2025年03月04日

蠟梅の花を食べるヒヨドリ【石一つの詩ー牡丹の芽、春の風】

蠟梅の花を食べるヒヨドリ【石一つの詩ー牡丹の芽、春の風】

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蠟梅の花を食べるやヒヨドリの今日も来たりぬやつつがなしかも
蠟梅に雪降り寒く春はまだなりし家に籠りぬ老いし我かな
我が母の百歳生きぬこの部屋に我が介護せしや蠟梅の咲く
我が庭に石の黙して蠟梅の咲くや静かに部屋に籠りぬ
新しき植えし牡丹の芽我が触れにつ花咲くを待つ
石一つここに動かじ春の風そよぎ流れの音も響きぬ
岩を打ち滝の轟く春なれや猛り啼き飛ぶ鳥の音ひびく



石一つの詩

広々と安らぐ枯野の大地
石は黙して耳を澄まし
残る虫の音を聞く
木の葉は石に舞い散り
北風唸り吹き石は黙しぬ
石は所を得て鎮まりぬ
時に休み騒がざれ
汝いかに労するも世は変わらじ
人の労苦は限りなく続き
人の世の騒擾は止むことなしも
人はカオスの世界に倦み疲れぬ
石一つに心を集中する
争いはやまず大地を乱す者等らよ
虚しく人の骨は埋もれぬ
神は関わらざるかな
その岩盤の石は堅く
平和の礎を据えて
末永くここにあるべし
春の風は石に吹きそよぎ
またここに清楚なる木の花の咲くべし


庭の蠟梅に毎日その花を食べにヒヨドリが来る
それで困ったのは蠟梅の花がなくなることである
それで追い払ったが必ずまた来る、しつこいのである。
直ぐ逃げるにしても何度でも来る。やはり今の時期餌が山にもないのだろう。木の実などもないのだろう
ただ蠟梅の花など食べて栄養になるのか、それが自然の不思議である。
結構ヒヨドリは桜でもタンポポでも花を食べている
それは写真で調べられて出ていた。花が栄養になるのかと思う

実なら栄養になることは理解できるが花がなるのかと思う
母は子の部屋で5年間くらい寝て百歳で死んだ
そこに自分がいる、どうして百歳も生きたのかわからない、細身であり体は丈夫でなかった。でも私はとてもそんなに生きられないだろう、ただ百歳生きる人は増えてくる、こういう時代である
昨日は雪も降りまだ冬である

私ののテーマは石であり石の詩を相当に作った。何か大都会とかの騒擾を嫌うようになり田舎の家に籠るようになった
何かそれが私の性分に合っていたのである。人づきあいが苦手だからである。だから誰とも会わず一人黙っていると心安らぐのである。
今日は真冬並みに寒い、春はまだだとなる。







2025年03月03日

津波の被害と大船渡の山火事の共通性 【杉は人工林であり燃えやすい、ブナの木は無用の木ではない】


津波の被害と大船渡の山火事の共通性
【杉は人工林であり燃えやすい、ブナの木は無用の木ではない】

今は土地の性質を語るときだ。それぞれの土地にどんな力と色があり,
ものを生み出すどのような自然の性質があるのかを
まず扱いにくい土地と意地の悪い丘
それは藪に覆われて痩せた年度と砂利だらけの土地
だがパラスが好む長寿のオリーブ畑には喜ぶ

牧歌農耕詩ーウエルギリウス


◎三陸の地形〔大船渡の地形〕
◎人工林の杉や松は油があり燃えやすい
◎乾燥化
◎水がなく急峻な山の斜面で消化しにくい
◎人工化人為化により被害が拡大

●人工林の杉が燃えやすく松も燃えやすかった

大船渡というと一回行ったことがある。その時大きな船が港を離れるのを見て大船渡という地名が合っていると見た
この辺では海岸でも港があっても大きな船は見ない、たまに松川浦の港に貨物船とかよる。だから大船渡に大きな船が出てゆくことを感動したとなる

大船渡大船出ずる春の日に紅梅咲きぬ我が見送りぬ

今回の山火事の原因が何なのか?やはり自然災害はまず地形が影響しているのと人工的人為的なものが必ず影響する
説明では杉とかは人工林であり松でも油があり燃えやすいという、そして樹冠から葉が茂り燃えやすいという、燃え移り安いという、確かに枯木ではなく葉が茂り密生しているから燃え移り安い、つまり自然は自然のままではない、原生林ではない、人間が便利さを求めて建築に利用しやすい杉林にしたのである。
それが一つの原因だった

そのことはこの辺で津波で松原が根こそぎ失われたことには驚いた。松は根が深く張らず津波に弱かったのである
だから松原が美しい光景としてあったとしてもそれは人工的に人間が作ったものだったのである。だから海の近くでも津波に流されない木が枯れずに残っている。
要するに森という時雑木林であり混合林である。いろいろな木が混じり形成される森である。


そのなかに(橅)ブナの木がありそれが無用の木という字になっていてが木材として人間に使われないものとしてそうなった。
これはただ人間側から見たものであり自然のなかで無用なものはないのである。ブナの木など入り混じっていれば今回の火事のように燃え広がらなったかもしれない。

ただ外国では必ず山火事が落雷などで起こりかえって新陳代謝が起こり木でも植物でも新たに芽生え成長するから自然の作用なのかとも見る。

●三陸沿岸は漁業が中心

当時の三陸海岸は、藩の外港である宮古港を中心に栄え、三陸の俵物(ブリ、マグロ、くし貝、干しタラ、塩サケ、棒タラ、のし鮑)の七品をはじめ、外国向け(長崎俵物)の干鮑、煎海鼠、鱶鰭の俵物三品や、鰹節、スルメやコンブが輸出されるなど、千石船が沖合を行き交い、蝦夷地との探検交流や日本海地方との交易も盛んになっていきます。

三陸の歴史

平地がまれだとなれば漁業が中心なるのは必然である
となると米とかを他から仕入れなければならないので海の産物を売る、それには漁港となり船運で栄えるとなる

なぜ相馬藩の港から米を松前まで運びイワシを買ったのかそれはイワシが当時肥料になったためである、北海道だと寒くまだ稲作ができないことがありそうなった。
イワシは肥料であり農業にとって肥料が最も大事だからそうなった。また宮古から浪江町の請戸港に材料として鉄が運ばれて葛尾村村で製鉄が行われて葛尾大臣が生まれた、ここでも船運が関係していた、江戸時代でも結構船運があった。小高でも港があり中世から船運が盛んだったのである

干鰯の利用が急速に普及したのは、干鰯との相性が良い綿花を栽培していた上方及びその周辺地域であった。上方の中心都市・大坂や堺においては、干鰯の集積・流通を扱う干鰯問屋が成立した。1724年の統計では日本各地から大坂に集められた干鰯の量は130万俵に達した。

蝦夷地では鰯のみではなく鰊(かずのこを含む)[16]やマス類[17]が肥料に加工されて流通した。更に幕末以後には鰯や鰊を原料にした魚油の大量生産が行われるようになり、油を絞った後の搾りかすが高級肥料の鰊粕として流通するようになった

何か自然災害となると津波と同じように人工的なもの人為的なものが関係して被害になる、松原が人工林でありまた杉の林もそうである。それは自然ではなく災害に弱いとなる
もともと(橅)ブナのはどこにでもありこの辺の山の森にもブナ坂とかありブナの木があった。もはやこの辺ではブナの木は見ない
全国的にも相当減っている。

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「橅」の漢字は、木偏に無いで、語源の「分の無い木」と同様の意味から日本で作られた和製漢字である

●自然に無用なものはない

人間とは常に自然に逆らい人工化してきたのが文明である
でもその文明も自然災害を作り出す、なぜなら縄文時代は津波の来るような場所に住んでいなかったからである。
だからこの辺の相馬市の磯部村に500人とか住んでいてもそこは砂州だった所であり消滅した。死者も一番多かった
磯部地区の死者・行方不明者は250人だった

その原因は田にした所はもともと海でありそれを埋め立てて田にした。だからそこが本当に海ななったことに驚いたのである
田にした結果住む場所が海岸の砂州地帯になったということもある。松川浦の磯部の方の漁港は小さいからである
つまり漁業ではなく田を作り稲作の方が頼りだったともなる
それで田のある所には家がないとなる

つまり稲作も自然に人為的に人工化する文明だったのである
だから埋め立てて田にした南相馬市の八沢浦であり右田浜であれ津波で元の海に一時返ったのである
それは自然の作用であれ別に自然に悪意があり人間を苦しめるためではない、自然に則っと暮らしていれば大きな被害はなかったのである。
だからブナの木でも無用ではない

自然に無用な物はない!

むしろ大都会だと無用な空き地とがない、隙間なく有用な建物で埋め尽くされて一旦火事になるとか地震とか災害に弱く甚大な被害になるから怖いのである。
それにしても大船渡は不運なのか、津波で高台に家を建てても山火事になったとか地形の影響が大きかった
やはり平らな所がないというのは住みずらいとなる、だからこそ平地が少ない日本は海だった所を干拓して田んぼにしたりしたが
そこも津波の被害があった、つまり日本の地形地理の宿命がありそうなったとなる。これは変えようがないから常に同じように被害がある。日本はこうして平地が少なく山でも斜面を平にすることで苦労した。それで平という地名が多いのである
平家というのもやはり日本の地形からきているからである。





posted by 天華 at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年03月02日

春の日に原町へー買い物のことなど 【東風(コチ)、春の雲。草萌える、春の山、紅梅】


春の日に原町へー買い物のことなど
【東風(コチ)、春の雲。草萌える、春の山、紅梅】

東風吹きぬ桜井古墳や海近し
東風吹きて海に向かうや沖に船
紅梅や原町の通り見つつ過ぐ
春風や原町の通り走りけり
原町の郊外広く春の雲
原町の郊外広く草萌ゆる
原町の郊外広く春の山

大原の前田に住む人我が知りぬ春は来たれど今は亡きしも
橲原に紅梅咲きて立目石変わらずここにありにけるかな
人死すも思いは残るその土地に家に石のごと重く残れる

暖かいから原町の桜井古墳から郊外と広く自転車で回って来た
空家に紅梅が咲き街の通りを走る、ただ町の通りは寂れている
やはりイオンとかだけでは街が賑わうとはならい、でも車社会になってそうなったのである。だから車の影響がどれだけあったかを知るべきである。前は駅前から歩く人がいたが今では少ないからである。

原町は郊外は広いのである。だから街の感じはそれぞれ違ているただどきでも駅前通りは寂れている。これも車社会になったからである。一か所で買い物するのが便利だからである
でもイオンは相馬市でも撤退した。原町のイオンがある所の書店もやめた。今どうしても書店は苦しい、みんなアマゾンとかで買うからである。通信販売の有利な点は言葉で検索してボタンを押すと次の日に配達される
原町でも一軒しか書店がなくなった。書店は本当に消失してゆく

それで同じものがヘルメットが原町のダイユーエイトに売っていたのである。結局商品が多くなるとどこにあるかもわからなくなる。すると言葉を入れて選択した方が思ったものが買いやすいのである、ただタブレットを二万で買ったけど日本語表示でないとか使いなかった、こういう失敗があるあるからすべえがいいわけではない、ともかく商品の種類が多いと選ぶのもわからなくなる。

脚が悪くなった老人に杖をかってやったけどそれには電灯がついてまた大きな音も出て折り畳みできるのである
こういうものは通販でないと買えないのである
またおかしなのはケーズ電気で買い物して車で配達してもらうと高くなる。配達料がとられる、でもケーズデンキの通販が注文すると配達料はとらないのである。私は車ないので大きなものは配達してもらわないと困る。これもおかしなことだと思った

大原に回ったがそこには南相馬市立病院で同室だった斎藤氏が農業して住んでいた。そこは前田だから草分けで古い家だったのだろう、それもずっと空家である。息子がいても街に住んでいるからそこは誰も住まず壊されるとなるのか、そういう空家が多い
でも人間は死んでも思いが残る。その家とか土地に思いが残っている。その人間の思いというのは簡単には消えない
怨念となって消えないもおのもある

それで網走の監獄で200人死んだとなればそこに怨念が残る
網走という地名にその怨念が乗り移っているともなる
人間は死んでも確かに思いは簡単に消えないのである。




2025年03月01日

アズミ、イズモ、アズマ,イズミ【安曇、出雲、東、泉】は同源 【真野の草原の草〔カヤ〕は伽耶国ー笠は韓国の村の加佐】

アズミ、イズモ、アズマ,イズミ【安曇、出雲、東、泉】は同源
【真野の草原の草〔カヤ〕は伽耶国ー笠は韓国の村の加佐】

●私説風土記−松本清張の海人族の安曇氏の考察

安曇野漁撈種族は本州の沿岸の至るところに漁場の拠点を持ったと思われる。たいていが入江や湾であった。魚をって海を転々とする彼らは会場のジプシー的な生活であったろうが漁場の拠点の根拠地となりやがて陸上に上がって半農生活にも入るようになった。

出雲の国譲りに反抗したためタケミナカタ神が諏訪の海に逃げたという説話も出雲と筑紫の安曇郷との関係を示している
タケミナカタのはムナカタであり宗像である。

あずみが泉と同語原なら泉もそうかもしれない、摂津に安曇江があれば大阪湾南沿岸にイズミ【和泉ー泉】があっても不思議ではない、泉とはもともと海人のことである。

綿津見のツミもアズミ、イズモ、アズマ,イズミと同じ語源である

肥前風土記の【香春の郷】にふれ川の瀬清いので清河原の村と名づけた。新羅の国の神が自ら渡来して名づけた。
香春はカハルではなくカハラである。
春をハラといい原をハルと言っているのが九州のと特徴である
前原【まえばら】春田【はるた】・・・

カハラは朝鮮語のコホㇼ〔群村の意〕
これは朝鮮語のKoparu〔郡、村〕の同源である
コホㇼ、カヘルの例として越前国敦賀鹿蒜郷〔カヘル〕伊予国越智郡給理郷〔こほり〕、薩摩国日置分合郷〔かわち〕などがある。
この香春岳の南山麓に辛国息長大姫大目神社がある。
辛国息長比め神を祭神とする。辛国とは韓国(からくに)である。
私説風土記−松本清張

●地名でも本来は音でも漢字化して誤解された

地名は音を基にしているがそれが漢字にすると必ず漢字からイメージするから全く本来の意味がわからなくなる。また音だと変化する。訛りとかにも変化する。漢字は変化しにくいが音だと常に聞き取る方でも違って受け取り変化する。
だから確かに

アズミ、イズモ、アズマ,イズミ 

これらが同じ発音だったが変化したなるのも飛躍ではない、一つの発音が変化したのである。
ただ泉〔イズミ〕もそうなのかとなるのか、この辺の南相馬市の原町の海岸に泉という地名があり泉氏が勢力を持っていた
するとその基は海人族の安曇氏とかに連なるものかともなる。
でも泉となればいくらでも地名としてはある。それがすべて安曇系に由来するとは思えない。

確かなことは松川浦に和田があり山津見という地名がありそこは松川浦の奥になりそこから海人族が定着して魚や貝をとり生活していた。それは確かである。そして宇多川をさかのぼり霊山の麓の道を越えて石戸村にでると犬飼という地名がある。
それは犬養であり安曇氏系統に連なる氏族でありまた玉野村の境界近くに八木原がある。その八木原は安曇氏系統の氏族であり
八木沢でもそうであり八木氏が焼畑に入った地域である

焼畑の跡が地名化したのである。たいがいはこの海人族は川をさかのぼる、川を道として奥に入って行く。なぜなら鬱蒼した原始の森に覆われて道がないからである。すると川が道になるからである。だから伊豆の下田でも川をさかのぼると八木山がある。そこでも焼畑が行われた跡だとなる、その焼畑の跡が地名化したのである。飯館村の佐須がまさに焼畑地名であり焼畑地名が多い、小林のコバも焼畑なのである。
ただ栃窪村から塩の道をたどる処にも山津見神社がありそれはかなり古い道だとなる、もしかしたら縄文時代からあったのかとなる。

●出雲と安曇族〔海人族〕が一体化していた

出雲がなぜ日本で強力な国となていたのか、それは韓国と新羅などと深く結びつく場所にあった。それで国引き神話が生まれた
そこに大和王権がかかわり国譲り神話が生まれた

出雲の国譲りに反抗したためタケミナカタ神が諏訪の海に逃げたという説話も出雲と筑紫の安曇郷との関係を示している
タケミナカタのはムナカタであり宗像である。

このタケミナカタ系の神社が諏訪神社などが本当に全国的に多いのである。東北にも多い、山元町の海岸に八雲神社がある。これは明らかに出雲なのである。また諏訪神社はこの辺でもあり多いのである。それは宗像〔ムナカタ〕だとなれば安曇族などの海人族が関与していたとなる。

ともかく日本は海で囲まれているのだから海から人が入り安い。そして川が道となり山の奥に入って焼畑をはじめまた稲作を始めた。山だと段々の田にして水を利用しやすい、それでそこに県
〔あがた〕が生まれ最初の行政の単位となった。その前は焼畑であり十五夜の祭りでも米ではなく野菜など献げるのはそのためである。ともかく焼畑が地名化しているのが多いのは最初の農業が焼畑さったからである。

●万葉集の真野の草原(かやはら)の意味は群とか村の意味

陸奥(みちのく)の、真野の草原(かやはら)、遠けども、面影にして、見ゆといふものを 笠女郎

カハラは朝鮮語のコホㇼ〔群村の意〕
これは朝鮮語のKoparu〔郡、村〕の同源である

原とはカハラは朝鮮語のコホㇼ〔群村の意〕ある
ここが誤解しやすかったのである。だから草〔かや〕は伽耶国の意味である。草八国として伽耶の国があり草の字をあてているからである。唐神という地名も南相馬市鹿島区にありこの唐は韓であり韓国の神だとなる。

つまりこれまで私が考察してきたように真野の草原は萱が茂っている場所として歌われたのではない、誤解しやすいのは地名でも漢字を当てるから本来の意味が分からなくなる
漢字は強くその字からイメージされる。音は関係なくなる、それでアイヌ語に漢字を当てた地名が全く本来の意味とは違ったものとしてイメージされるよyになった。。それが誤解を産んだのである。

つまり草原とは伽耶国の一つの村だとなる、郡だともなる。
その誤解は余りにも大きなものだったのである。第一萱原がなびいている風景に憧れることなどありえないのである。
それは一つの地名であり草原とは関係なかったのである
そして笠女郎の笠は加佐であり韓国の地名なのである
埼玉の稲荷山鉄剣の加差披余 かさひ(は)よ・・・カサヒヨとあるのもそうである。
この加差とは韓国の村のことである。
笠は漢字の当て字である、笠とは関係なかったのである
つまり笠は渡来人であり笠女郎とはその系統の女性であった。だからこそまた真野の草原が因縁深い地として意識したのである

2025年02月28日

なぜ下田なのか―その港の地名由来 【川をさかのぼり八木山があるー安曇氏系統の八木氏の地名化】


なぜ下田なのか―その港の地名由来
【川をさかのぼり八木山があるー安曇氏系統の八木氏の地名化】

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横川という地名は本流の川から横に流れる支流である
それは相馬氏の宇多川上流の山上の横川がそうである

下田の地名の由来は,本郷(旧稲生沢(いのうざわ))に対して下手の海辺にあたり,〈低田〉の意味から〈下田〉になったといわれる。

)平城京(奈良時代)跡から出土した木簡(木製荷札)に「天平7年(735)伊豆国賀茂郡稲梓郷稲梓里の占部石麻呂が荒堅魚(鰹なまり節)を貢納した」とある。稲梓郷稲梓里は現在の下田市宇土金・上箕作・須郷地区(椎原も含むか?)ではないかと推察されている。

下田という地名は1300年頃につけられた。
本郷(旧稲生沢(いのうざわ))に対して下手の海辺にあたり,〈低田〉の意味から〈下田〉になったといわれる。

つまりもともとは本郷(旧稲生沢(いのうざわ))がありその下手にある田が地名の基になった。港とあれば漁港でありなぜ田の地名になったのか
それは稲作が中心であり貢納するのも米だからとなる
でも中央の奈良に貢納したのは荒堅魚だった。魚だったから漁業をしていたからそうなった。魚を捕っていても稲作が中心であり稲生沢(いのうざあ)が本郷であり川を中心として水利の良い場所に元もと拓けたとなる。

川に沿って稲作がありその川を上って行くと八木山がある
これは安曇氏系統の八木氏であり相馬地域でも八木沢とか地名化して残っている。海人族が川をさかのぼり焼畑などをした跡である。その焼畑の後に水田が作られて奈良の都に貢納した
日本の歴史はこうして最初は海人族の人達が焼畑をして山の中に入って行った。それは相馬地域で考察した、原町の三島神社も大山祇神由来である。つまり海人族の神社である。

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、愛媛県今治市大三島町宮浦にある神社。式内社(名神大社)、伊予国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。日本総鎮守とも称される。

全国にある大山積神を祭る神社の総本社である[1]。主祭神の大山積神は「三島大明神」とも称され、当社から勧請したとする三島神社は四国を中心に新潟県や北海道まで分布する

これは山津見神社のことである。とにかく日本全国に海人族の跡がみられる。それが地名化している。

万葉集にも「防人の堀江こぎ出る伊豆手船、楫取る間なく恋は繁けむ(大伴家持)」とあるように、伊豆は古くから造船が盛んであったことが伺える。伊豆は東方海上交通の要所で、多くの湊があったことだろう

ただ下田が港として知られたのは明治維新の時ペリーが来た時である。もともとは地形的に入江の湾になっていて風待ちの港として利用されていた。
ともかく下田というといきどうしても田をイメージする
地名はそうしてその土地を喚起させるものがある。まずその地名からその土地を見る。下田は田なのかとみる。また上田は条件のいい田であり下田は悪い田なのである。
でも港として発展すればそうした田より米より港として商売できればそちらが中心になる。
下田に春に行った時岬の山に登ると春風が吹いた。

春風の強く吹きつけ下田かな

ここは吉田松陰が密航したとか明治にペリーが来たとか歴史的港ととなった。
こうした地域の歴史がインターネットで調べてわかる。
つまり郷土史にも役立つのである。

2025年02月27日

北海道の花―俳句短歌 【コブシ、シラネアオイ、延齢草、エゾリンドウ,ムシャリンドウ】

北海道の花―俳句短歌
【コブシ、シラネアオイ、延齢草、エゾリンドウ,ムシャリンドウ】

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我が庭にエゾムラサキの今年も咲く
耕さる大地にコブシ北海道
新緑やポプラにサイロ北海道
大輪のシラネアオイや北海道
針葉樹の森に入りて延齢草
新緑に高きより滝層雲峡
層雲峡地史を語るや秋澄みぬ
水清く巌の硬く秋澄みぬ
羅臼にそ熊の湯ありやエゾリンドウ
太々とエゾリンドウや北海道
羅臼岳ムシャリンドウや登る人
雪埋もれ蝦夷鹿鳴くや知床に
雪深し残る足跡知床に
網走や監獄凍てる記憶かな


流氷にクマゲラ叩く音響き知床望み斜里に泊まりぬ
斜里岳の雪の覆いて夕陽さしオホーツクの海望み暮れにき


羅臼は熊の湯がありそこにエゾリンドウが咲き羅臼岳の登山道にはムシャリンドウが咲いていた。ただヒグマがいると思い登れなかった。エゾムラサキは我が庭に咲く。
北海道は本州とは相当に違っている
東北とも違う、東北は因習的なものが残り何か閉塞感がある

北海道はそうしたものがなくさわやかであり北海道に立つと気持ちまで変わるのである、そういうことは他で経験できないのである。気持ちまで変えるという土地はなかなかないだろう。もちろんアメリカでもそうだがどうしても一回くらい言ってもわからないのである。北海道には十回くらい梅雨の時期に行っていた
だからカラッとして気持ち良かったのである

北海道はエゾとつく花の名前が多い、北海道は花の宝庫である
寒いから高山植物でも咲く、ヒオウギアヤメとか尾瀬の至仏山でで見たからである。ハクサンチドリでも宗谷岬で見た。本来は高山に咲く、だから北海道は平地で高山植物が見れるのである
知床には冬にも行った、雪に埋もれてそこにエゾシカがいて鳴いていた流氷を見て斜里の町に泊った。クマゲラの叩く音が響ていた。雪の斜里岳は夕日に染まり美しかった。
北海道には原始的風景があり本州とは違う、だからその場に立って気持ちまで変わるというのは日本でもない。

網走となると不思議なのは網走監獄がありそれをイメージして何か凍てりつくようになる。そこで200人くらい死んだとなると何か網走となるとその地名に怨念が籠っているのかとなる。

posted by 天華 at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)

インバウンド観光でも日本が中国人に占領される恐怖 【グローバル化の経済競争に負けると実質外国に支配される】


インバウンド観光でも日本が中国人に占領される恐怖
【グローバル化の経済競争に負けると実質外国に支配される】

「中国の一部になるのに消されるよ」 マナー違反を注意した京都・高台寺岡林院が脅される

「中国の一部になるのに消されるよ」 

他の人も中国人が日本は中国の一部だと言われていた
古代の歴史から漢委奴国王印がありそう主張する
日本は中国の一部であり日本人は中国に従えとなる
確かに中国人は日本をそう思っている時台湾進攻すれば確実に沖縄を占領する、なぜなら沖縄は明の時代に朝貢して中国の一部とまなっていたからである。だから中国の文化も入って来た
家の造りなどもそうなっている

1372年に中山王が明に朝貢を始めると、翌年には南山と北山も相次いで朝貢を開始した。15世紀、中山が琉球を統一し、独立した琉球王国を建設した。これ以来、中国と琉球は朝貢関係を結び続け、明朝が「尚」という名を与え皇族とする慣わしも踏襲され、「第一尚氏王統」と称された。1392年、朱元璋は福建省の造船・船舶関係の特殊技能を持った「福建人三十六姓」(三十六姓というのは数が多いことを形容すると言われ、多くの福建人を意味する

シーサーとか石敢当とか守礼の門とは中国の様式である。文化も中国だとなると沖縄はもともと中国だった言われる、だから中国の領土であり取り戻すとなる、だから中国が強大化することは沖縄のように日本本土ももともと中国だったととなり中国の属国化する。
これも恐怖だとなる。日本は中国に支配されるとなる。
そもそもインパウンドで外国人が押し寄せるという時何かすでにニセコでも外国人の街になるように明らかに日本の一部が外国になる、やがて日本全体でも中国人の支配下に入ることになる
グローバル化とは経済で競争に負ければ自ずと外国人に実質的に支配されるともなる。外国人の下僕となる。それは日本人でもアジアであれ貧困国にそうしていたからである

だから観光に来ているだけだと見ているが実際は日本が外国人に支配されてゆくともなる。その足掛かりとして観光があるともなる。そして金払えばいいだろう、貧乏人の日本人は黙っていろともなる。それがここで具体的に現れたのである
金が欲しいのだったら黙って従えとなる
つまり日本が軍隊ではなく占領されるともなる
つまりグローバル化とは経済競争に負ければこうなる。召使にされる。要するにそもそもグローバル化とは資本主義は金を払えばその金を払う人に従えとなる社会である

兵力と同盟力と金力と言う三つの力のうち金力がおそらく最も支配できる戦争道具であるあろう

遅かれ早かれあらゆる民族を支配するようになるのはこの商業精神である。つまり国家権力の下にあらゆる力の中で金力こそは最も信頼できる力である
カント―永遠の平和のために

これはまさに現代のグローバル化で現実化した。だからこそトランプ大統領が外交はデールだとなる。商業取引だとなる。
それとカントは江戸時代の長崎の出島の貿易を評価している、なぜなら無制限に外交人を入れた南米とかでは現地民が蹂躙されたからである
すると江戸時代閉鎖的でマイナスの評価になるがそうでもなかったと賢明な政策だったとなる、貿易でも観光でも無制限にすることは問題になる
それが今日本でその被害国にもなっているとなる。ただ観光でも互いに理解を深める作用はある。でも日本の文化すら外国人に金の力で荒らされることは問題である

それはアメリカがそうなっているし中国人でも入ってくればそうなる。それは何か怖いことではないか、金がある外国人優先になり金のない日本人は来るなとなる。それはホテル代が高くなりビジネスマンが宿を確保するに苦しんでいる
社会活動が阻害されているのである。こんな事でいいのだろうか。でも今や日本人は外貨を稼ぐのは観光だとなる
グローバル化は経済戦争に負ければこうなるということである

実際国でも金で買われてしまうとなる。それも怖いことではないか?このことに危機感を持つ人はあまりいない、やはり受け入れる方も金になればいいとなる、すべてが金で決められるからそうなる。そして金で貴重なものを売るということにもなりかねない。それが日本の文化だったりする。そこで日本らしさも奪われ外国人好みのテーマパークになったというのもそうである
それだけ数が多くなればそうなる。

とにかく日本人が貧乏になり自分の国であっても自分の国ではないようになっていしまう危険がある
日本人が日本の文化であれゆっくりと京都でも観光できないとなるとその損失は大きくなるかもしれない、だからグローバル化というのは様々な問題を引き起こすのである
すべてが経済優先にするとそうなる、それはアメリカがそうであり中国でもそうなる。つまり日本が金で買われてしまうことである。日本の文化も心まで金で買われてしまうともなる
ずかずかと日本の神聖な場所にも踏み込んでくるともなる
ただ日本人がそうしてきたのだからカルマだともなる


【悲報】北海道で生活する日本人、住めなくなる

これも異常である、日本人は金が無いので除外されて賃金高いとして人材が奪われている
金の力で日本人の生活まで破壊される。




posted by 天華 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月26日

大衆社会のマスメデアによって作り上げられる虚像の誇大化 【人物の実像は何なのかわかりにくいーSNSで発言する権力を持った庶民】


大衆社会のマスメデアによって作り上げられる虚像の誇大化
【人物の実像は何なのかわかりにくいーSNSで発言する権力を持った庶民

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財務省の仕事は何か重要な国の政策を決める。要するに税金を集めてそれを配分する権力である

権力者にとって都合が悪いことをメディアが国民に伝えやすい環境だと、内閣支持率は低くなります。逆に、権力者にとって都合が悪いことをメディアが国民に伝えにくい環境だと、内閣支持率は高くなるのです。内閣支持率は国民から見た人気度を調査しているに過ぎませんから、メディアが権力者をどのように印象付けるかによって左右されます

●虚像でもマスコミメデアにより誇大化される

何が実像なのか虚像なのか判断しにくい、何故ならメデアを通じて判断するからである。メデアというとき仲介する者でありその仲介するものというとき人間も仲介するものになる。
噂話でもそうである。それが人か人へ伝わる時変化する
そしてその真意でもわからなくなる、つまりいろいろに勝手に解釈されて誇張されたりしてわからなくなる。人物にしてもその人のことを判断するにしてもメデアを通じてすると判断を誤る

だから現代はメデアによって虚像が作られやすいのである。
大した人物でなくても大きな人物にされたりつまらない作品でもマスコミの報道で売れたりする。短歌のサラダ記念日とかでもそうである。それはマスコミが作り上げた虚像でも何百万部と売れたとなる。それはマスコミにより虚像が誇張されてそうなった
何か現代は虚像が作られやすいのである。それはカルト教団でもそうである。教祖が大した人物でなくても祭り上げられて巨大化する。それはカルト教団に共通している。
外部の人は判断もそれだけ数の人が崇拝しているのだからとその評価に従う、その人物についてあからないにしても数を集めることによってその人の権威が作られて権力者と化してゆく
虚像が拡大されてそれが実像にもなる。その最たるものがナチスのヒットラーだった。それは全くの虚像でも人々は熱狂して心酔した。そしてすべての人がハイルヒットラーになったのである

●みんなが偉いというから偉い凄いとなる大衆社会

実際現代は何が実像なのか虚像なのかわかりにくいのである。そもそもテレビに出ている人が虚像だというときそれはマスコミで選ばれた人しか出れないからである。それで実際の人物のことはわからず虚像化して誇大化される。その実像は何なのか詳しく詮索しないからである。第一人間一人でも知ることは容易ではない
その人がどんな生い立ちなのかとか知りその人間の全体像を知ることはむずかしい。テレビに瞬間的に出てもわからないのである
だから人物に関しては簡単に判断できない。

とにかく現代の情報社会は虚像を信じやすいことは確かである
それを象徴していたのがナチスのヒットラーだったのである。その虚像に酔いしれたのが大衆である。現代のカルト教団の教祖でもそうである。大した人物でなくても大衆が熱狂して誇大化する。それはまた大衆が作り上げたものであり実質にその人間が偉大だからではない、大衆により作り上げられて虚像なのである
ではその人物の実像とは何なのかとなる。それを知ることは簡単にできない、みんなが偉いとなれば偉いとなる。カルト教団内にいればそれに逆らうことはできない、それが外部に拡大するとヒットラーになる。みんなでハイルヒットラーになる。
それを増幅したのがマスコミでありメデアにもなる

先生は凄いよ、本当に凄いよ、何が凄いんですか
みんなが凄いというから凄いんだよ
でも何が凄いのか優れているのかあなたは言えるのですか
・・・・・・・・・・・

こういうことが多い、何が凄いのか優れているのか言えないのである。ではどこが優れているのかと明確に言える人はその人を確かに偉いと認識している。
それがわかるのは芸術だとわかりやすい、絵画でも音楽でも詩でも小説でも何がいいのか優れているのか言ってくださいとなるとなかなか答えられない、でも過去の有名になっている人は有名だから優れているとされる。でも実際に個々人に何が優れているのか聞くと明確に答えられない、ただ凄いとしか言わないのである

その人物の何が凄いのか?それが天才とか傑出した人物だと簡単にわからない、それで時間が相当過ぎてからその作品でも人物でも評価されることがある。死んでようやく評価されることがある
天才とかなると独創的だから普通の人には簡単に理解できないのである。だからどこが優れているのかそれを言える人はその人の優れていることを本当に認めている人だとなる。でも難解でありそれを言える人もまた少ないとなる。

●虚像が誇張されて信じやすい現代情報社会

そもそも虚像の方が巨大化されやすいのは大衆にとってわかり安い人でありその人物の偉大さとか関係ないのである
それは大衆という膨大な数の人間を相手にするには極端になればハイルヒットラーになる。カルト教団ではそうなっている
そうすれば団結しやすいからである。大衆に難しいことを言っても通じないからである。大衆には何か教えるというより扇動する洗脳することで支持を得るとなる。その扇動洗脳の役割がメデアになる。つまり大衆社会がそうした虚像を作り出す原動力になる

だからギリシャとかポリスの共同体とか中世の小都市国家の共同体とは根本的に違った社会である。選挙でも百万とかの票を得るとなれば虚像でも作り出して票を得るしかない、だから東京都知事の青島だとか言って芸能人がなったのもそうである
大衆が知っているのは芸能人であり親しみを感じるからそうなった、全く選挙運動もしないで知事いなれたのである。
そうした芸能人はマスコミからテレビで顔が売れて有名というだけで虚像であっても知事になれたとなる。

つまり現代の問題は大衆社会でありそのために宗教でも高等なことは言わない、誰でもわかり安いものが訴える。宗教でも念仏を題目を唱えるというのは何かハイルヒットラーに通じてていたのである。それは一切考える必要もないから大衆に普及したとなる。大衆という存在はこれまでなかった。

市民にしても小都市国家の住民であり5万くらいだったからである。そこにシズンシップが生まれた。何百万の人を相手にするとなるともはやそこでそうした共同体に生きる感覚は消失する。結果的大衆に席巻される時代になったのである。だから現代は大衆社会とでありそこに問題の根があることを知るべだとなる。

●ネットでは自由な発言批判もできるようないなった変化

権力者にとって都合が悪いことをメディアが国民に伝えやすい環境だと、内閣支持率は低くなります。・・・

という時権力も関係している。現実財務省にデモがあったことをオールドメデアは報道しなかったから問題になった
メデアで報道されないことはないとされてしまうのである。
でもyoutubeでそのことを批判されて目立つようになった
つまりマスコミでなくてもSNSが力を持つようになりみんな知るようになった。それでなぜ公共放送のNHKが報道しないのだと批判された。だから報道できる特にyoutubeはテレビでもあるから効果的だとなる。プログだと目立たずに埋もれやすいからである
マスコミが第三の権力だという時庶民が報道する力を持った時
権力を持ったともなる、つまり民主主義には報道が大きな役割をもつからそうなったのである。

いずれにしろ報道に携わるのは今やマスコミだけではないyoutubeなら誰でも報道できる時代になった。ただそこでも数が多いから読まれるのは一部だとなる、そんなに見れない読めないからである。だから重要な発言も埋もれやすいとはなる
権力とは何かということもある。今までやはり財務省を直接批判したりデモを起こすことはなかった。財務省が何をしている所なのか良くわからないからである。そのわからないということで勝手にやり放題にもなる。財務省の官僚は表に出てこない、だから庶民にはわかりにくいのである。でも財務省は税金とりその税金の使い道を決める権力を持っている、その力は政治家より上だとなっていた。それがデモで暴かれたとなる。

財務省はマスコミでも恐れるのは税をとる権利がありそれで恐れるとなる。税率を実際低くされているからである。
権力と何かというとき国民から税金を取る強制的にできることである。それは江戸時代でも侍が農民から税として米を納めさせる権力を持っていたのと同じである。
ただ現代のそうした納税の仕組みでもわかりにくいから権力者によって誤魔化されやすいのである。今回のデモでそのことを知った人も多いとなる効果があった。


2025年02月25日

天国の一つの楽園の詩 【この世からそれぞれの個性で天国がイメージされる】

天国の一つの楽園の詩
【この世からそれぞれの個性で天国がイメージされる】

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様々な色の花々
赤い花、黄色い花、青い花
そのコントラストに映えて
赤い花はさらに赤く
黄色い花は一段と映え
青は深みをます
天使のように蝶が舞い
馥郁と香りは流れ充たす
十分に蜜は供給される
鳥は花を食べ木の実を啄む
種々の果実は豊に実り
食べ物の不足する心労はなし
そこに老いもなく病もない
一つの美と調和の国
石と石は黙して
木は大地に強く根を張り
信頼を深めて動かじ
かたつむりはせかされることなく
石の上をのろのろと進む
山鳩はここに集い平和の楽園
時計は止まり時は日時計が知らす
事物と事物は所を得て
言葉は本来の重みを回復する
ロゴスの完成した和合の一世界
そこは神の祝福が注がれて
選ばれし者が住む
室内楽のように心地よく響き合う
そこは小人数が集うたゆまぬ研鑽の場
一人一人が役割を担う創造の国
そこに電車の駅があり
次なる楽園に人を運ぶ
駅は新たな夢の国へ運ぶ
期待と希望の場所
いくつもの多様な国々を回る
旅に終わりはない
新たな世界へ電車は運ぶ


この世とは何か?それも謎だけど何らか天国的なものがある。何故ならいくら天国があるとしてもそれをイメージするのはこの世しかない、全くこの世と違った世界をイメージすることは不可能である。何か天国で語る時もこの世から経験したことやこの世で見たことからイメージする。全くこの世から離れた世界をイメージできないのである

だからなぜここに一つの天の国に鉄道の駅があるのか?天国に鉄道の駅があるのとなってしまう。それはこの世で経験したことから天国をイメージしているのである
鉄道の旅を私自身が経験して鉄道が好きだからそれが天国にもあるとなる。要するにこの世からしか天国でもイメージできないし全くこの世と違った世界はイメージできない、それは地獄でもそうである

現実にこの世の地獄が現在でも生々しくあり毎日のように報道されている。むしろこの世は地獄と感じるのが普通である。天国はむしろイメージの世界でしかありえないとなる。
それでもやはりこの世にあるもの見たものから天国をイメージするのである。だから天国になぜ鉄道があるのかとなる
ただ私は車は必要でも好きではないから天国には車はないとなる。この世にある物でもそんなものがない方がいいとかそんな人がいない方いいとかいくらでもある。

そういうことから天国をイメージする。軍隊とか警察はない方がいいとか病気が無い方がいいとか老いるのは嫌だから老いることがない世界に行きたいとなりそこが天国だとなる
もちろん死ぬことも無い方がいいとなりそこが永遠の命が与えられて生きるとなる。つまりこの世は地獄であっても天国的なものがありその地獄を脱出して天国をそこにイメージする
第一動物でも食われつしている世界は地獄そのものである
ゆっくり寝てもいられないとなる。

正直この世は地獄を生きることである。親鸞の言う地獄が一定の住処だとなる。人間の歴史もこれも信じられない地獄を作り出した記録である。余りにも残酷な歴史である
だからこの世の地獄を脱出して天国に行きたいとなる

人間でも地獄人間に取り囲まれているともなる。愛がどうのこうのといっても実際はエゴにしか生きられなのが人間であり生物である。そしていくら科学が発達してもやはり地獄なのである
核兵器があれば核戦争になり現実日本は被害にあい原発事故でもそうである、科学技術によってパラダイスが生まれるわけでもなく別な新たな地獄が生まれる、車が便利でも交通事故がなくならない、空飛ぶ車ができても空をそんなものが飛び交っていたら落ち着かないともなる。鳥が飛ぶのとは違うからである

とにかく天国と言ってもその人によってイメージするものが違ってくる、同じ天国をイメージしないのである
何かロゴスと言っても別なふうに解釈する人もいる
天国をイメージするにも個性によって違ってくる。だから天国でも一様ではなく多種多様だとなる。
ただ確かなことはこの世で見たものから経験したものからイメージしていることは確かである、でも個性によって見え方が違っている。
電車に乗って行くと別な世界が開けて見えるのと同じでありそこに変化がありあきないとなる。いくら天国でも同じだとあきるからである。

いずれにしろ数人でも個性ある人物が集まればそれだけでも規模は小さいにしてもルネサンスが生まれるともなる
ただ大衆とかから集団組織からは生まれない、そこはナチスのように同じ制服を着て教祖と同じ顔になる
大量のロボットの生産となる。でもそれは権力化して社会を席巻するのである
何を見るにしても個性によって見え方が違うのもまたこの世を豊かにする
みんな感じ方でも同じ色しかみないとしたら多様性は喪失するからである
カルト宗教団体は個性の否定であり一人の教祖のコピーの大量生産なのである
文明を糾弾する時そうした規格化されたみんな同じにすることで批判の対象となる
















2025年02月24日

上野霄里(うえの しょうり)氏の集団組織化の激烈な否定はなぜなのかー北の大地の原生人間〔詩〕 【集団組織は国家がそうであり莫大な死者を出した歴史を知るべし】


上野霄里(うえの しょうり)氏の集団組織化の激烈な否定はなぜなのかー北の大地の原生人間〔詩〕
【集団組織は国家がそうであり莫大な死者を出した歴史を知るべし】

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なぜ上野霄里(うえの しょうり)氏のことが理解できないのか、なぜ彼は徹底して組織集団を否定したのか、それは異常にもなり理解できなくなる
でも逆になぜ一方で人間社会は組織集団化することに熱狂する。
組織集団のためなら何でもするとか組織集団に必死に同調して同化するのか、それも極端な対比だから何なのだろうとなる

その歴史的実例の怖さとしてナチスの非道がありまた共産主義の教条主義がありそのために何千万なのか粛清されて殺された
また日本でも戦争で国家のためにと300百万が死んだ。
それは国家という集団組織がありそれが成さしめたとなる
現代ではカルト教団がそうである。そこは創価でも隊長とか参謀とか軍隊組織になっている。だから国民を軍隊として組織化するからそれは戦争になれば同じように人を殺戮するともなる。
ナチスにもなる。その組織集団の命令には絶対服従が強いられるからである。宗教だから平和を追求するわけではない、そういう組織団体は権力を得て社会を支配することである
それは共産主義でも同じなのである。この人間の集団組織化による甚大な被害は何だったのかとなる

それは人間の集団化組織化でありナチスと似ている。同じ制服を着てヒットラーがいて右に習えとなる。教祖に絶対服従となる
それで死ぬとしても従うとなった。このことが理解できない
だから上野霄里氏の言うことが余りにも社会常識からはずれているとしてもなぜそうした集団組織が行ったことが膨大な死者をもたらしたのかとなる
その狂気はどこから生まれたのか?
それが不可解なのである。
それでニーチェが

個人も狂っているが集団も狂っていると言ったのである

その個人が狂うよりこうした組織集団が狂うことほど恐怖はなかった。それは歴史に記された異常な恐怖となる
だから上野霄里とかニーチェの言う原生人間とか超人とかは一般人には理解できない、でも逆に人間は異常なほどに集団組織化に熱をあげるのかとなる。それが人間の習性で集団組織化して仲間だとして気勢をあげる。そして仲間に入らない者は糾弾して異常化して無視して攻撃してくる、異常だとして排斥する
でもどちらが異常なのか歴史が証明している

でも多数が正しいとなり多数の言い分は何であれ社会を席巻するのである。なぜならナチスはヒットラーは選挙で正式に選ばれたからである。創価などでも選挙宗教になっているのは選挙は権力とじかに結び付いているからである。それは宗教でもナチスとにているのである。

でも社会は集団化組織で成り立っている。会社でもそこは集団化組織化しているのだからその集団組織の意向に従わねばならない
社会自体そうなっている。国家自体が集団化組織化したものである、それでその集団に従わざるを得なくなり膨大な死者を出したのである。だからニーチェでも国家を否定しているし上野霄里氏も否定する、でも集団組織を徹底して否定することはその集団組織の敵にもなる、だから集団組織からは認められないとなる
ただその極端な対比で見えてくるものがある。集団組織化は非常に怖いものでありそれが莫大な人間の死になったことである。
小人数ならいいが巨大な集団化組織化は危険なのは暴走しても誰ももはや止めることもできなくなったということである


北の大地に立つ原生人間

広々とした北の大地に原生人間が独り立つ
新鮮な空気を吸い込みその強健な体躯
北の果てに聳えたつ独立峰の利尻岳
北の海は唸り轟き吠える
原生の大地は花々に埋めるつくされて
野生の鳥が激しく鳴き飛ぶ
そこに雑音はなくただその鳴く声が響き渡る
そして冬は純白の雪に覆われて
北極星がきらめき方向を示す
ますます厳しく屹立する利尻岳
烈風が吹きつけ直立不動
真実の覇気ある厳格な姿
原野に雪嵐がうなり残るは獣の足跡
あわれアイヌのカムイコタンよ
熊の皮を敷いて一冬を耐える
原生人間は星となり天に輝く

何か上野霄里氏は北を目指したけどそれが東北ではなく北海道がふさわしいとなる、原生人間という時北海道が原野があり広大でありふさわしいとなる。私自身も北海道に死にたいとまでなっている
北海道は外国人でも魅せられる。何かやはり日本的景観とは異質なのである。だから北海道に立つと気持ちまで変わるのである
日本ではあのような平原とか広大な平地がないからだとなる。






2025年02月23日

ウクライナという国はなかった 【大陸ヨーロッパの民族抗争の複雑な歴史―アメリカもウクライナに介入して失敗】


ウクライナという国はなかった
【大陸ヨーロッパの民族抗争の複雑な歴史―アメリカもウクライナに介入して失敗】

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大手メディアでは報道されないウクライナ戦争
【混乱する国際政治と日本A】|伊藤貫

●ウクライナの歴史―国家はロシアによってなど作られたもの

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14世紀にはガリツィアの首都はハールィチからリヴィヴに遷都された。ウクライナ語ではリヴィヴは「レーヴの町」(ライオンの町)という意味で、ガリツィアの地章はカラスからライオンに変わったと思われる。19世紀のガリツィアは「ガリツィア・ロドメリア(ハールィチ・ヴォルィーニ)の王国」としてオーストリア帝国の一部となり、(3) の新しい「王国章」をもらった。中世時代のハルィチナーの「カラス」と、ポーランドの最南部の地章、「三つの冠」をあわせて創った紋章である

ウクライナの歴史も複雑である。もともとウクライナという国はなかった。最近では今のロシア軍がウクライナから奪い取ったロシア人が多い地域はトルコ領だった
その前はヨーロッパのハウスグルグ帝国とかポーランドの一部とかウクライナが継続して一つの国にはなっていない、1920年にロシアで共産革命になり農民は土地に執着するから土地を国家に取り上げられるので反対した。
それで工場の労働者と対立するようにしてロシアのレーニンとかがロシアに組み入れた。
これも不思議である。プロレタリアートとは要するに何も持たない資産を持たない労働するだけの人たちであり資産を持っている
農民は違っていたのかとなる。無産階級の労働者が資本家に雇われる、でも土地を持っている農民は違っていたのかとなる

ガリツィア人というのが国境を接してありポーランド領だったこともある。リトアニア領だったか何か複雑怪奇になる。それがヨーロッパとか大陸の歴史である
そもそもなぜ東欧にチェコとかハンガリーとかいろいろな小国があるのか?それはもともとは民族が違っていて国も違っていたとなる。その民族がわかりにくいから単一民族の日本人は理解しにくくなる。ともかく大陸は民族抗争が激しいのである。
だからウクライナ人とは何かとなるとき何なのだろうとなる。
なぜウクライナ語がありロシア語があるのかとなる。

そのウクライナの紋章にしても変化しているのは国が合体したりして変わっているからである。ただなぜ最初が烏の紋章なのかとなる、日本の天皇もヤタガラス神話がありカラスを神聖化しているからである。その理由がわからない、確かなことはウクライナという国はもともと存在しなかったのである
ロシアの革命で作られた極最近できた国だったとなる

●アメリカの世界支配の歴史の失敗

そしてウクライナはアメリカ軍が直接入り訓練して軍隊にした。
アメリカが他国を支配する時民主化を大義名分として介入してくる。それはあくまでも口実だともなる。
とにかくウクライナが一方的にロシアを侵略したという見方は偏っていたのかとなる。アメリカが介入してその指示でロシアと戦うように強いられたのかとなる

その背景は複雑である。そもそも人間の個々人でも争いになるのはその背景を知らないと簡単に理解できない、だから双方の言い分を良く聞かないと判断を誤る。そして双方の事情でもりかいするのが難しから喧嘩両成敗になったのである。どちらが悪いと簡単に決めつけられないかである。

そういうところにアメリカが軍事力を持って介入してくることが問題だった。だからトランプ大統領はロシアに味方するようになったのかもしれない。アメリカの介入が災いをもたらしたと反省したからだとなる。ともかくアメリカの介入が災いをもたらしてきた。それはベトナム戦争であれイラク戦争であれアフガニスタン戦争であれ今回のウクライナ戦争もそうである。

そうしたアメリカの横暴は日本との戦争でアジアに介入して世界一極支配と進んできた一連のものとしてある。それが今や行きずまりアメリアファーストに変換するようになった。
パックスアメリカは失敗したしまた中国であれ一国がいかに巨大でも世界を支配することは不可能なのである、必ず失敗するのである。中国の一帯一路の政策も失敗しているからである
そこに神の介入がある。世界政府はできない、それはバベルの塔となるからだともなる。かならず崩壊することは確かである

●異民族との抗争がなかった日本人

ともかくこうした熾烈な民族抗争を日本人は経験していない、日本という島国に生活する人はみんな日本人になる
だから民族抗争がない、民族抗争になると相手は許されない存在である。だからジェノサイドが起きる。皆殺しになる。
それは聖書でもそうである。絶えざる民族抗争があり出エジプトでも異民族が邪魔したら皆殺しにした。それも神の命令の下にそうした。また中国では墓を暴いても敵を罰したというのもそうである。異民族の敵は許さないとなる。
日本だと敵味方塚があるように敵でも手厚く葬っている。
戊辰戦争戦争でも東北では敵を手厚く葬っている。

その相違は大きい、同じ日本人だからと西郷隆盛と勝海舟が会談して東京は戦場にならなかったのである、同じ日本人という意識があった。でも大陸では多様な民族が存在してそうはならないのである。異民族は殲滅しなければならないとなる。
今でもウクライナでもそうでありイスラエルのアラブ人もそうだしユダヤ人のホロコーストも異民族の排斥虐殺になる
それが継続されている。陸続きだということは必ず異民族が侵入してくる。それで中国では万里の長城が作られた
遊牧民のモンゴルが侵略してく来るからである。

日本にモンゴルが侵略しても海が障壁となり船も沈み攻められなかった。海に守られて日本は異民族は侵入できなかったのである
そして日本人のアイデンティティは500人くらいの村だった
そうした狭い範囲で一番怖いのは村八分だったことでもわかる
そいうことは一万くらいの町で自分も経験している

日本人が外国に移住しないというときもそうである。陸続きでないあからそうなる。陸続であれば何かあれば国境でも越えやすいからそうなる、日本は海で閉ざされてまた山でも閉ざされた国なのである。それが日本人を偏狭にしている。
ただ海は閉ざすけどまた外に向かって解放する場にもなる
だから世界大航海時代がヨーロッパにあった。日本にはそれがなかった。どちらかというと海は閉ざすものとして働いたのである。










posted by 天華 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

何のために働くのか? 【meaning〔意味〕とmission〔使命〕を追求していない、利益第一となる問題】


何のために働くのか?
【meaning〔意味〕とmission〔使命〕を追求していない、利益第一となる問題】


●人間は何であれ利益第一―カルト宗教も御利益第一

伊藤貫氏がmeaningとmissionを追求しろというとき一体国家であれ組織であれそんなこと追求しているのか、第一は利益を上げることである
でも老人になって問われるのはそ人のmeaningとmissinoは何だったのだろうとなる、結局利益であり金儲けが第一になる
そうしなければ会社でも成り立たないからである。
そういう意識を持って働いている人などいるのかとなる。今日食べるために金が必要だから働くというのが多数だろう

meaningとmissionを意識するのは極一部ではないか?
そんなことで社会が動いているのかみんな働いているのかとなる
まず何であれ利益をあげろというのが要求される
それはカルト教団でも同じである。御利益は普通の社会より追求して仏であれ何であれ祈っているのである。
meaningとmissionを意識する人はまれである。第一そんな高等なことを言っていたら大衆はついてこないしその言葉すら理解していない。でも御利益なるとか権力を得て社会で威張れるとかなれば即座に理解する。その言葉すら理解できない。

●人生の成果とは何なのか

でも老人になるとかえってそのことが問われる、一体あなた何のために生きて来たのか、ただ金を稼ぐために生きて来たのか
ただそんなことより日々食べるために仕事して来たとなる

でも何か結果的に10億円でも残した人がいる。でもその人は必ずしも何か価値あることをしてきたのか、そうともならない、ただ人が寄ってくるのはその金のためだとなる。別にその人のしてきたことに価値を認める訳ではない、そういう人は何か語るものをもっていない、農家の人とかなると作物を育てる様々な苦労を語る。大工さんでも苦労を語る、商売の人も苦労を語る。
でも株で億の金を儲けたと言っても何かそれを語っても聞いてもわからないし価値を認められないのである
何かうしろめたいことがあ全く語らない人もいる

だから人生の成果とは何なのかとなる。今ならどれだけ金を稼いだかで見られる。でもそれが本当の価値あることなのか?
そうもならないのはなぜなのかとなる。そもそもmeaningとmissionを意識して働いてきた人が極めて少ないだろう

ただ目前の利益に追われるて働いているというのが普通だろう
個々人でもそうだし社会全体でもそうである。社会でも国家でも何が目的であるのかもわからない。国家が真善美とか追求しているのかとなればない。国家とは何のためにあるのかそれもわからない。トランプ大統領のように政治とはデールだとなる。商売の取引だとなる。得と損であり損になればやらない、他国も助けないとなる、協力しないとなる。すべて損得利益で見る
国家もやはり会社と同じだとなる。

●戦争で300万人死んだ意味が深刻に問われる

でもmeaningとmissionを意識させられるのはなぜ戦争では300万人も死んだのか、それが不可解なのである。そんなに死んだという時その人達の死の意味を問われる、なぜなら死を賭して戦い死んだのに何の意味もなかったとされたらどうなるのか
それが無意味な死であったとなればどうなるのか、では戦争をした人たちは何かmeaningとmissionを感じて持って戦争したのかとなればそれもそうでもない、国から命令されたからであり強制されたからだとなる。そうして戦地に行った人も問題があるかもしれない、ただ何のために戦争に行くのかなど考えない、赤紙一枚来て突然戦地に行かされたのである。強制されたのである。

そして戦争が終わり戦没者供養をしているがでも返ってmeaningとmissionが問われている。それも深刻なのである、それはそれだけの人間が無駄死にだった言えないからである。犬死だったと言えないからである。だからもともとmeaningとmissionがわかりそのために死んでもいいとなっていれば問題なかったとなる。
それがあいまいでありだからこそ今それが深刻に問われているのである。それが個々のの人生でも同じなのである。

老人になってそれぞれ生きたmeaningとmissiongあ問われるのである。それも厳しく問われる。そして価値判断が成される。また死んでもでもやはりその人のmeaningとmissiongが問われる
それでもmeaningとmissiongお意識して働く生きる人はどれだけいるのかとなる。ただ金のために働く働かさせられる。そういう人がほとんどではないか、そうであっても最後にはその人のmeaningとmissionggあ問われるのである。

だから最初に神の国を求めなさいというときそれがmeaningとmissiongnいなるからそうなる。様々なことがあってもそれを第一としてmeaningとmissionを持ち生きることである。
求めるものが間違っていればやはりいくら利益を得ても最後は価値ないものとされる。それが老人ななって最後にわかるというのが問題なのである。まずは利益を求めなさいとなっている
そうしなければ食べてもいけないとかなる。

でも人間は意味ある死がありそれが大事になる、なぜならみんないづれ死ぬからである。だらだらと生きてもそれが意味あるとはならない、ただ恥があるだけだとなる。それなら意味ある死を死んだら価値あるとなる。そもそも何を目的として生きているのかそれが明確ではないのである。真善美を追求している訳でもない、意味ある生を追求している訳でもない、それが問題なのである。


2025年02月22日

老人が問われる人生の価値 【不遇でも人生の時間を何に費やしたか問われる】


老人が問われる人生の価値
【不遇でも人生の時間を何に費やしたか問われる】

●不遇な人もそれが言い訳にはならない

人間の価値というとき老人になると人間の一生の価値はなんであったかとなる。その一生の価値とはいろいろ他者が批評するがみんな違ったものになる、それはその人が一般的には努力した積み重ねたものが価値となる。
だからどんな家族に生まれたとかいろいろ条件が違っている。でも人生という時そうした生まれつきのものではなくその人なり築きあげてゆくものがある。

俺は家族にもいろいろ恵まれていないからうまくいかなかったのだと嘆く、それも確かのそうなのだがそうして他者や環境のせいにしても結局その人の一生はその人は築き上げるほかないとなる
いくらいろいろ恵まれていないと文句ばかり言っていても何ら積極的なものが生まれず改善もせず終わることになる
一生がただ運が悪かったとか回りの環境が悪いためであり自分のせではないとしても結局自分のせいになっている
ただ戦争で死んだとか氷河期世代とか世代的に時代的に不運がある。それもまたどうにもならないとなる。

知っている大工さんは学校でできなくても大工として壁塗りから庭仕事からいろいろなことができる。そのことの価値は認められる。その人はそれなりに努力して他にはできないような価値を作り出したということである。
でも学校で勉強ができないから何でも俺はダメなんだと思っていしまえばどうなったのか、何もできない人になってしまったということにもなる。つまり自分の不遇を嘆いても何ら解決しないともなる。ただ恵まれた私が言えるかとなる。でもそうして身の不遇を嘆いていても何ら解決にはならないことも確かである

●老人に問われるもの―何に時間を費やしたのか

いづれにしろ老人になると問われるのはあなたの一生は何だったのかとなる。あなたが経験したことは何だったとのかとなる。
そのことを旅が人生でもあったとなり私はプログに書いたのである。それが遊びだとしてもやはりそれが一生でもあった。
私はそのことに満足している。そのように生きられたことに満足している。それは家族に恵まれたからであるがそうでなくても人間はいくら不遇でも結局老人になり問われるのはその人が何をしてきたか、努力して来たか何を積み上げてきたのかである
何かしら積み上げてきたものがる。引き籠りでもある。そこに時間がありその時間を何に費やしたかである

人生とは何に時間を費やしたではないか
それが何であれそうなってしまう

それを社会運動であれカルト宗教であれそれに時間を費やせばそうなる。それが間違ったものであってもやはりそれに時間を費やしたのだからそれがその人の人生であり価値だとなる
でもそういう組織団体に属している人の価値はその組織団体が消滅すればなくなる。その人自身の価値ではないからである。

●何かを理解するのにも時間がかかる

俳句であれ短歌であれそれを作るには四季を感じて季語を理解する。だから必ず時間がかかる。時間がかかるというとき本を家が傾くほど買ったが理解していなかった。本というのはそもそも理解することが難しいと思った。ただ読んだとしても理解したとはならないからである。自分の文脈で引用することで自分のものになる。本は本当に理解することが難しくただ積読〔つんどく〕になっていたのである。
人間はそもそも天才でない限り何かを理解することができない、時間がかかる、つまり人間は何をするにも会得するにも時間がかかる。でもその時間を常に無駄にする浪費しているのである

いくらでも時間などあるではないかと見ている。でも遂には最後は時間切れで終わる。たったこれだけで終わりなのかいろいろできると思ったができなかったとなる。そしてもう二度と人生をやり直すことはできなくなる。後悔してもどうにもならないのである。生きる時間が消失したのである。

いずれにしろ人生を後悔しない人はいない、ああすれば良かったこうすれば良かったとか何かしら後悔のまま人生は終わる
後悔しない人は一人もいない、私自身も勉強の仕方が悪かったとかもっと早く海外旅行すべきだったとかいろいろある
老人になり後悔しない人は一人もいないのである。それだけ限られた時間を有効に使うことができていないのである。
結局人生は二度はない、後悔先にたたずになる。それが人間の繰り返しだとなる。でも否応なく老人になるとそれを思い知らされるのである。

焼き捨てて日記の灰のこれだけか 山頭火

最後に人生をふりかえるとこんなものかともなる。意外と人生も終わってみれば日記も結構な量を書いたが灰になていしまったとなる







2025年02月21日

「田舎には何もない。とにかく都会に」「時代錯誤な文化が嫌で閉塞的な人間関係をリセットしたかった} ―今の田舎の環境は変わっている


「田舎には何もない。とにかく都会に」「時代錯誤な文化が嫌閉塞的な人間関係をリセットしたかった}
―今の田舎の環境は変わっている

僕が住んでいたところはあぜ道と小川が流れているだけで、何も楽しいところはありません。高校の修学旅行で大阪に行ったときに、初めて一人で電車に乗ったことは今でも鮮明に覚えています。数分おきに電車が来て感動すると同時に、今田舎を出ないと、今後新しい体験はできないと思うようになりました。

●田舎から親元からの脱出願望はある

私も田舎を脱出したいという願望が強くたまたま能力がないが東京の三流大学に入った。ともかく私は東京に行きたかった
50年前ともなれば今の環境とは全然違うだから東京に行くということは特別なことであり憧れにもなっていたのである
それから勉強するにもネットなどないのだから本屋などで専門書などを置いていないし勉強する方法もなかったそれでなぜ東京から帰ってきて家にいて仙台に1週間に1回くらい通ったのは本を買うためだったのである。文系なら本を読むことで独学できる。別に大学になる行くこともなかった現実私立の文系などは勉強するのではなく遊びとか暇が与えられただけだったからである。

だからほとんど大学では勉強していないのであるそれでなぜ卒業したのかもわからない要するに私立の文系となればただ入学させてあとは自分で勉強しろというだけで第一教授でもゼミで1回くらいしか会っていないそもそも授業は無いのである
だからそこは公園だったというのも不思議なのである。

ただ自分にとっては親元離れるということで精神的に自立したという効果があったのである。でも何を勉強していないのである私が本当に勉強したの大学が大学を出てからなのであるそれは何か自主的に勉強するようになったのである英語など大学で勉強していなかったがテレビで英語の音を聴く事をしていた
まず英語の音を知るためにテレビで英語喋る人の音を聞いていたのである。それは意外と効果的なものだったのである。まず英語というときその発音に慣れて聞き取ることが大事だったからである
でも私の英語は極めて初歩的なものであり高校レベルくらいまでクラスだったとなるただそのごろインターネットもないし田舎で勉強することは本当にそういう機会がなかったことは確かである。

だから独学するというのは相当難しいことだったそれがわかったのインターネットが普及してアマゾンでほう買うと古本であれなんであれ膨大な方があったことに驚いた
あらゆる本がボタンひとつ押せば配達される。その違いも大きいものだった。その当時はやはり独学するということはかなり難しいものだ今なら本当にユーチューブで独学ができるいろいろな情報に接することができるだから別に都会に行かなくても情報は入るし学ぶこともできるように思う。

●田舎でも村には住めないー5万くらい以上の街がいい

むしろ自分にとって田舎はを学びの場だったのである。自然を見て俳句とか短歌を作るしも作り自然と一体となるアイデンティティ化する作業してきたからであるそして私自身にとって東京嫌いになったのはただそこが騒々しいだけである
群衆が大衆が誰かわからない人間がただそこで密集してここは無い疲れるだけの世界だと見るようになった

でも田舎だと特に農家などは何かその一軒の家が存在感はある
都会では一軒の家などは別にいくらでも家があるんだから存在感がないのである。ただ奇妙なのは田舎には確かに常識もない変な人間が存在してそれが存在感を持っているということはそういう人が目立つのである。
だから田舎の人間は姑息である今でも村8分ようなことはある。私は一万とかの町とかではなく5万くらいの原町くらいの市とかでも十万くらいでの都市に住むことを奨める。それは周り田んぼであり東京都下の大都会とはやはり違っているのである

昔の村のようなところにはときたま行くのは良いがそこに住むことは人間関係で苦しいことのだから進めることはできない
でも5万くらいの都市でもちょっと足をのばせすぐに自然に囲まれた村があるいつでも行けるのである。

ただ誰でも何かその一つの場所に住んでいることはあきる。それで嫌になるのである。でも私は旅ばかりしたというのもやはりまた自分の住んでいる狭い場所から脱出したいということでそうなったのである。それで梅雨の時期には必ず北海道に行って
北海道っていうのは私の第二の故郷になったのである

田舎と都会といっても田舎でも1万以下の千人くらいのまたは百人くらいの数十人の村がありとりと多様である
だから1000万の都会とかなるとそれはとても比べようがないものになってしまう。理想的なのはやはり5万くらいか十万くらいの都市に住むことでありそこに文化がないかというとあれだけのルネサンスの文化が華開いたフィレンツェなど5万くらいの都市だったのである。それであれだけのものを芸術は花開いたというか花開いたことが驚きになる

田舎には遊ぶ場がないとかいうのも違っている私は自転車で近くを回っているのやはり自然の変化があり飽きない
自転車で行ってもどこまでも家やビルでいやになってしまうだろう
そして狭い場所に押し込められたような感じになって嫌なのである。ただ若いときは刺激を求めるからどうしようもないということである。

ともかく今になるとインターネットが発達して何か情報的にも知的刺激にでも常に得ることができるし別に東京などに行かなくても独学もできるし困ることもないと思う。テレビだけだったら情報に偏るから田舎では損になる。
実際に田舎だと70すぎるとスマホなどをしていない人がいて同級生でも私のことを知らない人がいプログ読めないからそうなったのである。だから田舎に住むなら今ならインターネットがあるから格差がなくなってきたのである。

むしろ田舎の方は静かであり何か知的作業には向いているのである。そして別に今は誰でもプログでも発信できるからそれも差別がなくなったのである。本を出すとかなるとそれは特別な人でありできないプログラムは無料で誰でもできるのである。ユーチューブでも別に誰でもできる。ただ手間はかかせないのである。だから東京に住むことの利点があるのかよくわからないのである。確かに東京には東京のいい点もありそれは否定できないも今田舎でも別に独学もできるし様々な情報に触れることもできる東京でないと得られないというものは減ったのである

●田舎の不利な点、何でも自由に選べない

何か自転車で最新の自転車は通販でいろいろ売っているとしてもあとで修理してもらえないとことなり限られてしまったのであまた病院でも田舎だと医者が限られているから困ることはそれでも難しい病気になったら仙台市の方に行った人はいる
仙台市は通うには大変でもやはり一時間くらいで行けるから電車で行けるから便利だと思うだから何か別に東京に住まなくても文化的にも情報的に見劣りすることもないのでる

田舎の問題として何でも選択する範囲が狭くなる、前は一つしかスーパーがなかった。すると独占状態になり物価でも隣の市の同じスーパーより高くなっていたのである。
また田舎では常客にならないと店で断られることもある。三か所で私は断られたし他でも医者でも断られる
だから村に一軒しかない店とか医院とかになると困る
都会のように選べなくなり何かうまくいかないと断られ足りしたら困る、つまりそれが村八分なのである。現実に村だった今でもある。ただ別に他で買い物ができるし医者でも何軒かあるからそういうことはここでもないにしろそういうことで問題がある

ただ東京に出たいというときそれを別に人間は一か所に居ればその場所に飽きてしまうのである。それだからこそ旅をしたいということになるでも旅したいという時別に東京に行かなくても東北地帯でも北海道でもやはり狭いところから脱出して新しい広大な世界を見ることができるのである。だからなぜ今東京に行くメリットがあるのかよくわからなくなったのである。

ただ大学というとき理系とかなるとやはり設備の整った大学に入って勉強できるとかになり文系などは別にそうした設備もないなくていいし本を読んで学ぶということになる
独学できるのでそうした環境がインターネットで整ってきた
だからサイバー大学とかな生まれたこともはそういう点で田舎と都会のハンディキャップは無くなっているのだと思う。だから逆に別に東京に憧れると言う人は減ってると見ていた。私が若いときの時代と相当に違っているからです

正直別に東京に行くというのではなく人間はその狭い場所に地域に必ずあきる。もっと様々な世界を自然でも触れたい見てみたいということはあるそれは別に東京に行きたいということは違っているのある。要するに脱出願望はあるそれは別に東京に行かなくても満たされるのである

今やむしろ田舎の方に農業とか知ると興味深いものになる
でも田舎に住んでいても農民は一割にも満たない
というとき農業を直に知る人は接するする常に少ないのである。だから田舎に住んでいるからといって今や都会化しているともなる
でも田舎にいたからと言って昔のように様々な学ぶ機会とか情報に触れられないということはなくなったのである。ただ若いときはどうしても田舎を嫌がる親元を離れて都会に脱出したいと言う願望があるでもそれは振り返れば別に東京でなくても地方都市でも良かったのである

変なのは東京で電車が数分おきに乗るということに関心しているというのも何なんだろうと そんなこと感動することなのかとなる。
地方だと鉄道はあっても一時間おきとかさらに一日に3 4回くらいしか走っていないところもある。でもみな車が持ってるいるから移動できないことはない
でただ私の場合は隣の市まで8キロぐらいしかないから自転車で通える便利であり不便なことはないのである
だからこの人の言っていることはただ若いという時そうを感じるのである

●老人になると静かな落ち着いた田舎に回帰する

だんだん時間が経って年取ってきたら田舎の方が良いとなってしまうのである。若者の価値観と老人の価値観は違ってくるからである。老人になれば何か静かで落ち着いたところが良いとなるのである。
私自身はそういう傾向が若い時からあったから違っていた。それ以後田舎で引きこもりになっていたのであるそこで禅僧のように沈黙行をしていたのである。
そして自然と一体化するアイデンティ化することを試みてきたのである。そしてそれを俳句や短歌詩にすることをしてきた。そもそもそうしたものを自然に常に触れていなければできないことだったのである。

とにかく今は東京とか大都会と田舎でも何かそれほど差はなくなってきた。確かにあることはあるでもそれを埋めめ合わせるものはインターネットでとかで生まれた。田舎でも別に学問であれ知的なものであれ身につけることは可能である
むしろ静寂の中で自然と一体化すればそこに芸術が生まれてくるだからなぜ5万くらいのフレンツエの都市であれだけの芸術が生まれたか知るべきある。大都会からはそうした芸術の天才も生まれないのである。そこにも自然が欠けていて自然の美に触れることができないからである

1000万の都会となればそれはもう異常な世界で今人口が減少して行く都会から田舎に分散させるべきだと思う。そんなに1000万も人が集まるということ自体異常だからである
別にリモートワークとかそんなに都会にだけ人が集まらなくても仕事もできるようになっているからである。そして田舎は空家が多いからからそこで住むというのもいいことであった

ただ一万の町とかさらに小さな村とかには住むのは人間関係が難しいから仕事もないから進められないとなる
別に5万であれ十万であれそういう所は自然に囲まれているしてちょっと足をのばせば自然があるのだから東京都は違うのである。わざわざ江戸でも枯野見で行くこともない。ちょっと外に出れば枯野になっているからである。すでに東京ではもはや枯野など見ることはできない相当に遠くに行かないと見れなくなっているからである
ただなぜ今でも東京志向が強いのかとなれば就職の選択が極めて限られているからである。東京だとスキルがあればだが様々な職業がある、田舎は極めて限られているから問題なのである

posted by 天華 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2025年02月20日

歴史のトラウマとカルマーヨーロッパとウクライナとロシアの戦争のトラウマ 【両方とも責められた被害がありトラウマが消えず信用しない】


歴史のトラウマとカルマーヨーロッパとウクライナとロシアの戦争のトラウマ
【両方とも責められた被害がありトラウマが消えず信用しない】

●個々人のトラウマと国同士のトラウマ

人間は個々人でもトラウマになることが普通にある。トラウマとは傷であり何か心を傷つけられることがあればまたそのことが同じように自分に起きると思ってしまう
それは人生経験の中で裏切られたり人は信用できなくなることは常にある。自分自身でも散々な目に合い人間が信じられなくなった。人を見たら泥棒と思えというのはまさにそういう経験をすればたとえその人はそういう人でもなくなくても現実にそういう経験をするとそうなってしまう。人は信用できないということである。それは経験でそうなってしまうのである。必ずも1回そういうひどい目にあうと人間に対する見方が全く違ったものになってしまった。それはトラウマでありその傷を癒すことなかなか出来ない。人間不信になってしまったのである

このことは個々人のことであってもまたそれは大きな国同士でも起きているのである。韓国であれ中国であれ日本に一回またはその前でも秀吉とか攻めてきて蹂躙されたとかそのことをトラウマとなってまた攻めてくるのではないかという疑心暗鬼になって日本人を責めてくるのである。
それは中国でも同じである。日本人蹂躙されたということでその恨みがやはり残っている。それで怖いのはその恨みを晴らすということで日本攻めてくるということにもなる。そのトラウマが消えることがないのである

●ロシアとウクライナ〔ヨーロッパ〕のトラウマ

ウクライナとロシアの戦争でもやはりそうしたトラウマがあり争いになる。なぜならロシアがヨーロッパからナポレオンであれドイツのヒットラーであれ進められてきて1000万人が死んだとかあれそれがトラウマとなっている。いつまたヨーロッパが攻めてくるかもしれないという不安を拭い去ることができないのである。

逆にヨーロッパ側でもロシアは東欧を攻めてきて占領したとかありロシアは危険だとなるのはそのトラウマが消えないからである
一旦行われた行為がカルマとなる。カルマとは他者にした行為が返ってくることである。ハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」という原則はもそうである。つまり一旦相手から受けたことは傷は消えることがないからその仕返しをすることが許されていたとなる
常に人間にはこのカルマの法則が適用される

ウクライナ戦争もそうした歴史のカルマが関係しているそれがウクライナとロシア戦争と見ているわ実際はヨーロッパとロシア対立がありそれでウクライナはその中間にあって紛争の地域とな
の背後のヨーロッパがロシアを恐れてまた逆にロシアはヨーロッパの攻めてくるという恐怖のトラウマ消えないのである
そうした歴史のカルマがありそれは解消されないのである
ロシアにとってはウクライナのキエフとかはロシア発祥の地であり歴史的にもうもともと深い関係はあり言葉にしてもウクライナ語とロシア語あっても通じ合うということもありうる。だから文化的にも共通性がありウクライナはロシアの一部だという認識になる。そういう事情はありそこにアメリカが介入したことで反発したのである。

だからアメリカが介入してありヨーロッパがその背後でウクライナを支援するということはまたロシアにとってはトラウマとなり過去が蘇り攻めてくるのではないかという恐怖になっている。
ただ西側ヨーロッパ側から見れば同じようにロシアもまた攻めてきたように攻めてくるというトラウマがあり恐怖なのである。
要するにそのトラウマが個人で相手から受けた傷を簡単にはいやされない許されないということである。信用できないということである。
だからどちらにしろキリストのようなな〔汝の敵を愛せよ〕という許しがなければ永遠に信用できないし争うとなってしまう
確かに一時的には訂正してまたそのトラウマが消えたわけではなく不安があり警戒は続き平和はないのである

一旦行った行為というのはカルマとなって消えないのである。だから人間の行為というのは罪深いものでありそれが消えないということで延々と苦しむのである。なぜなら中国にしても日本に占領されたこともありそれでカルマとなってその恨みを晴らさなならさなければ収まらないとなってしまうからである

●日本でもロシアを警戒するのは過去の戦争の歴史のため

日本にしろロシアを警戒するのを現実に日本は日露戦争とかまた太平洋戦争で北方四島は奪われたとかりそれがトラウマとなってロシアを信用しないし警戒することになる。ロシアは日本の弱体化にすれば北海道に攻めてくるというのもそのためである。どうしても過去の行為から信じられないからそうなる
一度行われた行為というのはカルマとなり消えることがないから深刻なのである。

それでウクライナはヨーロッパとロシアが中間にあり中立国にすべきだということになる。そういう解決策しかないのかとなる。ウクライナというのはその国家自体の歴史百年とかなのか短いのである
つまりもともとロシアでありヨーロッパに属していたわけではないので。なかなか西側に属していればそういう見方ができない何か一方的に侵略したロシアの横暴のように見えるのである

それでアメリカでもそういう事情がありそれを考慮してロシア側に配慮して和平をもたらそうとしているのかもしれない。そういう歴史的事情がありそこにアメリカが介入したこと自体が問題であったということを認識したのかもしれない。つまり一方的にウクライナに支援したことが問題だったということに気づいたのかもしれない。それでその解決方法というのはウクライナを中立国として存在させるということにもなったのかもしれない。

ともかく人間の問題は国同士であれカルマが関係している。相手にした行為がカルマとなりその結果としてそれがトラウマとなり信じられなくなることである。この辺で起きた原発事故でも同じである一旦こうした大事故で大被害を受ければいくら原発は安全だと言ってる信じられなくなる。それは個々人でも同じであり一旦他者から受けた行為はカルマとなってその傷はトラウマとなって消えないのである。

人を見たら泥棒と思いというのも必ずそういう目に合えばそういうふうに人を見てしまうのである。それは例えば別にそんなことをしない人まで泥棒ではないかと見てしまうのである
それでそういう被害を受けた人は他者を信じられなくなるのである。それは自分自身ですらそういうことを他者にしているから他者を責めることはまたできないともなる
ただつまり人間のそうした罪というかそういうものは決して一人の人に傷つけるのだけでもなく社会全体に影響する。。だからこそ諺は今でも生きているのである

外国人が観光で日本に押し寄せてきているのまた批判したりするのそれはこれまで日本人が外国でしてきたことでありそれがカルマとなった帰ってきたということである。そうした行為というのが必ずカルマとなって返ってきて消えることがない、だから人間の問題というの永遠に解決しないともなるのである
ただそうしたことを深刻に考える人はいない、でもそうした行為がカルマとなって必ず返ってくるということを知らなければならし必ず知らしめられのである。




posted by 天華 at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月19日

なぜ共産主義革命が失敗したのか―一挙に社会を変えることで犠牲が大きかった 【創価公明も同じであり失敗】


なぜ共産主義革命が失敗したのか―一挙に社会を変えることで犠牲が大きかった
【創価公明も同じであり失敗】

●共産主義革命の失敗の原因

なぜ共産主義が失敗したのだろうか。それは一挙に極端に平等化を目指したからではないか。それはあまりにも強引だったのである。確かに社会の不平等はある。それを是正したいということもある。
でもそれを一挙にやろうとすると暴力革命になる。フランス革命でもそれは行き過ぎたものだったのである。貴族階級を殺すということで平等を実現しようとした。
また共産主義革命でもやはり一挙に富裕層とか支配者を殺すことで暴力革命で平等を実現しようとしたのである。でもそれもあまりに強引すぎて極端になって返って何百万もの人間が殺されたとなる。何か知識人でもその人たちは楽して得をして大きな収入を得てるとか憎悪のの対象になったのである

カンボジアでは眼鏡をかけているだけで何か気に食わないとなり粛清された
みんな黒い服を着るとか何でも一様化する。外国語を話す人も粛清された。また宗教でも弾圧された。それは中国でも前のソビエト連邦でも起きた。中国でも起きた.それはなぜなのか
人間を一様化平等化することを性急に実現しようとした
また社会の底辺層の不満分子を組織化して暴力革命を実行した
そこにも多大の犠牲者を出した。それはナチスとも似ていたのだる。つまり全体主義だったのである

人間の問題は何か一挙に解決できないのではないか?
時間をかけないと解決できないのではないか
解決を急ぎすると失敗するのではないか

●人間の運命の不可解

人間の問題は様々ある。そもそも人間の運命自体が不可解なのである。金持ちの家に生まれるものがあれば貧乏な家に生まれるものもある。その差も大きいのである。
それだけではないさまざまな不平等が人間にはある。金持ちの家に生まれても何か交通事故で早く死んだりするもするしすべて恵まれている人はいない

だからなぜそうなっているのかということが不可解になりインドではカースト制が生まれた。それは生前の行為がカルマとなってそうなったと言う事である。どうしても不平等がありその不平等はの原因がその人の生前の善行とか悪行とかカルマと関係してそうなったとする思想である

そういう思想が生まれたのはやはり人間の運命というのは不可解だからである。例えばフォーチュンというのは財産が運だというのもそうである。いろいろあってたとえその人が優秀で才能があっても必ずしも成功して富を得るわけでもないからである
だか運の作用が大きいとして理解したのである

人間の不平等とか様々な問題を一挙に解決しようとする時そこに無理があり返って多大な信じられない犠牲者が出たということである。それは戦争というのもそれと似ている。戦争で問題を一挙に解決しようというとき世界でも日本でも何千万人になるのか信じられない犠牲が出たということである。

何か共産主義でマルクス主義で一挙に社会の不平等でも問題が解決できると熱狂したがその犠牲者は膨大なものだったのである
だからといって資本主義がすべていいというわけではないし推奨しているわけでもない。何か理想の社会などどんな主義であり実現することはない。それを無理して強引に実現しようとしたのがマルクス主義でありその犠牲者は膨大なものだったのである。

この世の人間の問題は一挙には解決できない!

●猫にも運命が作用していた

そこには時間が必要である。時間によっておのずと解決するかもしれない。それを個々人の運命でも人生でもそうなのである。何か一生苦労するということはないかもしれない
私が経験したことで不思議なのは猫を一匹飼っていた。その猫はなついていたのである。でも黒い猫が餌をやっているとき必ず来て奪おうとしていたのである。
私はその黒い猫を追い払っていたのである。ところが私の家で飼っていた猫は死んだ。その結果として私はその黒い猫に何か知らないが餌をやるようになったのである。でも一年なのか二年なのか餌をやり続けてもその猫は慣れることはないただそれでも餌
をやり続けているのである。

これはだからこれは何なのだろうというとき一つの運命だったともなる。何かい人間でも人が死ぬと誰かが得するというか変わるということがある。私の父親違いの兄は東京で父親が死んでその妻だった私の母親を私の家の後妻となったのである。
でも私の家はその兄を良くしなかったのである。私は特別良くされたのである。そして兄は40歳くらいで交通事故で死んでしまったのである。そもそもは本人の不幸は実の父親が事故で死んだということだったのでそしてその子供も事故で死んだのである。だからこれは何なのだろうとなる。

その人は近くの男性と親しくなったのはその男性は妻を亡くしてから親しくなりその家にも手伝いとかに行っていたのである。そうなったのはその男性の妻は死んだためそうなったのである。それで恩恵を受けたのである。
何か誰かが死ぬと誰かの運命は変わり恩恵を受けるということがある。それは何なのか良くわからない。でも何らかのことで人の運命は変わるもちろん悪い方にも変わるのだが良い方にも変るのである。

現実自分自身のことだがなぜその貧乏な人に私が応援して援助しているのかというのも不思議になる。それは私の家族が全部死んだ結果としてそうなったのである。だからそれ私は特別親切だとか何かそういうことでもない何もないのである。一つの運命としてそうなったとしか思えないのである
もしかしたらそういう風に人間というのは何かの運命に強制されている神に強制されているのかもしれない。そうした運命を無視して人間の力で強制的に運命を作る平等化するということがうまくいかないのはそういうところに原因があるかもしれない。

●一挙に社会を強引に変えることはできない

つまり何か人間というのを社会を一挙に強引に集団的に組織的に変えることは何か無理がありそれが多大な犠牲を生んだのかもしれない。例えばそれはカルト宗教団体にも言える。宗教だからマルクス主義のように平等目指すということはない。カルマだとしてその人の前世の行為だとなればそうなる

でも創価などを見ればそうした宿命論ではない何か共産主義と似ているのである。そうした底辺層の不満を政治によって権力を持って一挙に解決しようとする。それは何か共産主義と同じではないか。つまり何が共通しているのかというとそうした不満分子を集めて一挙に社会を変えようとすることである。
それが共通しているのである。

ただそうしようとするのは幹部たちがそうした不満層に訴えて政治的力を持ち自分たちの権力を得て得するという目的にもなる。だから中国でも共済党の幹部になれば莫大な金を得ることができそしてまたそこに不平等は生まれているのであるみんな共産党の幹部になれば金持ちになれるとなったなっているからである。

ともかく社会はそんなに一挙に変えられものではない
もしそれを強引に実行するとカンボジアやロシアであれ中国でも多大な犠牲者が出したのである。金持ちを血祭りにあげるということは何かやはり問題があった。それが行き過ぎたものになったのである。でもそうした不平等とか問題は時間をかけて解決するということができないからそうなった。

●時間をかけないと裕福にもなれない

何か裕福になるにはとても一代ではできないように思うからである。私の家でも父親は酒屋の丁稚である貧乏で苦労してきたしほかの人も苦労してきた。でも日本でも高度成長時代がありみんなは裕福になれたということがあった。その時戦前ならば地主と小作がいてこれも不平等だったがアメリカの支持でで地主がなくなり小作に土地が与えられて不平等はなくなったのである
でも戦前でも共産党は暴力革命を目指していたのである。そ。れで取り締まられたこともあった
ただ民主主義の社会では暴力は許されないから選挙活動で平和革命を行うようになったのである。

だから何か共産党と創価公明党は似ているのである。どちらにしろ社会を性急に変えれば不平等はなくなる。その事では一致しているからである。創価公明というのは仏教だから平和革命などと言っているが現実はその組織団体は軍隊と同じなのである参謀とか隊長とかがいて軍隊組織になっているからである

その組織団体を権力を奪取して社会を一挙に変えて不満分子に恩恵をもたらすものとするからである、御利益を与えることができるからである。宗教は個々人の心の内面を問題にするがカルト宗教は創価でも社会を改革すれば改善するとなるから共産主義と似ているのである。

確かなことは人間個人であれ社会であれ一挙に変えることはできない。裕福になるしてもまた一代でよってできない。つまり時間がなくてはそもそもは人間の問題では解決できないのである
だからまず一生不遇でも不遇に終わる人はない。どこかで好転することがある。ただみんな不満なのはそうして長い時間を待てないということである。だから一挙に解決しようとして返って大きな災いを社会であれ人間にももたらすのである

2025年02月18日

相馬市玉野村の歴史とその生活の変遷


相馬市玉野村の歴史とその生活の変遷

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玉野村ー霊山ー石戸村ー梁川ー丸森−相馬へ 
【玉野村の歴史冬に入る俳句短歌】

●玉野村の歴史


日本歴史地名大系 「玉野村」の解説
福島県:相馬市玉野村
[現在地名]相馬市玉野
阿武隈高地の霊山りようぜん(八二三・五メートル)および古霊山(七八二・五メートル)の東麓の山中および高原に位置し、東は入山上村・笹町村。南西の伊達郡石田村(現霊山町)からの中村街道が字岩下で村内に入り、北の仙台藩領伊具郡筆甫村(現宮城県丸森町)を経て、入山上村字松まヶ房に至る。字霊山に発した御手洗川は宇多川となり、筆甫村を経て入山上村に入る。

かつては山上村のうちで、慶長三年(一五九八)に同村と上杉景勝領の伊達郡石田村から人を移して駅を立て、それぞれ相馬玉野村・伊達玉野村と称された(宇多郡村誌)。



玉野村の歴史は比較的新しい、江戸時代に入植した人たちの子孫だとなる。もともと伊達藩に属していた。石田村から入植した
南北朝の争いで落ち延びた人達、主に只野氏一族などがあり玉野村を通り卒塔婆峠を越えて真野川の上流に出る大倉村の方にでて
鹿島村に落ち延びた。その卒場峠は通れなくなり森に埋もれた

実はもともと最初に入って来た人達は安曇族系統の八木氏である。なぜなら玉野村の境界辺りに八木原とありそこは海人族の安曇族系統の八木氏が焼畑を行った地域で名前が残った
また山津見の社が途中宇多川を上ってきた所にも隠されるようにあった。つまりそういう場所が飯館村に行く途中の山中にある
栃窪村でも山津見神社があり塩の道であった所を上ると山津見の社があった。また飯館村の佐須村はまさに佐須とは焼畑のことである。そして山津見神社がある。綿津見神社もある

これは対になったものである。それは浪江町の津島でも途中に大山祇神社があり大山津見神社でもある。それも焼畑が行われた場でありそれで地名化した。
原町にもある三島神社も大山祇を祭っている、

霊山から石戸村に入ると犬飼というバス停があり犬飼も犬養であり近くにもあり安曇族系統の人たちが入って来て焼畑をした跡だとなる。
だから東北〔福島〔東北〕中央道の前の霊山に行く道路は古代からある古い道だとなる、その境目に伊達と相馬の境の桜が咲く。
花は相馬に〜実は伊達に〜は有名である。
若木神社もあり他藩から疱瘡が入るのを恐れ祭られた

玉野村の本体はその境目からトンネルをくぐるとある。そこは開けた平の土地がありそこに一つの村は形成されたことは納得がいく、何か別世界に来た感じになる。ただここは江戸時代になって伊達藩の石田村の人達が入植したから比較的新しいのである
そこは霊山が近くても南北朝時代は原野だったとなる。でも丸森となると古代から伊具郡があり古い、南北朝時代の霊山にかかわる桜が筆甫にある。

ウバヒガン桜(親王桜)
筆甫
高さ約30m、根元の幹周り10mの古木で、樹齢500年以上と推定され、4月の下旬にはひがんざくら特有の淡く小さな花をひっそりと咲かせます。
丸森町指定文化財(天然記念物)。


近くには南北朝時代、北畠顕家が霊山城を築いた際、鬼門であるとして薬師如来を祀ったといわれている薬師堂の小祠があります。

建武四年(一三三七)正月二七日の氏家道誠軍勢催促状(相馬文書)によると、相馬胤頼は北畠顕家の籠る霊山城を「武野路手」から攻めることを要請されているが、これは玉野路手のことであろう。


この関係で鬼門ななったのか不明である。つまり相馬氏が北朝でもあり南朝の北畠氏と争うことがあった。相馬氏でも南朝派と北朝派で争うことがあった、それを語る只野氏一族の人が近くに住んでいる
この辺では霊山上での攻防は大きな歴史である、だから当然そのことにまつわる話が残っている。

●戦後の引揚者の歴史も見逃せない

こうした山村で見逃せないのは戦後引揚者が開拓に入ったことである。もともと住んでいた人がいたがそうした引揚者は仕事がなく不便な所に入り苦労したとなる、それは全国で必ずある
南相馬市でも鹿島区の小池となれば街から近いのに戦後開拓に入って来た人を知っている。そこに自分の家で店を始めた時卵買いに行かされていたからである。それも自転車であり糠を入れて卵を割れないようにするが必ず割れたのである
それはなぜかとなれば道が舗装されいなくて真野川にかかった橋でも木の橋であり揺れたり道が悪いからだった
こういうことをふりかえるとそうした不便な時代に山村で暮らすのは容易ではなかった。

なぜなら街から相当に離れていたら相馬市の市街まで来ること自体簡単にできない、鹿島区の横手から梨農家が梨をリヤカーで相馬市まで運んでいたと聞いた
相馬氏だと15キロもあった。往復30キロでありそれを梨を積んで運べば重いし大変な労力だったとなる
だからそうした山村では簡単に街には出れないのである。基本的には自給自足する他ないのである。
でもそうして代々そうした山村で生活して来たのいである。それができたのは炭焼きがどこでもしていて山村が成り立っていたし
木材でもとれたから山持ちは金餅にもなっていた。それで飯館村のばあちゃんが私は相馬の女学校に親戚の家に住んで鹿島から通っていたとか聞いた。この辺で相馬女学校に入る人は特別のエリートだったのである。ともかく交通が不便だから車時代の今とは比べようがなく不便だった。だからこそ戦後の引揚者は半分くらい撤退したのも理解できるのである。

●玉野村の廃校の利用の問題

とにかく山村にも歴史があり何かそうした村が失われるのは寂しとはなる。やはり旅する時都会だけではつまらないのである。
自転車で回る時はかえってそうした山村が魅力になる、でもそこに今生活することは容易ではない。医者もいないし様々なことで不便になる。そして今は玉野村は山がまるごとソーラパネルになったり小学校が麦を作りウェスキー工場にするとかまたは飯館村だと放射性廃棄物の処理場になるとか何か余りにも違った雰囲気になった。
それで残念だとなるが生活が第一だからどうしようもないとなる。そもそも原発だって双葉辺りで働く場所がなく出稼ぎするから故郷で暮らしたいとして誘致したのも同じである。
それが裏目に出たのである。

私としては玉野小学校の利用は休息所にするとか何か憩いの場所にするとかがいいと思うがそれで金になるとはならない、するとどうしても金になることが優先されるのである。
そこで生活するとなると旅に寄るのとは全く違ったものになるからである。

ともかく山村がなくなることは日本全体でも多様性がなくなり単一化されて生活の彩りがなくなる。何か山村だとこんな所に人が住んでいるのか村があるのかと不思議にもなりほっとすることがある。それだけそういう場所に住んでいることはやはり外の人に見れば価値あるとなる。でもそこに住んでいる人から見れば住みたくないとなる。それは一時期にそこに寄る人との違いである
でも山村が消失してゆくことは何かどこも同じような街しかないとなるとつまらないとなる。多様な場所に住むことでそれが文化を産んだとなるからである。



2025年02月17日

創価公明党は完全な政教一致の危険な団体 【目的は権力奪取ーそのためには何でも利用する】


創価公明党は完全な政教一致の危険な団体
【目的は権力奪取ーそのためには何でも利用する】

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玉木代表 は認めない!! 悪用の陰謀が暴かれる! 
公明党 まさか!!! 大変な事態が発生!

●創価の目的は権力奪取で完全に政教一致

公明党の根本的問題は完全な政教一致にある。それで矛盾しているから問題は生じる。私が経験したことではほとんどが選挙活動でありそのためにただ使われだけだった。
私を折伏した人が大阪の方の京都の方の市会議員だったから特にそうなったのである。その人は元々は純粋な人であったのだろうでもそうした創価の議員なのだから完全に創価一色になりまるでスナチス党員であり中国なら紅衛兵だったのである。
なぜならすべて公明党の議員になった結果そこで収入があって大学にも入れたとかそのために生活的にも良くなったからそれはすべて創価のおかげであり公明党のおかげだとなっていたからである。だから何か創価というのは公明党というのは何かわかりやすいものだったのである。

創価というのは毎日が選挙のためにあり座談会でも選挙に勝つためにありそのために題目を上げて祈っているのである。また池田大作氏が生きていた時は池田先生のために選挙活動をしていたのである。そして創価の目的とは何なのか権力奪取であるあらゆる手段を講じてただひたすら権力奪取に向かうのである

だから選挙という時すでに二年前なのか選挙活動をしているのである。すでにこの参議院選挙でも半年前から全国にポスターが張られている。選挙活動であり選挙のためにある団体なのである
なぜそうなるかとなれば創価の目的は公明党の目的は権力奪取だと公然として宣言して毎日題目を唱えているからである。その権力奪取のためにはいかなることもする
なぜなら池田大作は愛読しているのは三国志である。いかに権謀術数を用いて権力を奪取するかってことを公然としているからである。
そしてそこで語られるの御利益であり福運でありそれが得られるとして毎日活動しているのである

だから創価というのはその公明党の議員の中に一番その特徴が現れれているのである。議員になれば栄耀栄華がいられるそれで汚職とかなり公明党議員でも逮捕されたのである。それはある意味で当然の結果だったのである。
なぜなら何であれ権力を得ることを目的にしている団体だからである。それに幹部たちは同意しているし公然としてその目的はなにか権力奪取だと宣言していたからである。権力を得れば栄誉栄華がご利益が得られるということでそうなっていたのである
それは明らかに政教分離の法律に違反していて自民党でも一時は公明党を批判したが公明党創価を利用するために票を得るために利用して連立を組んだのである。

●国土交通大臣の椅子を離したくない

そして国土交通大臣の権力を得ることになったのである。結果としてそういう権力を持てばまた票を得られるということがある。すべてがただ権力を得ることに運動するのであるその権力を得るためにはどうするかとなれば選挙で勝つことが最大の目的になるのである。選挙に勝てば仏法の勝利だと何なるからである。だからこうして完全な政教一致の政党はなぜ存在し得るのか理解できないのである

ただそこにはもともと社会の底辺で苦しむ人がいてその人たちを支持層にしていたからそれは共産党とも似ているのである。その人は最低の貧困者であるがその人は共産党に入って常に社会を批判して貧乏なのは政治のせいだといっていた。こういうことで公明党と共産党はそうした社会の底辺層に多いからその人達が運動するのである。そういう人たちは社会で助けないからそれが何であれすがるということである、だからそうした底辺層に目を向けないとそうした団体はやはり無くすことができないともなる
何か必ず別な団体が名前を変えてでてくる。それはまた政治のカルマであり繰り返されるとなる

だからそういう人達を利用して政権権力奪取を目指すものとなったのである。ただ別にもともと宗教団体というのは政治団体というものでもあり中国の中国なら黄巾党とか不満分子を集めて革命を起こすのである起こしたのである
だから今でも習近平などは宗教というのが集団組織化していると政権維持するのに危険だから弾圧するのである
また信長が一向宗などの比叡山のそう僧侶たちをを惨殺したのはそれはそこが信長の権力の及ばない治外法権のようになっていたから敵対するものとしてそう見たのである。それは確かに権力者から見れば権力をに反抗するものとしてそうなったのである

●政教一致はナチスでもマルクスの共産主義でも天皇にもあった

ただ宗教と政治が一体化する時どうなるのか。それは歴史的にはナチスとかとも似ているし日本でも天皇を現人神として戦争を戦って300万人も死んだというそれも宗教的問題だったのかもしれない。天皇のために死ぬということは国のために死ぬことでありある意味で殉教だったからである。つまり政教一致ということはそういうことである。その死んだ人の数も膨大なのである
中国の文化革命でありカンボジアの共産革命であるそのためにどれだけの人間が死んだのか。カンボジアでわ200万人も死んで骸骨の山が博物館になっているのである。つまり共産主義というのも1種の宗教であり教条主義になりそれに反対することは許されないともなった。そして反対者は粛清されたとなる。中国語でも紅衛兵とか毛沢東によって洗脳されて反対者は吊るし上げられて殺されたということもある

なぜそんな悲惨なことが起きたのかというとマルクス主義というのは一つの宗教にもなっていたからである。今のカルト宗教と似ているのである
本来の宗教とは関係なく政治家して権力を得ることが目的としている。第一宗教なのに三国志を経典のように勉強しているというのもおかしな話なのである。そこにはどういう人が集まるかというとまさに権力を奪取して議員になり栄誉栄華だが得られるとして運動しているのである

そこに本来の宗教など微塵もない。でもやたらと反対する人は地獄に落ちるとか罰当たるとか脅して現実にそうなるとみんなで喜んでいるのである。
でも現実はその会員でも信じられない不幸な人が普通の社会より多いのである。そもそも人間は不幸から逃れられない何らか家族を見て見てみると何かしら問題を抱えているのである、それは私の家族もそうだしたった他でもそういう事が多いのである。別に創価の会員でも信じられない不幸に陥っている人もいるし全く問題なども解決しない人もいるのである。

近くの人で息子が病気になるその後その母親は病気になり死んだという不幸がある。それは創価に入ってからすぐにそうなったのである。だから周りの人はなんなのだろうと見たことは確かである。そういう例はいくらでもあるのである。私自身の家族でも認知症になったとか様々な苦しみを経験した。自分が病気になったとか苦しんできたからである。そういうことは別にどこの家族でも起きてくることである。そもそも人間が生きることはそうして苦しむようになっているのである。それがカルマだとなる

ではそのカルマの解消は創価であれカルト宗教団体に入って解決するかとなるとしないのである。むしろ悪い方向に向かうこともありうる。なぜ創価に入った途端に息子が病気になりその後すぐに母親が死んだのかということもそのことである。だからそれを見た時周りの人はなんなのだろうと見たのである。

でもそういうことは別にそう家でなくてもほかの人でも起きている。創価の会員だからと交通事故に遭わないとなるかとなれば学生時代に運動した人は20歳ぐらいで交通事故で死んだのである
いくらでもそうした不幸は別に創価の会員でもカルト教団でも必ずいるしかえってその数は人数が多いのだからそれに比例して多いのである。

そうかはいれば病気にならないとか事故に会わないとかまた商売でもうまくいかないとかにはならない繁盛するすべての人が繁盛するとかもならないのである
現実に創価の会員でも事業に失敗する人など山ほどいるいるだろう。もちろん病気になる人もやはり同じである。そもそもそうした不幸は人間に避けられないのである。だからこそ聖書でもヨブがどれだけ苦難を得たかそれで信仰を捨てなかったかということが記録として残っているのである。それは神がヨブに試練を与えたからである

●カトリックでも免罪符を売り奴隷にしたのと似ている

何か宗教というのは人を奴隷化するのにいいものなのである。それはキリスト教でも同じだったのであるカトリックが人々を奴隷のようにして縛りそして最悪は免罪符などを売り付けたのであるそれで天国に行けるとか金をせしめていた。それはまさにサタンの業だった。それに反抗して司祭か牧師とかそんなものはいらないとしてプロテスタントが生まれたのである

つまり神の権威を語り人々を支配しようとしたのはまさにサタンだったのである。それとカルト宗教団体は似ているのである
第一そんな人たちが地獄に堕ちるだとか罰当たるとか言えるのか?むしろ宗教家と地獄に落ちると不安に思う人は却って救われるということを言っている。それはやはり自分の罪とかを自覚したからかもしれない。それを創価とかこれカルト宗教団体は人を縛り奴隷にするために恐喝の手段として宗教を使ってから相当に悪質である。そういう人は確実に地獄に本当の地獄に行ってると思う。
でもそういうことも恐れもしないのがそうしたカルト宗教団体の幹部なのでだからそういう人達は本当の悪人なのか無知なのかサタンに操られているのか不可解だとなる

ただその罪は相当に重いから確実に来世で裁かれてその人たちこそ地獄に落ちるのである。ただそういう人たちは現世ではそんな地獄の恐ろしさなど感じないのである。ただ現世で得すればいいだけである
だから地獄に落ちるなどと感じる人はその人は本当に宗教家である。だからこそ親鸞は地獄は一定の住処とか言っていたのである。つまりそう思う人は本当の宗教家だったということである

相手に対して地獄に落ちるなどという人はそれはまさにサタンであり悪魔だったともなる。何か平気でカルト宗教団体の人はそういうことを言うからである。その罪は相当に重いから来世で裁かれる罰せられるか恐れるべきである。ただ奇妙なのそういう恐れもないからこそそういうのである
つまり俺は地獄に堕ちるほかない悪人だと思っている人は本当の宗教家でありその人は救われるとなる
いずれにしろ宗教となると何かやっかいなものになる。だからこそ触らぬ神に祟りなしとなる。カルト宗教団体に入ったりしたら会員になったりしたら奴隷にされて金を巻き上げられるだとなる

いずれにしろ創価は衰退して公明党も衰退してやがては会員が減って消滅してゆくのは見えている。だからこそ様々な最後のあがきなのか国民民主党が伸びてきてからそれを利用しようとかなんとか会員を減るのを抑えようと躍起になっているのでは最後のあがきだということである。だから国民民主党でも公明党と組むことは危険である。一つの権謀術数であり国民民主党利用されるということである。

posted by 天華 at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月16日

人生と記憶ー人間は環境と経験によってつくられる 【最後は経験した記憶が人生だったとなる】


人生と記憶ー人間は環境と経験によってつくられる
【最後は経験した記憶が人生だったとなる】

●経験されたことが人生となる

そもそも人生とは何かとなれば最後はその人に何が記憶されたかにもなる。何を経験したかが人生にもなる。人間の場合は遺伝の影響も大きいにしてもその人生経験が人間をつくる。
それが動物と大きなな違いである。動物ならネズミはネズミでありライオンはライオンである。その遺伝から変えることはできない。
でも人間の場合が何らかの行為で経験からネズミからライオンになったりもする。それは遺伝ではなくその人の経験からそうなったのである。
だから人間をつくるのはその人の経験でありその経験もみんな違っているから人間を見る場合どんな経験をしてきたのかを知るべきだとなる。そして最後に残るのはその人の経験してきたことだそれが体にも脳にも刻まれているのである。

何か学習するにしてもそれが学校とか本とかで読んでもわからないのである。でも外国旅行すれば実地にその場を踏めばいくら本を読んでいる人よりも実感としてわかるのである。
それで私は50歳まで外国に行っていなかった。ただ本は相当に読んでいたでも外国について肝心なことは全く理解できていなかったのである。
これでもわかるように人間は実際の体験からこそ学ぶのである。例えば英語を学ぶにしても学校でわ実際の外国人と会話することなどないから本質的なことで英語でもわからないということがある。また留学するということは実地に外国人と直接接してその場で生活するのだから実感するからその経験が大きいのである。だから外国に住んで生活した人とそういう経験をしない人の差も大きいのである。

●精神と同様細胞も記憶する力を持っている

ともかく人間をつくるのは遺伝的要素も大きいのどんな経験をしたのかで決まる。そしてその経験が人間をつくる。最後は老人になればその人は何を経験したのか何を記憶したのかは結果として現れるのである。

精神と同様細胞も記憶する力を持っているからである
人間ーこの未知なるもの‐アレキシス・カレル

人間とは脳で記録すると見ているわ実際は身体全体で経験して記憶するのである。だから体感という言葉はそれを表している体全体で感じて記憶するのである。それで何度も言っているが車の旅だと風とか光とか自然を感じないので体全体で感じないので記憶に残りにくい。坂や峠があるとしてそこを車とかで行けば体に記憶として刻まれ残らないのである。
歩くたびならまたは自転車でも坂を上ることは容易ではない。だからこそそれが体に記憶として残るのである
にわか雨御堂に休む旅の人

つまり突然雨がふり雨宿りするため御堂に休んだ。そのときの経験は御堂の役割を知ったことである。御堂は休息所であり
時代劇ではそこに確かに寝ていた人がいたからである
それもこうした経験があって体感するのである。それが車だとただ過ぎてくだけで自然を感じないからわからなくなるのである。そして記憶にも残らないから旅を経験するということもないともなる。

●何を記憶したかが人生になる

ともかく人間の最後は老人になればあなたは何を経験したのか記憶したのかが問題になる。なぜならそのことが生きたことであり人生の結果になってしまうからである。
人間はいくら金を残したとしてもそれでその人の人生が分かるわけでもないし価値あるわけでもない。現実にそういう人はかなりいる。金融関係で働いてるような人は何か人生で実りのある経験をしていないようにも見える。それは巧妙に人を騙して金を得るだけの仕事だという人もいる。そういう人は自分の経験したことを人に語らないのである。つまり後ろめたいことがあり語りたくないということがあるただそういう人でも金は残しているのである
大概私はこうしてきたこんなことで苦労してきたとか何をか老人になれば語る。でも語りたくないということはその人生は何なのだろうと見る。金を残した人もすべてそれで人間の価値は測れない。だから老人を見る時その人が何を経験したかを聞けば語ってくれれば分かるのである。

私は旅をしてきたからその旅のことを常に語っているのである。そんなの遊びじゃないかと見る人もいるが金にもならなかったがそれもやはり私自身の人生だったなる。
だから何も語ることがない人はいくら金を残してその人生に価値が無かったとなるかもしれない。つまり最後はすべてお金で測ることはできなかったということである。それで10億円を残した人でもその人生に価値があるとは限らないのである
どんな人に成るかは確かに生まれつきの素質がベースになるとしてもその後どんな経験をするかで違ってくる
経験が人間を作る。それが良く理解されていないのである。人生で経験することもそれぞれ違っているからである。
ただ簡単にお前は価値がないと言えるのか、自分のことを何も知らないでそう決めつける
ただ何に価値があるかは多様だから計ることがむずかしいのである。そもそも店であれスーパーであれそこでレジをしている人を価値あるとか見ていない、だからこそ機械化自動化する。そして別に買い物するでもそこで売る人に価値がるとか見ていないだろう。人生が経験だとすれば自らを社畜だという人は私は会社の奴隷として金のために仕方なく働いてきました。そういう人は自分の人生を老人になって語れるのか、それは実際大きな問題である。でもそういうことを思う人は少ないだろう。金を稼げればいいし仕方なかったといっても老人になり自ら奴隷なって働きましたと語っても誰もその価値を認めないとなる
それ気づいた時はすでに時遅しとなる。結局時遅しとなるのが人生に多いのである

●金ですべて計れない人生の価値

外資系銀行の“ろくでもないビジネス”
要は、彼らは次の3つをやっているに過ぎない。
1つ目は「相場操縦」だ。マーケットに介入し、自分たちが儲かるような相場を作っている。
2つ目は「M&A」。会社を買収し、転売して利益を出す。
3番目は、いろいろなデリバティブ取引を活用して、「低リスク高利回り」をうたうインチキ金融商品を販売すること。

最近死んだ森永卓郎が言っていた。それで彼自身農業してその体験を語る。農業はカラスにネズミ食われるとか野生の動物の戦いで高度な知的作業より知恵がいるとかも経験からそういったのである。
私も畑で仕事する人に聞いたそのことを知った。それだけ大変な仕事である。でもそういう仕事してきた人はその経験を語りうるとなる。
でも金融関係で仕事した人は語りたくないとなるかもしれない、何か金を右から左に流して数字だけを追っているともなる。だからデイトレダーとかでも一日パソコンの画面を見て株の数字だけを見ている。それで億の金を残しても何か生きた実感を語れないとなる。それが最後に何が残ったかというとき金は残ってもその人生は虚しかったとなる、語ることもないともなってしまうのである。

そしてあなたが価値がないというときその人の何が価値がなかったのかとなる。その人が経験した人生が価値がなかったとなる
それで戦争で苦しみ生き抜いた人が戦争のことを語り続ける
そんなこと無意味だと価値がないと言われたらどうなるのか
それはその人の生きて来た人生を無価値として否定することになる。それでは浮かばれないとなる。

●人生の実りと何なのか

とにかく人間をつくるのはその素質遺伝でもあるがその後の経験が環境が人間をつくどんな土地に生まれてどんな家族で育つとかどんな職業の家に育つかそういう環境が人間をの遺伝よりも大きな影響力を持つのである。どんなに優れた素質を持っていてもし家庭が悪ければ貧乏であったりすれば伸ばすことはできないのである。それは植生でも風土でも違っていればそれぞれ違ったものとして育つと同じである
場所が変われば気持ちも変わるということにもなる。それだけ環境の影響が大きいとなる。だから人間も生物の一種であるから環境の産物だとなる

特に日本だと北海道は大陸的風土であるその土地に船で降り立った時から何か気持ちま広々として変わってしまうのである
それだけ北海道は本州とか違った世界だからそうなる。アメリカだとグランドキャニオンとか見たときそこはあまりにも異質で別の惑星にでも来たのかと思ったそういう場所に住んでいる人の気持ちはどうなるのだろうとも見る。
また砂漠のようなところに住んでいる人のはどういう気持ちになるのかとなる。それは日本にはない光景だからそうなるのである。それに対応する言葉も見出せなかったからである。

人生とは何が記憶されたかどうかということをあまり考えない。でも最後に老人になればあなたに記憶されたものは何なのかとなってしまう。何も語ることがなければその人の人生は何だったとなってしまうからである。私は10億円を残しましたといってもその人の人生は何だったのかとなってしまう。その人の人生とは経験したことは体にまで記憶として刻まれた事だったのである。

実りある人生とは何か
米が実るそれを刈り取る
野菜を畑で直に収穫する
果物がなり手に取り収穫する
その時喜びがある
それは数でもない金でもない
それは体で喜びを感じる
それが神への感謝にもなる

農業は何が実りとなるかわかり安いのである。でも数字ばかり追っていたら何か実りを感じられないのである。
ただなぜエジプトの書記が穀物を計算する書記が神に様に崇められたのか、それは今の官僚が力を持ち崇められるとなるのと似ている。すでに文明化していて数字を操作する者が力を持つとなっていたのである。
だから官僚とは必ずしも価値ある物とはならない、ただ数字化して権力を持った人たちだとなる
でも権力を持つことと価値あることは違う。そこが勘違いされやすい。政治家は権力持つから偉いとなるが価値があるかどうかはわからない、むしろ食料を生産している人が価値があるとも言える
価値は多様だからわかりにくいのである。






2025年02月15日

北海道花の短歌十首


北海道花の短歌十首

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船はつく苫小牧かなルピナスや北海道の大地に立ちぬ
苫小牧い出て原野や赤き百合咲きて波よす我が走るかな
大雪山雪踏みしめてハクサンコザクラ我が愛で去りぬ
菖蒲咲く襟裳岬の濃霧かな旅人一人霧に消えにき
雪覆ふ芦別岳や迫り見ゆ富良野に来てチューリップ赤し
雨しとと宗谷岬や遠きかなハクサンチドリここに咲くかな
神秘なる沼に咲きにし延齢草陽の輝き映りけるかな
大輪のシラネアオイや湖の岸山の聳えて夏の朝かな
稚内はるか来たりて6月になお桜咲く日本なるかな
北の果レブンウスユキソウの一面に咲き覆い夕暮れるかも
熊の湯の羅臼にありぬ知床に蝦夷竜胆の色濃く咲きぬ
羅臼岳ムシャリンドウの一群れの咲きにつここを登る人あり

posted by 天華 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)

2025年02月14日

グローバル経済でアメリカも自国第一主義ななる 【これからは経済第一主義から文化の時代になる】


グローバル経済でアメリカも自国第一主義ななる
【これからは経済第一主義から文化の時代になる】

●グローバル化はアメリカでも自国優先主義にさせた

グローバル経済はアメリカに有利に働き金が集まる、ドルが基軸通貨となりアメリカに富が集めると見ていた
でもトランプ大統領が関税をかけること移民を入れない追い出すというときグローバル経済の歪みがアメリカ自身に跳ね返っている。USスチールが日本製鉄が買収するというのでトランプは反対した。でもグローバル経済を追求してゆくとアメリカだけが得するということはありえないとなる。
でもその影響が強くなり国内産業が疲弊してラストベルトの中西部が困窮する。それでその支持層がなんとかしてくれとなりトランプが再び大統領になった

グローバル経済ではアメリカだけが繁栄するとはならないのだろう。ドルが基軸通貨でもそうである。そもそも覇権国はポルトガルであれスペインであれイギリスであれ移動してきたのが世界の歴史である。この流れをとめることはできないだろう。
アメリカファーストを主張してもグローバル経済の影響を止めることはできない。覇権国は必ず移動するし栄枯盛衰があるのが歴史である、驕れる者久からずはどこの国でも世界史的レベルでも通用する。

グローバル化とはヒトモノが自由にで入りする。それが止められない、でも一旦競争に負けるとその国は戦争で敗れた奴隷ではないがそれに似たものとなる。だから日本でも経済が競争に敗れた時逆に東南アジアに出稼ぎに行くとか外国人に売春をするとかこれまで日本人が外国でしてきたことはカルマとなってからとなって帰ってくるのである。

●グローバル経済の敗者となった日本

北海道のニセコだけではない今や富良野でも外国人の別荘は立ち並び街の様子は一変したという。つまりグローバル競争に負けたから日本人は外国の召使いのようになるのである。
肝心の日本人のアイデンティティ化した文化がある
京都ですら外国人に埋めつくされて日本人はゆっくり観光もできなくなっているのである。このことが嫌だとしてもグローバル化とはそういうことなのである。
一旦経済競争で敗者になれば金のある国に国すら買い取られるとなる。それはアメリカでもUSスチールで起きていたのである。
グローバル化がいいとか悪いとかではなく人間社会何でもいい面と悪い面がもたらすのである。そのことは未来であっても同じである。確かに文明が発達して便利になって生活も楽になったということがあってもそこで失われたものは必ずある

ただグローバル経済のマイナスの面が大きく出てきてアメリカすら自国優先主義になったのである。それはやはり自国の産業が衰退してそれで困窮している人がいればその人たちが何とかしてくれとなるからトランプ大統領は選ばれたのである。
グローバル経済とはその国の文化とかコミュニティであれ破壊するものがる。オーバーツーリズムとかもそうでありその国の人が京都であれその文化を知ることもできなくなることは大きな問題だからである。まず日本人こそが京都の文化を知るべきでありそれが日本人の基になっているのだからもしそれができないとなればどうなるのか?

日本に住んで日本人であっても日本のことも分からなくなってしまうということである。そして京都の情緒を破壊されるのである。何か嵯峨野に行った時でも修学旅行した団体が学生が騒いで場所の落柿舎とかあったかそれも何か雰囲気を壊されたのである。
そして浅草でも浅草なりの雰囲気があったが今や外国人のためのテーマパークのようになっているというのもそれもやはり歴史と文化の破壊のである。

でもそこで利益があるのだからいい面と悪い面がありそこに住んでいる人も簡単に辞めることもできないのである。
つまりグローバル経済とはすべて金がものいい金によってすべてが決められる世界である。貧乏人はお断り貧乏人は来なくても良い外国人で金を持っている人は待遇しますということになる、
それは何でもグローバル経済と資本主義社会でそうなるのである。それを全部否定することはできない。ただそれが行き過ぎたときどうなっているかということである。アメリカだけが得しているというわけではなくやはりアメリカでも何かもともとあったものは破壊されそれで失われるものがある。

●経済第一主義は社会を歪める

経済利益第一主義というのはやはり社会を歪めてしまう。それは道徳なき経済でもありただすべてが金で利益があるかどうかで決められてしまうのである。それは世界がアメリカ化したということである。
内村鑑三でも明治時代にアメリカに留学してアメリカはすべて金だということを肌で知ってアメリカを嫌悪するようになったのである。その時日本はまだ日本的な情とか残っていて全てが金で決められている社会でないからその差がありアメリカを嫌悪したのである。
つまり現在のグローバル社会であり資本主義であれあまりにも金だけを追求する利益だけを追求する極端化したものとなってしまったのである。

そうして今世界中がヨーロッパであれフランスでもドイツでも経済的に停滞している。カナダで石油などの資源があってもホームレスが増えているとか衰退している。中国は若者が就職できないと苦しい状態にある。日本もまた物価高になりそれで給料も上がらず困窮している人が多くなっている。
つまりもはやグローバル経済というのは成長は望めないくなっている。それはこれ以上地球で人口が増えて成長を続ければ地球は破壊されるとまでなっていたからである。だから人口減というのは自然の摂理であり経済成長を止めさせたのであ
これ以上成長したら人口が増えたら自然を破壊されて人間が住めなくなるような状態になるからであるだから今世界で起きていることは自然の摂理でそうなっているのかと見る。

文明という時文明というときそれはあまりにも巨大化したのである。 1000万の大都会などそれを有機的に結合するものとみれない。東京などでもそこがとても人間の社会ななのか、どこか別な惑星にでも来た感じになる

ただそこで言葉を失う、言葉にならないとなる

●経済から文化の時代に移行する

そこからナチスとかカルト教団とか異様なものが生まれて来たというのもわかる。そこには真善美は生まれない、かえってフィレンツのような五万くらいの小都市国家にルネサンスが生まれた
また天才が大都市から生まれないというときやはり自然から霊感を受けないから才能が発揮できない、cultureはcultivate〔耕す〕からでている。つまり文化はその土地土地の風土でも相違があり料理でも何でも生まれたのである。

文明でも何か巨大なものをイメージするがcivilizationとcivil〔市民〕のことである。市民社会でありそれは城壁に囲まれた小都市国家から生まれたのである。シチズンシップもそこから生まれたのである。パスポートにもあなたはどこの国からきたということもあるが何処の市から来たのかというのも記すのでる。それは小都市国家のことである、その小都市国家から文化が生まれたのである。その都市都市には文化があった
でも今一千万の都市から来たとしてもそこに文化はない一様化している。高層ビルが建ち都市の景観は同じなのである

これからは産業ではなく文化の時代になる。観光でも誰も工場を見学などしない、その国の自然文化に触れるために来る
文化の交流なのである。ただグローバル化は行きすぎるとその文化を破壊するのである。
いずれにしろコンピュウターは発展して生成AIの時代になったときこれが絵でも詩でも作ることに驚いた

これはやはりそれぞれの国の人たちが文化を発信するのに役立つ
世界の人が文化を発信する時代だともなる。
日本でも唐風文化を本居宣長が批判して国風文化を唱えたように同じことが起きる回帰する。
何か文明自体が限界にきて世界で国内回帰になり文化の時代になる、アメリカですらそうなっている。資本主義は限りなく成長することを目指すがそれも自然の摂理が働き止められてとなる
人口減もそうである。これ以上地球で人間を増やして養えないということである





posted by 天華 at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月13日

なぜ現代社会で引きこもりが増えたのか? 【かつてはその居場所が僧院とか修道院に用意されていた】


なぜ現代社会で引きこもりが増えたのか?
【かつてはその居場所が僧院とか修道院に用意されていた】

「生産年齢人口」にあたる15歳から64歳までの年齢層では、広い意味で「ひきこもり」と定義している「趣味の用事のときだけ外出する」や「自室からほとんど出ない」などの状態が6か月以上続いている人は、2%余りで、推計でおよそ146万人に上るとしています。

●なぜ引きこもりが増えた理由

我々の文明における残酷な唯物主義は知性の効用を排除するばかりではなく情の深い人、温和な人、弱い人孤独な人、美を愛する人、求めている人感受性が強くて現代の生存競争に耐えられない人々を押しつぶしてしまう。

過去の時代においては他の人々と戦えない大勢の人たちも自分の個性を需要に伸ばすことを許されていた。ある者は自分の中に閉じこもって生きたある者は慈善活動の修道院にあるいは観想を主とする修道院に逃れた。そこでの生活は貧しく仕事は激しくても尊厳と平和と美を見出したのである
人間ーこの未知なるものーアレキシカレル

引きこもりが百万とかこれだけ多いということは何を意味しているのか、それをただ社会の落後者としてかたずけられるのか、やはり社会自体に問題がありこれほど増えたのではないか
もともと社会に適応できない人たちは存在した、だから職業は業でありカルマであり何か悪いことでも仕事としなければならないものがあったからインドではそうなった。インドだともともと瞑想することが成されていて職業につくことが必ずしも勧められていないのである。

●気候風土の要因でカトリックとプロテスタントに分かれた

もう一つの原因がインドは暑いから日中でも仕事するのに向いていないのである。だから木陰で瞑想するようになった。暑い国だと果物が一年中豊富でありあまり働かなくてもいい環境になっている。
だから労働が美徳になるのは寒い地域である、なぜプロテスタントが生まれた地域はドイツとか北欧であり寒い地域なのかとなる。そこでは他者に尽くすための労働はキリスト教の教えを実現されるものとしてウェーバーが修道院から資本主義が生まれたとした。つまり労働することは他者を助けるものとしての労働として推奨されたのである。

その要因となったのが寒いということは暑い国のように日中仕事するのに向いていないとならない、むしろ労働した方が寒さを避けられる、労働することにより体も熱くなるからである。
つまりプロテスタントはこうして気候の影響もありドイツのような北方に普及したとなる。一方でカトリックとなるとイタリアとかスペインとか暑い国なのである。だからスペインとかではやはり日中に仕事することが向いていないのである。

昼間に三時間も休むシエスタというのは他ではありえない。それは夜の食事が8時とか遅くなるためであり夜の時間がグリニッジの標準時間より一時間遅れている。だから真夜中三時までも活動している
人間はまず天候とか風土の影響が大きいのである。だから宗教でもカトリックとプロテスタントは気候の影響でそうなったとも言える。それは日本でも西と東は気候が違って東北は寒いから気質的ににも違ったものになったのである。

ただ不思議なの東北人と北海道人は気質的に寒いのに違っている。それはやはり風土と歴史の違いがある。北海道は寒いとしてもその土地は広大であり歴史的にも開拓者が入った土地であり開明的なところはがある。
だから北海道でわ標準語を使い東北のようなズーズー弁では無いようにもなっている。そうして風土と歴史でやはり人間はつくられる。
まだ北海道には梅雨がないというのもカラッとしてさっぱりとしたものとなりじめじめしたものは無いのかもしれない。

ともかく人間をつくるものは様々な因子があるが地理的気候的因子はやはり大きく作用する。何か沖縄に行った時私を見た時あなたは東北人ですねと言われた。その顔とか様子を見て判断されたのである。ただ方言で話すとその出身地がわかることがある。ただ顔とか見てわかるというときそれだけその土地の刻印を人間は押されているのである。

●陰の性格が現代社会に適合しにくい

ここで問題にするのはそうした気候とか風土の違いで人間が変わるということもあるがまた性格的に陽と陰の性格がある。それは生来的なものであり必ずしも環境とは違う
私は陰の性格であり人間ーこの未知なるものーアレキシカレル
が指摘した通りなのである。
陰の性格の人は内面を追求する宗教哲学芸術に向いている。だからそれは引きこもりになりやすいのである。私自身がそうであり
団塊の世代は企業戦士とかでばりばり会社で働いた時私は引きこもりだった、ただ家に籠りきりではなく旅はしていたその辺は違っていた。
何か宗教というと内面を問題にする。でもカルト宗教となるとそれはビジネスともなり会員獲得競争であり権力と金の追求なのでる。

だから瞑想などはしない、ひたすら御利益のために祈るビジネス宗教である。それは高度成長時代に向いていて会員が増大したのである。それは本来の宗教とは全く関係ないものである
だからアレキシカレルの指摘した内面を追求するとか美を追求するとかは関係ない、ただひたすら御利益を得る為に祈るのである
それは僧院であれ修道院に籠り修行する世界とは正反対の世界である。がむしゃらに金儲けする企業戦士なのである。
だからこそ高度成長時代に適合して創価などあれだけ会員が増えたのである。そこにはそもそも内面的とか哲学的な面倒なことは嫌う直情型の陽の性格に向いた人たちの集団なのである
そこでもやはり陰の性格の人は排除されるのである。

●なぜ宗教が世俗化して欲望のみを追求するようななったのか

でも不思議なのはなぜ僧院であり寺であり修道院はそんなに世俗的欲望を満たすためにある場所ではなかった。それはまたキリスト教の修道院から資本主義が生まれたというのも今になれば強欲資本主義になったのと似ている。完全に世俗化して金のために働く金の稼ぎですべての価値が図られるようになったのと似ている
それはアメリカで極端になった先鋭化したのである。

現代社会とは陰の性格の人たちが排除されてきた時代なのかもしれない、社会全体がそういう傾向を作り出したのかもしれない
その象徴が団塊の世代の高度成長時代であり拍車がかかった。
ただその後失われた30年とかで停滞してそういう気分が社会全体になくなったともなる。いくらバリバリ働くにしても給料も上がらず御利益がないからそうなったのかもしれない。

引きこもりがこれだけ増えたのも一部の者の問題ではなく社会の影響があったとなる。なぜなら高度成長時代に引きこもりはただの極一部の者でありそんな人は存在しないとなっていたからである。また貧乏な時代だから無職では生活できないからそうなっていた。私は特別恵まれて引きこもりになり家族でも責められることなく自分の興味あることを追求してきた
つまり家が僧院に修道院ににもなっていたのである。それが特殊な事情で許されていたのである。

現代はこうして私のように陰の性格の人の居場所がない、だからこそ引きこもりがこれだけ多いのかとなる。その原因を個々人の責任とは言えないかもしれない、他人を蹴落としてまでもバリバリがむしゃらに金儲けする社会がとてもいいとは思えないからである。だから引きこもりをただ社会の落後者としていいのかとなる。そういう人達の場が用意されるべきだとなる。
そんなの甘えだとされるが時代の影響でそうなったともなる

ただ引きこもりでもまた全部を一括りには見れない。そこには社会の厳しさがあり甘えという側面はある。でもそういう人達の居場所がかつては用意されていたというのも歴史である
やたら僧になる人が貧乏な時代でも多かったからである。そこにはいい加減な僧がいたとしてもそもそも貧乏な時代にそういう人達を養っていたおかとなる。
家族でも養ってくれれば陰の性格の人もそれなりに役割があり認められることがあるとなれば批判はされないのである

むしろただ金儲けすることだけを追求する人達こそ断罪すべき!

その人たちは社会に害悪をもたらしているからである。でも金になる御利益なるとして是認されているのも社会の問題なのである。






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2025年02月12日

人間は自分自身に関しても未知であり何になるのかもわからない 【遺伝より環境の作用が大きいー体験が人間を作る】


人間は自分自身に関しても未知であり何になるのかもわからない
【遺伝より環境の作用が大きいー体験が人間を作る】

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●大都会ではない小都市で生まれたルネサンスの偉業

この人は生物学の分野でノーベル賞を受賞した科学者である。
その科学者でも人間の体のことが未知であり分からないと言っている、つまり科学者でも人間の体のことでもわからないというとである。
人間を作るものまた作られる者は何なのかということである。

●遺伝的要因
●環境的要因
●経済的要因
●時代的要因

人間はどうしてもベースになるのが遺伝的要因である、これはどうしようもない、でもそれだけですべて決まるのかとなればならな、ただ天才というときは遺伝的要因が強力である。それでもやはりそれだけでは天才だとしてもその能力を発揮することはできない、なぜ天才が生まれるのかという研究もなされている。

何か大都会からは天才が生まれないのである。ということは環境が確かに影響している。その理由が大都会には自然がないことにある。自然から霊感を受けることがないからである
なぜまたフィレンツェのような5万くらいの都市国家からルネサンスが生まれたのか、ラファエロ、ミケランジェロ、レオナルドダビンチが生まれたのか、5万となれば小さな都市なのである。
それだから自然に囲まれていたのかとなる

確かなことは百万とかの現代文明の都市からそうした天才が生まれない、また育まれないということである。何かそういう社会では有機的に社会が結合されていない、余りにも規模が大きすぎて
一つの連関する有機体となりにくいのである。そこはカオスであり統一されたものとして自分自身でも認識構築できない、余りにも巨大であり人間的感覚から逸脱しているからである。

人間はやはり自然から学び自然とアイデンティティ化することにより精神を形成する。だから一千万都市は人間的感覚から逸脱しているからそこで精神の人間的形成は不可能になる
何か高い山が独立峰のようなものがある場所に偉人が出やすいというのも日々そうした山を見ていれば心に反映してくるからである、この辺では阿武隈山脈は高原であり山でないともなりそれでものたりないとなるが山形県の蔵王ははっきり見えるのである

だからと言って村落のような所でもルネサンスのようなものは生まれない、都会的なものが必要なのである。そこでは職人であれ商人であれ多様な人と交わるからである。農民だけではあのようなルネサンスは華開かないのである

●遺伝より環境の影響が大きい

環境というとき一番影響を受けるのはどんな家族に生まれるかであり育つかである。その家族構成とか経済状態でも一番影響受けやすいのである。私の場合は父親が早く死んで中学の時死んでそのあとを姉と母に育てられてそれが60才までも一緒に暮らしていたのである。その環境の影響が大きいものだった。
何か普通の母親であれ父親であれ両親がいる家族とは違ていた奇妙な家族だったとなる。

姉は性格的に陽気であり男優りであった。でも母親は内気な性格であった。この二人の異なる性格の影響を受けたのである
やはり姉は大らかでありその方が影響が大きかった。母は神経質で陰の性格であったからその性格を私は受け継いでいる
遺伝的素質は変えられないし受け継ぐしてもそれだけでは決まらないのだる。
家族の相互関係の中で育つからその影響は大きのである
それで一人っ子は社会になじめず稼ぎも悪く結婚しない割合が大きいのである。そのことはいかに環境が影響しているかるかを証明している
双子でも別々の国で育てばまるで違った人になることからもわかる。

人間は一般的は総合的に人間関係の中で刺激を受けて育つ、だから家族の影響は一番大きいとなる。カルト教団で育てられた人は全く親のロボットとなるしそこから脱出できなくなる。
また門前の小僧習わぬ経を覚えるとなる。そういう環境にあれば自ずとそうなってしまうのである。
また時代の環境の影響も大きい、戦後店をしていた時私の父親は酒屋の丁稚だったから配達とかソロバンを習わされた、つまりそういう時代であった。でもソロバンはなんの役にもたたなかった、計算機になりコンピューター時代になったからである、今なら子供でもコンピュウターのプログラムを習わせる。つまり時代も影響しているのである
コンピュウター関係は進歩していて生成AIの時代になる時これに適合できないものは現実生活で取り残されるものとなり収入も得られないとなる。

また余りに貧乏だと知的な開発ができなくなる。そういう例は多い。それもやはり環境が影響したとなる。
私の母は働きずめであり継母に育てられたから生け花などならわせれられないし花など必要ないとを豆を植えていた。それも悲しいことだった。それは経済的なものが貧乏だからそうなったのである。もしそうでなければ文学的才能があり短歌などを作っていたかもしれないのである
経済的にこうして才能を伸ばせないことは今日でも相当に多いことは確かである。
また家という建物も影響する、狭い家にいると何か心まで狭くなる、広い八畳間に寝ていると眠れるとなる
知的活動には明らかに広い家がいいし書斎があるといいのである。そういう点でも私は恵まれていたのである。

●人間を作るのは体験である

そして人間を作るのは基本的にはどんな体験をしてきたかである。何故なら体験しなければ基本的にわからない、実感できないからである。
山にしても遠くから見るのもいいが山は登ってみないとわからない、実感できない、山の厳しさは登ってみてわかる、それで岩手山に三回くらい登ってわかるものがあった。まさに体で感じる体感したのである。一番感じたのは真っ赤に山頂へ紅葉が染め上げたが一転して真白の新雪に覆われたことである
それは山の厳しい美だった。そういうことは実際に山に登らないとわからないのである。

旅でもそうであり特に外国旅行は実地にその場を踏まない限り実感できない、本をいくら読んでも分らないのである
それで50才からバックパッカーになり外国を回ったのが良かった
ともかく北海道でも梅雨の時期に十回とか行っている
電車なら全国の線に乗っている。それも体験であった。
あとは自転車旅行でありこれも相当に乗った。それも体験であった。自転車に乗り感じることは電車に乗り車に乗り感じるこのと違ってくる。その体験が後に活きて来る

だからこうして体全体で感じたことは後年にその体であれ脳であれ刻まれるものがある。その体で感じたものが後で活きてくる
でも車だと感じられないものがあり記憶に残らないから損だともなる、何か電車だと駅名だけを覚えているということがあった
やはり電車でも通り過ぎてゆくだけで記憶に残らないことがあった。
このことは遊びに過ぎないとしてもやはり体験として残る
つまり人間は何でも体験なのである、会社員でもそもそも何十年と働くのだからいくら社畜と自ら言ってもそれが体験であり人生だったとなる

●引きこもりも体験であり無駄ではなかった

私の人生は旅の人生だったが後は引きこもりがだった
なぜそうなったかというと大学を出て就職もせず家にいた、でも底辺で働いた、それは東京に出て働いた。それが過酷であり建築現場では4階から落ちて死ぬところだった。それだけ厳しいものだった。零下20度の冷蔵庫の中でも働いた、ここも危険だった
底辺は危険な所が多いのである。またあとは流れ作業でありそれもロボットだと思い嫌になった、それ以来労働するのが嫌になり引きこもりになった。自分にはそれが許されていたのである

親は何も言わない、返って旅に行くこと勧められていたのである
だからこれも特別私の場合は家族に恵まれたのである
それがマイナスの面もあったけど好きなことをしてきたのである
そういう生活が自分にあっていたのである。私が嫌だったのは高校までの窮屈な場であった。何か体までおかしくなっていた。
その時試験が常にあり自分の興味で勉強したことはないのである
それでも私立の東京の三流大学に入って親元を離れたのが良く作用したのである、やはり一度親元とか故郷を離れる経験は自立のために必要である

ともかく自分にとって引きこもりは自分の性にあっていたのである。そこではマイペースで自分の興味あることを追求できたからである。ただ私の場合はゲームなどはしていない、勉強していた本を読んでいたのである

小さかろうと一つのグループは会員たちに軍隊や修道院の規律を象った行動規則を課すことによってその時代の社会の悪影響を避けられる。
中世の文明はこのようにして進歩したのである。修道会があり騎士団があり、職人たちの組合があった。宗教集団の中である者は修道院にこもった。しかし会員が厳しい精神的肉体的規律に従っている。
個人の進歩のための二つの基本的条件とはある程度孤立していることと心身を鍛錬することである

つまり現代にはこうした場所が喪失した。だから家に引きこもることに成った。それは脱落者であり社会から無用のものとみられ迫害されることもある。ただどうして60万なのか引きこもりが現実にいるということはその原因を知る必要がある
過去には寺とか修道院とかあり社会不適合者でも居場所があったとなる
私は引きこもりとなり禅宗のように一人沈黙業をして自然とアイデンティティ化することを試みて来た、それを詩にしてきたのである

●ネットで独学できるから学びも変化する

今恵まれているのはネットでもyoutybeでも独学ができることである。知的刺激を受けられることである、自分自身でも一人で延々と講義しているようなものである。それも無料なのである
それからAIとかも先生になるから独学する環境ができている
そしてyootubeで放送するのは一線で活躍する優秀な人たちなのである。学校の先生よりずっと優秀である、講義でも面白いのである。だからこうした環境も整備されれば時独学するのにはいいし別に引きこもりでも学べるとなる
だから教育はこれから大きく変わってくる、別に学校に行かなくても学べるしそれよりネットであれ別な形の学びの場もできている、そうなるとそこから真の天才が生まれて才能を発揮する人達が出てくる

何か仕事に就くにしても職業が業であり必ずしもいいものではない、銀行とか硬い職業と見ていたがそうでもなかった。何か金融業はうしろめたいものがある。人をだます職業なのかと銀行は空気を売っているとか社会の寄生虫とか言われるとそいう場で働くのは金になってもいいことではない、それが老人になった時そいう場で働いた人は何も語りたくないとなる。そもにうしろめたいことをしてきたからそうなる。

そうならかえって引きこもりの方がいいともなる。そこにも問題があるにしろなぜこれほど引きこもりが多いのか?
それはまず自分にあった仕事などない与えられない、だからこそ社畜だというのである。そうなるとそれは精神衛生上でも悪い。し老人になって何も語るものもないとなる
その人生は金を稼いでも実は失敗だったなる

ともかく人間は自分自身にとっても未知なるものである。その自然にしろ世界にしろ未知なるものが無限に広がっている。だからいくら科学が発達しても人間の体であり脳のことでありそれは解明できない未知なのである
老人になっても依然として人間が完成するわけでもないし未知なのである。その探求は終わることなく続くのである。だからこそ長生きはこうして健康に生きれる人にはさらに無限の可能性が生まれてくるのである

とにかく人間は何をするにしても時間がかかるからである。何かを理解するにも本当に時間がかかる。膨大な本を買ってそれが理解できなかったからである。だから長生きすれば天才でなくても大した能力がなくても一角のものになれる可能性がある。それは時間を活かせるということになるからである
大器晩成になる。長寿の良い面はそういう人たちを多く作り出すということである。天才でなくてもそれなりに能力を発揮する人は多数出てくる可能性があるということである。

一方でこの本の著者は優生学を唱えている、何か一人の精神障害者であれ発達障害であれその負担が大きすぎることである
それでも兄弟でも障害者にエネルギーを注ぎすぎて他の兄弟の世話が疎かになり、大人になり介護したくないとなる
一番手をかけた長男が世話できないとなっている
それも不幸なのだが今や高齢化社会とは障害者社会にもなる
認知症になる人が膨大だからである。これはだから老人は自殺しろというとき余りにも多くなりその負担で社会が維持できないとなる。それが高齢化社会の負の面である










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posted by 天華 at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2025年02月11日

ヨーロッパの歴史の詩ーハイデルベルグの河畔 【大陸は川を知らないと理解できないー川の側に生まれた文明】


ヨーロッパの歴史の詩ーハイデルベルグの河畔
【大陸は川を知らないと理解できないー川の側に生まれた文明】

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ヨーロッパの歴史の詩ーハイデルベルグ


一本一本の木
大地に深く根を張り
静かに力強く
列なし連なる樹々
各々を律して重々しく

Each trees one by one
Deeply rooted in the earth
Silence and strength
Steady lined trees in order
Each one disciplined 
Solomn and faithful

ゴシック大聖堂の石の柱の如く
そこに荘厳なるパイプオルガンの鳴りひびく
大地の底より天に向かいひびきわたる
その塔は天を衝きかなたを遠望して
鐘の音は鳴りひびき街々は暮れぬ
ヨーロッパに統合する歴史
分裂争うも一つとなる歴史の重み

ネッカー河畔岸辺の古都の石の橋石の門
その石にもたれ昔日を回想する
船は行き来して次なる都市へ
川は人を結び人は交わりあいぬ

中世の静穏なる日々古い修道院の中庭
その回廊や祈りは神に献げられぬ
日々の弛まぬ研鑽のあれ
ハイデルベルグ、その古き学都
古城の下や落葉を踏みつベンチに休む
古の日を想いそこに思索を深める




世界を空間軸と時間軸で見る、わかりにくいのが時間軸で見る歴史である。そこが時間軸でどのように形成されたかわかりにくい。特に外国となるとわかりにくくなる。その歴史でも文化でもわかりにくくなる。
それが自然だと世界共通なものがある、確かに自然でも日本にないものがあり砂漠などはわからない、またどこまでも平原が続く遊牧民の世界もわかりにくい、そういう自然が日本にないからである。
ドイツの自然は地形は平坦な土地でありあまり山がなかった
その平坦な土地を河が流れているその最たるものがライン川であり父なる川となる、また支流もいろいろありそれが運河のようになっている。それが大陸の自然の特徴である。

つまり川は実際の道である、だから人でも物でも川を通じて運ばれた。それが日本とは違っている。急流となる川は少ないからである。4大文明が生まれたのが大河の岸というのもそのためである。川は交通路になっていたからである。
ナイル川がピラミッドと直結していたのもそうである。川岸が港ととなりピラミッドに通じていたのである。
河と切り離せず存在したのである、なぜならピラミッドを建設する石材でも船で運んだからそうなる。都市を建設するには交通路となる川が必要だったのである
都市が出きるのは交通の要所である。オワシス都市でもそこが交易の場でありラクダで運ばれた商品を売買する。そこに都市が生まれる。

ハイデルベルグでもやはりネッカー川がありそれで商品も運ばれて来た。そうした川が縦横にヨーロッパにある
河が文明を作る基である。それが日本だとわかりにくいのである
その川のスケールが余りの大きいからわからなくなる。インド文明でもガンジス川と切り離せずある。中国でも黄河であれ揚子江と切り離せずある。
そして川がリバーがライバルとなるのわかる。川は境界となる
国と国を分けるのである。ライン川がまさにその象徴である
ラテン民族のゲルマン人の領域にラインを挟んで越えることができなかった。

韓半島でも伽耶国と新羅を分けたのが洛東江であった。それははっきりしている。だから大陸では川を知ることが地理でも歴史でも知ることなのである。
そもそも世界となるとその歴史でも何から知るのかとなる。それはまず地理を知ることである。だから4大文明が川の側に生まれたということでもわかる。

とにかく地理であれ歴史であれヨーロッパが魅力あるのはなぜなのか、それは地理でも中国とかになると巨大すぎてわからなくなる、ヨーロッパだと地理でも何とかわかる。そして歴史がロ−マ帝国から重層的に積み重ねられている。
時間軸でもある程度はわかる。そして歴史の遺産でも石の建造物は残る。それは廃墟になっても石は残る、それで2000年前からでもイメージできるとなる。ローマの石畳の道は今でも残っているからである。
つまりヨーロッパが一つというとき地理的にも時間軸でもある程度は一貫したものとして理解しやすいとなる。それでも時間軸の歴史は理解するのは難しい。
日本と共通したものがないとき自然でも何でも理解しにくくなる

例えば川岸の土手の道を歩くとどこでも整然と木が列を成している。それは神殿の石の柱をイメージする。つまり自然でも共通するものがありそれだと理解しやすいのである
どこにでも山があり木があり石があるからそうなる。
その木からゴシック聖堂をイメージする神殿でもイメージする
石の柱は木だとなるからだる。要するに全く異質なもの砂漠とかでなければ共通性があり理解する、グランドキャニオンとかなると全くイメージできない自然であったから別な惑星に来たのかと見た。そこを人間的にする言葉で表わすことできない。イメージされものとは余りに違っていて言葉を失うとなる

いずれにしろヨーロッパは空間軸と時間軸で一つのものとして総合する、キリスト教文明として総合する、それが空間軸と時間軸でしやすいのである。そのベースにローマ帝国がありそれがヨーロッパを統括するものとしてわかりやすいのである。
ただ中世となるとまたわかりにくくなる。時間軸の歴史はどこでもわかりにくくなる。それでもヨーロッパは一つの統一体として見れるとはなる。空間軸と時間軸で統一体として見ることで何か一つの統合した連関したものとなり安定するとなる




2025年02月10日

真野の草原の歌が日本の建国神話を知らなければ理解できない 【伽耶国がかかわり物部氏宗像氏安曇氏がかかわる】


真野の草原の歌が日本の建国神話を知らなければ理解できない
【伽耶国がかかわり物部氏宗像氏安曇氏がかかわる】

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ここはかなり長いけど中味が濃い

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みちのくの真野の草原遠けれど面影にしてゆというものを 笠女郎

●真野地域と伽耶国の密接な関係

この歌を解き明かすには真野の草原の草原は萱のことではなく伽耶の国だということである。ここが最大のポイントなのである
となると伽耶とはなになのかとなる。それは最初の邪馬台国の建国神話にもかかある。その建国に伽耶が重要な役割を果たしていたからである。ところが様々の事情で伽耶が滅亡したので伽耶のことは史実から消えてわかりにくくなった
ただ明かなことはこの真野の草原の歌とこの地域がこうした伽耶が日本建国の歴史の場となっていたことである
だから出雲王国と伽耶の結びつきがあり出雲王国と縄文人の結びつきがあり出雲王国があり九州王朝がのちの邪馬台国とも結びつくのだる

山元町に八重垣神社がある、この由来は明確である

八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を

出雲系統の神社なのである

そもそもなぜ伽耶が重要な役割をになったのかとなれば伽耶は鉄の産地であり鉄を加工できる技術をもっていた。それ故にその鉄を通じて通商国家となり倭とかかわることになった。
でもその時日本に統一国家はない、出雲王朝が最初の日本を代表するものでありその出雲王朝が何であったのかを知るべきだとなる。それが伽耶と深く関係していたしまた物部氏とか海洋民族の宗像氏であれ安曇氏でもかかわっていた。
邪馬台国とか大和王権が成立する前に出雲王国がありそれは縄文人の国家と渡来人の伽耶国と一体化したものでもあった。
ただこの辺の事情は関氏の本で解明しているが複雑である

明かなことは伽耶国の事情が日本に反映されていた
伽耶国が鉄の産地でありまた河口の技術をもつということで力を持ったのである。それは今でも資源とか石油であれ重要であり争いがある。トランプがデールを最も大事にするというときビジネスマンだからそうなる。政治もまたそうしたデールとなる
鉄というものを資源を持つことでデールする。それは今日までも続いている。

●出雲王国は縄文人と伽耶王国などの合体した国

日本の最初の王国は出雲であり伽耶と一体化して存在した
そこに物部氏とか宗像氏とか海洋民族がかかわっていた。なぜならそもそも伽耶から日本に来るには船が必要である。すると船を操作する海洋民が不可欠である。それが宗像氏であれ安曇氏とかなる。だからこの真野の草原という知られたこの地域に物部氏がかかわりまた伽耶がかかわり海洋民族の安曇氏の後継者の八木氏がかかわったのかということでも出雲王国の成り立ちと大和王権の成り立ちと深く関係する
国引き神話はまさに伽耶の国を引っ張てくることであった。

確かなことはこの地域一帯が伽耶国の支配地域のようにもなっていた。それは地名からもわかる。まず真野の草原の歌の草原はカヤハラは伽耶国を意味している。
つまりこの歌はみちのくの真野の草原は伽耶国は遠いけど私の恋する大伴家持氏はそんな遠くでもあってもその面影は見えますよということである
この辺は伽耶国ともなる地域だったのである。ただカヤに草を当てたことで誤解することになった。
伽耶国に草八国があったというとき伽耶に草を当てていたことでもわかる。あくまでも当て字でありそれが誤解のもとになったのである。また天皇家が伽耶出身だというとき伽耶国との密接なかかわりのなかで誕生したのである。

韓神祭ーからのかみまつり 上代において2月11日に行われた。宮内省のまつられる韓神社の祭。中世以降衰えた

まさに紀元節の2月11日は韓神【からかみ】を祭る行事であったというのだ。カラー=カヤのことである、このことから伽耶が日本国誕生にかかわっていたと推理するのである

南相馬市の鹿島区にも唐神という地名がある。それは伽耶に由来する。津神社も鹿島区に右田浜にあったし相馬市の原釜にあるツノミツ神社もツノガにアラシト系統なのである、津というときまぎらえあしいのは津の神社ではなくツノであり角神社なのである
ツノガノアラシトは伽耶の王子だから伽耶の国が移動してきたともなる。その人達は鉄生産にかかわる人でもあった。浜から砂鉄がとれていたからである。小高の角部の地名も明らかにツノガノアラシトの角である

●物部氏が桜井古墳を作り安曇系の八木氏が後に入植

ともかく出雲王国が大和王権の前に日本にありその勢力の争いが実は伽耶国に起きていて日本が二分された
つまり伽耶国が日本の建国に深くかかわっていた。出雲は縄文人からでてきていて田を荒らしたスサノオは縄文人である
また大和王権とのタケミカズチと争いタケミナカタ神が追われて全国に逃れた。特に東北地方に諏訪神社が多いというときそうである。島根がズーズー弁で東北と共通性があるというのもそうである。そもそも縄文時代が一万年続いたというときその痕跡を簡単いは消せない、何かそこに日本に継続したものが残る、それが出雲王国に残ったとなる。蝦夷というのは何者だったかというと
大和王権に敵対する者であり蝦夷という単一のものではなく縄文人と伽耶国が合体したものでもあった。確かなことは大和王権に敵対する人達でありそこに伽耶とかの渡来人が加わっていた。

だからこの地域でもその構図が反映されている。桜井古墳は物部氏系統であり真野地域は大伴氏などが派遣されて大和王権の支配地域になった、だから浮田国造が鹿島区に置かれた。
一方原町区は桜井古墳がありそこは物部氏の支配地域であり最初にこの地を支配したのは物部氏である。
それで鹿島区の御刀神社は物部氏が刀をもって蝦夷を土地の原住民を支配する地域だった。そこは海老に対している。海老と海老と関係ないエヒであり蝦夷なのである

ただわからないのは原町区になぜ綿津見神社が多いのかということである。異常に多いのである。それがなぞなのである。ただ伽耶国には鉄が取れたとしても船で日本まで運ばねばならない、そこで海洋民の宗像氏がかかわった。タケミナカタとはタケムナカタ神だというと納得がいく。また海洋民の安曇氏がかかわりその後継者の八木氏がかかわり綿津見神社が異常に多いとなる
八木氏は時代的には奈良ではなく平安時代とかなりその後もここに入植したとなる。ただ鹿島区の真野に綿津見神社が見かけないのは謎であるが大和王権に組み入れられて入りにくかったのか謎である。時代的には奈良時代ではなくその後に入って来た。

●日立は日高見の国に由来する

いずれにしろ蝦夷とは何なのか解明されていない、縄文人主体の日高見の国がありそれが最初の日本の国としている説もある

「日高」は「日立」(日の出)の意味を持つので、『常陸国風土記』にある信太郡については、日の出(鹿島神宮の方向)を見る(拝む)地、ということではないかともされ、旧国名の「常陸」(ヒタチ)は、「日高見道」(ヒタカミミチ)の転訛ともいわれる

日高見の中心は日立にあり茨城県の鹿島神宮がその根拠地でありタケミカズチは日高見と関係している説が田中英道氏が主張している。最初の日本国は日高見の国であり飛騨とかでも日高見から来ているとかなる、つまり日本の原住民が縄文人でありそれが出雲王国の基であるとしている
日本の基層というか根底に縄文一万年の歴史がありそれが消えることはないとなる。

その証拠となるのが

棚倉に残る伝説のこの地に8人の土蜘蛛がいた。黒鷲、神衣媛、草野灰(かやのはい)、保々吉灰 阿邪爾媛、梯猪、
神石萱(かみいしかや)、狭礒名と具体的に述べている。ところが征伐に来た磐城の国造が敗れたので天皇は日本武尊を使わした。8人の土蜘蛛は津軽の蝦夷に援軍を依頼 徹底抗戦した。そこで彼は槻弓 槻矢で8本の矢を放ちたちどころに射殺した。そして土に刺さった其の矢はたちまちに芽吹いて槻木となった。そこでこの地を八槻の郷という 
なぜ棚倉で争いが起きたのか、それはヤマトタケルの東征神話にあるようにまず茨城県に入って来た。

8人の土蜘蛛は津軽の蝦夷に援軍を依頼 徹底抗戦した

なぜぜ津軽というと遠い地の人がヤマトタケルの軍と戦うためにわざわざ来たのか?それは日高見の国があり連合国があり戦ったとなる。そうでなければそんな遠くから来るはずがない、連絡するだけで大変な距離になる。だから青森まで日高見の国としてあり一体感があってできたとなる。

神石萱(かみいしかや)とは何者なのか?萱とあるときこれも伽耶に通じるのかとなる。出雲と伽耶も密接に結びつきヤマトタケルの大和王権と戦ったとなる

ともかく伽耶とは何なのか、古代史では重要なのだけど伽耶は滅亡して正史に記されなくなった。それでわかりにくくなったのである。それでも最近は韓国での発掘作業がすすみ伽耶国のことが解明されつつある、そこは明らかに日本が深くかかわっていた日本製の土器などあが発見されたり前方後円墳でも発掘されている
そこには現実に倭国があった。任那がありそこは明らかに日本にもなっていたのである。だから天皇が韓の神,カヤの神を祭っていたのはというのはそのためである。

真野の草原の歌の謎ー毛野氏と伽耶国ー安曇氏系統の八木氏と犬養氏の関係 
【真野古墳群の船の線刻画の謎】

福島県浜通りの津神社はツノガノアラシトの跡 
(蝦夷は出雲族であり伽耶(かや)と連合した)










2025年02月09日

AIが作るローマ帝国の栄光の道の詩 【まず空間軸の地理を世界史でも知る】


AIが作るローマ帝国の栄光の道の詩
【まず空間軸の地理を世界史でも知る】

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古代の石畳に足を踏みしめ
帝国の息吹を感じる
アッピア街道、戦士たちの行進路
松の木が見守る栄光の道

戦車の轍が刻まれし地
凱旋の歌が響く空
今もなお、歴史の風が吹き
帝国の夢を語り継ぐ

栄光の道よ、永遠に
時を超えて輝き続けん
ローマの魂、ここに息づく
不滅の栄光の道よ

ここまでAIが作る詩

私が付加した詩

はるかブリタニアへも
スコットランドのハドリヌスの
石積みの長城の址の残りぬ
ここに北方の冷たい風が吹きつける

発見されしローマのコインの一袋重し
そのコインに刻まれし皇帝の肖像画
我はここの王なりと誇りしかな
しかし久しくも土に埋もれしを・・・

コインもまた東西に別々の皇帝の顔
ローマ帝国の分裂衰亡の歴史
ローマの道はスイスの山を越え
延々と続きその栄光を語る

ローマの栄光の日よ、その跡よ
シーザーのルビコン河を渡りしも
ライン川に強固なゲルマン人
そこに立ち入ることはならじ

ああ ローマの凱旋門の古りて
その栄光の日は遠しかも
東西に分かれてなおその余命を保つ
ローマの道になお栄光の日を偲ぶ


はい、承知いたしました。ローマ帝国の道についての詩を作成します。以下、詩の案です。


GEMINIのAIの詩

ローマの道

石畳の道、永遠に続く 帝国の息吹、

今もなお 兵士の足音、響き渡り

商人の声、賑わう道


山を越え、谷を渡り 川を渡る、

橋を架け 砂漠を越え、海を渡り

全ての道は、ローマへ続く

文明の光、照らし出す 文化の華、


咲き誇る 交流の輪、広げゆく

ローマの道、世界の道

時に война, 時に мир 時に栄華,

時に衰退 歴史の সাক্ষী,

今もなお ローマの道、語り継ぐ


この詩はかなり不十分である、chatGPTの方が優れている、でも一応参考にはなる




ブリタニアを治めた7年間にカラウシウスは、プロパガンダ的手法も用いて自らの権勢を世に広めた。その手段のひとつが、写真にあるような自らの肖像を刻んだ良質な銀貨の発行だった。

ブリタニア (Britannia) は、イギリス、特に古代ローマの属州「ブリタンニア」があったグレートブリテン島南部の古称(ラテン語名)である[1]。フランスのブルターニュ地方(小ブリテン)には4世紀から8世紀にグレートブリテン島から移民が訪れ、10〜11世紀には、英仏海峡を挟んだ両地域がブリタニアと呼ばれた[2]。Britannia はフランス語 Bretagne(ブルターニュ)と同根である。

ハドリアヌスの長城(ハドリアヌスのちょうじょう、英語: Hadrian's Wall、ラテン語: Vallum Aelium)は、イギリスの北部にあるローマ帝国時代の城壁(囲壁)跡。広義にはローマ帝国の国境線を防御する防御壁『リメス』の一部であり、ローマ帝国最北端の国境線でもある。2世紀に、第14代ローマ皇帝ハドリアヌスにより建設された。
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なぜローマ帝国の道となると詩としてうまく表現されるのかおそらくローマ帝国となるとまたローマの道となるとその知識の蓄積が膨大でありそれで抽出されてAIが詩を作り安いのかもしれない、何でもいい詩ができるわけではないからである。確かなことはローマ帝国は十分な知識が貯えられているからそれで詩でも作れるのかとなる。
それにしてもAIが詩を作るのは何なのだろうとなる。詩を作る人でも簡単に作れない。だから半分はAIが作ったものを参照して私が作ったのである
確かなことはこのようにいい詩がAIで作られるとは限らない、ある分野でいい詩が作れる。

いずれにしろヨーロッパは歴史が地層のように明確に見えるから興味深い。それは明らかに現代にも通じている歴史なのである
コインの歴史を知るにもそれは現代に通じている。
イギリスから大量のローマ時代のコインが発見されたのは最近のことである。つまりローマ帝国の遺産はヨーロッパを作っていたのである。
詩でもいろいろあるが歴史をテーマにすれば叙事詩になる。世界史とは壮大な叙事詩でもある。
年代とか暗記するだけにあるとつまらない。そこで展開された人間の物語がありそれが叙事詩になる。
ともかく空間軸と時間軸で地歴として世界を見る。基本的に地理がわからないと時間軸の歴史も分らない、だから中国は歴史の国だけだ余りに広くて地理が分かりにくい、それはロシアでもそうだしインドでもアメリカでもその広さの規模が違うので地理がわからないことで理解できなくなる。でもヨーロッパはなんとか地理がわかる
それで時間軸の歴史もわかるとなる。




Step on ancient cobblestones
Feel the breath of empire
Appian Way, the marching path of warriors
A glorious road watched over by pine trees

Where chariot ruts are carved
The sky echoing with the song of triumph
Even now, the winds of history still blow
And the dreams of empire are passed down to the next generation

The road of glory, forever
Shine forth beyond time
The spirit of Rome lives on
Immortal, glorious road

And far to Britannia
As far as Scotland's Hadrian's
The ruins of Hadrian's Wall in Scotland still remain
Here the cold winds of the north blow

A bag of Roman coins discovered is heavy
A portrait of the emperor inscribed on one of the coins
I was proud to be king here
But long since buried in the earth...

The coins also bear the faces of the emperors of the East and West.
The history of the division and fall of the Roman Empire
Rome's road crosses the mountains of Switzerland
The road of Rome goes on and on and on, and tells of its glory

Rome's glorious day, its marks
Caesar crossed the Rubicon
The Germanic people, strong on the Rhine
No man shall enter there

Oh, how old is Rome's triumphal arch
The day of its glory may be far off
Divided into East and West, it still lives on
Still on Rome's road, still remembering its glorious day

Translated with DeepL.com (free version)

2025年02月08日

日本のカルマ個々人のカルマーグローバル経済資本主義の終わり 【預金封鎖、東南アジアに出稼ぎ、また売春など】


日本のカルマ個々人のカルマーグローバル経済資本主義の終わり
【預金封鎖、東南アジアに出稼ぎ、また売春など】

●急激な変化に戸惑う

何か今起きていること起きつつあることが信じられない
つい先ほどまで盛んに中国の飛躍的発展成長のことが語られていた。今は中国が窮地に追い込まれて数億人が飢えに直面するとかそれが理解できなくなる。その変化が急激だから何が起きているのか理解できなくなる
日本の衰退は失われた30年というときそれは相当に長い
でも中国の衰退は急激にそうなった。だからまた日本とは違っている
グローバル経済は何か世界的に変化が速いとなる
だからついていけないとなる。

ただ常にこの世は変化である。三日見ぬ間の桜かなである。
でも逆に三日見ぬ間に散る桜かなともなる
この変化が激しいのである。それで戸惑うとなる。昔からそいうことはあったが今はグローバル化して世界の変化に巻き込まれる
それを理解するのがむずかしとなる。
確かなことは人間は個々人でも必ず人生でも様々なことで変遷する。家族でもそれぞれ違っていて運命なのか翻弄される

私の母は大人しい人だったけど東京に女中で働き東京の人と結婚したが夫が工場の事故で死んだ。そのとき一生暮らすだけの補償金をもらったが戦争が終わり預金封鎖があり金は紙屑になった
ただ実家の近くに土地を買った分だけが残ったのである
だから預金封鎖があるというときそれはまたありうる
つまりこの世に起きることは必ずカルマとなって繰り返すのである。だから預金封鎖などないとは言えなのである

●カルマは相手にしたことが自分にもされること

そしてカルマというとき日本人が東南アジアに出稼ぎに行くとか売春に行って逮捕されたとかこれも信じられないものとなっている。でもそれも日本人のカルマだとなる。なぜならカルマとは繰り返すであり何か相手にしたことがカルマ、業となって返って来る、相手に苦しみを与えたものはやはり今度は苦しみを受ける
それが本当に日本が外国でしてきたことを日本で同じことをされるとなる。それがカルマの法則なのである
だから国同士でもそういうことが起きて来る

また世界の覇権国が常に移動するのもそうである。大英帝国の没落もそうである。次はアメリカ帝国の没落である。今やアメリカは自分の国を守るのに必死になり関税を高くして国内の雇用とか経済を守る守勢にたたされている。これまでは世界の攻めの外交だったが守りの外交になる。自国優先にならざるをえない。グローバル化でアメリカが有利で栄えたように見えて逆に国内産業が衰退したという一面がある。製造業でも衰退してその不満がありラストベルトの人たちを救済するということでトランプが支持された面がある

いずれにしろ人間社会で栄枯盛衰は避けられない。だからアメリカでも衰退してゆく、アメリカはもはや世界の覇権を守ることができない。その限界が隣国にも高い関税をかけるのもそうである
自国の経済を守ることに必死だとなる。それだけ国内経済が疲弊しているのかとなる
ただ世界を見れば経済が成長して伸びている国が見えない、インドもうまくいかないとか行きずまっているとかヨーロッパも苦しいとか行きずまりになっている。それは世界的に経済が停滞して内向きになっている。グローバル化が限界になり世界経済自体成長しないとなる

●インフラの老朽化も修復できない

ともかく中国の衰退は規模が大きいから世界に影響する。日本は日本で衰退凋落がさらに加速する,少子高齢化は深刻である
空家が多いのは東京でもそうなり地方では深刻である
日本が縮小する衝撃痛みが顕著になる。
何か水道管が壊れて道路が陥没して修復できないとかある。
いたるところで人材が不足して直す人もいないとかなる
ローマ帝国は水道橋などが修復する人がいないとかで衰退したという説もでてきた。確かにあれだけのものを維持することが容易でなくなる。日本のインフラもそうなる心配もある
つまり拡大増産から縮小することの衝撃が大きい。そのことが全国で起きる。

不思議なのはカナダで住宅を作る労働者がいなくて住宅費が馬鹿高くなり住むことができないホームレスが増えているとかカナダもそうなのかと驚く、大工と職人が確保できない、それは単純労働とは違うからである。
このことは今日本でも人材不足として起きている。つまりローマ帝国衰退と同じく人材不足で衰退するともなる

この経済の衰退はグローバルに起きている。これはもう地球は経済成長の限界でありこれ以上の人口増加は望めないということかもしれない、何か世界的に縮小してゆく、その衝撃が起きている
地球の許容範囲を越えた結果として起きている現象だとなる。
もはやアメリカのような大国は世界から現れないとなる。
世界自体の経済が縮小してゆくとなる。経済成長がなくなると同時に資本主義も終わりグローバル経済も縮小するとなる
何か中世的世界になるというときもやはら歴史でもカルマがあり揺り戻しが起きる、同じではないにしろ過去への回帰が起きる
そもそも無限拡大拡張拡散増産とか無理だったなる。それが世界的経済の停滞となる、それは自然の理でありそれには逆らえないともなる




posted by 天華 at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月07日

宝蔵寺の石と屋形の地蔵堂【残る雪、風花、寒し】 【なぜ地蔵が多いのか?】


宝蔵寺の石と屋形の地蔵堂【残る雪、風花、寒し】
【なぜ地蔵が多いのか?】

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中に小さな地蔵がある、それは子供なのか?地蔵は子供と関係している
何かこの地蔵堂は一つの家族のように見えたのである。

文化の日に近くの地蔵堂をたずねる

晩菊や畑の中に地蔵堂
風花や風の冷たく雲に月
夕月や寺に大石残る雪
寄り合いぬ御堂に地蔵外寒し
外寒し子供の地蔵御堂内
寒きかな数軒守る地蔵堂

昨日の雪が石に残っていた、宝蔵寺の石はいい石である
あそこは陰になって暗い、朝は日がさしてもあとはささない

玄関に夜出たら風が冷たく雲に月が出ていた。寒くなった。
雲に月が出ていた

屋形の地蔵堂の中を良く見たら子供の地蔵があった。小さくて気ずかなかった。そもそも地蔵と何なのか?
際立って 子供 の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また 小僧 姿も多い。 賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や 水子 の供養において地蔵信仰を集めた。 関西 では 地蔵盆 は子供の祭りとして扱われる。

何か地蔵は子供と関係していた。屋形の御堂のなかには小さい地蔵があった。それが子供なのかとなる。もう一つは水子供養で子供を中絶して産まなかった供養である。
ともかく何らか子供と関係してここの地蔵堂もあった。
ここにあるのは何か小さな子供の地蔵がある。それが一緒にあるのは家族のように見える。

そもそもこうした御堂はいたるところにある。でも家数軒とかしかなく守られてきたのかとなる
あの辺でもそうである。何かそれは村が家族のようになっていたからかもしれない。村でも家が数軒とか離れているのである
ともかく御堂でも一つの共同体のなかにあり守られてきたとなる
今はそうしたつながりは希薄化しているから忘れられるともなる
ただなぜ日本にはこんなに地蔵が多いのかということである

地蔵信仰は子供の守り神であり子供の病気であれ何か子供を守ってくれるとなり地蔵が祭られた、切実な身近なものとして周りにあるのはそのためである。
とにかく墓をみると子供が死ぬことが多かった。いろいろな病気で死にやすかった。これは墓をみればわかる。いかに子供が早死にしていたかである。だからこそ子供を供養するということで地蔵が多いともなる。