を示さない)


 今回のNHKの認知症社会はあまりにも現実からかけはなれていた、統計的には数としてはその厳しさを示していたがその内容は甘いものとして見ているしそういうものしか示していない、家族が認知症になったら社会でどうみるのか?
それがあまりにも甘いものであり現実を見ない無視したものだった
認知症になったらその人は人として見られないし馬鹿になったと差別されるし家族すらそうである。それは知的障害者をもつものと同じになる
社会がそんなにそういう人に配慮したりやさしく接したりしない

この世の現実を自分は介護十年で自ら病気にもなり嫌というほど味わった
むしろ人間は弱者化すると食い物にされる、相手の弱みにつけこみやりたい放題になる
人間のその恐ろしさを味わった、人間はそうした残酷さをそうして弱者になるときむきだしになるのだ、それは戦争とか異常な状態でも起きてくる
シリア難民は女性が食い物にされるとか弱者につけこまれるのと同じである。

この世が認知症になったからといって回りが社会が親切にするなどありえないのである。特に現代社会はもうそうした義理人情とか隣近所とか助け合うとか全くない。
相手が弱者化したら財産を奪ってやろうとかそんなことを考える人はいる、自分は現実にそういうことを嫌というほど味わってきた
相手はこいつから金をとってやろうとしかなかった。弱者は最もやりやすくなる
それが人間の実体でありどうして認知症の人に親切にするのか?


行方不明者が一万になったとか誰もそんな人のことをかまわない
そしていつも若者は叫んでいる、老人は早く死ねと安楽死させろとか言っている
それが本音であり認知症の人にやさしくする心など全くない、介護士などでもただ安月給でしかたなくやっているだけである。
それは看護師だって老人にはやさしくない、病院でそれは経験した。
病院は体を物体のように見るが心はみない、無機質な冷たい空間である。

認知症の人が安心して暮らせる社会などありえないのである。その厳しい現実を見ていないのである。そんな社会があるとしたらその社会は天国かもしれない
実際はこの世は弱肉強食の地獄である。そんなことみんな実際の生活体験しているのだから今回のNHKの番組はなんら認知症についての将来の危惧に答えるものでもない何の役にも立たない番組だった
現実を見据えない番組はただ絵空事でしかないのである。
NHKには現実を見据えた番組もあるが今回のように現実とまるでかけはなれた番組もある

認知症に家族なった人や本当に認知症になった人の現実は厳しく過酷である。
人間は弱者になることは何でも厳しい、シリア難民とかもそうでありそういう人たちは食い物にされるのである。
人間とはそうして本来そうした悪質なものなのである。
それが相手が弱者化したりする露骨に現れるのである。
人間の本性が現れる、戦争のときとか異常な事態の時、その獣の本性が現れる
それで沖縄で日本兵が怖いというより地元の人、隣の人にでもレイプされるのが怖かったとかいうのは本当かもしれない、一番身近な人が最も質が悪いのである。
そういう人間社会が認知症のような弱者になった人に親切にするのか?

認知症の悲劇は社会的に優秀な人、貢献した人でも馬鹿になってしまうという恐怖なのである。そのことをプログで書いてきた。
こんなに優秀な強い人がこんなになってしまうのか?これが人間なのかという恐怖だった
そしてあえなく死んでしまった。人間ははかないなとつくづくなってしまう。
ただ認知症になったからといって人間でなくなってしまうわけではない
記憶障害だとしても人間としての何か基本的なものは失わない、そして不思議なのは時々正気にもどることだったのである。
特に死ぬとき正気にもどる、だから馬鹿として扱えないむずかしさがあった。
正気となると介護している人でもその人をみているからである。
特に家族だとおろそかにできないことがあるから苦しいとなる
全然わからなくなった人ならそうはならないからだ。
良く世話してくれたなとかわかる場合があるからだ、何かそういうことはわかるのだ
この人はいい人だとかもわかる、ただ記憶障害がありそれでわからなくなったのかと錯覚する。

いづれにしろ認知症の人が安心して暮らせる社会などこないし作れない、そんな親切な社会があるとしたら現実が弱肉強食の社会になっていない天国になっているだろう。
つまり別に認知症がふえるからといって老人が増えるからといって親切な社会なとこないからである。
弱肉強食の社会の延長として老人社会もあり認知症社会もある、ただ違うのは人間は必ず年取るから弱者と化す、今は強者でもなんでもそうである。
例え大金持ちであっても認知症になったら金の管理も銀行からおろすこともできないのだから何にも役に立たないのである。その驚きを経験したからである。
最後にいかに強者でも弱者になるのが人間の運命なのである。
弱者化した老人をいためつけるのもいいがその痛めつけるものも最後は弱者化していためつけられるのである。それがカルマなのだ。
人間はそういうカルマを生きる運命にある。そのカルマから逃れることができないのである。

いづれにしろ認知症の人か安心して暮らせる社会はありえない、ではどうするのかというと自分にもわからない、ただ何らか孤独死でも覚悟しておく必要がある。
介護状態にならないようにして死ぬとういことである。一番いいのは働いているうちに死んでいたいうのがいい、そういう死に方をしている人もいる
仕事していたが一週間くらいして入院して死んだとかである。
そういう死に方は弱者化して死ぬとも違っているのである。仕事しながらたちまち死んだともなるからだ。弱者化するとは長い間病気になるとか介護状態になるとか認知症でいつまでも生きているとかになることである。
だからそういう死に方が理想的なのである。認知症になって差別されて馬鹿にされて生き恥をさらして生きるのは恐怖なだけなのである。


農民なら農作業中に死んだとか、画家は絵を描いている内に死んでいたとか、作家は文章を書きつつ死んだとか、普通の人でも自転車屋は修理していたがそのあと急に病気になり一週間後に死んだとか、医者でも90歳まで患者を診ていて一週間くらいで死んだとかあった。平凡な女性でも料理を作っていて死んだとかなればそうである
人間はだから仕事する、仕事を持つということが大事である。
仕事がなくなると認知症になる傾向が強くなるのである。
社会から無用化して廃用化してゆくことが危険なのである。

体を動かすための神経系の調整能力などもそうであり、考える力、などという能力にも廃用萎縮があると思う。

私が行っているのは、その萎縮している機能に気づかせて活性化させているにすぎない。http://blog.sakura.ne.jp/cms/article/edit/input?id=179217012

知的な面でもこういうことがある、それはパソコンのソフトを使うことでもわかる、パソコンのソフトは使いこなすこと、その機能を十分に引き出せないことなのである。
抽象画をしてみてそれがわかる、ソフトを使いこなすのむずかしいのである。
それは絵の才能が全くないとしてもソフトを使いこなせば抽象画ができるからである。

だから認知症の予防の幼稚な運動とかバズルとか計算とかは役に立たない、むしろ料理をしづづけるとか仕事をすることが大事になるのである。
死ぬ間際まで仕事をもつことが大事になる、それが現代だと会社をやめると社会的役割まで終わりにされてしまうことが危険でありそれが認知症にもつながる
それで老後は仕事を持つ人ともたない人では大きな差がでてくる、一見遊んで暮らせるからいいと見えてもそうではない、金のない差も大きいがその人が仕事をもつかもたないかの差も大きい、それは老後はもう金になる仕事というのではなく仕事そのものをもつということである。金にならなくても芸術家のように作品の完成のために生涯精を出すということである。それは平凡な仕事でもそうなのである。

そういう仕事をもつということがやはり老後の課題なのである。
なぜなら退職してからも老後が20年とか長くなっているからである。
その仕事がどういうものになるかはその人によって違うからどんな仕事をしなさいとかは言えない、仕事は他人の仕事の価値もわからない人も多いからである。
老後は金で計れないものにも価値がでてくる場合があるからだ
ともかくWORKというとき作用しているとか機能しているとかの意味がありそれは脳を活性化しているということにもなる、それがなくなると廃用萎縮してくるらか認知症になりやすくなるのである。







タグ:認知症社会
posted by 老鶯 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

原発事故の国民負担50兆円 (なぜ国民は怒らないのか?)


原発事故の国民負担50兆円

(なぜ国民は怒らないのか?)


原発事故の国民負担(武田邦彦プログ)


原発事故で驚いたのは補償金がこれほどに出せるものなのかということだった
この辺ではだからいくら補償金をもらうかしか関心がくなった
金さえあればどこに暮らしても変わりがない、スーパーに行けばなんでもある
金さえあれば何でも買える、消費者王様だという社会である。
それで仮設に避難した小高の人は「私たち鹿島の人たちを買物して助けているのよ」と言っていた。鹿島の人が補償金が少ないの何の関心もなかったのである。
要するに別に鹿島の人に助けてもらえなくても何にも困ることなく生活できたからである
もし食料もない、何もないとなればそれをもらったりしたらそんなことはないからだ
そういう不便は全く感じないからだ、ただ土地は無料で借りていた便宜を計られたくらいである。でも別に鹿島の人に助けてもらっているなど微塵も考えないのである。
それは別に小高の人が悪いというのではなくそういう社会になっていたからである。
消費者が王様であり金がもつものが一番偉いというのが今の社会だからである。

ただ補償金というのは特別なものであり普通の生活で正当に得たものではない、それが一番露骨に現れたのは漁業権者だった、漁業権を東電に売り渡して事故前も多額の補償金をもらい事故後もさらに損害があったから補償金が増額されてゆき汚染水が海に流れたとなればまた補償金が上積みされる、原発事故の結果としてさらに補償金が増大してというのは何なのだろうとなる、ただ津浪で大被害にあったが漁港に住んで船主ではない人たちは天罰だとか言っていたのはそういう事情があったからである。
そんなふうにして得る金は何なのだろう、回りの人が許すものかとなる

補償金でかえってつぶれかかっていた商店とかはこの際借金でも払ってやめたとかある
跡継ぎもいないとかすでにもう経営ができない状態になっていた
そういう店などはかえって補償金をもらって良かったとなる
補償金はすべて悪い面だけに作用してはいない、それでかえって得したという人たちもいたのである。でもそれは避難区域になったはところであり一部である。
原発被害地域は広い、浜通りだけでもいわき市は30万として相馬市でも4万とか中通りでも被害があったしそこは人口が多いけど補償金はもらっていない、確かに事業者の補償はあったとしても一般の人はないしその補償金も打ち切られるから倒産する会社が増えるだろうと予測している

漁業権者の場合は極端にしてもそういう金でありだから回りの目が厳しくなった。
だから最近そのことに気づいたのが飯館村でも避難した人は出身を言わないという、回りから補償金もらっているだろうと言われるからである。
小高の人の場合は前はそういう遠慮もなかった、かえって自分でもそうだが文句言うなとか責めてきていたのである。そこに根深い対立が生れたのである。
その対立は地元を分断した。浪江の会社経営している人は原町の仕事仲間に仕事をまわしてくれと言ったとき、あなたは補償金もらっているんだからと断れたという。
それも一理ある、なぜなら事業者となると補償金の額が軽く億とかなるしその額が大きいからである。するとうらやましいなとなる
でも今になると浪江の人たちは県で建てた災害復興住宅に住んでいる、すると原町であれ補償金をあの人たちはたんまりもらっているだろうなとなる
だから補償金が必要でもその金によって地元でも協力できなくなったのである
ただボランティアはそんなことないから歓迎されていた、しかし地元で心が分断されたのであり地元はかえって冷たいというとき補償金のためだったのである。

ともかくそもそもこんなに補償金が出るということの驚きと廃炉事業でも除染でも原発事故の処理には武田邦彦氏が50兆円かかるというから驚きである。
その負担は国民がするのである。そもそもそんな金がかかるとしたら

50兆円もかかる、原発なんかやめろ

国民が怒るはずである。でも国民は原発避難者に対して子供のいじめとかになっているがそんなに税金を負担することに怒らないし原発をやめろとも抗議しない、それは国民的運動になってもいいはずだかそうともならない、議論すらしていないとも言っている
争いになるから議論はしないという、いくら争いになるからといっても50兆円となると国が傾くような金なのである。それになぜ国民が怒らないのかわからないとなる
人間は余りにも大きな金とか大きなことには関心がなくなるのかもしれない
隣の人の月給とか近くの人がとれだけ金をもっているとか何に使っているとかいい車をもっているとかなると異常に気にしてもそういう大きなことは無関心になる

電力会社にしても一年に5000億円くらいしか全部で利益を出していなとしたら50兆円という金はその百倍の途方もない金である、そんなものを経営として成り立たないしやらないでも別に会社でその損失を払うわけではないから原発をやめないという。
その損失は全部国民が払うからいいとなる、そしたら電力会社でも普通だったら東芝であれシャープであれ大企業でもつぶれて社員は路頭に迷う、だからこそ会社経営でも真剣になる、親方日の丸だと真剣にならないということがあり現実に東電の経営者は罰せられないからである。
もちろん武田邦彦氏も実は原発事業に参画していた責任者だったという指摘がある。
そして原発推進者だったという責任者でもあったのだから罰せられ方の側にいた人であり今になって原発反対を言うのはおかしいと言う科学者もいる
原発の御用学者の一人だという批判があるからそんなこと今になって言えるのかということもある。

とにかく補償金は必要にしてもそれが地元でいい面にすべて作用したとはいえいない、悪い面マイナスとして作用した面も大きいのである。
だから原発事故を金だけで解決することはできないものだった
ズタズタに地域が分断されて回復不可能にさえなっているからである。
その後遺症がまた大きかったのである。
復興するというとき地元の人が協力しあうということが必要であり金だけではない、協力しあう助け合う気持ちが必要になる、それが補償金問題でなくなった
すると避難した人たちも金をもらっても肩身を狭くしているからいいものでもない、どっちにしろいいものとはならなかった
第一原発の被害地域は広いけど補償金をもらったのは一部である、するとその回りのものは不満になる、そんなに補償金が払えるものではない、国がつぶれてしまうほどの額になるからだ、そこに国民の不満があっても鬱積して子供のいじめになるだけでありもう原発はやめろと国民運動にもならないのである。
何であれ人間は金にはシビアだから50兆円もの金を湯水のように使う原発に抗議しないというのも不思議だとなるのである


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2017年03月25日

避難した人が帰らないのは既成事実化したから (家を建てたり学校でも6年も他で通ったため)



避難した人が帰らないのは既成事実化したから


(家を建てたり学校でも6年も他で通ったため)


小高区と鹿島区の対立はわかるが原町区はそうではないと思っていた
ただ小学生と中学生を送迎する9人乗りのタクシーの運転手が
「小高は甘やかしているんだ」というのを聞いたとき原町でも小高の人への不満があることを知った
なぜ原町は小高について不満がないと思っていたのは原町は鹿島区からする3倍くらい補償金がもらっていると思ったからだ、ただこれは地域によっても違うからわからない。
ただ原町でも不満だというときやはり小高への不満は南相馬市全体としてそうなのであるそれは第一市長自体が小高の人に自立してやってくれと言っているからである。
それが何か表立って言えないのはマスコミでもボランティアでも常にまだ来ていて小高の人はかわいそうだとして支援しているからである。

そもそも小高の問題は30キロ圏内で避難区域にした政府の指導に問題があった。
それは放射線で科学的根拠があったからやむをえない処置ということもあった。
ただ現実の生活を破壊してしまったことが問題だった
何か放射線のこともあるがその放射線問題と現実の生活をどう折り合いをつけるかが課題になっている
いくら放射線が問題でもでは現実の生活を破壊していいのか?
それは飯館村でも他でも起きている、結局今になると町が一旦避難区域になり人が住まなくなるとどうなったのか?6年も人が住まないともう回復できなくなった

第一6年も避難した人たちは外で生活していたというとき学校でも小学一年だったものが六年になっていたのである。すると外での生活になじむ、親でも外で生活することを考える、それで補償金をもらったから家建てたりしたらもう故郷には帰らないのである。
家を建ててそこで仕事をもったりして生活がそこでできていたらもう帰らないのである。農業している人に聞いたら3年農作業しないと体がなまってできなくなるという。
となると毎日パチンコとかギャンブルしていた人たちは農業をしない、補償金をもらうことだけを考えるようになったのである。

だから避難区域に指定して6年もすぎたとき回復できなくさせた、それは国の指導で成されたものだけどそれも大きな問題だった。
避難区域にしてもせいぜい3年くらいだった良かったともいえる
もう6年とかなると回復不可能になっていたのである。
避難した人たちにしてももう外での生活が既成事実になっていたのである。
一旦そうして既成事実化するともうそれを簡単には変えられない
現実問題として家を建てたりしたら帰ることはないのである。
そのことが予想していなかった、避難区域にしたときそこまで予想しなかったのかもしれない、回復できると思っていたのかもしれない。そこに誤算があったともなる

飯館村でも補償金で村を出る組と残る組が分断されたというときもうすでに外で生活する、家を建てて生活している既成事実がある、そうなるともう簡単に帰ることはできない
帰ることは不可能になっている、いくら帰れといっても村長の孫が飯館村の学校に通わないというのはそのためである。
帰るとか帰らないとか分断されたときすでに帰らない人は帰らないのであり分断されたのである。その人たちに帰れというのは無理になっていた
結果的に残されたのは老人だけだったとなる
帰った人の8割くらいは老人なのである。町自体が村がうば捨て山のようにもなる
でもそのためには市町村でも負担が強いられる

南相馬市では復興団地が作られて主に浪江の人たちが入るようになった
5階建ての団地が5つくらいできたのには驚いた
その主に浪江の人たちを南相馬市でかかえることになった
それはいわき市に二万人とか移住して家を建てた大熊とか双葉とかが問題になった
原発の問題はこうして広範囲に影響するものだったのである。
そういうことは全然協議もなにもされていなかった
現実に原発を建てた土地の所有者と県の許可で決められていたのである。
その出発点からして現在の問題が起きる要因を作っていたのである。

ともかく帰れとか言う時、既成事実化しているからそれを言っても無駄だとなる
逆に今度は今の生活を破壊するのかと避難した人たちには言われる
6年の間に回復できない、規制事実化したのである。
例えば石が置かれているとしてその石を他に移すと労力がかかる
でも一旦移すとまた石は重いから他に移すことはできなくなる
既成事実化するということはそういうことだった
だから避難区域にして避難させたことが町を破壊したとなる
回復しようにも既成事実化しているから回復できなくなってしまった。

だから出て行った人をもどすことはできない、するとどうしたらいいのか?
外部から住む人を呼び込むのか?
ともかくすでに規制事実化しているのだからそれを前提にして議論しないと解決方法はない、第一小学校でも中学校でもタクシーで通わせるにも市の負担になる
実際は小高に住んで通わせるのがいいのである。でも小高には住まないのである。
それは飯館村でも起きている、立派な学校を建てても村外から通わせるというのは何なのだろうとなる、そんなら外の学校に通った方がいいともなる
何かそうした矛盾があり苦しむ、単純に帰ればいいと思ったが既成事実化していることが重いものとして今になると影響したのである。




タグ:原発避難者
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2017年03月24日

春の息吹 Spring breath


春の息吹

  • Spring breath



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crystallized mountain

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春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)


春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)

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蝋梅や塀静かに猫歩む


この町に住みしと遠く去りにけり我が見送りて春の日さしぬ


駅であったのはカナダのトロントから母をたずねて来たというのも意外だった、昨日は鹿島区の住宅に住んでいたと、中学と高校のとき住んでいたという女性が来た
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからどういうことなのか?
母が住んでいると沖縄から来た若者もいた、何かキャンプでする格好をしていたから沖縄で自由に暮らしている若者かもしれない、沖縄にはそういう人が結構いるからである

仙台から来る人が一番多いが他にもいろな地域から来ている、これは別に原発事故で避難したためではない、それとは関係ない人たちなのである。
現代社会は前にも書いてきたが広域化グローバル化社会である。
その影響をどんな小さな田舎町でも受けざるをえないのである。

なぜ原発事故が起きて避難区域に人がもどらないというときこういうふうに広域化グローバル化した社会が影響している
どこにでも住んでいい、昔のように故郷とかにこだわりそこに縛られる社会ではない
そういう社会のいい面もあるが悪い面もある、結局地域の結束力がなくなり金さえあればどこに住んでいようがかまわないとなる、だから補償金一億円でももらって外に暮らした方がいいともなる
広域化社会とかグローバル化した社会は金の力は大きくなる。
田舎でも同じなのである。
大東建託がまだアパートを建てている、もう10以上建てている、それだけの需要があるのだろう。

家でも新しく建った家はみんな外から来た建築会社であり地元ではない、これも広域化社会なのである。自分のユニットバスをつくってもらったのは仙台の会社だった
それで地元の人が怒っていた、仕事をまわせと怒っていた
でも地元だと二倍になっていた。仙台からこうした会社が仕事を求めてくることはそれだけ地元でも競争にさらされているのである。

地元の会社でも地元の人が経営しているのではない、東北サッシが神奈川に社長がいてそこが本工場なのである。たいがい地方の会社や工場はそうなっている
それも広域化社会だからそうなっている、すると地元の材料で家を建て地元の食料でまかなっていた時代とはあまりにも違うのである。
そのことは地元にこだわらない、どこに住んでも金さえあればいいとなってしまう

ただ故郷というときいくら広域化してもグローバル化してもこだわるものがある
アイディンティティを求めるものがある、それは先祖の地だとか代々受け継がれてきたものがありそこにアイディンティティを見いだしてゆく
祭りなどがそうである。何か他にも家があるというときそこには単なる人が住む箱ではない、思い出がつまっている場である。

だからおそらく中学と高校時代にここに住んでいたというときなつかしいとなり訪れる
それがここに育った人なら先祖代々の家なら余計にそうなる
ともかくここに住んでいたとか言う人も結構来る、それだけ人は今や分散化して広域社会に住むようになったのである。

2017年03月22日

駅の活性化を考える (付加価値とコラボーレーションの時代)


駅の活性化を考える


(付加価値とコラボーレーションの時代)

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チューリヒ中央駅

欧米では改札口もないからホームまでもが街の雰囲気に渾然一体と
なっている。
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余暇的付加価値:

小規模な住宅地に接するように立地することで、非日常的な空間をもたらし、
「休憩」「おしゃべり」という余暇活動を促す。

 集客的付加価値:

国道との距離が近いことで、
道の駅のような役割を担い、「草花見学・育成」「駅
舎見学」という集客性の高い活動を促す。

 行楽的付加価値

駅舎とホームが直結することで、ホームへの出入りが容易になり、
ホームまで「駅舎見学」「飲食」という行楽地的活動を促す



社会は同じようなことを考えている人が必ずいる、インターネットではそれがわかるので共通項が即座にキーワードで出てくるのでそこから議論を深めることができる

駅の用途というとき普通は電車をのりおりする場としか考えない、人がそこで出会って分かれるという場でもある
だから別に電車を利用しない人でも駅前には仕事でも待ち合わせとか多様な人が訪れる
道の駅にもそういう機能があるが駅にもそういう機能があり道の駅のない町でも駅が一番目立つしわかりやすいから駅に行く
自転車旅行でも知らない町に行ったとき駅に行くのが便利である。
そこで情報を仕入れるのである
駅は街全体の中で機能する役立つ場としてある。

だから電車を利用しなくても駅前にもっと店やその他施設があれば集まる
それで南相馬市では駅前に図書館を作ったがあれは外から来た人は利用しない
まず自分も調べ物するとき旅行で立ち寄ったがとても時間も余裕もないのでできない
外から来た人はそうした時間の余裕がないのである。
図書館は相当に暇な人でないと利用できない、いちいち本を調べるのがめんどうなのである。
インターネットだとこのようにキーワードでそれなりのものが出てくる
これを図書館で調べるとなるともうできないのである。
だから図書館にはここ10年もほとんど行っていないのである。
家事でも時間がとられるからそうなった。原町で遠いためにもそうなる

駅では意外と多様な人々が来て分かれる場であることがわかった
高校生とかばかりが目だつけどそうではない、遠くから来る人が意外といる
今日あった人は千倉の住宅に中学と高校の時住んでいた人である。
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからそれも遠いと思った。
結構昔とか前にここに住んでいて来る人がいる

やはり一番多いのは仙台から来る人である。この前も墓参りに来たとかある。
この辺の墓地は仙台から来る人が多い、それだけ仙台との交流がこの辺は深いのである。車で来る人も嫁の実家がここだとかありそういう縁の人が来る
墓地を見ると意外と今は外から来る人が多い、仙台のナンバーは良くみかけるからだ。
仙台に移り住んで墓参りだけに来るといひ人もいるだろう。
現代は移動しやすい時代だから何代も墓がつづくということがむずかしくなり
墓が捨てられるというのもそうしてみんな広い地域に住むようになったからである。

「草花見学・育成」「駅舎見学」という集客性の高い活動を促す

要するに駅を公園とか花壇とか何か街の中で憩いの場所として活用する
電車が来る鉄道のみに利用を限定するのではなく街の中での駅舎の活用を考える
一つのものに限定して利用するというより街という中に鉄道の駅もあり活用される
そこは待ち合わせの場だったり人と人が出会う場であったり憩う場所だったりする公園とか広場の機能をもたせる
公園はあってもそこは地元の人しか利用しないし子供が少ないから子供もあまり利用していないのが淋しい

鹿島駅前には春の日がさしてクロッカスが咲いていた、そこは花壇になり憩いの場となるただ八重桜の木は切られたのでその影に休み電車を待つことはなくなった
駅は公園とか広場とかの機能がありそこに花壇があれば四季の花が楽しむ場ともなる
そして外からの人が来ても第一印象としていいものになる
原ノ町駅は大きくても前に広場もないし憩う空間がないのである。


なぜ自分が駅に行くようになったのかというと駅はすぐ近くであり一人になってからそこで人と交われるということを発見したからである。
ちょうど無人駅となっていたのでそれで何かしらの役に立つから行くようになった。
そしてホームに出入り自由だから見送りしているのである。
待合室で待っている人は誰かと話したい、今日あった人もそうである。
知り合いもいなくなっているとか言っていた。
そこに人がいて少しでも人と話したりすると駅でも活きた場所となる
何か今はそういう場所が少ない、コンビニでもスーパーでも買物する場であっても人と人が出会う場でもない、買物をすることで時間がとられる

欧米では改札口もないからホームまでもが街の雰囲気に渾然一体となっている

確かに欧米では駅のホームへ出入り自由なのである。無人駅で駅員がいないから出入り自由になり自分は見送りしている、ホームに出入り自由になるとそうでないのとではかなり違ったものになる、ホームに出入り自由になるとそれは広場とか街と直結して出入り自由な空間となるのである。もし駅員がいて切符をみるとかするとホームには出入り自由になれないのである。そこに無人駅となり自由に人が行き来する空間が生れたとなるのも不思議である。
うらやましいのは自転車も自由にホームへ出入りできてそのまま電車にのせられるようになっている
自転車専用の車両があるからだ、だから街とホームとは道として直結しているのだ
日本のように輪行するとかなるとめんどうなのである。自転車をこのように利用できれば電車の利用も増えるはずである。

「駅舎見学」というときヨーロッパの駅は立派なのが多い、アーチ型のローマ風の威風堂々したもの大きな教会のような神殿のようなものがあるから駅舎が見学の対象にもなるしまたヨーロッパでは建物が人間に威厳を与える、それはアテネィの学堂というラファエロの絵にも現れている、そういう駅におりると何か人間にも威厳あるものに見える
ヨーロッパの文明は建築と不可分にあり建築が威厳を与えている文明である。
だから駅もそうした建築として威厳あるものとして作られたともなる

そして駅だと待つ時間がある、それが見ていると30分くらいある人が多い、それは外から来た人なのである。待ち合わせの時間がローカル線で生れる
都会の路線だと新幹線とかなるとそうした待ち合わせの時間はもてないのである。
その待ち合わせの時間があることでそれが人間な時間が生れるのである
ただそこで待っているだけではつまらないから多少でも話したりするといいとなる

新地駅とか山下駅は駅前が広く駐車場になり山下駅はスーパーができたので駅に人が集まるようになった。
新地駅でもまだ施設ができていないが温泉が出たとかで施設が作られると人が電車を利用しなくても駅前に人が集まる、鉄道だけの駅ではない、町全体の中に駅が活用するものとして新しく作られたのである。
海が見えるようになり見晴らしが良くなったことでもそこが外から来る人にとってもいい場所になった。
いづれにしろ駅を鉄道だけの駅として利用するだけになるとやはり現代の生活には合わなくなり廃れてゆく、市や町全体の中に駅も活用されるようにする
それはこの辺でも小高でも浪江でもそういう街作りを志向する、ヒントになる
駅が活性化する場として蘇るとういことがある。
ただ鉄道だけを利用するということになると廃れるのである。

現代は食事するにもただ腹をみたすだけでいいとはならない、その空間を楽しむとか何か付加価値が要求されている、ただうまいもの食べるというだけでは今の生活にはあわないだからいい景色があり内装もきれいだとかなると食べるものもおいしいとなる
要するに一つだけの価値ではない、付加価値が要求されて何かとのコラボーレーションが要求されるのが現代だとなる

posted by 老鶯 at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

春の日の短歌


春の日の短歌

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新しき視界開けぬ春の山

new sight open in the distance

I look around mountains in spring


やすっぽし壺の壊れて悔やまぬも価値ある壺の壊れて惜しも

白菊に朝の日さして金盞花添えて咲くかな我が部屋に見ゆ

こころよく仕える人のあれにかしその女なしも我は哀しき

蝋梅に朝の日さしてなおも咲く母なき後の部屋にいるかな

電車の音のひびくを家に聞く仙台に通ず春の朝かな

駅前に黄のクロッカス咲きにけりその明るさや客を待つかな



壺でも価値のある壺が壊れたら惜しいと思う、でも安っぽい壺なら惜しいとは思わない、ただ壊れたかとかなるだけである。やはり人間も価値が違っている、
ただ人間の価値はわからない、ロックフェラーが死んだけど巨万の富を残したけどその人がどれだけ価値があるかもわからない、どれだけ人類に貢献したかとなるとわからない、むしろロックフェラーは悪の権化のように影の支配者のように常に陰謀論で言われているからである。
本当にロックフェラーが価値ある人物だったかどうかわからないのである。
とすると金だけで人間の価値も計れないとなる、なぜならそれだけの巨万の富を残したのだからそうなる、金で計れば一番価値あるとなるからだ。

金盞花と万寿菊は同じものだった、この色は明るい、確かに金色に輝いている
人間でもまずこころよく仕える人はほとんどいない、いやいやながら仕えている、働いている、金のためにしかたがないんだよなとなる、でも家族だったらそういうことはない
結局家族がみんないなくなってその悲哀を介護から十年間自分が苦しみ悲しんだ
家族がいないことがどれだけ悲惨なことになるか今になって身をもって経験したのであるそれも自分のカルマだった、なんらか起きることはカルマなのである。
複雑ではあるが蝋梅はまだ咲いている、3カ月咲いている、こんなに長く咲く花はない
だから長寿の花としてふさわしい、そして人間は死んでも何かその後がある
家というのは嫁いだ娘のことをその部屋に親が偲んでいるとか何か家にはそうした思い出が残る、人間の家は単なる箱ではない、何か精神的なものが付与されている
だから原発事故でも津浪で避難した人はその家がなくなることが悲しいとなる
家に帰りたいというとき家は単なる物ではない、箱ではないからそうなる

電車が仙台まで開通して不思議だと思ったのはその電車の行く音が家までひびいてくる
それは仙台まで通じている音なのである。
今までは相馬市と原町間の短い区間であったが今度は仙台からさらに遠くへと通じている音である。それが春にふさわしい
この辺では仙台に行く人も来る人も多い、この前は岩切から来ていた。
駅で送り迎えしているのが自分である。駅は今まで感じなかったがそうして人が交わる場所だったのである。バス停にはそういうことはない、何か駅は単に人を運ぶというだけではない、駅に駅前に広場の役目があるとか何か人と人が交わる場所としての機能があっただから駅というの交通の手段としてみるだけではない、そうした別な視点からも見ることが見直すことが必要である。
交通の手段だけだとすると車にはかなわないからである。鉄道とか駅とかには他の役割が機能があるべきでありそうすれば駅も鉄道も活性化するともなる


2017年03月21日

巨大会社が国家化して原発事故を起こした (巨大企業に自治体も統治されつぶされるもする)


巨大会社が国家化して原発事故を起こした


(巨大企業に自治体も統治されつぶされるもする)


「国家ではなく企業が世界を統治する」

イギリス東インド会社によるインド統治や東清鉄道、南満州鉄道の鉄道附属地が有名な例だが、イギリス東インド会社以外の植民企業や新しい島を企業が開発した場合など、ほかにもいくつかの例がある。

ある地域を企業が地方自治体に近いかたちで統治することは、現在の日本でも不可能ではない。ある地域をある企業が買い取って、その地域に大規模な集合住宅とともに上下水道や学校、警備、インフラ整備のようなサービスを提供し、同時に契約により毎月の管理費や契約違反時の違約金のようなものを定めればよい

企業には解散ということがありうると考えられているのに対して、国家の解散というのは通常考えられていない

この辺では様々なことが問題になった。とてもそれに答えを出すことはできない、
ここで問題にしているのは

国家と企業

国家と地方自治体

自治体と企業(会社)

これが問題になる、これも大きなテーマであり簡単に答えは出せない、このサイトで注目したのは

企業には解散ということがありうると考えられているのに対して、国家の解散というのは通常考えられていない

これはこの辺のことを考えると市町村とか故郷を解散すること消滅することはありえない市町村とか故郷とかは永続するものとしてある、それが解散とか消滅の危機に瀕している現代は会社社会であり企業社会である、俺は南相馬市の市民だとか浪江町の町民だとか普通生活していたらあまり意識しないし意識しないでも生活できた
ただ原発事故以後はそれぞれの市町村が補償金などをめぐり過剰に意識されたのである。そして避難区域になった町村は消滅の危機に瀕している
それは津浪の被害地でも人口流出でそういうことがある。

そもそも日本人の生活単位が村にあったときそれは自給自足で生きていたからそうなったそこに今のような大きな会社はないからみんな村に属していて村という小さな単位を世界として生きていた。だから会社を社(やしろ)に会するとなり村の延長のように訳したのである。江戸時代には会社はない、でも・・・・屋とか屋号がありそれが会社とにていた
あとは職人でも個人で仕事をもらいしていたのである。

明治以降は会社の存在が大きくなった。会社が国家を左右するまでになって巨大化したのである。だから昨日のトヨタの紡績会社から自動車を作ること戦前からはじめていた
そしてそれが国家ともかかわっていた、トヨタはそれだけ大きくなって経営が苦しくなったときその影響が失業者であふれるとか国家自体もトヨタがつぶれると傾くとまでなり国営会社になった、国家で管理することになった、日銀もかかわり金を出して支えたのである。

このテレビドラマではしきりにトヨタの社長が国を発展させる、国を豊かにするということで国家意識をもっていた、国のために働くのだという意識をもって会社を運営していたそして人員整理をしないということに固執していたのは会社が家族のようなものだからできないとしていたのである。
会社も巨大化すると国家と同じなようなものになる、巨大なるが故につぶすと国家も危うくなるからである。銀行でも日銀の命令で融資させていたのである。
国家と銀行も結びついて資金を調達するのである。

このことを原発事故からみると東電がトヨタにあたる、東電が国家なのか国家が東電なのか区別がつかない、なぜならやはり事故後の20兆円の廃炉資金は国の税金から出るからそうなる、東電の原子力事業は国家もになっていた。
東電も巨大企業だから国家ではつぶすことができないから税金を注入する。
そして自治体とはこの国家と一体化した東電の前に小さいものであり従うほかないものとしてもあった。

ある地域を企業が地方自治体に近いかたちで統治することは、現在の日本でも不可能ではない。ある地域をある企業が買い取って、

東電に明らかに富岡町とか大熊町とか双葉町はかいとられていたのである。それ故に自治体は財政的には豊かになっていたのである。
昔の村のような農業中心の社会でもないし出稼ぎをなくすためにとか貧乏を脱するために原発が作られたからである。
その時自治体は東電に支配される結果になっていたのである。
だから東電が原発事故を起こしたときそれと同時に自治体も崩壊した、消滅の危機にひんするようになったのである。

要するに昔のようにこの辺でも故郷という意識は希薄化している、そもそも故郷は何かなどというと別に意識していないのである。
むしろ今は田舎でも会社員がほとんどだというとき会社を意識するが故郷とか自治体を意識しない、それで浪江町の人が会社が二本松に移りその人も移住したとなる
故郷とか自治体に属しているより会社に属しているからそうなる

ただ自治体とはなになのか?そういうことが意識させられた
自治体とはトータルなものとして機能するものである。
だからこういう自治体の危機になったとき病院を維持するには福祉を維持するには教育を維持するにはとか深刻な問題になったのである。
つまり現実にそうしたものも崩壊してゆく危機にさらされたのである。
でもそもそも故郷とか自治体は会社のように簡単に解散できるものなのか?
それが根本的に故郷とか自治体は会社とは違ったものである。

確かに車でも電気でも現代ではなくては困るもの欠かせないものである。
でも車でも電気でもない時代がありそれでも村とかは存在していたのである。
村とかの寿命は千年とかある場合もある、会社のように解散できないものとして継続されてきた
だから山に先祖が眠り守ってくれるとかという意識が生れた、先祖が守るというときそこに代々継続された時間軸としての故郷が形成されてきた。自然と一体化したアイディンティティが形成されてきた。
会社はそんなに継続されない、トヨタの車だった売れなくなり会社もつぶれるかもしれない、でも自治体はそんな簡単に解散したり消滅したりできないものとしてあった

だから故郷でも自治体体でも消滅するということは人間としてのアイディンティティを奪われることでありそれは経済的ものだけでなく人間として生きる場継続する場の消滅だとすると深刻なものになる
それは国家が消失するともにているかもしれないのだ。
だから国家とは何かとなるときも巨大会社と一体化してそれが国家だとなるとき同じなのである。国家は巨大会社の一部門なのかとなってしまう。
国家とは何かと考えるときもむずかしいが何か根本的な問題としてそういうことが原発事故で問われたのである。

posted by 老鶯 at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年03月20日

春の日にパークゴルフ場から向かいの山に上る (山から海が広々と見えるようになった)


春の日にパークゴルフ場から向かいの山に上る

(山から海が広々と見えるようになった)

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パノラマ パークゴルフ場の向かい側の山から見る-クリック拡大

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春の山沖に船行く望む丘

船二艘望む丘かな春の海


川子のパークゴルフ場に行った、そこで話を聞いた。

「パークゴルフは簡単にできるもんですか」
「なかなかそうでもないです、ゴルフやっている人も苦労したと聞きましたから」
「この回りを自転車で走れるコースにするのもいいのでは、自転車が好きなもので」
「いや、パークゴルフの玉は重いから危険です」
「あの玉は重いんですか」
「転がってくると危ないです」
「そういうもんなのか、簡単にはできない」
「上達するには訓練もありますしみんなが上手にはなれない」
「そういうもんですか、なんか甘くみていたな」

前の人はパークゴルフは簡単にできると言っていた、では簡単にできるのかと思った、今日聞いた案内の人はかなりむずかしいと言っていた。
前の人はパークゴルフのことを知らなかったのである。
ともかく何であれ遊びだって知らないということは経験していないことは簡単に考えてしまうのである。あの玉が転がってきて危険だとは思わなかった、確かに重そうに見えた

自転車走るのは無理なようだ、向かい側の森を切った所の上り道を電動のマウテンバイクで上ったら山から海から視界が気持ちよく開けた。
この辺は何か森を切ったりして土をとる場所が多いのである。あそこもそうなのかもしれない。ただ道ができていて上に上れるようになっていた
あそこは何かマウテンバイクのコースにはいいなと思った。

山も見えるし海も見える、海には二艘の船が行くのが見えた、あそこを整備すれば気持ちいい場所になる。見晴らしがいいからだ

その後は右田の方にでて帰ってきた、途中津浪で流された右田の墓地に墓参りする女性がいた
何か津浪で変なのは海老でもここでも烏崎で墓地が残り家がなくなっていることなのだ
墓は立派なのが多いのである。
だから常にこの逆だと良かったのになと思う
墓地が残って肝心の住む家がみんななくなってしまったからである。
墓地がなくなっても家があればまた墓は作れるからである。
家がなくなり墓参りする場になったというのも奇妙な感じになる
その人は家を町内に建てたという、仮設でも原発避難者と小高の人をうらやましがっていたかもしれない、津浪の被害者には補償金は出なかったからである。
その女性は家を建てることができたのだから余裕がある人だったのかもしれない。
海老の人はローンで苦しいと言っていた。

ともかくあそこの土地はどうするのかやはりソーラーパネル場になるのか?
田んぼにするとは言っていた、何かにしないと金も入らないしただ荒地になっているだけである。だからどうしても何か金になることに使うようになる
それがみんないいとは限らない、ソーラーパネルがどうしても一番作りやすいのである。
地元のことでも良くわからないことがある、パークゴルフでも経験していない人はわからないのである。また土地の利用をどうするかなども関心をもつ
それは毎日行き来しているからそうなる、何かこの辺は突然にソーラーパネル場になるのが多いのである、これは全国的にそうである。
ソーラーパネルは意外と簡単に設置できるかばしれない、そんなに大工事にはならない
何かそうして安易に作れるからこんなに増えたのかもしれない、業者も増えたのである。それがかえって景観の破壊に通じていたということがある

霧が勝敗を決した関が原の戦い (原発では先が見えていたのに備えなかった)



霧が勝敗を決した関が原の戦い


(原発では先が見えていたのに備えなかった)


風雲!関ヶ原の戦い!C激突開始

このサイトはわかりやすい小説になっている



誰か勝敗をにぎる
神の関与して歴史は動く
関が原深く霧のおおいぬ
家康の東軍霧の中を進む
小早川秀明の裏切り
三成は敗れぬ
霧深く先は見えぬ
誰が勝敗を握るのか
神のみぞ知る
天の時、地の利、人の和
天候に地の利に人の和
裏切りにより人の和は敗れ
天候に左右され敗れぬ
誰が先を見るのか
霧に深くおおわれ
時ならぬ異変
先は見えずに敗退す
誰も先は見えぬ
勝敗をにぎるものは何か
その采配は誰がするのか
神にしありや知らず
人知を越えるものがかかわる
先が見えぬに故に無謀の暴挙
無惨に屍の虚しく積まれぬ

天の時、地の利、人の和というときこれは必ず影響している、関が原は東西を分かれる地の利の場所であった。
あそこを新幹線でも通ると雪が残っているから寒い感じになる、でも関が原をぬけて近江に出ると景色も変わる、実際にあそこは地理的にもそういう場所である。
だから古代にも東西の戦いがあり雌雄を決したのである。

テレビで見たのでも霧が勝敗を決したというとき勝ち負けはどっちに転ぶかわからなかった。三成の西軍が優勢だったからである。霧がそのとき深くおおい東軍が有利になった
これは信長の桶狭間でもそうである。天候の影響が勝負を決める
要するに霧がかかり先が見えないというときまさに歴史でも人生でも同じなのである。
先を見ることができないのである。

もし先を見ることができたらそれは超能力者であり最高の権威をもつことができる、だから卑弥呼の権威は日食を予言したことから起きていたという説もあるしマヤ文明でも天文学を究めたのは先を見るためである
宇宙を知り天候を知り先を知るためにテクノクラートが支配した
常に文明にそういうことがある、つまり未来を将来を知ることが生死を決するからである
ただ歴史でも個々の人生でも先を見ることができない、深く霧がおおい先が見えない
もし先が見えたら日本でもアメリカと無謀な戦争などしない、その時日本はアメリカに勝つと確信して戦争したのである。負けるとしたらしない、先が見えないことは無謀なことができるとなる

いかに先を見ることが大事かというとそれが生死にかかわり国の運命にもかかわり個々の運命でもそうである。
運命を左右するから先を見ることが大事なのである。
津浪のことだってもしその先を見ることができたら防ぐことができたからそれを警告して実行させたら救世主にもなった。
ただ津浪の予測もできないことはなかった、それは実際は予測できたことだったのである相馬藩では記録がないにしても伊達藩ではあり海が近いのだから危機感をもってもよかったが危機感をもたなかった
人間は危機感をもたない、平和がつづくと危機感がなくなりそれが危険なものになってゆく、何か戦後は平和がつづき永遠に平和つづく感じになる
アメリカが日本を守ってくれるという安易な気持ちになっている
でもその危機感のなさがまた危険なことになり戦争にもなるかもれない

今は予測となると科学である、だから科学だと実際に相馬市でも奥の方に津浪が来ていたことはボーリング調査で震災の7年前に証明されていた、海の砂が発見されていたからだ
ただそれが400年前の慶長津浪かどうかはわからない、貞観津浪のものだったらしい。
それから現実に東電では科学者の集まりだから10メートル以上の津浪が来ると予測していた、このことはやはり科学の時代だということを如実に示していたのある。

30年以内に10メートル以上の津浪が来る!

このことをみんな知識として知れば津浪に警戒して多くの命が助かったかもしれない
津浪に対してほとんど無警戒だったからである。
これを大々的に報道していればこの辺でも自覚して助かった人がいたかもしれない
そうなると東電でも科学者は今でもそうだが神様のようになっていて権威を高めることができたのである
先を見ることが歴史でも個々人でも何でも大事なのである。それは命にかかわってくるからである。

会社でも経営でも先を見ることができないから失敗する、東芝のうよな大会社でも原子力に頼り未来を託した結果、巨大な企業が傾いむいてゆく、先を見る力がいかに大事かこれでもわかる、でもその時は原子力は未来だったのである。
フクシマの事故が起こりもう原子力発電は世界でも見捨てられるようになった
先を見ることが誤った結果としてそれが膨大な命を失いまた社員でも路頭に迷わせることになる

歴史でも会社でも個々人でも先が見えないのである。自分でもさんざんな目にあったとこを書いてきたけどそれは予測されていたし自分も不安だった
こんな恵まれた生活がつづくと思えなかった、それが現実化したのである。
まず結婚していないとか人が増えているけど家族がいないとかなると悲惨な結果が待っている、病気になったり親の介護になったりしたら自分と同じ運命になる
金もないとした自分より悲惨なものとなる
自分は親が心配して保険とかもかけていたし金も残していた。
それもないとすると目もあてられないものとなる、それは実際は目に見えてそうなることはわかるものだったのである。
そういうことを若くても見ている人はいるし賢いとなる、自分はのんびりしすぎていたのである。

もちろん明日のことを心配してもどうにもならないということはある。でも先を見て備えることも本当に大事である。それが生死にかかわってくるからである。
もちろん株でも何でも先を見ることは至難である。何が起きてくるか予測がつかない
でもその予測できないことが致命的になる
東電はその先を予測していたけど備えなかったのである。
そういうことは個々人でもある、個々人だとかえって見えやすいことがある
ただそういう危機感があっても本気にならないからいざそういう危機に瀕したときどうにもならなくなっているのだ。

事業に失敗した人も先を見ていない、そこで本当に無謀な経営だった、自分はかかわならいにしてもなぜそんな無謀なことをしたのかと今ではなる
もちろんそんなに先を気にしていたらなにもできないということは言える
でもあまりにも人は先を見ないで無謀に事を起こしすぎるのである。
原発などはよほど慎重にしないとどれだけ危険なものか科学者はわかっていてもそれに備えなかったのである。
結果的にはもう取り返しのつかない大惨事になったのである。



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2017年03月19日

職がないと長崎から来て東京で強盗 (地方の経済の苦境)


職がないと長崎から来て東京で強盗


(地方の経済の苦境)


前田好範容疑者(27)ら2人は午前1時ごろ、 
西武新宿駅近くで、会社員の男性(38)に「困っているから1万円くれ」と言って胸ぐらをつかみ、 
現金およそ1万4,000円が入ったポーチを強奪して逃走し、手配中の警察官に現行犯逮捕された。

前田容疑者は、職を求め、長崎県から上京したばかりだったという。 

ttp://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00352872.html


地方はもう年金と生保がベーシックインカムになってるんだよ 
受給者を固めて住まわせて、その地域にショッピングモールを作って街を極限まで小型化しその中で細々とカネを回す 
もちろん公務員は一等地に住んでデパートに買い物に行くから「山の手とスラム」みたいな二極化 


長崎は人口流出が凄いんだよ 
ただでさえ立地は西の果てだし、平地は少ないし 
仕事も長時間労働&低賃金ばかりだし 
若者はどんどん出て行ってる 
唯一の東証一部上場企業の十八銀行は福岡FG傘下になる予定で遂に 
全国初の0社に 
三菱重工業長崎造船所もこの所あんな状態で元気出ないよ

東京・西武新宿駅近くで、男性から現金を強奪した男らが現行犯逮捕された。


このニュースに注目したのは長崎から来た人に鹿島駅であったからだ。別にこの辺は全国から来るからめずらしくない、その人は原発関係で働きに来た
長崎には職がないとして働きにきた、ただ長崎はなにかここからだと遠く感じる
弘前の人も職がないと来ていたがまだ青森だとここから近い感じになる
長崎はなにかここからだと日本の果てのように感じた

何か日本の経済は東京中心になりすぎた、例えば地方に工場があっても東北サッシでも初任給が基本的に13万とか安い感じがする、それが田舎の平均だといえばそうになる
でも今の時代に13万だと田舎でも苦しいとなる、要するにパートなみの給料なのかとなる自宅から通いばそれでも家賃を払わないからやっていけるとなるのか?

田舎は東京から富を収奪されているというとき東北サッシの社長が神奈川の人であり本社が神奈川でも東京にある感じになる
たいがい本社は東京にある、すると地方は安い賃金で働かされて豊かになれない
それはグローバル化経済で貧乏な国低賃金で働いているのとにている
この前駅に来た人も友伸電気であり東京から来ていた、このように東京に本社があり地方に幹部の人が来る、すると地方では安い賃金で働くのであり給料も安いとなる
東京に富が集中するのを批判するのもわかる、社会システムがそうなっいるためである。東京はやはり日本の頭脳となっているから東京に富が集まるのである。
地方は低賃金で働かせられるのである。

東京電力だってフクシマに原発を作ったというときそういうシステムになっている社会だからフクシマに原発を建てた、地方の工場と同じである。
ただ原発は東京に建てられないからフクシマに建てた
でも原発だけはこの辺の経済を豊かにしていたのである。
ともかく原発は危険だから給料が高いからである。日当が二万くらいになっていたかもしれない、すると東北サッシで働くより相当高いとなる

結局でもそうした東京中心の経済が日本全体からすると社会の歪みをもたらしている
それで原発事故が起きたりする
東北電力は地元だから同じ原発を建てるにしても津浪に警戒していたのである。
実際にそれだけの対策をしていたから助かったとなる
これは別に今だけではない、そもそも双葉とか大熊辺りはこの辺でも工場がないとか出稼ぎ地帯になっていた、出稼ぎしなくて地元で働けるようにと原発が誘致された。
そういう東京中心の経済がやはり原発事故とかの原因ともなっていた。日本全体のバランスのよい社会が作られていないことがこうした問題起す根があった。

いづれにしろ今は給料が安いし賃金も上がらない、何か若者が消費しないというときそれだけの金がもらえないということがある。
高度成長時代は消費欲があった、マイホームがほしい、車がほしい、電化製品がほしいと消費欲があり景気が良かった、今は買うものがないとうより買えないということがある。そして金をもっているのは高度成長時代に資本蓄積した、貯金していた老人だとなる
その時は貯金していると倍になったからである。
保険でもかけていると倍になっていたのである。金利はその高い時のものが継続されていたからである。
とすると金利の影響が意外と大きいとなる、ローンでも金利が安いとき買えば20年とか計算するとかなり得になる、金利が高ければそれだけまた長い間払うから損になる

地方はもう年金と生保がベーシックインカムになってるんだよ 
受給者を固めて住まわせて、その地域にショッピングモールを作って街を極限まで小型化しその中で細々とカネを回す

自分が病気になり介護になりどれだけひどい目にあったか書いてきた
それを冷静に考えるとそれだけ地方では経済的に困窮している人が増えたしこれからも増えてくる、だからこの辺では原発避難民でも補償金でもめるのはやはりもらえない人が多かったし経済的に苦しい人が多いからうらやむとなる
自分は別にうらやんだのではない、金の不満より避難民がパチンコなどで毎日遊んでいることに不満だったのである。
なぜならその時自分は病気で苦しみ介護で苦しんでいたからである。

だからなにやかにやといっても原発避難民は金をもらえるだけもらうということをとめることはできない、いくら他者が言ってももらうものともらうとなる
裁判を起こしてももらうとなる、ただだんだん復興景気も一段落して復興バブルとか補償金バブルもなくなるとこの辺の経済は相当に厳しくなる
すでにそういう兆候が現れている、もともと経済的に地方は厳しかったからだ

地方はもう年金と生保がベーシックインカムになってるんだよ

この指摘は面白い、現実に自分がしていることはこのことである。田舎では仕事がなくなれば金をまわさざるをえなくなる、大金持ちはまず田舎には住めない
そして老人が多いのだから年金頼りであり生活保護者も増えてくる、そういうぎりぎりの線の人が多いからである。まず国民年金でも8万もらってもまともに暮らせない
8万もらっていない人もいるからだ。
この辺は復興バブル、補償金バブルが終わるとさらに経済的に厳しい状態になってゆく
すると多少でも金ある人にたかるとか強奪するとかまでなってくる
そのことを身をもって経験しているしそれは継続しているからだ。
この辺で人口流出した結果、街を極限まで小型化しその中で細々とカネを回すも現実化している問題である。
人手不足というときそれはスキルのある人手不足と低賃金の人手不足である。
低賃金だと職にありついても暮らしは改善されないのである。、スキルある賃金の高い職にはそもそもつける人は限られている
スキルというとき東京にはそういう仕事があり日本の頭脳になっているから富が集中するのである

ともかくインターネットだと地方の生々しいことが話題になるときテレビとは違ったものとして情報を受け取る
地方にはそれぞれの事情があるがテレビは東京中心の話題に占領されるからである。

問題の大型客船は2011年にドイツのアイーダ・クルーズ社から受注したもので、12万トン級2隻。しかし、設計や建造に手間取り、納入が遅れるなどした結果、16年3月期までに約2400億円の損失を計上

長崎の三菱重工の造船がうまくいかない、それも大きな影響がある。
鹿島駅であった原発で働いている人がどういうことでここまで来たのかわからない
でも長崎にいい職がないから金になる原発に来たというのは確かである。
それは弘前の人も同じである。
それにしても原発の廃炉事業は未来の事業ではない、負の産物となったのでありそれにそそぐ労力でも金でも莫大なのである。
これはなんらか未来につながるものではない、未来につながるものならいいが何かただ金と労力を無駄に使役されるとみる
何かそこに未来につながる技術の開発とかあればいいのだが負の遺産の後始末だけだとなる、東芝の原子力事業でも失敗して危機に瀕している
結局原発は疫病神になったのである。



posted by 老鶯 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年03月18日

春の日に原町の街中の牛飼う農家から原ノ町駅を見る



春の日に原町の街中の牛飼う農家から原ノ町駅を見る

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パノラマ写真ーソーラーパネルがあるのも今の風景である。
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クリック拡大

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この石はいい石である、これだけの石があり新築である。
誰が建てたのか?気になるが原町は広いからいちいち気にしていられない

古いままの原ノ町駅

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ここにレールが使われていた




紛々と梅のにおふや晩年に

梅林や牛に山鳩畑かな

街中に牛飼う家や春の雲

大石をすえて新居や梅におふ

春耕や残る街中の畑かな


久しくも一本松のここに立ち一つの池の水ぬるむかな


梅は盛りでありいたるところにおっている。晩年というとき一見年取って嫌だなとみる。でも自分はあらゆるものを深く見れる鑑賞できる、詩などもいいものが創作できる
今まではなかなかいいものが作れなかったが自然にできるとなる
やはり芸術などもなかなかすぐには理解できないし創作もできない
それだけ自然を知るのには歳月が必要だともなる
普通の人だったらどうしてもそうなる、だから大器晩成とは別に大器でなくても理解が深まるし創作もできるようになるのだ。

今日見た風景は変わっていた。六号線の高見町から海の方に行くとそこは工場があり倉庫などがある一帯である。渋佐地区になる
仙台にも卸町とかありそういう場所であり景色は良くない。
でもそこに牛を飼う農家があり畑もあった。この風景も不思議だった。
こんなところに農家があり牛を飼っているというのもにあわない風景だった
この辺はもともとは田畑であり農家があった所である。

この梅林に山鳩も来ていたし鳥がとまっていて春の雲が浮いている
何か牧歌的だなと思うが全然そういう場所ではない、第一ここに農家がある、牛がいるということがそぐわないのである。
でもこういう場所がまだ街中に残っていたことはなごむともなる

何かこの辺でも新築の家が増えた、浪江の人が建てた家もあった、小高の人も建てたし相当に原町でも新築の家が増えた、原町はこの辺では一番住むには便利だからである。
原町は大きいからわかりにくい、鹿島区くらいだとすみからすみまでわかるとなる
それでもわからないものがあるのが現代の社会なのである。

今日は原町駅に行き原町の駅舎を見た、そしたら意外とそれは鹿島の駅舎と同じく明治30年に作られたままのものだったのである。
改装はしても中味は変わっていなかった。
南相馬市のチャンネルで原町駅のことを説明していた。
ホームにレールが使われていた、あれは気づかない、なぜレールなど使ったのだろうか?やはり明治となると鉄が貴重であり建築するにも利用したとなる
壁は自分の家がそうだったように土壁だったろう、するとまるで大きな農家のような造りだったとなる、原の町駅は大きいから昔は残っていないと思った。
蒸気機関車のとき方向転換する場があり大きな駅だった、今は半分くらいに縮小している

高校のとき通った駅だがその時蒸気機関車だったけど鉄道自体に興味はその時もっていなかった。やはり人間は興味をもたないと注意して見ないのである。
勉強だって興味がなければしないし強制的に試験があるからとやらせても身につかないのである。
鉄道だといろいろ興味をもつ人がいる、一番多いのは撮り鉄である。
デジタル写真の時代だからそうなる
ただ鉄道は自分でも原町に行くときめったに乗らない、買い物でも自転車である
途中回れないとかへ不便である。駅に来ても歩いて用たせないから困るのである。
タクシーになるとまた金がかかるからである。駅からのアクセスが不便だから利用しないそれで北海道は半分廃線になというのもわかる。
日高線を復旧するのに130億かかるというから洪水で破壊されたレールは放置されたままである。そしてもう復旧できないから廃線にすると会社では言う。
常磐線の復旧は津波で流された区間を直すのに400億かかった
でも東JRでは復旧したのである。今月は浪江まで開通する

今日は彼岸の入りであり原町の橋本町では墓参りの人が来ていた。
原町の街中で畑を耕す女性がいた、まだこういう光景はこの辺ではある。
それでほっとするということはある。
ただ原町の街は通りはシャッター通りでありさびれている、これはどこでもそうである。何か復興事業も一段落してこれからさらにさびれてゆくから困る
それは相当に深刻な状態になるかもしれない、震災前だって生活が苦しい人が多い
そのことで自分はひどいめにあったことを書いてきた。
復興景気は終わるとこれから農産物でも放射能で売れないとか苦しくなる

何か自分でも自分が病気になったり介護になったりさんざんな目にあったことを書いてきた、つくづく負のスパイラルに陥ってゆくのが人間である。
だから小高でも浪江でも飯館でも避難区域になったところは負のスパイラルに陥りやすいから復興がむずかしくなるのである。
結局いいことにいいことが重なり悪いことには悪いことが重なるのである。

また川子のパークゴルフ場によった、あそこに植えた樹が大きくなるにはこれも何十年とかかる、それで夏は日影がなくなるので日ざしをまともに受けたらできないと思った。
海岸地帯も日影ないので夏はいられない、木が育つまでには何十年もかかる、50年もかかるとなったらもう今生きている人は日影休むことができない
でも20代とかなら老人になったときその木も成長しているから休めるとなる
今の老人は日影に休むことができないのである。
だから老人は先は短いからそうした息の長いことをするのに向いていない
だから復興するのにも長い先を考えるとしたらできない

人間は先をみることがつくづくむずかしい、何が起きるかわからないからである。
東芝で失敗したのは原子力に力を入れすぎたことである。
それが未来だとしてフクシマで事故になりその影響でアメリカの会社まで影響して窮地に追い込まれたのである。先をみることを誤ったのである。
それが致命的結果になったのである。
ただその先をみるというときこれは老人ではできない、先がないからである。
たから老人は復興に向いていないのである。