2017年03月18日

野馬追いの旗とヨーロッパの中世の城と旗の共通性 (野馬追いと同じ祭りがヨーロッパにもある)


野馬追いの旗とヨーロッパの中世の城と旗の共通性


(野馬追いと同じ祭りがヨーロッパにもある)

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2014夏のブリュッセル★ (写真拝借)

これは野馬追いと同じである

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野馬追いの旗にもこれと同じ識別化がある


騎士団は軍隊の中枢と見なされていた。上級貴族として「バナレット騎士(旗騎士:旗は領地管轄権の象徴であり、供の者を従えていた)」

「戦う人−耕す人」に二分された(10世紀)。これによって「a.武装して戦う特権を有し、そのために通常は課税されない人々」と「自然物を生産し、自分の需要に加えて他人(=b.の人々の労働の成果で暮らせる特権を持つ人)の需要を満たすように期待された人々」が区別された



公家の家紋は優雅なものが多く、武家の家紋は実用的で、戦いの場において、敵味方の陣地識別のために旗や幕に用いて目印としたのに始まり、簡略で、しかも識別しやすい幾何学模様が多いのが特色といえる。ことに群雄割拠して互いにしのぎを削るような争いが続くにつれて、一軍の将たる者は、地方の群雄の家紋をつねに熟知しなくてはならなくなり、このために『見聞諸家紋』という書籍さえ刊行されるほどであった。

 関ヶ原の戦いを契機として、太平の世の基盤ができて、武具、武器、旗、幟、馬印などは無用のものとなり、紋章の用途のうえに一大変革が行われた。つまり家紋は、武士の威儀を正すのに必要なものとなり、儀礼のうえからも、自己の家格門地を表す服装の決まりができて、参勤交代あるいは登城をするときの行列に、家紋を明示する必要に迫られ

ヨーロッパと日本は別の世界であり歴史も理解しにくいと思っているが封建制があることで共通している、封建制があったのはヨーロッパと日本だけだッからである。
それで明治維新が成されたという説もある。西欧化でたきという説である。
それは封建制というのはやはり歴史的人間の発展としてヨーロッパと日本にしかないということが重要である。

だから騎士とサムライもにているしなぜヨーロッパに城が日本と同じように多くあのように紋章学まであるように紋の種類も多く旗の種類も多いのかとなる
それにはやはり封建制があり城が多く騎士がいてサムライがいたからだとなる

それはそういう歴史的基盤の共通性がありそうした紋章学とか旗が生れたのである。
ただそういう歴史があるのは日本とヨーロッパだけなのである。
だから野馬追いが旗祭りだというときヨーロッパでも同じ祭りがありブリュッセルでの旅の報告では野馬追いと同じ祭りがあった。騎馬行列もそうであり様々な旗があるのも同じだった、つまり野馬追い祭りは日本だけのものではない、ヨーロッパとそっくりなものがあった、旗でも同じような旗があった。幾何学紋様であり識別するものとしての旗である
だからヨーロッパというのは異質な社会だと見ているが野馬追い祭りからみると何か親近感を覚えるのである。同じ歴史があり文化があったとなる
ただキリスト教がかかわるのでそこがわかりにくいとなるが日本でもサムライの前進が僧兵だったということを言うひともあり京都でも比叡山なども寺領が一つの町を形成していた。それはヨーロッパでも同じであり修道院は要塞であり城でもあったし騎士団もいたからこれは僧兵である。
一見日本と中国は漢字を使っているから共通性があると思っている、でも日本の村と中国の村はまるで違ったものだという学者もいる、日本の村は封建制へと発展した村だった。だから封建制があるということで中国にはないからヨーロッパの歴史に日本はにているのである。

「戦う人−耕す人」に二分された(10世紀)。これによって「武装して戦う特権を有しそのために通常は課税されない人々」

これも日本にもある、戦う人とはサムライになった人であり耕す人は農民である。
でも日本では相馬藩でもそうだがその両方をかねそなえた郷士がいた
農民であり侍であった人である。それは城勤めになった侍は専門家して官僚ともなった。兵農分離したのである。刀狩りによってそうなった。

野馬追いでは郷士から出ていて農民と侍だった人たちである。町内とか街内から出る家は極わずかである。農家に古い家が残り鎧や旗が残されていた
それは勝手に作ったものではなく先祖伝来の旗である。

ただこの旗も

関ヶ原の戦いを契機として、太平の世の基盤ができて、武具、武器、旗、幟、馬印などは無用のものとなり、紋章の用途のうえに一大変革が行われた。

つまり相馬野馬追いにはあれだけ多様な旗があるけど戦国時代でも大きな藩とかにまとまると家の旗とかは必要なくなる、相馬藩とか伊達藩とかで戦うから相馬藩なら九曜の紋であり伊達藩なら竹に雀の紋の旗とかなるのである。
野馬追いの旗の種類の多さは鎌倉時代に由来していて多いのである。
戦国時代からはまだ使われたにしろ家の旗はそれほど使われない、その後は儀礼的なものその家の家柄を示す地位を示すものと変わってきた。

野馬追いの旗は公家の紋とは区別される、公家の紋は天皇の紋が菊のように植物が多い、橘などもそうである。鎌倉時代から戦国時代になるとその植物紋が受け継がれたにしろ
多様なものになった。識別を基とするとき幾何学的な抽象的な単純なものが多数生れたのはヨーロッパの旗でも同じものがありにているとなる

いづれにしろヨーロッパの歴史というとなにかむずかしくなじめないということがある。でも野馬追いの旗からみると共通性があり親しみやすくなる。
だからヨーロッパの城や騎士や旗とかを研究すればヨーロッパの歴史に興味がもてる
つまり相馬藩というとき何か世界史と関係ないように見えてあるともなる
歴史に興味をもつというときやはり身近なものから始めないとできないからである





posted by 老鶯 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2017年03月17日

原発訴訟で東電と国の責任を認める 津浪を予測していたし対策をたてなかった


原発訴訟で東電と国の責任を認める

津浪を予測していたし対策をたてなかった

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今回の判決は別に補償金をもらえない人にも大きい、国と東電に過失があり津浪という自然災害で不可抗力に起きたのではないという判断は大きい

東電は科学者のエリート集団だから津浪を予測していた、30年以内に地震が起きて津浪が起きることを予測していた。

地震が起こり津浪かが起こることを東電は予測していた

ただその対策をとらなかった、それが責任

自分は科学に弱いから変だけど東電は科学者集団だから地震が起こり津浪を起こることをこの辺でも予測していた事である。それも10メートル以上とかの大津波のことを予測していたのである

第一この辺でそんな津浪のことを一般の人は関心がない、津浪など来た事がないから来ないと確信していた、恐れる人もなかったのである。
自分なども津浪のことなど考えたこともない
ただ海岸沿いに住んでいた人は海とは関係なく何か怖いという感覚はあった
それで鹿島だと小学校前まで津浪が来たがそこで浪にのまれる夢を何回も見たのである。あの辺は家がないからそういう夢を見やすかったのである。
だから海岸沿いに住んでいた人たちは夢で浪がおしよせる夢を見ていた
それは津浪とは限らない、高潮でも現実に八沢浦の湊では防潮堤が破壊され水びたしになったことがあったからだ。
海岸沿いには津浪でなくても常にそういうことがあった
それで磯部の佐藤氏は相馬氏が支配する前の中世の豪族で館を構えていたが同じように高潮のために危険だと今の日立木の鬼越城に移ったのである。

ただ夢とか伝説とかなると誰もそれを信じて行動には移しにくい、でも今なら科学者の言うことは信じやすいし信憑性が高くなる

だから東電の科学者はチームは津浪が来ることを予測していた

そのことを知ったら、ええ津浪が来るのか、この辺ではそんな話聞いたことないけど
科学者が言うなら本当かもしれない、警戒しないといけないな

津浪のことをこの辺で相馬でも津浪が来るんだということ大きな津浪が来るということを東電から知らされて警戒する、するとそういう知識がすりこまれるとあれだけの地震だったらもう津浪が来るという知識がすりこまれているから咄嗟に避難した
でも津浪のことをこの辺では知らないし経験がないから警戒しないで避難しないで死んだ人が多い、特に65歳以上の老人はそうして逃げないで死んだのである。
老人でも津浪はこの辺では経験していない、今回の津浪で相馬藩政記に400年前津浪が来て700人溺死という記録があったことが発見されて驚いたのである。

だから東北電力では津浪が来ることそれもかなり高い10メートルも15メートル以上の津浪がくるとして対策をして高い所に建てたから辛うじて助かったのである。
10メートルでは危ない、16メートルにしろと当路の副社長の人が言って高台に作られて助かった。そこは津浪が前にも来ていたからそうなった。

ともかく怠慢だったのは報道関係にもあった
何か危険を知らせる、事前に情報を知らせる、知識を与えるのも報道関係の勤めである。
報道関係者が東電で30年以内に震度8以上の地震がきて10メートル以上の津浪が来ると
予測した

そういうことを新聞でもテレビでも伝えていたかとなると伝えていないだろう。
伝えたとしても読者も無関心だったかもしれない、自分なども原発でも津浪のことでも無関心だったからである。
でもやはり報道関係者にはそうした危険を警告する、知識を情報を与える役目があった
でも福島民報でも民友でも原発は安全だという「安全神話」に組みした方だからそんな危険を警告する報道はしなかったともなる
ただ安全、安全しか言わせなかったからである。それは東電で働く人にも楯にして言わせていたのである。そこで働いている人は今でも東電は批判できないんだよなと言っているからである。

今回の事故のことでももし東電が東北電力のように地元で津浪を警戒して実際に対策をとっていればこうはならなかった
むしろ津浪を警告して東電に助けられたとなり東電様様になっていただろう。
東北電力の女川原発にはそこに避難した地元の人がいて助かったともあるからだ
東北電力のように東電も株があがったのである。
放送というとき自分は今回インターネットがありプログで発信した。
それはインターネットがあったからできたことであり自分の発言などマスコミでは取り上げられない、それは他の人でもそうである。
マスコミは取捨選択する権力をもっているからである

ところが報道する権利はマスコミだけではない、このように庶民さえもてるとなるとまた違った社会になる、自ら報道することはやはりなにかしかの責任と関心を喚起するからである、報道することが実際は興奮することであり金がもらえないとしてもやりたいことがわかった。
こうしてマスコミの記者だけではない一億総記者になる時代である。
そしてこのように号外が出た、そしてそれに対して即座にコメントしてプログで発表するというのもインターネットが速報性に優れているからそうできる
ただまだまだ個人でとは権力がないから追求力が弱いのである。

要するに今回の原発事故は政府と東電に大きな責任がありそれを検察も認めたとなる
地震や津浪の自然災害のためではなくそれに備えることができたのに備えなかった
ただ「安全神話」を作り肝心の備えのためには金もださない、対策をたてていなかったのである。過失致傷の責任があったともなる。
それを裁判で認めた意義は大きい、ただそうなると現実に賠償金の支払いを命じられた
でもその賠償金はまた裁判を起こした人たちだけのものではない
被害を受けたのは広範囲であるからだ、その賠償金をもらえない人の不満も大きいのである。ただ国でもそんなに賠償金を支払えないというのも現実なのである。
それをあまり訴えると今度は国民の反発でいじめとがが起きてくるからだ。


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升形、井戸の紋の旗印のルーツを探る 近江の彦根城の井伊家ー直虎につながる


升形、井戸の紋の旗印のルーツを探る


近江の彦根城の井伊家ー直虎につながる

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鐘の旗印

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●井伊家のルーツ

井伊家の家紋は二種類あり、定紋(じょうもん)が橘紋(たちばなもん)で替紋(かえもん)が井桁紋(いげたもん)です。

定紋は正式の紋で公式の場で使用します。表紋(おもてもん)とも呼ばれます。

替紋は非公式の場で使用する紋で裏紋(うらもん)とも呼ばれます。旗印などに使われますが、用途については特に決まりはないため、それぞれの大名家のルールで使い分けされていました。

井伊家の家紋はなぜ「橘」と「井桁」なのでしょうか?それは井伊家の祖先共保(ともやす)が井戸から生まれたという伝説に由来します。

共保は井伊谷に移り井伊氏を名乗ります。この共保が井伊氏の祖先だと説明しています。

共保が出生した井戸の脇に橘が茂っていたので、井伊家の定紋は「橘」になり、井戸から生まれたという言い伝えから替紋は「井桁」となりました。


遠江国引佐郡渭伊郷井伊谷
主な根拠地遠江国井伊谷
近江国彦根
滋賀県彦根市 など
著名な人物井伊直政
井伊直弼
井伊直愛
井伊直孝
井伊直虎

井伊家の家系のルーツをさかのぼると、初代当主である井伊共保(いい ともやす)に行き着きます。この井伊共保は元々は捨て子だと言われているのですが、遠江の国司を務めていた三国共資という人物の養子になり、その家督を継いだとされています。

その後、井伊共保は自分が捨てられていた場所である井伊谷(いいのや)に城を構えて井伊氏を名乗ります。ここに井伊家のルールはあると言えそうですね。


南北朝時代になると、遠江の豪族として名を馳せていた井伊家は南朝に味方し、その後南朝の衰退と共に北朝方の今川氏の家臣となります。しかし、主君にあたる今川家との関係は決して良いものとは言えなかったようで、何度も争いの危機を迎えたと言われています。
今川家との争いを防ぎたいと考えた、井伊直虎の曽祖父にあたる井伊直平は娘を今川義元に妾として差し出し、何とか危機を回避したこともありました。


NHK大河ドラマの井伊直虎が近江の彦根城の井伊家の先祖だったとなる、この紋は長久手の戦いでも関が原の戦いでも一番目立っているのである。
それだけ活躍して徳川の四天王になった。三河勢が三人なのに井伊家は別だった

●関が原では三成の旗印と井伊家の旗印が一番目立って描かれている

関が原の戦いではやはりその升形の旗が一番目立っているのである。
では南相馬市の原町区にある蔵のある家はこの井伊家とかかわりあるのかとなるとその由来はわからない、その家臣だったのかもわからない。
野馬追いの旗は鎌倉時代からの由来のもので戦国時代のものは少ないだろう。
戦国時代にはそんなに多様な旗がないのである。
例えば相馬藩と伊達藩が戦ったとしても相馬藩だったら九曜の紋の旗になり伊達藩だったら竹に雀の旗印になる、鎌倉時代は家を代表するものとして紋があり旗印があった。
だから野馬追いの旗は鎌倉時代に由来していて戦国時代にはその旗印が使われていたのかという疑問がある。
戦争のときにそんなに多様な旗印を使ったのかとなる疑問である。
ただ旗印が家宝として残っていたのでそれを野馬追い祭りで使ったのかとなる
戦国時代でも旗印はそんなに使われていないのである。

井伊家の旗印は目立っている、石田三成の旗も目立っている、石田三成の旗は野馬追いにも江戸時代には出ていた、石田三成は相馬にも来ていてた

1599年(慶長4)には、京を出発する時三成から三胤に征矢に漢詩(七言絶句)を添えて贈られました。このように三成には恩義があったので、関ヶ原の戦に参陣せず、その為三成に内通していた疑いで相馬氏は領土没収となります

井伊家は三成の興亡は関が原合戦図の旗印を見ると一目瞭然である。一番どちらにしても目立っているからだ。
三胤は三成の字をもらって名付けた。


●野馬追いの旗の謎

野馬追いの旗は鎌倉時代に由来していて一族、家の旗印であった。でもそれが戦国時代になると家といっても相馬氏でも範囲が広くなるから一家の紋とか旗印で戦争するということはあったのかとなる
相馬藩の九曜の紋の旗印は使われるが一家の紋とか旗印は使われたのか?
そんなに多様な旗印が必要だったのかとなる、武田家だったら三菱の武田家の紋であり伊達家だったら竹に雀とかに統一される
するとそして統一される前の一家の御家人の旗が野馬追いの旗でありだから種類が多いとなる。
残された合戦の図にはこんなに多様な旗印は使われないないからだ。
鎌倉時代から戦国時代になると大きなまとまりが勢力ができて戦うようになったとき一家とか一族の旗は不必要になってきた。
ただ井伊家のように有力な家の旗印は戦国時代でも関が原の戦いでも使用された。
相馬藩でも大きな戦いになったら相馬藩の旗印、相馬氏の旗印の九曜の紋になる
それは関が原でも他でも見られる、でも他の多様な紋は合戦図には残されていないのである。

ただこの辺は研究の余地があり自分にはそれだけの研究ができない、インターネット上で調べた限りではそうでありなぜか野馬追いが旗祭りだというときその由来を研究している者がいないのである。
それは旗印がその由来も複雑でありわかりにくいからである。
鎌倉時代にさかのぼるとなるとその系統も不明になってくるからだ。
その中でも升形の旗印は井伊家が徳川幕府の四天王になったので目立ったのである。
その他の旗印は由来が不明になったと推察できるが自分には解明できないのである。


野馬追いの旗印の由来 (井形と升形の紋ー原町区の古い農家をたずねて探る)
posted by 老鶯 at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2017年03月16日

今日の鹿島駅(ドイツ人のエンジニア来る) (田舎の駅でもいろいろな人が出入りする場)



今日の鹿島駅(ドイツ人のエンジニア来る)


田舎の駅でもいろいろな人が出入りする場


今日きたのは二人連れのドイツ人と日本人である。電気関係の人であり東北電力に来た
東北電力は鹿島からも近いから前にも来た人がいた、タクシーで行った
東北電力の火発は2000人くらい働いているとか雇用がある。

日本人はそのドイツ人を案内しているから英語がしゃべれる、まず英語がしゃべれないと案内はできない、理系とか技術者は英語を覚えやすいと思う
仕事でどうしても国際的になっているからだ、これは別に文系の仕事でもそうである。
今や庶民レベルでも国際化している
フィリピン人の母親を頼ってきた若者が英語をしゃべっているから別に英語がしゃべれるから偉いとはならない、その人はエンジニアだから違っている
ネパール人だって英語を話している、ネパールは世界の最貧国だけど英語は話しているのである。

そのドイツ人を案内した日本人がいたから通訳になったからこの辺の事情を話した。
ベトナム人とかネパール人が多いと話したら通訳したので理解した
会話と英語の文章読むのとは違う、会話は慣れが関係している
日本人は外人に特に欧米人にものおじするからしゃべれないというのもわかる
また相手がエンジニアとかなるとまたしゃべりにくいとなる
何か引け目を感じるからである。

今回来た人はステータスが一番高い人だった、だからかえってめずらしいとなる
そしてつくづく感じたことはこんな田舎町が国際化していることである。
これは十年間介護していて気づかないことだった
もちろん津浪とか原発事故で全国からも海外からも関心が集まり来たためである。

それにしてもこんなに一田舎駅が国際的になっていることには我ながら驚くし知らない人もいるだろう。
そんなに外国人が来ていたのかとなる、中国人ならめずらしくはない。
でも多様な人が来ている、ただエンジニアとか知識人とはなかなか合わない
そういう人とはなかなか話もできない、外人が俳句を作っているとしてもほとんどいいのがない、やはりこうした文化の理解となるとレベルが高すぎるのである。

でも国際交流はほんのちょっとした会話でもありうる、だから白馬村のおばさんが外人のスキー客を迎えるようになったのはそのためである。
日本が貧乏になるとき外人が観光客で迎えるというときどうしても国際化せざるをえな、それは庶民のレベルではじまっていたのである。

自動化した電光掲示板がジャパニーズオンリィというとき東京辺りでは英語ででてくるからかもしれない、いづれにしろ東京だって十数年行ったことがないから変わっているだろう、外人だらけだというとき前も隣にいた人が日本人だと思ったら中国人だということがあった。今はさらに多様な外人が来ていることはまちがいない
モノだけではない、ヒトが入ってくるとどうしても庶民レベルで国際化する
ただそれは前からあったことだが観光客が増えたとういことで誰でも外人と接する
すると英語も必要になる、ただこの英語でも会話力はやはり慣れだからあのように日常的に外人と接している人でないとすらすら英語がでてこないのである。
ドイツだと英語の元はドイツ語なんだから知識人は英語をしゃべれる

とにかく鹿島駅のような所が全国の人が集まり外人もいろいろ来る場となっていることには驚いた。
前から外人の労働者が来ていたことは来ていた。でも今は無人駅とはなっている田舎駅にこんなに外国人が出入りしていることには驚いた
だから何か毎日駅に行って案内することがある
外人ではないが今日は「右田の一本松」を見に行くという人が若者がいた
その人は歩いて見に行った、若者は3キロくらいは歩く、海の方まで歩く
そういう津浪とか原発事故関係で結構前よりは来ている
ここ何日かは風が吹かないので電車は遅れない

東北電力が大きい、その会社の人が住んでいる社宅、団地もある。
この辺では東北電力は大きな存在なのである。それは原発が東電がこれほど大きな会社だとういことを事故後に自分が自覚したのと同じである。
東北電力はこの辺の大きな仕事の場となっている
それは東電の原発とにていたのである。

ただその人はこの辺の事情を全然知らない人だった、はじめてきた人である。
原町がここよりずっと大きいということも知らなかった。
南相馬市として合併したことも知らなかった。
ここには何もない原町には何でもあると言った
ホテルもあると言ったが何にも知らないのである。
労働者として来た人はこの辺のことに詳しくなっている
その人は全然知らない人だったのである。

今思ったことは野馬追いのことをちょっと説明すれば面白かった。
写真も駅に飾ってあったからである。「サムライ」と言えば通じたかもしれない
つまり観光案内として駅にも人が必要なのである。
ただ待ち合わせ時間でも短いから観光案内とまではいかない
日本人だったら観光に来ている人がいるから案内できる
外国人で仕事に来た人には説明するのは時間がかかるしめんどうだとなる
「サムライ」が通じれば通じたかもしれない、しかしその「サムライ」さえ知らない人がいる、フィリピン人の若者は相撲は知っていてもサムライは知らなかったからだ。

今日とまっていたのは原町の平和タクシーである。
その運転手が言うのには鹿島から原町へのせることはできるが
鹿島内はできないという、権利がないからできないという
タクシー会社も権利が制限されている、今は鹿島では北郷タクシーしかないのである。
鹿島の駅前はともかちこうしていろいろな人が出入りする場だったのである

ともかく国際化しているということはあらゆる面でそうだが最近は観光面で国際化している、別に欧米人だけではない、中国人は普通になったが東南アジア方面からも来ている
だからそうなるとみんな英語が通じるわけではない、そうなるとコミニケーションに困るかえって中国語はわからない、発音がわからない、だからこの辺にいつも中国人がいても話すことはできないのである。


原発事故や津浪で人が住まなくなった土地 (メガソーラー場とか放射性物質の廃棄場になる危険)


原発事故や津浪で人が住まなくなった土地


(メガソーラー場とか放射性物質の廃棄場になる危険)


地球は誰かの所有するものではない、神が造り神の所有するものである。ところが人間が生れて人間が土地でも海すら所有するようになった
そこで何が起きてきたのか?

津浪や原発事故では人が住まなくなり荒地化した、その土地は自然にもどったようでももどらない、その土地は人間が所有していたから今度はその土地の所有者がソーラーパネルの会社に売ったのである。
ただ荒地としておくより金になるからそうする
つまり自然は自然のままではないし自然にもどらない、自然が所有するというとき人間がいなければそれは自然にもどるし自然のままである。

例えば津浪でもこの辺は八沢浦でも元の入江になったので驚いた、それは浦浪がよせてきて朝日がさしてきらきらさしてきたときは奇跡のように思えた
そこで人が死んだのだが津浪でも美を作り出していたのである
凄惨な光景ばかり津浪では見てショックだったが八沢浦などは家があまりなかったのでそういう光景はなかった。他にもそういう光景は生れたのである。

そもそも八沢浦でも開拓して田にしたのだからそこは自然を破壊してできた場所だった
そういうところは日本には多い、土地がないので埋め立てて田にしたところが多いのである。それが日本に住むものの宿命となっていた、カルマとなっていたのである。

そして松原というのは美しかったがこれも人工的な自然だったのである。
それが津浪により根こそぎ破壊されて流されてしまったのには恐怖した
でも自然から見れば自然にもどったのである。
自然はだから常に美を作り出すから美しい入江にもどったし北海道の釧路湿原のようになったところもあった自然のままだったらそうなったのである。
その光景は美しいものだったのである。

そして今度は磯部でもそうだが右田でもメガソーラー場になった
それは景観の破壊になる、なぜそうなるかというと自然は自然にもどるわけではない
結局土地は誰かの所有地なのである。自然の神の所有ではないのである。
するとその土地をもっている人はその土地をいかす利用して金にしたいとなる
特に津浪で流されて土地があっても何にも役にたたなくなったからである
そして金がほしいとなり土地をメガソーラー会社に売る

もし自然がもどるというとき人間が所有していないなら美しい入江として自然にもどる
人間がいる限りそうはならない、なんとか土地を活かして金にしたいとなるからだ
だから海さえ漁師の組合によって所有されていた、漁業権をもっていたからである。
つまり人間によって海すら所有されていたからその権利を主張して金にしようとする
そして東電に漁業権を売り渡して多額の補償金を事故前も事故後も船主などはもらっているのである
自分の家の前の海にも権利があるとして主張していた
それは金を要求できるからそんなことまで主張する

要するに人間はそもそも自然景観を保つことには無関心である。
なぜなら金にならないからである。土とった所がむきだしになっているのが嫌だと書いたがそれだって金になるから業者に売る
人間はなにかしら利益にならないと生活できないからそうなる
自然が誰も所有されないものなら美しい景観は保たれたままだったのである。
なんとか米が食べたい、土地がない、では海だったところを干拓しようとなり八沢浦でもどこでも埋め立てられたのである。

一番景観を重視していたのは自然そのものでありか自然を作った神だったともなる
人間は生活するためにどうしても自然を破壊しなければ生きていけなかったのである。
稲作だって大規模な森林破壊とか自然破壊であり松原も塩害を防ぐために作られた
人間の歴史はこうして自然破壊の歴史、環境汚染と破壊の歴史でもあった
そうならざるをえないものだったのである。文明そのものがそういう環境破壊を必然的にひきおこした。

それは人間が土地を所有している、海さえ所有しているために自然破壊も起きた。
そもそも漁業権とか山の入会権となるとそこで魚を獲り木材をとるにしても山菜をとるにしてもそこで生活していたら自然を破壊しない、自然を保全しないと成り立たない
そのために漁業権があったし入会権もあった
それを今度は原発に漁業権は売る、津浪の跡は金にならないからメガソーラー会社に売るとかなる。それはそもそも人間が所有しているから必ずそうなる

では個人が村でも所有しないとなると誰が所有するのか、自然にもどるのか自然のままになるのかとなるとならない、今度は国が所有するようになる
誰も所有しないということはありえないのである。
そこで飯館村ではもう放射能汚染で住めないから個々人の土地を売って他で生活したい
その気持ちもわかるのだがでは飯館村とか限界集落など人が住まなくなるとそこが自然にもどるということはない、以前として誰かの所有になる、そこが中国人とかが買い占めるかもしれないし最終的には国の所有になる
国の所有になると今度は放射性廃棄物処理場ともなるしメガソーラー場にもなる
なぜなら人が住んでいないことは国のものとなり反対するものがいないから景観なども気にする必要がないのである。
だからこの土地は俺のものだ、俺の勝手だ、俺も生活しなければならない、一文にもならない土地をもっていても何もならないとなる
それもわかるがそうなると他の人も困る、その廃棄物から南相馬市に放射性物質が流れだしてくる、現実に飯館村でフレコンバックが壊れて川に流れだしたからである。

原発事故でも津浪でも様々なことが問われたが一体土地が誰のものなのか?
海は誰のものなのかということも問われたのである。
土地にかかわらないものでも海で魚をとらないものは何に言うな、海は魚をとる漁師のものだとはならない、ではなぜ東電に海を売り渡してそれで原発御殿とか建てて贅沢していたのか?それは魚をとることと関係ないことである、漁業資源の保全とも関係ない、むしろ漁業資源を汚染したからである。

土地でも海でもつながっている、地球はつながっている、その一区画を所有するということがなじまない、国が所有するにしてもこれまた勝手に国の都合いいようにされてそこに住む住民は困る、だから飯館村でも補償金をもらって土地を売って外で新しい生活をしたいという人と残る人に分かれ争っている
でも人が住まないと飯館村にもソーラーパネルが作られ景観が破壊される、破壊されるだけではない災害にもなるとなり反対運動が起きている
それはそこに人が住んでいるからである。
磯部でも右田でも人が住まないとなるとたちまちメガソーラー場になる
おそらく小高などももう人が住まない領域が広大になるからそこがメガソーラー場になるかもしれない、なぜなら金にしたいと所有者は思うからである。
生活するには景観がどうだとか言っていられないからである。

ともかく人が住まないことで起きることはどうなるかわからないことがある。
でも飯館村だけで決められるのも土地はつながっているから困るのである。
海だってそうである。海もつながっているから一区域だけではない、広範囲に汚染されたし魚は遠くでとれたものも汚染されていたのである。
だから人間が自然を所有する、国でも所有することは問題が起きる
だから土地でもオレの土地だから自由にしていい、海も俺たちの海だから自由にしていいとはならないのである。

太陽光発電と環境・自然破壊:メガソーラー規制は待ったなし

危険な山に作られたメガソーラー

ソーラーパネルの利用としては携帯用のが役に立つかもしれない
ネバールのような電気のない所でも電気が作れるとなるとその利用価値が大きいとなる
ただメガソーラーにしても日本では土地が狭いから自然破壊になる
大陸のような土地があればそうはならない、やはり技術も風土が関係する
風土にあった技術を考える必要がある
原発は日本の風土にも向いていなかったのである。地震が多すぎるからである。


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抽象画は変化の芸術だから著作権違反を問われるかもしれない


抽象画は変化の芸術だから著作権違反を問われるかもしれない

Because the abstract picture is art of the changes, I may be asked the copyright violation

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The nerve which shakes-sensitive brain

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mystery


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starrrr12334555.jpg
a river on the heaven

starrrr1233455566.jpg
railway


これは明らかに著作権違反だろう、原画を見ればどうしてもわかってしまう
でもインターネットでは世界になるから指摘されない、商業利用でなければいいのかもしれない、

自分のしていること抽象画はいつも著作権のことを考えてしまうのである。
自分のものもを原画にしたものはそういうことがないがインターネットにある原画を元にすると著作権違反なのかと思う

商業用でとないしもうけているわけでもないからいいのかという感じでしている
自分の抽象画も世界で利用されていてもわからないということもある

ともかく抽象画は無限に変化するものとしてある。
だからいつまでも同じものがあることに違和感を感じるのである。
変化することに抽象画の創作の意味があるからだ


It should be never the commerce use but not to have pointed out by the world on the Internet because it is knowing if I watch the original picture that this will be copyright violation clearly,

The one's thing abstract image doing always thinks about copyrights.
The thing which I made the oneself のものもを original picture does not have such a thing, but thinks whether it is copyright violation when made from the original picture in the Internet

It may be said that I do not know it even if one's abstract picture which is a feeling whether is good is used in the world because there is not it if for commercial use and does not gain

Anyway, it is said that the abstract picture changes endlessly.
Therefore I feel sense of incongruity in there being the same thing forever.
In changing of the creation of the abstract picture is because have a meaning
posted by 老鶯 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2017年03月15日

分断された原発避難地域 それぞれの意志を明確にせよ!


分断された原発避難地域

それぞれの意志を明確にせよ!

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原発避難者にも言い分がある。小高の人にも言い分がある。鹿島と同じにするなというときそういう反発はすでにあった。
鹿島の人の言い分とまた原町区の人の言い分も違うのである。
だから本当に複雑なのである。

そもそも避難区域となった小高でも飯館村でも他でもその内部でも分断されている
帰った人は一割くらいであり老人がほとんどである。
そしてその気持ちでも分断されている、帰る人と帰らない人で大きく二つに分断された
でもこれもまた二つとはならない、様子を見て帰る環境が調ったら帰るという人たちもいる。

もう帰らないとして家を現実に建てて避難区域の外で生活をはじめた人たちもいる
その人たちはもう避難区域になったところと関係ない、関係したくないと現実的になる。そういう人もかなりいる、その割合はわからないが調査すれば家を建てた人は確実にそうである。その人たちは復興とは関係ない、何かまだ補償金をもらいたいというだけである
ある人は名取に家を建てた、その人は別に親不孝でもない、親の部屋まで作ったから住んでくれと言っているそうだ、でもその親は小高に帰って住んでいるのである。
でもこうして外に家を建ててそこで仕事をはじめ子育てしている人にとって小高でも避難区域になったところとは関係なくなる
それでも矛盾しているのは親が残っているのに子供は帰らない、するとその親を世話するのは小高だったら南相馬市であり避難区域になった町村なのである。
それでも親が介護状態になったら名取に引き取るようになるのかもしれない、世話する人がいないしもう南相馬市民でもないのだから南相馬市で福祉でもサービスを受けるのはむずかしいからである。

現実にすでに南相馬市では介護のサービスを受けられないとして移り住んだ場所で福祉のサービスを受けている老人が結構いるのである。
東京の多摩に子の家族が移り高校生はそこの学校を出て就職したとかあり浪江の老人は原町市の復興団地に最近一人で入ったのである。
南相馬市では福祉のサービスが人手不足とかで受けられないとなりそうなった。
だからさらにそういうことはこれからも起きてくる

つまり帰りたいといっても避難区域には病院もないとか商業施設もないとか帰れる状態ではないとなり帰らないとなる
その前に現実問題として子供の教育も外で避難した6年の間に他の市とかでした。
6年となると長いである。すでに子供は他の土地になじんだとなる

ともかく帰った人と帰らないとしている人ははっきりしているのだ。帰らないという人と帰った人とは別個のものになったのである。
原発避難者というとき何か未だに浪江だったら浪江町民として考える、飯館村でもそうである。どこでもそうである、それは補償金と関係してその町村に籍を置くとういうだけなのである。
だからこの対処方法は図のように分けて対処するしかない
帰らないという人を帰れといってもできない、それはそれでいいとしてもうその人たちは復興とは関係ない人たちとしてみる
そこがややこしくしているのである。そして帰っている人、帰るつもりの人とが復興の対象となる。でも帰るつもりの人もまたあいまいである
放射線量が低くなったら帰るとか帰れるような状態、医者とかスーパーなどできて環境が調ったから帰る、それまで補償しろ、金をだせ、市長村でも国でもめんどうみろとなる。帰るつもりというのもあいまいなのである。
あなたたちは本当に復興をする気かあるの、あなたたちは補償金をもらいつづけていればいいというだけじゃないの、現実に老人が多いから国民年金で少ないから補償をつづけてもらいたいとテレビで主張した小高の老人もいるからだ。

ともかく何であれ帰って住んだ人はそこに住むのだから復興を目指す、その他の帰るつもりの人はあいまいなのである。自ら何かするのか?ただそこに住める環境が調えば帰るとなる、自分たちはそうしてお膳立てされたとき帰るとしている
そのお膳立てするのは誰なの、それは回りの人であり外の人であり国が被害を与えたのだから国でしなるとなる、南相馬市だったら南相馬市全体だともなるし県だともなる


一方でそうして原発避難民が被害を主張するのはいい、でも今度は国でも国民でもそんなに補償金を払うこと払い続けることに不満になる
それは国民の税金だからである。国策で原発を建てたのだから補償は当然だとなる
でもそうして補償ばかり要求すると国民の反発も大きくなりいじめが起きた
原発避難民は南相馬市内でも分断された、国でも県でもいつまでも期限なく補償はできないとなる
帰るつもりの人たちといってもその人たちは帰るという強固な意志がある人はどれくらいいるのか?それもよくわからないのである。
何かそれぞれの心が分断されたともなる、一致しなくなった。
でもこれはいつまでも避難民が一つとして考えるから複雑になる
図のように分けて対処する、それ意外方法がない、避難民を一つの市や町や村の人として考えるから複雑になり解決できない



放射線量問題があっても帰る人は帰りそこで生活して復興してゆく

帰るつもりの人は帰るものと帰らないものに分ける

あいまいなものを許さない

帰らない人たちは帰らない人たちとして対処する


こうして分けて対処しないといつまでも解決の道が見いだせない

結果的に帰らない人が多くなり避難区域はインフラでも維持できない、もう消滅するほかないとなるかもしれない、現実に人口が減って水道料金がえられないので維持できないという問題も起きている
限界集落化して夕張市のようになりそこでは現在の便利な生活が維持できなくなる
そうなると南相馬市でも財政的負担が大きいから小高を切り捨てるほかないともなる
自分がそうしたいのではないし小高は維持させたいとしても財政的に労力でも人手もたりないとなりそうなる。

要するにそれぞれの意志を確認してはっきりさせてそれで解決の道を見いだしてゆく
飯館村でも一億でも補償金をもらって外に出る人はでる、それを引き止めようとしてもできない、そして残った人は残った人で復興に努力するほかない
でも遂にその限界が来たらまさに限界集落として消滅するほかないとなる
それがいいのか悪いのかわからない、でも何か他に解決方法があるのか?
何かそこに明確化して対処するほかない、いつまでもだらだらああでもないこうでもないとしても解決するのだろうか?
そして国でも国民でもそういうことを許さない、鹿島と一緒にするなというけど南相馬市民でもそういうことを小高の人ははっきりさせて市でも市民でも対処するとなる

実際避難区域の外の人も南相馬市でも県民でも国民でも困る、いつまでも補償金を払い続けることはできない、どこかで区切りをつけなければならない
それが冷たいと言われても現実を解決する方法は他にあるのか?
もちろん様々な立場の人がいるしその言い分を聞いていたらまたまた複雑化する
限りなくそれぞれの言い分はあるからだ。そしたら解決するのは延々ともめてできないのである。

【知に働けば角が立つ,情に棹させば流される】

「意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい」と続く〕
理知的でいようとすると人間関係に角が立って生活が穏やかでなくなり、情を重んじれば、どこまでも感情にひきずられてしまう。 

 情に流されるというときいつまでもかわいそうだかわいそうだとしていると情に流されて補償金をいつまでも出し続けろとなり
知に働くと理詰めで言うとお前は冷たい奴だとなる
一体どうしたらいいのか、それぞれの解決策を提示してください



posted by 老鶯 at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

グローバル化経済でも人を入れるのには覚悟が必要 人間はモノではないし機械でもないから問題が起きる


グローバル化経済でも人を入れるのには覚悟が必要


人間はモノではないし機械でもないから問題が起きる


世界分業ということは、生産地域が偏在することを意味します。生産地域が偏在した場合、その地域の生産が何らかの理由で不可能になった場合、その影響は全世界に広がります。たとえば穀物の生産をアメリカに依存していたとして、アメリカが大干ばつに襲われて穀物がほとんど収穫出来なかったらどうなるでしょう


グローバル化経済の問題はいろいろ指摘されている、それは世界の現実となっている。
世界の分業化というのもそうである。
そういうことは国内問題としても起きてきた。
例えば江戸時代は米が伊達藩では商品作物として作り江戸に船で石巻とかから出していた米が商品作物化してそれが飢饉を作り出したとかある
米は売るものとなったとき地元では高い買いないとかなる
世界的商品作物となるとそれは世界中で起きている
東南アジアではエビを養殖して日本に輸出しても地元では食べないとか、コーヒーの産地ではコーヒーばかり作って畑でいろいろな食料を作らないので飢饉に見舞われたとかあるグローバル化資本主義にはそうした矛盾が生れる

基本的に自分が探求したのはクニとしての生産文化共同体の中で生活するというのが人間の自然な姿だと追求してきた。クニというときグローバル化経済になれば日本国となるがこれにしても十分大きいし自給できるものなのである。
果物だってそれなりに日本ではとれるのである。そうしたもともと地産地消から成り立っていたのが社会である。
それより村という単位で自給自足してきたのがもともとの人間の生活だったのである。
グローバル化経済というのはそういう人間的な経済からはみだした異常な世界である。
そこから環境破壊とか何でも様々な問題が生れて世界がアメリカでも移民を制限するようになったのである。

要するにグローバル化経済の一番矛盾がわかるのはヒト、モノが自由に出入りするというときモノだけだったら余り感じない、いくらバナナが安く入ってきてもそのバナナを作り出す人間の苦労などわからないからである。それは国内だってそうである。
ところが外国人が入ってくると人間が入ってくると全然違ったものとなる
ネパール人でも入ってくるとモノではないから人間だから様々な人間的なことをその入ってきたヒトから付随してくるのである。
その人の家族はどうだとか、その人がネパールでどういう暮らしをしているのかとか宗教が違うと文化の相違もあるし食べ物でもなんでも違うからそこから衝突も誤解も生れる
ヒトが安い労働力として機械のようにロボットのようには使えないとういことである。
日本にとたら格差を感じるしやがてなぜ自分の給料は日本人と比べたら安いのだと不満になりそれが治安の悪化になってゆく

ネパール人が日本で働くというときネパール人がどんな生活をしているかを知ると知らないではまた違っている、自分は登山したからあんな高い山の上で何を食べて生活しているのかと思った。裸足で歩いているのも驚きだった。ボールペンもない村である。
その差が大きいから理解できなくなる、でも自分の子供のときは水道もない、電気も裸電球一つくらいで燃料が炭だったというときネパールの暮らしもある程度理解できた。
昔の生活でも江戸時代でもある程度理解できたのである。
葛尾村などは戦後十数年してろやっと電気が通ったとかある、電気がない時代があった。もちろん家電などなにもない時代があったのだ。
洗濯でも近くの小川でしていた、それは自分の家でも町内でもそうだったのである。
そういう生活をしていればネバールの山の中の生活も理解できる
もうそういう生活とかけはなれているから理解できなくなった。
でも昔の生活を知りたかったらネバールの山奥に行ってみればわかる
そこには万葉集に歌われた時代に帰るともなるからだ。
自分は通りすぎただけだけど本当にそうである。万葉集時代を実感できるのである。

グローバル化経済というときヒト,モノが自由に出入りするというときヒトが入るということは必ず問題が起きるしまたヒトが入らなければグローバル化とは何か理解できないのである。
それで労働者だけではない観光で外国人が大量に入ってくるときそれを感じる
モノではないヒトが入ってくるから人間の交流が生れる
白馬村のおばさんが日本人のスキー客が来なくなり外国人相手となり習字を教えたりしている、英語も覚えて教えている、そして一番印象的だったのが外国人と抱き合って別れを惜しんでいたことなのである。
その姿は経済的に日本が苦しいからもう一度来てくださいねという願いもこめられていたのである。
そもそも日本人の習慣ではあんなにおばさんでも若い男とだきあうなどしないのである。あの映像からは言葉ではわからないものを感じた
そこまで日本人も苦しくなりしなければならなくなったのかということもある。
でも反面そこには人間との交流があるということも感じたのである。
モノだけ入ってきてはそうした人間の交流はないのである。
だから労働者でも外国人が入ってくると人間の交流が生れる
でも人間だからこそやがてなぜ日本人と格差があるのだと不満になってくるのである。

結局人間はモノではない、人間が入ってくれば相手を人間としてみて人間として交流するいくら外国人でも相手が人間なのである。家族もあるし人間的感情もあるしそれは人間であれば同じなのである。
人間だからこそ差別されたり格差がある社会には耐えられないとなるのだ。
それがグローバル化経済では露骨になる、それはネパール人のような人が入ってくれば余計にそうなる
これは一体なんなのだと自分たちの国の生活と比べるからである。
ただカトマンズとなると外国人としっちゅう接しているから違っている、山奥に入ると全く別世界になるからだ。
逆に人が入るということはそこに人間的交流が観光できた外国人のように生れる
だから言葉がわからなくなもあんな抱き合って別れを惜しむということは言葉ではない人間と人間の交流が生れているとなる
いづれにしグローバル化経済はもうある程度はさけられない、そういう世界になっているそのいい面とは悪い面を世界のどこでも受けざるをえないのである。

こういうことは別に国内でも普通に起きている、それを一番感じるのは家にお手伝いさんとかヘルパーとかでもいい入ってくる人である。
そういう人は家族のように待遇されやすいのである。そしてあからさまに暮らしの比較がされる、こんな贅沢しているのか、こんなものを食べているのかとか差があると不満になる、それで大金を盗まれたとかいろいろ自分は経験した。
だから自分はそんな金持ちでもないから十分も働かないのに雇うのが嫌になっている
そのために費やす雇う方の苦労が多いのである。
実際に使っているというより使われている、それが実感である。人を雇うということはこれほど大変なことである。
そして生活相談もしてきて絶えず金を要求される、それにも応じなければならない
家族の一員のようになってしまう、生身の人を雇うとういことはそれだけの苦労がある。これは本当に外国人でも同じなのである。ロボットのようには雇えない
その一人の人間のバックには家族もいるし文化も宗教の相違などもあるしいろいろなものとかかわらざるをえなくなるのである。
そこには確かにいい面はあるのだがそれは安易に安い労働力として受け入れることはできないものがある。それを覚悟していないとやはり世界で起きている移民の問題がわからないのである。


NHK 小さな旅「聖火の夢 つなぐ〜長野県 白馬村」

再放送 2017年3月18日(土) 午前5時15分(25分) 

 


posted by 老鶯 at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年03月14日

鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー ( 小高小中学校生徒の送迎用-親は小高に帰らない)



鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー


小高小中学校生徒の送迎用-親は小高に帰らない

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鹿島駅前にとまっていた小高への小中学校への送迎用タクシー



これは9人乗りでありいい感じだとなと見た。これは小中学校生徒の送迎用である。
小高で学校がはじまるから用意したという。
高校生も300人くらい通うようになるが高校生には援助がないという
小中学校は義務なのだと無料だという。

でもこれで問題なのは小中学校の生徒の親は小高に住まないのである。
通わせるのであり小高には住まない
なんか飯館村でもこういう問題が起きていた。
立派な校舎を建てて小中学生を通わせようと村長がした。
でも親は住みたくないとか反対する人がいた。
第一村長の孫は飯館村に住まないからだ
人を住まわせようとしても肝心の人が住まないのである

その運転手が言うには金は子の方がにぎっていて老人の親には小使いを渡す程度で老人は金をもっていないという。ええ、そうなのか?子の方が力があるのか?
その子の方は小高に帰らないで外に家を建てたりしている
つまり金を握っているのが子の方だからそうなっている
本当は小高の方に住んで子供を通わせるのがいい
でも親はそうしない、そうしたら小高の復興はないのである。

ただそのジャンボタクシーの通学の費用は市で出すから無料になる
それも運転手は贅沢だといっていた。
これも補償金をもらっているからだろう。
前らか言っていたが小高の人への補償が手厚すぎるのである。
そうして小高に親が帰り子供が通学するならいいが親が住まないでジャンボタクシーを用意させて通学させる
なんても相馬市からも通う人がいてそこは遠くなるから無理だとか運転手が言っていた。

結局何か復興といっても本気になって町でも村でも復興させるという気概は見えない
肝心の若い人たちがそうなのである。小高に住んで通わせればいいがそうしないからまたジャンボタクシーに金がかかる
でも国からなんらか援助が出るからそれに甘えるとなる
そしてそういうことに何か言うと冷たいとか常に言う
近くの仮設でもコンサートなどして「故郷が恋しい」とか泣いていたけどなにか空々しいという感じになる
なぜなら小高はすぐそばなのだから恋しいともならないはずである。
帰りたければすぐ帰れるからである。
東京とかに住んでいるのとは違うからである。それでテレビを見ている人はお涙ちょうだいになる。あんなに故郷が恋しいのだなとか見る、テレビは何かそうしたいい面だけを報道するのである。その裏の真実は報道しないのである。
小高の人たちには南相馬市は原町区でも鹿島区でも不満なのである。

それを言うのは南相馬市全体からすると負担になるからである。
何かというとそうして支援してし無料にしている
そして肝心の人は小高に住まないのである。
老人だけが帰っても復興にならない、その負担が市全体に及ぶからである。
飯館だと線量が高いということがあるが小高だとこの辺と変わりないから帰れる
それでも帰らないということに不満が南相馬市全体でつのっているのである。

このジャンボタクシーを見てこれから利用できる、足として利用できると思った。
バスは一日一二回だからである。
ただジャンボになるから料金が高くなるとかこれも市とかに援助されないと足として利用するには金がかかる、車のない電車を利用した老人もそれを言っていた。
車も年をとると危険だとなっているし高齢化社会ではこの足となる交通が必要になる
自分も原町などに自転車で行っているけどこれから行けなくなったら苦しい
駅前には店がスーパーでもないからである。


ともかく津波の被害地でも高台とか防潮堤とかインフラ的なものを整備しても肝心の人が住まない、若い人が住まないということが復興に通じていないのである。
若い人が流出しているからだ。そして日本全体も若い労働力が減少して人手不足に苦しんでいる時代である。
ベトナムとかネパールの人が増えたのはそのためである。
何か復興というとき本当に変だなと思ったのは補償金をもらったらみんなその補償金で外に出て家を建てたりして故郷には帰らないのである。
何のための補償金だったのか?故郷の復興など関係なく、故郷を出てそこで復興することに金は使われたのである。
もし補償金が少ないとか家を建てるほどの金ももらえないとしたら苦しくても故郷に住んだかもしれない、でも多額の補償金をもらった結果、若い人はその金をにぎり外に家を建てて帰ってこないのである。
そして老人には小使い程度の金をやっているというのもなんか変だとなる
老人ばかり帰って今度は小高でも病院がどうなるとかなると復興できないのである。
この矛盾は他の原発避難地域でも起きているのである。
posted by 老鶯 at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

国家は国民に犠牲強いる-原発も同じ (国家とクニの相違ー心の青雲に欠けていたクニ)


国家は国民に犠牲強いる-原発も同じ


(国家とクニの相違ー心の青雲に欠けていたクニ)


国家とクニは違ったものである。「心の青雲」の著者にはクニが欠けていたのである。
それは東京とか大都会だとクニがない
「あなたのおクニはどこですか?」と問うとき、国家のことではない、故郷とか狭い範囲の一つのクニである。会津ならそういうクニとしてのまとまりがあるから
「会津嶺の国をさ遠く・・・・・」とかの万葉集の歌が生れた。
防人は国家によってクニから筑紫とかまでも兵隊として行かされた
その時クニからでて国家を意識したのである。それは防衛のためであり戦争のためである

その時防人に出された人の悲哀を歌ったのが万葉集に残された、その時思ったのは自分の住んでいた故郷、クニであり家族である。親であり妻である。
国家は古代からこのように非情なものなのである。クニとは違ったものであり対外的に国家は意識される、だから国家と戦争は一番密接に関係している
外国の戦争のとき一番国家を意識するからである。
だから太平洋戦争のとき一番国家を意識して国家のために300万人が犠牲となったのである。

 久慈川は 幸くあり待て 潮船に ま楫しじ貫き 我は 帰り来む

久慈川はクニを象徴するものでありその故郷にクニに帰ることこそ望みだった。
でも国家のためにそのクニから引き離されてゆく、
クニとはそれは自然発生的に生れたものであり国家は人為的人工的な要素が大きく働く、だからこそstateというときクニとは別な意味になる。
それは国家というとき民主主義でも社会主義国家でも一つのイデオロギー国家になる
それはロシアの前のソビエト連邦でもそうだし中国でも共産主義国家でありアメリカもまた主義の国家である。それはクニとは違ったものである。countryではないのである。

防人でも戦争に出されたが帰ってゆく場所は久慈川が流れるクニである。川というとき大きな川になるとライン川が父なる川というときクニを象徴するものになる
日本の場合は確かに日本を象徴するものとして富士山がある。それは大きな国の象徴として聳え立つことは確かである。
それは国家と違ったクニ意識となる、ただそうして自然とアイディンティティをもつとき戦争とは相いれないのである。富士が優美であってもそれが戦争とは結びつかない
それより何であれ戦争と自然の美は結びつかない,戦争は何であれ自然をも破壊するからだ。
「心の青雲」では戦争に何か英雄的なものを求めている、それは古典的な英雄であるが現代ではありえないし太平洋戦争でもそこに英雄的なものを見いだせるのかとなると疑問になる。ただ喧嘩両成敗のように日本にも理があった

国家を維持するときそれはシリアでもそうだが国家が喪失すると難民化したりする、すると家族もなにもない、ばらばらになってしまう、流浪の民となる。
それは大陸では陸続きで絶え間なく民族間でも国でも戦争が起きていたからそうなった。ユダヤ民族がそうである。国そのものがなくなってしまうのである。
そうなったら小さなクニも家族もないとなるから国家が最優先になる。

クニというとき故郷的なものがありそこには家族がいて死んだ先祖がいるという場所にもなる。国家というと軍隊があり何か重々しいものになる
ただ一庶民でも外国にゆくと日本人ということ日本国家を意識させられる、だから国家意識は別に平和なときでも外国にいるとき意識させられる、外国人から常に日本人とも見られるからである。一庶民でも日本を代表するようにもなる、それは国内ではそういう意識はもたされないのである。

でも外国だと「あなたのcitizenはどこですか」とかパスポートにも記される

 citizenとは市民である。市が外国では国になっている、もともとギリシャの国家というときポリスであり市のことだからである。中世になるとburgessでありburgは城だか城下町とかなり江戸時代の藩単位のクニだとなる、相馬市民とか会津市民とかなる

ある国、または、別の政治共同体に属する生来の、または、帰化した構成員
(a native or naturalized member of a state or other political community)

国家とは political communityであり政治的結合体という要素が強い、それはローマ帝国ともにている、ローマ帝国はどうしてもあれだけの広い領土を治めるとなると政治的結合体となるからである。そこで法律も重んじられ公正さが求められる。
ローマ法が今でも通用しているのはそのためである。それはアメリカ合衆国ともにているのである。

このことが原発と何の関係があるのかとなるとある。原発は国家防衛の視点から国家的政策として作られたのである。それはアメリカからのおしつけがあったというときもそうである。
核装備のために準備のために備えのために原発が国家にとて必要だということがあった。エネルギー政策は国家的なものになるとしても原発は核武装という備えのために国家的政策としてあった。国家防衛のためだというときそれは戦争とも結びついているのである。国家は対外的に成り立ち戦争と一番結びつくのである。
だからこそ「心の青雲」の著者はそうした国家論を語っている

そして国家はクニを破壊したのが原発事故だったのである。国家的政策として原発が建てられクニが破壊された、そして故郷はクニに住めなくなった。クニは放射能物質に汚染されて肝心の水も飲めなくなり作物を育てる土でも汚染されたのである。
つまり防人の久慈川が幸(さき)くありまてというクニが故郷が消失したのである。
帰る場所がなくなったのである。帰る場所があって遠く筑紫まで兵士として遠征した。
でもその故郷がクニが喪失したときもう帰る場所がなくなったのである。
国家によってクニが故郷が破壊されたのである。
「心の青雲」の著者には他でも都会にはそもそもクニ意識はない、育たない、ビルの谷間では川もなにもない、そのクニがなくて国家がある、そうなるとクニは無視されるのである。
しかし人間の生存の基盤はアイディンティティはクニにある、国家とは別でありそれは自然発生的に生れたものなのである。

第一ヤマトというときそれは狭い範囲の村から発祥していた、それが奈良全体となり国家意識が生れた、それはクニが基であり日本語でもそうしたクニから生れたものである。
文化はクニから生れた、国家にはだから常に非人間的なもの冷酷なものが非情なものがある。それはどこの国家でもそうである。
だから国家により戦争でなくてもクニが犠牲にされるということが今回の原発事故でもあった、ただではそのクニを意識すること、守ることがクニに住んでいる人にあったかというとこれもなかった。
第一クニといっても故郷とといってもそれが何なのか、その大切さを意識してたのかとなると疑問だとなる。

いづれにしろ「幸くありまて」というとき何か待つ場所、待っている人がいないと人間は根なし草にもなる。難民になるとそうである。また家族がいなくなると旅しても待っている人がいないから根なし草のようになるのがわかった。
だから故郷とはクニには誰かが待っているという場所だったということも意識したのである。


国と地方の歴史を見直す (原発は国策であり地域を破壊した)

「心に青雲」の著者の都築氏の病気の回復を願います

思想的には一致しないが共感することが多々あったからです
そこには一貫した主張があったからです

ともかく60代は病気になる人が多い、自分も一時腎不全になって入院したからである。
ただ自分は腎臓の病気ではなかった、一時透析になるとか医者から言われたのである。
腎臓の病気も怖いのである。

posted by 老鶯 at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年03月13日

ネパールの暮らしは一番厳しい (忘れられた昔の暮らしがあるーそこにも学ぶものがある)


ネパールの暮らしは一番厳しい

(忘れられた昔の暮らしがあるーそこにも学ぶものがある)


裸足に慣れている。村などでは、舗装されていない、小石が転がっているでこぼこ道でも平気で裸足で歩いている。気合を入れるときは履物を脱ぐ人も多い。ガイジンが、高価な登山靴を履いてトレッキングをしている中、地元の人はすいすいと裸足やぞうりで山道を移動している。


ネパールの山中をトレッキングすると裸足で歩いている人がいる、裸足だということにびっくりする、インドでも力車の人は暑いのに裸足だった、そうういことが全く日本ではイメージすらできなくなっている

「 信濃路は 今の墾(は)り道 刈りばねに
    足踏ましなむ 沓(くつ)履(は)け我が背 」
                     巻14−3399 作者未詳

沓はけというとき日常的に沓は履いていない時代である。そこは危険な所だから沓をはけとなっている
不思議なのは戦前までは草鞋を使っていた。草鞋を作ることを農家では仕事としていた。夜なべというとき草鞋を作っていたのである。その需要が大きかったからである。
戦前から戦後十年は江戸時代のつづきだったのである。

例えば自分の家では水道がないから近くの井戸ある家から水をもらっていたし燃料は炭だったし鉄砲風呂でバタを燃やしていた、それが子供時代の仕事だった。
そういう生活だったというときそれはネパールとか今の後進国と通じた生活だったのである。
ネパールの山中の生活でも葛尾村のような所での生活とにていたのである。
要するに自給自足で生活する他なかったのである。

ただ自給自足でも塩だけはできない所がありネパールでも命懸けで塩と麦を交換した。
岩塩が山中でとれて麦と交換した物語の映画があった
それを見ていないが塩の道がこの辺でもあるというとき飯館村では山中だから塩がなくしては生活できないということで松川浦から塩の道があった。
塩は貴重であり砂漠では黄金と等価で交換されたとかもある

塩の道で有名なのは松本から糸魚川に出る長い塩の道である。そこには牛繋ぎ石とか牛転がしという地名が残る、その距離は相当に長い、この辺の塩の道とは違うのである。
牛が塩を運んだというとき牛は坂道に強いし山道を行くのには適していた。
牛方宿というのも山中に残っていた。牛を休ませる宿があった。
だからネパールの山中をイメージするのにはいい、ただネパールの山が高く迫ってきて家があんな高い所にあるというときその厳しさは違ったいるが日本にも似たところがあった

人間の弱点は何かというとき常に心もなんでも今に奪われている、人生でも過去は忘れて今がすべてになることなのだ。
こんな便利な生活をしていれば昔の生活が何だったのかイメージすらできなくなる
自分は子供の時代にそうした江戸時代のつづきの生活を経験しているからなんとかイメージできるが忘れてもいるのだ。
そうして現代の生活にすべて心も奪われ現在しか見えなくなるときどうなるのか?
それが原発事故でもわかるように危険なものでもあったとういことなのだ。
どこまでも便利さを追求して原発の危険性も無視するし金があれば何でもいいんだという感覚になる。

そういう昔にもどることは無理でもそういう暮らしがありそういう貧乏でも不便でも人間は生きてきたということを知るべきなのである。
そこに人間生活の原点があるということを知るべきなのである。
それで万葉集はそうした人間の生活の原点を伝えるものであるから貴重なのである。
ただその原始的感覚がなかなか理解できないのは今からしか人間は見ない見えないからである。
それでネパールとか後進国に行ったときかえってそういう人間の原点の生活が現実にあるということに驚くのである。
先進国だと今はどこも同じような暮らしをしている、でもネパールとかなると原始時代にもどったような感覚になるのである。
だから裸足で歩いている人がいることに驚くのである。

ネパールではポールペンをくれとか良く言われる、ボールペンすらない、ノートもないだろう。なぜならそもそもそんな店もないだろう。
ではこれが日本ではどうだったかとなると例えは鉛筆が戦前とかにあったとしても貧乏だから鉛筆が極端に短くなるまで手でつかまえられないくらいまで使っていた。
それだけ鉛筆が貴重だったのである。だからネパールのような生活を日本ですらしていた時代があったが忘れられている
そして物はありあまって捨てているだけだとなる、もったいないというのもなくなった。
だからそうした昔の暮らしを知るにはネパールとかに行けば本当にそういうものがまだ現実としてあることになりタイムスリップすることになるから有意義だとなる
そこに現代の生活と比較して具体的に実感して学ぶものがある。

それはなぜ原発事故があってこの辺がこんな苦労を強いられたのかということの答えがあるともなる
つまりあまりにも贅沢になった結果として過去の生活が忘れられて結果的に土から水から森から生活する基盤となるものがすべて汚染されて住めなくなったという深刻な被害となった。
自給自足の生活をしていれば原発など建てる必要もない、でもその生活は余りにも違ったものとなっていた。そんな暮らしを今になるとイメージもできないのである。
そうして過去を忘れるとき何が起きてくるのか?
今回のような原発でも何でもいい金になればいいとかただひたすら便利な生活を求め金を求めるだけになってしまう。
そして肝心の人間の生活の原点となるものは忘れられてしまう。

馬酔木なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも

栄えたというときそれは原発のようなものによって栄えたのではない、自然の水を利用する、井戸を掘ってその水を飲むことによって栄えた
その水はくめどあかぬかもとなった。
その水は枯れることはないしくめどあかぬものなのである。それは水道の水とも違っているのだ。
結局原発事故で人口流出した町では水道を維持すらできない、馬鹿高い料金を払わないと維持できない、原発補償金もなくなるからそうなる。
原発事故を考えるときこうしたことをこの辺では常に考えるようになった。
そんな過酷な昔にはもどれないにしてもあまりにも贅沢になれて人間の原点の生活が忘れられてしまったのである。
もしもっとその原点の生活の価値を知れば原発に頼るだけの生活ではないものになっていたし別にそんな過酷な生活ではないそれなりに豊かな生活も志向できたと思えるようになったのである。  

一方でまずネパールの山の中から日本に出稼ぎに来たような人はネパールに帰りたくないとなり子供がいれば定住する人も増えているというのもわかる、その生活の差が大きすぎるのである。
これもタイムマシンで全く別な未来の世界に来たともなるからである。
カトマンズとかなると山の上の生活とは違うからその差も大きくはないが山の上の生活津はあまりにも厳しいとなる。
ヤハな人間は生きていけない、でもそういう生活も過去には日本にもあったということを知るべきである。
どこまでいってもたりないたりない、王侯のような生活をしていてもたりないとなっているのが日本でもあり先進国でもある。
そういうことが原発を生む土壌になっているのである。



ネパールの山では電気がない、ソーラーパネルを使っているというのも現代的である。
こういうところだとソーラーパネルの力が発揮される
文明の利器がかえって生きる、先進国ではかえって景観の破壊とか起きる
ソーラーパネルは先進国ではかえって向いていない面もあった。

こういうことはインターネットで調べると今は相当に詳しくなる
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2017年03月12日

南相馬市のユッサで会ったのはネパール人 (人手不足で増える外国人労働者)



南相馬市のユッサで会ったのはネパール人


(人手不足で増える外国人労働者)


ベトナム、ネパール、台湾が急増


国籍別では、中国が最多の約66万6000人で、以下韓国、フィリピン、ブラジル、ベトナムの順(下表)。特にベトナムはこの1年で4万以上も日本在留者が増加した。ネパール、台湾も在留者の伸びが高かった。

    (1)中国     665,847人   (構成比29.8%) (+ 1.7%)
  (2)韓国     457,772人   (構成比20.5%) (− 1.7%)
  (3)フィリピン  229,595人   (構成比10.3%) (+ 5.5%)
  (4)ブ ラ ジル  173,437人   (構成比 7.8%) (− 1.1%)
  (5)ベ ト ナム  146,956人  (構成比 6.6%) (+47.2%)
  (6)ネ パ ール   54,775人  (構成比 2.5%) (+29.4%)
  (7)米国      52,271人  (構成比 2.3%) (+ 2.0%)
  (8)台湾      48,723人  (構成比 2.2%) (+21.2%)
  (9)ペルー     47,721人  (構成比 2.1%) (− 0.5%)
  (10)タイ       45,379人  (構成比 2.0%) (+ 5.3%)

今日ユッサであったのはネパール人だった、色が黒いのでどこの人かと思った。
そしたらネパールだと英語で答えた、ネパール人は英語をしゃべれる、ガイドするときも英語で案内してくれた。
英語がしゃべるというときその国はイギリス帝国に支配されたからである。
マレーシアとかビルマでも今のミャンマーでもそうである。インドとかもそうである。
エジプトでも紙幣がポンドである。だから世界では未だに英語とか通じることでイギリスの支配を感じるのである。
フィリピン人が英語を話すというときアメリカが支配していたからでありイギリスとは関係ない、そしてスペインとかポルトガルが南米を支配した、だからメキシコはスペイン語でありブラジルはポルトガル語である。

今外国人が日本に来てるというときベトナムとネパールが増えたいるというとき本当だと実感した。なぜなら鹿島駅であったのは中国人が連れてきたベトナム人だったのである。連れて来た中国人は日本語をしゃべれるから案内した
今回会ったネパール人は英語をしゃべれる、カトマンズの出身だった。
ということはカトマンズは一番の大都会であり必ずそこから奥地に入る
だからその人は都会人でもある、ただネパールは山の国であり3000メートル級の高地にも人が住んでいて貧しいのである。牛を飼っていたりジャガイモがとれたとかあったがまずあの高い山で何を食べているのかとなる、もう何もできないという感じなのだ。
そんなところで良く生きているなという感じになる。
だから卵までインドから輸入したりしている、リンゴも小さいものを食べたがそれがリンゴなのかとなる、ともかくネパールは最貧国なのである。

その人は所沢からレンタカーで日本の会社の人に連れられて来た人だった、聞いてみると会社は川崎にあり所沢からレンタカーでここまできた、エネルギー館の仕事できた。
そしてその会社ではネパール人を20人くらい雇っているという
その訳はその会社の社長の娘がネパール人と結婚したとか言っていた、それで縁故がありネパール人を雇っている
そしてなぜベトナム人であれネパール人などが今日本で増えているのか?
それは人手不足がそれだけ深刻なのである。
ここではまだ建築関係で人手が必要でありその人手がたりない、それで外国人が入ってくる。

そして注意しなければならないのは中国人が一番多いことはわかる、ここの裁縫関係の会社でもいつも中国人の女性が働いている、でも中国は豊かになっている、まず北京となると日本と物価でもさほどかわりないのである。ある面で日本より中国が豊かになっているのが現実である。
なぜなら満州里とかあんな果てでもトヨタの車をもっているという人がいて裕福な人がいるからだ。だから10年前とか20年前の中国とは余りにも違っているのである。
その時物価は十分の一だったからである。今や新幹線まで走っている時代である。
だからこそ中国は賃金も高くなったから日本の会社でも東南アジアに移している
つまりベトナム人とかネパール人が増えたというとき中国人だけには頼れなくなったからである。
低賃金で雇えるのは東南アジアである、タイも豊かになっているからベトナムとかネパールとかパキスタンとかになる、その辺はまだまだ貧乏であり物価が安いからである。
今度増えてくるのはミャンマー人とかかもしれない

いづれにしろ日本は人手不足が深刻になってきている、この辺でも若い人が流出して人手不足でありもう跡継ぎがいないとか補償金をもらって店をやめたとはいう人もいる
人手不足は医者でも看護師でもそうであり介護士でもそうである。
特にこの辺は原発事故で若い人が流出しているから深刻である、津浪の被災地でも最大の問題は若い人が働き手が流出したから復興できない、いくら防潮堤とか嵩上げの土地を作っても肝心の住む人がいないとなると復興はありえないのである。

ともかくこの辺は沖縄から九州から北海道の人がくるのがめずらしくないのだが外国人もこれだけ多様化して増えているのは田舎では驚きである。
まず今や外国人の旅行者も都会だとあふれているし驚くことではない
ただNHKのテレビで白馬では日本人でスキーする人が集まらないと外国人相手になった。
それはどこでも起きていることである。
そのために女性の主人が英語をしゃべりコミニケーションしていた、その人は別に英語が話せるわけではないがコミニケーションするために覚えたという
そして習字とか外人に教えて好評なのである。
要するに英語でもあくまでも言葉でありコミニケーションの手段である。
だからそういう必要性があれば英語も覚える
ただ高校生がしゃべれないというとき何か外人を特別に意識するからである。
高校生くらいの英語で十分ある程度は通じるのである
ただ自分もそうだったがそういう機会がないしなれていないだけなのである。

これだけ外人が増えてくるとまた英語が重要性を帯びてくる、英語がどうしても共通語になりやすい、何か英語をしゃべるとステータスが高くなる、スペイン語とかだとそうは感じない、だからフィリピン人が英語を話したときフィリピン人は貧乏なんだけど一目置かれるというのも奇妙なのである。
英語をしゃべれる人としゃべれない人で差別ができているのだ。
英語がしゃべれる人はステータスが高くなるのはイギリスが七つの海を支配した時期があったからである。それとアメリカが英語をしゃべるということが大きいのである。
スペインとかポルトガルは小国になっている、英語をしゃべるアメリカは大国だから違っているのだ。

観光でも白馬では高校に国際観光科ができたりするときそれだけ外国人が多いからいかにコミニケーションをするか大事になり英語も実践的に学ばざるを得なくなっている
ただ日本人は英語が苦手である。日本語と英語には何か構造的に根本的に違っていて脳が働かないのだと思う、ただ結局言葉もあくまで人間と人間がコミニケーションするツールでありそれは英語だけとは限らないのである。
英語が優れているからではなく英語がイギリス帝国によって普及したからそうなっているにすぎないのである。
でも英語しゃべれることは損得で考えればグローバル化した世界でますます必要になり得だとなる、だからどうしても英語教育が小学生からやるとかなる

ただ言葉にしても事前に知識があったりすると通じる、どうもわからなかったがカトマンズがハートなんとか言ったときカトマンズがヒンズー教の聖地とかの意味でありヒンズーの寺院が多いからそのことを言ったのかもしれない,つまりそういう知識があれば経験があれば察しがつくことがある。
言葉の前にそうした知識とか経験があることも大事なのである。
ただしゃべるとなると場数を踏むことでありなれなのである。
日本人は相当に英語を学んでいるのだからなれれば話せる
自分も外国にアメリカでも一年でも住んでいたら相当にしゃべれるようになったと思う
その基礎ができていたからである。それを逃したのが失敗だったとなる
もう遂にそれを取り戻す時間がなくなったのである。

結局そうして貴重な機会を取り逃がしているのが人間であり老人になってみんな後悔しているのである。
ヒマラヤだってもっと登ることができた、十回も上ったという人に出会ったからである。だからこれも今や行けないというとき残念だとなる
人間はすぐに年とる、だから何かすべきことをしないとあとで後悔するのである。
だから自分は50歳から外国旅行して本当に良かった、60代になったら介護でどこにも十年間行けなくなったからである。
だからそういうことを考慮していないと後悔することになる
退職してからやりたいことをやると思っても病気になったり介護になったりすることが多いのである、その予定は狂い安いのである、人間は本当に貴重な時間を無駄にしている
これはみなん老人になったとき痛切に否が応でも知るのである。


  
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原発避難者の長期補償の主張の問題 地方創生の正体(山下祐介)が出ていたNHKの「被災地の現状について」議論


原発避難者の長期補償の主張の問題


地方創生の正体(山下祐介)が出ていたNHKの「被災地の現状について」議論


「地方創生の正体」を書いた山下氏の主張はすぐには帰れといっても帰れない、時間をかけて帰還をすすめるべきだという、だから二重の住民票をもち権利をもたせるべきだとか社会的弱者に陥らないために長期に補償すべきだという
この本には自分は共感したが地元の現実になるとまた違っている

南相馬市内でも小高の原発避難者があまりにも様々な手厚い補償をされたのに鹿島区では補償金がわずかしかもらっていないとか不満が大きかった
それより隣の相馬市では六万くらいしかもらっていないからさらに不満が大きかった
そして避難者は何をしているかというと毎日補償金でパチンコだ競馬だとか東京と仙台まで遊びに行っているというのは本当である。

自分は自分の病気と介護で苦しんでいるとき事業に失敗した遠い親戚の人が来たが借金のためにパチンコ屋で働いていたのである。その時避難者はなにもすることがなくパチンコ屋におしかけた、その後避難者はギャンブルであり仮設にいた6年間もそうした生活をししていただけなのである。

ではさらに長期補償したらどうなるのか?そのまままたギャンブルの生活をつづける、本当にその人たちが帰還して故郷を復興する気持ちがあるのか?
若い人はもう移った先で仕事をもく子供は学校にゆき6年もすぎたのである。
時間はたちまちすぎたのである。その時大きく気持ちで何でも変わってしまったのである
国の方針としてまず放射線量で分断させたことが問題だった。小高と原町と鹿島と相馬市で浜通りならほとんど放射線量は変わらないのである。
だから小高を避難区域にしたことが大きな誤りだったのである。
結果的にもう若い人は流出して帰らなくなったからである。
帰ったのは老人だけでありその負担を南相馬市全体で負うほかなくなったからである。

なぜそうんな放射線量で区分けしたのか?そこに国の算段があった。そうして原発事故の被害者を放射線量で分断して一致して国に反対させないよちうにしたのである。
それは飯館村でも起きていた、飯館村ならほとんど放射線量が同じなのである。
そこでも放射線量で補償金の額の違いがあった、これも国が村として一致させないように放射線量で分断したとなる、分割して治めよという手法だった。

避難解除して無理やり帰らせるのは国では補償金をこれ以上払いたくない、国民の意向でもそうである。そして問題は避難した人がギャンブラーになったとかなっていることである。何もすることがなくそうなった。
それが回りの人の顰蹙をかっているし自分のようにその人だけではないが実害を受けている人もいたのである。
その問題を指摘しないのは山下氏の主張にも問題あるなと議論で感じた

確かに避難解除して一年くらいで補償金を打ち切られることはそうした人たちが社会的弱者となり今度は県とか市町村でそれを引き受けねばならない、すでに南相馬市では小高が負担になる、帰ったのは老人がほんとんどであり病院であれ福祉であれ負担になるだけだとなる、生産的活動をする若い人は流出したからである。
他の津浪の被害地でもインフラの整備はしても肝心の住む人が帰らない、若い人が流出したことが最大の問題だったのである。

ともかくいつまでも補償は国でできない、どこかで時間を決めて打ち切る他ないとういのも国の主張としてわかる、でもだらだらといつまで補償するのだということもまた困る
その反発が実際は大きいのである。
そのことも原発避難者は苦しいとしても自覚するべきだがただそういうと怒るだけでありお前は苦しい人をみて非難して楽しいかとなるだけであり、一体感は失われたのである。
飯館村でも分断されたのは意外だった、結局原発事故は家族でも地域でもばらばらにしたというが本当にそうだった
若い世代と老人世代はばらばらになり地域の連帯もばらばらになりいがみあうようなったそのことが精神的に一体感がなくなり復興できなくさせている要因にもなる

NHKでは影の部分は報道しない、テレビでは影の部分は報道しない
でもそれを報道しないと真実はわからないし誤ったものとして全国でも受け取られるのである。
だから山下氏の意見には共感があったが長期補償とか時間をかけて復興させるとかなるがいつまで補償するのだ、あと何年なのだ、その間避難者はギャンブルで遊ばせるだけなのかともなる
それより原発避難者は老人が多いから国で補償しろとなる、実際に小高の人たちはテレビでそれを主張していたからである。すると原発避難者が特別恵まれた特権を得たとなるのである。別にその人たちにとって故郷の復興より年金とかで補償される方がいいのである長期補償とは死ぬまで補償される方がいいとなるのだ。
長期補償にはそうした危険性がある、復興に結びつくとは限らないのである。

ただこの問題は深刻だから時間をかけねばできないということも言える、急いでやれとしてもできないことがある。でもまたそれが補償金をもらうということと結びつくと問題が生じる、それは南相馬市内でも反発が大きいからである。
国民の反発も大きい、いつまで補償金もらっているんだとかなる
だからその点が議論されなかったのは不満だったのである。

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2017年03月11日

シリーズ東日本大震災避難指示“一斉解除” 〜福島でいま何が〜を見て


シリーズ東日本大震災避難指示“一斉解除”

〜福島でいま何が〜を見て


飯館村でもそうだが分断された、それはもう住めないから補償金をもっともらい村には住まないという組と菅野村長は村に住みつづける人を優先的に考える
菅野村長の考え方は原発事故の時、村人が避難すると村が崩壊するということに危機感をもち避難させなかったのである。
ここから酪農の友達だった人とも分断されて合わなくなった。
飯館村には飯館村の事情がある。やはり一番の問題は放射線量が高いことである。
避難困難区域の近くの蕨平でまだ除染しても2シーベルト以上あった。
2以上になると今では高いとなる、山側の森は3以上あるといっていたが自分も計った時そうだった。そもそも庭とか平地を除染しても飯館村は山が7割以上なのだから山や森を除染しないかぎり減らないのである。一時しのぎに除染しているだけなのである。

だから反村長派の言い分もわかる、そんな無駄な除染するより一億円でもいいから補償金をもらった方がいいという意見である。
実際に除染するだけで一億円の金がかかっていた、家の裏の木を切ったりするとそうなった。
飯館村でも補償金が高い処とで額が違ってもめた分断された、これも国の方針であり国がむしろ村民を分断させるためだったのかともなる、それは南相馬市でも小高のことで分断された。飯館村全体で一つになるより国が分断させたのである。
それは南相馬市でもあったことであり飯館村でもあった。それは国によって成されたともなる。
飯館村の問題は放射線量がもともと高かった、佐須ではホットスポットがあり泥が20マイクロシーベルとあったのだ。それには自分も恐怖した。
なぜならその泥がやがて真野ダムに流れて真野川から下流の南相馬市でも鹿島区でも流れてくる、そのダムの水は相馬市でも利用しているからだ。

だから飯館村の問題は飯館村だけではない、南相馬市にも影響しているし相馬市にも影響しているのである。
だからもう住めないのだから一億円でも補償金をもらって他に移り住んだ方がいいという意見もわかるがまたそうなると人が住まないとそこが荒地になり今度は何に利用するかとなるとすでにソーラーパネルが作られ景観は破壊され森が破壊されて災害が起きるとそこに住む人が反対していることでもわかる。
それは飯館村だけの問題ではないのである。現実にフレコンバックから放射性物質をふくんだ泥が川に流れだしていたからである。
そしてそうして荒地になる、人が住まないとどうなるのか?
そこは国の管理化になり放射性物質の処理場などにされるのである。
住民はそうして補償金をもらえばいいとかなる、それもまた問題なのである。

NHKでは飯館村の問題を飯館村に限ったものとしてしか報道していなかった。
実は南相馬市とも相馬市とも密接に関係していた問題である。
その視点が欠けていたのである。ただ今回は公平に報道していた感じはする
どっちに味方しているとも見えてない
南相馬市などの原発避難者については明らかに原発避難者側にたつ報道だった。
要するに飯館村が二つに分断されたように南相馬市でも補償金で分断された事実があるし他にもある。その分断されたことを隠して原発避難者側にのみ立って報道していた。
原発避難者に文句は言うな、かわいそうのだから言うなという方針をもち放送していたのである。

いづれにしろ復興というとき市町村の復興というとき津浪被害地なら津浪の被害を受けた市町村の復興である。
原発事故の場合は何か違っている、もう放射線の被害で住めないから戻れないとなる。
だから復興を飯館村のような酪農とか牛を飼う村では仕事もできないからあきらめて補償金をもらって他に移り住む組と村に残り生活する人とに分断されたのである。
村長はなんとか村にひきとどめようと学校を新しく作ったり住宅を作ったりインフラを整備している。でも村長の孫自体がその学校に入らないと批判されているのである。
前は村長は福島市にマンションを買ったなどということを言う人がいたが夫婦で普通の住宅に住んでいる、ただそれがどういうものなのかわからない。
福島市に拠点をもち飯館村に帰れというのも矛盾したと思っていたが今はどうなるのかわからない、NHKではマスコミでは何か裏のことは報道しないからである。

飯館村だけではない、なぜ避難区域となり一旦避難した人は避難解除になっても他でも楢葉でも富岡でも南相馬市なら小高でも帰るのは一割程度でありそれも老人だけなのである小高はまだ南相馬市のガバナンスがあり他とはまた違っている、他では水道とかインフラも補償金が払われないと維持できなくなる、人口が極端に減ったから水道料金も一割に減ったらもう維持できない、それはまさに限界集落化しているのである。
インフラを維持できなくなるのだ。それで水道料金が一万になるとか馬鹿高くなりる公共サービスも受けられなくなる、ただこういうときもし自給自足の生活だったら別に山の清水を飲み山の木を燃料としたり炭を使って自給できたのである。
今はそうはいかいならかもう限界集落化するとその地域は消滅する

だから合併を考えているというのもわかま、一つの町や村でももうガバナンスが機能しない、自治体が成り立たなくなっているからだ。
小高はまだ南相馬市としてのガバナンスが機能しているので救われている
でも南相馬市でも小高は負担になっているからみんな帰って仕事をして村を復興させてくれとしているが帰るのは一割にもみたないし老人がほとんどなのである。
ただ4月に小高工業とかが再開すると多少活気がもどってくる、300人くらい生徒がいるし原町とか鹿島や相馬市からも工業専門だから通う人がいるからである。300人は結構多いなと思ったからだ。それも若い人たちだから老人とは違うから活気が多少もどると思ったのである。

津浪でも原発事故でも人口流出が一番の問題だった。やはり市町村というのは一定の人口がないと成り立たなくなる、そして少子高齢化も打撃に拍車をかけた、何かNHKのメッセージをよせていたのは若くても40代でありほとんど60以上の人たちである。
60代になると将来のことを考えるどうせ後何年か生きるだけだとかなるからである。
そして仮設に暮らして6年間すぎたら津浪の被害地では原発事故の被害地と違って補償金がでないから家を建てる気力もなくなったというのもわかる
仮設でもいいとかなる、そういうものだとかともなってくる
その気持ちも老人だとわかる、自分ももうかえって大きな家が負担になっていることでもわかる、老人はいろいろなものをもつことでも負担になるのである。
だから金ものないに家を建てるというのは容易ではないとなる

そういう少子高齢化の影響は今回は相当復興の足かせになったことは確かである。
なぜなら戦後焼け野原になったとき子供が多かった、それが今の団塊の世代なのである。その子供の多いということが日本にとって復興となったのである。
集団就職とかでも田舎から東京に労働力を供給できたからである。
それで高度成長となり日本は復興したからである。
でも今はその団塊の世代も老人となり負の存在となり社会の負担となってゆくとき日本社自体が衰退になってゆくのである。
この少子高齢化が今回の津浪であれ原発事故であれ復興がすすまない最大の要因だともなる

ともかく飯館村でも避難解除するというとき国ではこれ以上を補償金を出したくないから避難解除する、国民でもこんな莫大な補償金を廃炉の金を使うことに賛成したくないからである。ただ国民にしてもこれだけの金が税金が廃炉にはかかる、原発事故が起きたら致命的となり国さえ傾くのだということを自覚すべきである。
原発それだけ他の事業とは違った国家さえ傾けさせるものだったということを自覚すべきだったのである。


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今日の南相馬市鹿島区(薪ストーブの家)


今日の南相馬市鹿島区(薪ストーブの家) 

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ここが五六軒が空家になり空き地化している、街の真ん中なのである。



今日の鹿島駅ではない、鹿島区である。自分は毎日鹿島区内を行ったり来たりしている、前から注目していたのが薪を積んである家である。
街中にどうして薪を積んでストーブに使用しているのか?
それが今日薪を積んだ軽トラックの人がいたので聞いてみた

「これも燃やしているんですか」
「そうです」
「いろいろな木があるみたいですね」
「ナラとかケヤキとかあります」
「木によって燃え方は違うでしょう」
「そうですね、杉の木は燃えやすくてだめです」
「燃やしても長持ちしないとやはり薪の場合はまずい」
「堅いのいいです」
「これだけのものを集めるのは大変でしょう」
「これはもらったものでありいらなくなったものです、家の柱などには使わないものですこれは象の置物です、外材も多いです、何か燃やしてくれと頼まれることがあります」
「自分も子供の頃゛バタをとりにいってて鉄砲風呂で風呂たくのが仕事でした」
「そういう時代もありましたね」
「薪でストーブはあたたかさが違うでしょう」
「そうですね、部屋全体があたたまります」
「それにしてもこれだけの薪を割ったりそろえるのは大変だな」
「あそこにも薪を貯える場所を作ったんですよ」
「そんなに薪が必要になるのか」

現代生活に合った薪ストーブ選び

何軒か街中でも薪ストーブをしている家がある。これも今では相当な贅沢である。
これをしているのは倉庫になったような所であり暮らしているのは別な所だった。
薪ストーブというとき冬を楽しむにはいい、エアコンよりぽかぽか体全体が家全体があたたまる感じだからである。
田舎では囲炉裏があり一日燃やしていた、その囲炉裏の側で寝ていたのである。

薪を積んだ家というとき栃窪村などにもあり場所としてはいかにも山の村としてあっている。

栃窪に薪積む家や冬籠もり

こんな感覚になるが街中だとなにかそういう感じはないしこの辺は特別寒い所ではないから必要でもない、やはり寒い山国だとあっている。

この薪積む家の人と話して次ぎに知っている人の畑を見に行った。イヌフグリの根っこをとっていたた。その根っこが細かく張っている、だからそれをとるのが苦労なのである。荒地になったところにイヌフグリが一面に咲いてきれいだと思ったがこれが畑として作物を植えるのには苦労なのである。
その畑に毎日行っている人は畑の話をする、でもイヌフグリが花であり春の季語でありその花の名前も知らないのである。
花を活けるのだが畑でとれた地元の花は長持ちする、でも一旦冷蔵庫に入れた花は長持ちしないという、そういうことに詳しい、野菜作りと花は植物だからにている。
土作りも花の場合も必要なのである。

自分の場合はイヌフグリというとき春を告げる花としてしか見ていなかったのである。
農業するものにとってこうしたものが実際は草にすぎず邪魔者になっているだけだとなるその近くに畑まで歩いてもこれない老人が畑で作業している。もう歩くのもやっとなのである。それで娘が車で迎えに帰るのである。それほどまでして畑をやるのかとなる。
この辺は回りが荒地化しているのだ。それが何か影響してくる
前はこういうことがなかった。その知っている人は一年で千円で土地を借りて野菜作りしている。
ただほんのわずかのものしかとれない、一回トマト数個もらっただけである。
そして苦労話は百倍しているだけなのである。
鳥に食われた、盗まれたなんだかんだと苦労話だけなのである。

その次は買い物でスーパーに行った、新しいのが一軒できたので便利になった。
そこに売っていたのがイスラエル産の果物である。
イスラエルからも果物が来ているのか?それがいぶかったが自分はイスラエルに行ったことがありキリストの生まれたナザレにも行った、イスラエルで誤解しているのはあそこは砂漠であり土地が肥えていない、それで入植して人工的に潅漑などして果物などを作ってたいる、グレープフレーツの品種改良したものである。


スウィーティーはアメリカではオロブロンコ(Oroblanco)と呼ばれているもので、1958年にカリフォルニア州のカリフォルニア大学リバーサイド校柑橘類研究所においてグレープフルーツ とポメロ(文旦の一種)を交配し生まれた品種です。この時に姉妹品種の「メロゴールド」も生まれています。

オロブロンコというのも売っていた。ただイスラエルから輸入されているとういのは意外だったのである。それだけ本当に田舎でも国際化したグローバル化経済の中にある。
田舎といっても昔の田舎とは違うのである。田舎的なものは残っていても自給自足の田舎などどこにもない、どこでも山の中でもグローバル化経済の中にあるから金がないと生活できないのである。

なんか自分は母を介護したときは淋しさを感じなかった、絶えず母に注意していなければならなかった、だから精神的余裕がなかった。外に注意を向けることができなかった。
そして大きな家に一人になったとき感じたことは何かからんとした所に一人いることが普通ではない、淋しいと感じるようになった
それで人恋しくなる、それで駅とかに言って話しかけたりする、今までは家に人がいれば淋しいとういことは感じなかったのである。
それで一人暮らしになった人がお前は介護していても家に人がいるからいいと言っていたその人も妻を失い大きな家に一人でいるようになったからである。
だから一人暮らしになるということがどういうことなのかこれも経験しないとわからない
もう一カ所は街中に空家が四五軒まとまってあり空き地化したところを毎日通る、そこには公園もあるが老人が出てきたので聞いてみた。

「ここには空家が多いな、どこに行ったんですか」
「町内に移動しただけです」
「町からでたわけではなかった」
「あそこも空家なんです」
「あそこは空家に見えないな」
「私も一人で暮らしているんです」
「自分もそうですが・・そういう人が増えたよ」

あそこは別に他の市町村に出た人ではない、そういうことが多いから聞いてみたがかえって金があるから新し場所に家を建てたとなると余裕があったとなる
この辺では震災以後新しい街が三つくらいできたくらい新しい家ができたからである。
鹿島区は人口は減らないのである。人口が減るとやはり全体の影響が大きくなる

いづれにしろ自分は小さな範囲で介護以来生活している、でもそこからも世界は見える
つまり田舎でもいかにグローバル化経済の中にありまねがれないということである。
だからとても昔の自給自足の田舎とは余りにも違いすぎる
イスラエルの果物が輸入されているというのもそうである。そういうことは外人が入ってこなくてもそうでありそういう世界に田舎でも組み入れられているのである。
カナダのトロントから鹿島区に住んでいるフィリピン人の母親を頼りきた息子がいたりとそういう世界に田舎もなっているのである。
そして自分がカナダの国債を買って損したというのもそうである。
そういうことは田舎だってあるしグローバル化経済からどこでもまねがれない社会に生活しているのである。アフリカの奥地でもドルが通用するとなるとそうである。
そこで「ワンドーラー」をくれとかロバに乗った子供が叫んでいるのが現代のグローバル化経済社会なのである。
原発事故だってグローバル化経済とか社会とか世界的なものでありそれが事故となり問題化したのである。原発の是非は世界的な問題でありそれでフクシマが有名になったのである。

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国と地方の歴史を見直す (原発は国策であり地域を破壊した)


国と地方の歴史を見直す


(原発は国策であり地域を破壊した)


● 国と地方の歴史

国と地方の問題は人間の歴史がはじまってからある問題である。
もともとクニというのが一つのアイディンティティを育む単位になっていた
それは自然発生的なものでありだから自然と深く関係してアイディンティティ化したのがクニである。

会津嶺の国をさ遠み逢はな はば思ひにせもと紐結ばさね

この万葉集の歌の会津はクニでありこれはすでに大きなクニの感覚である。クニの前にサトとかムラとかがある。ムラは群れるからきてきるから人が群れるだけではクニにはならない、何か一つの連合体ができたときクニになる。
それは外国でも同じである。countryはクニのことだからである。

ここで注意しなければならないのはクニと国家は別物なのである。クニは自然発生的に生れたアイディンティティをもつものである。だからこそ文化的歴史的なものに根ざしている、歴史より文化に根ざしている、cultureはcultivate(耕す)から来ているからである。その土地に根付いて耕したものが文化だからである。

だから自然発生的に生れたのがクニであり何か親しみがある。方言では訛りでクニがわかるというとき方言はやはり文化的なものでありその土地に根ざして生れたものだからそうなる、だからクニに根ざしてこそ文化があり人間的なものとなる
国家というときそれはクニとは別物である。国家には非人間的なものがありまた仰々しいとういか威厳あるものとなる、英語だとstateなのである。
それは威厳あるものでありcountryとは全然違う、countryは田舎でもあるからだ。

ただ国家でも日本ならもともとヤマト朝廷というときヤマトという山戸という一地域のことである。それが拡大して日本になったのである。
だから奈良という地域に最初の国家をが形成されたとき

大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し

青垣山とはまさね山が垣根としてある、山に区切られたものとしてクニのまほろばがあるとなる。日本は山国だから山で区切られる、盆地のような処をクニとして意識していたのである。
このクニの感覚は封建時代まで江戸時代までつづいたしその後もつづいている。
封建時代もその土地に根ざしているから自然発生的国の意識になる。
だから江戸時代までは多様なクニがあった、それは自然条件でもそうなったのである。

●原発は国家と地方自治の問題を浮き彫りにした

原発というのはこれはクニとしてあるもののなかに地方の自治体に国家が深く関与していた。なぜなら原発は国策でありそれはまたアメリカの強制としても日本に押しつけられたという側面があるからだ。
核戦略として原発を維持しなければならないとか日本の技術力を維持するために原発が必要だとかあったからである。
クニというより国家的意識が強く打ち出されたものだった。
東電でもあれだけ巨大な会社でも国の支援がなければ原発は建てられなかったからであるだからこれだけの20兆円もその後始末にかかるということに驚いた。その補償金の額にも驚いたのである。そんなに補償できるのかともなる
それは国策だったからできたのである。国家的事業としての原発だったのである。
国家がかかわるからこそこれだけの巨大事業が成される、補償もされたということである

でもそれだからこそクニという一つの自然発生的アイディンティティ化されたものは大規模に破壊されたのである。国家が対外的に生れた、外国の驚異、外国に攻められるという驚異から生れたというとき戦争になり戦争は最大の国家的事業でありそのためにこそ300百万人も国家のために死んだのである。
国家なければ家族もない地方もない、クニもない、ムラもないとなる、国家がなければ国の存亡がかかるときそれだけの人が国家のために死なねばならなかったのである
原発は確かにエネルギー政策としてある。でも火力発電所でもいいのだし他にもエネルギーが求められる、でも核戦略がありアメリカの意向もあり原発が作られたのである。
それは国家の政策であり一企業が利益を出すというのでもなかった
そこに原発の特殊性があったのである。

地方と国の関係はそれは人間の歴史がはじまってからある。原始時代になればクマ族だとサル族だとかイヌ族だとかトーテムがあり種族がありやがてそうした種族の統一の象徴としてトーテムポールが生れた。クニとクニの争いはどこでも常にあった。
それを統合するのがまた大きなクニである。会津はそうした大きなクニとして意識された領域だったのである。それは江戸時代でもそうであり今にも継続されるクニなのである。クニは自然と風土と一体化しているから文化的なものとしてアイディンティティ化している、国家は必ずしもそうはならない、だからアメリカとか中国とかロシアとかになるとその国が巨大になるから法治国家とか主義の国家とかなる。
民主主義と社会主義が違うようでもやはり一つのイデオロギーで国家を作るのはにている自然発生的国家ではない、だから何か人間的なものを逸脱してくる、それは戦争になることでわかる。戦争のとき一番国家を意識するからである。

●国策の原発により破壊された地方自治体

結局この国策により地方自治体は破壊された、復興でも防潮堤とか道路とかソーラーパネル事業でもそれが住民にとっていいものというよりは公共事業のようになされていて実際の住民の復興にはつながっていない、住民の自主性がないやはり国策としての押しつけだと「地方創生の正体」では指摘している。
この本では昔のなつかしいクニという意識を基本的にベースにしているのである。
そこが自分も共感するのである。自分も相馬藩というクニの中でも自然発生的クニとしてのアイディンティティを追求してきたからである。
それはその土地の山でも樹でも石でも川でも海でも一体化したものとしてのアイディンティティの形成なのである。

そういうものが国策によりやはり原発事故のあとも破壊されているのである。
もちろん白砂松原の景観は人工的なものだと津浪で意識した。景観を破壊したのは自然自身でもあったという驚きである。
ただ松原も人工的なものだったから自然が破壊したともなる
元の自然にもどったともなる、それが馬鹿高い防潮堤を建てたり何か巨大な公共事業で景観が破壊されたし不自然なものとなる、ソーラーパネル事業でも景観が破壊されるだけではない、飯館村で反対運動が起きたように災害の要因にもなる
自分は何か景観にこだわる、なぜかというと日々そこに生活しているからそうなる
それで屋形の処が土をとってむきだしになったのを毎日見ていると嫌になった。
それは馬鹿高い防潮堤を見ていたら嫌になるだろう。本当にそんなものが必要だったのかともなる、それは不必要な国策による公共事業だったのかともなる
それで女川は防潮堤を作らない街作りをしたのである。
それでも人口流出が大きいからいかに復興が困難なのかわかる

この辺でも人口流出があり小高でも浪江でももう避難した人は10パーセントくらいしか帰らないのである。浪江でも廃炉事業のための宿泊施設の街として復興させるというときそれが町なのか?廃炉事業が終われば生活の糧がなくなり町が消滅する
廃炉事業だけに特化されたものが町なのかとなる。
町であれ村であれ千年とか継続してきたし継続するのが町であれ村であり市なのである。だから昔のクニの復興が問題である。それはやはり漁業でも農業でも林業でも総合的な場としてのクニの復活が必要になる。
国家からのおしつけとしての事業には問題があるとしたとき自分もそう思う
またガバナンスがなくなったというとき小さいコミニュティなど村とか部落でもその上の町とかのガバナンスが自治体が喪失すると維持できないとも言うのもわかる
小高はまだ南相馬市のガバナンスがあるが浪江とか双葉とか大熊や富岡でももう失っている

これも結局現代の社会が広域化しているグローバル化している、田舎でもそうである
村が自給自足していた時代とは余りにも違うのである。
その結果として国家とか巨大会社とかが田舎にもかかわっている
炭焼きでエネルギーを供給していたとき中央の国家にも頼らない自給自足の生活していたから都会でどういう生活をしようと自分たちには関係ないとしていたのである。
そういう生活ができていたのである。

富めりとも翁の身には知らざらん木の間のけむり絶えずのぼりて 大和田建樹

富んでいる都会のことなど知らないことだ、炭焼きの煙は絶えずのぼりここに自足した生活があるとなっていた。
この時代とあまりにも違う社会になったからこそこういう問題が起きた。
でも人間は過去には戻れない、過去は参考になってもでは未来はやはり別な未来を志向する、だからエネルギーだとソーラーパネルとかなったり風力とか志向したりする
でもそれもまた自然破壊であり同じことの繰り返しだなともなる
いづれにしろその土地から自主的にわきあがるものがないと復興はできない、国家頼りではできないというときそもそもクニの形成とは何なのか?
そういう根源的な問題も問われているからむずかしいとなる


タグ:国と地方
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2017年03月10日

今日の鹿島駅 (カナダに住んでいるフィリンピン人の若者?)


今日の鹿島駅

(カナダに住んでいるフィリンピン人の若者?)


今日あった若者はなんかわかりにくかった、フィリピン人であり母親が鹿島に住んでいるという。
父親というとわからない、母親が住んでいるからカナダから来た。
でもその若者は15年間カナダに住んでいてカナダで育った、国籍はフィリピンなのかもしれない。カナダに住んでいるという

カナダのどこと聞いたらアトランタだという、でもアトランタはカナダだと思ったがアメリカだった。ただアトランタ航空でカナダに入ることがある
その航空の利用を言ったの?でも何度も自分はカナダに住んでいると言ったのである。
なんかこの辺が不可解になる。
どうもアトランタをトロントと間違いたらしい

ただ間違いなく鹿島区に母親が住んでいて来たことは確かである。
名取にビリヤードに行くと言っていた、これも何なのだろうと思う
なぜカナダに住んでいるとい言ったのか?
やはりアトランタとトロントを間違えたとしか思えない

英語がしゃべれるからアメリカでもカナダでも住める、この人は良くわからなかった。
前にはアメリカの英語の先生がいた、一番感心したのは日本語を流暢に話す中国人だった元の満州の吉林省から来た人だった、三年間いて流暢に日本語を話すようになっていたから驚きである。

田舎でも今や広域化して国際化しているのだ、まず中国人はどこにでもいて働いている
それから出稼ぎ者がこの辺では来ている、この前はベトナム人は中国人に連れられて工事現場に日本人が車で連れて行った。その中国人は日本語を話すことできたのである。
中国人はどこにでもこうしている

東北サッシの社長が神奈川に住んでいて見送りしたとかいかに田舎でも広域社会で国際化社会になっている、その若者の母親がフィリピン人だということは農家に嫁いだのとも違う、水商売関係の人なのか?フィリピン人関係は多いからである。
仮設に住んでいる小高の人がフィリピン人の女性を連れ込んでいたとか聞いた
なんかこれももしかしたらつながりがあったら奇妙だとなる

毎日駅に行っているがここ三日くらいは風で遅れていない、でも風は多少吹いている
本当に田舎の小さな駅でもこれだけの多様な人が出入りしていることには驚いた。
レンタカーで駅に来た人は鹿島から仙台に嫁いだ女性がいて実家に帰ってきた
子供もいた。この人は別に鉄道を利用して来たのではない
駅を駐車場として利用していたのである。そういう人に何人かあった
福島市から仕事に来た人もいた、レンタカーを利用していた。
タクシーで来た人もいた、つまり駅は車の人も駐車場として利用しているのである。
ただ鹿島の駅の駐車場は狭い、駐車場を広くしていればもっと人が集まる場所になる
新地とか山下駅前は駐車場を広く作ったから鉄道利用しない人でも集まり安くなったのである。
特に山下駅はすでにキクチスーパーができたから余計に集まり安くなった。

フィリピン人の若者はセブンエレブンがないとか聞いたから近くにあると教えた、橋をわたってすぐだと教えた、途中のキクチスーパに寄って買物した。
待ち合わせ時間が一時間くらいあったからである。
鹿島駅前には何もないことが問題なのである。前にもそういうことがあった。
お土産は六号線の香の蔵で買う人がいたが駅からは遠いのが問題なのである。
まあ、キクチスーパまではそれほど遠くないといえばそうだが電車の待ち合わせ時間はそんなに長くはない、するとどうしても何か買う店が必要になるのである。
でも鹿島は小さいから何もないのである。相馬市と原町駅前にはある
ただ毎日行っていると待ち合わせする時間をもてあます人がいる
何か買いたい人もいるがそれがないのである。

来日フィリピン人の変遷と現状

フィリピン人は人口の約一割が海外で働いている、移民の国である。
アメリカとかカナダにも多い、英語がしゃべれる国だと移民しやすいのである。
ただフィリピン人でも英語をしゃべるれ人は少ないという。

フィリピン人が英語をしゃべれこる訳

英語が身につく環境が実際の生活の中であるからである。
日本だといくら英語を習ってもそれを使う環境がないから英語ができないのである。
自分も日本にいたらほとんど英語はしゃべらない
必要ないからそうなっている、旅行で使う英語は限られている
だから海外旅行したくらいで英語を使うとしても深くコミニケーションする英語は使えないのである

抽象画(京都の紋様) pattern in Kyoto city


抽象画(京都の紋様)


pattern in Kyoto city


日本の京都をイメージした紋様です、京都は日本で千年つづいた都です

Kyoto that is the pattern which imaged Kyoto, Japan is the capital which followed in Japan for 1,000 years


kkkkyyyl1.jpg

kkkkyyyl122.jpg

old capital of kyoto

patternnn12222.jpg

patternnn1.jpg

patternnn12222333.jpg


lakesunnn1.jpg
Style of painting of Monet

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posted by 老鶯 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2017年03月09日

地方創生の正体(山下祐介、金井利之)を読む (国家と科学技術の編の解読)


地方創生の正体(山下祐介、金井利之)を読む

(国家と科学技術の編の解読)


この本はかなり原発事故で起きたことを深く考察して書いている。
ここで起きたことは本当に様々な問題がありだから地方自治体とかが何なのかとか故郷はなにのかとか問われた。
市町村の関係と県との関係や国との関係、東電の関係である。
これが複雑にからみあった問題だったのである。
そして科学技術というのも問題になった。それを多角的に検討している
だから自分が追求してきたものと同じだと共感した。
ただいろいろあるのでこれは検討に値する

科学技術と政治権力とかの関係を説いていることも興味深い
それは自分も追求してきたことである。
基本的にはいろいろあっても科学技術と政治権力が結びついて一体化して原発が建てられ事故を起こしたのである。
要するにテクノクラート支配の崩壊だったのである。
事故が絶対に起きないとしてテクノクラートが原発を建てて事故を起こしたからである。

権力志向の技術者は科学技術を脱ぎ捨てられません、すると結局、すべての人は科学技術に縛られるわけです,科学技術はあたかも自身が権力体のように為政者や技術者も制御し為政者や技術者も制御し、゛為政者や技術者は科学技術を制御できなくなってきます
(国家と科学技術)

科学技術は現代文明を作った、科学技術は現代の信仰であり宗教なのである。
科学技術者が現代の信仰でありそれにたずさわる学者や技術者が神官なのである。
専門家が現代の神官でありリーダーである。でもそこに落とし穴があった。
科学技術を操作するのは人間でありその人間が万能でないから事故も起きる
巨大な複雑な原発のようなものの操作しているが操作しきれずに自壊してゆく
そもそも原発を操作する能力が人間には科学の専門家にもなかった

でも科学技術は信仰であり大衆も核のことなどわからない、そのわからないことをいいことに科学技術で大衆を支配するものとなる
今になると以前として福島産の食品が売れていない、安全だと言っても信用されないのは科学技術者も嘘をつくといことで信用できなくなったのである。
あれほど安全だといっていたのに事故が起きたからである。
科学技術は信用をなくしてしまったのである。学者も技術者も信用をなくしてしまったのである。その影響は計りしれないものがあった。
いくら検査していても安全だといっても信用されないのである。

つまりバベルの塔のように人間の業は崩壊する、原発事故ではそうだった。天まで達するようなバベルの塔の奢りは砕かれたのである。
結局人間の成すこと科学技術には限界があることを知るべきなのである。
絶対に事故が起きないということは絶対に言えないことなのである。
人間は自然でも何でも神のように知ることができないからである。
もし知ったならまさに人間は神となる、でもそれはできないから限界がある
その人間の限界をわきまえないと今回のようなとりかえしのつかない事故になる

文明自体はそういう科学技術の限界で崩壊する、マヤ文明も高度な科学技術の知識をもっていた、天文学の知識をもっていた。それも最後にはその知もゆきづまり世界が何年に滅びるとかカルト的なものとなり崩壊した、
人間の知の限界から滅びたのである。科学技術も極端に押し進めるとカルト的なもの怪しい宗教になってしまう。そこに科学の限界がある。
世界が崩壊する日にちまでマヤ文明では割り出していてそれが現代人がおびえたというのもまた同じである。
世界が滅びるとしてもいつ滅びるからは神のみぞ知るからである。

要するに政府とか東電とかが絶対に事故は起きない、数学の確率で計算したら百万年に一回し事故が起こる確率だと真面目に科学者が言っていたのである。
どんな計算をしたのかわからないがそれを真に受けた人もいるだろう。
その科学自体がカルト宗教のようになっていたのである。
安全神話でもそうである。日本では事故は起きないという神話まで形成されたのである。それがもろくも一挙に崩壊した、科学技術者の専門家は信用できないとなったのである。
この本は原発事故とか原発避難者とか国家とか地方自治体の関係とかを追求しているので自分が追求したことと一致するので順次検討してゆきます

posted by 老鶯 at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年03月08日

50年あった東北サッシを思い(詩) (工場も郷土史になる)


50年あった東北サッシを思い(詩)


(工場も郷土史になる)


桜田山に
東北サッシありて
50年は過ぎしも
今日神奈川の社長を
鹿島駅に見送りぬ
そこに働く人も老いにけり
春なれどもなお寒しも
風花の舞いにつつ
東北の風の冷たし
我は今日も見送り
駅に電車を待ちぬ
同輩もみな老いゆくや
すでに死す人も病になる人も
この駅の建てられしは明治30年
歴史をここに刻むかな

東北サッシは桜田山にあったからなじみがある。他に工場があったがつぶれた。
それを長い間見ていた、ただつくづく50年とかあること自体が何であれ歴史になったと思う、会社でもやはり長くあればそれが歴史となる、郷土史にもなる
人生50年となるからそれだけの長い間故郷にあったことが歴史になる

すでにその人も退職する年齢だというときそうである。白髪も多いから同じである。
その工場にその歳まで働いていたということが重みになる
工事でも人間はそこで働いているということは愛着が生れる
50以上の人が癌になり死ぬということを意識したとき工場で一緒に働いていた人とまた会いたいとか働きたいというのもわかる
工場でも長くいればそこの人でも仲間となり愛着が生れるのである。

鹿島駅は明治30年に建てられたのである。それは相当に古い、蒸気機関車の時代もありそれを自分は経験している、その前からも走っていた、ただ戦前はどうだったのかとかその歴史が今一つわかりにくい、原町駅には蒸気機関車の方向を転換する場があった。
原ノ町駅は明治になりできて原町が相馬市より発展したのである。
その原動力となったのが蒸気機関車であり駅だったのである。
その時森林鉄道も全国にあり東京に木材などを運んだからである。
常磐線は常磐炭鉱があり石炭を運んだ、小樽なども石炭を運ぶために作られた。
石炭を運ぶために作られたのが鉄道である。貨物列車の方が先にあったとなる

いづれにしろ何でも歴史がある、明治からの歴史もある、ただ身近なものでもそうした歴史があっても忘れられる、注目しない、駅に人間模様があった。
なんか戦後まもなくは仙台に買い出しに行ったということを姉から聞いた
そんな時代もあったが忘れられる、集団就職でも駅から上野に向かった
それも自分は大学に行ったのだからその時は関心がなかった
ただ常磐線はそうして行き来したから思い出となる

いづれにしろ郷土史の範囲となると本当に広いのである。一人一人の人間が郷土史になるからである。すでに老人になればそういう歴史を一人一人刻んできたのである
現代史も歴史になる、なぜならすでに団塊の世代でももう70とかなり歴史となる
そういう歳になったということである。

a 基本給(月額平均)又は時間額138,000円〜160,000円

でも東北サッシは月給が安い、田舎ではこんなものなのか?
こんなんで生活できるのか?もらっている人はもらっているだろうが安い
田舎は公務員とか医者などが高いが後は安いのが多いのである。
これが初任給なるわかるが安いと思った。
これでは人手不足でも人が来ない,そもそも若い人も少ないのだからそうなる
人手不足といっても誰でもいいわけではない、つまり誰でも人がいないからと補充できないからますます人手不足になるのである。
お手伝いさんであろうが掃除するだけでも誰でもいいというにはならないのである。
それは相手が人間だからそうなっているのである。