2017年05月08日

山の変容(abstract pictures-many transformed mountains)


山の変容(abstract pictures-many transformed mountains) 


mmmmmmmmmrrrrr1.jpg


mmmmmmmfffff.jpg


bluemmmmm344556.jpg

brigemmm111.jpg

a brige on the height of mountain

yousaiiinazooo1234.jpg

a mysterious fortress(謎の要塞)


これらの山々の変化は一つのパタ-ン化したソフトの使い方でできる
それは創作とも違う、ただソフトでそうなるようにできているからだ
だからソフトの使い方を知ればいくらでもできるとなる

山というのは普通はこんなものと普通は見ていないし見れない、でもこういう山の変化があるのもしれない、それを実際の山では見れないのかもしれない
光の加減でそういう変化が起きているけど山はそんなに見ることができない
それで不思議だとなる

When it is possible plenty if I know how to use software because it which it is possible for by how to use software that the change of these mountains became one puttered is the body which there is to be only soft, and to be so which is different from the creation, it is

Though such a change is up in the trick of the light which may not watch it which it does not become known to that but there is the change of such a mountain not to usually consider that mountains do not usually come, and not to be able to watch in the real mountain, in the mountain, it is in it which I cannot watch so if mysterious
posted by 老鶯 at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

なぜ原発事故で若い人は流出したのか? (郷土愛が希薄化した結果?)


なぜ原発事故で若い人は流出したのか?

(郷土愛が希薄化した結果?)

そこがどんなに寒く、どんなに乾燥し、どんなに湿潤な土地であろうともいやなのもはそこを去りそこを愛するものだけがそこに残って作った共同体を愛するものである。それが郷土愛であり祖国愛の源流だろう。

風土と郷土愛-藤井昭二


●自然環境(真善美)

●風土性

●家族(愛)

●郷土の人間関係(協力関係)

●豊かな暮らし(利便性)


この人の考察では自然条件がどんなに厳しくてもそこに人間は住んでいる、黄土高原のヤオトンなどもそうである。草木も生えていないような所に良く住んでいられるとなる
砂漠に住む人でもシベリアでも自然条件の厳しい所に人は住んでいる
そこに住んでいるのはその土地を愛しているというよりそこに住まざるをえないからだろう。

自然環境とか風土性で培われるものがある。それが文化文明を作ったというのもそうである。宗教でも一神教が生れたのは砂漠からである、それはイスラムでも共通している
世界を見ると日本のように山が木で覆われているのは少ない、木もない山も多い、
砂漠の山などもそうである。シナイ山といわれる所も木がない岩山である。
だから住むには厳しいとなる、日本ではそういう点では恵まれている

風土性は人間に大きく影響する、福島県でもハマ、ナカ、アイズでまるっきり風土が違う気候が全く違っている、福島市とかは夏は盆地で暑いからいやだとなる
阿武隈高原を越えると涼しい風が海から吹いてきてほっとした。
何か熱風の中から出てきた感じにもなった。
だから福島市には住みたくないし他にも会津も冬になると雪に埋もれるから住みたくない浜通りのいい点は寒からず暑からずなことである。
だから天候からすれば浜通りは老後のおすすめの場所であり浜通りに住みたいという人はいたし現実にいたのである。
老後を会津とか北海道を選ぶのは気候の厳しさを知らないからだとなる
体の弱い人は住めない、老人には住みにくいとなる
ただそこに住んでいる人はその風土に慣れているから住めるともなる

そもそもその土地が悪条件でも住むというとき郷土愛の前に家族愛というのは誰でももっているから家族がいれば住むとなる、ただ家族に冷たくされたというとき故郷に帰りたくないという人もいる、駅では東京などに出て行った人が女性でも帰ってくる、その時なつかしいとなるときまず家族に両親とかに会えることなのである。
駅では母親が待っていたりするからである。
自分も郷土愛というとき家族がいて家族の元に帰れるということであった
自然とか郷土の人間関係など全く関係なかったのである。
自然とか考えるようになったのはその後のことである。
自分は都会は向いていなかったからである。人ごみとか騒音の環境を嫌悪することがあったからだ

だから今原発事故で郷土から流出した若い人々は飯館村などでも回りの監視状態の人間関係から離れて福島市とか都会で暮らす方がいいとなっている
田舎の人間関係は相互監視状態になっていて窮屈なのである。
そして今は田舎でもみんな農民ではないから共同性も希薄化している
そうなると家族愛となると別に郷土にあるわけではない、どこに住んでも家族が入れば家族愛があるから郷土にこだわる必要がない
むしろ現代は豊かな暮らし利便性が優先されるとなる

だから石川啄木があれほど望郷になったのか不思議だとなる、それほど田舎で暮らしている人に自然への思いはない、自然の美にしても普通の人は農民でも意識しない
むしろ農民だったら苦労だけを言う、ただ自分のように外から見ていると楽だから自然の中に暮らしていることはいいとなる
現代は特に郷土と結びつけるものが希薄化している、だから原発事故で放射能問題があっても若い人たちはこれを契機にかえって流出したのかとなる
ただ老人は郷土に愛着があり残ったとなる
だから自然条件の厳しい所に住んでいるのは郷土愛とは限らないのである。
郷土を嫌っていてもしかたなくいるという人も多いのである。
それよりそういう外の世界を知らない時代はそこに住むほかないとなる

自分が自然環境を重んじるというとき自然の中にロゴスを形成する、アイディンティティ化するものとして追求してきた。そこに精神の調和と形成を求めてきた。
東京とかなると完全にロゴスは崩壊している、無秩序の世界、混沌の世界でありそこに精神の安定はえられない、だから良くあんなところに正常でいられるなと思う
そこに住むことができること自体異常になっているのかとも思うのである。

いづれにしろこの辺で原発を誘致したのも利便性でり豊かな暮らしをしたいためである。郷土愛というより利便性とか豊かさを求めることが強かったのである
逆に山尾三省の不思議は異常に自然環境、風土性を求めていたのである。
それを自ら実践したのである、なんでそこでするのか?
それは演技であり貧乏をショー化するようにも見えたのである。
何か現代はかえって不自然に見えてしまっていたのである。
田舎でも山尾三省のような人はいない、みんな利便性と豊かさを求めている
だから原発事故で放射能の被害もあるがそれだけではない利便性と豊かさを求めてまた田舎の人間関係のわずらわしさを嫌ってこの際都会に出た方がいいともなったともいえる
つまりすべてが原発事故が原因だったとはならないのである。
郷土愛が希薄化した結果として流出したともなる
もし山尾三省のような人がいたらそうはならなかったことは確かだからである。

つまりいい家をもちたい、いい車をもちたい、うまもいものを食べたい、・・・
そうした欲望が限りなくありそうなった、立派な家を借金してまで建てているとか
いい車に乗っているとか漁師は原発の補償金で事故前からぜいたくしていたし原発御殿と言われる家を建てていたり何か欲望のためには何でもするともなっていたのである。
それは別に漁師だけではないみんなそうだったのてある。それが現代の生活でありどこでも同じである。
ある人は見栄のために事業を成功していたとか装っていたけど借金していたのである。
借金してまで自分を良く見せる、そのためにはどんなことでもするというのが現状なのである。
お前も同じじゃないかといえばうまいものは食べたいというのはそうである。
でも家はあるし車はもっていないからそういう贅沢は求めていない
だから山尾三省と比べるとあまりにも違いすぎるのである。
ただパンが贅沢だとなると誰も今の世の中には受け入れられないのである。

山に還る
その山がたとえチェルノブエリの灰に汚染されているとしても
わたくしには他に還るところがないのだから

この人の不思議は別に原子力発電とか放射能の被害にあったように書いているのだ
老人はまさにこういう心境だから故郷に帰りたいとなっているのだ
若い人たちはそうはならない、若い母親だったら放射能の怖さが優先される
そこに世代が分離して老人だけが故郷に取り残されたとなったのである。


posted by 老鶯 at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年05月07日

庭の石の意味するもの(詩) (震災以後変化した街の様子)


庭の石の意味するもの(詩)

(震災以後変化した街の様子)
stonehhhh134.jpg

これは原町だけどこの石は大きいし貫祿がありいい石である。
石にも個性がある、この石は見ていると心も落ち着く
これも新しく建った家のなである

庭の石の意味するもの

一つの石が据えられる
動かぬ石が据えられる
それはこの土地に生きる標
そして庭に花が咲く
赤いつつじが燃えるように咲く
その石の陰にひっそりと咲く
冬の貴婦人は目だたずに
また新しい家が建ち
ここに住む人がいてシャガの花が咲く
一つの石は定着する意志
ここに生きようとする意志
ここに根を張る意志
木を植えるのもまた同じ
土地に根を張り育ち花が咲く
人のいない空家に残る石
その石が淋しいのは
そこに生きる人がいなくなり
そこに人の生きる意志がなくなったから

庭というときその意味するものは何か?それはやはり思想がある。
庭作りするとき必ず石をすえるとき石は何を意味しているのか?
石は定着するその土地に生きようとする意志なのである。

この辺で不思議なのは次々に新しい家が建ち人が移ってくる
その人たちはここに前から住んでいる人ではないだろう
いくら津浪の被害があってもこんなに家が建てられないからである。
アパートに大東建託もまだ建てられている、15棟くらいある。
これにも驚きである。そんなに入る人がいるのかとなるからだ
いわきナンバーが多いときやはり浪江とか大熊とかでも移ってきている人がいるからだろう。復興住宅も浪江の人がほとんどだからである。

仮設になると庭もないしそこに仮りにいるというだけになる、でも一軒の家を建て庭に石をすえるとここに定着して住むとみる
だからこうして新しい家を見ているのが不思議だとなる
この辺はほとんど変わらない町だったからである。
いつまでも西町の70坪700万円の土地は売れていなかったのである。
それがたちまちに一つの新しい街に変貌したのである。

一方で小高区とか浪江町でもそこは家が空家になり人が住まなくなった
人が住まないと家も死んでゆくし街も死んでゆく
それは近くに人が住まなくなった家がある、その庭は結構いい庭なのである。
でもその石を見ているとなんとも淋しいのである。
石が淋しく感じるというのも不思議である。
つまり庭に据えられた石は人間になっていたのである。
それは自然の石とはまた違っていたのである。
だから人が住まなくなったとき余計に淋しものを感じたのである。
あそこの家は時々帰ってきてはいるから何なのかわからない
連休には車で帰ってきていたが日頃は誰も住んでいない空家である
だから完全に空家ともいえないのかもしれない。

ともかくこの辺の不思議は原町とか鹿島にはこうして新しい家が次々に建っている
原町は広いからもっと建っているだろう。復興住宅でも規模が桁違いだとなる
だから人口は南相馬市で6万くらいになっていても減っていても実際の人口は違う、
まだ除染でも工事関係者も来ているし外から浪江からなど入って来た人か多いから
一万くらいは南相馬市の人口になっていない、だから7万くらいあった元の人口とさほど変わらないかもしれないのである。
鹿島区になると人口も一万となるとさほど変わりないしスーパーも二つできて良くなっている
コモドインなどホテルも小池にできたことは何か都会化したなと思う
一万といっても外からきて住民登録していな人がかなりいるとなると1万より1000人なのかわからないが多くなっている
やはり人口でその市町村の規模を見るとわかりやすい。

とにかくこんなに大きな変化を経験することはなかなかないことだろう。
小高とか浪江とか避難区域になったところはこの逆であり極端な変化になった
家が空家だらけで街がゴーストタウンのようになっている
その差が大きすぎるのである。だから原町とか鹿島とか相馬市でも新地でも金のある人は家を建てているのである。
するとますます小高とか浪江とかに帰らない人が多くなる
何かそういう大きな変化にとまどってしまう。
ただ原町とか鹿島は避難区域となったところとは違い今は街自体は影響を受けていないのである。




2017年05月06日

つつじ(原町のユッサは本物の温泉だった) 増えた新築の家に花が咲く


つつじ(原町のユッサは本物の温泉だった)


増えた新築の家に花が咲く

yussaaaa1_FotoSketcher.jpg
ユッサの庭-クリック拡大

fujibotttamm1_FotoSketcher.jpg
クリック拡大

newtownnn1213.jpg
new town-30件軒はある  
kifujinnnnn111.jpg
冬の貴婦人




石すえてつつじ燃ゆるやユッサかな


新しき住まいを得てそ住み着くやシャガの花咲き通う道かな

藤の花緋色の牡丹蔵ありし昔栄し街中の家

石により冬の貴婦人淋しきを星型の花回りに咲きぬ


原町のユッサは本物の温泉だった、この辺では温泉は湧かないからただ普通の水だと思っていた。となるとあの温泉はこの辺では貴重だとなる
この辺には温泉はないからだ。湯本から北はない。
それで今度できる新地の駅前の温泉も価値がある。
あれはまだ工事はじまらないからいつできるかわからない
ともかく本物の温泉にはこの辺では入れない、それで700円とか高くなっていたのである

庭にツツジが赤く新緑だった、あそこの庭ももっと見栄えのいいものにするといい
今回はつつじが咲いてそれが温泉とあっていたのである。
それが本物の温泉だということで価値が生れた
すいたときに入ってみてもいい、自分はあそこでは入ったことがない
700円は高いと思ったのである。でもこの辺では本物の温泉は近くで入れないから価値がある。

鹿島区の街中に白藤が咲いて緋色の牡丹が咲いた、その家に蔵があるということは古い家で昔栄えた家もしれない、一方でこの辺では新しい住宅地が広がった
ダイユーエートの近くにも新しい住宅地が生れた、それは比較的安い建て売りである。
2300万円とかで売り出している、それでも日本の家は高すぎるのである。

今家建ててるなんちゃらホームもほとんどアブナイんやで上物で3000万なら 
純利益は1000万こえるんやでボウズ丸儲けなんや

これは本当かどうかわからないけどこうした内部情報というか実際にたずさわった人が言うとき信憑性がでてくる、そんなにもうけるから日本の家は高いとなる
ただ建て売りは土地こみだから高くなる、あそこの土地は500万くらいしていたからだ
するとそれほど高いとは言えない、他は高級住宅街となった、三つくらいそういう街が生れた

そこにシャガの花が咲くというとき街として見るとまた不思議に感じる
シャガの花は山の村のようなところに咲くのがあっていると思ったからである。
でも街の中に咲いてもそれなりの情緒が生れていた
仮設にはやはり庭でも何でも仮の宿で落ち着かないしにあわない
でも一旦庭ある家に住むと落ち着いてここに住み暮らすんだなとみる

なんか毎日街を回りを見て歩く、遠くに旅しないと回りを良くみる
白藤に緋色の牡丹が咲いていた家は古い家なのだろう
蔵がある家は古い家である。街中にはあまりないからである。
なんらか昔なら街中でも栄えていた家があっても不思議ではない

いづれにしろこれだけ新しい家ができたことの変化もまた驚きである。
この辺はほとんど変化がない世界だったからである。
西町の70坪700万円の土地が売られていたがいつまでも売れることもなかった
それが次々に新しい家が建ち新しい街ができてゆくことには驚きである。
それは別に悪いことではない、特にいい庭に花が咲いていると鑑賞できるからいいのである。つまり家でも庭が整備されてきれいであり花が咲いていると街全体の美観が良くなるのである。
街中でも郊外でも今の時期は花めぐりするのがいい、今が一番花が映える季節だからである。

2017年05月05日

報道がなぜ面白がることになるのか? (他人の苦しみを知らないし理解できないから)


報道がなぜ面白がることになるのか?

(他人の苦しみを知らないし理解できないから)

みんなが記者になるインターネットの時代
 (現場の被害よりいい写真をとることに夢中になる)

ここで書いたようなことがなぜ起きたのか?マスコミでは常にそうしている
報道は娯楽である。他人の不幸を蜜の味であり楽しみとか気晴らしにすぎない
それが実際は個人的でもそうだったのである。

津浪に追われているのを写真にとる、ビデオにとることに夢中になる
その津浪に追われている人の恐怖がどれほどのものだったのか?
そんなこと関係なく写真をビデオとることに夢中になっていたのである。

それは自分でもそうだった、八沢浦が美しく入江として蘇ったと写真をだしたとき
泥の中から幼児をほりだしたのを知らないのかと言われたのもそうである。
何が美しい入江が蘇ったのかそんなこと報告できるなとなる

ただ別には自分は面白がっているわけでもなかった、自分自身がその時身体障害者になっていたからその写真をとるにも苦しい状態にあった
でもなぜそんなことをしたのか?それはあまりにもありえない光景でありそれは本当に美しい光景だったからそうなった
でもそこに一軒くらい家が浮いていたのである。

ともかく他人が生きる死ぬかの時、写真やビデオを撮ろうとしているのは異常になる
でも新聞記者だったらテレビの記者でもそういうインパクトのある写真を出して視聴率をかせぎたいとなり撮る、困った人のことなどのことを考慮しないで取材している
相手は悲しみ最中にあってもそうである。

これは個人間でも起きているのだ、人間は相手が苦しんでいても普通は無関心である。
自分が介護とか病気になって苦しんでいても無関心だった、ふりかえると相手に対しても自分もそうだった、ある人は金がなくて苦しんでいたけどそんなことも無関心である。
金がある人は相手が金がないとういことを理解しないである。
いくらでも金なんかあるじゃないかとなっているのである。
健康な人は病気の人を理解しないのである。
そんなに苦しいの私は何の苦しみもないからわからないとかなる

そして自分の場合は自分が苦しんでいる、弱者になったことをいいことに責められたのである。弱者になると借金を請求するのにも好都合だしてたいしたこともしないのに恩をきせることもできる、相手が苦しみ弱くなったことは全く考慮しない、それは弱肉強食の世界だった、弱ったものが餌食になる、それを経験したのである。

なぜそういうことが根本的に起きてくるのか?
人間は相手の苦しみを知らないし感じないからである。
その人は実際は介護十年していたのである。ところが自分もその後介護十年していた。
その人は前から介護して苦しんでいた、自分は知らなかったのである。
だから自分のことも全く無関心だったのである。
その事情を知って互いに苦しいことがわかったのである。

ともかくマスコミなどは悲惨なことを毎日報道しているがそれはただ視聴率をかせぐためであり金儲けのためである。その報道する人が会社がなにがしかの痛みをともなうなら別である。そんなことは何にもない、視聴者に他人の苦しみを見せて視聴率をかせぐだけだとなる、ただ危険な所で写真をとったりすると命懸けだとなり命懸けで伝えたいものがあるのかともなる

人間は普通他人の苦しみを知らないで生活しているのである。
自分の前に人が苦しんで倒れたりしたらこの人は苦しんでいるから救急車を呼ぼうとかなるが普通は知らないのである。
だって人は毎日死んでいるしまた死んだのくらいしか他人の死はならない、それが家族の死だったらそうはならない、他人だったらそんなものなのである。
ましてや他人の苦しみを知ることは本当にむずかしい

俺は今一億円の借金で困っているんだよと言われても他人だったらそれは大変ですねとかで終わりである。でもそういう人が困っている人がいることが本当に他人に影響する時
その怖さがわかる、そういうことは常に推理ドラマでやっている
犯罪の殺人の動機でも借金が必ずからんでくるからである。
そういう人とつきあったりしたらそういう危険なことになりやすい、自分がそうされたから身をもって知ったからである。

結局人間は相手の苦しみのことがわからない、相手が貧乏であれそんなこと金がある人はわからない、それは怠けていて自己責任だとなる、そういう面もあるが働いても働いても金にならない人もいる
でも金のある人にとって貧乏人のことなど知らないし関係ないのである。
ただその貧乏人が金持ちを襲ったり殺人までなったりするとき相手のことをもう一生忘れないようになるのである。

マスコミの報道でも遠くだったら影響がないから面白がるだけである。
連続殺人あった、九州か遠いなとかなりなんだろうと一時なるが後は忘れるだけだからである。でもそれが近くだったら恐怖になるのである。
シリアであれだけ悲惨なことがあっても面白い光景だとかなる
ところが北朝鮮からミサイルが飛んでくるとなるとまるで違ったものとなる
ドラマでもそれがドラマだから自分の身が痛まないから面白がっていられる
現実に自分の見に危険が及んだり苦しめられたら面白がっていられないからである。

要するに人間は自分が苦しまないかぎり他人の苦しみにも無関心である。
だから健康であり金があり困ることがないと他人には無関心になる
でも自分が苦しむ立場になるとこんなに苦しいのに誰も同情してくれないのかとなる
なぜ無関心なのかとみんななっているのである。

インターネットでみんな記者になるときやはりマスコミと同じになっていたのもそうである。衝撃的な写真をとれば大勢の人にみてもらえる、そしたら広告でも稼げるとなればマスコミと同じだからである。
そして普通では人間は相手の苦しみを知らないし理解もしない
ただ衝撃的な写真をとることに夢中になっていたのである。

カルト宗教でも他人の苦しみは会員を増やす一票を獲得するチャンスであり同情などしていない、でも藁にもすがる思いで頼る人がいるから会員も増えるとなる
弱者になると信じられないことでも信じやすくなるのである。
そうした心理をついて魔の手が伸びてくるのである。
人間は確かにこのように悪質なものだけどそれは他人の苦しみを知らない理解できないことにあった、自分が健康であれば金があれば他人が病気であり金がないことも知らなかったり理解できないのである。

この辺の放射能問題でも他者からすると面白いとかなる、でも東京でも同じような被害を受けたらそうはならない、みんな恐怖におののくのである。
報道はだから地元から報道するのと離れた所から報道するのは違ってくる
関心の度合いが違ってくるからだ。
浪江の火事でも放射能物質が拡散するとか騒いだら近くでは注意するが他では面白がるということがある
実際に避難区域になったときゴーストタウンを見に行こうとかなり今でも来ているからだ

報道というときマスコミとか遠い所とか第三者の立場になるとただ面白がるということが起きる、でも実際に苦しんでいる人が報告すればそうはならない
自分は認知症の介護とか自分の病気とか他者から借金のために責められるとか大金を盗まれるかと苦しめられたことを書いた。
それは身をもって経験したことだからである。それはマスコミが報道するのとは違う、自分が痛みを受けたから違っていたのである。ただ誰にも同情はされなかったとはなる

何か痛みをともなわないと同情にはならない

寄付金でも自腹で出したり何か自分自身が痛みを覚えるとなると同情したことになる
その他は他人の苦しみは蜜の味になる、面白がっているだけだとなる

小池の墓地を見て帰る (コモドインの近く)


小池の墓地を見て帰る


(コモドインの近く)

koikebochiii1.jpg

bochihaka12345.jpg

shirafujiiiiiii123.jpg

koikebochiii12233.jpg
クリック拡大




小池なる墓地の木陰に休みつつここに眠れる人し思いぬ

墓一つ倒れてありぬ参る人なきや我が見て街に帰りぬ

名前のみ墓標の八つここに生く人のありしも誰がかえりみるかも

白藤のさわに咲きにき小池にそ住む人あれやひそかすぎゆく


墓地と桜

一つの墓地に花は散りにきあわれかな
ここに眠れる人は誰なれや
生きてあるとき華やかなる時もあれ
たちまちに花は散りにき
そして墓に入りにつ語らざるかな
かく時の移りは早しかも
いづれはみな墓の中なり
墓に入れば騒がずや
花はみな散りにけるかな
月こそいでてここに眠れる


小池のコモドインの近くに墓地がある、結構広い墓地である。小池で何か見るのかというとき外から来た人は古墳を見てきたという、鹿島区だと古墳が目立つから見るようになるあとは撮り鉄であり鹿島駅とかは古いものだから撮ってゆく、他にも小高ともありその人たちは仙台から車できて写真を撮ってゆくのも変だった
鉄道マニアだったら電車に乗るべきだからである。
ただ写真をとるとなると場所が問題になるから車で来ていたとなる

古墳も墓だとすると自分が小池で見るものはなにかとなると墓だけだとなる
小池の墓地は桜の木があっていい場所だった、墓地も広い
嘉永とかあったから江戸時代からあった墓である。田舎の墓はたいがい江戸時代からつづいている墓である。鹿島区の街中にある墓地でもそうである。

倒れた墓がありあれは誰もお参りもしない墓になった、墓はそれでもかたづけるわけでもなく残っている、個人墓であり姓と名前が記されている、古い墓は個人墓であり夫婦墓が多い、他に八つくらい道標がありそこには名前だけが記されている
そういう墓は使用人なのか?それとも兄弟なのか姉妹なのかわからない
そういう墓はどこにでもある

墓になぜひかれるのか?それがやはり人間の無常を示しているからである。
でももしその人が生きていて出会っていたらいい感じがしないとういことはある
死んでみてなにかあわれだとなる、人間は死んでみると本当にはかない
最近近くで十年介護していた夫が死んだ、それも生きている時は長いが死んでみるとつくづくみんなあっけないなと思う
最後は墓になってわずかに名前が記されていても省みる人もなくなるのである。

小池の墓地がある所は工場もある、ただ何を見るかとなると墓なのである。
それは古墳でもそうである。この墓に興味をもったのはコモドインに食事に来るようになってからである。つまり何かに興味を持つのは意外とただ昔だけではない、今が関係している、コモドインという所でランチを食べに来ているとあの墓地を通るから関心をもつようになるからである。だから山奥になるとなかなか行けないから日常的には関心をもてないのである。


あっけない死

近くにまた人が死ぬ
あっけなくころんりん
ええ、あの人が死んだ
あっけなくころんりん
同じ年だった
もう還らぬ人
あっけなくころんりん
死んだらみんなあっけない
あんなに気丈夫な人も
あっけなくころんりん
病気と老いと死には誰も勝てない
こんなにあっけないのか
今や老いれば次々に死んでゆくだけ
あっけなくころんりん
死んで何を残すのか
何にも浮かばない
泡のように消えただけ

人間は死んでみるとみんなこんなものになることの不思議である。
死ぬまで大騒ぎしても死んだとたんにこんなにあっけないのかとなる



2017年05月04日

ダムとか溜池とか湖に堆積したセシウムの謎 除染しても放射線量が減らないから困る


ダムとか溜池とか湖に堆積したセシウムの謎


除染しても放射線量が減らないから困る

tameikejjj1.JPG


tameikeeeejjjj2222.JPG
溜池の除染作業

よほど郡山の市街地にある某公園の方が高いね。 
そこは池の水位が下がると3マイクロまで上がるし。

汚染された木が広葉樹なら1年で葉は落ちてしまうから汚染されているのは樹皮のみ 
針葉樹なら5-6年で葉が入れ替わるからやはり汚染されているのは樹皮のみ 
山火事で落ち葉が燃えても拡散しない

湖は森林とは違うよ。 
キミは福島の森林が年々セシウム濃度が下がって、湖等が上がってること知らないのか?

日本は世界でも最も降雨の多い地域で、通過する温帯性低気圧(台風等含む)で、放射性セシウムが洗い流されて土壌に染み込んだり、懸濁流水となって、湖沼河川へと集積されている。 
樹木植物に蓄積されている放射性セシウムは主に根茎に集まるので、火災にさらされることの方が希。 
土中には酸素が無いので根茎は燃えない。 


ダムの底には相当量のセシウムが堆積しているはず 
ダムは流れ込む土砂を定期的に浚渫しないといけないし、 
放射性物質が含まれているとなると、それも考慮しないといけなくなる 
福島県内のダムはどうしているのだろう


環境省はダムは管轄外。 
国土交通省はダムの汚染状況を調査中。 
小型のダムである農業用ため池は、農水省と福島県で調査した汚染状況の結果をHPで公表している。 
この結果を踏まえて、2017年度から本格的な除染を既に始めている。 
それまでは各地で実証実験を行い、湖沼の除染技術の確立していた。

ただし、流域面積(集水域)である森林の除染を行っていないので、降雨の度に放射性セシウムが染み込んだ表土が、懸濁水となって流出し、折角除染した湖沼でも3年で元に戻ってしまうことが、先の実証実験で明白になっている。

ベラルーシ国立土壌研究所グループの調査で粘土分が少ない土の場合、 
土壌汚染の15倍もの放射性物質が牧草に蓄積されることが分かっていた。


科学に弱くてもこの辺では放射能のことを考えざるを得ない、文系でも理解しようとする的外れなことあるが事故周辺に住んでいると実際に回りの放射線量を計測しているから他の人より理解するということはある
これは2ちゃんねるの論議だからいいかげんなことはあるだろう。
ただあれでもヒントにはなる、あまり専門的になると手も足もでないとなるからだ

浪江で火事があってあそこは避難困難区域だから相当に放射線量が高い、飯館村で木の樹皮は3マイクロシーベルト4年前頃はあった。今は減っているただ山林の中も今も3マイクロシーベルある。
この辺で一番気にしているのは真野ダムの放射線の汚染である。水を利用しているからそうなる、だから飲み水はペットボトルになる、相馬市でもそうである。
するとペットボトル代くらいの補償は継続的にしてくれともなる

自分は溜池で除染しているのを見た、泥と水を分けている作業をしていた

ダムの底には相当量のセシウムが堆積しているはず 
ダムは流れ込む土砂を定期的に浚渫しないといけないし、 
放射性物質が含まれているとなると、それも考慮しないといけなくなる 
福島県内のダムはどうしているのだろう

ただし、流域面積(集水域)である森林の除染を行っていないので、降雨の度に放射性セシウムが染み込んだ表土が、懸濁水となって流出し、折角除染した湖沼でも3年で元に戻ってしまうことが、先の実証実験で明白になっている

実験してダムや溜池や湖の除染をはじめている、小池で見たからそれがそうである。
でもこのようにまた回りからセシウムのついた泥が流れてくるから同じだとなると何か除染も徒労だという感じになる
そしてその回りの森の領域が広いからその泥の流出をとめることができないのである。
だからダムでも溜池でも湖でもセシウムが泥が堆積されているから放射線量は上がっている、それは上が水で覆われているから放射線量を水でさえぎるから上がらないだけであるそれは原子炉を冷やしているのと同じ理屈である。

水を取り除いたらセシウムのついた泥の放射線量が高くなっている

家根から流れだしたセシウムは樋で高くなったと同じ

溜池とか湖でもダムでも泥は計れない、でもその水が取り除かれたときかえって放射線量は上がっているというのは怖いことである。
その溜池でもダムでも湖でも除染してもまた回りから泥が流れてくるのだから無駄というときそんなことに金かけて除染していいのかともなる
つまり除染は何か森や山林地帯では効果がないのではないか?
そこには常に泥が流れてきてたまりやすいからである。

浪江で火事では確かに樹皮は飯館村の佐須で3マイクロシーベルとあった、一部にホットスポットがあり20マイクロをこえていたところがあったので驚いた
その泥は確実に真野ダムに流れているのである。

これから政府で溜池とか沼とかダムとかの除染をしようにもできるのかとなる
確かにそうはいっても森自体が広すぎて汚染できないときセシウムのついた泥を取り除けば山林の放射線量は減ってゆくことは確かである。
でもそれは果てしない労役を課されることになる、そのカルマをとりのぞくには半減する30年とかともなり嫌になるだろう。
それが放射能被害の過酷さだったのである。

浪江の火事では樹皮は汚染されたが

汚染された木が広葉樹なら1年で葉は落ちてしまうから汚染されているのは樹皮のみ 
針葉樹なら5-6年で葉が入れ替わるからやはり汚染されているのは樹皮のみ 
山火事で落ち葉が燃えても拡散しない

樹皮は4年前頃3マイクロシーベル汚染されていた、これは自分で計測したから覚えている放射性物質が拡散するかしないかは議論されている
たいした影響もないのかあるのかまたわからなくなるのである。



posted by 老鶯 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

駅員の仕事 人は勤める場所に愛着をもつ


駅員の仕事

人は勤める場所に愛着をもつ


昨日は原町から来た駅員が反吐をはいたのを掃除していた。
ということはこの人は迷惑をかけたのである。
しかし謝ってもいないだろう。
迷惑かけたということを意識しないだろう。
それは掃除している人を見ないからである。
ゴミを駅になげていた人もいた、自分はそれをかたづけた
ゴミをなげる人はそのことを知らない
世の中はそういうことが多いかもしれない
誰かがその後始末をしている

駅はいろいろと機械類とかも整備しているしこの前は盲人用の歩くブロックを直していたいろいろみるべきもきがある。雪かきも冬にはしていた
駅を整備することにはそれだけまた労力がそそがれているということでもある
自分はつばめが糞をしたので窓を掃除した
掃除というのが仕事として家と同じようにある

昨日は連休で遠くから来た人がいた、一人は車できて見送りしたのか、鉄道は利用しなかった。それでも駅前は車でも利用されている
何でも駅員が言うには仙台まで乗車客が3倍に増えたという
それはいつも駅で行く先を聞くと仙台を行き来している人が必ずいるのである。
この辺では外部から来る人がまだいる、それで仙台まで行く人が増えている

駅は鉄道だけではない、駅前とか街とも密接に関係している
駅が街の玄関口だというとき駅からその街に入るから玄関の印象は大事だとなる
だから美観も大事になる、花とか木でも植えてあると憩いの場所になる
だから八重桜を虫が来るとか駅前の住民がJRの職員に切らせたことは納得できないのである

無人駅になる小説

駅への愛着をライトノーベルにしている、掃除することはその駅に愛着ができる。
人間はその勤め先には愛着を持つ、ただ不思議なのは自動化して無人駅になるとそこには人がいないから愛着をもつ人がいなとかなる
そういう駅は人間的なものが消失して無味乾燥になってしまうだろう。
確かに人がいなくても困らないかもしれない、でもそこには人間的なものが人間臭さがなくなる、そういう駅に来た人も何か淋しとかなるかもしれない、無人駅だとこの街は寂れていると感じるというのもそうかもしれない

駅は何か人間的な場所だった、その一つの原因として駅は待つことにあった
待っているからこそ短い時間でも自然な会話が生まれる、話したくない人もいる
撮り鉄とかはそうである。写真とることだけを目的にしているから話しかけても会話はない、そういうネクラな人が多いということである。
もちろん自分もそうだったから人のことは言えない
何か自分は家族がなくなって一人になったとき淋しいから常に会話を求めるようになった家族がいないということは心境ががらりと変わる
妻が死んでがらんとした大きな家に一人いる人は二階には行かないというとき淋しくなるからだろう。こういう気持も一人になってみないとわからないのだ
なんか一人ということは人間にとって異常なことなのかもしれない、特に大きな家に住む人はそうなる

人間の生活は仕事はいろいろあるが駅員とか鉄道員という仕事もただ乗客になるのと鉄道員として働く勤めるのは全然違ったものである。
人間は仕事のことは実際に仕事してみないと理解できない、農民のことでも何でもそうである。仕事とは何なのか?それはただ月給ももらうことだけではない、仕事をもつことで得るものがある、だから豊になり働かなくてもいいとなっても人間は働くことを求める
生きがいを求めて働きたいとなる、それでシニアの大きな問題が生まれる
退職してから先が長いとなると暇になるからだ
今シニアで相当に暇に困っている人がいる、それでパークゴルフ場が繁盛しているのである。

何か高等な趣味はもちにくい、それは巣てに若いときからしていないと趣味でもてきない自分はこれまで鉄道の旅をずいぶんしたからJRには世話になったともなる
その時そんなことを考えもしなかった、何かしてもらっても感謝の気持もなかった
金やればいいじゃないかとしか思わなかったのである。
でも社会はそういうものじゃない、そこに勤める人がいて世話になっていたのである。

ともかく人間は農民でも何でもそうだけどその仕事をしてみないとその仕事から実感する見えるものがわからないのである。
もし本当に自然がなにか知りたかったら農業をしてみないとわからない。
それをしたのが山尾三省だったがパンも食べられない過酷なもので妻も自分も早死にしたのである。そこまではやりたくないのが自分であった。
体力がなくても長生きしているのは楽をしたからである。

駅の面白さはそこが外部と内部の接点になっているということもある。
内部の人ばかりとつきあっていると監視状態になる、四六時中見張られていると嘆く人が近くにいる、飯館村でもそういう監視状態が嫌で都会に出てそっちの方がいいと帰ってこない若い人がいるというのもわかるのだ。
駅だと外部への出口でもあることである。何かそこから自由になるという感覚になる
旅立つときはそうである。でもまた帰る場所でもある
東京辺りに出て故郷に帰ってくる人も多い、それはなつかしい家族との再会になる
ただ家族がなくなるとき待つ人がいないから淋しいとなるのだ。
だから今自分が旅しても帰ってきても誰も待つものがいないから嫌だなとなる
待つ人がいて自由に旅立つことができていたのである。
タグ:鉄道員 駅員
posted by 老鶯 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の鹿島駅(常磐線)

2017年05月03日

鹿島駅でJRの職員と話する 駅と地域の関わり(八重桜を切らせたのは住民だった)


鹿島駅でJRの職員と話する


駅と地域の関わり(八重桜を切らせたのは住民だった)

stationolann1.jpg


yaepoem1.jpg

tettouuu1.jpg

ここは鉄塔が立って切られたとばかり思っていた
鉄塔が建ったことで風致的には悪くはなっていた

何本かあり他は切られている
この一本だけが切り株だけ残したようだ
駅の方の近くに咲いていた記憶があるからだ



今日駅に行ったら原町から来た駅員が階段を掃除していた、酒飲んで反吐をはいた人がいた、それで連絡があって掃除していた、
これは電車にのる人も嫌だから早めに掃除しないとまずいからである。

そこで八重桜を切ったのはもったいなかったと言ったらあれはこの辺の住民が虫がくるからと毛虫がその木から来る切ってくれと要望があり切ったんですと言っていた
それが本当なのと一瞬疑った、あの八重桜から虫が来るから住民がJRに抗議して切らせたそんなことができたのか、あの八重桜がある場所はJRの敷地内でありてっきり無線塔のようなものを建てたので邪魔で切らせたと思っていた
だから意外だった、でもそんなことできるのか?

確かにあそこの駅は市とか区とかで管理している、民営化になってJRは国鉄ではないのだからJRと市町村とで分けて考えるようになった
国鉄時代は国の管理だから市町村との関わりも密になる
JRは一つの私企業になったのだから自分たちの権限が強く主張できるとなる

でも駅となるとどうしても公共性が要求される、JRの勝手にはできない、それが住民が虫が来るからと八重桜を切らせたのは住民の要望に従ったとなる
それは悪い意味でそうさせられたとなる

そもそもなぜ駅前の住民がそんなことを要望して切らせたのかとなる
八重桜があり駅で電車を待っているときそれが自分の一つの思い出となって詩を書いたりした、それを駅前の住民が切らせたのは虫の被害からだったというのは意外だった
そしてそんなことができるのか、権限があるのかとも思った

駅はその駅前の人たちだけではない、鹿島区全員が利用するし原町から来る人も遠くから来る人も利用するのである。そしたら八重桜があった方が美観としてはいいのである。
そういう美観の観点から意見を言ったりして実行されることはなかなかない
何か景観とか美観は金にならないからだ、古い街並み保存でもそうである。
だから景観とかは一番破壊されやすいのである。

人間は例えば自然豊かな田舎でも美観とかに無頓着な人はいる、そもそも個々人でも女性でも生け花に興味がない人もいたし自分の母親は庭とか花に興味がなく働き金を稼ぐことしか興味がなかった、そういう時代の人だといえばそれまでだが最期は庭に木を植えたらそんなものに金使うなと言っていた、ただ後は反省した。

近くでも広い庭があるのに何もない荒れ放題にしている人がいる、小石くらいでもまけばきれいになるし川の感じもでてくる、それが何もない方がいいのだという
そういう人もいるし別に田舎に住んで農業していも美観のためにしている人はいない
米をいくら作っても金にはならないとかそういう実利的なものとして農業をしている
だから美観とか景観を問題にすることは普通はないからである。
男性で生け花しているのはめずらしい奇特な人だともなることは確かだからである。

ではあそこの地区の人たちが美観を問題にしていないかというとそうでもない
チューリップを花壇に植えていたからである。それが咲いている
ただ虫が来るかとそれがそれほどの被害だったのだろうか?
その前にそれを要求する前に議論も何もなかった
それでもその人たちの住民の要望であの八重桜は切られたのである。

法律的にはJRのものでありJRはその駅前の住民の要望だけで切る必要もなかった
なぜなら明らかにその土地の所有者だからである。
隣の庭の木から虫が来るからと切れとは簡単に言えないだろう。
だとしたらJRではもっと広く意見を聞くべきだったとなる
そこを利用する人はその駅前の人たちだけではないからだ
それは公共的なものであり公共的とは広くみんなのものだともなるからだ

こういうことは原発でもあった、原発は東電という私企業が土地の所有者との県の許可だけで建てた、そんなことができるのかとなる
議論もなにもなく建てられたとなるとそんな危険なものがどうしてそんなことができたのかとなる、でも法律的にはできたともなる
ただ回りの住民が反対すれば市町村でも反対すれば作れなかった
それを新潟県の巻町ではできたからである。

いづれにしろ国とか私企業でも会社でも公共的要素が必ずあり勝手になんでもできるとはならない、そのせめぎ合いがあって当然なのである。
そして住民といってもその範囲が広い場合がある、駅を使うのはそこに住んでいる人たちだけでもないのである。
だから公共性が高いから駅前の人たちだけで決められるのかともなる
その要望にすぐ従って切ったというのも納得がいかない面がある

「この八重桜は駅前の住民が虫が来て嫌だから切ってくれと要望がありました」
「ええ、そんな要望ならもっと広い住民の意見も聞くべきではないか」
「そうはいいましてもこの八重桜に関心ある人はそんなにいないでしょう」
「いや、そうでもないかも、それはいつも春になると咲いていたしなごみを与えるものでしたから」
「でも駅前の住民がうるさいし答えるほかなかったのです」

こんなふうになって切られたのだろうか?別にその八重桜が切られたの惜しんでいるのは自分くらいだとなるとそうかもしれない、そうなるとその八重桜を大事にしている人がそもそもいないとなれば切っても文句を言う人もいないから問題ないとなる

現実はあの八重桜が切られて残念だったなと言う人はいないしそんなこと気づいてもいないとなるとそうなる。
何か具体的に物を売ってもうけたいとかは常にある、そういうことは賛成しやすいわかりやすい、でも美観が景観がどうのとなると一般的にはおろそかにされる
でもいい庭を作りたいとかなる人はやはり普通は関心があるはずなのである。
駅前をきれいにする花でも飾りきれいにするという感覚があるはずである。
だから地区の人がチューリップを植えたのである。

ただ八重桜には関心がなかったとなる、人間は何かバランスが欠けている、実利の面では強調しすいしまた反対しやすい、でも美観が景観がどうのこうのというと同調する人は少ないし無関心になる、だから田舎の人が別に自然を大事にしているということではない
美観とか景観を維持するために農業しているのではない、米でも野菜でも食べ物を得るためにしているのである。またそれを売りたいためにしているのである。
ただ農業は自然と密接に関係しているから景観とか美観が自ずと守られてきたとなる
白砂青松の景観は松原は塩害を防ぐためであり美観のためではかったからである
ただ景観と美観というとき馬鹿高い防潮堤を作ったとき住民が反対した
海が全く見えず閉ざされてしまったからである。それでも実利的には津浪を防ぐということでやむをえないともなった、意見は二つに分かれたのである。

ただ八重桜の木はそれほどの論議にもならないのはその木に日頃から関心ある人が少なかったとういことだろう。でも駅前にそうした桜の木でも何か木があることで庭があり自然があるいうことでなごむことはある
今の時代は貧乏な時代とは違う、そうした景観でも美観でも考慮する時代になる
花より団子の時代ではないのである。団子より花の時代になってきている
だからあの八重桜が切られたことは残念だった
ここにも自治とか民主主義の問題があった
なぜなら市町村でも住民でもJRという企業でもかかわる問題だったからである。
そういう三者が協議することも必要だったからである。
ただJRでは市の方とも協議はしているという。

小高では駅にいろいろ住民がかかわっているという、そうなると小高の方が住民としては駅に対して関心をもち熱心なのかとなる
前は鹿島より小高の方がずっと良かったというとき小高の人はそれだけ街作りに住民が関心があったからかもしれない、今は原発事故の結果として小高はあのように悲惨な状態になったのである。鹿島はかえって事故前より良くなった面がある
人口も減らないしスーパーも二つできたとか他に暮らしやすくなった面があるからだ
だから小高はそれだけの被害を受けたから補償金も他より高くもらってもいいとなった
ただ浪江でもそうだがパチンコとかギャンブルばかりしいると批判されるのは当然なのである。それで怒るのはおかしいのである。

ともかく確かに八重桜は一本残ったけどあれは八重桜としても前のように大きなものでないから見栄えがしないのである。
そして大きな八重桜は切っても切り株が残っているからまた成長してくる
でもそれは30年先なのか50年先なのかもう大きくなるのを見ることは自分はできないのである。この辺では多くの松などが津浪で流され多くの木も切られた、そこにも貴重な木があったかもしれない、除染でも切られたからである。
やはりそれも景観の破壊だったのである。

yogoretaat1.JPG

遠くからも目立つ土がとられた屋形の場所



posted by 老鶯 at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の鹿島駅(常磐線)

原発事故で機能しなかった地方自治 「安全神話」が権力と一体化して作られたため


原発事故で機能しなかった地方自治


「安全神話」が権力と一体化して作られたため


そもそも原発自体が一方的権力で作られたものだった、それはアメリカから押しつけられたということもある、アメリカの核戦略とかありそれはヨーロッパともフランスとかも関係してすすめられていた。
だから「安全神話」はこうした権力によって作られたものだった
それはカルト宗教団体とにているのである。
一時東電がオウムと同じだとか言われたのもそうである。
オウムがサリン工場を隠密裏に作り製造していたからである。
そこには理系卒の科学者が技術者がかかわっていたのである。
それが宗教と一体化していたからオウムというのはやはり現代の複雑な科学文明の鬼っ子として生まれたのかとみる

創価はどっちかというと庶民のカルト団体である。貧乏な時代に生まれたからそうなる
オウムはそういうカルトとはまるで違った極めて現代的なカルトだった
それから幸福の科学というのも科学とつくから現代的カルトである。
そして政府と東電(大企業)が一体化して「安全神話」を作りカルト宗教団体化していたのである。
だからこうしたものは現代の文明から必然的に生まれたものだったとなる
それはピカートが言うナチスを生んだ構造がありあのような恐るべき、表現し得ないような犯罪集団と化したのと構造はにているのである。

なぜそうなのかというと「安全神話」が成立したのは権力があったからこそできた
権力と宗教が結びつくときどうなるのか?
この辺では原発が安全ではないというと住めなくなる可能性すらあった
3分の一くらいが直接働かなくても原発と経済が関係していたからである。
大内村で三分の一が原発で働いていたとすると結構豊かな暮らしがあのような小さな村でもできていたとなる、飯館村でも住めなくなった長泥でも原発で働いていた人がいたのである。飯館村は県では咲いていれレブルの収入しかなかった。
何か今でも補償金で売るい、回りの人を気にしないで暮らせる都会生活になじんだとか報告されている、福島市などに家を建てた人もかなりいたのだろう。
桃源郷とか言ってもそれは外から見た人のことでありそこで暮らす人はまた違っているのである。

こういうふうに権力によって強力な「安全神話」が中央の政治と大企業によって作られたとき地方自治体は対抗も何もできなかった。
安全ではないというときそれを科学的に合理的に追求しても無駄である。
そこには専門家の科学者も御用学者としてかかえているしそれが「安全神話」の宗教とさえなっていたからである。
カルト宗教団体が罰があたるとか脅していたり自ら呪縛されているのと同じである。
つまり安全だ安全だと題目を唱えていれば安全だという感覚に原発にたずさわる人々も思い込んでいたのかもしれない、だから安全でないということはタブーになっていたのである。それが権力をもっているからできたのである。
情報もマスコミでも800億円とか電事連から広告料として払われていたから完全に安全でないとかの報道は片隅に追いやられていたのである。

権力と宗教でも一体化するとカトリックのように大きな害をもたらすことになる
人間は心の罪とかより権力に従うし権力を畏れているからである。
権力というとき経済力とか報道力とか政治力とか今なら科学力とか技術力とかありそれらが一体化したものである。それが「安全神話」を作ったのである。
科学とか合理性とかが安全神話を作ったのではないのである。
だからカルト宗教団体が批判できないというときお前ら神に仏にたてつくのか、罰あたるとかで何も言えないと同じなのである。だからこそ「安全神話」になり一種の宗教までなっていた。それは内部の人もそうなっていた、安全を作るより「安全神話」になり宗教のようにただ安全、安全と題目を唱えていれば安全だとまでなっていたのである。

原発が事故をおこしたあとも全くその事故の処理ができなかったのもそうした安全神話がありそれが一挙に崩壊したからである。
安全神話があれば第一事故が起こることを想定していないからである。
実際はスヒーディが風向きを測定して放射性物質が流れる方向を測定していたし東電の社員の人は知っていたのである。
それで津島の山の方に浪江町の人が避難したとき東電の社員の人がいて街の方に引き返した方がいいと言って引き返した人たちがいたのである。

東電の社員は知っていたが政府からも東電からもそういう指示は浪江町の町長にも自治体には報告されなかったのである。
なぜなら「安全神話」が作られて事故は起きないとなっていたからそうなった
そうなれば避難訓練などする必要がないからである。
だから政府と東電が一体化してカルト宗教団体化していた、権力があるから報道もおさえることができたからである。
そういうことはカルト宗教団体では今でもしているからである。権力をもっているからできる、そのことが今回のような大事故になりもう回復できないような状態にしたのである

そして地方自治体が機能しなかったいうとき中央政府から30キロ内は避難命令がでて住めなくなり6年もすぎてもう回復できないような状態になった
科学的には30キロ圏内ではない、風の影響によるから30q圏内で区切ることは必要なかったのである。それがまた南相馬市などでは混乱させられた要因である。
小高が避難させなければ補償金で三つに分断されることもなかった
南相馬市として一括してもらって分配を決める、その時個々人にすべてを配るのではなくその時こそ自治体の自治体を発揮して市の開発とか復興に使うべきだったとなる
そういう指導がなされていれば市は分断されなかったのである。
つまりなんら自治体としての自主性が機能しなかったのである。
その時住民自治もなかったのである。住民もただ金をもらえればいいとしかならなかったそれは一時的なものとして消費され消えてゆくがだけのものになる
後々の発展にはつながらないものとなって消える

また地方自治といっても日頃からそうした土壌がないならできない、急に自治でやれとか言っても日頃そうしてなければできない、そういうものもなかった
中央指導であり地方自治体は下請けであり決めるのは中央官庁だという構造もそうしていたとなる、地方自治も問われたの原発事故だった
市長が何もしないとか役所は何もしないとか言うのは簡単だけど住民も何もしなければ何も変わらないとなる、原発事故はただ科学的な問題だけではない現代社会そのもの文明から起こされたともなる、現実にカルト宗教団体でもそうだし現代文明から生まれた病的な現象でありそれが社会を破滅するほどの力をもつから怖いのである。それはナチスと同じ構造でありそういう社会に生きているからそういう異様なものが生まれてきて席巻してしまうとなるのである。と

posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年05月02日

矢車草(駅から見える社会) (駅は街全体の中に機能する)



矢車草(駅から見える社会)


(駅は街全体の中に機能する)

yaezakuraaa1111.jpg
クリック拡大
stationssswa111.jpg
つばめが飛び込む、巣を作る所を探している

stananohana1.jpg
クリック拡大

yagurumaaaa1111.jpg

矢車草をさした

tulipppp4567.jpg

tulipppp345.jpg

駅前の花壇のチューリップ





矢車草駅にさしにき遠くより来たれる人を駅に待つかな

駅舎にそつばめ飛び入りさえづりぬ真昼明るく電車来たりぬ

駅の窓つつじの赤く出入りする人さまざまや通りを行きぬ

駅前のチューリップの色様々に人交わりつばめ飛び交う



駅に矢車草をさした、駅ににあっていたかもしれない、駅で感じることは人の生活の活気を感じることである。
それと同時に花なども映える、生活と自然が一体となる場というものがある
森とか山とかはまたそうした人間の日々の生活とは違った神聖な場所としてあるともなる
やはり人間の生活が活きていないと街も人も活きないということがある。
それと呼応して自然も活きるというのを感じる
電車と駅には何かそうしたものが交差する場所であることに気づいた

そこには様々な人が行き来しているのだ、山梨の人は事業に失敗したから延々と人に裏切られたことを語る、それは自分も経験したから同調する、人も使っていたので人の使い方を知っている、そしてしきりに駅前開発のことを具体的に言うのも経営者としての経験があるからである。

鹿島駅の問題は空家が二軒とかやめた理髪店とか何かさびれている、一軒の食堂と自転車屋はまだ活きている、でも不思議なのは街の人々があそこで交差している交わるのであるなぜなら中学生でも高校生でも利用するし小学生があの駅前に集まる、下校の道となっているからだ。

今の社会は何か人でも何でも別々になりこういうふうにいろいろな人が集まる場がないのである。働くにしてもどこで働いているか見えないしわからないことが多いのである。
奇妙なのはローソンで働いている女性がいるけどあの女性は街の中に住んでいる
でも自分がローソンに行ったときコーヒーをたのむ、するとそのコーヒー入れてくれてわたしてくれる、あそこは人の手でしていて自動化していない、人の手でわたしているのである。
でもそれだけをしてくれるロボットとして働いているように見える
部品化したようにして働いているのが今の人間であり労働なのである。

何かおかしいのは学校でもそうである。学校では今は大人とは隔離されている、学年でも別々にされ交わらない、いろいろな人と年齢が違っても交わることがないのである。
江戸時代辺りだと村だったらそういうことはなかったろう。
常に大人も若い人も年寄りも子供も交わり一緒に暮らしていたことは間違いない
だからこそ他人の子供でも村の子供はみんなの子供のようになっていた
それで名付け親とかにもなるし子供同士が兄弟姉妹のようにもなる風習があった

現代社会の江戸時代と比べると明確に見えてくるものがあるのた。もちろん江戸時代がすべていいとかになはならない、今の社会は変だなというとき江戸時代にはこうだったとなりそれが明確に見えてくるのである。
人間は部品化分類化されて区別され区分けされて多様な人と交わり暮らしていないのである。

そして現代の仕事が面白くないのはそうしてどんな職業でも部品化部分化しているからである。教育だって先生だって英語だったら英語だけを数学だったら数学だけを教えているそうなるとつまらないということもある、教える方も部品化されるからつまらないとなるのだ、小学生の先生などはいろいろな教科を教えるから全体的な感覚になるからもしれない、中学になったら専門化するから部品化されるのである。


この前イスズの自動車会社の人が東京から来た、今イスズの車が売れているというときトラックなどが売れているのだろう。、イスズだけのトラックが並んでいるのを見たからだするとなるほどイスズの人が東京から来て今トラックなどが売れているとういことでこの辺ではつながりを理解するのである。

現代はまず全人間として生きることは不可能になっている、その人はアウトサイダーとなり社会の異端となる、上野勝利氏のように無職だと全人間になるというのは逆説なのである。なぜなら何か職業についたならそれは巨大な複雑な社会の部品、歯車となることだからである。それはどんな高度な職業でもそうである。医者でもそうである。
体全部を見る医者いないからだ、体の部分をみる医者はいるが体全体をみる医者はいないのである。
医者以上にに社会は部品化しているから職業をもつことは一つの歯車部品化されることである。

だからコンビニでコーヒーを渡す仕事もそうである。それだけの部分化した仕事をしているだけだとなる、それはロボットでも自動化してもしているからだ
将来的にコンビニでも人間の仕事が自動化されるというとき機械と同じような仕事はそうなる、ただそこに若い美人がいるとかると価値が生れてくることはありえる
受け付けでそういうことがあるがAI化されると仕事がなくなる
実際にロボットに見える仕事が日常的にあるからだ。

無人駅化したのが鹿島駅ではあるがこれも無人化できたということである。
駅も別に無人化できる、でもそこで何か人間的なものが必要であり自分がそれを補っているとなるがそれも別に必要でもいなともなる
ただそこに人間的な役割がありそれで駅も活きてくるということはある
なんらかどうんなところでも自動化しても人間の仕事はありなくならないとういことはある。

駅はともかく駅だげではないその駅前は広場の役割があり車の人も利用する
そして様々な人が交わる場所としてある。そこに燕も飛んできて花も映える
これはかえって小さい駅だと人間的になるということがある。
大きな駅ではただ人は通りすぎてゆくだけになるからだ。
駅をただ鉄道の駅としてみる、利用するというとなると車社会では活きてこないことは確かなのである。

写真とると駅は鉄道と一体としてある、その駅前もそうである。
だから駅を写真に撮る人が結構いる、鹿島駅も結構写真撮っている
ただ撮り鉄などは無口でしゃべられない、そういうネクラな人が多いともなる
ただ写真を撮ることだけであり人は相手にしていないのが変なのである。

今回これだけ駅を見て写真をとれたのは地元だからである。
毎日行っていて変化しているし全体を見れるからとれた
旅だとどうしてもこのように見れない、何か目立ったものしか見ないのである。
そして必ず見逃しているものが多すぎるからもったいないとなる
だから本当は駅でも長くいればいろいろなものが見えるかもしれない
すぐに去ってゆくから記憶に残らないともなる

posted by 老鶯 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の鹿島駅(常磐線)

関東の武蔵国地域の渡来人の跡 その一団が移住して陸奥の真野郷にかかわっていた


関東の武蔵国地域の渡来人の跡


その一団が移住して陸奥の真野郷にかかわっていた


埼玉県史』や『吉見町史』などによると、6世紀末から7世紀初頭−西暦600年前後から、胴張りのある横穴式石室と横穴墓の出現によって北武蔵の古墳形成に大きな変化がおとずれたとしている。そしてその背景には、横渟屯倉(よこぬみやけ)の設置と渡来人・壬生吉士集団の移住という、歴史的事件があったこと推定されている


■ この時代(6世紀末から7世紀初頭)は、古墳時代の後期にあたり、武蔵國では児玉地方を中心とした秩父と、荒川周辺に栄えた北武蔵(前玉・比企・入間・足立)、多摩川周辺に栄えた南武蔵の三つの地域にわかれて争われれおり、この中で北武蔵を中心とする笠原値使主が支配権を獲得したものと考えられる。


『・・・さらに、石室の比較研究から、7世紀後半の築造とする意見が多い。この時期は、律令制の整備に向け国府周辺の都市施設や、農業、軍事といった各方面での政治的基盤の整備を必要とし、そのために多数の渡来人や渡来系の人々が周辺地域に帰住したと考えられている。

そして、もともと胴部が張る横穴式石室の系譜をひく積石塚そのものが、高句麗系渡来人の墓制と考えられていることや、このあたりが後の小川郷に該当する地域であることからして、被葬者は、その先陣をきって地域開発のために活躍した渡来系の人々と考えて間違いないだろう。』 (青梅市史 上 P180〜181)


5世紀前半〜6世紀中ごろ築造された古墳群。http://kofun.info/kofun/1211
帆立貝形古墳の亀塚古墳以外は、そのほとんどが径40〜30mの比較的大型の円墳と、径20〜10mの小型の円墳により構成され、前方後円墳や前方後方墳は見られない。残存している古墳は13基ほどであるが、かつては70基前後が群集していた多摩川流域でも有数の古墳群であると考えられる。

古墳時代中期( 5世紀ごろ)
埼玉県坂戸市の入西石塚古墳から古墳時代中期( 5世紀ごろ)の冑(かぶと)と甲(よろい)、首を守る頸甲(あかべよろい)、肩を守る肩甲(か たよろい)などの武具や武器が出土した ...
埼玉県の壬生吉志

東京都狛江市の「コマ」、山梨県の巨摩郡など、各地に 残る ...http://www5f.biglobe.ne.jp/~kodai-musashigaku/newpage59.html
(1)高麗人(高句麗)の渡来
北武蔵への渡来人の移住は、6世紀の末頃までさかのぼることができる。6世紀末、律令制下の武蔵國ができる前、それぞれ壬生吉志が男衾郡、飛鳥吉志が橘樹郡、日下部吉志が横見郡で活躍したと伝えられている。この人たちに共通することは、「吉志」という名前であり、これは朝鮮の王を示す「コンキシ」「コキシ」と同一語といわれている(森山悌『古代の武蔵』)

その後、渡来人の武蔵國移住が本格化したのは、7世紀後半からのことである。666年(天智5年)百済人2千余人が東国移住。
  それから16年後の684年(天武13年)百済人

狛江市、狛江古墳群(直径10〜40メートル前後の円墳 5世紀〜7世紀)
調布市、下布田古墳群(直径10〜30メートルの円墳群 5〜7世紀)
あきる野市 飛田給古墳群(直径10メートル前後の円墳 6世紀〜7世紀)

などの古墳群が続く。古墳自体は小規模になるが、南関東から北関東への集団移住が類推される。古墳時代が終焉を迎える
と古代寺院の建設が始まる。関東が完全に大和政権支配下に入り、「薄葬令」「仏教」が浸透してきて、葬送の様式も変化
したものと思われる。そして、新たな渡来人たちの活躍も始まる。宝莱山・亀甲山古墳を築いたのが第一次の渡来人達だと
すれば、関東は第二次の渡来人達を受け入れる準備を整えたのだ。

韓国の慶尚道その他から発見されている轡鏡板に似ているので、もし同時期のものと見ると、韓国の伽耶の地域で五世紀前半代に流行したものが、高崎市の長瀞西の二号古墳の側の土壙に五世紀代に埋められた、ということになります。

 また、三号墳の右の積石塚、一〇号墳からは、純金で造った垂飾付きのイヤリング、一〇センチを超えるような長い鎖でハート型の飾りをしたイヤリングが見つかりました(図9)。このイヤリングは純金製という面からみても、造りから見ても、私は朝鮮半島で造られたものが日本にもたらされたものだと思っています。

 こういうふうに、積石塚で、方形墳で、立地的には窪地に集中的にあって、その一つからは純金製のイヤリングが出てきたり、五世紀の前半代と考えていい鉄製の轡鏡板が穴から出てきており、しかもその周辺から韓式系土器が発見されている。この韓式系土器というのは、韓国の伽耶などの地域で造られた土器製作技法をそのまま踏襲して、群馬で造った土器という意味です。

 考古学でいうところの新しい埋葬方法が朝鮮半島から入ってくる、横穴式墓制も入ってくる、須恵器という新しい窯業技術が入ってくる、装身具に鍍金というような新しい工芸技術が入ってくる、そういう時期ですから、地域によっては土でマウンドを造った古墳からマウンドが石の古墳に変わる。

  この下伊那地方の古墳は積石塚ではありませんが、大室古墳群の五〇〇基の集中度、合掌型石室の状況、あるいは最近の群馬の高崎市や静岡の浜北市の積石塚の発掘のありようを見れば、馬というものが古代のかなり早くから入ってきたことが分かります。これはもう、朝鮮半島の伽耶、百済などの地域からと考えざるを得ない
 長野県の下高井郡木島平村の根塚遺跡、これから大問題になるだろう遺跡の資料を載せました(図19)。木島平村はスキーで有名なところで、東京の調布市と姉妹都市の関係にある村です。

 この根塚遺跡は、一〇〇メートルと五〇メートルくらいの楕円形の低い丘を持つ、盆地の水田の中にポツンとある遺跡です。この根塚と呼ばれる丘の中央部から発見された墳丘墓は長方形で三段のテラスを造っていますが、長方形の斜面には張石が一面に張ってある、弥生時代後期のあまり例を見ない墳丘墓です。この図面からははっきりしませんが、長方形プランの三段のテラスになっている、その平面に箱清水式の土器、北信濃地方の弥生時代後期の土器が副葬品として複数納められていました。ガラス玉も出てきましたが、さらに三年前に、いちばん下のテラスの埋葬遺壙からナンバー4、5という鉄剣が二ふり出てきました(図20)。

 その鉄剣を見ますと、長い方が七四センチくらいのものですが、脇から右手に一本突起が出ていて、先端が丸くなっています。さらに柄頭、握るところも丸くなっていて、錆びて固まっている。レントゲン写真を撮りますと、図20右の6、7のように、そこは渦巻状になっていて、柄頭のところは鉄を二つに割いて、内側にクルクルッと渦巻にしています。さらに右側から一本そいで脇に出し、それも渦巻にしている。

 私は木島平村から連絡を受けて、この写真を見せられました。私は、これは伽耶の鉄剣だと直観いたしました。しかし私は日本考古学が専門ですから、「明治大学の大塚が伽耶の鉄剣だと言ったって、専門じゃないから……」と言われるといけないと思いまして、親しくしている九州大学の西谷正教授に来てもらいましたら、西谷さんは「これは伽耶のだよ」と言うのです。西谷さんはソウル大学に二年留学していた人ですから、西谷さんが伽耶の剣だというのは間違いないわけです。


 高麗人についてはさきにみたとおり(「甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の高麗人1799人を以って武蔵国に遷し始めて高麗郡を置く」)であるが、ついで、というより、すでにそれ以前、『日本書紀』666年の天智5年に、それまでは大和で「官食を給していた百済の僧俗2千人余人を東国に移した」とある。(・・・・・)ついで758年の天平宝字2年8月には「帰化新羅僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国の閑地に移し個々に初めて新羅郡を置く」とある。>(P62)


 武蔵国の貢物としては麻布、木綿(楮の樹皮からとる繊維)、?(粗い絹織物)、席といった繊維製品が主であった。おそらく多摩川周辺の娘たちが、清流で布をさらし漂白していた様子が「万葉集巻14 東歌」に、

 「多摩川に 曝す手作り さらさらに 何ぞこの児の ここだ愛しき」(3373)とある。http://ac.jpn.org/kuroshio/oda201411.htm


 高麗郡や高麗神社の「高麗」と記されています。また、狛犬の「狛
こま」と表記されることもあります。高句麗のことを最初に記した歴史書は、中国の
『漢書』という書物で、そこには「高句驪県」とあって、紀元前1世紀頃の
高句麗は中国(前漢)の支配下にありました。紀元後9年頃に中国の支配
が解かれ、後漢の時代には独立した国として存在したようです。

高句麗と倭(日本)との国交は、5世紀末までにはすでにあったと考え
られ、推古天皇の時代になると、仏教を通じた交流が盛んとなります。
推古3年(595年)には聖徳太子の仏教の師とされる高句麗僧の慧慈
が日本にやって来ます。推古13年(605年)には高句麗王から黄金300両が贈
られ、元興寺(飛鳥寺)の仏像の造立に使用されました。また、紙や墨の
製造技術も推古18年(610年)に高句麗僧の曇徴が伝えたものとされて
武蔵国の新羅郡(埼玉県新座市・志木市・和光市・朝霞市ほか)があります。席田郡は、霊亀元年(715年)に尾張国の人で外従八位上の席田君迩に近と新羅人74家を美濃国に移住させて建てられた郡です。天平宝字2年(758年)に席田郡の郡司の家の子らが、祖先は賀羅(から)国から帰化したという理由でからのみやっこ羅造の姓
を賜っていることから、席田郡は、のちに新羅国に併合された賀羅国からの渡来人が移住させられて建てられた郡だったことがわかります。


このように渡来系集団の移住がありそれが日本に刻印した足跡がある、それが地名化しているということでもわかる、一番古いのはツノガノアラシトでありこの足跡は日本海からわたってきて全国的に記された足跡である。
ツガルとはツノガノアラシトがなまったものである。ツノガノアラシト→ツガルなのである。ツガルが蝦夷とされるがそれはもともと渡来人だったのである。
福島県の太平洋沿岸にもその痕跡が残された

末次とかも陶でありそうした陶器製作の技術を渡来人が伝えたのである。
トライ時は製鉄とか仏教も伝えた、それで鹿島区の唐神というのは唐(韓)の神のことであり仏教のことである。仏陀のことである。それを仏様として祭れなかったのは韓(から)から来た神としてしか現すことができない初期のことだからそうなった


昔、この大明神は新羅の国から請戸小島に現れた女神である。その時2人の某氏がこれを拝した。1人は何もしなかったが、他の1人は小島へ社を造って祭った云々。

『明治神社誌料』には、「養老年間高龗神を同村海岸苕野小島に勸請す」とあります。

小高にある角部のツノはツノガノアラシトのツノであり津神社もツノミヤ神社である。
松川浦のツノミツ神社もツノガノアラシトのツノであり津浪とは何の関係もなかった
地名がこのように古い渡来系の故に名付けられていたり神社がこれだけ渡来系に由来しているのはそれだけの人が日本全国にかかわっていたということである。
伽耶というと百済が滅亡する前の国でありなじみがないのは確かである

韓国の慶尚道その他から発見されている轡鏡板に似ているので、もし同時期のものと見ると、韓国の伽耶の地域で五世紀前半代に流行したものが、高崎市の長瀞西の二号古墳の側の土壙に五世紀代に埋められた、ということになります。

私は、これは伽耶の鉄剣だと直観いたしました。しかし私は日本考古学が専門ですから、「明治大学の大塚が伽耶の鉄剣だと言ったって、専門じゃないから……」と言われるといけないと思いまして、親しくしている九州大学の西谷正教授に来てもらいましたら、西谷さんは「これは伽耶のだよ」と言うのです。西谷さんはソウル大学に二年留学していた人ですから、西谷さんが伽耶の剣だというのは間違いないわけです。

伽耶というのもそれなりにその跡を記している

草枕 旅を苦しみ 恋ひおれば可也の山辺に さ雄 鹿鳴くも

可也は伽耶なのである。真野の草原(かやはら)がこの伽耶なのかとなると無理があることは確かである。では草原が萱原なのかとなるとこれもまた疑問であり明らかなことは草原は地名だという説が有力になる

それは渡来人が関係してそうなったのである。今回の津浪で塩崎の船着という地名のすぐ近くまで津浪が来た、その湾にそった丘陵地帯に横穴式古墳があった
これは渡来系がもたらしたものだとするとき何か関係しているともなる
地名からすれば石巻の萱原が有力でありそこは江戸時代でも真野の草原の地とされていたのである。真野公という木簡も発見されているからである。
ただ考古学的資料となると鹿島区の真野郷が濃厚にあるからここが真野の草原だとしている
  


2017年05月01日

南相馬市の古墳の謎(真野古墳群など) 古墳が墓ではない説


南相馬市の古墳の謎(真野古墳群など)

古墳が墓ではない説


なぜ寺内から小池に古墳が多いのか?そもそも古墳は何のか未だに不明である。
寺内から小池に密集して多いのである。
それが墓だとするとき違和感を覚える、むしろ墓があるところは生活拠点となった人が集まり住んだ所である。寺内の前方後円墳からせ金銅双魚はいが発見されたから有力な人がいて葬られた、その人は誰なのかとなるとわからないがその土地の有力者であり功績者だから手厚く葬られた

ただ古墳は造るのにその当時は容易ではなかったから全員で協同して作ったからそこに共同体があり協同の結果として一番の功績者をその土地に祭ったとする説
稲作には土木事業でありその開墾作業の中心人物が祭られたとかしたという建築関係の人が言っているのも面白い。
江戸時代でも開墾した人の名前を地名としている所が多いからそういうこともありうる

寺内となるとそこは古い場所である。真野明神がありそこにヤマト政権がかかわり真野郷が設置された中心だともなるからだ
だからこそ前方後円墳が作られた、その後館の地名があるから寺内という地名はその中世から由来しているかもしれない、なぜなら館があれば寺もあったかもしれないからだ

そもそもなぜ小池にあのように古墳が多いのだろうか?
前方後円墳は寺内にあるが後はないようだ、円墳が密集して作られている
円墳が個々に集まり作られたのはなぜかとまたなる
個々に小さな古墳は造れたが大きな古墳は造れなかった、原町区の桜井古墳はあれほど巨大なのと比べると一目瞭然である。
鹿島区にはあれだけの巨大な古墳を造る勢力がなかったとなる
現実に桜井古墳に二人が一緒に埋葬されたことがわかった、それは何を意味しているのか一人ではないということは二人の王がいたとなり一緒に埋葬されたともなる
奈良とかの大古墳でも天皇の古墳だとしても埋葬されているとしてもそれは証明されていない、つまり誰が埋葬されているかはっきりしないのである。

古墳が墓だとするのも何か不自然なのである。小池とか横手を見るとそこは今の感覚では墓にするにはふさわしくない場所である。
そこはどちらも人が生活する場としては適地であり墓にする場としては適地ではない
奥津城というのが万葉集では死者の埋葬された場所としている
それはそうして人か集まり生活した所から離れた奥の場所なのである。
墓(はか)とか塚(つか)は人が埋葬した標しがあったところである
奥津城(おくつき)は死者の埋葬地としては死語になった、その奥津城が古墳だというときそれも不可解なのである。古墳は人が集まる所にあるのが普通だからである。

祭司場」や「市場(マーケット)」として、人々のランドマーク的な造営物として造られた可能性があります。

桜井古墳はまさにこれである。新井田川に接して海にも近いからである。あの場所が原町区ではその時一番住みよい適地であり中心だったとなる
だからこそあそこに人が集まり住み巨大な古墳が作られたともなる
それだけの勢力があそこにあり作られたとなる

ではなぜ鹿島区では群集古墳になっているのか?まず寺内が古くそこから小池の奥に集落が分散した、古墳が密集している地域に集落ができたことは確かだろう。
それは墓とも違ったものとして見える

そして横手の群集古墳へ集落が拡散したのである。そこで稲作が行われたというとき寺内、小池は高台でありその下は真野川であり湿地帯が広がっているから稲作には適地ではなかった、横手は真野川からも離れていて海がその時迫っていたとしても横手ならまだ離れているから稲作ができたのかとなる、でもこの辺で古墳の回りに田んぼの跡などが発見されたのかともなる

横穴古墳.JPG

funatukiiiii123.jpg
クリック拡大

塩崎の船着のすぐ近くまで津浪が来た、そこまで海だったことを証明した

横穴古墳


墓というとき横穴古墳がある、これは古墳とは異質なものとしての墓である。
むしろこっちの方が墓らしいとなる、古墳だと生活の中心にあるからだ
横穴にもそこに人が住んでいたのか?
鹿島区では烏崎から小島田の方への丘の連なりに発見されている
そのときそこは海であり海にそった崖に横穴があったとなる
烏崎の船着という地名はそれを証明しているそれは古代の地名でありそこまで船が来ていたという証となっている
現実に津浪はその近くまで来ていたのである。


横穴古墳が異質であり渡来系が関係していたとなると鹿島区の真野の草原(かやはら)という歌と関係しているのだろうか
つまり草原が萱原のことではなく渡来系が来た人たちが名付けた自分の地名説である。
草原が伽耶原になるのは何か確かに無理があるのだが地名だということはありうる
海側にあるということが寺内とか横手の古墳とは違ったものである。

いづれにしろ古墳が墓だとしても今の感覚の墓とは違っていることは確かである。

昔こそ外に見しか 我 妹子が 奥榔 思へ ぱ 愛しき佐保山(大伴家持)

この奥榔(おくつき)が最初に人が葬られた場所である。それが古墳だとは思えないのである。
そんな人が集まり住む所から離れたところに作られていないからである。
ただ一旦人がそうして奥津城でも山に葬られてその山が人間化してみるというのが人間の情としてありそうなった
荒寥とした山ではない、人間化した山でありそれは低山だとそうなりやすいのである。
里山という感覚である、それで葉山信仰だと祖先は春には山からおりて里におりてくる、その時はちょうど田植えの時期になる

つまり死者というのがそうして故郷に死んでも生きつづけるのである。それは農耕だとそういう感覚になる、死者はその里や村の中に自然のなかに生きつづける
死者がその故郷を見ているとかなるのは何か自然信仰にもなる
それは人間は死んでもその土地にありつづけるという感覚である。
それは故郷という土地があることによって成り立つものである。
土地と結びついた農耕民の感覚である。
ただそうして死者をその土地で時間の中で断絶させないということがその土地の継続の中に生きる歴史を生きるともなるのである。
今はそういう世界観はなく時間でも断絶しているからである。
この辺では避難区域に帰るのは老人が多いというとき老人はその土地に死んでその土地の土となりまた祖先となるという感覚である。
それが断たれたことが不幸だったのである。

ともかく古墳がなぜこんなに全国でも多いのか?未だに謎である。
高台にあるというときも海の近くにあるというときもそこはその当時は生活しやすい場所だったことは確かである。
名取の雷神山(らいじんやま)古墳も小池と立地がにた場所にある。
高台であり津浪でわかったように海も近くに迫っていた場所である
そこにも多くの古墳が発見されたのである。
それから遠見塚古墳というのは海の近くの平地にあるがあれは離れていても地理的には横手の古墳ともにているのである。
つまり古墳を見るにも地理が大事になるのである。遠見塚古墳までは津浪は来なかった
遠見というとき海の方を遠く見る場所としても古墳が作られたのかともなる
桜井古墳でも海が迫り海の遠くを見る機能があったのかともなる
桜井古墳だはあれだけ大きいし高いからその機能があっても不思議ではないとなる

真野古墳群




春の日の平和な風景 畑に孫と座る女


春の日の平和な風景


畑に孫と座る女

hatakemagoooo111.jpg
建物は復興住宅

shijukaraaa11.jpg

川岸の家の近くに四十雀が来る

クリック拡大するとはっきり見える


春の日や畑に孫と座る女(ヒト)

鶯や手押し車に行く土手の道


なんでもない光景が平和である。孫と一緒にばあちゃんだろうか、座っている、その光景は何を意味しているのか?
次代を継ぐものとここで暮らしたものとの連続性を示している
一方で農業は金にならない、苦労ばかりだからやるなというときそこに世代のつながりが断たれる、そういうことは別にしてこの光景が何か平和を感じた
なんでもないことがこの辺では貴重なものとなった
ただあそこの畑の回りは荒地になっている、キジとかも前よりは多いし知っている人の畑も鳥に食われたとかなんとかある。
つまり農業とかは実際にしてみるのと何もしないで見ているのでは相当な差がある
労働でも外から見ているのと実際にしているのでは違う。

ただなぜその光景が平和を感じたかというこの辺ではそういう風景が一時失われたし避難区域になった所では今も失われたままである。
なぜなら若い人は流出して田畑は荒地になってしまったからである。
この辺も一時はそうなっていたのである。でも回復してこういう風景が見れるようになった、ただ前の半分くらいしか回復はしていない、やめた人も多いということである。

人間はやはり自然と溶け込むときそこに自然なもの平和を感じる、手押し車を押して川の土手の道をゆく老女を見るときもそうである。
それは自然の一風景となって自然にとけこむ、それが病院とかなると無機質な空間となり人間的でなくなる、だから都会などでも平和を感じない
自然がないから人工的空間だからなごむものがないのである。
ただ人は仕事に追われてせわしくしているだけだとなる
仕事しているにしてもそれが自然の中だったらこうした平和を感じる

ともかくこの辺ではなんでもないありふれた日常が奪われたのである。
それは別にありふれたことだから貴重なものとは思っていなかったのである。
老人と子供世代と孫は離ればなれになり分断された
だから避難区域ではこのうよな光景は見れないのである。

技術でも自然と調和したもの、水車とかなら良かったのかもしれない、ただそれはノスタルジックに回想するだけで電気なしの生活はありえないのが現代である。
ただ江戸時代の風景を見たら平和を感じるだろう
小川すら今は堀りになりなくっないるのも自然がそこで失われているからだ
不思議なのは車は自然の中にとけこまない、車を俳句にしたりすることはないのもそのためである。
車を風景の中に絵でも描かれているのはまれである。車は自然に適合したものではない
何か突然空間を引き裂くように車が突っ走るのである。それはバイクでも同じである。

何か自然に反するものがとどめなくあふれさせた、そこに制限があっても良かったともなる、車が必要でもそこに制限が必要だったともなる
車社会は社会そのものを変えてしまった、その影響があまりにも大きすぎたのである。
技術は明らかに何でも無制限に取り入れるものではなかったのである。
つまり技術は制限が必要なものでありそうしないと社会の調和も破壊されるのである。
それは原発でも同じだったのである。
技術だったら科学だったら何でもいいとなり取り入れることが危険だったのである。

そんな風に見ているものはまれだがそれが人間の感性の異常をもたらしているのかもしれない、キレル老人などというときそもそも車というものはとキレルものだからである。
車社会というときそのことが実は平和ではないということもある
電車は撮り鉄とかいるように自然の中で映えるのである。
車にはそういうことがないことでもそれがただメカになっているためだろう。

いづれにしろ何か人を見ても広い庭があるのにただ何も手入れもしなくて何もなくてもいいとか言う人がいる、小石でもまけば川の感じがでる、そういうこともしない、そこに風流心がない、女性でも花に興味がない人もいる、生け花もしていない
何か風流がないというときそれも人間として大きく欠けているのだ
それは別に田舎で暮らしていても風流と関係ない人は普通にいるし多い
だからとやかく言うことでもないが何か淋しいとなる



2017年04月30日

駅で飯館村の蕨平の人に会い話を聞く (菅野村長の不満を言っていた)


駅で飯館村の蕨平の人に会い話を聞く


(菅野村長の不満を言っていた)


飯館村の人が駅にいた、原町に住んでいる、浪江の人とは良くあうが飯館村の人とは合わない、はじめてあった。
競輪場の券の売り場にきていた、あそこに来る人は原町からも来る
その人の格好はとても飯館村で牛飼っているようには見えない
サングラスかけて白髪だけどそっち系統のものかのように見えた
でも確かに蕨平に住んでいる、避難困難区域に指定された長泥の隣であるから放射線量は高い、何でも40町の山を所有して賠償金はもらったというがそれほどでもていのか?
何か菅野村長はだめだとしきり言っていた

まず蕨平では40軒あっても一軒しか帰らない、その人はやはり牛を飼って暮らす、飯館村は広いからまず草野中心に中核の街を作りそこから離れた人はもう生活できない状態のようだ、草野から20キロ離れているとか言っていた、蕨平とか何度か通った
でも長泥というと通ったことがあるのか一回くらいある。
飯館を全部回ることは近くてもできない、それだけ広いのである。
この前も佐須でも山津見神社にしてもあそこの道は通っていなかった

あの人は別に椎茸でも山菜でもキノコでも事故後も食べていたという、それは危険だと思うが年取っているから気にしない人はしない、あの人の不満は何なのか?
飯館村では残って暮らす人と補償金をもらって外に暮らす人とで分かれている
NHKでその対立を放送していたがどっちにかたよることはなかった
外に出たいという人は放射線量が高いということがあり住めないと判断しているからだ。それなら補償金もらって外で再出発したほうがいいとしている

菅野町長派は残って生活再建するを望んでいる、草野の中心部にはメガソーラーを作り
住宅地を作り何か大きな施設なのか作っている
そこに菊地製作所もありそこが働き場となる、他にも製作所がありそこで人が働いていた農業は土が削られてできない、そして荒地になり木が伸びたとかイノシシにやられたとかネズミがでたからネズミのよりつかない薬をまいているとか言っていた
イノシシの害は浪江でもある、浪江の人も復興住宅に移り住んでいるからだ。

浪江の人は28年に補償金が打ち切られるとか言っていた、あの人も昼間から酒飲んでいた前にもそういう人をみかけた、昼間から酒を飲みギャンブルしていのは小高でもそうだが他も同じなのである。何もすることがないからそうなる
それもこの辺の問題だった、飯館村の人がギャンブラーになったというときもそうである今は飯館村の人でもみんな素朴な人とは限らないのである。
前から馬券売り場などはあったしそういうことはしていたからである。
金が入って暇になりギャンブルする人が増えたのである。それは田舎でも普通にどこでもあることでもあった。

ともかく飯館村の人は少ないから合わなかった、鹿島でも会っていない、浪江の人にはあっていた。浪江は2万人だから多いからそうなる
ただ最近遠くの仮設から南相馬市とかに復興住宅などに移住していることは確かである。その人は前にもみかけたけど競輪場の券の売り場に来ていたのである。
だからその人とはまた会う、飯館村の人にあわないから事情がわかりにい、ただ一人一人でもいろいろな考え方があるからその人の言うことだけをうみのみにはできない

結局飯館村でも草野中心にコンパクトビィレッジになり浪江もコンパクトタウンになるのだろう。
農業とか畜産になるとそれはむずかしくなる、その人は牛を五頭くらいしか飼っていないみたいだ
最近できた放射性物質のふくんだ廃棄物の処理場で働いているみたいだ
故障してなんだとか言っていたが良く言うことがのみこめなかった。
その人も白髪だから相当な年なのだろう。ただその見た感じがとても牛を飼っている人とかそんな人には見えない、そっち系の人なのかと見えた
次男であって料理が好きとかでそういう仕事をしたかったとかも言っていた

飯館村の問題は土地が広いのである。ただ原町より広いとしても平地が少ないし森が多いのだから山が多いのだからその土地を活かすにしても牛を飼うのには向いていてもそれもしにくいとなるとどうするのか?
除染しても結局無駄だったとかその人も言っていた。
土地をもっていてもそれが何にもならない、荒地になるだけだとなるとそれを誰かに何でもいいから売りたいともなる、貸したいともなるときどうしてもソーラパネルになりやすいのである。そうなると飯館村の良さは失われる
前とはまるで違った世界となる、別に飯館村だからといって素朴な人たちが住んでいるわけではない、ただそこが隠されている場所でありそれで人も隠されていたからいいとなっていたのだ、飯館村でもあのような人がいるということは何かそぐわないとも感じたからである。ただ自分の見方だからそういう感じでも違った人でもあるかもしれない。

ただ飯館村の良さはあれだけ広い所に牛を飼って暮らしている所にあった、それが草野中心に菊地製作所とか工場で働くとかになると飯館村の特徴は失われる
多々あの人は別に放射能のことなど全く気にしていない、それも意外だった
キノコとかシイタケは一番放射線量が高いから食べるなと警告されていたからである。
それを食べていてなんか鼻血をだしたという、その鼻血では騒いだことが一時あったから本当にあったことなのだろうか?
第一その人は事故後もいてキノコなど普通に食べていたのである。
そういう人が飯館村にはいた,知らないからそうなる

軽度の被曝によって鼻血がでたのは事実であり、小学校でも記録されている---。原発事故直後、子供も大人も鼻血で悩まされた。
50歳の男性が今まで人生で一度-も-鼻-血を出さなかったのが、大量の鼻血が突然出たのでびっくりした人など、枚挙に-いと-まが-ない

この真偽はわからない、枚挙にいとまがないというほど出たのだろうか?
何かこういうとき噂が噂を呼びありもしないことフェクニュースとなって拡散しやすいからである。この事実を確かめることはできないだろう。
ただ飯館村の蕨平といったら長泥の隣であり相当に放射線量が高かったからありえないことではない。そこで前と同じような生活をしていればキノコなどを普通に食べていれば内部被爆したりする、あそこだったら本当だったのかともなる

自分も爆発したとき外を出てあるっていたのである。ただ助かったのはこの辺では20マイクロシーベルトになったの二回くらいであとは低くなっていたのである。
ところが飯館村では一カ月くらい避難しなかった。それでかなりその時被爆したと言われる、つまりキノコを食べていれば内部被爆したことは確かである。
それで鼻血になったのか?それはわからない。
菅野村長は避難するなとは言わなかったが全員に避難命令を出さなかったから残った人が多いのである。
葛尾村では即座に村長の命令で避難したことで評価された

その人が菅野村長の不満を言っていたが何か不満なのか良くわからなかった、話してもわからないとかは言っていた、ここに来るのは下っぱばかりで話にならない、何もしてくれないとかは言っていた。
何かどこでも官庁でも役所でも会社でも良く伝えておきますとは言うが何もしてくれないことが普通にある、そのことで不満だったのかもしれない。
ただ具体的にどういうことが不満なのかわからなかったのである。




posted by 老鶯 at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

ふるさとの老木(詩) 原発事故で奪われた故郷


ふるさとの老木(詩)


原発事故で奪われた故郷


aroubokyuuuuuu1.JPG

ふるさとの老木

ふるさとの一本の老木
春の日をあびてなお生きぬ
春の花々に飾られ
広々とした田畑を見て
ここに根付きて長くもあれ
ここにやがて朽ちなむ
この土地に生まれ育ち老いしもの
そが朽ちてもなおここにあれ
在りし日を語りつつ
ここを愛しみつつありしかな


この老木は本当に生きているのか?どこの村でもこういう老木はある
原町区の大原にもあった、そして前田という所に農家があった
そこが空家になっている、その人と病院で一緒になったがまもなく死んでいた
それで死んだ後のことをしきりに息子に伝えていた
でも息子は街に出て働き帰り農業をするつもりはなかった
農業を継いでくれということがあったのだろう
それが悔しいということがあっのだろう。

その農家は相当に古い、前田という地名のある所は草分けの農家である。
前田からその村が拡大したのである。
老木という時、農民とか農家があるとふさわしい
農民とはその土地に根付き生きているからだ
商人とか工業に従事するとかなるといくら故郷に生きていてもその土地と密接に関係しないからである。
たでから農家は三代で農家として認められるというのはそのためである。

ただ一般的に人間は生物の一種だからやはり木や石のようになってゆく
年をとるとなにか動きたくない、定着志向になる
なんか自分も旅し続けたけど疲れて行きたくないとかなる
そして老人は生まれ育った所で死ぬのが幸いだともなる

その自然の生を奪ったのが原発事故だったのである。
そうして長く住んだ土地を離れざるを得ない、住めなくなったからである。
老人が故郷に帰りたいというときそういう自然な心情からそうなっている

ただ老人が帰りたいとしても若い人が帰らないと町も村も成り立たない
春の花々に飾られているというときそれは子供たちとか孫たちなのかもしれない、
老人がその土地で死ぬためにはやはり次世代の人が跡を継ぎその土地での生活の継続が必要になる、それが奪ってしまったのが原発だったのである。
それは酷いことだったのである。
それは金をもらっても補償しきれない問題である。

ただ農業というとき今は誰もやりたくないものになっていた、それで子供のとき親に農業だけはするなと殴られたと語った老人がいた、それは極端にしても親がそういうことを言っていたら子供が継ぐはずがない
その子供は原発で働くようになり避難させられたのである。
だから原発を誘致したというときその前の世代の親にも問題があったとなる
金になるなら原発を歓迎したとなるからだ。未来は原発とともにあるという標語まで双葉町ではかかげていたからである。

タグ:故郷 老木
posted by 老鶯 at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年04月29日

abstract pictures ( mountains)


abstract pictures ( mountains)


mmmmmmmmmccccc12334455.jpg


mmmmbbbb.jpg

kennnbluemmm111.jpg

bluestreammm1.jpg

mounttttainnnsss123newww1.jpg



変化させて作るからどうしても著作違反の恐れがある。
山でも千変万化である。
山をどう現すかは見えるから人によって違う、芸術家によって違ってくる
それで山を見る目が養われるのである。

Because I change it and make it, there might be the writing violation by all means.
It is ever-changing in the mountain.
Because I see it how you show a mountain, eyes watching a mountain in it which is wrong are fed by a person by a different artist.
タグ:Mountain
posted by 老鶯 at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

春の雷(コモドイン(小池)から牛越城へ)


春の雷(コモドイン(小池)から牛越城へ)

aroubokyuuuuuu1.JPG
鹿島区横手の老木


春の日や老木ここになお生きる

家の前タンポポにスミレなごむかな

道草や少女手にする八重桜

菜の花を手にし畑におばあさん

コンビニに新緑映える小池かな

牛越城空打ち曇り春の雷


小池なれ桜は散りぬその後の墓地の静けさ誰が眠るかな

山桜残れる花の我が帰る道に一ひら散るあわれかな

山桜風にゆれにき牛越城五年ほどして移る城かな


小池のコモドインでまたカレーを食べた、エビフライを頼むと三〇〇円になるが今は百円割引している、入っているのはやはり二人くらいだった
あそこで食事するとなんか不思議である。あんなところにレストランがあることはイメージもできなかったし現実にそこで食事する経験がまた変化だった
この辺はとにかく変化の連続だったのである。それは全部悪いとはならなかった
津浪の被害などはそこで家族を失った人からみると最悪だった
原発事故もいいものではなかった、これも実際は最悪だった
ただあそこにレストランができたのはこうした事情で復興のホテルになったからである。鹿島区は前より街が良くなったのである。
ただ駅前とは前の通りとかはそのままであり何も新しいものはできていない

小池にあるコンビニによるとそこに小池は自然は豊富だから新緑が見える桜も見える
すると何か新鮮な感覚になる、都会的なものと自然がマッチした風景になる
今までは田舎的風景しかなかったからである。
景観を重んじる自分は自然の風景の中にレストランなどがあれば憩いの場ともなる
ただコモドインの向かい側は何か倉庫なのか工場なのかいいものではない
コモドインの近くにあったのはあとは墓地だった、でも桜が咲いていた
その桜も散っていた、何かこの辺に名所というのがともしい
だから墓地が目立ち自分はその墓地を見て回っていたとなる
そこから郷土史に興味をもったとういことがある

牛越城は五年で移った城である。でも一応そこに城としてあったことが歴史となっているから違っている、低い山でもそれが要害の山であり城となっていた
人間はやはりそこに城があったとなると見方が違ってくるのである。
単なる山とは見ないからである。今日は春の雷がまた鳴った、春の雷は夏の雷とは違い一回か二回しか雷鳴がならないことで春の雷なのである。

あの老木は天然記念物のようなろ老木である。あれは本当に生きているのだろうか?
大原にも老木がある、どこにもこうした老木はある
それは何を意味しているのか?その土地に根付いた老人をイメージするのである。
古木より老木となると老人をイメージするのである。
つまりどこの村でも昔は老人がいてそれが何かしらその土地にあって生きていたのである老人は昔を語りその土地のことを語ることなど何か意味あるものとしてあった
ただその時老人は少ない、もう60くらいで相当な老人になっていたかもしれない
あとは死ぬ人が多かったからかえって貴重だったということもあったろう。
そういうのが自然村であり人間も自然的に生きるということがあった。
今はなんでも不自然なものとして生きるのが文明なのである。

俳句というときこれは写生であるがなんかただ記録しているということもある
写真がない時代だとそういうことがあった
ともかく人間は忘れやすいからた、だから書くということは記録することなのである。
プログは日々感じたことを記録するということが基本にある
今日何をしたか、何を感じたかなどである。
それをあとで深化して詩にしたりするのである。

駅の前は小学生がいつも通る、八重桜が咲いていて少女が手にしていた、そういうこは少女しかできない、極自然なものなのだがそこになごむものがある
ばあさんではないが50代くらいの女性かな、手にしていたのは菜の花だった
これもあっていたとはなる、いろいろな花が咲きだす季節である。

近くの神社で祭りがあった、踊り手の少女がいた、この辺にあんな子供がいたのか?
なんか今は隣近所でも関係が希薄である。すると神社なども関心がなくなっているのだ。自分は介護十年していてその間に社会から遠ざかった
介護していると何かその関心が狭い範囲に閉ざされのである
常に介護している人に注意を向けねばならないからだ
介護なくなったとき回りのことに注意を向けることができるようになった
介護というのはそれだけ負担が重く人間を異常化させていたのである。





原発事故の再検証 (原発大崩壊ー武田邦彦の本を読む)


原発事故の再検証

(原発大崩壊ー武田邦彦の本を読む)


●30キロ圏内避難は科学的にも根拠がなかった

科学に弱いと原発事故について理解できない、自分は科学に弱いからとてもたちうちできなと見ていた、でもなんか自分が言っていたことがまともな面もあったなとこの本を読んで思った
素人の常識でも原発に対抗できるものがあったのかとなる

自分は30キロ圏内で区切ったことがこの辺の混乱をもたらした。
素人的にも小高の線量は30キロ外でも相馬市とかでも変わりなかったからである。
でもそれは30キロ圏内でも何か科学的根拠があるのかと思っていたのである。

放射線というのはむずかしくいえば、電磁波、簡単に言えば光そのものですから
直進します、山を越えればフクシマ第一原発は見えなくなりますがフクシマ原発見えない場所では放射線は直接来ることはありません
放射線は薄いものだとつきぬけますが山くらいになるとつきぬけません
距離で計れるのは直接の放射線についてです
半径30キロとかで避難区域を設定するなどほとんど意味のない行為です

ではなぜ30キロに政府では設定したのか?これも無謀なことだったのである。
なぜならそのためにこの辺では南相馬市でも生活が破壊されて住めなくなりもう町ごとゴーストタウンになり回復できなくなったからである。
そして南相馬市では鹿島区と原町区と小高区と補償金で分断されてしまったのである。

小高は避難区域にすべきでなかった

これは科学的にも言えたことなのである。放射能の被害はそこではなかったのである。
ではなぜそうしたのか?それは政府ではその30キロ圏内から20キロ圏内に核兵器のための核廃棄物処理場にする魂胆があったためだという説もある。
人が住まないとなると国のものになり反対するものもいなくなるから好都合になるからだ避難するのは3キロ圏内でも別に放射線量で被害はないという説もある
年間一ミリシヒベルトを守るという武田氏の主張に疑問も多いからだ。
第一そうしたら広範囲に人が住めなくなるからだ。それは科学だけの問題では解決しないからである。

microeerrr11.jpg

「現在の「30キロ避難区域」というのは悪例ですが風向き考えていない計画はほとんど意味がありせん

放射線量は風に非常に影響されていた、雲のようなブルームが塊りが流れたのである。
一様に拡散したりしなかったのである。なぜなら浪江では0・5マイクロシーベルなのにバスで双葉に入ったら7になったから驚く、その理由は雲のような塊りが風で流れて放射性物質をばらまいたからである。
赤い帯状の図がそれである。そんなに浪江と双葉が接しているのだから差があるはずがない
それは帯状の雲のようにブルームになって放射性物質が流れたためである。
一様に拡散はしなかったのである。

だからもしその時東風ではなく北風か西風だと海の方に流れて被害が少なくなった
それが不運だったのである。3月11日となると丁度春になり北風から東風が吹き交互に吹くときだったからである。

●ソーラーパネルも自然破壊だった

それからソーラーパネルは自然を破壊しないとして政府で推進したがこれもそうではなかった、水力発電すら自然破壊だった

魚や樹木は川の流れ新しい水が来ることで魚や樹木は生きることができる

ダムというのはやはり自然破壊であった。真野ダムなどもそうである。大倉村の一部、今のダムの底に沈んだのである。

ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水にあらず・・・鴨長明

もとの水ではない新しい水の供給がされるとき川は生きていたのである。
そしてあらゆるエネルギーのもとが太陽の光だというときその光を奪うのがソーラーパネルにもなる、

自然エネルギーを使うには山を削って埋め立てる、沿岸部を埋め立てる、平地を広げてゆく、太陽光発電も水力発電も平地が不可欠なのです

日本は森林面積が66ハーセントで世界3位、山地だらけで平地が少ない
日本は自然エネルギーを使うには不適切な国です

何か自然エネルギーがいいようでもこれも自然破壊になる、風力発電でそうである。
自分は科学的なことは弱いからわからないけど自分の判断基準はスタンダードは景観から常に見ているのである。
だから景観が破壊することが一番嫌なのである。
それは別に科学的なこととは関係ない、でも森が削られてソーラーパネルとかになるのは嫌である。風力発電も景観を破壊する、不思議なのは景観破壊からすると原発でも火力でも一部だけだから自然破壊に見えないのである。
ところがソーラーパネルになると広く土地を使うから景観が破壊される、それが飯館村で草野とかでなったのでがっかりした、森につつまれた桃源郷がソーラーパネル工事になってしまったことにがっかりした。
ただ津波で破壊された沿岸部は平地であり土地も使いなくなったからソーラーパネルには向いていたともなる
松原の方が景観的には良かったがしかたがないとかはなった

でも景観がいいということはそこが自然に恵まれたいい場所なのである。景観が破壊されることはだからその場所が本来の自然景観を破壊された悪い場所になったのである。
そういう自然景観を破壊してきたのが人間の文明だったのである。
その最たるものが東京とかの大都会である。自然が全くない人工空間に生きている
そこに自ずと非人間性が生まれてくる、そこには自然の美がないからだ、上野の桜はいいものではない
なんか汚れた感じなのである。大坂城の桜とかとはまるで違ったものである。
それは稲作文明も自然破壊してできたものだったことが津波でわかった。

文明とは自然景観の破壊が必然的に起きていたのである。
海側に開拓したところが津波で破壊されて元の海にもどったから驚いた
白砂松原の風景は実際は稲作のための人工的な景観だったのである。
だから人間の営みは自然破壊がつきものでありさけられないのである。
それがすべて悪いということは言えない、人間は全くの野生とか自然の中で暮らせるのは縄文時代がそうだったがそうなると人口も増やせないからである。
人間の理想は田園的な世界であり全く野生の世界でない、エデンの園も全く自然そのものではない、田園的な人間が手を加えた場所なのである。
posted by 老鶯 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年04月28日

街は相乗効果で栄える 駅前から発展した街をふりかえる


街は相乗効果で栄える

駅前から発展した街をふりかえる

newtttownn122222.jpg

街というとき鹿島区を参考にするとまずどこでもその当時そうだったが一軒一軒の店があった、駄菓子屋とか隣は魚屋とか豆腐屋とか酒屋とか呉服屋とか電気屋とか様々な店が並んでいてそういう狭い地域で生活していた、第一遠くには行って買物はしていない
車もないし歩いて生活するのが基本だったからである。
こういう生活も今になると便利だったとなる、スーパーでも買い忘れがある、豆腐買ってなかったとか納豆買ってなかったとかあるからだ
近くだったらすぐに買いに行けたからである。
この時から街は常に相乗効果があって成り立つ
魚屋とか豆腐屋でもなんでもばらばらに離れていると生活しにくいからである。

次に街の発展は駅ができて駅前通りが作られ発展した。その頃まだ車をもつ人は少ない、ダットサンとか三輪車風の荷物をのせる車は先に使われていた
最初は人をのせるというより品物を運ぶためにそういう車が使われた
鉄道でも最初は石炭とか地方から木材とか石とかを運ぶために発展した
網の目のように森林鉄道がめぐらされたのもそのためである。
この時は鉄道の時代だったのである。

鹿島区を例にするとなぜ駅前に農協のスーパーができたのかというとまだ駅が街の中心ということがあったからである。
その時スーパーができたときすでに街の通りの店は衰退していたのである。
スーパーの時代になるとそのそろえる品数が違いすぎたからである。
駅前に自転車屋があるのは引き込み線で貨物車両が入り運ばれたからである。
映画館というのも駅前の今のではない細い路次が通りでありあった
つまり娯楽施設もありそこが街となり相乗効果でにぎわっていたのである。
駅前だと運びやすいということがあったし駅前旅館とかできたのも鉄道が盛んな時代のことである。
この辺でも鉄道は働き場所であり線路工夫をしていた人や国鉄職員も多かったのである。それは今は鹿島駅前にホンダの販売店があると同じである。
今は車にとって変わられたのである。

街の発展をみると相乗効果なくしてありえない、第一東京があんなに巨大化したのは東京にあらゆるものが集まり生産消費しているからである。
そこに巨大な相乗効果が生れてそなっている、仕事するにも便利だからそうなっている
官庁でもなんでも集まっている方が仕事しやすいからである。
それでなかなか移転などできないのである。

原町区で元の原町市でも旧街道から駅前通りとして発展した
それで自分の母親が原町紡績で働いていたのだがその工場まで引き込み線があった
鉄道で運ぶためにあった、鉄道しか遠くへ輸送する手段がなかったのである。
まだトラックなとは普及していなかっ、第一戦前なら戦後十年でも舗装はされていないからである。だから埃がだったり雨がふると水たまりができたりと道は汚れていたのである今の南相馬市の鹿島支所の真野橋は木の橋だったのである。
子供の頃、その橋を渡ったが木と土の橋でありゆれたりして危険な橋だったのである。
そもそもが江戸時代の橋とさほど変わらない橋だったのである。
それで橋は良く洪水で流されていたのだ

相馬野馬追いでも新田川で橋が流されて行列がとめられている絵が残っているからだ
その当時洪水が多かったのである。
自分の家は街では一番低い所であり二回も洪水の被害にあった
だから全国的に日本は洪水の被害が多いから橋がどこでも流されることが多かったのである

相乗効果というとき最近コモドインというランチをはじめたホテルに行っている
あそこは料理人がいて洗練した味の料理を出している、そもそもあのような山側にホテルができたのはこの辺で津浪や原発事故で外部から除染とか工事関係者が入ってきたからである。まだ溜池の除染が近くではじまったとか工事もあるから人が入ってきている
それであんな山側にホテルができた事情がある
何かあのホテルに行ってランチを食べるのが不思議な感覚になる
あんなところホテルができると思わなかったからである。
それは宮沢賢治の「注文の多い料理店」とうい童話が現実化したような錯覚になった
花巻とかいの町も当時は小さいが何かそうした都会風なものが入ってきていたのである。
それとにたような状況が最近ここで起きているのである。

何か都会化したなと感じる
距離的には通える範囲であり自転車でも遠さを感じない距離である。
そのホテルでランチすると今度は近くのコンビニがありそこによることになる
何か食後のデザートのようなものをほしくなる
そのホテルのランチでもそうしたものを添えているがたりないのでコンビニによる
そうするとそこが一つの街になるのかと感じたのである。
つまり相乗効果がホテルとコンビニで生れたとなる

鹿島駅前を何か開発すればいいとか書いたがこの前は山崎パン屋でサンドイッチを買って食べていた人がいた、山崎パン屋はそういう買物ができたとしても駅から近いとは言えない、そこが一番の問題だった、前は鹿島駅内に売店があったからそのときは人の出入りが多かったのだろう。
だからこそ農協スーパーが駅前に出店したのである。
その時駅前開発が議案となったが何もできずに今日いたっている、その内車社会になり
駅前の農協もなくなった、鉄道は衰退したのである。
原町だったら六号線に道の駅ができたりと六号線沿いが発展することになった

街が栄えるにはやはり相乗効果がないと栄えないことは確かである。
何か今のようにてんでんばらばらになっては便利でないからだ
仮設商店街というのも新しいを相乗効果を産むものとして作られ一時は成功した。
ただ外部から入る人が多かったからこの辺ではその繁盛も一時的だったともなる

駅にいると食堂が一軒ありそこで食事する人が結構いるなと見た
昼間にきた人は食事する場所を探しているからである。
でもそれも良くわからないようで教えたりする
鹿島駅前は何もないように見える、それが不便なものとなっているのだ
やはりそれでは相乗効果を生まないのである。
店はやはりいろいろなものが集まった方がいいのである。
結局車社会が街作りを変えてしまったのである。
六号線沿いに店が点々とあるのは車社会だからそうなる
街の通りがシャッター通りになるのもそのためである。
大きな駐車場が必要になってくるからである。

スーパーは一軒でもそこでなんでもあり相乗効果を出している
でもスーパーだけでは本当は街の形成はできないのである。
街というときそれは総合的なものであり必ずしも買物だけではない
ぶらぶら街を歩いてみたいとかあるからだ
イオンのように離れて巨大なものが一つあるというのは不自然なのである。
そこにツタヤとかあるのも相乗効果ではある、パチンコ屋もできたのもいいとはいえなくてもそうである。そこに人が集まることが相乗効果なのである。

いづれにしろ小池のコモドインでのランチは自分にとって新鮮な経験だったのである。
小池など通りすぎるだけであり何かそこを街のようには意識しない所だったからである。だから一つでもホテルができてそこでランチなどできるとなると感覚的に違ったものとなることを感じた、そして相乗効果が生れるのである。
その辺りは自然も豊富だから「注文の多い料理店」のような錯覚を産む場になったのである。



posted by 老鶯 at 15:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の鹿島駅(常磐線)