2018年04月20日

春の日に霊山に行く(南朝を偲ぶ- 短歌十首と俳句十句)


春の日に霊山に行く南朝を偲ぶ

(短歌十首と俳句十句)

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木の根元石一つあり春日さしこの奥処にそ住める人あり
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かなたに見えるのは何の山だろう
会津の方にも見える山である。


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登山道で見つけた蝶
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霊山の苔清水
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桜は散っていた
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ここは桜が咲いて見どころがある場だった

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谷野原村

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ほとばしる滝のひびきや芽吹きかな

大岩に苔むしあわれスミレ咲く

山鳩や山間の道花の影

苔清水滴り春の鳥の声

岩黒く登山道に山の蝶

山頂の大展望や春の山

霊山の岩黒々と樹々芽吹く

朝桜顕家の像に映えて散る

真近にそ滝のとどろき山桜

山桜ここに散れるや滝ひびく

いづこへと道の分かれて春の暮

夜桜や老舗の味の菓子屋かな

道に出る狸二匹や春の月



川の面に波紋広がりあまたなる魚影を見るや春の奥山

木の根元石一つあり春日さしこの奥処にそ住める人あり

佐須の峠越えてそ望む残雪の吾妻嶺光り春は来にけり

残雪の吾妻嶺光り連なれりかなたになおも高き峰望む

(霊山城)

大岩の苔むし霊山に南朝の昔を語るや春の日さしぬ

春の日に霊山上りあわれかな束の間に消えし南朝の夢

花と散る南朝の夢今になほその傷痕の残り哀しき

南朝の落武者二手に分かれけり春の日あわれ城下にいでぬ

(金谷原村)

玉野村境の桜盛りなり相馬の城下へ我は急ぎぬ

金谷原寺の跡とて集めらる碑のあまたや春の日暮れぬ

碑の古りて椿の散るや誰がたずぬ我は二度ほどここをたずねぬ



五本松なお三本は残りけり帰りよりて春の星見ゆ

春の灯の街灯あわれ城下町古本屋によりまた一冊買いぬ

我を待つ人とてなしも我が家へ帰りゆくなれ春の夜かな




 山上にはかつて慈覚大師が開山したという霊山寺があった。「霊山寺縁起」によれば、三千六百坊を擁していたともいうから、大伽藍であった。南奥州の天台密教の中心であったと考えられる。今は山上の処々に大きな礎石が多数残り、当時の名残りを留めている。後醍醐天皇の皇子義良親王(陸奥国大守、後の後村上天皇)、北畠顕家(鎮守府将軍)らは建武4年(1337)1月8日国府多賀城を棄て霊山寺(霊山城)に移った。霊山城は南朝奥州政府の重要な基地(国府)となった。しかし霊山城は貞和3年(1347)8月ころに落城、霊山寺の建物群も全焼したといわれる

今日真野川をさかのぼり霊山まで自転車で行った
途中滑(なめ)の滝のほとばしるを見てさらに奥に進む
川の流れがとまり水面に樹々の枝の影を写している
その川を見たら百匹以上の魚影が見えた,この魚は何の魚なのか?
ヤマメだろう,なぜこんなにいるのだろうと思った
この辺は飯館村で一軒の家があり住んでいるみたいだ
でもしんとして人気もない,そして春の川面に水の輪が広がる
それがここでは活きているという感じになる
まるで人のいない所で神が遊んでいる感じにもなるのどかさである。

佐須までの道は前もほとんど人は住んでいなかったのである。
原発事故で一軒二軒くらい住んでる家は見かけた
でもなんとも不思議な感覚になった
人が住まなくなるとどうなるのか?そこには魚は住んでいるのである。
これだけ魚がいると食べたくなる,でも放射能汚染で川の魚は食べられないのだ
おそらく誰も魚をとらないから増えたのだろうか不思議である。
ともかく石一つあり春日がさしてここに居つくというとき人もここに居つくとなればいいのである。人が住まないとそういう感覚にならないのである

佐須を通り峠を越えると残雪の光る吾妻嶺が見える,その時春が来たと感じる
ただあそこの峠も道を直したから前とは違っている
なんか原発事故以降新しい道ができる
相馬市から福島市までの高速道路もできた,それで前の道は車が本当に通らなくなった
それで高速はバイクも通れないからバイクと自転車が通るだけである。
だからかえってのんびり見てまわることができた

霊山というと南朝である。霊山はもともと修験者の修行の場として古くからあった
そこに南朝の国府が置かれた,それも十年にも満たない短い時だったのである。
そして夢のように消えたのである。
ただそうであっても歴史的にこの辺では大きな変化だった
なぜなら南朝の落武者が山上の方と前にあった卒塔婆峠を越えて鹿島区の真野へ逃れたのである。そのことは史実であり先祖として明確なのである。
その祭りもある,それで同級生の只野一族が鹿島区に本当に多いのである。
その只野の先祖をたどると郡山近くの多田野村だったのである。
その一族が鹿島区の真野に逃れてきたのである。
それで只野氏はお浜下りの祭りで馬を先導する役目をになっていたのである。
そのように明確に先祖がたどれるのである。

お浜下りに「つづら馬」というのがある。つづら馬とは馬につづらをのせて荷物を運んだ
(お浜下りの祭りのおつづら馬の話)

こういう人が身近にいたという驚きである,だから南北朝の時代はわかりにくいけど確実に系譜として具体的にわかるストリー,歴史なのである。
霊山神社には顕家の像が祭ってある,この青年は二一歳で死んだのである。
特攻隊で死んだ若者と同じである。
朝に咲いた桜が一時映えた見ていたら散ってしまったのである。
そういう人もいたということである。

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朝桜顕家の像に映えて散る

前にこういう句を作ったのを思い出したのである。南朝は本当に束の間の夢のように
消えたのである。ただその傷痕は日本全国に今も残している
どれだけ日本全国を争乱の場にしたかわかる

そして新井白石が相馬の城下を縁戚を頼り訪ねていた,その途中に霊山に寄って詩を残していたのである。


  
    霊山鎮  白石   (「新井白石全集」所収)
  
  霊山開巨鎮、郷月照雄藩、
  鐘鼓千峯動、貔貅萬竈屯、
  出師資上略、刻日復中原、       ※上略は上洛の誤記か
  一夕長星堕、年年哭嶺猿、
  
   (読み下し)
   
    霊山鎮  白石
  霊山、巨鎮を開き、郷月、雄藩を照らす
  鐘鼓、千峯を動かし、貔貅、萬竈に屯す        ※貔貅(ヒキュウ)=猛獣
  出師、上洛を資り、刻日、中原を復す
  一夕、長星、堕ち、年年、哭す、嶺の猿 



学問岩とかありここで学んだ修行した僧とか確かにいたのである。
ただほとんどそれがどういうものだったかわからない,炎上して何も残らなかったのである。ともかく南朝の国府としても短すぎたのである。はかない夢と消えたのである。
ただこの辺では明確に残る大きな歴史の跡なのである。

帰りは玉野村から谷野原村によった,前にもここによった,それでいつも気になっていたのが古い碑のある所だった,神社だと思っていたが寺の跡だった
だから墓があり古い碑が集められていたのである。
ただここの碑は相当に古い感じだ,五輪塔の墓もあったが何か記してあるが読めなかった
相馬市では夜になった,六号線を帰ると夜桜が映えていた,そこはお菓子屋だった
船橋屋とかの店がある
老舗の味というとき最近良くテレビの推理ドラマを見る,そこで京都を舞台にして老舗の菓子屋のことをテーマにしていた
そこの老舗の菓子屋は茶の湯で出す菓子を昔から作っていたのである。
その味にこだわっていたのである。それが頑固なまでにこだわっていた
その味を変えてはならないとこだわっていたのである。

つまり京都ととかなると茶の湯が盛んであり歴史も古い,その茶席には生け花とか菓子とかを出す,そういうふうに一体化しているのが文化なのである。
そこに千年の都の文化がはぐくまれ受け継がれてきたのである。
ただそういう伝統はなかなか京都に住んでみないとわからないのである
ただ夜桜と菓子屋があっていたのである
相馬市の桜はみんな散っていたがここだけが残っていたのである

相馬市の六号線沿いの古本屋ではいつも変わったいい本が置いてある
それでまた一冊買った,あそこでは誰かが選んでいるのかもしれない
本も今はアマゾンで注文して買っているが本は無数にあるからどういう本があるかもわからない,偶然に見つけた「農本主義が未来を耕す」宇根豊著は共感した本だった
こんな本があったというのも不思議だとなる
アマゾンでこうして本との出会いがない,立ち読みもできないことが弱点なのである。

とにかくなんとか自転車で霊山まで行って登山もできた
体が弱ったので行けないと思った
でも今度のクロスバイクは意外といいものだった,バッテリーも長持ちするし早いし
何より安全なのである。まずロードは高くなるので危険である。
このクロスバイクは足がつくし小回りがきくしブレーキもかけやすいとかタイヤも太いとか長距離にかえっていいものだった
まずロードは危険である。近くで人がいないところでスピードを楽しむのはいいが長距離だと危険になる,なぜなら道を知らない所を走るからである。
スピードを出しすぎると危険なのである。
これだとまた遠くに行けるかもしれない,それで今度はもっと遠くへ行ってみたいともなる,ただそうなると一泊とするとかなる,ずいぶん長い間介護で自由に旅できなかった
またそれができるのか?それはしてみないとわからないとなる

今この文をプログにアップしようとしたとき春雷が鳴った,何かこれも自分の心と呼応する
天候により心は変化して呼応するのである。
天候は何か予兆なのである。夜ふけて鳴るというのも何かの予兆だとなる
やはり春になりまた新たな活動へ向かうのかとなる
プログの醍醐味はこうして変化する今をリアルタイムに報告できることなのである。
一日でも朝と夜では全く違ったものとして変化することがある
その天候の変化が俳句とか短歌の創作に影響するのである。






2018年04月19日

一枚の写真(祖父の写真)

一枚の写真(祖父の写真)

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一度も会ったことのない
祖父の写真がある
警察所長だった
俺は偉いと写っている
その写真は捨てるつもりだった
だが置いてあった
墓はあるが墓参りにも行かなかった
母は威張ってばかりいたという
警察をやめてから
機織り工場を経営して失敗した
それで一家離散にもなった
祖父なのに敬わないのか?
確かに不遜である
でも思うに祖父の人生は
ただこんなものだったのか?
もうその子もみんな死んだ
孫は残っているがちりぢりだ
実際に会った人は誰もいない
語る人も誰もいない
私は母から聞いたのは
いつも威張っているということだけ
その母も死んだ
もし祖父でも祖母でも
もっと語ることがあれば
その人生は意味があったのでは
いくら地位があっても今ははかない
捨てようとした祖父の写真が
まだ自分の家に置いてある
なにかわびしく悲しい
もう祖父について語る人はいない
・・・・・・・・・・

母の実家は複雑であった,父は警察所長をしていたが退職してから機織り工場を経営して失敗して一家離散のようになった,警察所長をしたくらいだからもともと経営の才がなくても成功すると思ったのだろう。
事業で失敗する人は何か甘い予測をして失敗しているのも多い
自分が優秀だからと奢りがあり失敗する,そして祖父について語られるのは母が言っていたのは威張っているだけだったということである。
なぜならそうして機織り工場で経営に失敗して母もまた辛酸をなめたからである。
つまりいくら肉親でもそうして子供がひどいめに合うと祖父母でも語ることすらしないのである。
現実にそういう人がいて墓参りすらしない人もいる,肉親でも父親でもしないのである。それだけひどいめにあった結果そうなっているのだ
だから死んでも子供が両親を思うということはあるとはならないのである。
血縁だからといって人間はそれがすべてではない
むしろ親でまともに生きない人は親とも見れなくなるのである。

いづれにしろ祖父にしても死んでから七〇年とかなる,そうなると会った人もこの世にはいない,誰か聞いた話になるが私の場合は母から聞いたが母は百歳で死んだのだから
あとは聞いたという人もいなくなる
するとどうなるのか?誰ももうその人について語らないということである。
自分でも会ったこともないから何か他人のようにその写真を見ているのである
ただ祖父の出自がわからないのが不思議である。
ここで生まれ育った人ではない,転勤してきた人だからである。
それは謎でありもうわからないのである。

人間は祖父母まではわかるがその上になるとまるでわからなくなる
ただ何か功績があれば残り語られる,それがないと全くわからなくなる
結局死んでから七〇年すぎると家族でも語られる人はまれだとなる
みんな忘れられるのである。それが無常の世だとなる

タグ:祖父の写真
posted by 老鶯 at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2018年04月18日

パソコンで自動生成される森の抽象画の謎


パソコンで自動生成される森の抽象画の謎

(The mystery of the abstract painting of the forest
which is automatically generated on a personal computer)


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森の抽象画がなぜこれだけ作れるのか?
それはパソコンのソフトで自動生成しているからである
そのパソコンの手順は決まっている
するとそこに無数にある写真や絵を自動的に森の抽象画を作る
それは人間がイメージするのではない
これもAI化した新しい芸術なのか?

これが大量にできるのは人間の頭でいちいちイメージして作っていないからである。
本当に機械的に自動的に変化させてできる
そこに人間が筆でいちいち描いてゆくのとはまるで違ったものなのである。

だから大量生産できる,ただ全部が森になるわけではない,それが森になるかどうかはパソコンのソフトで変化させてみないとわからない,一種のこれは化学変化ににているのだそうして実験しているのとにている

ともかくこのような芸術が生まれたのもパソコンが生まれてソフトが作られた結果なのである。
だから今までにない芸術なのかともなる,ただこれも評価が分かれるだろう
そんなものが芸術なのかともなる,二次三次創作になっているからである。
ただ写真とか絵が無限にあるからオリジナルなものを自分で作り出せなくてもいいから無限に自動生成されるともなっているのだ


Why can you make so many abstract paintings in the forest?
It is because it is generated automatically by software of PC
The procedure of that computer is decided
Then automatically create abstract paintings of the forest automatically in myriad photos and pictures
It is not human beings imagining it
Is this also a new art converted to AI?

It is because they do not make it with the human head to make it possible to mass produce this.
It can really change mechanically automatically
It is a completely different thing from human beings drawing with a brush.

So you can mass produce, not all will be forests, whether it becomes a forest or not can not be known unless you change it with the software of a computer, a kind of this is in chemical change I am experimenting with you

Anyway, such art was born as a result of the computer being born and the software being made.
So it becomes an art that has never been before, but this evaluation will be divided
This is because it is secondary tertiary creation, which can also be art.
However, because photographs and pictures are infinite, they are automatically 
タグ:abstract forest

小さな畑の効用 (荒地にしておくことよりはいい,金にならなくても)


小さな畑の効用

(荒地にしておくことよりはいい,金にならなくても)


小さな畑には自分は投資した,一〇万以上払った,肥料代とか種代とかこの前は道具を盗まれたとかいろいろあるのだ,鳥に野菜を食われたとかもありまず小さな畑をするだけで金がかかる,収穫してもらったものはほとんどないのである。

ではそんなものに投資してなになるのか?普通だったら銀行でも利益にならないものに投資しない,ではそれが全く無駄なものかとなるとそうではない
この辺では一時田畑が荒地化したのである。
今でも荒地化した所が多いのである。この小さな畑の回りも荒地化している
その荒地化していることが荒廃したものとなる

つまり農業は景観を作っているというときそうだった,その景観は田畑があって作られていたのである。その田畑がなくなるときそこは草茫々の荒地となる
ただ一時津浪でこの辺が原始の状態になった,湿地帯になったことには驚いた
八沢浦が元の入江にもどったのを見たときほど驚いたことはない
だからその入江を埋め立てて田んぼを作ったというとき実は自然の景観を破壊していたのである。
稲作も文明であり文明は自然を改造したりするから必ず景観も破壊するのである。

文明とはなんらかで自然に逆らうことなのである。
田んぼにしても湿地帯がある,森がある,自然のままだったらそのままだが開拓開墾して田んぼや畑にすればもともとあった自然は改造されてなくなるのである。
ただ農業は自然と深くかかわって成されるから第二の自然のように感じるのである。

小さな畑を維持することはそれは経済的効果としては利益を上げないのだから無駄だからするなともなる,そもそもその金を誰が出すのかとなる
利益にならないものをしているのは趣味だからである。
趣味でも自分が余裕があってしているのはいい,でも余裕がないのにできるのかとなる
でも経済的効果利益を上げなくてもこの世には有効なものがいくらでもある
第一景観でもそうだろう,景観自体が利益を産むということはないのである。
森だったら木材としてみればそこに利益があるが森自体が経済的効果を利益を上げることはできないのである。

でも森には癒しと景観をもたらす,そういう効果がある,でも利益にならないのである。でも最近資本主義がゆきづまり終わるということが盛んに言われる
それは投資先がない,投資してもうける先がなくなっているからだ
それで銀行で地銀でも利益う上げられないので追い詰められて詐欺まがいの投資信託をすすめている,それで自分も大損したとなる

投資先がないということやAIで人間の仕事がなくなるとか最近良く言われるのはやはりそうした資本主義が継続しても社会に大きな変化をもたらすのである。
スルガ銀行ではもうける先がなく何か不正して問題を引き起こした,借金させてアパート経営とかになる,もうもうける先,投資してもうけることができないのである。
だから今銀行は窮地にたたされているから危険なのである。
窮地にたたされれば人間でも会社でもなんでもするようになる,つまり余裕がない人間でも会社でも国でも危険状態になる

だから投資先がないというとき実は別にある,この辺では荒地化した土地を利用して畑にする,それは利益を産まないとしても一応収穫はあり役にたっているのである。
野菜が高いときはそれなりに役にたっていた
だから全く利益を産まないということではない
ともかく資本主義では利益を産まないものは金にならないものは全く無駄なものとされる芸術などでもそれが金にならないなら無駄なものとされる
その人間は無用なものとされ社会的に価値を認められないのである。

でも何かこれからは価値観が変わる,資本主義でもAI化で仕事がなくなりベーシックインカムのことが盛んに真面目に言われているのも不思議なのである。
ベーシックインカムになると一見無用と思われるものでも価値あるものを追及できる
金にならないものでも人間として価値あるものはいくらでもあるからだ
そういうものにむしろ価値が生まれる,ただ必ずしも金にはならない,利益にはならないただそれを認めるものがあれば価値があるとなる世界になる
そういう社会はイメージしにくい,でもそもそも人間の価値は多様であり金になるだけのものが価値とはならなかったのである。

オランダのチューリップバブルでもそうである。そんなものになぜ大金がつぎこまれたのか?これも投資先がなくなった結果なのである。
ただ一方でそんなのんきな社会が生まれるのかという疑問がある
貧困化している社会でそんな余裕があるのか?利益を上げなければ会社など成り立たないとかある
でもAIでもそうだが資本主義が終わりだというときもそうだが今価値観が変わる時代でそうなっているのだ

例えばこれも問題だが八沢浦を考えるとき自分はそこが田んぼであるより入江であった方が景観的に良かったともともとイメージしていたのである。
この辺はともかく荒い波が打ち寄せるだけの荒寥として海なのである。
でも津浪になって入江になったとききらきらと波が光り寄せていたのには驚いた
それはきれいな入江になっていた,古歌にここの入江を歌ったものが残っていたから本当にそうなったのである。
その時確かに死んだ人がいたのだからそんなことを言うのは余りにもひどいとはなった

これまでは米が生活の中心であり米なくしてはありえない世界だったのである。
でも米が減反政策でこれ以上いらないとなる世界は考えられなかったのである。
技術の発達とかで価値も変わってくるのである。
だから小さな畑でもそれが利益をあげなくても土地を活かすとういことでは無駄ではない,効用があるのだ

ともかくこういうことはなんかあまりにも現実離れしているとなるから実現しないともなる,でもベーシックインカムになれば今まで価値がないと思っていたものを追及できる社会になるかもしれない,すべて金にならないものは価値がないとされる社会だったからである。
つまり何か実用性ばかりを追及してきたのが文明だったのである。
むしろ今度は逆に非実用的なものに価値がでてくる,無用の用の時代にもなるのかとも思う
宗教だど禅宗になると瞑想と沈黙が修行である。それも人間的価値の追及なのである。
そういう社会もかつてはあったからである。
そういうものにただ沈黙して何もしないということはなまけものとして拒否される社会だった,資本主義は宗教からプロテスタントからはじまったというとき瞑想などはしない
積極的に働いて他者に奉仕するという思想からはじまった
その価値観が全世界に普及したのである。
どんなことでも勤労は善とされたのである。それがゆきすぎると資本主義は金儲けだけのものとなり害にもなるのである。

とにかく田畑というのは自然の一部でありそれは社会的効用を利益をあげなくても必要なものとして認識することはある,価値があるものとする
景観を維持するものとしてもある,だから利益を上げなくても必要だともなる
ただそうして維持するにも田畑でも労働が必要なのである。
だからその小さな畑すら維持できなくなる,その女性も年であり毎日腰がいたいといっているからいづれ維持できなくなる,この辺で田畑を原発事故以後やめたのは老人が田畑をしていてできなくなったからである。後継者もいないてからである。
前からそれは言われていた,漁業でもそうである。
だから原発事故だけの原因ではない,前から田畑を維持できなくなっていたのである。
それが事故後一挙に荒地化したのである。
現実に隣の畑は老人が這ってまでしていたのである。
家族が車にのせられてきて農作業していたのである,でも遂にやめて荒地化しているのである。こうして誰かが労働しないかぎり田畑は維持できないのである。
するとそこは荒地化してくるのである。景観も荒れたものとなるのである。

人間が平和に感じるのは自然と調和しているときである。

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この写真のように孫とばあちゃんが一緒に畑仕事をしている,これが本当に平和に感じるこの孫もこの畑を受け継ぐということで故郷の風景でも維持できるとなる
世代の継続が感じられるのである。
そういう風景がなくしたのが原発事故だったとなる

農本主義が未来を耕す」宇根豊著を読んで・・・・ (原発事故で問われた農の大切さ、でも農民も金が第一だった)

これと同じことをここでも書いていたので共感したのである。




タグ:田畑の効用

2018年04月17日

「農本主義が未来を耕す」宇根豊著を読んで・・・・ (原発事故で問われた農の大切さ、でも農民も金が第一だった)


「農本主義が未来を耕す」宇根豊著を読んで・・・・

(原発事故で問われた農の大切さ、でも農民も金が第一だった)

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仕事の相手としての生きもの(自然)との関係を意識していることです
それは近代化によって滅びてゆいくものの最たるものが自然だったからです

国益のために在所の人間と自然,人間と人間のつながりまで成長を求めるのはおかしい

農は食料を生産しているのではなく自然からの恵みをくりかえし引き出しているのに世間の人はわかっていない

農は過去から引き継いできたものを責任もって未来に引き継ぐことを重視しているのに
現代人は現世のことばかり考えている,それにこの継承は社会と共同責任を負うべきではないか

農は自然からの恵みの一部(食べ物)をカネに換えるが生き物,草花,風景など食べ物以外の恵みを繰り返し持続する限りにおいてそれをカネに換えることなく無償で国民に提供しているのに気づいてもらえない

田んぼが荒れればその一帯は完全に百姓の手から村の手から離れてゆくのです,人間と自然と向かい合う場が消え自然と人間の共同体が消えてゆくのです
もう一つ大切なことは自然への情愛と村の情愛が滅ぶのです


震災6年後にもどった故郷の景色 (ふるさとの秋(詩)

田んぼが回復しないと復興を感じないのはなぜか? (田んぼと蛙は生態系で一体化したもの)


この本は自分の考えてと全部が一致していた,農本主義とかむずかしい思想のことではない、誰が読んでもわかりやすい,ほとんど知識が必要ないのである。
なぜこの本が手にとるようにわかったのはこの辺が現実にこの農が人間の基本となるものが原発事故で破壊されたからである。

田んぼが荒れればその一帯は完全に百姓の手から村の手から離れてゆくのです,人間と自然と向かい合う場が消え自然と人間の共同体が消えてゆくのです
もう一つ大切なことは自然への情愛と村の情愛が滅ぶのです

まさに現実としてこの辺はそうなったのである。今は避難区域になったところはそうなっている
でもそもそもこういうことは津浪や原発事故前から農民自身がそうした生活を嫌がっていたのである。金にならない農業などしたくないとなっていた
それで農業していた親から農業だけはやるなと殴られたという話を聞いた
その子供は原発とか建築現場で働くことになったのである。

そして今になって生業が奪われた補償しろとか抗議している,そもそも農にかかわる人達でも農を生業を大事にしていたかその価値を重視していたかとなるとないのである。
そもそも原発事故になる前にも農業をやめたいとなっていた,だから事故で補償金もらえればかえって都合いいとかまでなっていた
後継ぐ人もいないからこの際補償金をもらってやめた方がいいとなっていたのである。
すでに漁業で東電に政府に補償金をもらって海も売り渡していたことでもわかる
漁業も農業と同じであり金にならない,跡継ぎがないとかでやる人がいない
すると東電に補償金をもらって生計が成り立つ,船主などは特別補償されていて
原発御殿が建っていたのである。事故後も船主は格別であり補償金が海が汚染されたといっては抗議すれば確実に増額されてゆくのである。
だからいち早く新築の家を建てたのはと船主だったのである。

生業(なりわい)とは米の生産だけではなく,生活全般なのである。農業とういだけではない,昔の自給自足の生活はそうだった,納豆まで家で作っていたからである。
昔の農家は自給していて何かを買うということはまれだったのである。
だから何かしら絶えず料理するにでも水は井戸だし薪を燃料にしたり炭もそうだし自給自足を基本としていたのである。それが生業(なりわい)だった
そしてその生業を奪われたから補償しろと今になり農民でも叫んでいるのに違和感がある現実に何もすることなく仮設に住んだ人達はパチンコ通いだったのである。
それで回りから批判された,一部は仮設の前で畑を作っていた人はいた
ただほとんど毎日パチンコ屋通いであり昼間から酒飲んで何もすることがなくなったのである

生業より,金をくれ,一億円くれたら土地も生業もいらないよ

前からこうなっていたのである。生業といっても今は何かあいまいだからである。
原発事故でそれが補償金要求するのに見直されたのでありもともと一億円もらったら原発事故無くてもそういうものは価値がないから売り渡していたのである。
畑や田んぼがを道路になったり住宅地になって金になればいいと常に言われていたからである。

だからこの本で農本主義のことを熱く語るのは心から理解できる,でも肝心のその農にたづさわる人がそうだったのかというとそうではないのである
やはり農に関してはそれにたずさわる人だって田舎でも少ないし第一田舎に住んで農のことがわからない人が多いのである。
自分でも農業がわからないのである。ただ自分は自然と一体化するアイディンティティ化することを詩など書いてきてしてきた
それも農が基本にあって成り立つものでもあった

だからこの本で蛙でも雀でもなんでも自然と一体化して農があり農民にはそうした生き物への愛情があるというのには共感する
つまり農とは自然と密接に結びついているから自ずとそうなるのである。
生き物と蛙でもなんでも直接仕事の中で接するから愛情が自ずと生まれる
ペットでも犬でも猫でも直接接していると愛情が生まれる
なんか淋しいから猫を飼ってそれを経験したのである。
だから津浪や原発事故以後,蛙がいなくなり鷺もいなくなった
蛙の鳴き声も聞こえなくなったし鷺も飛んでいなかったのである。
そして蛙の鳴き声が夜空の星々に木霊したとき復興したなと感じたのである。

ケロケロケロ、田んぼがもどった、ケロケロケロ
俺たちはここに住む、俺たちの生きる場がもどった
ケロケロケロ、うれしいな、仲間ももどってきた
みんなで思い切り合唱だ
夜空には星が一杯輝きここが俺たちの生きる場だ


それは白鷺が五〇羽くらい近くの巣に集まった時もそうである。
蛙でも白鷺でも田んぼがあってそこに蛙などの生き物がいて生きることができていたのである。自然と密接に結びついているのが農なのである。それは漁業でもそうである。
そして一番美しい光景は人間の営みが自然の中にあり調和していることなのである。
それは農だけではない,例えば海を見てなにも見えないと淋しと思う
でも船が航行していると海も活きて見えるのである。
だから農だけが自然と調和するということではない,風力発電などは風の力で回り電気を起すとして自然と調和しているのかともなる
でも森とかには風力発電は調和しない,ソーラーパネルだってそうである。
科学技術はなんらか自然を破壊するものなのである。

そしてこの本の著者は放射能に汚染された米を食べるべきだという,それを食べることによって農が守られ共同体が守られるからだという,そういう観点から汚染された米を食べるということをしている人はいない
でも農が共同体を維持していたときその米を食べないことは維持できないことになるからだ,だから老人などは食べるべきなのである。
ここでは放射能に汚染されることよりそうした共同体の維持の方が大事だとしているのだそのことは飯館村などを見たらわかる,そこで学者が放射能の除染して田んぼの表面の土などをとる必要がなかったとして自ら飯館村にすみついたのである。
自分も飯館村の惨状を見たら愕然とした,土ははぎとられて田んぼも畑もない,ただ放射能に汚染された土のフレコンパッグとかソーラーパネル工場とかになる
景観が壊されたのにはがっかりしたのである。
飯館村はまさに生業(なりわい)が根こそぎ破壊されたのである。
山菜をとって暮らしていたのが普通だったし所得が低いが自然との共生がまだあったからである。
ただ今では補償金で村は二分されているし人はほとんど住んでいないのである。

なぜこれほど補償金のことしか原発事故以後話題にならないのか?
もっとどういう暮らしがあったのか語られるべきなのだが語られない
ただ生業を返せというがそれ以上に補償しろ金をよこせとかしかない
そもそもそんなに生業を大事にしていたのか,そこに価値を置いていたのか?
それ自体が疑問なのである。
やっぱりそんなことより金だよというのが農民が求めていたものだともなる
第一農民というが田舎で農業している人は一割にもみたない,農業のことを知らないのである。ただ都会と違うのは農業しなくても田んぼや畑がありそれを見ているから違っているのである。別に農業しなくてもそれで農業と結びついているのである。
だから津浪や原発事故以後田んぼがなくなったから田んぼがない田舎は田舎なのかと思ったのである。

いづれにしこの本は深く共感した本だった,自分の追及してきたことでもあったからである。だからさらに検討してゆくことにした

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2018年04月16日

残る花(風荒く散る花)


残る花(風荒く散る花)

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この家の枝垂桜や庭に石建ちて四五年過ぎにけらしも

今しばし残れる花を惜しめども今日も風荒く散らしけるかな

朝よりし風の荒らしも残る花吹き散りにけり燕飛ぶかも

たちまちに花は散りにき風荒し残れる花も明日は散るらむ

残る花枝にゆれにつ風荒らし明日は散りなむあわれなるかな

一時の命惜しめど桜花夢と散りにき風の荒らしも

風に舞い散る花あわれ時はすぐ常なき世なり時はすぎゆく

あまたなる若き命の花と散る散りがたきを散りにけるかな

八重桜手折り仏壇にささげしとその女誰や土手の道かな

闇深くきらめき一つ春の星我が一人なれひそかに見ゆも


桜というときなぜか散る時は本当に美しいのである。だから散るときが最も印象的になるその華やかに散るということで戦争のとき若い人が死ぬとき桜にその命が託された
桜のように散り死ぬことは美しいことだとされたのである。
それは国家によってそうさせられたともなる
ただ桜というのは何かそうしてそう思わせるのである。
それは盛りと咲いてもたちまち散ってしまうからである。
その散るのが美しいからである。そこに桜の特徴があるからである。
ただ万葉集時代では山桜であり散るということがそれほど美しいものとは見ていない


吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな    源義家

桜が散るということで早い時期からその美は見いだされていた

何か今年は風が毎日のように吹いている,それが結構強いのである。
桜の咲くときの天候は毎年違っている,雨が多いときもあった
今年はなぜか風が強い,毎日吹いている
それが今年の桜の咲く天候だったのである。

それで今年は遠くに行っていない,近くの桜だけを見て終わったとなる
土手の道の桜は終わると八重桜が咲いている
仏壇にささげるには八重桜がにあっているとなる
ここの桜は川の土手の桜が美しい,でも河岸にはどこでも桜は今も咲いている
浪江でも小高でも河岸には桜は咲いている,桜並木がある
ただ相馬市にはない,やはり桜は桜並木となっていないと散るときでも華やかにならないここでは真野川の土手にしても十本くらいが成長した桜の木なのである。
だからそれほど見応えがある桜とはならない
ただ桜の季節も早くも終わったとなる

新しく建った家が多いがすでに枝垂桜が咲いている家は五年くらいすぎているのか?
いい石がありそこに枝垂れている桜がいい,やはり時間がすぎると何かそこに根を下ろすようになる,すると同じ桜でも違って見える
千年の都,京都の桜となるとこの辺とはまたその色合いが深く歴史を感じるのである。
桜には何かまた歴史を感じさせるのである。だから歴史のある場だとさらに映えるのである。

ただ桜は早く散るからいたるところに咲いていたとしても時期が短いから一部しか見れないのである。そこが残念なのである
今年は本当にすぐ近くの桜しか見ていないからである。
タグ:残る花

2018年04月15日

老々相続も高齢化社会のマイナス (もうその年では消費もできない)


老々相続も高齢化社会のマイナス

(もうその年では消費もできない)

相続人の平均年齢は67歳という「老々相続」になっているので、相続による世代間の所得再分配の機能も弱い。この問題は、2012年に団塊世代が引退したあとは、さらに顕著になるだろう。

 日本の金融資産1500兆円(本当はすでに1400兆円に減ったとも言われている)のほとんどは高齢者のものだ。普通、高齢者は活動しない。よって収入に関しては不安なので自分のお金を使わずに貯め込む傾向がある。

少子高齢化の問題はいろいろある,「老々相続」もそうである。六十七歳で相続するとなるとその金を使い方が消極的になる
もし五十歳とかで相続したら50代で貯金がない人が多いかとこの世代は子供の進学とかでも金がかかる,そこで相続して遺産が入ると余裕になる
この世代なら金を使うことができる,それも有効にできる,消費できる
67歳となると何かに消費するにしても限られている,そして投資などすると失敗するし経験がないのでするべきではない,でももし若ければ経験を積むからいいとなる
67歳になるとこれまでしてきたことはできるが何か新しく経験を積むことができないのである。

自分も新しい自転車買ったけど遠くに行こうかと思ったら体弱り節々が痛くなりできなくなった,もし体力があったら新しく出る電動自転車の遠距離用を買ってまた旅したいとなるができない,消費するものは確かにある,でも金だけではできないのである。
体力が必要になるからだ,登山をしようとしてリュックを買ったがこれもできないので無駄にてったとか何か今までしてきたことをしようとしたのだができなくなる
だから何か買っても利用できないとなるのだ

もしもっと若い時に40代でも50代でも相続していればもっと自分のしたいことができたとなるが親が生きている限りは金は自由にできないのである。
自分が自由に生きたとしても旅したとしても金は最低限しか使っていない,自転車旅行はテントを張ってとまったりしたから金を使っていない
自転車でも普通の自転車しか使っていない,10万以上にはなっていないのである。
でもその時金があったら何かもっとできたことがあった

本当は海外に留学もできたと思う,それも遺産を若い内に相続していたらである。
なぜならそうなると自分の自由に使えるからである。
何かその頃海外旅行は高い飛行機代も50万とか何か高い時代だったから海外旅行は金をかかるものとして敬遠していたのである。
そういうことで円高になったときみんな海外に行っていたのに自分は行かないで失敗したとなる,50代では遅かったのである。

ただ別に金がなくてもやりたいことはしたとなるから後悔はない,そう親がさせてくれたのだから別に親を恨んだりしない,必ずしも金があるからと何でもできるわけではないからだ
でも若い内に相続しているとさらに自分のやりたいことができるということはあった
高齢化社会の問題はこうして親の代が金をもっていても相続できない
それで若い世代ができることもできなくなるということはある
まず67歳で相続したとしても遅すぎるのである。
だから投資などで無駄にするのである。

これは個々人の家でもそうだが会社などでもそうである。若い人が何かしようとしてもできない,上が老人化して権力をもっているとできないのである。
やはり若い人でも権力をもてば何かできる,したいことができるのである。
でも権力が金でもなければ新しいことに挑戦できないのである。
67歳になって金をあるから何かしようとしてももうできないのである。
これも高齢化のマイナスの点である。つまり社会の新陳代謝ができないのである。

そうなるとどうなるのか?社会自体が停滞してゆく,変化に対応できない老人では社会を変革できないからである。
65歳以上の人が金融資産をかかえていることもそうである。
その人たちは貯金して長寿のリスクに備えるだけだとなる
その原因は人間は金をいくらもっていても減らしたくないのである。
老人の金は今は利子もつかないし増えないのである。
すると減るだけになると消費に回らないのである。
だから老人に貯蓄がかたよっているのは社会自体が停滞するのである。

確かに今の時代、50代でも40代でも孫の世代でも金がない,だから金をもっている老人が下の世代に金を回すと消費されるから景気が良くなるとういことはある
ただ消費の傾向が物からべつて物に変わっている,若い人が車をほしがらないとか安いのでもいいとかなる,消費するものが時代によって変わる
消費が非生産的な言葉だが消費は資本主義社会では生産的消費になるのである。
何か価値悪ことに金を使うことでありその価値を認めるから金を払うからである。
すると作る方でもそうした価値をあるものも作ろうとする売ろうとするからである。

でも長距離用の自転車を買いたいが高いとなると若者はそれを利用できるが金なくてできないとなると問題なのである。
メーカーが売りに出しても売れないとなるからだ
老人は長距離用の自転車を買わないとなるからだ
ただ長生きのリスクのために金を貯えているだけだとなるからだ
そうなると新しい製品を作ることもなくなりイノベーションもできないとなる
社会全体が高齢化で停滞してしまうのである。
それも高齢化社会で67歳で相続しているからともなる
自分もそうだが遅すぎたとなるのだ,もうその年になると消費できないのである。

タグ:老々相続

2018年04月14日

シリアの混乱と悲惨は誰が悪いのか? (欧米が悪い?)


シリアの混乱と悲惨は誰が悪いのか?

(欧米が悪い?)

なぜこう判断したのかというとトルコの宿でシリアに滞在した会社の派閥争いでやめた五十歳くらいの人がしきりに言っていたのである。
シリアの人達は素朴でいい,最高にいいとか何度も言っていたのである。
自分は行っていないからわからないがおそらく社会主義国でありあまり金,金,金の社会になっていないからだったのだろう。
豊かではないけどいい人達が素朴な人達がいたとなる
シリアは資本主義国ではないからだ
ロシアと同盟のようになっていたにしろそうだったのである。

その話を聞いているからなぜ今シリアがあのような悲惨なことになっているのか?
それがどうしてもわからなくなる,何もそうして資本主義国ではなくても平和で素朴な人達が外国の干渉もなく生活していればあんなふうにはなっていない
なぜあのような悲惨な国になったのか?

それはイスラム国もそうだがもともと社会主義国としてあっれば良かったのである。
イラクにアメリカが介入してイスラム国ができて民主運動を応援するとして欧米が介入して混乱と内戦がもたらされたのである。
欧米側からみるとロシアが悪いとなるがロシアやアサド政権側から見れば欧米が悪いとなる

こういうことは日本でも太平洋戦争で起きていたのである。
イギリスと最初に戦争して日本は東南アジアを占領した,でもイギリスにアメリカが加担して日本は負けたのである。
シリアでもフランスが加担したとか欧米の勢力が後押しして戦場となり内戦となる
日本も欧米側だから欧米側からしか見れないのである。
だからロシアは悪者になるのである。

もちろん日本は先の戦争でロシアを良く思っていないしロシアがいいわけではない
でもなんでもロシアが悪いと見るのは偏るのである。
それは欧米の見方でありかたよるのである。
そう思ったのはやはり海外旅行したこともなかった自分は現地でそのことに触れたことが原因している,もちろんシリアに実際に行ってみれば判断がすることが違ってくる
どうしても日本は欧米側につくからその見方がかたよるのである。

日本もかつて戦争のとき欧米側にこのように悪者にされて原爆を落されて三百万人も死んだのである。そういう経験があるから欧米がすべて善でも正義でもないことは確かであるもちろんロシアでもひどいめにあっているから単純に味方にはなれない
でも平和だった素朴に暮らしていたシリアの人達が地獄のようになったということがどしてもそうしたのは欧米側の勢力であり社会主義国として平和を保っていればあんなふうにならなかったのである。
その原因を作ったのはアメリカのイラク侵攻でありそこからイスラム国が生まれたからあのような地獄になってしまった

日本の戦争もまた最初はイギリスとの戦いだったがそこにアメリカが参戦して悲惨な敗北となった,それは欧米側によってそうなったのである。その時はロシアも参戦してさんざんな目にあって悲惨な犠牲者がでたのである。
要するに今度は中国が巨大化してくる参戦してくると小国はその狭間で分断されたりする
それは日本でも起きてくる,大国の駆け引きの狭間で分断されるのである。
だから欧米側からの見方ばかりしていると間違った判断することになる
イラクには化学兵器など発見されないの難癖つけて爆撃したのがアメリカだったのである
シリアは離れているから日本とは関係ないようにみえても日本もそういう立場になる可能性がこれからある,日本は超大国化する中国とアメリカとロシアの大国の狭間に置かれ分断されることもあるのだ
シリアはだから他山の石としなければならないとなる
遠いから関係ないとはグローバル化した社会ではならないのである。

ともかく世界情勢の見方は何かいろいろな見方があってもやはりじかに触れた人の話とかその場にいて実感することが大事なのである。
一番日本で気をつけねばならないのは欧米側の見方にかたよることである。
それは日米同盟があるからしかたがないとなるがでも欧米側は正義ではない
もちろんロシアでも中国でもそうである。
でも何か欧米側が悪いとは見ないのである

そもそも日本の戦争が良く右の人が口が酸っぱくなるほどしつこく欧米からの植民地解放戦争だったという,それが戦争の原因だったという,すると歴史的連続性では欧米が悪いのである。その欧米と戦ったのが日本の義だとしているのである
だから欧米一辺倒の見方になることは歴史的連続性がないことになる
でも右寄りだとどうしても欧米側になるのである。
一方左は中国よりになるとされる,だから政治勢力でも二つに分断される危険がある
日本の独自性は保ていないのである。
その独自性を保とうとするとき戦争のように日本が中国を支配して欧米と戦いロシアとも戦うとなってしまうのである。
そこまで国際政治で追い詰められればまた戦争の再現だとなる
ただ世界情勢を見るときどうしても欧米側の見方になることは注意すべきである。
そこで判断を誤るからである。
タグ:シリア
posted by 老鶯 at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

白河、二本松の城の桜の短歌 (歴史がある所に桜が一段と映える)

白河、二本松の城の桜の短歌

(歴史がある所に桜が一段と映える)

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(白河)

松の間を殿の歩みつ草萌ゆる白河藩の栄えなりなむ

人柱城を守るとあわれかな乙女桜の咲きてなぐさむ

小峰城春の夕日のさして映ゆ車窓に見つつ電車すぎさる

小峰城電車に見つつみちのくをいずるや春の夕日さしぬ

(二本松)

城内に残れる花のあわれかなはるばる来る相馬よりしも

天守跡望みて遠くみちのくの山々映えぬ春の来たりぬ

城内に井戸の深しも散る椿守り城の古りにけるかな



根を張りて枝垂桜の三春かな織りなす錦桜に染まる

小浜城夕べ桜の咲きにけりたずねて遠く街のともしび

はや散らむ会津の桜我は見じ城を守りて少年死にぬ



日本は桜の咲く季節が一番いい,それは桜がきれいだとういこともあるが桜はなぜか城に映えるのである。
自然でも桜というときそこには歴史がありその歴史によって桜がより深いものとして見るただの桜だったらそれほど魅力がないかもしれないからだ
だからなぜ大坂城の夕日に映えて散った桜が他より美しかったのか?
それはやはりそこに歴史がありそこで織りなした人間のドラマを偲んでいるから違って見えるのである。
そうでなければそんなに桜に日本人がひかれることはないからだ
それで戦争のとき桜のようにいさぎよく散れとかの美学が生まれた,ただそれは戦争に利用されただけだという批判にもなる
桜はそれだけ日本人にとって生死を託すような花になっていたのである。

今日テレビで人柱伝説の乙女桜を見た,これは伝説というのではなく史実だった
人柱になりたくなくて逃げてそこを追廻しという地名として残っているというから人柱になりたくなくて必死に逃げたのである。
この物語が語るのは必死に城を守るということが侍では第一にされていたのである。
それは白虎隊でもわかる,城があってこそ生きることができる,そこから出て生きるという感覚をもつことすらできないのである。
そういう狭い社会で生きていたのが江戸時代だであり価値観だとなる
白虎隊が城をが燃えたとして自刀したのもそのためである。
城がなくななれば終わりだという価値観の中に生きていたのである。

桜咲く時期はやはり城を偲ぶ,でも江戸時代に城には桜が咲いていたのではない,それは明治になったとき城がある所が公園化して桜を植えられたのである。
だから今見ている桜は明治時代のものであり江戸時代のものではないのである。
その辺が不思議なのだけど桜に城は映えるのである。

花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの」、かの一休宗純師、若い頃はとんちの一休さんで知られたお偉い坊さんが残したお言葉である。

室町時代からこの言葉があったとすると桜は愛でられていた,ただこの時も山桜だったと思う,今見ている染井吉野の桜は江戸後期なのである。その頃から花見が行われていたのである。
まず城で桜を愛でることはなかった,ただ糸桜の歌は残されている
でもそれは今の桜とは別物である。

春高楼(こうろう)の 花の宴(えん) 巡る盃(さかづき) 影さして千代の松が枝(え) 分け出でし昔の光 今いずこ.

この詩も明治以降に作られたものであり江戸時代は城で花見の宴などしていないのである。

テレビで見た乙女桜で南湖の松の間を歩いている姿はいい,あの松が貫祿があるのだ
あういう松は相当年月がたたないとあんなに太くならないだろう。
その間を殿が歩むことをイメージすると江戸時代にもどるのである。
江戸時代をイメージすると何かその景色に街道でもとけこむからなごむのである。
車ばかりの道路を歩いていてもうそこには人間も旅人もいないのである。
車の道であり何かベルトコンベアーを車が流れているという感じになるからだ

白河藩は松平定信が一時殿様となり治めていた,それで民のために尽くしたとか言われるが失政もあったからその評価が分かれる,この辺は詳しくわからない
ただ何か情緒的になるとあの松の間を殿が歩む姿は絵になっている
あのテレビの構図は絵になっている,写真でもあの構図でとればいい写真になっていた
白河はやはり白河の関所がありみちのくに入り出る場所を意識する
それで電車から城が見えるのは貴重なのである。

二本松城は古い中世の山城から発展した,だから古い城の形があり山城なのである。
その頂上に上ると安達太良とか蔵王とかが見えた,高いから見晴らしがいいのである。
あういう山城はめずらしいと思う,青葉城があるが仙台市街が大きくなりすぎて城下町という雰囲気がなくなっないる
二本松城は城内に入ると深い井戸がいくつかあり椿が散っていた
そこで暮らした人を思う,ここでも城を守るということがありその城を感じる
会津の城は平城だから何かもう一つ歴史を感じないのである。
ただ会津で桜を見たことはない,会津は浜通りから遠すぎるのである。
二本松までは相馬から自転車で行ったとき,花は散っていたのも感慨深いとなった
そのことは詩にした,二本松までは相馬藩で松川浦から塩を運んでいた
その塩の道がある、だから二本松とは交流が江戸時代からあったとなる

とにかく桜もここでは散った,昨日は風が強く散った,ただ残る花となりこれも味わい深いとなる
自分は会津でも二十年くらいも行っていない,今年も近くを見るだけだった
風が強く風が冷たいから自転車でも行けなかった
そして何か体が弱くなくり変調をきたしたこともある
でも以前として回想の旅をしている不思議がある,ぐるぐる電車であれ自転車であれ走馬灯のようにあちらこちら巡り歩いているのである
それだけ旅していたということである。

我が里や遠くに行かじ残る花

我が街や花散る後の静けさやここに住みにつあわれ深まる



2018年04月13日

人間は日々地道に勤めて幸福を得る (幸福は突然に一挙に得られない)


人間は日々地道に勤めて幸福を得る

(幸福は突然に一挙に得られない)


不孝は突然やってくる

幸福は突然には来ない

不孝は思いがけなくやってくる,それを人生をふりかえればわかるし他の人のことを見てもわかる
事故があったり病気になるのも突然なのである。
60すぎるとみんななんらかの病気をかかえるようになる
でも老いが突然来るというのは本当である。
病気も突然来る,老人になるとそのリスクが高いし確実なのである。
なんらかの変調をきたすし病気になる

そして逆に幸福は突然に来ない,宝くじのようにギャンブルで当たるように来ないのである。突然に来るのは不孝なのである。
この辺を見ればわかる,突然に津浪で死んだ人もいるし家を失った人もいる,そして原発事故だった、故郷にも住めなくなった
この不孝も突然に来たのである。
突然に来るものは不孝なのである。幸福は突然にやってこない

これは何なのか?
幸福になるために突然に宝くじのようには来ないということである。
老人になって趣味がないとかすることがないという人も増えている
でも趣味だって時間をかけてスキルをは磨いていないとできないのである。
突然に覚えたりはできない,習得する時間が必要なのである。
そういう習得に時間をかけていれば他のものでも上達する
何かそうしたスキルは突然上達したりしないのである。

幸福になるためにはやはり幸福になる努力をすることが必要になる
それは人生では地道なものになるかもしれない,何か派手なものではない
こつこつ積み重ねる反復する作業である。
貯蓄でもこつこつためていれば金持ちでなくてもたまることはある
一挙に宝くじのように金をが入ることは普通はない,株とか投資でももうけている人はやはりそうした訓練を日々積んで来た人なのである。
素人は一挙投資でもうけることはありえないのである。それは自分の経験でわかった

人間は幸福になりたい,でも不孝はベートベンの運命のように突然やってくるのだ
それはさけることができないように必然的にやってくる
誰の運命でもそうである。まず人間自体がリスクである。病気になるからである。
それから老化することもリスクである。老化は確実に病気になることとにているのであるあらゆる機能が弱ってくるからである。機械が古くなり故障するのとにている
もう新しくしないとならないのだが人間にはそれができないのである。

ただ日頃から地道にしていることが幸福に結びつく,なぜなら幸福は天から突然降ってきたりしないのである。
仕事するにも普通はみんな地道であり地道なことの繰り返しである。
普通の仕事は投資とか株のように一挙にもうかるようなことはないのである。
人間には何らか運が作用していることは確かである。
これは否定できないにしろ日頃ごろごろして何もしないでスキルも磨かないなら突然何か幸運がいいことがやってくるのかとなるとならない

自分がしているパソコンの抽象画でもそうである。なぜ全く絵の才能がないのに絵を描けたのかという不思議があるからだ
それはやはりパソコンを長年していてソフトでたまたま発見したからだとなる
それも長年パソコンをしていたからだとなるのである。
そもそも仕事はそうして地道にしていてその仕事に熟達してゆく
突然に熟達したりしないのである。
富というのも実際は一代ではなかなか築けないというときそれだけ時間がかかる
先祖の恩恵で金持ちになるというのが多いのはそのためである。
一からはじめたら容易でなるなるからだ
一代で資本を蓄積して次の代でその資本を基に事業をして成功するとかなる

才能なども天才は別にして能力は地道に磨いていればそれなりのものを発見するかもしれない,人間の能力もまた発見されていない個々人でもどんな能力があるかわからないのである。
何か地道にし日々精進していればそうした能力も身につくとなる
一挙にそうした才能が天から降ってくるように身につくとはならないのである。

例えば遊ぶということも退職したから簡単にできるかとなるとできない,遊ぶ能力を磨いているできるが人生を勤め人として費やした人は遊びができないのである。
だから今度自由になったから遊べといってもとまどうのである。
遊ぶというときギャンブルとかではない,何か趣味とか能力にかかわるものである。
そういうものが退職してすぐに身につくかとなるとできない,将棋でも本当にできない
それだけ修練していないとできないのである。

反復によって手に入れた能力は深みもあり凄みもある

この意見はまさにそうである。反復によって能力が身につくのである。
長い時間のなかで楽器でも反復して習得するのである。
能力が才能が生まれつきでもそうして反復していなければ能力は身につかないのである。
つまり人間は虫がいいし本来なまけものだからそうした反復作業を嫌がって一挙に手に入れようとする,地道な努力を嫌うのである。
何か文学でも賞をもらいたいとか目立つことばかり目指す,地道なことはしたくないのである。そういう人はいつも目立っていたいのである。
でも普通の仕事はみんな地道なのである。
でもどんな仕事でもその道に通じたものは違っている,簡単に素人が一挙にできるものではない,底辺の仕事でもそうである。
仕事に通じるにはそれだけ修練が必要であり時間がかかるのである。

そんなことよりAIになればそういうことはコンピューターがしてくれるから人間はなにもすることがなくなる,遊んでいればいいという人がいる
でもこの遊ぶことが簡単にできないのである。
毎日パチンコ屋通いとかギャンブルとか酒飲んでいるだけでは遊ぶことではない
遊ぶとは人間だけができることなのである。そこに意味が見いだされるのである。

なぜ今これだけ観光するのにいい時代はない,でも旅人はほとんどいない,ただ移動してグルメ旅行になっている,旅人は見かけないのである。
ただ鉄道であれ車であれそうした便利ものもで移動しているだけなのである。
自転車旅行だとなんとか旅しているなと感じるから自分もしてきた
今の時代になると旅人になることは容易ではない,遍路でもずっと歩きとおしてはいない途中で電車にのったりするしずっと歩いて旅している人はいないのである。
途中で必ず乗り物に乗っているからである。
だから道をたどりきままに旅する人はいない,決められたコースを移動しているだけだとなる
旅は分かれ道がありそこでどっちに行こうかと選択する,そこに旅の醍醐味がある
決められた道を行っていたらつまらないのである。
だから今の時代旅人はいないし旅がなくなったともなる
観光旅行と旅はまた違っているからだ
近くでも自転車でぶらぶら気ままに行くとき旅だったともなるのである。

不孝は突然やってくる

幸福は日々築き上げるもの

幸福というとき家族でも結婚して作り上げてゆくものでありできあがったものではない
幸福は与えられない,それぞれの努力が必要になる
お互いに築いてゆくところに幸福がある
家でも建築でも土台を作り積み上げて完成する,一気には作れないのである。
どこの世界でもそうして積み上げて作られてゆく
それが発見につながり幸福をもたらすとなる

確かに不孝は突然やってきて幸福を破壊する,でももし強い絆で結ばれていた家族ならそう簡単には破壊されないだろう。
幸福を築いてきた歴史があるからである。
何事一朝一夕にはならないからだ,だからこそ強固に結ばれる
日本の国だって積み重ねられて築き上げられてきたものである。
日本の幸福を作ってきたのである。だから簡単には破壊されない

でもなぜ原発避難区域などではちりぢりばらばらになり町が村が崩壊したのか?
突然の不孝で一挙に崩壊したのか?
そういう絆がなかったのか,絆ということが盛んに言われたけど何かそういうものがなかったから家族も散り散りになり町や村が廃墟化したのである。
そこにも積み上げたものがありそれが幸福を作っていたのである。
それが一挙に不孝が突然来て崩壊したとなる
だから町でも村でも長い年月で築き上げてきたものがありそれがそんなに簡単に崩壊するのかというのがわからないのである。
実際はそれだけの絆もないし築き上げてきたものを尊重しなかったのかともなる

とにかく突然の幸福とかは運とかで入るものは失いやすい,遺産なども突然入れると失いやすい,宝くじでもギャンブルでもうけたものも失いやすい
なぜならそれは日々築き上げてきた幸福ではない,一時の運で思いがけなくもうけようとしているからである。
日々築き上げてもうけようとしているのではないからである。
何か自分もそういう経験をして金も失ったともなる
いづれにしろ人間を作るのは地道な活動なのである。一挙に何かを幸福でも得ることはできないことは確かである。
タグ:幸福論

大内村の人の話を聞いて(2) (文明とは自然に逆らうことであり自然に復讐される)


大内村の人の話を聞いて(2)

(文明とは自然に逆らうことであり自然に復讐される)


大内村の人の話を聞いて具体的にどうして袋村がなくなったのかわかった
まず高台に人は昔から住んでいた,平地には住んだ人は新しい人達だったのである。
大内村は地形的にわかりやすい,平地と高台に二分されているからである。
その高台といっても一段高くなっている場所である
その一段高くなっているだけでも津浪ではその差が大きかったのだ
なぜなら平地に住んいる人の家は津浪で流されたからである。
あそこまで津浪が来るとは思っていなかったろう。
ただあそこでは例え大きな津浪が来ていたとしても被害がなかったのである。
一段高い所に住んでいたからである。
だから津浪の被害があったとしても語られないことはあった

でもこの辺では慶長津浪とかの被害が相馬藩政記に二行だけ七〇〇人溺死と記されているだけであとは何も記録がないのである。
その謎も深いなと今でも思う,何か手がかりになるものを探して見つからないのである。
大内村では真野川の河口の度々水害になる土地を田んぼにしたが真野川の氾濫で撤退して袋村は消失したのである。
その土地の人がその場所で語ったとき何か実感として伝わる
なぜならその人は大内村に長く住んでいた人だからである。
この袋村は明暦から開かれて文久まであった、その時ただ人は住んでいなかった
明暦の頃開かれたとき元禄には一三軒の家があった
それだけ古い時から田んぼが開かれていたのである。

そういう土地としては悪い土地でも田んぼにしなければならなかったのが日本の稲作の歴史である。どんな場所でも米がとれれば生活が最低限成り立つということでそうなった
その苦闘の歴史が稲作にはある,八沢浦だって明治以降に武士が開拓したのである。
小高の井田川は大正時代になったからなのである。
日本の歴史と農業の歴史でありそれは戦後十年でもつづいていたのである。
戦争の引揚者がいたるところに入り土地を切り開き農業で生活していたのである。
結局仕事がないからそうなったのである。農業するには土地がないとできない
その土地がないとすると悪い土地でも埋め立ててでも田んぼにする他ないとなった歴史が日本にはある,日本の弱点は広い土地がないことである,だから一時東京で土地バブルになったのもわかる,土地の価値が異常に高くなるのもそのためである。

大内村でも一段高い所があるにしてもそこで田んぼを作るとなると土地がないとなる
すると平地に向かって田んぼを作るほかないのである。
そしてその高台の前を田んぼにしたらまた土地がなくなる,すると分家するにしても土地が必要になる,そこで真野川の河口の最悪の場所を苦労して田んぼにしたとなる
真野川は氾濫しやすい川である,だから二回も自分の家では水害にあってひどいめにあった,土地が低いからそうなった
堤防も整備されていなかったからである。河川改修していなかったからである。
津浪のときすぐ近くまで塩水が川を遡っておしよせてきていたのである。
近くの土手は氾濫していたから危なかった,河川改修したからあふれなかったのである。水害は河川改修すると起こらなくなるのである。その当時はそうした技術もないから袋村は消失したのである。

こうして苦労して干拓して開いた田んぼが今回の津浪で被害にあった
そこはもともと海だった所なのである。だから元の海にもどったともなる
自然側からみれば津浪はあまりにも無情だとなるが非情だとなるが自然側からみれば
ただ自然の作用であり人間を苦しめるために津浪が起きたということでもないのである。自然の作用に悪意はないのである。
ただそうした自然の大きな作用を無視して人間は営々ともともと海だったところを埋め立てて田んぼにしたり住宅地にしたりしたから被害にあった
つまり自然に逆らうことが文明なのである。それがある時自然から復讐されるのである。自然のゆりもどしがくる,それを考慮していない人間が悪いともなる
田んぼでもやはり文明の所産だったからそうなった
原発でも実は自然に逆らう科学技術である。原子核を破壊するということがそうである。本来そんな危険なことをしてはならないものだったのである。
そういうことをしていると自然側から反発があり復讐されるともなる
科学技術にそうした危険性が常につきまとっていたのである。

人間が自然に手を加えること自体がすでに自然を破壊するということに通じていた
ただでは科学技術がすべて悪いのかとなるとそうでもない
なぜなら米の収穫量は同じ面積で今は倍以上になっている
すると土地を広げて収穫量をあげるというより狭くても収穫量を上げることの方がいいとなる,それは技術が進歩すればできたのである。
だからいちがいに科学技術は否定できないということはある
袋村でも今のような河川改修した堤防があれば水害にならなくてすんだともなるからである。それだけの土木技術がなかったからできなかったともなる

それでもやはり今回の津浪の教訓は自然に逆らうことがいかに怖いことになるかということを否応なく示された,津浪は自然の作用でありそれは必ずしも自然にとって悪いばかりのものではない,自然の作用として起きてくるものだからである。
自然の山火事でもそれは新しい森を再生するものでありいちがいに悪いとはならない
津浪でも何か自然の作用であり海をきれいにするということはあったとかなる
つまり人間側から見た自然と自然から見た自然は違っているのである。
ただ自然に逆らうことが文明であり科学技術でありそこに何かしら問題が起きてくる
神話でも火を盗んだプロメテウスが過酷な刑罰にあったのとでもそうである。
神の厳しい罰が与えられたように津浪でも原発事故でもそういう側面はあったのである。

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2018年04月12日

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南相馬市鹿島区の大内村で話を聞く (大内村で平地に住んだのは新しい人達だった)


南相馬市鹿島区の大内村で話を聞く

(大内村で平地に住んだのは新しい人達だった)

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地層が見えた,ここに津浪の痕跡はあるのか?

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津神社にあった金比羅と鯨大明神の碑



水路の工事しているの見ている大内の人と話した

「大内は高台に住んでいた人と平地に住んだ人の差が大きかった」
「高台に住んでいた人は昔から住んでいた人達だよ、そこから分家などして平地に住んだ平地に住んだ人は新しい人だよ」
「そうだったのか,かなり新しい時代に住んだ,その人たちが津浪の被害にあった」
「高台の人達は古くから住んだ人たちだよ」
「ところで袋村があったの知っていますか」
「知っているよ,あれは水害でだめになったんだよ」
「高台から平地に移り開拓したが真野川の水害でだめになっ」
「平地に出た人は新しい人たちなんだよ」

「真野川は堤防がないときは水害が多かった,あふれやすい川だったからな
自分の家も二回水害の被害にあったからな」

やはり土地の人とそこに住んでいる場で話すと土地の歴史がわかる,具体的に実感できるのである。
大内は館とつく地名があるから古いのである。古代からすら人が住み始めている
でも平地には住んでいなかったのである。そこは湿地帯だからである
だから平地に住むようになったのは新しい,明治以降ということもある
そうして新しく住んだ人が津浪の被害にあった

なぜこれほどの津浪の被害があったのか?
烏崎村でも高台に住んでいた人は被害がなかった,大内村でもそうである。
ただ海老村は一番古い,弥生時代の遺跡があるから古いが被害が大きかった
それもなぜなのか?なぜなら鎌倉時代に住んだ人の跡も出ているからである。

大内村の成り立ちはわかりやすいのである。
高台に住んでいた人たちと平地に住んでいた人達が明確に二分されていたからである。
そして今日聞いた話では平地に住んでいた人は相当に新しい,それがわかった
ただ烏崎村とかは鎌倉時代にさかのぼり古いのである
大内村ももともと古いのである。

それから津神社が大内村の公会堂に移されたがこれは津神社(つじんじゃ)ではなく津神社はツノ神社と呼んでいる,松川浦の津神社もツノミツ神社でありツ一字では呼ばない
原町の北原の高台にある津神社もツノ神社である
このツノはツノガノアラシトのツノであり渡来系が移り住んだ所なのである。
ツノガノアラシトは産鉄族であり鉄を求めてきた渡来系の技術者集団だったのである。
だから津浪とは何の関係もなかったのである。

津神社の裏側には碑があった,あそこにある碑は津神社にあったのか
別なものがあった,金比羅の碑とかあった
それらの碑は流されて不明になったのだろう。

工事は水田にするための水路である,斜面をなだらかにしたのは水が流れると崩れるからだという,それは最近急斜面の山が崩れたことでもわかる
地下水がたまり崩壊したのである。やはり急斜面になると水をふくんで崩れやすくなるのかもしれない,これは土木工学の分野になる
ともかくまだこの辺は工事がつづいているのである。

津神社の謎


津浪で再現した真野の入江 (大内村は山側に住んでいた人たちは助かった)

烏崎村の津神社にあった金比羅の碑と鯨大明神の碑


posted by 老鶯 at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

最後に不孝に終わる人間 (三人の母親の結末)


最後に不孝に終わる人間

(三人の母親の結末)

母の実家は複雑であり不孝である。一人の母親は母のママハハだった,それで母が言っていたのは弁当を作ってくれたが残したらそれを自分が作ったのは食べれないのかと怒り投げられたという,それも少女の時でありこれもひどいなと思っていた
でもその母親は老人ホームに入り最後は目が見えなくなり誰もみるものがなく母が最後にみて死んだ,遺体は病院で解剖することにしていて骨はひきとり墓に納めた
最後は悪かったなと言って死んだ

もう一人の母親はその実家で育ったが五歳のとき別れて母親は家を出て別な裕福な家に後妻に入った,そして認知症になりその前に五歳まで一緒にいた実の母親がその子供とあった,それで老人ホームに入った,金はもっていたからだ
ただ認知症になっているからわからなくなっていた,それで嫁いだ先の子供と金で争っていたのである。
そして前にも書いたがその子供は信じられないい女性になっていた
子供はすでに大きくなっていた,大学生とかになっていた
だからいくらそんなことがあっても普通の大人だと思っていたがそうではなかった
まず全然人間の情すらなくなっていたのである
その実の母親をみるにしても金だけであり母親などと思っていないのである。
だから最後にこの実の母親は不孝だなとつくづく思った
他人に世話になるより不孝である。何の愛情もないからである。
結局この実の母親は楽して最後は不孝になった
楽な道を選んだ結果として不孝になったのである。
自分は子供をおいて金持ちの後妻に入ったからである。
その後は子供とは関係していなかったのである。

ただこの女性についてわからないのは一番世話した三番目の母親がいたがその女性にもひどいしうちをしたのである。
そして自分の所に「ひどい娘だわ」と言い残してすぐ死んだのである。
この母親とは一番長く生活していた,ただ娘を言いなりにしていたのすごく反発するようになった,それはあってもそれだけ長く一緒にいて母親となっていたのだからそんなひどい仕打ちをする必要はなかったと思う
ただ自分の家とはもめていたからその女性についてはわからないしかかわらなかった
だから何か言えるものではないがそれにしても問題があるにしろそれだけ世話したのに
病気になってもなってもひどいしうちをした

そして自分の家にきてもそうだった,自分の家の場合はしかたないとは思った
「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみろ」と言って血相変えて去って行ったのには驚いたいうか言葉もなかった
非情化した人間になっていた,だから「ひどい娘だわ」というのはそのことでわかった
普通人間はひどいめにあうと非情になることはわかる
その女性はまず金銭的には何不自由なく育ったのである。
別に子供のとき両親に別れたという人もいるがそうでもない,三人の母親にかわいがられたのである。だから外から見ると複雑でもかわいそうだとも見えないのである。
ただその原因は嫁いだ夫にもあったのかもしれない,その辺は長い間交際がないのでわからなくなっていた,だから自分はとやかく言える立場ではない

とにかく「ひどい娘だわ」と言って死んだ一番世話した母親の無念はわかる
ただ最初はその母親が悪いとばかり思っていた,自分の家では疎遠になっていたしその人のことがわからなくなっていたからだ
だから娘の方については悪いとは思っていなかったのである。
その娘は非情化したというより凶暴な女性になっていたのである。
とにかく人間の変わりようには驚く,全く別人になる,ただ子供の時しか知らないから何とも言えないが人間はそんなに変わるものかと思う

いづれにしろ母の実家,兄弟も姉妹も全部死んだ,そして物語となった
それはまた教訓ともなるだろう
別にママハハでも子供に愛情をそそげば実の親と変わりないものとなる
それをしないから不孝になったともなる
実の母親でも愛情がないとするとただ自分の幸福だけを思い裕福な家に子供を捨てて楽したのだから今になって子供に世話になろうとしたことが間違いだった
ただ他に世話になる人がいないなということもあった
そしてただ金を求められるだけだとなったが本人は認知症になっていたのである。
それも悲惨である。

みんな人の一生をみると最後に総決算になり不孝になっている人が多いのだ
それはそれまでの人生の決算でカルマの決算でそうなる
そもそも死ぬということが人間にとってどんな人でも悲劇なのである。
悲しみのうちに人間は死ぬとなるからだ
だから最後はどんな人でもあわれな最後となる
人間の最後はみんな悲劇なのである。
人生も物語として終わるが歴史も物語である,history-storyなのである。

人間の一生がどうなるのか?それは死んだからわかる
それも死んでからそれなりの時がすぎると自ずと解明される
それは歴史でも同じなのである。歴史となるとさらに時間がかかる
今になって明治維新が問われるのもそうである。
実家のママハハが死んだのは実際は十数年前だったと思う
二〇年くらいすぎていたかもしれない

タグ:人間の最後

大坂城の桜(夕日と桜(続)


大坂城の桜(夕日と桜(続)


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大坂城散る花尽きじ赤々と夕日耀(かがよ)ふその一時かな

大坂城尽きず散る花一時の栄えのあれや夢と消えにき

大坂城栄は一時散る花の尽きじやあわれ夕日耀(かがよ)ふ

秀吉の栄華の日々の短しも夕日耀(かがよ)ひ散る桜花かな

秀吉の栄華も一時夢の跡花散る後に石垣のみうかも

散りやまぬ花にしあれや大阪城なお赤々と夕日耀(かがよ)ふ

盛りとて夕日に映えし桜花明日は散るらむ名残惜しみぬ

この身とて夢幻や盛りなる花も一時この世なるかな

栄なれ夕日に映えて桜花この一時を惜しみけるかな

いづこにも栄はあらむここに見ゆ夕日に染まる桜花かな

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大坂城夕陽に映えて門入れば静心なく花の散るかな

大坂城なほも花散りあましたる花に酔うかな夕陽落ちゆく

大坂城出入り尽きぬ花あまたなお散りにつつ日も暮れぬかも

大阪城難波の夢の蘇るその跡の大いなるかも花散りやまじ

大坂城栄いは遠くみちのくの雪に埋もれて春を待つかな





桜で一番印象に残っているのは大坂城の桜だった,夕日が輝き桜は尽きず散っていた
その光景は忘れずに今も浮かんでくる,それだけ印象的だった
なぜ西の方が桜が映えるのかといえばそこに歴史があるからだ
日本では最初に西が栄えたからそうなる
ただの桜ではなく歴史が織りなす桜でありそれが西にある
桜と共に西では歴史を偲ぶから感慨深いものになる

ただこの短歌はそのつづきだけどイメージしたのは相馬市に街道沿いにある一本の桜が夕日に染まるのを見て作った
あそこの桜は見事である。でも別に大阪城の桜とは関係ない
夕日に染まった桜を見て感じるものがあった
桜はいろんな場所に咲いていてそこに感じるものがある

桜の咲く期間は短いから桜は意外と見れないのである。遠くに行くにしても桜はその時散っていたりする、桜を咲くときに見るのは時間がないとできないのである。
自分は桜を西から東とみてまわった,ある時は西に行きみちのくに帰ると桜が遅く咲きはじめる,逆にみちのくの桜を見て西に行ったら散っていたとかなる
その桜前線が日にちがずれていることがまた日本では見物なのである。
実際に北海道の稚内では六月に桜が咲いていたからである。

桜前線の短歌

これだけ自分は暇だったとなる,しかし介護になり十年は旅はしていない
そのうち忘れるのだが大坂城の桜はわすれがたいのである。
あの夕日がなんともわすれがたいのである。それは普通の夕日ではない
やはり歴史を感じたからだともなるのか特別印象に残る夕日だったのである。




2018年04月11日

夕桜(相馬市に夕べ行く)


夕桜(相馬市に夕べ行く)

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朝桜太平洋や沖に船

夕桜散りてあわれや城下町

城の跡お掘りの暮れて花の屑

橲原や名も知れぬ墓落椿


立谷川夕べ桜の写しつつ町場橋にそしばしたたずむ


相馬市まで街道を行く,日立木の薬師堂は情緒あるポイントである
夕べ桜が立谷川に写っていた,町場橋という名もいい
それから城跡に行った,夜桜にはならない,夕桜だった
相馬市は何か墨絵のようなのである。
派手なものがないしんみりとしている街なのである
ただ外から来た人には城下町といっても城もないからものたりないとはなる

朝桜が咲いて太平洋が開けて見え船が行く,この時船がないて景色も活きてこない
人間の営みと自然がマッチしたとき最も美しくなるのである。
それで橲原(じさばら)でも田んぼが荒れている,人間の営みがない
すると何かそこには大きなものが欠けることになる

それを極端にしたのが原発事故の後の避難区域である。自然があっても人間の営みが喪失したから荒寥としたものになっているのだ

今年は東風でも冷たい,寒い,だからなかなか出かけられなかった,今度買った自転車は風にも強い,クロスバイクは小回りがきくし安全である。
この自転車は買って良かった

タグ:相馬市 夕桜

2018年04月10日

橲原(じさばら)の春(桜)の写真の絵画化 (桜の俳句)


 橲原(じさばら)の春(桜)の写真の絵画化

(桜の俳句)

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小池の墓地
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ここの墓は明治時代のものである。
江戸時代から橲原(じさばら)はあったがその後のものである

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朝静か死者や安らかや花の影

朝映える桜に椿立目石

橲原に古木の影や蝶の舞ふ

朝の滝奥にひびきて山桜


二本の枝垂桜や橲原に我が来たりてまたよりぬかな

今日は風がそれほど吹かないので橲原(じさばら)の方に行った,途中小池の桜も見た
橲原(じさばら)は絵になる風景である。
ただ田んぼは荒れているのが淋しい,やはりそこに人間の営みがないと自然でも活きてこないのである。

橲原は鹿島の奥座敷である,水無し川をたどってゆき橲原渓谷から大古の奥まで流れをたどると神秘的なのである。
真野川にはそうしたものは感じない,ダムができたこともある
あそこは隠された景勝の地なのである。

人間は意外と身近なものはあまりに見慣れているからそこが特別なものと思えないのである。灯台下暗しでもある
でもよくよく見るとそこが絵になる風景であり趣あるものであることを発見する

フォトスケッチで写真を絵画化した,絵が描けないがこれで絵の感じがでる
画家だったらもっと良く描けるだろう
ともかく花はどこも盛りに咲いている
ただ風が強いし冷たいからなかなか出れなかったのである。

2018年04月09日

今年の桜の短歌など十首 (寒さの中で咲いた桜)


今年の桜の短歌など十首

(寒さの中で咲いた桜)

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イワヒバにエゾムラキツツジ散る
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若き人住みて春の灯ともるかな

薄物(羅)のカーテン越しに春の月

我が歩む廊下の広く春の月


北風に盛りの花やなお咲きぬ寒さもどりぬ遠くに行かじ

風強く盛りの花をゆすりけりなおし散らじもふるさとに見ゆ

花咲くも東風(こち)吹きはやも散りにけり惜しむまもなき花の命は

ふるさとに咲きにし花の盛りなり遠く行かじも花は咲くなり

残る人老人ばかりふるさとに盛りの花を見つ死なむとす

ふるさとに桜の木の根を我が見つつ盛りとなるや二代住みにき

いづこにも花は咲くべしすみつきて花となるべし時を待つべし

大坂城桜を見しはいつの日や季(とき)の移りははやかりしかも

イワヒバにムラサキツツジの花散りぬ季(とき)の移りに思わぬことあり

冬の日に石にイワヒバ我が庭に長くも見しもムラサキツツジ映ゆ

石の陰冬の貴婦人四五輪の咲きてひそけし今日も見ゆかな

我が庭に苔むす石やこの庭を作り年へぬ六年ほどかな

畑作る人のいいけり寒ければ土あたたまらず仕事遅れぬと

注-ムラサキツツジはエゾムラサキツツジです


今年はまた寒くなった,東風と北風が交互に吹くが昨日も今日も北風が吹きつけて寒い
だから自転車で出かけられない,冷たいし風に自転車は弱いからである。
だから今年は外に桜を見に行かない,ただ家にいるだけである。
介護はじめてから故郷から家から遠くへ出ない日がつづいた,そのつづきでもある

桜は別にどこでも咲いている,いつでもテレビなどでは同じ所を花見山とか写しているが桜は別にどこでも咲いているが紹介しないだけなのである。
このプログのインターネットの強みは紹介するのがテレビだけではなくなったことである実際は誰でも放送できるのである。
テレビで放送しないものは小さな地域でもどこでも無数にある
鹿島駅をテーマにして放送しているのもそうである。

他でも実はこうして定点観測して報告できるのがインターネットなのである。
ただ多くの人には見られないというだけなのである。
鹿島では真野川沿いの桜がいい,ただ成長した桜が見れるのは十本くらいである
あとはまだまだ成長していないからものたりないのである。
あれが成長したら真野川沿いの桜は見物である。
それを見るのはもう老人は見れないかもしれない,ただあと二〇年も生きれば見れるかもしれないとはなる
それだけ木の成長は遅いのである。

桜というとき花というときふるさとだと根を見て花を見るというのも違う,外では根まで見ていない,ただ桜の花だけを見ているのである。
自分はいつもそこを通るから根も見ているのである。
遠くに行かなくても本当は地元の花を見いだして見るべきだともなる
花を咲かせるべきだともなる,地元に花の盛りを見るべきだともなる
その花の盛りとはやはり住んでいる場所が栄えることだともなる
それが避難区域でも桜が咲いているがそれを見ているのは老人ばかりだとなる
春の灯がともるというときそこに若い人が住み着くと華やかにもなる
それがない原発の避難区域は淋しいとなる
世代が連続していないと社会が成り立たないのである。

冬の間は地味なイワヒバとか石ばかり見ていた
そこにエゾムラサキが咲いて散ったのもめずらしい
一時華やかな花で飾られた,この花は良く根付いて咲いたと思う
何かここは土地が悪いから根付かないし花が咲かないのである。
七年以上すぎるとやはり石も苔むしていた
それが時の移りである,何か石も時間とともに根付いて行く感じになる
それも人が住んでいなければどうにもならない
空家の庭は死んでいるのである。

ともかくまだ桜は盛りであり咲いているがまもなく散るだろう。

花咲くも東風(こち)吹きはやも散りにけり惜しむまもなき花の命は

この歌は戦死した若者を思うのにはいい,惜しむ暇もなく散ってしまったからである。
東風は海から吹くから特攻隊となり海に散ったともなる
今年の桜は寒さの中で咲いた桜だったとなる
この寒さは畑にも影響している,土の温度というのが大事なのである。畑とか田んぼでも土の温度とか水の温度も影響するのである。



余裕なき社会の危険 (余裕ある社会にするにはどうすればいいのか?)


余裕なき社会の危険

(余裕ある社会にするにはどうすればいいのか?)


人間の問題を考えると余裕がないということがいろいろな問題を起す
だから余裕ある社会にするにはどうするのかということが問題になる

経済的余裕
時間的余裕
空間的余裕

人間は余裕がないというとき一番は経済的余裕である。
金がないものは追い詰められると犯罪になる
明日食べるものがないとなれば人を殺してまでわずかの金を奪うために殺す
人間でも追い詰められた人間は怖いのである。
それはもう後先考えられない,善悪の問題でもない,なぜなら追い詰められているからである。

例えば借金している人も余裕がない人であり犯罪予備軍である。
確実に借金している人には犯罪する動機があるから警察では借金の有無を調べるのである格差社会がなぜ悪いかとなると経済的に余裕がない人が増えるから犯罪も増えるためである。
これは別に個々人の問題でもない,会社でも経済的余裕がないとどうなるか?
会社自体が追い詰められるから犯罪的になる,ブラックになる
銀行なども苦しくなり客にはもうからない投資信託をすすめる
自分の場合も明らかに株を投資信託に回されて失敗した
なぜなら営業する人が投資信託にそれを回したのは投資信託をすすめて契約するとノルマを果たすことになり銀行側にとって利益になるからである。
このノルマを課せられるということもまた営業する人を余裕のないものにしているのである。

だからそういう人が来ることは危険になる,余裕がないからである。
このように余裕がないということは犯罪にも結びつきやすいのである。
まず余裕がないということは相手のことを思いやることなど全くできない
頭が自分のこと自分の会社のことで一杯だからである。
その思いやることもできないということが実は危険なのである。
余裕がない人が来ることは危険なことなのである。

自分の所に来た人達はみんな余裕がない,金がない借金している,銀行でももうけられないから余裕がない,ノルマを課せられてなんとか投資信託でも自分たちの利益になるものをすすめる,すると客に対して余裕をもって接しられない,とにかく投資信託を契約させてノルマを果たすことしか考えないのである。
そこで判断の間違いが生じてくる,余裕がないことはそうして犯罪にもなり事故にもなる
経済的余裕についてはわかりやすいが時間的余裕となるとこれも危険になる
何かに追い詰められている人はまた時間的余裕ももていないのである。
早くノルマを果たそうとして余裕がない,余裕がないということは判断を誤るということである。
自分にしてもそうである。じっくり考えてから決めましょうとしていればこんなことはなかった,自分は別に時間の余裕がないわけではなかった
十分に考えて調べてからすれば良かったとなる
ただ金銭的に余裕資金だからしたとはなる

人間はまず学校からして余裕がない,絶えず勉強に追われる,強制的に追われる
学校では絶えず試験かあり試験に追われる,なにか自分でじっくり考えて勉強する余裕などないのである
それはあまりにも膨大な知識でありそれを消化できない,もうそうした余裕がもてない社会である。
何か一つのことに疑問をもったらそれをじっくり考える余裕もないのである。

自分は相当に時間的余裕だけはあった,何もしなくても良かった,だから時間をもてあましていたがそれもいつのまにかに消失した
時間と何もしないでもあっというまに消えるものだったのである。
だから時間は貴重だったと後で後悔する
ただ時間的余裕がないというこも危険であり判断を誤る
なぜならもう少し考えてから実行しましょうとならないからである。
ただいくら時間的余裕を言っても即断したりしなければならないことはある
だからその兼ね合いがむずかしいのである。

空間的余裕とかもある,それで荘子の教えに無用の用を教えたのである。
一区域だけでそこが有用なものとして必要であってもその回りに無用の空間が必要だということである。その無用の空間が有用の空間も活かされるのである。
都会にはこの無用の空間がなくびっしりと有用の空間で埋めつくされているから空間的にも余裕がない生活をしているのである。
それ自体が心に余裕がもていないのである。

ただ経済的余裕あるというときそれほどの金持ちでなくても貧乏でも余裕がある人はいるそれは普通の人にはむずかしい,やはりある程度の収入がないと今は余裕がもてない
でもみんなそんなに金持ちにすることはできないのである。
だから余裕をもつ生活をしようとするときある程度の収入でも余裕があるようにしないとならない,それは社会全体でもそうしないと余裕ある社会は作れないのである。
きりなく贅沢をしていればとても金持ちだって余裕がある生活はできないのである。

ともかくこの余裕をもつということは何をするにも意外と大事なものとなるが意識されない,まず余裕ない人と会うことはつきあうことは危険になる
それは銀行でも会社でもそうなる,そういう会社に勤めていれば個々人も余裕がないのである。
絶えずせかされるし客のために余裕をもって接することはできない
それは医療の分野とからゆる分野でそうである。
金にせかされ時間にせかされていれば患者に余裕をもって接することはできない
だから意外と余裕というのは人間生活で大事なものである。
余裕というとき現代は豊かな便利な生活しても余裕がない
絶えず金に追われ時間に追われ休むことがないのである。

金に余裕があり時間に余裕があり空間に余裕があるとき豊かな生活になるが文明はそうなっていないのである。
絶えず金に追われ時間に追われ空間的余裕も得られないのである。
そんなのんきなことを言っていたら生きてもいけないとなるというのもそうである。
お前みたいなのんきな生活がみんなできるわけではないともなる
自分の場合は学校というのはこうして常に試験とかみずからしたい勉強に追われるのが嫌だった,それが特殊な環境でそういう生活を送らなくても良かった
ただ社会からはずれた人生になったのである。そこにまた問題が生まれていたのである。

人生百年時代になるとこれは時間的余裕ある社会の実現なのかもしれない
人生50年だとしたら人生そのものが時間的に余裕がなくなるからだ
人生は60からだとなれば余裕が生まれる,60からでも学べるとか自分のやりたいことができるとかなれば余裕になる
長寿社会のいい点は時間的余裕ができたとことだとなる
成果を示すのは60からでも70からでもできるとなるからだ
長く生きることは様々なものに理解を深めることになるからだ
何するにも一つのことを理解するにも時間がかかるからである。
知識でもある一つのことに詳しくになるには時間がかかる
そしていくら天才でもあらゆることに詳しくなれないのはそれだけの時間がないからである。
何に時間を費やしたかで人生が決まるというときそうである。
何かに人間は時間を費やしてついきゅうしてゆけば詳しくなれる,専門家にもなれるからである。

四十里四方の大倉庫に芥子(けし)を充たし、 
百年毎に一粒づつ取り出して、 
つきない程の長期とするを 
『芥子劫』といっています。

これは時間の感覚を量で示している,でも砂時計などもそうである。
でも時間の感覚は時計のようにアナログでも秒針が動くことでもいろいろに現される
まずその頃一秒刻みの時間感覚などなかったのである。
江戸時代なら時間の感覚も大雑把であり自然のリズムにのっとていたのである。
文明により時計が生まれて時間の感覚は変えられて時間に時計に追われるようになったのである。

こういう時間の感覚ではインドとか中国の方がやはり大陸だけあって長大である。
時間の感覚がまるで違ったものとしてとらえていたからである。
仏教でも老荘思想でもそうである。そういう時間感覚が文明にはない
おそらく自然があり自然的生活をしていたから自然の時間感覚になり長い時間感覚になった,木でも成長するのに50年とかなりそういう生活はではその木が成長して利用するのは50年後になるとき次の代の人がその実りを得ることになるからだ
そういう時間の感覚になると生活そのものも一代だけでの生活でもって組み立てることができないのである。
自然の時間のリズムにあわせた社会になるのである。
江戸時代は職人でも十代もつづいたとかある,そういう社会は余裕があり安定していたともなりかえって余裕がある社会だったともなるのである。

いづれにしろ余裕がないということは様々な問題を引き起こすし犯罪になるから危険であり問題なのである,株なんかも余裕がない人はするなとなるのは当然である
だから格差社会でも余裕がない人が増えると危険な社会になるから問題なのである。
それでもそんなに経済的にみんな豊かにすることは不可能でありもう経済成長もない時代である。
だから経済的に余裕をもつ社会というとき別な観点から考える必要がある
贅沢していたらどんな豊かな国でも余裕がなくなるからだ
その兼ね合いがむずかしい,どうしたら余裕ある生活が収入が低くてもできるのかということが課題にもなる、みんなにそんなに金持ちにはできないとすると必然的にそうなるからだ
だからベーシックインカムなどが文明には必要になる
それも無理だともなるがそうしないといくら文明が発達しても余裕がない社会であり犯罪も増えるし人々は本当に精神的に豊かになれないからである。ベーシックインカムになれば犯罪は減るだろう
やはり最低限でも保証されるとういことがそうさせるのである。



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2018年04月08日

駅前の花壇の詩


駅前の花壇の詩

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駅前の花壇に二色のパンジー
黄色は外来者の来て
紫は内にいてその色濃くも待つ
出会い見送りて
120年の歴史を刻む駅舎かな
八重桜のなきしは淋しも

鹿島駅の歌壇は二つ整備された,黄色のパンジーは外部から遠くから来る人を象徴している,明るい花である。
一方で紫の花は内部にいて待つ花なのである。
それが対象的であり駅というのが外部のものと内部の者が交わる場になっているのである
こういうことは駅だからありえる,でも案内したのはセディティであり鹿島で一番にぎわっている常磐高速のSAである
そこにおみやげを一杯売っていると案内したのである。
その女性は車に乗せられてそこに行ったのである。
駅前ではおみやげは買いないからである。

鹿島駅の花壇は大きいしそれなりに映える,二カ所花壇ができたのもいい
それだけで何か駅でも明るくなる
ただ八重桜がみんな切られてないこきとは淋しいとなる
駅は何かわかったことは人が交われる場所なのである。
一時でもそうである。そういう場所は今はあまりないのである。
第一大きい駅になると人が交わる場所ではない,ただ通りすぎて行く場所だからである。だから小さい駅が人間的になる,つまり小さいということは何でも人間的なものにするのである。

現代の社会が何でもあまりにも大きすぎるのである。大きくなれば人間は群集と化して
数だけになる,でも田舎駅だと一人一人の人間になるということもある
ともかく自分は毎日一時であれ駅に寄っているのである。

タグ:駅前の花壇

物神化はグローバル経済で極端化した (物と心は分離して人間的モラルは通じない)


物神化はグローバル経済で極端化した

(物と心は分離して人間的モラルは通じない)

価格と質が納得できるものであればその生産過程は基本的に問わないという態度に徹することが、この社会では最も効率的なのです。多くの人がそのように振舞う結果、商品が人と人とのどのようなかかわりを通じて生まれてきたものかは、人々の目には映りにくくなり・・・・・・・

物件化とは労働の疎外過程である。疎外とはよそよそしくなることであり,労働の疎外とは労働者が労働過程そのものから疎遠になることである

これはわかりやすい例ですね。お歳暮を贈るというのは、「お世話になっています」という気持ちの現われであり、「気持ちそれ自体」は目に見えません。贈られた物を、贈られた人が「これからもよろしくお願いします」という気持ちを物から読み取るものだと思います。気持ちが物として現れている、つまりこれは物象化だといえます。人間関係は目に見えませんが、それが物と物との関係になると、目に見えるのです

何か物神化などというとむずかしくなる,専門用語になるし法律でも同じである。
自分が追及している経済と社会学はそういうものではない
人間社会を解きあかすものとして学問を利用する,でもその学問がすべてを解決するわけではない,一手段なのである。
第一経済学ですべての社会を解明することなどできないからである。
マルクスでマルキシズムが宗教のようにドグマとなりイデオロギーになったことがその大きな間違いになったことを歴史が証明した
どんな学問でもそれは社会を見る一手段にすぎないのである。
マルキシズムが社会の矛盾とか不公正を解決するものとはなさなかったのは共産主義が中国のように最も格差社会になったことでも証明しているのである。
ただマルクスの見方はやはり現代社会を分析するとか何かそれが見事にあてはまるということでそれに心酔して宗教のようになったのである。

何か現実の資本主義社会でもグローバル化社会を見るときもマルクスの見方があてはまり見直されるのである。
べつにこうしたむずかしい専門的な学問でも卑近なものから読み解くこともできる
本来の人間と人間の関係が物と物との関係になり物を通してしか人間は交われない,
その間に貨幣が媒介するものとしてあり貨幣が神のようになってしまう
そこで人間そのものが疎外されるということは誰でも日頃の生活で感じているからだ
むずかしいことはわからないにしろそういう生活を日々しているから実感として社会は金で動いているとなる

物が商品があるとしてその物は人間が労働して生産するものでありその生産過程を知ることが無くただ物だけが現れ物を通してしか関係を築けないとなる
その物が一つのリンゴでもどういう過程で作られてきたのかはわからない
ただ商品の質だけを見ているというのは本当である。あとは値段である。
そこで消費者は厳格に見ている,でもそれがどうして作られてきたのかなどはには関心がないしまた知り得ようがないのである。

近くで小さな畑で野菜を作っている人はその生産する過程を苦労ばかりを言う
それはまさにスーパーとかの商品を売るのとは逆なものになっている
最近は道具を盗まれたとか毎日草むしりだとか鳥に食われたとか肥料代がかかるとかあるがそういうことは一切買う人は知らない
買う人は商品の品質と値段だけ見ているのである

「お世話になっています」という気持ちの現われであり、「気持ちそれ自体」は目に見えません

物には実は心も入っている,物と心を分離するのが西欧的である,東洋では日本では物とは日本語でモノとはモノが憑(つ)くとか物に心がつくのである。
物は単なる商品ではなく数値でもなく心がついたものとして流通していたともなる
それは狭い範囲での生活だったらそうなる,その物がどうして作られて得られるか目に見えるようにわかるからである。
近くの畑でとれたものを買ったりもらったりしたらそうである。
もともとそういう村とか狭い範囲で生活していれば物とは単なる物ではなくそれ提供する人のことを見えているから物と心の分離は起こらないのである。

江戸時代ならまだ狭い範囲だから物と心の分離は起こらない,でもそれが広域化する,日本全体でもさらにグローバル化すればもう物と心は分離して物だけが商品だけが入りそこで貨幣の力が増大するのである。
そもそも貨幣とはなぜ生まれたのか?
それは外部のものを買うために輸入するために貨幣が生まれというときそうである。
贅沢品を手にいれるとき貨幣が必要になり貨幣の力が増大する
だから一時日本でも宋銭が出回っていた時外国の物が輸入されてそれと同時に宋銭が日本に出回ったのである。どうしても外国の物を買うのには銭が必要になったということである。それまではそんなに貨幣は出回らないのである。
江戸時代辺りになると経済も広域化すると貨幣の力が大きくなってゆく

ともかく現代のグローバル経済ではもう心と物は分離している,だからモラルもなにもなくなる,貨幣のみが神のようになるというのはみんな日々の生活で実感している
すると遂に人間そのものも商品であり金として見るのである。
自分に接した人もそれしかない,こいつとつきあえばいくら金になるのだとかこいつが死ねば金が入るなとかこいつはいくら金を残すのかとかしか関心がないのである。
それは親子関係でもそうである。親子の関係すら金なしではありえないのである。

人を見る場合もいくら給料がもらえるのかとか金しかから見ないのである。
どんなふしだらな人間でも金のある者が消費者が王様になる社会である。
そしてグローバル化することは金をそれだけ価値あるものとするとき都合がいいのであるそれまでの価値は江戸時代だと社会的身分であり土地や山を所有するとかに価値があった貨幣がこれほどまでに価値あるものとはなっていなかったのである。
貨幣とは今では金貨でも鉱物でも作られていない,ただの紙なのである。
紙だから本当に紙屑になることもある,今はさらに紙すらなく金は数字になり数字として銀行に記録されているだけだとなる
そしてあらゆるものが債権化される,債権化することによりグローバルに売買することが容易になり世界が株式市場になった

でもそこには人間の心は通じない世界である。非情化された人間と人間のやりとりがないのである。金を貸すにしても直接金を貸せば相手のことをいろいろ考慮する
グローバル経済ではもうそこにはそうした人間の事情などいちいち見ていない
ただ非情な世界で莫大な金が債権が売買されているだけだとなる
だから数バーセントの人達がそのグローバル経済では富を独占するというのもそうである例えば小さな村とか狭い範囲で売買していたらそんな法外な利益をあげることはできないし富を得ることはできない,なぜなら富はとても一人の人間では作れないからである。
するとそんな富をもっているものは回りから責められる
それは田舎だと平等を追及されるからとてもそんな人は住むこともできないのである。
日本ではもともと村社会だからそうした桁外れの金持ちはいないし住めないのである。

グローバル経済はまず地域を破壊して国を破壊する,それでトランプとかはアメリカの富はアメリカ人にもどすべきだとなる,イギリスでもEUから離脱する
国はもう泣く泣く多国籍企業が世界を支配しているしてもう国はいならないとなる
そういう社会が成り立つのか?グローバル経済にもいい点はあるし否定はできないものがある,世界的競争で品質は向上する,鉄鋼でもそうである。
アメリカで鉄鋼輸入しないと粗悪な国内産のものを使うといいものはできないからであるそういうことはあってもグローバル経済は限界に来ている
なぜなら国内に住む人がグローバル経済で貧乏になってゆく,失業してゆくとなると国が衰退して成り立たなくなるからである。
経済とは苛烈な競争でありその競争に負ければ経済戦争に負ければ国は戦争に負けると同じになる、そうなるとアメリカは中国と経済戦争になりその後は本当に戦争になり勝敗を決めるとなる,最後の手段は軍隊であり軍事力で国の勝敗が決まるともなる

日本でも石油の輸入をアメリカにとめられたから戦争になったように北朝鮮でもそうであり経済戦争が先にありその後に本格的な人と人が殺し合う戦争になる
それだたけグローバル経済では経済戦争が戦争の引き金になる
そうなると戦争を未然に防ぐには経済戦争をしないことだともなる
つまりグローバル経済のいい点はあっても何らかのそこに制御するとか戦争にならないようなルールとかが必要になる
そんなことができないとなるとグローバル経済は限定したものとしてやめるべきだとなる世界的株式市場もやめるべきだともなる
なぜならいくら貿易は自由でグローバル経済がいいとしても戦争になるとなればもともこうもないからである。

いづれにしろ人間的なものを回復するには小地域経済とかを見直すべきだとなる
小国家の方がそうしやすいということもわかる,中国とかアメリカは巨大すぎるからである。それは恐竜のようになり最後は苛烈な経済戦争になり本当の戦争になりそれに世界もまきこまれてしまうから怖いのである。
要するに経済一点張りよりそれ意外のものの価値を見直すことだともなる
そんなに世界から輸入しなくても国内産でも満たされるとかの考え方である。
その小地域で血の通った見通しのきく情の通じる,心の通じる社会を目指すというのも選択なのである。
グローバル経済はそうして物と心が分離してモラルがなくなるのは当然なのである。
それはあまりにももう人間の手を離れた怪物的なものになっているのである。
だから恐慌というとき転変地異のように見る,でもそれはあくまでも人間が作り出した物であるから人間によって制御できるものなのだがもうできない
突然クラッシュが起こり経済でも壊滅状態になる,それが資本主義だとバブルとなるがグローバル経済ではあまりにも大きすぎるからそれが起きる
原発のように一旦そうなると制御できない,壊滅状態になる恐怖なのである。

今の社会はただマルクスの思想だけでは解明できない,それは文明的問題であり世界的に共通しているからである。
なぜ日本では孤独死とか無縁社会とか失踪社会とかなるのか,それも文明が発達した結果そうなる
人間との絆が震災で象徴されたがその絆もこの辺では補償金で分断されて金のためにそうなった
人間はもう番号であり株であり人間として見られていない,人間も無数の物として金として計算されるだけだとなる
民主主義などといっても現実は膨大な数で決まりそんなところで人間の一票によって何か存在感を示せないのである。
カルト教団でも人間を人間とみていない,ただ一票として見ているだけだから選挙の一票の頭数としてか見ていない
数を集めることにしか関心がないのである。
それは文明の問題ともなりマルクスの思想ではそれを経済の観点がわかりやすいように説いたから宗教のようになったのである。でもこうした文明の問題になるととてもマルクスの思想だけでは解決などできないのである。

人間は砂粒である
人間は数字である
人間は番号である。
人間が消えた後に
何も残らない
砂粒だけの砂漠だった
文明の都市は蜃気楼のように
砂漠に消えた
残ったのは何もない
砂粒の砂漠だけだった




posted by 老鶯 at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年04月07日

働くことは人助け-端(はた)を楽にすること (金だけが働く目的と化して荒廃した)


働くことは人助け-端(はた)を楽にすること

(金だけが働く目的と化して荒廃した)


働くとは端を楽にすることから生まれた言葉である。それは狭い範囲の生活,家族とかの範囲で生まれた言葉である。
一生懸命休みなく働いている家族がいれば楽にしたいということが自然な感情として沸き上がるからである。
人間は働くということはどういうことなのか?
それには様々な要因があるにしろ大きなものとして人助けがある
人を助けるために働くことが働くことの基本にある
資本主義が神に奉仕する修道院から人助けとしてはじまったことでもわかる
働くことは日本でもそうだが人を助ける為に働くことだったのである。

それがなぜただ金のために働くようになったのか?
働くことだけではないすべてが価値が金に換算される
自分が苦しいときこいつは弱っている金があるから金をこの時奪いばいいとしかなかいことを経験した,一見最初は人助けとかあったが後はなにもない
その理由は自分に来た人達はみんな金に困り追い詰められていたから人助けどころではない,金で窮しているから金をとることしか考えていなかった
最初から金をくれと来て本当にそうした人もいた

まず荷物をもつのでも何ももともとしたくないのである。
ただ金が欲しいとなる,その時軽い荷物でももってやるのにも相当な金を要求する
車をのせるにもなにするにもそうである。
自分が困っていても全く考慮しない,その余裕がないのである。
だからこういう人に助けてもらったら法外な金を要求される
車にのせてもらうにも何十万ともなることだってありうる
つまりただより高いものはないということを実感した
誰もただでもは無料では軽い荷物一つももってくれないのである。

現代社会はまさに働くことはすべてに金に換算して金にならなければ働かない社会である例えばここで病気で倒れている人がいるとしたらまず助けることが第一のはずである。
でもこの人が金をくれるとかなんとか考えていたら助けることはできないのである。
その後にお礼があったりするがまず最初はとにかく人を助けなければならないのである。そうしないと手遅れになるからである。

でも現実に弱者化したらその弱みにつけこんで金をとるチャンスとなっただけである。
ある人は「金をくれ」と言って家捜しして本当にそうした
ある人は「金でめんどうみろ」と言って狂気のようにして去った
ある人は「金をよこせ」と弱みにつけこんで要求した
借金しているからもう相手のことなど考えない,とにかくこの際チャンスだとなっただけである。

自分が体験したように今の社会は金によってモラルが崩壊したのである。
それが如実に現れたのは原発事故で避難区域になった所に住んだ人達である。
多額の補償金をもらった結果,それでもう故郷は捨てて他に家を建てたりあとはギャンブルで使っているだけだった
子供は親を捨てて残っているのは老人だけである。
子供は外では働いているが肝心の親がいる場所では働かないのである。
つまり親子の間でさえ金の方が優先されて人助けは放棄されたのである。

それは働くことが人助けだということを自覚していなかったからである。
ただ金をもうけることが金の為に働いているとなっていたからである。
現実に避難区域では誰かが働くことは人助けであるが働く人はいないのである。
若い人はみんな去ってしまって残されたのは働くことができないたすけてもちいたい老人がほとんどだとなってしまったのである。

人間が働くことが人助けだということを感じない社会がそうしたのかともなる
なぜなら原発避難民は仮設に住んでいても金があれば生活できる
その移り住んだ場所で助けてもらっているなど微塵も考えないからである。
むしろ地元の人達を金を使ってたすけてやっているんだと言っていたからである。
現実にそうであり金さえあればどこでも暮らせるし物も外部から入ってくるから
そうなる,そして補償金をもらえるから別に困ることはなかったのである。
もし移り住んだ所で食べ物がないからゆずってもらえませんかとかなったら別だったが今の社会は金さえあればどこでも暮らせるからそう感じないのである。
結果的には補償金をもらったら他で暮らす方がいいなり故郷に残されたのは老人だけだとなる

何かこの辺の問題は現代社会の矛盾とか荒廃がなんでも極端に現れた場所なのである。
自分に対してもそうだった,金をとればいい,金さえあればいい,人が弱っていれば金をとるチャンスだとしかなっていないのである。
弱肉強食の世界が資本主義社会でありそれが一番弱者にしわよせがきて過酷になる社会である。弱者は金のないものは資本主義社会では苦しめられるとすると人助けからはじまった修道院からはじまった資本主義とはまるで違ったものとなったのである。

では金がある者でももし弱者化して困ったとしても金だけを要求する社会である。
すると金があっても金を要求するだけだとしてたらとても人助けなどしないだろう
まず端(はた)を楽にさせてやりたいとかの動機がないからである。
金持ちなら金をとればいい,それ手っとり早くするには盗めばいいしかないから自分の場合はそうされたのである。
でももし働くことが人助けとしてあったなら後で感謝として金でも与えることになる
でもその前に金をとることしかないのである。
そういう社会に生きることは本当に索漠としている凍りつくような人間関係の中で生きているとうことにもなる

こういう社会に生きていればそんなあまちょろいことで生きていけるか,食うか食われるかの厳しい社会なのだ,人間社会はもともとそういうものだった,戦国時代もあり殺すか殺されるかの社会でもあった,そんな聖人のようなものを期待していては生きていけない働くことが人助けだと笑わせるなとかなる
それが一般的現実だともなっているし人間社会はそうだったともなる

でも一方ででは人助けが働くこととしてそれが本当に馬鹿げた損なことばかりなのか?
そうでもない,ビジネスでも実際は人助けから成り立っているのが多いのである。
人の為にならないことがどうして社会から受け入れられのかともなる
もし自分も弱った時,困ったとき助けてくれたら感謝するし金も与えていたのである。
その時はまず助けてもらうことであり金はあとで払うとなる
ところがます先に金をよこせ,金をもらおうというのが今の社会なのである。
金をももらってからしか何もしないのである。

現代社会資本主義社会の荒廃はこうして何かすべてがまず金であり人助けがビジネスの基本だということがなくなった,なぜ事業を起こした人が成功しなかったのか?
その原因はいろいろあるにしろその人にはまず人を助けるというかそういう気持ちが全くなかったのである。
金持ちから金をとればいいということではじめたのである。
その頭の中は金しかない,何か社会に貢献するという気持ちもなかったのである。
だから自分が弱り困ってたときでも金をとればいいしかないのである。
借金においつめられたからでもあるがもともと事業起すにもそういう考えしかなかったのである。
事業も弱者を食い物にするとか自分がもうければいいとか相手を犠牲にしてももうければいいとかで成り立つのか?
銀行でもそうである。銀行がもうかる投資信託を売りつけて客のことは二の次三の次である
それが一見いいようでも結果的に悪いものとしてはねかえってくることもある
別に投資でも客にもうけさせてくれれば悪いということもないのである。
ただ銀行が得することだけをすすめて客のことなど考えないから問題なのである。

いづれにしろ働くこととの荒廃がグローバルにも起きてきているから働くことの動機も荒廃しているからもう資本主義は弱肉強食の世界となり崩壊する
その一つの大きな要因として今や広域化したグローバル化した社会では誰のために働いてイいるかなどわからないからである。
地球の裏側から物が入りそんな人のために働いているのかとなる
つまり働くとは端を楽にすることでありそれは家族的なもの狭い範囲でこそ成り立っていた労働観だった,それがグローバル化したときもうとても人間的にはとらえられない経済株式資本主義となりそうなったともいえる
そこにはもう人間的なものを越えたなかでの取引でありそうしてその金がわずか数パーセントの人達に吸い上げられている社会である。
そういう社会はもう悪魔的なものでありとても人間的モラルなど通じなくなっていたのである。

posted by 老鶯 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年04月06日

発行元がわからない南相馬市時刻表(交通案内)


発行元がわからない南相馬市時刻表(交通案内)

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クリック拡大-鹿島の時刻も出ている
(鹿島の時刻も出ている)



この時刻表は新聞折り込みで配られていたという,だからこれを張っている店が原町にはある
でも不思議なのはこれを発行したのがどこなのかわからない
原町の商工会にも聞いた,市の方にも聞いた,JRにも聞いた
JRでは自分が鹿島の簡単な時刻表を作って置いたが駅舎内にはJRの許可ないと置けない
それは他のパンフレット類もそうであり撤去された
理由は文句とか聞かれると嫌だしJRの責任になるからだという
でもこの時刻表にくいてはJRは関知しないという
つまり勝手に配っても問題ないのである。
でも時刻が間違っていたりしたら苦情が来るかもしれないがその発行元がわからないからそれもしようがないのである。

この時刻表には鹿島の時刻表も付随して記してある,だから便利なものだから鹿島区にも配ってもいいものである。
でも鹿島区でこの時刻表を配っていない,見ていないからだ
そもそも新聞の折り込みでも配ると金がかかる
その金をどうして得たかというと回りに宣伝がありその宣伝した店とからもらって誰かが作ったのである。無料で誰かが配ったのではない
ただではそういうことを誰がしたのか?それが全くわからないから奇妙だとなる

こういうのは商工会とかがするのかと思っていたが違っていた,原町の商工会では全く関知していないしこの時刻表について知らないのである。
ともかくこういうものが鹿島区にも必要である。
これは別に鹿島区でも役に立つ,でも無料では配られない
原町区だけに配られたとなる
それは一般の人も新聞の折り込みで配られてもっているというからだ

時刻表ではいろいろ自分も作っていたから関心があった
今でも駅に時刻を見に来る人が必ずいるのである。
すると時刻表を欲しいという人は鹿島区に相当数いるのである。
だからこうして作ればいいと思う誰もしていない
それは原町のように金をだして宣伝に使うという人もいないからだともなる
会社とか店で金を出し合い作ったとものなるからだ
こういうのはやはり人口が多いとできるとなる
小規模だと店でも会社でも少ないからできないともなる










人間は生まれつきではない後天的に作られる (体も知能もモラルでも後天的に作られる)


人間は生まれつきではない後天的に作られる

(体も知能もモラルでも後天的に作られる)

人間の現在は時計の振り子の今のように無になってしまうことは絶対ない
それは心にも組織にも血液にも同時に記憶されている
人間は一生の出来事をすべて、器官にもまた体液にも精神にも刻みつけ
それをいだいて生きつづけているのである。
(「人間この未知なるもの」アレキシス、カレル)

この本はいい本である。人間は何でも先天的なもので作られるものではない,もちろん素質はある,だから天才は例外としなければならない、それは普通の人はまねることができないからである。
ただ普通の人でも精進してゆけば一角のものになれるということを目指す必要がある
それは体力と知能は別々のものではない,

器官にもまた体液にも精神にも刻みつけそれをいだいて生きつづけている

その人の一生が体に刻みつけられているというのである。
実際は体すら長い人生の中で作られてゆく,生まれつきのものはある
体力がある人とない人の差も大きいのである。
自分は体力がない,そのことが学校でうまくいかないことになった
体力と知力も関係しているからそうなる

その後なんとか体力をつけようと大学で体育会で武道を一年間したことで自信がついた,何か他の人にとっては楽なようでも自分の20代は苦しかった
それで30ころすでに60歳のようになり老成していたから老人になってもその風貌が変わらないのである。
なんらか自分は二十代でそれだけエネルギーを消耗したのである。

それから30以後は三食昼寝つきというか何の苦労もしていない,本当に楽な生活だったのである。その生活がエネルギーを回復させたのである。
例えば自分は体力がないから山に登ったがその後死ぬように疲れた,それで一週間とか眠りつづけるような状態になった,登山はそれだけ体力が必要なのである。
だから登山はあまりせず自転車旅行に切り換えたのである。

人間は一生の出来事をすべて体でも記憶しているというとき人間は生まれつきもあっても何かいろいろな経験をしてその出来事の中で会得してゆく
それは知識でも本からだけは得ることができない,実感というのは海外旅行でもそうだが実際に海外に行ってその地を踏まない限り理解できないのである。
百聞一見にしかずになる,そういう体験の結果として理解を深める

それから人生の行動でもそうである。一番経験するのが30まででありその間の経験で人間の方向と基礎が定まる,だからこの時期は本当は一番大事である
だからいろいろ人間がいても素質があっても環境に恵まれても金持ちの家に生まれても
青春時代を放蕩とかに費やしたらすべてだいなしになる
それが意外と怖いことでありのちのちまでそのことが尾をひくから怖いのである。

でも青春時代となると江戸時代でも人間のしていることは同じだったなとなる
旗本の若者が放蕩するとういか女をもてあそぶことなど良く映画になっているが
それが慶応大学でも東大でも一流大学でも同じことをしていた
女性をもてあそんでいたのである。レイプしたりしていた
そしてその親は社会の有力者だから金で解決したとか言われるのもにている
ただ侍の場合はモラルが厳しい,切腹させられることがある
そこが今とは違っていたのである。
人間していることは時代が変わっても変わらないのである。

ビジネスしている人でもチャンスは一回だけだとか言うとき人間の一生でそんなにチャンスは与えられない,一回のチャンスで決まることもある,長い人生だから一回くらい失敗してもどうってことないということもないと思う
でもチャンスはそんなに与えられないのである。
一つの出来事によって人間が決められる、そういう出来事は青春時代に起こる
30までに起こる,だから若い時神を求めよとなる,求道でも若い内しなかったらできないのである。
一番血気盛んなときにしないとできない,老人が求める宗教はまた別なのである。
慰めみたいなものだからである。

いづれにしろ体でも人によって相当な差がある,うらやましいのは生まれつき体力がある人になる,その差も大きい,知力にしてもそうである。
ただそれで全部人間が決まるのかというとそうでもない
体もその一生の間の生活で作られてゆく,できあがったものとして変わらないものでもない,いくら体力あるひとでも暴飲暴食ばかりしていたらだめになる
体の弱いひとでも節制して運動しているとそれなりに激しい運動はできなくても丈夫な体になりうる

何かわからないのだがなぜ自分は今になると若く見えるというのも不思議である。
それは自転車旅行をしたりしていたからである。それが習慣になり体が弱いのだが筋肉がついたりしていたのかもしれない,確かに今になると弱ってはいる
自分はどうしても長くは生きられない体に思っていた
ではなぜここまで生きられたのか?それは無理しなかったことなのである。
無理する生活をする必要がなかった,会社で無理に働かされることなどなかったからである。

なぜ今まで日本人でも長生きできなかったのかそれは相当に体力的にも無理していたし栄養もとれなかった,結果として早く死んでいたのである。
それは環境とか栄養とか病気を直せないとか様々な要因があり長生きできなかった
今になるとこれだけ世界的人生百年とかなっているのはそうした環境が改善されたからなのである。
百歳生きた自分の母は長生きの秘訣はなんですかと聞かれたら無理をしないことですと言っていた,自分の母親は本当に家から一歩も出ないで同じことの繰り返しの生活をしていた、無理はしないのである。
人間は無理をすると体に負担になりそれで早死にすることは確かである。
ただこうして30年間楽した結果として介護とかのカルマを背負うことになって苦しんだのである。
介護はエネルギーを消耗させるなとつくづく思った,何か旅行すらしたくないとか消耗したのである。

才能でも人間はいろいろな素質と才能をもってい生まれてくるがそれを活かしきれないのないのである。まず環境がそうである。
例えば音楽でも家にピアノがあり習える環境とそうでない環境では雲泥の差があるからだ音楽を追及するには音楽的環境が必要なのである。
それがものになるならないにしろピアノが家にあり常に触れている人とそうでない人の差はその環境で決まる,才能の前に環境だったともなる
楽器一つにしても覚えるのに手間だし時間がかかりすぎるのである。
そのうちに時間が消えてゆく飛んでゆきもう覚えられないとなるのである。

自分のしているパソコンのソフトの抽象画も不思議である。自分は本当に絵の才能が全くないのである。でも絵を描ければなと思っていた
それがパソコンの抽象画でそれなりに絵が創作できるということで開眼した
もちろんこれの評価はたいしたことはないともなる
でもアメリカ人の人が中心に30人くらい見ているかもしれない
ということはそれなりの評価がある,でなければ見ないだろ
抽象画大量に生産できるから,そうしてアクセスがつづいているのである。
これができたのはまさにart(技術)に左右されていたからである。
新しい技術が生まれて自分のような絵の才能がないのでも絵を描けたとなる
それはパソコンのソフトの習熟の結果できるものであり才能とは違うからである。
ただこれもパソコンが発明されないならできないことだったのである。

体も日頃の習慣で作られる

知能も日頃の鍛練で作られる

人生も体験で変わり作られる

人間は確かに謎である。運命も謎である。でもその運命も生まれつきがすべてではない
その謎はまた人間には神が関与するということもある
いくら才能があっても資質があっても天才でもそれが活かせる環境に時代に生まれなければ活かせないのである。
つまりそういうふうに才能でも資質でもなんでも活かせるのはまれだとなる
なぜなら戦争をとってもどれだけの有為な青年が無惨に大量に死んだかでもわかる
そういうふうに時代によってどうにもならないからである。
だから戦後は才能や資質を活かせる時代になっているが団塊の世代でも貧乏からはじまっているから自分のように恵まれて生きた人はそれほどないだろう。
だから環境が生まれつきより大事だともなるのである。


2018年04月05日

Japanese style beauty(Japanese abstract beauty) in Kyoto


Japanese style beauty(Japanese abstract beauty) in Kyoto

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京都は千年つづいた日本の都である。水が街中を流れている
鳥居は日本の神社の象徴である。
京都に日本の文化が凝縮されている
大阪は経済都市であり東京は政治都市である
京都は文化都市である。日本の文化を知るには京都である。


Kyoto is the capital of Japan that has been a thousand years. Water is flowing through the city
Torii is a symbol of a Japanese shrinn Kyoto
Osaka is an economic city and Tokyo is a political city
Kyoto is a cultural city. It is Kyoe.
Japanese culture has been condensed ito to know the culture of Japan.

2018年04月04日

インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘(NHK) (地理(川と山)を知らず敗北した)


インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘(NHK)

(地理(川と山)を知らず敗北した)


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チンドウィン河

インパール作戦がなぜ無惨な残酷な敗北になったのか?
それを地理的な面から考察してみる,地理が戦争と深く関係していることは変わらないものだったからだ
日本人は地理を無視して無謀な進軍をしたのである。
まずチンドウイン川という大河がありこれは日本では見られない大河だったのである。
その大河を渡り2000メートル級の山岳地帯を上らねばならなかった
それで武器などを運ぶために牛を利用しようとした,4000頭の牛を用意して河を渡ろうとしたが流されたのである。そしてその山岳地帯で牛も疲弊して役にたたなかったのであるそして撤退するときもジャングルであり白骨街道というふうにバタバタ死んだのである。その死因はマラリアとか赤痢とかの病気になったためである。
暑さも天候も影響した,雨期になり河は増水して渡れなくなった
そしてその河を渡れずに日本へ帰れなかったと慰霊に行った日本人が語る

このことに興味をもったのは自分の姉がシンガボールで今のマレーシアのジョホールバルというところのイギリスの赤十字病院で4年間従軍看護婦として辛酸をなめた
ビルマ進行はシンガボールを昭南島を陥落させてイギリスから奪いとったことから始まっていたのである。
負けた原因は今になると明瞭である,まずロジステック,後方支援がない,食料もなにももたないでジャングルの山岳地帯に進行した,それで食べるものがなくて草を食べていた多くの人が餓死したのである。そこで自殺した人も多かった
その話はジョホールバルの病院でもあった,自殺しようとして飛び下りようとする兵士がいた,やはり傷が深くなれば絶望的になったのだろう。
姉もまた赤痢で苦しんだことを言っていた
この南方特有の病気で死んだ人が多かった
姉の場合は戦争が終わりるころジャングルに逃げて命をつないだのでそこが一番苦しんだのである。

こういうことがあったのだがただ戦争とか歴史を考えるとき自分が興味をもっているのは地理なのである。地政学なのである。
大河があり山岳がありジャングルがあり熱帯であり病気になり死ぬということはやはりまずあまりにもその地理もなにもわからないし後方支援もないのに精神力で突撃したことである。
日本軍の戦争は何かあまりにも無謀だったのである。
ただ負けたというときイギリス軍にはアメリカ軍が加担して後方支援をしていたからだともなる
イギリスとだけ戦うなら日本軍は勝ったのである。アメリカ軍が加わり負けになっていったのである。

自分は海外旅行して河に興味をもった,日本人は河のことを知らないのである。
長大な大河を知らない,それが島国で育ったものの弱点である。
地の利がなければ昔から戦いは敗れることになる,日本人は国内の戦争しか経験していないからだ
大陸の地理とか天候とか風土のことなど知らないのである。
それが致命的となりあまりにも悲惨な敗北となった
わからないのはなぜ日本軍はこんなに無謀な戦争を展開したのかということである。
中国でも西安とか砂漠の入り口のような所まで進軍していることに驚くのである。
そんなに大陸深く進行していったらどうなるのかも考えなかった
ただ無闇に突進して後先も返りみなかったのである。
一時シンガホールを陥落させたときは日本中が湧いたがそれも束の間だったのである。

日本人はやはり島国ということがあり大陸のことを地理でも天候でも風土でも知らなかったのである。だからなぜそれだけの無謀な戦争を大陸に展開したのか?
まず戦略などなかったのだろう,ただ無計画に進軍してゆく
何かそういうふうな無謀さはどこから生まれたのかともなる
上からの指揮でも過ちがあり多大な犠牲を強いたのである。
日本はやはり戦争が下手であり外国を島国だから知らないとういことから起きたのが第二次世界大戦の悲劇だったともなる

歴史をふりかえればローマでもライン河でさえぎられてゲルマン人の侵入できない壁となった,河は昔から自然の国境にもなっていたのである。
大陸には大河があり河の果たす役割が大きかった,それは戦争だけではないヨーロッパでも河は交通路でありそのために川沿いに港があり都市が発達してハンザ同盟とかできた
商人の連合国ができたのは大河がありその河が交通路となり道となるからそうなった
日本にはこうした大河がない,最上川くらいがその大河とにて同じ役割を果たしたとはなる

世界史というときこの地理を知らないと理解ができないのである。
ただ世界地理となるとそれを理解することは相当に現地を踏まないと実感しえないのである。世界になると自分はまだまだ理解できない
日本には大きな河がないということが世界の歴史でも理解できないことになる
ラインが父なる河としてドイツではありライン河があってそこから愛国心も起きているのである。

結局日本軍は山岳とジャングルと大河にはばまれ無惨の死体の山を築いた
そして河を渡れずに日本に帰ることができなかった
その時雨期で増水していたからである。そこでその骨を井戸に投げ入れたというのも無惨である。
どれほど日本に帰りたかったかその無念はあまりにも悲しいことである。
姉は船で日本に帰れたから良かった,でも死ぬ直前までジョホールバルで過ごした四年間が忘れられず語っていた,認知症になってもそのことは忘れずに語っていたのである。
それは本当に死ぬ間際までうなされるように語っていたのである。
いかにそれが忘れられないことだったかわかる,テレビで見た人も認知症になっていた
だから戦争のことも忘れていた,その人は生きる死ぬかの瀬戸際を生き残り帰ってきた
でも記憶もあいまいになり忘れていた,思い出せなくなっていた

日本兵河をわたれず力尽きあまた死して帰れざるかな

何か本当に無惨であり悲しいというかやるせないというかその報いもないというか余りにも悲惨がった,そこで死んだ人は若い人たちだったのである。
自分も海外旅行して日本に帰れなくなるのではないかと何度も思ったことがある。
海外旅行だとそういう気持ちになることがある
エジプト辺りで遂に帰れなくなりピラミッドにとじこめられるという不安もあった
何かそういう恐怖が海外旅行にはつきまとうことがある
戦争で外国で死んだ人はまさに永遠に帰れなくなったのである。
このドキュメントは何か生々しいものに感じた
戦争というときどうももう一つイメージしにくいからだ
やはり直接身内がいて聞いているから生々しいものに感じたとなる
それにしても今もそこで死んだ日本兵がさまよっているというのもわかる
あまりにも多くの人が死ぬと何かそうなる
津浪で死んだ人達でもそうである。以前として津浪でなくなった村の跡をさまよっているというのがわかる
インパール作戦で死んだ人達も日本に帰りたい帰りたいとその霊がさまよっているというのは実感するのである。


posted by 老鶯 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

浪江の人がアル中で入院する (浪江に帰らないとして一体何をして暮らすのか?)


浪江の人がアル中で入院する

(浪江に帰らないとして一体何をして暮らすのか?)

 東北会病院(仙台市青葉区)に8月から3カ月入院し、先日退院したばかり。52歳の時にアルコール依存症で入院した経験があるが、それ以降は断酒会に入って酒と縁を切っていた。眠っていた病を呼び覚ましたのは、震災による生活の激変だった。

 被災者を支援している「ふくしま心のケアセンター」によると、平成24年から26年までの間に約2万人からの相談があり、その多くが精神的に不安定な状態から身体に異常をきたす「身体症状」や、一時的なイライラ感など「気分・情動に関する症状」を訴えているという。


復興住宅に住んでいる浪江の人と良く合う,その人は陽気な人で大工をしていたという
いつも昼間から酒を飲んでいるので赤い顔をしている
大工をしていたがその道具も親戚の人にくれたとか言っていた
そして知っている浪江の人がアル中で入院したという

この辺でも原発避難者でも昼間から酒を飲みパチンコ屋通いでありギャンブルであり遊んでいる人が多かった,そのことに回りの人は不満だった
自分も介護など苦しんでいたのでそうだった
介護でも優先されたのは避難者だったからである。多額の補償金をもらえたことにも不満だった
それで鹿島と小高は仲が悪くなった,今でもそのことを尾をひいている
お前らずいぶん補償金をもらったのだからいい思いしたのだから今度は自分たちで町を復興させろとなる

男性はそうしてギャンブルとか酒を飲んでいたが女性はかえって仮設暮らしを楽しんでいた人達も多い,なぜなら長屋のような暮らしになり隣近所と親しくなって話するから女性はそれほどでもなかったのかもしれない,そして大金も入ったからほくほくだったということもあった
なにしろ毎日のようにボランティアが来てかわいそうだと応援していたからである。
だから自分たちはかわいそうであり支援されるべきものだという意識になった
だから鹿島とかで回りの人がなぜ支援しないのだと怒りになって分断されたのである。
それは今も尾をひいている

今度は浪江の人達が復興住宅に入った,だから良く浪江の人とあう,それも病人とか老人が多いのである。大工をしていた人も年であり大工をこの際やめたとかなる
浪江の人は帰らないというしではその後どうするのか?
結局補償金とかで暮らして帰らないとなるのか?
何か宙ぶらりんになっている,帰って復興してゆくんだという気持ちがない
たいがい帰らないとなっている,では移住先で何をするのか?
何もせず毎日酒を飲んでいるのか,そして入院してまた迷惑をかけるのかとなる

ただそういう人と接してではその回りの人はどう接していいのかわからないだろう
回りの人の目はあいつらはただ昼間から酒飲んで遊んでいるだけだと見られる
でも浪江は近いから車で通っている人もいる,その人は浪江に帰るためにそうしているのかもしれない,ともかくなにか宙ぶらりんな状態になっている

もし大工をしていた人がここでも大工をつづければ別に問題はない
でもそれができない,年でもあるとかできない,では何をするのだろう?
毎日昼間から酒を飲んであとはやはりパチンコ通いだとかなる
そういうことが回りから許されるのかとなる
もう7年も過ぎているしそんなことがいつまでだらだらつづくのかともなる
農業でも3年していないと体がなまりできなくなるという
もう7年も過ぎたら何もできないとなる
それは宮城県の津浪の被害者でも同じである。
アル中になって入院している

ただこれは退職後の人生が長くなり何もすることがない人が増えたのとにている
それが深刻になったのが津浪や原発被害者である
その解決方法は何かとなるとむずかしい,第一復興といっても浪江の人でもやる気がなくなっている,帰らないという人が多い,若い世代はもう別に暮らしがあるから帰らない
その間で宙ぶらりんになっている人達も多い
それも老人が多いのである。その大工さんは娘とかと一緒に住んでいるみたいだからまた違っている

そもそもではそういう津浪の被害者とか原発避難者とかと回りの人がどう接していいのかそれを現実に感じる,あなたはこうしなさいと言うことも簡単にできないだろう
現実問題としてはそういう生活をしている人を回りの人が受け入れことはないことは確かである。帰らないにしてもそうである。
そして小高の場合は南相馬市民だが浪江の場合はそうではない
だから復興住宅に住んでいる浪江の人が行政に不満を言っていたがそういうことも言えるのかときついことを言えばそうなる
そうした権利とかもあるのかとさえ言われるだろう

ただそもそも復興は誰がするのか?誰が主体になるのか?
そのことが自分には前から疑問だった,いくらなんだかんだと外野から言っても一体復興るのは誰なのか?
お前がなんだかんだいうならお前は復興の主体になれといってもなれない
何もできないからだまっていれという人もいた
それも確かである。だから自分は実際は何も言いたくない
でも小高でも南相馬市であり経済的負担とか市政として直接関係してくる
現実に鹿島に補償金を一時的市の財政から出すときそれに強く反対する原町の人がいたのである。それは同じ南相馬市民だからである。
では小高に今度は復興させるとしてやはり病院とか再開すると市の財政から金を出すことになる,そういう要求があるから無下にはできないのである。
同じ南相馬市民だからである。

結局この津浪被害でも原発事故とかでも回りを全体をまきこむものとなった
第一南相馬市に何千人という浪江町民がいることがそうである。
もう浪江町民だからと分けることもできない,一体となっているし生活でもそうである。つまり原発事故はこうして広い範囲の人をまきこむのである。
自分は30キロ圏外だから原発は関係ないと思っていたのである。
でも30キロでも40キロでも鹿島と相馬市でも実際の放射線量は変わらないのである。
それで相馬市の人は補償金をもらえないから不満なのである。

もう浪江町民だからどうのこうのというより福島県でもその被害にまきこまれている
でもその主体となるのは誰なのか?
肝心の浪江町民であれ飯館村民であれ村長は外に出て村の中では暮らしていない
孫でも学校ができても村外から通わせているのである。
ただいつまでもそうして宙ぶらりんな状態にいることができるのか
30パーセントはそういう状態にある,もう若い世代で帰らない人は帰らない
その人たちはかえってすっきりしている
故郷を捨てたとわれてもそれですっきりしているのである。
別に帰るとか帰らないとか悩む必要もないからである。
問題は宙ぶらりんになっている人達なのである。

復興住宅でも浪江町に住んでいれば別だが町外にありそれも復興しにくい状態にしているともかくそういう人達が現実に身近に暮らしているし関係せざるを得ないのである
ではどうしたらいいのかとなると回りの人でも困惑しているのである。
いつまでも昼間から酒飲んでぶらぶらしていては困るとなる
しかし実際はそういう状態がつづいているのである。

posted by 老鶯 at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年04月03日

駅前に開業120年の花文字を作る (地区の人と駅長などが共同で作る)

駅前に開業120年の花文字を作る

(地区の人と駅長などが共同で作る)

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駅前の花壇に黄色のパンジーや紫も見て電車待つかな


今日は駅長もきて駅前に新しい花壇を作っていた
地区の人と一緒に花壇作りをした
駅は鉄道だけのものではない地域が深くかかわっているのである。
あのように共同作業しているのを見ているとそうである。

鹿島駅が開業して120年とあり120と花で花文字を作った
120年となると長い,時々この駅舎を写真に撮りにくる人がいる
それも鉄道で来るのではなく車で来て写真だけを撮ってゆくのである。
この前は神戸から来た人であり遠い所からも来るのである。
でも鉄道で来なくては何か様にならないとなる

もう一つの前からある花壇には黄色のパンジーと紫のバンジーが咲いている
それでその花を見て電車を待つというのが鉄道の旅の楽しさなのである。
なぜなら必ず鉄道の旅は駅で待つ時間があるからだ
その待つ時間が人間的なものを作り出しているのである。

待つということが今はなかなかない,新幹線だともう待つ時間なく来る
その感覚に人間的時間がないのである。
旅すらならやはりこうして待つ時間を楽しむことである。
すると駅前とかに花壇があり花があればそれを見るからである

ただ残念なのは八重桜は一本も残らなかった,切られてしまったのである。
前は何本も咲いていたのである。それが残念である。
何か虫がついて飛んでくるとかで切ってしまったのである。
その八重桜もすでに思い出の中にあったものとなったのである。

何かこの辺ではそうして右田の松原も津浪でみんな消えたし一本松も枯れて切られた
思い出となるものが消えてゆく,ただそういう記憶は残っている
でもそこに木がなくなればこれからの人はその八重桜でも松でもなかったものとして生きるのである。

駅というのは120年もあればそこに実際はいろいろなことがあった
自分が無人駅で一年ほどボランティアのまねごとをしてもいろいろあったのだから120年の間にどれほどのことがここであったのか?
出会いがあり別れがありといろいろあった,集団就職列車もここから出た
第一その前にもいろいろあった,姉から聞いた話では仙台に買い出しに行ったということも聞いた,物不足でそうなっていたのかもしれない,原町駅は戦争のとき空襲された、そうした人間の営みが鉄道とともに駅と共にあった,ただ車時代になりそれが忘れられていったのである。

1893(明治30年)

4月3日:磐城線 原ノ町 - 中村間開業。原ノ町駅、鹿島駅開業。

故郷の駅の八重桜(詩) 思い出のある場所が故郷

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鹿島区真野川の岸辺の桜満開(俳句十句)


鹿島区真野川の岸辺の桜満開(俳句十句)

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名もしれぬ霞める里も花盛り

花の影車椅子の女休むかな

春の日や今日も霞むや隠れ里

春の日や里の霞みて隠る石

我が家に貧者来たりて花雲り

燕来て旅人来たらむ我が街に

山中の小径を知りてスミレかな

足元にスミレや愛でぬ小さきもの

この道の行く人まれに花の影

この時を写真に撮るや花盛り



見わたせば、春日(かすが)の野辺(のへ)に、霞立ち、咲きにほへるは、桜花かも

今年は何か山でも霞んで見える,春は湿っぽくなるから霞がたつようになる
冬とはこの辺が景色でも変わる

春なれや名もなき山の朝霞 芭蕉

こういう感じである。この辺の山は高くない,隠れ里とかあり霞に隠れるのもいい
ただ人と交わると必ず問題が生まれる
貧者が来て常に金を要求される,田舎では資産がないと落ち着いた生活ができない
公務員とか銀行員とかは前は安定した職業であった
そういう職業がないと田舎では安定して暮らせないのである。
今や公務員でも原発事故後住民がいなくなったりしてもう成り立たなくなる
激務ともなりやめたいというのもわかる
何かそうして田舎では金銭的にも困る人が回りに影響する
都会だと目立たないが田舎では目立つのである
だから日本では狭い村で生活していたらとてもぜいたくな暮らしをできない
回りと合わせなければならないからである
そういう国がもともと日本だったのである。

写真をとるのもむずかしい,構図ができてとるがちょっとした違いでまるで違ったものになる,やはり遠景とアップで両方とればいいものがとれる
その辺がむずかしい,カメラもいいものではないとうまくとれない
写真は現代の芸術にもなった,写真の時代である。
これは別に絵を描けなくてもできるからいい
ただ人に見せるものとなると簡単には撮れないのである。

真野川の岸辺は散歩するにはいい,休む場ももうけられている
ただ桜の木は若い木であり桜はそれほどは見応えがない
一部が成長して古い桜である。そこは見物である
実際桜は日本全国いたるところに咲く,だから上野の桜は景色が良くない
あのような桜が日本の桜として紹介するのもどうかと思う
皇居辺りの桜だったら背景がいいから映える
やっぱりか背景が良くなければ桜も映えないのである。

桜はどこでも見れる,近くでも見ていない桜はいくらでもある
なかなか桜がどこに咲いているかわからないのである。
桜の名所というけど日本ではどこでも桜が咲くのだから名所に行かないでも桜は見れるのである。ただ吉野の桜とかなると別である
日本はこの季節が一番いいことは確かである。
ただ今は旅行しにくくなった,外国人が多すぎてホテルもとれないとかなると旅行しにくい,ずいぶん旅行したから近くの桜を見てるだけでもいいともなる
何か自転車で行くのも疲れるようになった

ともかくなんとかいい写真をとろうとしたがうまくいかない,霞む山がうまくとれない。ただこれからをは写真をとるにはいいシーズンである。

外国人観光客が増えた問題 (日本の情緒が破壊される)


外国人観光客が増えた問題

(日本の情緒が破壊される)

地域の住民にとって必ずしも歓迎されるものではない。はっきり言ってしまえば、観光客というのはそこに根ざして生活する人間にとっては、根源的に厄介者であり、迷惑以外の何ものでもないのである》

記事は、問題の原因が日本を訪れる観光客が多すぎる点にあるのではなく、「観光客が東京圏、関西圏といった大都市圏に集中しすぎている点」にあると指摘する。

通勤客で混み合う電車に大きな旅行バックを持った外国人が乗ったり、路線バスに大勢で乗ってきて病院へ向かうお年寄りが席に座れなかったりなど、日常生活と観光客との摩擦が起きています。


外国人がカプセルホテルに泊まるのが理解できる,日本はホテル代が高すぎる,自分は旅をして一番困ったのはホテル代だったからである。
カプセルホテルは地方にはない,すると地方の方が宿泊代は最低でもビジネスホテルでも五〇〇〇円以上かかる,すると宿泊代に金をとられて他にしたいことができないというのもわかる
交通費も日本は高いから移動するのは東京と大阪だというのもわかる

外国では安いホテルが多いことなのである。ホテルがそもそも多いのである。
パックパッカー用とかユースホステルも多い,そこは老人でも泊まっているし安いのである。
スイスなどホテルに泊まったら高くて旅行できない,そうしたパックパッカー用の宿が多い、ただなかなか外国人は慣れていないと泊まれないのである。
自分はパリの東駅におりて安宿を探した,やはりあったが泊まりにくかった
自分だけではないパリを旅行していた日本人の若者が夜まで安い宿を探し歩いていたのである。

パリにまで安宿探し落葉かな

こんな句にもなる,パリとか観光の都市でありヨーロッパは本当にホテルが多いし安宿も多い,だから観光しやすいのである。飛行機代とかかってもホテル代が安いと金持ちでなくても旅行できる,自分は50すぎてパックパッカーした
金が意外とかからないなと助かった,その時は自分は金の余裕がなかったからだ
つまり旅行で一番金のかかるのはホテル代だからである。
それで外国人が日本は特にホテル代が高いから若い人などはホテル代をまず安くしようとするのがわかる
ホテルは寝るだけの場所だとするのもわかる,日本では旅館だと食事つきとか何か高く設定されているのである。ただ泊まる場所として提供していないのである。
だからこそ民泊が生まれたのである。

ともかく旅と宿は深い関係がある,宿は旅情を作り出す,その点江戸時代の旅は宿場町があり人と人の交わり出会いがあり分かれがあり情緒があった
それは歩いて旅していたから余計にそうなった
車だったらそうした出会いとか分かれはないのである。
道を旅しないからそもそも分かれるという感じもなくなる
なぜなら分かれる道が分去りとして地名化しているからである。

京都で観光公害になるというのもわかる,京都に外国人が集中すればそうなる
なにか外人に見に来たのかとさえなるだろう。
嵯峨野辺りでも修学旅行生が来ていてうるさかった,それが外国人がおしかけたらさらにうるさいとなり情緒もなくなる
京都に住んでいる人の日常生活まで影響する,観光公害になるというのもわかる

ただ自分でも外国を旅行したとき慣れていないし貧乏旅行者だから迷惑をかけた
必ずどうしても外国では迷惑をかけやすいし観光客は異物になりやすいのである。
特に若い人のパックパッカーとかなるとそうである。
若い人その国の文化とか歴史とか情緒を楽しむというか学びに来るというのではないからだ,ラーメンだけを食べに来ている若者もいたからである。

東京と大阪に観光客が集中しているのも問題である,もっと地方に田舎に外国人を呼び込むべきだというのもわかる,ただ田舎は外国人に慣れていないし言葉もわからない
それで長野の白馬でおばちゃんが外国人とだきあって別れを惜しんでいた
英語も覚えたというしやはり生活するために必死になるとそうなる
でも実際は嫌なのである。沖縄でも実際は日本人が来ても迎えるばあちゃんは表面は歓迎しているが嫌だと言っていた
ただ金のためにそうしているだけなのである。

やはり外国人でも数が多すぎると問題が起きる,数の問題なのだろう。
情緒がなくなる,京都辺りだと着物姿の女性が歩むのににあう通りがある
でもそこを外人ががやがや歩いていたら情緒がなくなる
すでに情緒では日本はいたるところ失っている
若い人はやはり何か行動的であり情緒を楽しむということがしにくい
それは日本人でも同じである。
猪苗代湖でも静かな所があるが水上ボートの音が凄まじかった
それで情緒が破壊されるのである。
それは日本全国で起きていることである。

例えばそもそも現代ではそうした情緒は車社会で破壊されている
江戸時代のように歩いて旅していればその旅人は一つの絵になっていて広重の浮世絵のように残される,今はそうした情緒がそもそもなくなっているのである。
それに外国人が流入してくるとますます情緒はなくなる
何か自分は異常に情緒とか景観にこだわる
この辺は津浪や原発事故で土が大量にとられている,そこで土がとりだされたところがむき出しになっている
それをいつも見ているから嫌になる
そして八沢浦が元の美しい入江にもどったというときそこに住んでいる人にしかられたのは当然だった
そこでは津浪で死んだ子供を泥を掘り出して探していたからである。

ただ人間は意外と景観に無関心なのである。景観は金になるわけでもないからである。
森でも木材の資源としてみていて森全体があることを価値あるものと見ていないのであるだからこそヨーロッパでも森が消失してゆく,世界的にそうである
人間は何でも経済的観点からしか社会を見ない,でも情緒となると経済的観点からだけでは計り得ないものとしてある
その情緒がなくなればその価値もなくなり,京都などは古都でありそうなるのである。
だから今は旅行しないからいいと思った,旅行する気力もなくなったしまたあんなに外国人もいるのも嫌だなとも見るようになったからである。

京都なれ枝垂桜の優艷に夜もふけゆくや泊まる宿かな

京都はそこにいるだけで千年の都の中にいることになる,それは外人があれだけ多くなると情緒がなくなる
やはり数の問題であり限度があるということになる,観光都市ではあるがそこにも古都の生活があって成り立つ
でも寺でも観光収入で成り立つというのも実は批判がある
寺とは修行の場であり観光の場ではなかったからである。そこには本来の生活があって観光とは付随的にあるものが正常だからである。

posted by 老鶯 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層