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2023年08月16日
老人は記憶に生きる―ドイツの骨董店の対になった古い椅子(詩) (人間は忘れやすいので写真でもこれ文章でも記録することが大事)
老人は記憶に生きる―ドイツの骨董店の対になった古い椅子(詩)
(人間は忘れやすいので写真でもこれ文章でも記録することが大事)
●電車や車の旅は記憶に残りにくい
そもそも情報とは何か情報は無限にある。常磐線を例にすれば上野からいわきまで普通列車が通じている。でもその間に様々な駅がある。でも記憶されるのは水戸駅とか日立などは記憶される。でもその間のさまざまな駅が記憶されないしそこの情報が実は通り過ぎてゆくだけで知らないのである
それで電車の旅という旅はただ駅名だけを記憶していた。それで私は地名に興味を持つようになったのである。要するに記憶に残っているのは駅名だからである。そのほかは景色とかでも記憶に残らないのであるだから電車の旅というのは早すぎて記憶に残らないのである。それは来るまでもそうだしバイクでもそうである。現在は交通が発達し乗り物も便利である。でもそのために帰ってその土地のことや景色でも何でも記憶に残らないのである
何か今になると私は回想する旅をしている。それが仕事のようにもなっている。あそこを旅したあそこに行ったことがあるとか思い出すのである。ただ電車の旅も相当したとしても後で振り返ると何が記憶されたかとなると駅の名前だけだったともなる。景色でも電車から見ていると次々に移っていくからもし歩くように見ているのは相当な違いなのである。景色でも一瞬のうちに電車でも過ぎ去るし来るまでもそうだしバイクでもそうである。
だから現代は江戸時代のように旅は道づれとかはない。旅と一緒にして街道を歩いてそこで何か親しくなりそして分かれ道があり分かれさりとなる。そこが地名化して残っているのである。それはそこで人が分かれて本当には一回限りの出会いであとは合わないということがあった。
今のように交通が発達していないのだから簡単には会いに行けなくなったからであるなっていたからである。そこで会うということはだから相当に今と違って貴重なことだったのである。
今なら旅で別れても飛行機でゆけば大阪までも一時間くらいで行ける。それが私が気づいていなかった。それは必ず電車とか船を利用していたからである。
でも実際は大阪から仙台から大阪まで飛行機で行けば一時間くらいなのででもそれは旅にはならない長い途中が省かれているからただ距離を縮めてしまってその途中が省かれて旅というものを体験しないのである。
だから常磐線でも上野から途中の駅があるのだがそこが記憶されない。大きな駅である日立とか水戸は記憶している。東京から近いところでは土浦がある。そのくらいしか記憶していないのである
人間の体験というのはだからいくら交通が発達しても本当にその地理とかを理解することはできない。例えば航空でもシベリア周りでヨーロッパの方に行ったがシベリアの上を飛んでも下は何も見えなかった。真っ暗闇でなっていただけである。そんな旅はつまらないと思った退屈なだけだと思った。
でもウラジオストックからシベリア鉄道に乗ればその体験は全然違ったものとなる。川は電車から見たら大きかった。それも運河のようにではなく何か激しく流れているように見えた。
その幅が広く大きなものだった。そういう川は日本にはない。でもその川でも一部を見ただけなので大陸の川はそれだけ長いからである。流氷というのがアムール川の河口あたりにできてそれがオホーツク海まで流れて来るということがある。それもスケールの大きなものとなる。
鉄道でも川でも道でもそれは長いものである。だからその一部しか実際はわからない。長い川でもやはり船で行けばその川の長さを実感する。でもただ電車はその鉄橋を渡っただけであるが確かに大きさ感じたが瞬間的に通り過ぎたのでその一部しかわからないのである。本当に川のと長さを知るとしたらやはりその川を全部ではないにしろ上流からであれ下流からであれ船で行ってみることである。
そこに大きな川の流域があり人々は暮らしている。でもアムール川だと写真を見れば壮大な森がありシベリアのそのスケールがまた違っている。ロシアとかでは広大な森がありウクライナもそうであるその森が阻み閉ざされているともなる。
それはヨーロッパの中世でも広大な森がありそれでそれぞれの国は簡単に往来はできず閉ざされていたのである。そのためにドイツの神話で民話で森の中の城で眠れる美女の伝説が生まれたというのも分かる
ドイツは樅の木が育ちおおっていた。その広大な森が樅の木の森があって黒い森といわれていた。その森をイメージして作られたのがゴシック大聖堂なのである。
●交通が発達して便利なっても人間の五感で記憶されない
ともかく何故地理を知ることが難しいのか。シベリアを飛行機で行ってもなんにも見えなかった。真っ暗闇のしか見えない。それで地理がわかるということはない。地理がわかるということは人間の実感で知るということは容易ではない。地理はいくら地図を見てもわからない、地形でもわからない。日本には山が多く峠が多い。その高低が実感できないのである。
だから峠でも歩いて超えた時はその地形を実感する。でも車で一気に登ったらその高さとか高低が実感しにくいのである。だから外部から見るときそうま地域でも飯館になると標高400mくらいあり海側とは違った気候になる。冬でも五度くらい温度が違うその代わり夏になると高原となり涼しいのである
結局人間というのは確かに機械に頼れば鉄道であれ車であれ飛行機であれその目的地に早く着く。それはそれで便利であり交流を深めることはある。でもその土地のその地理を理解したことにはならない。つまりどんなに人間が機械を使い便利になったとしても何か実感として心に記憶されることは機械に頼ってもできないのである。
ただ外国になると見慣れないものが多いから余計に忘れてしまう。それで失敗したのはもっと写真として起動記録しておけばよかったとなる。
ただその時デジタルカメラが出ていないので写真にとることが難しかった。その頃いちいち現像したりするのが金もかかるし面倒だったのである。でも老人になると必ず何であれ過去を回想する。その時不思議な事は頭に記憶されていなかったのだが写真を見てこういうところだったなと再認識することがある。頭の中にはもう何も記録されていなかったのである。
こういうことは本でもある。大量の本を買って印をびっしりとつけていたのだがその本を読んだ記憶さえなくなっていたのである。それでまた読み返してみてこういうことを書いてあったのかと感心しているのである。だから記憶を蘇らさせるためにはやはり記録しておくことが大事であり文章にしてもいい今ならデジタルカメラでとにかく記録しておくのである。そして後でその写真を見て記憶をよみがえらせるのである。
●親しくなるにも時間がかかる
人間は確かにいろいろなことを経験して記憶する。でもそれも時間が経つと60以上になれば遠い過去になり忘れてしまうのである。現実に同じ家で子供の時一緒に暮らしていた人が五年間であるがその人が記憶にないと言ったのに驚いた。何かしら五年間も一緒に同じ屋根の下に暮らして飲み食いもしていたのだからその人がいなかったということはありえないのでただその人は女性は普通の人ではない異常な人となってからそうなったのかもしれない。やはり人間は家族のことは忘れない。私の場合は特殊な事情で結婚もしないで親と一緒に60年も過ごしていたから忘れることはないのである。そして特別よくされて愛されたから今でも家に居ると家族がいるような感覚になるのである
とにかく人間は老人になれば記憶に生きる。それで認知症の人は異常になっているのだが一番印象的なことを人生で経験したことを延々と語り続ける。今のことは全く忘れても若い時の経験したことは忘れない。私の姉はシンガポールの向いのマレーシアのジョホールの赤十字病院に従軍看護婦として四年間働いた。そのことが忘れないから1000回くらいその話を聞いたのでそれで嫌になったわ延々と話す相手もないから私に話したのである。
そして驚くべきは死ぬ間際になってもその話を戦争で働いた話をして死んでしまったのである。だから一番印象に残ったのは若い時その戦地で従軍看護婦として働いたことなのである。だから戦争の経験した人は戦争のことは老人になっても忘れられない。それだけの大きな経験をしたからそうなったのである。これは特殊にしてもやはり人間というのは老人になるとその人生を語るのだから同じなのである。
そして人間というのは人間が生きるに際して盲点となっているのは時間を軽んじることである。時間の貴重さが認識できないから時間を常に無駄にするのである。金だったら常に100円でも200円でも1000円でも意識している。それで得したとか損したとか常に頭に記録されてこだわる。でも時間だけはいくらとか換算できない。それが盲点となって時間を一番人間は無駄にしているのでいるのである。
そのことは人間が親しくなれるのはやはり長く一緒に生活を共にしなければ親しくなれない。人間の親しさは時間に比例している。長く一緒に暮らしていればやはりその人が他人だとしても親しい者となる。親子でも兄弟でも遠く離れてしまうと疎遠になり。そして貴重なことは孫と接するにしても娘でも遠くに嫁げばなかなか会えない。
そこで何か祖父母でも孫は親しくなれないのである。子供の時接することは親しくすることは貴重である。なぜなら祖父母だったら死んでしまうからである。そうして孫と接する時間も短いからである。するとあまり直に接していないままでも記憶に残らないということがある。
それで結婚でも60過ぎてから離婚するということは大きな損失だとも見る。なぜなら結婚でも互いに信頼し合って親しくなれるのには時間がかかる。 60までも一緒に暮らしていて離婚するとなると他にまた親しい女性はできたとしてもなかなか親密にはなりにくい。そこには既に親密になる時間が残されていないのである
だから人間とはいくらでも時間があり離婚したらまた別の人と結婚すればいいともならない。。なぜならそんな時間が人間には与えられていないからである。でも実際は離婚している人が1/3とか多いでわまた別の人と結婚すればいいではないかとは簡単になれないのであるそれだけの時間がないからである。
古い椅子が二つ
(old twined chairs)
二人は座っている
いつまでも座っている
何かを語り続けている
その人は死んでも
やはりそこに居る
そして愛し合い
思い出を語り続ける
今はその人は居ない
でも二人はいつまでもそこに居る
その土地に深く根づいた木のように
愛し合う人は 離れない
二本の木のように
その土地に根ずき思いを深める
ドイツの秋は深まる
中世の街は古く
石造りにものさびて寂びている
(秋深む古き椅子二つ ドイツかな)
old twined chairs.
They are sitting
They're sitting there forever
They're talking about something
And when they die...
They're still there.
Like a tree deeply rooted in its land
And they love each other.
And they're still talking about it.
He's gone now.
But they will always be there.
People who love each other will never leave each other.
Like two trees
Rooted in the land and deep in love
Autumn in Germany is deepening
The medieval town is old
built of stone, rusted and desolate
Two old chairs in the depths of autumn, Germany perhaps
二本の樹
柿の木に柿の実のなり
無花果に無花果の実のなり
ここに久しく変わらざるもの
風の日も雨の日も雪の日も
ただ黙しつ耐えし強き命よ
冬の日さして今休らいぬ
そは大地に根を張り変わらざるべし
昔を偲び末永き命なるべし
柿の木に柿の実のなり
無花果に無花果の実のなり
何事のなけれど争うことなく
互いに傷つけることもなく
大地に根を張り変わらずに
静かなる強き命にあるべし
そは天にてもつづきあるべし
神の園に植えられし樹よ
その実はさらに甘美なるべし
忍耐は平和の基、来世の実り
神の国はそこに作られるべし
Two Trees
persimmon tree bears persimmon fruit
The fig tree bears figs
Here is something that has remained unchanged for a long time
In windy days, rainy days, snowy days
The strong life that endures in silence
The days of winter are now at rest
Rooted in the earth, it shall remain unchanged
It must be a long life in memory of the past
persimmon tree bears persimmon fruit
fig after fig after fig.
No matter what happens, there will be no conflict
Without hurting each other
Rooted in the earth, unchanging
Quiet and strong in life
And it shall continue in the heavens
O tree planted in the garden of God
Its fruit must be even sweeter
Patience is the foundation of peace, the fruit of the world to come
The Kingdom of God shall be made there
2023年08月14日
夏の日の田舎の小径の詩(黄揚羽、夏の雲、木陰)
夏の日の田舎の小径
家々は離れてまばら静かなり
小経が分かれ家々に通じている
そちこちに木陰があり休む
涼しい風がそよぐ
夏の雲が高く高く峰となる
ひまわりは我に向かって咲く
揚羽蝶が夏菊にとまりしきりはばたく
嬉々として花から花へと渡り飛ぶ
なお暑い太陽が山の端に入る
人ごみの都会の中で人は疲れる
一本の大木は大地に深く根付く
古い農家はその大木になる。
人はもっとも身近な場をよしとしない
大輪の芙蓉の花がゆったりと咲き
そこに安らぎと平和があることを知るべし
A summer day in the countryside
Houses are far apart and sparse and quiet
A small path leads from one house to another Here
and there a shade tree rests
A cool breeze is blowing
Summer clouds form high peaks
Sunflowers bloom toward me
Butterflies perch on summer chrysanthemums and flap their wings
Butterflies happily fly from flower to flower
The still hot sun enters the edge of the mountain
people get tired In the crowded city,
One big tree takes deep root in the earth
An old farmhouse becomes a big tree.
People do not appreciate the most familiar places
A large hibiscus flower blooms slowly
And know that there is peace and tranquility there
Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)
スーパーヒタチ南相馬市を通過−youtube始める
2023年08月12日
少子高齢化は文明が発達すれば必然である (動物と人間の相違- 人間は成熟に時間がかかりすぎる―余暇を活かすことが課題に)
少子高齢化は文明が発達すれば必然である
(動物と人間の相違- 人間は成熟に時間がかかりすぎる―余暇を活かすことが課題に)
●人間は育つのに手間と時間がかかりすぎる
なぜ少子高齢化が起きているのか?それは日本だけの問題ではない。先進国では共通している問題である。 ただ、アメリカなどは高齢化している人が多いにしても大統領でも80歳になっているとしても子供の数が日本のようには少なくならない。その原因は移民がいてそれで補っているのである。
だから、ほかの国とは事情が違う。そもそも人間というのは動物とは相当に違っている。人間が成長するにはとにかく手間がかかり時間もかかる。そのことが動物とはあまりにも違っているのである。動物は生まれてすぐ立つことができるし食べ物でもすぐに捕れるようになる。長くても一年であり。その一年かかるということも長すぎる。生まれてすぐ立って餌をとっていけるということもある。
つまり、動物は本能によってのみ生きるのである。人間のように様々な手をかける。教育するとかはないのでる。本能によって生きてゆくのである。 人間にも確かに本能はあるが人間は生まれて親からでも社会からでも教育されない限り生きる術も身につかない。その期間が長すぎるのである。人間の子供を育てるということは経済的にも相当に負担だし動物のようにはいかない。
ただ、人間にも生殖本能がありだから先を見ないでセックスして子供を産むということがある。それで貧乏人の子だくさんというのも戦前からあったし戦後もあった。戦後の焼け野原から団塊の世代が生まれたのかそれは戦地から帰ってきた人たちが男たちがセックスして子供を大量に産んだともいわれる。それは本能の力が働いてそうなったとなる。
実際、焼け野原になって食べ物もないのになぜそんなに子供が生まれたということは理解できない。それはやはり本能の力だったのかともなる。貧乏な国ではアフリカなどの貧乏な国では、食い物わなくても本能の力によって子供がたくさん生まいる。 それは動物と同じよう同じように本能の力が働いてそうなっているということもある。
ところが人間というのは?そうした本能的なものを性欲でも抑制することもできる避妊とかもできる。特に文明化した社会ではそうした薬も作られて避妊できる。遅れた国ではできないから子供が増えたと思う。
つまり人間だけが本能だけはいけない本能に逆らい生きる動物である。 でもなぜ人口というのは地球の人口は急激に増えたのか?逆に人間が文明化したためだと思う。人間でもそもそもは生きるには必ず食料が必要であり。もしその食料がなければ。人間も生きていけない。だから、その食糧分だけの人間しか養えないから江戸時代までは農業でなったが限界になった。それ以上は増えなくなった。
●なぜ明治以後に人口はこれだけ増大してきたのか?
それは工業化したりして農業だけではない食料以外でもさまざまな職業が生まれてまた食糧でも江戸時代のように一反からとれる米の量が限られるという事も無かった。生産技術の発達で一反からとれる米の量が2倍3倍となった。すると。食糧でも2倍3倍となりそれだけの人口も増えても養うことができるようになった。
でもその中心が農業にあった。今は田舎でも農民は1割に満たないのである。つまり食料生産に従事する人はそれだけ少なくなりでも食料は供給されているのである。それは農業技術の進歩から来ている。 農業は主要な産業ではなくなったのである。それを象徴しているのは1000万の東京の人口があるとしてその人たちを養う食料がどこから来ているのか 東京の中に田畑はない食料は供給されている。江戸が百万都市だとしてもその周りはやはり田園地帯が広がっていたのある。
だから、その周りから食料が供給されていた。ただ米などは船で東北からでも江戸に集められた。だから食料のすべてを賄っていたとはならない。でも野菜などは東京周辺で江戸周辺でまかなっていた。それでその周りで特産物が生まれた練馬大根とかがそうである。また肥料でも糞尿を江戸まで農民が来てそれを取り出し運び肥料としていたのである。密接にその食糧を得るためにその周辺地帯と繋がり食料を供給していた
また、江戸前寿司というように東京湾で新鮮な魚をとりそれも食糧となっていた
。
ただ、江戸時代までは農業社会だから人口は抑制されて4000万以上にはならなかった。それで新潟県の人口は百万とかあり東京の人口も百万とかになっていた。実際は新潟県の人口の方が多かったのである。大正時代でも東京の人口は300万であり今の規模とは相当に違っていた。でも明治初期から比べれば相当にふえた。
●東京に人口が集中してきた歴史
私の母も大正生まれでありその当時東京へ行く人が増えた。母も女中として東京に出た。また森林鉄道が網の目のように全国にはりめぐらされて木材とか石材とかが東京に運ばれた。また鉄道はもともと石炭を運ぶものとして全国に普及した。北海道でもそうであり福島県なら常磐炭礦は有名である。
東京は大正時代に300万人になるということはやはりそれだけ東京に人口が集中してきて、食糧であれ物資であれ必要となったからそうなった。その東京への人口集中は戦後でも高度成長時代があり続いていたのである。
ただ、基本的にはまだ日本は農業社会であり。農業で生活していたから人口の移動はそれほどなかった。
なぜ人口が増えるかという時その理由はやはり農業でも食料は増産する技術が生まれ食料は供給される。そしてその上に工業社会が生まれ工業社会になる時工業地帯が生まれて人々がそこに集中する。戦後の焼け野原から団塊の世代が生まれてその時中卒の集団就職があった。それは工業社会になり働く人手が地方から集められたのである。そうして東京は人口が今の1000万円に増大したのである。それは世界中で起きたのである。巨大な都市が生まれて農村から分離して人口が莫大に増えたのである。
ここが増えるというとき農村農業中心では増えない。それは縄文時代のような狩猟採集文化だったらやはり人口は極端に少ない。人口を増やすことができないのである。でもそこに農業が取り入れるとやはり人口が増大した。それはやはり食料が縄文時代より膨大に増やすことができたからである。
だから人口が増えるということは産業構造が変わり食料だけを生産することは第一とならず工業社会となり田畑がなくても都市化して人はそこに住む。 そこで都市に人口が集中するのである。
とにかく明治江戸時代では3000万人くらいなのになぜ急激に大正時代では6000万とかなり人口は増え続けた。それは戦後の焼け野原でもそうだったのである。なぜこれほど人口が増加してきたのか?それはもともと農業から工業社会への変化があった。戦後、焼け野原から出発した団塊の世代が生まれた。その数も多くでもその就職先が中卒なら集団就職して都会の中小の工場で働いたとなる。つまり農業ではない中小の工場で働く場所があったからである。
●人間は本能だけに生きない―少子化高齢化は文明化して起きた
なぜ今、少子高齢化がこれほど問題になっているのか?
日本国から日本人がいなくなり、日本民族は消失することまでなっている。それはなぜそうなったのか?それは日本だけではない。ヨーロッパとかでも少子高齢化になっている。だからそこに共通性がある。
そもそももし生物でもただ放置していれば自然の摂理で人口は調節される。動物の場合はその取れる餌によって特定の動物は増えるということはない。
人間の場合は本能によって生きるだけではない。本来は少子高齢化というのは生物界でわありえな。動物界では力が弱ったら?死ぬことになる。力があるものしか生きていけないのである。でも人間なら能力が弱くても老人になってもいろいろと手当をして長生きさせることができる。それは自然の摂理に反していても人間というのはそもそもは自然の摂理によって生きるわけではない。それが人間の特徴である。
だから少子高齢化というのは人間特有の問題なのである。自然では少子高齢化はありえない。だから大量に魚でも卵を産み本能的生殖で子孫を絶やさないのである。ところが人間の場合はそうした本能に従わずにも生きるのが特徴である抑制することもできる。 ただ、その本能に逆らえないということもある。
女性が子供を生む期間は短い。30歳までが出産適齢期である。その後になると出産することで子供に異常が生まれたりするからなるべくなら30歳まで子供を産んだ方がいいとなる。本能的にはやはり生殖作用が盛んになるのは30までくらいだとなる。ここにやはり人間も生物としての限界がある。それでも精子の冷凍保存とかなにか技術の発達で人間の場合は変えることができる。人間には別に本能的に生きるのではなく本能を抑制できる人間の文明とは、そもそもそうして生物的本能によって生きるわけではない。そこにやはり少子化となり、高齢化となる原因がある。
つまり本能的に生きる生物界では少子化などあり得ないし高齢化もありえない、ただ動物園とかペットになるとやはり寿命は延びるのである。
ただある種が増えすぎると食物連鎖のバランスは損なわれて生態系でも異常が起きてくる。 でも基本的には動物は生態系を壊したりはしない。 人間のみが生態系を壊す、だから人間というのはそもそもは本能というものから逃れられないにしろそれを抑制し。調節することもできる人工で敵にできる。
とにかく自然界では子孫を残すために大量の卵とか多くの子供を産むというのは普通である。それは人間も同じだったのである。なぜなら人間も昔なら生まれてもすぐ死ぬことも多かった。医療も発達してないからそうなった。子供を多く産まなければ死ぬのも多いのだから子供でも子沢山にしないとその社会でも維持できなくなる。
戦前は若い人でも肺病で大量に死んで国民病となっていたのである。また疫病もあり大量に人が死ぬからやはり子沢山でないと社会は維持できなくなっていた。
医療技術が発達して食料生産でも一反あたりの収穫が何倍にもなるとか改良されてくると養う人口も増大する。高齢化になるということも必然なのである。栄養も良くなり医療も発達すれば当然、長生きする人が多くなるのである。つまり人間社会とは文明化するということは高齢化するということにもなる。ペットでも栄養をとらせて病気になっても手当てするから長生きするのである。
だから少子高齢化というのは人間社会にとって避けられないものであり、必然だということを知るべきである。それは悪いものとされているが高齢化というのは、実際は悪いものではない。なぜなら。人間早く死んでいたからである。そして長く生きることが人類の願いだったのであるだから延命地蔵とか長生きすることを願うことが人間の願望となっていたのである。
つまり人間というのは自然の本能のみに生きるわけではなく自然に反して生きるということにもなる。 それが人間の本質なのである。そしてそれが悪いものでもないのである。
●人間は成長するのに時間がかかる
とにかく人間というのは何であれ成長するに時間がかかる。その成長するというと動物なら別に知的活動などはしない。人間は知的なものを育むからそのことによって時間が必要なのである。何かを習得するにも時間がかかる。動物は本能によって餌でもとるし親から多少教えられるにしても本能的にできるのである。人間は何か教育されたり自ら育んだりしないとできない。そして知識になると膨大なものでありそれを理解するということは相当な時間がかかる。
それは私自身が一番感じたことである。何か知識でも自分のものにするには相当な時間がかかる。それは私自身が才能もないからだともなる。何か60過ぎてとかやっと70過ぎてから自分なりのものを表現できたということにもなるからである。というのはそれまでいろいろ体験したり、本を読んだりして理解するのに時間がかかったということである。
だから高齢化というのは悪いものではない。何か一つのことを理解するにも時間がかかるからある。それが今まではその時間が短かった。でもこれだけ時間があるというときもう70からでも学ぶ学ぶこともできるし表現することもできる。
だから高齢化というのは人間にとって悪いものではない。その長い人生の中で充実した人生を送ることができる。というのは退職してからも30年もあるとしたら第2の人生となってしまうのである。そこで何か実りのあることを達成できる。ただマイナス面として語られることが多いのはまだまだ高齢化ということに人間が適応してないからである。これからは高齢化ということは普通でありそれに適用して人間はさらに意味ある充実した人生を生きることもできる。
ただ、少子高齢化というのは最近起きた起きたことであり人間がそれにまだ備えていないし適応できていないのである。ただ自然界から見れば本能的に生きる動物などのようにそれは不自然なことなのである
でも人間っていうのは文明でも不自然なことなのである。少子高齢化というのも、そのために起きてくる。つまり人類は少子高齢化に生きるほかないともなる。 それが問題があるにしろその高齢化で人間の知的能力は確実に拡大し、成長する。それは私自身が遅すぎたが70過ぎでこうして何かを深く理解してインターネットで表現していることでもわかる。
つまり、これからは。インターネットとかが生まれて。個々人の表現の時代になるのでそのツールもできている。個人でもテレビ局となり、出版局となり新聞社にでもなれるからである。そこで何か表現するものが必要になる。それは高齢化の中で育むことができるのである。 だから高齢化というのは文明の中で必然的に起きたことなのである。ただ、まだそれに備えることが出来ないから問題が多いのである。老人は負担だけだとなるというときそれは介護とかの問題でありどうしても病人が増えるからである。でも老人は何かに対して理解力は深まり洞察力も深まりより成熟した人生を送るようになる。
今は高齢化の負の部分だけが取り上げられるのはそれはあまりにも高齢者が多いことでそうなったので。だから自然ならば子だくさんである。もともとは長生きしてる人はそれだけで尊ばれた。どうしてもそういう老人はごく一部だとなり。後の大多数は無用の老人であり、ただ社会の負担であり、お荷物であるとされているのである。
でも社会も進化する人間も進化する文明も進化する。だから高齢化に適応した社会となりそれが悪いものともならないのである。ただ、少子化ということはこれまた別の問題でありいいものではない。社会の活気が失われやはり新しいものが生まれなくなるということもある。
それとは別にして高齢化というのは?文明が進んで必然的にそうなったのである。
だからどこでもそうなっていくのである。アフリカでもそうなってゆく。だからそれを止めることはできない。そういう社会に適応することであり、その社会が悪いということでもないのである。ただ。今はそのマイナス面だけが強調されているだけなのである。それぞれの人生は今までは60ぐらいで死んでいたのにそれからさらに20年以上とかとか生きるとなればそれぞれの人生を意味ある価値あるものとさらにできるから悪いものではない。ただ、その過渡期にありやはりマイナスの面だけが強調されるのが問題なのである。
●高齢化社会では余暇いかに過ごすかか問題になる
それだけ生きる時間が長くなれば暇も多くなる、会社で働きずめの人生でも。退職したらその後30年も生きるとしたらその暇をどう生かすのかとなる。
ただ、貧困化して働かざるを得ないということもある。でもそうして強制されて働くことはするべきではない。つまり人間にとって長生きすることもう一つは自由な時間を持つということである。それが人間の進歩にもなる。それは人間が望んできたものである。古代になると余暇を持ったものは貴族であった。あとの90パーセントは奴隷であり奴隷がいて貴族は自由な余暇をもったのである。そこで学問芸術とかに費やされるようになった。
それで学校というのは?スクールというのがスコレーでありそれは暇の意味だったのである。。なぜそうなのか?暇があったから労働から解放されて何か学校をつくり学ぶということになったのである。
それが高齢化でまた起きている。退職しても30年間も生きるとしたらその間に何かまた学ぶということが必要になる。理想的なのはライフワーク持って退職してもそのライフワークを続けることである。
そのためにはやはり老後でも金が必要になる。
でも今は日本が貧困化しているとき、老人でも働いている。それは食べるために働いている。でも、そのことがいいとはならない。 もはや金のために働くべきではない。食うため、パンのためにも働くべきではない。それぞれの自己実現というかしたいことをする。だからこそ暇の活用が大きな問題となるのである。
ただ、それはやはり人類が進化したのであり高齢化というのもまた人類がこれまで望んでいたことなのである。それが実現されていたのである。
でもその実現された長寿社会というのは有効に生かされないということである。それで社会全体から見てみると、こう高齢化社会の老人はただ負担になるばかりのマイナスのものとして見られる。
現実に病気の人も多い。介護になるとその負担もあまりにも大きすぎる。そこに大きな負の部分があり。若い人から社会全体から見ると、ただ重荷となり負担となり社会を停滞させる。マイナスのものとしてしか見られないのである。
そして老人は技術の習得には遅れる?新しいものに?適応できないし利用できないとなる。それがパソコンとかITとかになじめないというのもそうである。それがまた社会全体に影響するから問題なのである。 子供でも、若い人は新しいものに。馴染み利用する。スマホなどはそうである。でも老人になると面倒だとなってしまうのである。
ただ、現代ではもうすでにパソコンは必須でありスマホも必須である。それなくして生活すらできなくなる。また創造の面でもパソコンなくしてはできなくなっている。
絵画するAIで作れるし音楽も作れるし小説でも作れたからである。だから意外とパソコンとかITは人間の頭脳と深く関係している。それが今までの技術とは違ったものなのである。
ただもともとアートというときそれを技術のことであり技術とアートは密接に結びついていた。写真というカメラ技術が生まれればそこで新しい芸術も生まれたし庶民もまた写真というものは欠かせないものとなったのである。それが今はデジタルカメラとか誰でも気軽に写真をとれるので写真の時代だともなったのである。
だから高齢化社会になったとしても、やはりそうした技術を修得するべきだとなる。その技術の習得というのは、実は才能というより時間が必要なのである。
私は何か時間がなくなって家事とか毎日しているので新しいことワードプレスとか動画編集とかはできない。それは難しいことがあっても、時間をかけてやればできるものなのである。老人にはその時間がなくなっている。
私の場合は家事に追われるのでできなくなったのである。だから人間は時間に比例して知識も拡大するし、広めることもできる。若い時は相当に時間の無駄をしている。そして青春などあっという間に過ぎてしまう。そして40になると。白髪が入ったりしてしまうのである。
それが今までだったらもう60くらいでは死んでしまったのである。いまそいいうことはない、依然として時間がありその時間の多さで新しいことを習得できるのである。
そこに。高齢化のプラスの面がある。ただマイナスの面があまりに大きいので。そればかり強調されるのである。そこまでまた人間が進化してない適応できていないということにもなる。でも徐々にそういう高齢化社会にも人間は適応して長生きするということが人間にとって、より多くの豊かな実りを与えるという時代になるのである。その過渡期だから、いろいろと問題が起きてくるのである。
2023年08月11日
天皇とは何なのか? (神権政治が生まれた背景ー人間は人間によって治められない)
天皇とは何なのか?
(神権政治が生まれた背景ー人間は人間によって治められない)
歴史的考察で浮かび上がる真実の姿。天皇ファンタジーと日本の現実。
●天皇は日本独得のもの―外国の王とは違う
天皇とは何かそれは日本独特のものであり。なぜ天皇は生まれたのかその経緯はどういうものだったのか?それは神話的にもなり明確ではない。天皇が初代天皇の神武天皇は実在の天皇かどうかは不明である。でもなぜ日本では21世紀までも継続されたのか?これはやはりなんらかの存在理由がある。
それはおそらく日本という国が海に囲まれていて一つの世界になっていたからかもしれない。大陸だと必ず民族の興亡があり国でも継続しないということがある。日本は明治維新まで外国から侵略されたということはない。征服されたこともない。それはアメリカに負けるまでそうだったのである。だから日本という国は他国に異民族に支配されたということはない。だからこそ天皇は継続されたのである。でもアメリカに敗れた時天皇もアメリカに裁判されて死刑になったかもしれないのである。でもそれは日本は統治できないとして天皇温存したのである。
何か天皇というとき外国から見ると国王なのかとなる。でも国王でもない国民の象徴とかという抽象的なものになっているのである。また天皇は強大な権力を持っている存在とも違う。確かに皇居とかは広大な土地であり。東京の中でその土地の価値だけで莫大なものになる。また別荘もあり、その土地も広いから。財産は巨大なものになる。
でも中国と比べると中国の皇帝とかは欲望でも歯止めがなく宮廷に千人の女性を姓の奴隷のようにしてはべらせ使いさせまさに酒池肉林とかその中国人の欲望とは限りないのである。
中国だけでなく大陸の帝国はその王は巨大な権力を持ち中国では地下にまで皇帝が死んでも支配しようとし大宮殿を作っていたのである。
そういう皇帝とか王と比べると日本の天皇はそんな巨大な権力を有していない。 確かに仁徳天皇の古墳などは巨大だから権力も巨大だったともみる。でも古墳というのは必ずしも墓というものでもなく天皇のために作られたというものでもない一つの共同体の象徴としてあり中国の皇帝のように一人の王のために贅沢を尽くすというそういう種類のものでもない。中国のような巨大な国家は人民は奴隷のようにされてしまう。一人の王のために絶対君主というか王がいて力で治めるしかない。それで民という字が人の目を潰すということからきている。これも中国の恐ろしさである。
日本でも江戸時代だと見ざる聞かざる言わざるとして民衆は何も言えなかった。でも中国となるとその巨大な国を治めるだけでものすごいエネルギーが必要になってくる。
だからどうしても圧政になるのである。それはロシアとか見てもわかる。広大な土地を。人民を治めるということはどうしても強力な圧政になってしまうのである。
中国で民主化するということが難しいのはその土地が広大であり人口も十億以上いてそんな人民をどうしてまとめるかとなる。圧政しかなくなる。もう民主制度になったら収集がつかなくなるかもしれない。みんな言いたいこと言っていたらとても広大な土地と10億人以上の民をどうして治めるのかとなってしまうからである。
だから中国というのは自分の国内をまとめるだけでものすごいエネルギーが必要になってくるのである。
●人間を治めるために神を利用した神権政治になった
それに比べると日本は小さな国である島国である。だからこそまとまりやすいのである。強大な権力を持つこともできない。それだけの土地と人民がいないからである。
一つの国をどうして治めるのか?それが人間の政治の課題でありそれは21世紀になっても解決しないのである。
一見民主主義が良いようでもそれもうまくいっていない。一体どうしたらうまく治められるのかは永遠の課題であり。そしてそれは解決しないのである。民主主義は理想のように言うがそれもただ暴力で持って治めることを権力を得ることをしないというだけであり何か理想的なものでもないのである。権力を得る為にはどうしても殺し合いがありそれを止めるために民主主義が生まれた。
ただ、それが全て上手くいくとなっていない。ただ大陸の圧政のようなよりはましだというだけである。政権交代するために殺し合いはしないからである。
おそらく人間は永遠に治めることは出来ない。それは人間のカルマである。 なぜまた21世紀になってロシアで戦争を起こしているのか?やはりそのカルマが終わることはないからである。 ロシアも今広大な土地を持っていて人民は1億人くらいでもその広大な土地に散らばる。人々を治めるのは圧制しかないのである。大陸の巨大な国家は圧政になり王が巨大な権力を持つのである。
それはエジプトのように神権剣政治にもなり共通しているのである。王が神のようになってしまうのである。それはカルト教団にも共通している。21世紀でもやはり。政治というのは?継続してやはりを繰り返しているのである。カルト教団もやはり教祖が神の様になり崇拝させて人々を支配しようとする。それが現実に起きたのは創価の池田大作がそうでありオウムの麻原でもそうであった。幸福の科学の大川隆法でもそうであった。だから政治というのは何か依然として進歩していないのである。
ということは人間を収めるということがいかに難しいかということである。3人寄れば文殊の知恵というが反面人間関係でも3人寄れば必ず争いがありまとめられなくなる。
身近な家族でも同じなので。その中でも夫婦でも常に争いがあるのである。だからこそ結婚しても1/3は離婚しているのである。
どうしてまとめるのか?それで子は鎹となったのである。家族をまとめるのは実はその中心となるものは必要なのである。
それは前は長男はなっていた。でも戦後は兄弟長男の特権は失われ、兄弟は皆平等となってしまったのである。では家の中心は誰がなるのか?すると中心になるものが失い家族はまとまらなくなったのである。
その中心になるものは別に能力が優れたものでもない。ただ中心になるものがいないと家族でも少人数でもバラバラになってしまうのである。何か私の家族のことを延々と書いてきた。二人のの母親がいたとして争っていたが振り返れば私と言う中心になる人がいなければ家族は分裂していたのである。確かに分裂状態になってもう死んで家族は居なくなった。でも依然としてやはり家族は私を中心として存在しずしつづけたのである。
だからそこに中心となるものはどれだけ重要なものかを認識するべきなのである。
南北朝の悲劇は天皇は2人になったことなのである。壬申の乱でもやはり天皇の兄弟が二つに分かれて争うことになった。南北朝では日本全体を二分してしまったので。それは村のような小さなところでも日本全国隅々まで二分して争うようになったのである。つまり天皇が2人になるということは国が一つにならないとうことなのである。そこに中心になるべきものがなくなって二分して。争うようになったので。その傷痕はあまりにも深いものだったのである。
●家族でも治めるのには中心になるものが必要
だから天皇とは何かというと。それが渡来人であれ別に血統がは継続されているからということでもなく天皇が特別神でもなく優秀でもなくてもそれが国をまとめる中心としてある。そこに意味があったのである。その天皇は特別外国の王のように権力を持っていなかった。
確かに皇居の土地は広大である。でももしそこが天皇の住む地でないとするとどうなるか?
その貴重な森は明治神宮の森のように失われていくかもしれない。天皇が住んでいるということで手を付けることができないのである。もちろんそこで大きな問題はある。不便になるしでも東京のようなところにそういう広大な土地があり森があるということはやはりそれをそれが全部悪いものともならないのである。
そもそも、なぜ政治というものは進歩しないのか?それは人間を治めることはそれだけ難しいからである。それは家族でも治めること自体難しいことでもわかる。家族でもそうしてまとまらないから、とにかく長男を立てたのである。その長男が優秀というのでなくてもあえて長男を立ててまとめさせたのである。
徳川幕府でもとにかく長男を立てて治めさせた。その長男が必ずしも優秀でなくてもただ、天皇のように象徴としてあるだけでまとめ役として有効なのである。もしそういうものがなければ、結局昔のようで。血で血を争って権力争奪の争いになる
日本の天皇とは何か?それは日本人が歴史の中で生み出した一つの知恵の産物なのである。何か神話とかそれも作り物でも真実でなくても別にいいのである。問題は国をどうしてまとめるかということにあるからである。そのまとめ役となるものは何なのか?昔だったら長男がそれをしていた。そこにもやはり歴史的に継続した。人間の知恵がありまたそれは長子は特別神によみされるものとして尊ばれたのである。
だから必ずしも人間の世界というのはなんでも平等というものはいいというわけではない。かえって平等なことでまとまらなくなり分裂することにもなるからである。
つまり長子が特別神によみされたものとしてありそれが家を継ぐということはまた、国は国を継ぐということにもなるのである。それがおそらく天皇になるのかもしれない。
アメリカはなぜまとまらないのか?移民の国でありさまざまな人種はが混交して広大な大陸に散らばる。それをまとめるのは一体になるのか
民主主義といってもそれでとてもまとめられない。だから、もはや限界にきている。そして再び暴力も起きてくる。ということは、民主主義というのは万能ではない。 すべて数が多いからと、それが正しいわけでもないし。それで決めることが良いわけでもない。ただ、暴力によって決めないと言うだけなのである。
そしてどうしても政治はうまくいかないまとめられない。国を治められない。それで誰が治めるかというと聖書では緑子に治めさせようとか
老子だと治めずして治めるとか無政府的な考えにもなってしまう。
もう民主主義の選挙などやっても無駄となりかえってじ引きで決めたほうがいいと言うまでなっている。その方が公正だともなるのである。それだけ政治は人間をまとめることは難しいから、そうなったのである。
●天皇は日本の歴史で統一するための知恵として生まれた
ともかく、天皇が何かというとき。その由来が何であれそれは一つの日本の歴史の中で生み出した知恵であったということである。
だから、それは長男が神よりよみされたものであり家を治め継ぐということまた国でも通じている。そうしなければ。まとめられないからである。そんなのは不平等だと民主主義社会では言うけども民主主義のようにただ平等を目指してもかえって不平等にもなっている。それはなぜなのか?そのことも考えねばならないのである。
日本史上では,神を祀ることがすなわち政治の根本であるとし,政治を「まつりごと」と読むのはそれゆえである。原始,古代の社会にあっては万事宗教が優先し,すべて神の意志によって行われた。風雨雷地震などの自然現象はもちろん,狩猟,農耕の収穫にいたるまですべて神意と考えられた。したがって生活が豊かに,社会が平和になるためには神に祈る必要があり,これが政治であった。この思想は古代天皇制国家統一の支柱となり,律令制において神祇官を太政官に並べて設置したのもそのためである。これは中世の神道思想から江戸時代の国学へと進んだ。明治維新以後神道国家観によって天皇の「まつりごと」を強調する傾向が生じたが,特に昭和に入って天皇を現人神とし,その親政を主張する右翼運動が高まった。だが太平洋戦争後,天皇の人間宣言とともにこの思想も影をひそめた。
明治維新には西欧文明の挑戦にあって日本は混乱した。でも古代から続く天皇により国家というのが継続されて復古したのである。それは西欧文明の民主主義とか自由主義とかそうしたものとは相反するものだったのである。
ヨーロッパでは神権政治があった。またフランス革命では政教分離が唱えられて宗教と政治を分離したのである。日本では明治になっても宗教と政治が一体化して天皇が依然として活用されていた。
つまり天皇というのはそれだけ日本にとって。皇国史観があるように日本の歴史を象徴するようになっていた。
明治維新の時混乱したが皇国思想の運動があり第二次世界大戦まで継続したのである。ただ神国だから負けないということであったが、アメリカに負けて権威失墜したのである。
それは創価などでも継続されている。選挙は仏法の戦いであり仏が全面に立つのだから負けることがないとなるのである。天皇が現人神だからが戦争にも勝つということに通じている。政教一致なのである。
結局、明治維新といっても。古代の復古があり先祖返りがありヨーロッパ文明の真髄を取り入れるということはなかった。
政治でも神がかり的なものとなってそれが300人万人も死んだ犠牲を払ったのである。それは国家のために死んだのである。それでその供養は天皇がになっているのである。でも天皇にしてもそんな大きな責任を担えるかとなったらなれないのである。
ではなぜ300万人も死なねばならなかったのか?
それに答えることは容易ではない。ただ、政治を国家を神聖化すればそれは国家のために神聖なる国家のために死んだとなる。 でも国家自体も過ちを犯すのである。神ならば過ちを犯すことはない。国家でもやはり人間が運営しているから過ちを犯すのである。神権授与された。神から権威が与えられたとかあくまでも。民衆を支配される。支配するための方便だということもある。そうなると神にさからうことができないとなるからである。
ともかく政治が宗教に関わると狂信的になりファシズムになりやすい。特に大衆社会となった時難しい理論を大衆に言っても通じない。ハイルヒトラーということで叫び一体感を感じるのである。
また念仏とか日蓮宗だとは題目を唱えて徒党を組み突撃して行った。それは分かりやすいからそうなっていたのである。
戦って死んでも成仏する極楽に行くんだということでそうにもなった。だから宗教っていうのは、人をの上に立つとき利用すると支配者にとっては便利なものになるのでは?ただ、そこに日本の天皇が神格化されて300万人も死んだ恐ろしい結果にもなるのである。
●大衆民主主義もファシズムになりやすい
ともかく一体、誰が人民を国を治めるのか治めることができるのかとなるとそんな人はいないとなる。 人間の力では収められないとなる。必ずそこには混乱が生じてカオスとなってバベルの塔のように崩れ去る。それが人間の歴史だった。 現代というのは大衆社会である。大衆が力を持った社会である。大衆社会とは数がすべてを決めるのである。
そういう社会がどういう結果になったのか?それがまたナチスの再来であり全体主義になりファシズムになりまた恐ろしい結果を生むのである。大衆を洗脳し、先導するものはカルト教団とか必ず現れてくる。というものは大衆は考えることをしないのでカルト教団が増殖したのである。
宗教というのは一面民衆を支配する洗脳するのにいいのである。そこには別に本来の宗教などは皆無である。ただ題目を唱えればあらゆる欲望が達成されるとかで何でもいいのである。
それはついに天皇ファシズム、仏教ファシズムとなり。仏の命令で反対するもの者を殺してもいいんだとまなってしまう。それを大衆が力を持った時止めることはできない。なぜなら、民主主義とは数によって全てが決まるからである。いくら一人の聡明な人がいたとしてもそんなものは何の力もない。多数の前に何の意味も持たないのである。
だから数を集めた人がトップに立ち支配するのである。でそれはナチス的手法しかないのである。
民主主義からナチスが生まれたのもそのためだったのである。だからこの社会というのは?絶望的なのである。人間は政治に関しては人間は進歩しなかったのである。
マキャベリも占いであれ宗教であれ政治権力を得るためなら積極的に利用しろと説いている。だからこそ為政者は信仰などなくても宗教を戦争でも政治でも利用してきた。それは人間のカルマとして継続されてきた。カルト教団が現代でも勢力を持つのもそのためなのである。
確かなことを天皇が特別優れた人でもない一つの飾り物でもある。でもその飾り物でも国家の中心としてありまとめるものともなる。
その中心になるものがない時家は分裂して国家も分裂して悲惨なことになるのであ。
その時、外国勢力が入ってきて国家自体が分裂して争い国家すらそのために疲弊して消滅してしまうということにもなる。
だから中心になるものがいかに重要かを知るべきである。中心になるものがなければ家も維持できないし。国家を維持できない。
例えばなぜ一神教が生まれたのか?それはあらゆるものが神となった。さまざまな動物でも石でもでも山でも神となった。八百万の神である。でもそうなると。バラバラにな治められないエジプトでもやはり様々な神がいて地域地域の神がいると統一国家にする一つの神が必要なのである。唯一の神がそれがなければ国も統治できないのである。
日本では天皇とは唯一の神でありそれで国をまとめようとしたのである。八百万の神がいてもその最上階に天皇がいてそれで国をまとめようとしたのである。
とにかく注意すべきは警戒すべきは民主主義というのは大衆民主主義になりそれがファシズムとななることが危険なのである。それは歴史的にもそのためにカンボジアでも社会主義で200万人も死んだとかなる。共産主義社会ではロシアでも中国でも反対者は抹殺された。それもまた恐怖殺し合いをしない民主主義は優れているとなる。でも民主主義からナチスが生まれたのだから、大衆民主主義となるとそうともならないので。
政治というのは人間にとって古代から。継続したカルマとなっている。人民を治める方法がないとなる。そこに人間の限界があるのである。必ずあらゆることで、人間には限界がある。政治でもそうだし経済でもそうだし科学技術でも原発事故が起きたように人間の限界が現れてそうなるのである。
人間では統治できないからそうなるのである。治めることができないのである。それで理想はこの世では成就せず天の国で神が治め、成就するのである。そしてその前にこの世はカオスの中に。バブル崩壊し人間の作り出した文明は砂に埋もれ海に沈み森に隠され埋もれる。そして。ただ、謎を語るばかりなのである。それがこの世で人間がなす文明の結果なのである。
この世とは何かといえば理想の国など作れない。むしろ人間の作った文明はただむなしく謎となり残される。エジプト文明でもマヤ文明でも中華文明でもなんでも同じである。それはただ謎を語るだけなのである。そして世界統一した平和な世界など作れない。
戦争は終わることなくあり最後にハルマゲドンが来て人類は滅びる。ではこの世は何のためにあるのか?人間は何のために生まれてきたのか?それはこの世とは?試練の場なのである。様々な試練を受けて苦しみ、悲しみ。そして神の子に神の国にふさわしいものとなるものとして試練を受けるのである。
そして神によって選別されて神の国を召されてそこで唯一の神のもとに働き仕事するのである。そこに荘厳な神の国がなるのである。それは永遠の都であり、滅びの無き都である。そこでこの世で悲しみ苦しんだ涙は拭われる。それを成すのは全能なる唯一の神であり人間の力ではできないのである。ただ人はこのように生まれて生きるのはその神の国にふさわしい人となるべく選別されるためにあるのである。そのためにこの世がある。だからこの世に理想の国などをはできない。それを求めるのはいいとしても実現するのは神の国で神自ら治めたときなる
神はそれを約束して実現するからである。ただこの世に良きものがありそれを追求する。悪しきものに汚れないようにすることが大事なのである。聖なるものというとき人間が聖なるものとならねばならないのである。神の御意にかなうものとなるようにしなければならない。そこにこの世に生きる意義があるとなる
相馬新報(小林勇一): 天皇とは何なのか、その在り方を問う (政教分離がここでも問われている―国民の総意に大衆に踏みにじられる聖なるもの) (musubu2.sblo.jp)
2023年08月10日
Japanese garden and underground cool way by image creator
2023年08月08日
村は大きな家族だった (広域化グローバル化で心の繋がりは消失―モノが入っても心は繋がらない)
村は大きな家族だった
(広域化グローバル化で心の繋がりは消失―モノが入っても心は繋がらない)
●家族の範囲が狭すぎる―昔の村は大きな家族だった
今家族に何が起きているのか?家族のつながりが弱くなっている。それはなぜか?家族だけの繋がりでは足りないからである。ファミリーとはは大きな集団のことであり夫婦とか子供とか祖父母とかの家族ではない。もっと大きな集団のことである。それは村社会と似ているかもしれない。村というのはある意味でファミリーであり家族とも似ている。だから何かあると助けあうのである。農村社会であるとどうしても互いに助け合わないと仕事もできないしその共同体も維持できないからである。そのために村に生まれた子供は村全体の子供となる。
出生〜幼年期では、「帯の親:オビノオ ヤ/取上げ親:トリアゲオヤ/乳付け親:チツケオヤ/抱き 親:ダキオヤ/名付け親:ナツケオヤ/拾い親:ヒロイオヤ /守り親:モリオヤ/養い親:ヤシナイオヤ」の 8 つの事例 を取りあげる。次に、成年期以降では、「烏帽子親:エボシ オヤ/鉄漿親:カネオヤ/仲人親:ナコウドオヤ/職親:シ ョクオヤ/草鞋親:ワラジオヤ」の 5つの事例を取りあげる。 仮親制度には、親が子どもの成長を願う思いの表れとして、 呪術的な要素と社会的な要素の 2つの意味合いをみることが
これだけ村で生まれた子供には周りの人が村人が関わっていたのである。それは明らかに村という集団のコミュニティの一員として育てるためにそうなったのである。
現代の問題は家族の範囲が狭くなりすぎたのである。核家族化がそうである。ついには親一人、子一人とかになってしまった。シングルマザーが子育てするにも一人なのである。また老人でも孤独死が多くなるのはこうしたコミュニティが喪失したからである。ファミリーの語源が。実はかなり広い範囲の意味であり集団のことだった。
そうなったのはまた社会経済の構造があまりにも変化してしまったからである。今や村と言う500人くらいの単位の社会ではない。広域化してさらにグローバル化して世界の経済の中に組み込まれる。すると別に村の中でそうしたコミュニティとかに入らなくても暮らしていける。物でも世界から入ってくるのからなんでも買える
かえって村の自給自足的な生活だったらものも買えないし。生活すらできなくなる だからこそ村八分にされることは一番厳しい罰だったのである。村のの自給自足的な生活では物が買えないし、入ってこないからである。だからこそそういう背景があり村のつながりとか小さなコミュニティーの人間の繋がりは消失したのである。
だからしきりに戦後間もなくまでは醤油がないとかでも味噌がないとかでも隣の人にくれとかあり助けてくれと言えばもらえたとかいう人がいる。それは物がない時代でありみんなが貧乏だから、かえって助け合ったのである。
今は金がないとどうにもならない。隣に何かそんなものをくれと言ったら応じる人はいない。醤油もないのかとなって馬鹿にされるだけになってしまった。何か助け合うということがなくなり常に金だけが問題になるのである。
現代では金がないということはどれだけ苦しいことかわかる。隣近所する無関心であり何も金で買えばいいとなってしまうからである。
そしてあとはに福祉に頼れと言うだけなのである。奇妙なのは福士に世話になっていた人は私が困った時その人自体が福祉に頼れと言っていたのである。その人はまともな人ではなかった。でも助けたことがあったし、その母親にの親は助けられたので助けたのである。その人は死んだ。
●広域化グローバル化で地域の繋がりが希薄化
現代とはあらゆるものを買う社会である。水すら買っている。だから金がなくなれば生きていくこともできなくなる。でも子供の時使っていた態度が井戸があり今も水が出ている。夏でも冷たい水が出ている。
天然の冷蔵庫から出ているのである。
それはこの辺の原発事故でも放射性物質に汚染されていないと持ち主が言った。検査したのでそれは確かなのだろう。その水が無料だということに感心した。無料で使っていいと言われたからである。子どもの時もそうだった。それは子供の時から持続して水が出ていたのである。その時は風呂場でその水を利用して使っていたのである。だから金わからなかったのである。今は水を飲むにしろ使うにしろ金がかかるから金なしではもう何も出来なくなってしまったのである。
何か近くに味噌屋がある。前だったら必ずそのみそや辛味噌を買っていた。味噌はそこで作っているからである。でもそこから今は買っていない。一人であり出しつきでないので買っていない。スーパーでいろいろだしつきの味噌があり。味噌でもいくらでもどこの味噌でも日本中から入って来て買える。こうして近くは重要なものとならないのである。また近くと関係しなくても金さえあれば何でも買えるそこで田舎からだと言って何か助け合うということもないし。身近で何かを賄うというよりただ金を出してさえいれば何でも買える。通信販売も発達して商品の量が種類が莫大に増えたのである。金さえあれば別に近くにいなくてもなんでも買えるとなる。
ただ自転車とかは後の修理とかあるので困るのである。この辺の街の一軒の自転車の人は死んだから誰もその後見てくれる人はいない。そこでなかなか金だけでもあらゆるものが使えるとはなってはいない。こうして経済が広域化してグローバル化すると近くは大事にならない。それは交通の発達にもよる。なぜなら近くの人が梨を作っていたが相馬市まで運ぶのに15キロぐらいありリやカーで運んでいたからである。そうなると運ぶこと自体が大変な苦労になるしそれを売って金にするにも大変な労力が必要になっていたのである。でも今なら運ぶことはいくらでも簡単とは言えなくても車で運べる。その変化も大きかったのである。
なぜ無縁化社会といわれるようになったのか?無縁化社会になったは神社で無縁の場を作りそこで外から入ってくる人に商売させた。それは外から入ってくる人がいると村のコミュニティがつながりが壊されることがあるからである。それでそのような外から入ってくる人を限定するために、そうしたのである。
それは確かにそうだったのである。もはや外国からでも食糧でもなんでも入ってくる。すると村だけで何かを賄うという社会とはまるで違っている?でも実際は外国からいくらものが入ってきてもその人とつながるわけではないのである。ただ物だけが入ってくるのである。でもその物が欲しいとなれば、金が必要になってくるのである。そこで金がますます重要になってくる。人のつながりより金の方が大事になってくるのである。
ただ昔から金の切れ目が縁の切れ目ということあり貨幣経済がひろがるとそうなるのが必然なのである。 外国からいろいろなものが入ってきてもそれでその外国の人間とつながりが共同ができるというわけでもない。その人は直接会うこともないしただ物を通じて外国と関係しているからである。だから何かあるとその関係も切れて戦争になったりする。人間と人間の繋がりが必ずしもものを通じて行われていないからである。
ただ、人間は金だけを頼っては生きていけない。金で全部まかなえるということはない。それは介護の時如実に表れてくる。金が物を言うということはある。でも金だけで親身になった世話はできない。そこに心が伴わないとどうしてもうまくいかない。
●物が世界から買えても心は繋がらない
でも逆に今親子でも必ずしも子を育てるより虐待したり子供でも大人になると親を虐待するようになる。老人になると力逆転してくるからである。親が虐待されているので。何かその息子は親をこき気使うというか他人のようにしか思ってない。
それで親は泣いていたのである。息子から虐待されていたのである悲しいとなる。でもそういうことは今の時代に起こっている。誰に頼るかということがそれで問題となる。その女性は息子に頼ったのだが虐待されているのである。言葉の暴力であるババとか親を病気をした親を虐待しているのである。ただ他者も家族はわかりにくい、どうしてすなるのかとなると外から見tてわかりぬいからである。
こういうことは自分も親の介護で嫌というほど経験した。 私のところに来たのは事業で失敗した人とかで金がないという人である。頼ったのはそういう人たちであり一人はれっきとした泥棒であった。それで家探しされて大金を失った。ほかの人もなんら助ける気持ちなどなかった。多少はあったがただ金が欲しいというだけできたのである。つまりそういう人にしか頼れなかったというのも自分のカルマだったのである。
ほかの人も誰に頼るかということは、老人にとって大きな問題なのである。家族がいれば息子がいれば娘がいれば兄弟がいればとなるがその人たちが助けるとは限らない。かえって嫌がられうとまれる。親が捨てられるそういう事例を知っている。その娘はひどい娘であり親が私に最後にひどい娘だと言って来てまもなく死んだのではある。その娘は介護などできない。だからそんな娘に頼ることはできないから、死んだ方がよかったのである。
こうして誰に頼るかが最後に問題になる。でも家族の範囲が小さくなるとなかなか大家族のように人手に余裕がないから介護でも面倒見れなくなるのである。 これは肉親でも同じなのである。
別に遠くから外国でも物が入ってくることは悪いことではない。でもそこで人の繋がりが出来るわけではない。だから何かあると物が入ってこなくなる。そして戦争にもなる。だから物が入ってきても互いに貿易してもそれで繋がりができるとは限らないのである。食料不足にな自分の国が最優先となり食料は入ってこないのである。 そこにグローバル化の問題がある。ただ物が入ってきて悪いということではない。問題は人間の繋がりが物が入ってきても。生まれるわけではない。それはあくまでも物のやり取りだけであり。心のやりとりは交流は無いのである。だから、金の切れ目が縁の切れ目になりやすいので。それは今の社会でどこでも起きていることである。
親が子を捨てる、子が親を捨てるカルマ (親より今は金が大事な時代): 今日の一句一首(小林勇一) (musubu.sblo.jp)
2023年08月07日
買い物の失敗 (商品を奨める人に左右される―通販でも自分に合ったものが買えない)
買い物では必ず失敗がある。それはどうしてかというと機械でも道具でも実際に使ってみないとわからないところがあるからである。使ってみてはじめてわかるからである。
でも店に行ってその商品を勧めるときその勧める人の影響が大きいのである。その商品について聞くとその人の説明することは商品を買うか買わないかに大きく左右される。
ヤクルトの商品を買おうとしたら何かそれがわからなかったのは炭水化物であることがいわからなかった。何かジュース類というのは砂糖などが入っていて飲むとかえって疲れる。
その商品は朝鮮人参とかクエン酸とか?入ってるとかでいいように見えた。でも炭水化物だと甘いしいいものでなかったのかもしれない。でもそこまで説明されると買う気にはなれな。だからなぜあえてそういうことを言って進めないのかというのが不思議だとなる。ただ、その女性は誠実であり何でも売るという。強引さはない。かえってそういう人が信頼される。
カメラ店のキタムラではやはりどんなカメラが良いのかと聞いて、これがいいのかと買うかと思ったが。店の人は進めなかったなぜなら写真を主にするならプロムのような動画を主にしたものは向いてないと言われたからである。
そしてカメラ自体の画素数などはあまり変わらずいろいろなものを付け加えているだけだとも言った。普通、そんなことを店の人が言わない
なぜならそう言われれば買う気になっていても買わなくなるからである。でもその店は誠実であり正直に言っているのである。
つまり何か客はこういうものが欲しいというときなかなか分からない。でも売った方が良いのだからこの人には向かないとかなっても売るのが普通である。
通信販売だとどうしてもその商品について売る人から聞くことはできない。説明はしても売る人は説明はしない。その代わりにその商品を使った買って使った人が。いいとか悪いとか書いてある。それが判断基準になるのである。ただ、商品というのはその人に合ってるか合ってないかはその人が買って使ってみない限りわからないのである。通信販売で失敗したのは小さいものだったら良かったかな大きすぎたのである。使った人がレビューしたのを読んで買った。でも前の小さい方は自分にも役立つものだった。それは大きくて一人の自分には向いていなかったで。そして使ってみるとなかなか電気が回らず熱くならなかったのである。それで失敗した。これは結構高かったから損した。
また近くの量販店ではレンジを買った。そのレンジは何か色々な事ができると書いてあった。天ぷらのようなものも何かできるようなことを書いてあった。それは3万もしたが。これ普通のレンジとしてしか使えないものだった。それを勧めたのは店の人だった。それといろいろなことができると誇大広告にもなっていたのである。だから店の人がもっと説明すればよかったと思う。そんなにいろんなことができないものだったからだ
何か商品でもなんでも進めるときその人に合ったものが必要なのである。でも売る人にとっては、その相手が何を欲しているかあまり聞かない近くのお店では田舎の店は商品が少ないから自分に合ったものを買うことは難しい。
特に自転車について折りたたみの電動自転車は外国製でもさまざまなものが出ている。でもそれを買うことは難しい。後の修理とかあり何かあると直してもらえないからである。それで買いたいのだが買いにくいということがある。
要するに買い物はその人に合ったものが必要なのである。でも田舎の商店ではその商品をみんな揃えることはできない。でも通信販売だと選ぶことができる。でもそこでも失敗するので特に着るものでも合わないことがありそれで失敗していることが多い。
ただ、普通は相手のことなど考えず商品を売る人は売ればいいという感覚になる。 相手に対してどういう商品が必要なのか?その商品がどういうものがどういう機能があり?どういうものなのか詳しくは。説明しない。なぜなら商品の種類も多く売る人もよくわからないからだと思う。
ともかくなぜ金融商品が詐欺的になるのか?それはその金融商品が余りにも複雑で理解できない。説明する方でもわからないのである。株など説明できる人がいるのかとも思う。地銀などその金融商品について投資信託であれ株であれ実際は分かっていない。わかっていないものを売るのだからある意味で詐欺なのである。普通だったらヤクルトの人がそれは炭水化物ですよと言っただけでこれは甘いなと分かる?
でも金融商品となるとそれを説明されてもわからないのである。第一株など専門家すらわからない。だから、もしそれで客が損しても売る方の責任にはならない。株が上がったり下がったりするもんですよで終わりである。要するに金融商品を売る人はその商品についてわからないしだからただ売ればいいというだけであり適当に説明して儲かるようなことを言うだけである。そして手数料を取ることだけを目的にしている。 だから今や地元の田舎でも郵貯でも農協でも地銀でも金融商品を扱っているがそれで詐欺まがいのことをするようになった。本業で儲けられないからそうなったのである。
でも売る方にしてみたら売りたいのである。だから買ってくれないようなことを言うことは?普通はない。でも実際ヤクルトとかキタムラは私は買おうとした商品をいいものでないとしてあっていないとして説明されて買わなかった。ただ売ればいいというだけでなくどういう商品なのかを相手に伝えてそれなら買ってくれということになる。ただ、売ればいいということではなかった。
商品を買うということは必ずしも売る人だけが責任あるわけではない。やはり買う人が責任になる。よく調べて、自分に合ったものを買う必要があるからである。今なら通信販売があるから様々なものから選ぶことができる。ただ通信販売でも高いものとなると簡単に買えない。失敗したら大損になるからである。 ただ、メーカー品などは信用しているから買う。それでもその商品があうかどうかは分からないのである。
とにかく今は商品の種類が多すぎてすぎて買うのも迷うのである選ぶことでも大変である。そして買ってからも操作が面倒で使えないというものも出てくる。だから今の買物というのは次から次と勝っていたら金がいくらあっても足りないとなってしまう。なぜなら高い買い物で失敗したらでは次にまた買えばいいとはならないからである。そのリスクが大きすぎるのである。
だから自分で判断できないものは買うべきではないとなる。でも普通の品物だったらある程度は判断できるる。金融商品のようにはならない大きく損することはない。それはある程度は見分けられるからである。そして買っても十万以下でありそれ以上の物を買っていない。何か怖くて買いないのである。高いのでも5万くらいだった。十万となるとリスクになる。それが買ったからといって損になるものでもない。
でも不安になるのである。 いくら商品が多いからといっても一つを選ぶとなると難しくなる。一つ買って失敗したらまた別なものを買うということができないからである。それで今の買い物は商品が多すぎるから困るのである
通信販売のレビューにしてもそれが全部。本当なのかどうかも分からない。
五つ星で評価したらpaypayで3000円うれるとある。これも別に高評価にしなくてもいいが金をもらえばどうしても悪いことは書けないとなる。だからこれも問題だと思った
とにかく金でいいレビュー書かせるのも問題である。何かこうしてすべて金で左右される。通信販売でもレビューが正直に書いているとは限らないのである。ただこの商品が悪いものではなかった。ただ金をもらったら悪いことは書けなくなるのは確かである。
2023年08月06日
文系大学はいらない、理系と文系とは何なのか (原発事故ではあらゆる学問が必要になった)
文系大学はいらない、理系と文系とは何なのか
(原発事故ではあらゆる学問が必要になった)
●中世の大学は神学部、法学部、医学部だった
米国において官職・公職に就く方法が次の2つだからです。ひとつは富を持っていること、もうひとつは適切な信用保証を持つことです。最も優れた信用保証が法学の学位なのですね。それゆえ、政治家になりたい人たちはロースクールに行くわけです。
予言者と呼ばれた進化人類学者が予測「米国には“終焉の時代”が訪れ、共和制は衰退する」(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
文系大学がいらないと言う時それは社会に出てほとんど役に立たないからである。モンゴルが侵略して殺されなかったのが職人だった。職人はやはり役に立つから殺さなかったのである。また日本の戦争でも太平洋戦争でも学徒出陣があり理系の学生は強制されなかったのである。職人も理系でありそれは社会に役立つものであり認められたものである。
文系理系と簡単に言うけどそれは命にもかかわるものだったのである
そもそも歴史的にも物つくりは理系だからである。石器を作るにしてもその石を見分けねばならない、石器でも黒曜石が貴重だった。
ただヨーロッパの大学で中世からあったのは神学部であり法学部であり医学部であった。この三つから大学が始まっている。文系の場合は神学部と法学部なのである。ただ現代になると神学部は宗教となるがそれはなくなった。でも不思議なのは大学でも宗教系の大学は多いのである。ヨーロッパから文明が入ってきた時キリスト教系の大学は増えて作られた。また今でも仏教系の大学が多い。文系がいらないというときなぜこんなに宗教系の大学が多いのかとる。
そもそも文系がいらないというとき宗教などは無駄だからいらないとなる。医学部などは今でもそうだけ医者は特別尊敬されている。病気の問題が人間にとって一番深刻だからそうなっている。だから、もともと仏教でも病気を癒すと言うことがあり科学技術が発達しない時神にでも祈る他なかったのである。現実にキリストは奇跡で病気を治したからである。だから人間にとって医学は不可欠のものとなったのである。
それから法律というのも今でもそうだが現実社会で不可欠であり実効性があり弁護士資格を持てばそれは社会で実際に役立つものである。その他の学部は経済学部とかあってもそれは何か役に立つということはない。一種の教養となる。実業とは結びつかないのである。私は経済学部で何もほとんど学んでいない。なんだ何か知らないが。マル系の人がいてマルクス経済学が教えられた。でも実際は何か経済学といっても何を学ぶのかもはっきりしない?ゼミでも1、2回教授が来ただけであり。教授は授業にすらしない教授とは一体何をしているのだろうとなる。文系だと何の研究をしているかもよくわからないのである。結局、ただそこでは遊びの場であり時間潰しの場になっていたのである。
●文系は教養である―独学できる
私の場合は奇妙だけど実際は宗教学部に入ったと同じである。カルト教団に入ったからでそれは全く大学でないか教育するということがないからそうなったのである。そもそも教授でも一回くらいしかあっていないからである。
大学とは自主的に勉強する場合であり。何かを教えるという場でも無いのでだから高校から大学の変化があまりに大きすぎて文系の場合はおかしくなる人がいる。ギャンブルに費やされたとかカルト教団に入って費やされたとか学生運動で暴力となり青春のエネルギーを発散させたとかなる。もともと文系は何を学ぶのかも明確でなくて入ってくるからである。理系の場合は少人数で実験を必ずしなければならない。レポートをさなければならない。そこで遊んでる暇などないのである。それは職人でも同じである。知っている人は大工さんは十代から修行して技を身につけたからである。つまり職人は理系でありそれは実社会で役に立つ金になるからである。
文系というときそれが実社会でどう役に立つか見えないのである。経済学部に入ってマルクス経済学を学んで、何がそれで実社会で役に立つのそれもわからない。むしろ高卒で銀行に勤めた人の方が直に経済というものを学ぶのである。ただ法律は現実の社会で役立つものであり別なのである。文系は法学部を除いて教養なのである。一般常識を身に着けるだけである。それは社会で直接役に立つものではないのである。
建築関係なら経営できるようになれば設計できるようになればやはりそれは実社会で役立つのである。
「art」は英語だけど、さらに語源を遡るとラテン語の「ars」なのね。
この「ars」には、「技術」や「資格」「才能」といった幅広い意味があったの。
このうちの「技術」には、「人の手を施して装飾する」という意味合いも含まれていて、これが現在のアートの直接の由来になっている。
ただ、この時点では「人の手を施すこと全般」が含まれていたので、医術や建築工学、学問までもが含まれていたのよ。
「人の手を施して装飾する」というときそれは職人であり意外なのは医者もartととして含まれていた。人の手を使い病人を見て直すからだちなる。
ともかく今のアートは実用的なものとしてあった。今のアートは実用から離れて画家とか音楽とか特殊なものとして見られる。でももともとはアートはあらゆる実用的なもののとしてあった。
何か時代をさかのぼれば遡るほど。一つの言葉で広い分野のものを指している。時代が進めば進むほど専門家して言葉も違って使われるようになったのである。
●宗教は宗はむねなるもので古代からあった
宗教は古代からでも原始時代からでもあった。縄文時代でも宗教はあった。それは祈る姿の土偶が発見されているからである。つまり人間は無力だから神に祈ることになる。病気は深刻であり医療も発達していなければ神に祈る他なかった。だから仏教とか神道でも加持祈祷があり民衆は頼ったのである。
中世の大学は医学部と神学部と法学部だということはそこに大学のオリジンがある。ただいまの大学と違っているのは神学部が重要視されていたことではそれは明らかに文系なのでる。文系不要論を言うとき今では神学部はいらないとなる。僧侶はあれ牧師など何か社会に役に立たないそして今は地位が低い。でもなぜ神学部が重要視されたかというと、やはり人間は生きる根本として宗教は必要であり。神を知るということは一番大事なことだからである。この世の中、神などなくして成立してなぜ神が必要なのかとなるからであるなっている。
実際奇妙だが私は大学に入っても創価などのカルト教団に入ったともなる。
そこもまた宗教とはなんの関係もない場所だった
そこは選挙をのためにすべてあり宗教は御利益のためであり人間がなぜ死ぬのかなど追求する人はいないのである。そこでは政治家になりたい人や現世でとにかく成功する地位を得る金持ちになるそれを異常な熱意で追求している。世俗より世俗的な場である。それは別に宗教を看板にしなければ社会ではそれをとがめたりしないのである。
その人は世俗で成功する、金でも女でも得るためにあからさまなのである。別にそれは世俗では普通のことでありとがめることもないのである。でも宗教を看板にすると矛盾してくるのである。
人間の最大の問題は人間がなぜ死ぬかということである。
ここは科学技術かいくら発達しても解決できない。なぜなら永遠の命を与えるのは神しかできないからである。だからいろいろな知識があっても技術があっても一番優先されるのは当然なのである。ただ宗教はいくら学問してもわからない。何も聖書を読まない人すら聖霊を受ければ一発で分かるのである。だから神学部などは無用だとなってしまう。いくらそこで学問しても神についてはわからないからである。それは文系が要らないと同じである。それ文系の学問はそもそも独学できるものでありだからこそ文系大学だと遊びの場に暇つぶしの場になっていたのである。。
むしろ教会とかに行っても牧師に説教されても理解できない体験からしか理解できないからである。理系の学問となると、それは現実社会と結びついて実効性がある。文系はそもそもそういう風に社会で役に立つものでもない。ただ社会で役に立たないからといってに無駄なのかとなれば、そうでもない。つまり人間が最初に知るべきものなの神がいるかどうかであり神を知ることであるからである。それは科学技術が発達しても同じで最上階に全能の神がいて全ては成り立っているからである。
とにかくドイツだと十才で職人の道を行くか大学に行くかきめられるという。学問に適しているかどうか10才できめられるという、それも早いと思うが社会では効率的になる。なぜなら職人でも技を身に着けるのは10代になりそれも早い時期だないと見に着かないとされるからである。文系の大学はそれで何の役にもたたないとなる。
●原発事故ではあらゆる学問が必要になった
ただこの辺で起きた津波や原発事故は理系が中心であっても文系的なことも必要であった。それは学問の全般的なものに及んでいたのである。そのことを私は追求してきた。でも理系でないから原子力の事、放射線のことなどわからなかった。でもそれ以外でも広範囲にあらゆることが関係していたのである。郷土というの特定の好事家が追求するものと思っていたがそうでもなかった。なぜなら相馬藩内で400年前にやはり慶長時代に慶長津波がありこの辺でも700人溺死したという記録が残っていたからである。それはたった二行だったけどそれがいかに貴重なものだったか津波が来て原発事故になり認識されたのである
そのほかにもこの土地特有の問題があり原発の時不運にも春になると海から東風が吹きそれが風に乗って飯館村とか福島市まで放射性物質が運ばれたのである。それで放射性物質が風に乗って流れるということを知らないので浪江町の町長は一番放射性物質が多く流れた津島に避難したのである。そもそも東電では事故はないと安全神話を作っていたのだから事故が起きたときの備えなど何もしていなかったのである。それで最初に頼ったのはアメリカだったのである。日本の技術者はお手上げとなり、何もできなかったともなる。
でも現実東電に働いてした人は避難するとき海の方は安全だとして山の方に向かったが、引き返して海の方に避難したのである。だから、やはり東電の人は放射線がどういうものか知っていたのであっる。でも地元の町民には知らせなかったのである。秘密のベールに隠されてのである。ただ安全神話を作りそれで安心していたというのも大きな怠慢だったのである。
このように津波原発事故でわかったことは理系文系だけで分けられない総合的なものして郷土でも見る世界でも見ることが強いられたのである。ただ、それを見るとしたら、とても一人の人間では不可能であった。そんな知識を持っている人などいないからである。 それを知りうるのは全能の神しか無いともなる。そこに人間の限界があり。原発は人間が操作するできるものでもなかったのである。
元々宗教とは旨(むね)なるものであり総合的なものとしてあった。現代は無数のもの分化してパーツ化して全体を見ることができなくなったのである。でも一地域であれそこに生態系があり歴史がありそこには地質学も関係してさまざまなことを総合的視点で見る必要があったのである。原発となると、やはり理系が中心にしても文系も関係していたのである。
だから理系と文系を分けて文系がいらないということにはならない。でも現実問題として文系大学などいらないというとき文系は独学できるからである。実験などもしないしただ本を読むということが基本になるからある。それでそれで現実それで大学文系大学は教授が何も教えないという場所だったというのも奇妙なのである。要するに文系大学には教授などいらないのである独学できるからそうなっている。するとただそこが遊びの場となり必要ないとなるのは当然である。ただ体育系とか友達を作るとか何か学問以外での遊びの場でもそれが人生にとって無用の場ともならないのである。でもそんなところに国で金を費やすのは無駄だとの今はなる。そんな余裕がもはや国にはないからである。
●文系大学は国で金をかけるのは無駄ーただ文系的なものは必要
だからドイツのように十歳で職人になる人と学問を追求する人を分けるということも社会にとっては効率的になる。別に文系なら独学できるからである。それより文系の大学だと何かテーマも持って追求する場であり。そういう。テーマも何も持ってない人は大学に行っても何を学んでいいかも分からなくなる。私はむしろ大学を卒業してから学ぶ事が多かったのである。大学卒業してから旅に費やされた。それで地名に興味を持ったのである。そんなこと大したことない。実用性がないといえばそれまでである。
ともかく文系理系というとき医療の分野でも関係している。医者は理系であり薬を飲ませ治療する手術もする。患者を見るときそこには必ず精神的なものは作用する。医者でもただ金を払ってくれる患者として金儲けのさせてくれる人間としてしか今は見て医は算術となっている。だから病院は無機的な空間であるそこに精神的安らぎがないのである。それで家で死にたいというときはなぜそうなるのか?家というのもまた単なる建物ではないのである。建物を建てたのは職人である。でもそこに魂を入れるのは人間だとなる。何か家は物的な建物というだけでないものがある。
ここで人間が暮らした歳月があり家にはただ雨露を凌ぐというだけではないそこには不思議に愛というものは通い合っている。家族が死んだ後も愛が通い合っている。愛は消えないのである。だから家族が死んで13年経っても必ずしもその人の形はなくなっても見えないところで愛が通じあっているという感覚を経験する。それは説明できないものでもある。でも家にこだわるのはそういうことがあるからだと思う。死んだ家族が依然としてその家の中に居るという感じになる。だから建物は物体でありでもそこに通いあうものは愛でありそれでそこに家は単なる物体だけとはならないのである。
だからそこでも理系と文系の問題があるかもしれない。それで物と心は一体であるというのは東洋的思想である。物に憑につくというとき心が憑くということになるからである。それはやはり科学でも説明できない問題なのである。だから理系と文系とかで明確には分けられない。ただ、文系は別に大学に行かなくても教養であり本を読んでいればわかるのである。それで文系がいらないというのはそうして特別に大学という場でなくても学べるからそうなっているのである。
2023年08月04日
空家の庭と芙蓉の詩(夏菊、鬼百合、夾竹桃)
2023年08月03日
成仏するとはどいうことなのかーお盆に死者が帰ってくる (その人がどう生きたの方が大事)
Cycling road and flower view by image creator
2023年08月02日
カルマの法則 (他者を苦しめた者は自らも苦しめられる―苦しみカルマを自覚する)
カルマの法則
(他者を苦しめた者は自らも苦しめられる―苦しみカルマを自覚する)
若い時から病気を持ち障害者の夫を世話し続けた人がいる。何か障害者を家族に持つことはカルマなのかとなる。その人のために費やされるエネルギーが半端でないからである。50歳になっても世話し続けているからである。
カルマで怖いのは親戚であれ重いカルマを持った人と関係すると必ずそのカルマを受けることである。だから結婚は好き嫌いだけで決められないものがある。結婚すれば互いに持っていたカルマから逃れられなくなる。その結婚相手の親族と深い関係となるからである。
私が家族で介護の介護で七転八倒して苦しんだのもカルマだった。兄がいたとしても私の家では良くしていないかったからである。兄は40歳で交通事故で死んだ。そのカルマが私に回って来た。なぜなら介護となっても一人しかいないのだから全部背負うことになったからである
カルマとは法則がある
あなたのした行為が必ずあなたに返ってくる
あなたが他者を苦しめたらあなたも苦しめられる、苦しめられた他者の来る知らしめるために同じ苦しみを受けてその苦しみを理解するのである。そうでなければあなたのした行為(カルマ)のことを理解できないからである。
なぜ自分はこんな苦しみをうけるのだろうか?
それはあなたとのした行為が苦しみとなってカルマとなっていたそうなった。
なぜ私はこんなに夫で苦しむのか
なぜ私は子供で苦しむのか
なぜ私は毒親に苦しめられるのか
・・・・・・・
そこに因果関係がある。つまり夫に苦しめられるのはあなたが夫を苦しめていたからでありそれが今度は自分が今度は苦しめられることになった。そして母親が障害者の夫に苦労したことを自らも夫で苦労することによって母親の苦労を自覚する。
また他者に世話になることでもカルマになる。それが恩というときそうである。恩を受けたことはカルマとなる。だから恩を返すことを要求される。恩など返さなくてもいいとなるのも普通にある。でもそうなるとカルマがやはり課される。カルマは借金とも似ている。借りた金は返さなければならない、返さないと利子がつきさらに重くなるのである。
ただカルマの大きな問題は自分のカルマを自覚できなことなのである
全く無事平穏に生きていれば自覚できないのである。
そこにカルマの大きな問題がある。
でもからカルマを持たない人はいない。必ずカルマは人間の一生の中で現われる。 そもそも苦しみとなってカルマが現れない限りカルマを自覚できないから理解できない。すると他人がなぜあのように苦しんでいるのだろうと見る。それも他人事なのである。でも自分自身が苦しむとき自分のカルマに苦しむとき他人のカルマも理解するとなる。つまり人間というものは自分自身が苦しむ無い限り他人の苦しみに同情できないということになる。自分自身が苦しまないのだから同情もしないともなる。
だから何か苦しんでいる人は互いに同情しあうのである。痛みをわかるからである。それでそういう人たちは何とかしようとして共産党であれ創価などのカルト団体であれ藁をつかむようにして頼る
それで票を集めて幹部が権力を得ようとする。別にそうした人たちに同情しているわけではな、要するに貧困ビジネスにもなる。
第一一人くらい相談にのれるがそれが10人百人となると不可能になる。弱いものはこうしてまた餌食にされることがある。
そもそもなぜ人間に災いが起きてくるのだろうか?平穏無事に終わる人生などない。今無事、平穏無事でも。いつか必ず。苦しみを受ける。人間が苦しみから解放されるのは死ぬしかない。そしてもし苦しまない人生があったとしたらそれは何か人間として大きく欠けている。苦しまないから他者が苦しんでも同情もできないのである。でも自らが障害者の子どもを持つようになったときその苦しみを理解できるのである。
これは人間社会に共通していることである。大きく見れば人間の歴史を見ればやはりカルマの法則がそこに働いている。驚いたのは黒人の国イスラムのアフリカの国がヨーロッパの白人の女性を奴隷として売買していたことである。それもカルマとなり今度は自分たちが黒人が奴隷にされたとなる
今日本が貧乏になり外国人が日本は安いとして観光に来る。その中にはやはり売春のために来る人もいる。そのことは別に景気がいいときは東南アジアであれどこであれ貧乏な国ではしていたからである。つまりそれもカルマなのである。あなたのしたことは必ずカルマとなってかえってくる。アメリカは日本に原爆を落とした。そのカルマはあまりにも大きいものだったのである。原爆の苦しみをアメリカは知るためにはアメリカに原爆が落とされて何十万と死んでみない限り苦しまない限りわからないのである。
アメリカだけが自国が戦場になっていないから戦争の悲惨さを知らないのである。常に遠くから攻撃するのがアメリカだからである。国でもそれぞれカルマを背負っている。だから世界史でも言うまでも栄える国はない、盛衰が必ずある。アメリカも衰退の時期に来ている。
人間は絶えず戦争を続けてきた。第一次世界大戦、第二次世界大戦と何千万と死んだのである。つまり戦争はなくならないというとき人間のカルマも消滅しないということである。だからこそ、人間はそのカルマが積もり積もって最終的に人類はハルマゲドンで滅亡する。カルマの集積が限界を超えてついには自滅して行く。または神によって裁かれノアの洪水のように大自然災害が起きて滅亡するとなる。
2023年08月01日
昨夜は遠稲妻が光り今日は朝から雷鳴り停電になった (電気が通じないことの怖さ)
昨夜は遠稲妻が光り今日は朝から雷鳴り停電になった
(電気が通じないことの怖さ)
いなづまやきのふは東けふは西
其角「曠野」
幾たびも遠稲妻や雲に月
朝の雷打ち轟きて目覚めかな
夕べは遠くに稲妻が何度も光っていた夜も光っていた。でも全然雷の音は聞こえなかった。それは遠いところで鳴っていたからだろう。そして月が光っていた。何か異様な光景だった。
そして今日は朝から雷が激しく鳴った。そして多少雨は降った。ところが南相馬市の一地区で私の住んでいる場所で停電になったのであるやはり雷が影響したのだろう。この停電の怖いことはパソコンが壊れる場合があるからだ。するとせっかく記録したものさえ聞いてしまうのが怖いのである
今回の停電は狭い地区であった。200戸だけだった。東北電力の人が電柱を見て歩いた。でも意外と早く回復した。長引くと思ったからである。それで電気が止まると冷蔵庫も止まるし食事の用意をするとき電気でするのでできないと困る。この暑い時冷蔵庫が止まることは困る。中の物は腐ってしまうからである。電気というのは今の社会で重大なものになっているか分かる。それは停電してみると分かるのである。
あらゆるものは電気を使っているからである。だから停電してみると電気のありがたみが分かるのである。ええ、東京電力の人は原発事故のとき電気なくなったらどうするのだと脅すようなことを言ったからである。それだけ電気というのはライフラインになっているのである。何かあらゆるものが電気が止まると機能しなくなるのである。だから本当は停電の対策をしておく必要がある。病院などでは自家発電の備えがあるのは当然である。命にかかわるからそうなっているのである。
それでDellのノートパソコンは停電しても切れていなかった。だから普通に使えていた。なぜなら充電式になっていて電気が切れても電池から使えただから一瞬停電と思わなかったのである。ただ、食事の用意をしようとしたとき、電気が使えないので停電だと分かったのである。それも狭い200戸くらいが停電になった
外に出て確かめても電気をついていたからどうなったのかと心配だった。回復するとは思えなかった。停電でも長い停電というのは経験していない。それだけ日本の電気会社はやはり優れているともなる。
いずれにしろ昨日は俳句の季語だ遠稲妻となる。でもそれは秋の季語なのである。雷は?夏の季語でこれも何か?理解しにくい。まだ真夏だからである。それで秋の季語となるのは理解できない。ただ昨日は夜も稲妻が光っていた。だから朝になって。移動してきたことは理解できる。でも雨は大して降らなかった。それが何か心配なので。雨があまり降らないから。どうなってしまうのだろうという心配がある。
とにかく早く回復して助かったとなる。ガスはないので食事もできなくなる場合があった。やはりなんか天気が止まってもガスとかでも他の事でも必要なのかもしれない。だから。充電器というのは? 蓄電池が必要ともなる。何故ならこのように電気が切れるとお手上げになってしまうからである。もしクーラーなどでも電気が切れるとこれだけ暑いと熱中症で死ぬ人さえ出てくる。電気というのはライフラインであり、生命線になっている。でも原発事故のようなものはありそれもまた危険だしソーラーパネルでも自然景観を壊してまた危険でもある。だから何か電気というものが必要でも問題がある。そのことで技術的に何かできないかとなるが。それも出来ていないのである。
ただ、電気に頼り過ぎると電気がこないと何もできなくなり、お手上げになってしまう。それで津波のときどうなったか?裏山の清水を使いそこらにある木材を燃やして米を炊きそれで何とか凌いでいた。もう電気も水道も何も使えなくなったからである。そういう時帰って原始的生活をしている人は生き延びるともなるので。実際に私の戦後の子供時代の時は電気は裸電球一つであり燃料は炭であり水道もないから近くの家の井戸の水をもらっていたのである。そのときガスも使っていない。そういう生活は電気がなくても持続可能な社会となり。まさに持続するのである。電気は実際はなかなか高価なものでありそのエネルギー源となるものは石油とか石炭であり。それが日本にはない。ガスもない?それでエネルギーは脆弱なのである。
ともかくこの停電というのは一番影響が大きい問題かもしれない。もちろん食糧不足もそうだがその食料を料理する為には電気が必要だからである。そしてあらゆるところに電気を勉強を使っているから電気が通じないとお手上げになってしまうのである。ソーラーパネルなどは自宅に備えていれば自家発電できるということはある。だからソーラーパネルでも全部を否定するということはできない。個人の場合は、もしかしたらい良いものなのかもしれない。ただ、それにしても警官を壊すから嫌なのである。
2023年07月31日
なぜ新聞が読まれなくなったのか? (新聞社に勤めていた人も読んでいない)
2023年07月30日
今年は野馬追に380騎しか出なかった ー迫力に欠けた (野馬追はこれから維持できるのか?−雲雀が原へ)
街中をつつじの赤く御行列
夏の雲湧き上がるかな旗取りて家の誉れと坂駆け上る
雲の峰高くなりけり暑しかな旗取り争う雲雀が原に
雲の峰一つ崩れてまた一つ湧き上がり高く雲雀が原かな
打ち揃う金の団扇に流山真夏の日さし輝きにけり
蝉の声今し鳴くかな旗取りに誉れを得てそ帰りなんかな
●380騎で維持できるのか
今年の野馬追に出たのは380機だった。何かこれは最盛期で500騎出ているから少ないと思った。野馬追は規模が小さくなると迫力がなくなる。380騎と500騎では相当な差がある。こんなに少なくなったのか?それはやはり津波や震災原発事故で小高区とか住めなくなり出る人が少なくなったからかもしれない。だから野馬追でも本当に維持できるのだろうかという疑問がある。少子高齢化でもありなかなか難しいかもしれない。
そして野馬追が維持できなくなるというときそれが歴史の保存であり変えることもできないし付け加えることもできない。となるといずれはさらに規模が縮小して見劣りして魅力がなくなる。だから確かに歴史の保存として維持することも必要なのだがもう一つ何かみんなで誰でも参加できるような仕組みを作らないと維持できないようにも思う。歴史の保存ということで、価値があるのは野馬追ではある。でもそれだけで維持できるのだろうか?
だから380騎となると何か迫力に欠けていた。そして神旗争奪戦でも出る人は?少なくなっている。なぜなら競馬とか神旗域争奪戦になると相当に馬に乗る訓練をしていないとできないからである。そのためにそういう準備をする人できる人は少なくなる。馬を乗りこなすということは容易でないからである。だから馬に乗り馬を乗りこなすようにしていないとできない。ただ行列ぐらいは参加できる。でも神旗争奪戦とか競馬になると相当に馬を乗りこなすことができないと参加できないそれをできる人は年々減っていくだろう。
●野馬追には費用がかかるー馬を飼っているため
馬を一年野馬追のために飼っておくことは相当な手間であり、金もかかる。30万から50万かかるというとこれは結構な負担になる。車一台を持つぐらいの金かも知れぬ。ただ、こうして馬を飼って日常的に馬に乗っていてこそ競馬とか神旗争奪戦には出ることができる。競馬となるとさらに熟練が必要になる
だからの馬を歴史の保存として祭りを伝えていく必要である。でもそれだけでは今や保存もできなくなるかもしれない。
一つは野馬追は馬が主役になる。今馬というのは競馬場でしか見ることもできない。馬のことがわからなくなったのである。だから野馬追というのはもう一つ馬に親しむということがある。また馬は好きな人がいる。ただ、それは。競馬を好きな人が馬を好きなので競馬に親しんでいるとやはり馬を見ているから馬はどういう馬か知っている競争に勝てる馬をみているからである。馬に詳しいのである。でも日頃はほかでは馬というものは見ないし馬に親しむこともないのである。
馬はもともと農耕馬としてあり曲屋で一つ屋根の下に飼って家族のようにしていたということもある。それで娘が馬と結婚したとかそういうことにもなる。子供でも馬を飼っていると犬や猫のように。ットのように親しむからである。それは確かに精神的にいい作用はある。今はみんな機械時代であり機械と親しでも生き物と親しむということが少なくなった。生き物と親しむということはやはり情感を育てるのである。だから精神的に子供に影響して情感豊かな人に育つということもありうる。
●神社は戦の神にもなる
ともかく何か380騎だと迫力に欠けていた。神旗争奪戦はもっと少なくなって迫力に欠けていた。ただ相馬野馬追の太鼓を聞いて盛り上がった。太鼓は外に響く力強いものを感じる。日本は太鼓はもとからあった。何か進軍するとき太鼓をたたいていた鼓舞した。神社は戦勝を祈願するものでもあった。
だから武田信玄の映画で巫女や神主の神主などが先頭に立って。戦う。神社はまだ戦いの神でもあったのである。だからこそ太平洋戦争では必ず村の小さな社でも戦の勝利を願うものでもあった。ある。寺は?ない寺にはないでも寺町とかあるとそれは防御のためにあったらしい。つまり戦国時代ともなればやはり寺でも。地域と一体となり守らねばならないから、そうなった。
ともかく。相馬野馬追とは300年続いて維持されてきた。相馬藩では殿様は変わっていない。国代えがない、それで相馬藩政記というのが殿様も変わらず300年継続しているのでそほかの人が学者でも参考にしているのである。記録としてやはり優れているからそうなった。
●小高の御家の旗は北郷から今年は出なかった
今日もとにかく暑かった。でも何とか報告するために行った。これが金にならないが仕事になったからである。夏の雲が雲の峰となって高くなっていった。また別な方向に雲の峰は高くなった。野馬追の時はこういう風景が似合っている。広々とした雲雀が原に小高郷、中の郷(原町)、北郷(鹿島区)、宇多郷(相馬市)が主に結集する。それに加えて浪江参加する。ただ大熊や双葉まで相馬藩なのだが主流はそこになる。
それで前は鹿島の北郷から御家の旗印が出ていた。それは今年は小高から出たのだろう。旗取りには出ていた。でもその小高の人が震災後鹿島区に移住して御家の旗でで出ていたのである。でも今回は出ていな。おそらく小高え出たのだろう。歴史の保存というとき本来そこに住んでいた侍が別なところに移住して住むと歴史が別なものになってしまう。
だから歴史の野馬追が歴史の保存というとき人の移り変わりが移住などが多いと成立しなくなる。先祖代々のものとして伝えられる。でも相馬藩では天明の飢饉などの時に三分の一も人口が減った。その穴埋めをしたのが越中からの移民なのである。その人たちは別に侍でもない。でも1/3も移住したということは影響が大きいものだった。
越中から移民した人たちはわかりやすい、墓地を見れば必ず墓に戒名はなく南無阿弥陀と記されているからである。
でもその人たちは野馬追には出ない、鹿島区から只野氏が菊の紋でで出るのはもともと南朝の侍でありそれで相馬氏に組み入れられた。南北朝の戦いで霊山が炎上して落ち延びた。人たちであり元々武士だったからである。
いずれにしろ380騎では規模的に迫力にかけて野馬追も維持できるのかとなる。でも歴史の保存にこだわれば何か変えたり付け加えたりできない。するとどうしても維持できなくなるかもしれない。だから何か工夫としては震災大津波で空き地化したところが多い。そこはもう田畑にはならない。するとそこを何に利用するのかとなる野馬追があるからその広い土地を牧場などに利用すれば適しているとはなる。ただ、牧場にするにしても競馬馬飼うということになるかもしれない。
競馬場で働くようになった野馬追に出ていた家の人がいたからである。
●野馬追太鼓が盛り上げた
今年は野馬追の太鼓がよかった。戦いを鼓舞する太鼓だったのだろう。それが響きわたった時気持ち良いものだった。太鼓の音はまた太鼓を叩く人は何か近づ力強いものを感じたからである。そういうことで何か祭りに新しく付け加えるものが必要なのである。でもそれが歴史の保存にこだわると必ず拒否されているのである。もちろん歴史の保存は必要なのだがそれに付け加えるものがないと維持できなくなるかもしれない。それが380機しか出ないということで今回感じたのである。
なにか野馬追には付け加えるものが必要である。相馬流れ山の歌は軍歌である。でも太鼓でも踊りでも何か付け加えないと盛り上がらず維持できなくなる。歴史の保存にばかりこだわるとそうなる
それで遠くからきた人も野馬追は一回見て終わりだなる
とにかく暑かったがどうしても取材しなければならないので行った。何かプログでも記者のようになる。だから苦しくても取材に行かないとならなくなった。別に金もらっているわけでも強制されているわけでもない。ボランティアの記者になっているから無理して行ったのである。熱いのは暑かったがそれほどバテなかったので取材できた。 ただ」写真はもうまくとれてはいなかったのは残念だった。
2023年07月29日
北郷(鹿島区)での野馬追祭りの儀式 (野馬追は侍の子孫しか出れない歴史の保存の祭り)
蝉鳴いて年に一度の御行列
一際に杉の旗印只野氏や南朝の末北郷の要
一同に会して相馬の殿迎ゆ法螺貝響き勇みけるかな
北郷に集う侍面々に神酒(みき)を賜り出陣かな
法螺貝の鳴り響くかな炎天に浜風にそ旗のなびきぬ
北郷に古式ゆかしく宇多郷と出陣するや儀式変わらず
街中に馬いななきてその声の馬なおを生くと響きけるかな
北郷に(鹿島区)に宇多郷の侍を迎える儀式が行われた。この儀式は変わらないのである。だから野馬追を見に来た人で歴史に興味がありこの儀式は変わらないから見たい来た人がいたのである。やはりそこまで興味を持つ人は歴史に興味を持っているのだろう。時代劇ではこうした儀式は作られる、脚色されて本当の歴史ではないのである。
野馬追の特徴はこうして歴史の保存だから勝手に変えられないのである。だから野馬追に出る家はもともと侍の家であり。甲冑とか旗が旗が伝えられてきた古い家なのでそのほかの人はそういうものは伝わっていないから出れないのであ。そのことで歴史を伝えるということで価値がある。
でも逆に参加できるのはもともと侍の家でありそのほかの人たちは参加できない。ただ見るだけなのである。だから野馬追は全員で盛り上がるということができない。そこに問題があるのだがそういう祭りだということである。別に青森のねぶた祭りなど旅行者でも簡単にハネトになれる。誰でも祭りに気軽に参加できるのである。
北郷の鹿島区の歴史は南北朝の戦いで霊山から落ち延びた人たちの子孫のが鹿島区を形成している。その旗印は杉の旗印であるから分かりやすい。それもそれもいくつか行列に出ていたからである。
その基は郡山市の多田野村から発していたのである。 ただ、どうして多田野村なのか?そこから先がわかりにくい。 そもそも野馬追は旗祭りというとき旗の種類が3000あるとか多様なのである。その謂れがわからないのである。いろいろ調べてみても探りようがないのである。
ただ杉の旗印はわかりやすい。
その他はいろいろあって、どういう謂れなのかわからないので。でも確かに一つ一つの旗にそれぞれの謂れがあったのだがそれがわからなくなった。またの由来は鎌倉時代までも遡る。西の方からその旗の由来があるからさらに分からな年に一回しかチャンスがない。旗の種類にしても多いからいい写真が撮れないということもある。でも何か野馬追というのは写真を撮るのにいいのである。だから写真を撮る目的だけで見に来る人がいるのである。ある人は80万のレンズを使っていたのである。カメラと言うのはレンズの方がそういう風に高くなる場合がある。野馬追は被写体としていいのではある。?
でもその機会は年に一度しかないシャッターチャンスは無い。カメラに凝ると性能もあるがいかにシャッターチャンスをとらえるかである。特に動くもの鳥などでもそうである。シロチドリを撮れたやはりここに住んでいて撮りやすいからである。遠くに行き何か珍しいものを撮ろうとするとなかなか出来ない。 また、動画を取るにしても結構疲れ写真を撮るにしろ、動画を撮るにしろ結構な労働になるので。今日は特に熱かったからぐったりとしたのである。とても明日の雲雀が原での神旗争奪戦には行けない。異常なな暑さだからである。こうなると熱中症で倒れる人がいるかもしれない。鎧兜をかぶって重いのだから余計にそうになる。
2023年07月28日
田んぼの畦道でシロチドリを発見! 何故絶滅危惧種が多くなったのか―夜に雷鳴がひびき稲妻が見えた
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2023年07月27日
相馬市立谷家の歴史 (廻船問屋問屋で財を成したー原釜ー八沢浦ー小高ー請戸も商売のの湊
相馬市立谷家の歴史
(廻船問屋問屋で財を成したー原釜ー八沢浦ー小高ー請戸も商売のの湊
)
江戸時代、立谷家のご先祖様は、廻船問屋を営んでいました。
立谷するが分業して、「材木」「米」「雑貨」「海産物」および
その他の物資を江戸時代初期から、立谷一族が結束して商いをしていました。
天明・天保の大飢饉・明治10年の宇多川大洪水で、立谷家の商いは
大きい打撃を受けてしまいました。
立谷家一族中には商いを廃業する家も出て、結束の固い立谷一族が、
残念ながら、バラバラになってしまいました。
原釜は東廻航路の湊と名を高めていた。
立屋の資産は五十万両とも六十万両ともいわれ現代(平成)に積算しました金額にして、三十〜三十五百億位ともいわれております。江戸時代前、中期の金銭価値、物価高にすると?世人之人は立谷長者と言って
西の紀国屋文エ門・・材木商(江戸時代中期の享保六年(1721年の江戸の大火で材木を買占めて江戸に材木を高値で販売して一代にして大富豪に豪遊の末に財産を失ってしまい没落してしまいました。)
東の立谷 立屋・・・材木商、廻船物問屋
https://blog.goo.ne.jp/akatsukida/e/4a34e7eb1383aac75754bcf22fbaef6d
天明・天保の大飢饉・明治10年の宇多川大洪水で、立谷家の商いは
大きい打撃を受けてしまいました。
立谷家一族中には商いを廃業する家も出て、結束の固い立谷一族が、
残念ながら、バラバラになってしまいました。
このブログは?何かよくわからない。でも相馬市に住んでる人なのだろう。 立谷の姓の人らしい。立谷一族の一員なのだろう。今の相馬市長は立谷である。立谷の歴史がここに書いてある。でも何かその裏を追求していてこの人は恨みを持っているようだ。
ともかくここで注目したのがこの立谷家が没落したのは飢饉があったためでありまた明治十年の宇多川大洪水があったためであった。それを生々しく感じたのは天明の飢饉で相馬藩は1/3に人口が減ったからである
その穴埋めをしたのが越中からなどの移民だったのである。
それから、明治十年に宇多川大洪水があったということは宇多川の岸にそれを記した石碑があったようだ。また土手もも作ったようである。それは大洪水があったためにその土手を作ったのである。二年前とかでも
宇多川は決壊して街中が洪水になった、その記憶も生々しい
鹿島区でも自分の家でも二回床上浸水なっている。街で一番低い場所にあるからだ。他でも梁川でも水害の被害があったし丸森でもあった
だから日本は災害の国なのである。去年の大地震では相馬市と鹿島区は大被害だった。そのために家を再建することをあきらめ家を壊したい家もいくつかみかけた。
歴史を見るとき、やはり栄えた家がありその没落もありそれが歴史となっている。国自体も栄えてまた衰退して終わる。それが歴史の繰り返しである。ただ、確かにそうして一つの家から歴史を探るということはより具体的であり、身近だから歴史に興味をもつのである。
聖書でも家の物語だったからである。神に選ばれたものの人の家の物語だったのである。そして人間っていうのは自分の生まれた家に一番関心を持っているのである。特に長男は家を継ぐから家に一番興味をもつのである。
ここで興味を持ったのは家が栄えるというとき一見農家が栄えるように見えるが海に面していて意外と海を通じて商売をして栄えたのである。ただ、太平洋というのは荒いからなかなか船で航行することが難しかった。でも相馬市でも原釜が港となり商売が商売のために船で品物を運んでいたのである。その品物は主に米と材木だった。
紀国屋文エ門みかんを運んで財を成したのではなく、材木商として財を成したのである。
だから浪江の請戸の湊からは岩手県の宮古から鉄の素材を運びそれを葛尾村(かつろう)村でで製鉄して葛尾(かつろう)
労大臣が生まれた。その財を成したのは製鉄であり米ではない。また小高には港があり蔵院があった。そこで船で運ぶものを貯蔵したり運ばれたものを貯蔵していたのである。また北海道の松前まで米を運んだりして肥料としてのニシンを船で買いつけに行っていたのである。そのとき北海道ではニシンが大量に取れたからである。それを食べるというわけでなく肥料にしたのである。肥料をなくして農業はありえないのである。
それで相馬藩からは米を運んだとなる。なぜなら北海道では米はとれていなかったからである。アイヌは狩猟採集民族であり漁猟民族ったからである。
ともかく意外と忘れているのが忘れられたのは海を通じて八沢浦でもそういう記録がある。かなりの品物は船で運ばれていたのである。だから小高の塚原というところに何か商売で仕事をしていた人がいたという。その人は商人だったというのもわかる。おそらく米を売買していたみたいである。だから遠くへ米を運び仕事にする人がいたのである塚原はそういう場所だからである。津波で小高駅前まで水が押し寄せていたからである。するとそこを入江であり湾のようになった。湊には適地だたのである。
ただ、津波でそうした塚原とか小高の海の方は壊滅的打撃を受けた。その人は原町市に移り住んだのである。もう一人あった女性は越中から来た移民の人だった移民の家だった。それは海岸沿いに住んでやはり家が流された。そのために相馬藩ではう1/3が越中などから来た人たちである。相馬藩の歴史では天明の飢饉で欠け地が増えてそこに移民が入植したのである。その苦労は並大抵のものでなかった。
やはりここでも宇多川の洪水とか自然災害が契機となって立谷家は衰退してしまったのである。全部ではないにしろやはり災害というのはその家でも衰退させてしまう。津波原発事故ではこの辺では街自体が衰退してしまったからである。またこうした盛衰は交通と深く関係している。北前船が盛んなときはその寄港地となったところは繁栄した。でも来た前船が終わり運送が鉄道になった時その繁盛終わって寂れてしまったので。こういうことはどこでも起きている。交通と商売は深い関係があるからである。
とにかく交通というのはどれだけ大きな役割を果たすか知るべきである。世界史を見てもそうである。大航海時代があったがそれによってヨーロッパに莫大な富が持たされもたらされたのである。それは海が交通路となって船で物が運ばれたからである。 米というのは江戸時代でも商品となっていたのである。そのために仙台藩では石巻から米が江戸に運ばれた。そのために仙台藩ではその米を売るために米を作る。土地を開拓しその米を江戸に売ったのである。それで飢饉の時米がとれなくなった時飢饉の原因になったのである。なぜなら米が取れなかったら他の畑でとれるものが少ないからどうしても食料を供給できなくなったからである。
米というのは商品であったのである。それは世界的グローバル化経済になるとコーヒーばかり作って商品にしているとコーヒーの値段が安くなると。そのコーヒーを作っている人は苦しくなる。そして生活も成り立たなくなる。でもその時その土地の周りをみんなコーヒーにしてしまえば食料がその土地でまかない無いから飢饉にもなるのである。そこにグローバル化経済の問題がそれは既に江戸時代でも起きていたのである。
文久元年ある城下町の一年(鈴木清著)を読む (船でニシンを買いに行っていた相馬藩の商人) http://musubu2.sblo.jp/article/189786921.html
2023年07月26日
芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など (空家の庭の不思議)
芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など
(空家の庭の不思議)
これは赤モズだった
大石に鬼百合芙蓉映える庭
家数軒大石一つ芙蓉かな
夏菊のカンナに映える六号線
隠れ見ゆ木陰に涼し小鳥かな
空家にそ老鶯鳴くや残る庭
立話海風涼し夕べかな
芙蓉と大石
どっしりと大石は黙し動かない
その前に広々とした野が開けている
すずしい風か海から吹いて来る
一本の木陰があり
ゆったりと芙蓉が咲いている
こういう風景の中で人は安らぐ
そこに人影も見えず
一本の木は静かに深く根ずき
その木は静かに大地に根ずく
白鷺は夏の日にまぶしく映えている
今日も楚々としてその細い脚で餌を漁り
この地を乱すことはない
こうしてのどかな田舎に平和がある
車もたまにしか通らない
夏の雲が白く湧きあがり
鬼百合も熱く咲く
真夏の灼熱の太陽が燃えつようやく沈む
Fuyo and one big stone
The big stone is silent and stillnes
A spacious field opens up in front of it.
A cool breeze is blowing from the sea.
There is the shade of a tree
and a big hibiscus rose is blooming.
In this kind of scenery, people feel at ease.
No manl to be seen there
one tree is quiet and deeply rooted.
Here, one tree and one big stone have taken
your own place and are at ease
The egrets are dazzling in the summer sun
Today, still neatly scavenging for food with its slender legs
And never disturb this land
There is peace in this tranquil countryside
Cars pass by only once in a while
Summer clouds rise up white
The wild tiger lilies bloom with strong passion
The scorching sun of midsummer burns and finally sets
今日も暑かった、鬼百合がが咲く時、真夏になってくる。花も季節を告げるのである。ただ、なぜ芙蓉がが初秋になっているのか?
何かそこには理由がある。 この季語は日本独特のものであり長い年月の間で作られてきた日本の文化なのである。だから季語に通じなければ俳句は作れない。すると四季が明確でない外国ではなかなか俳句というのは作れないし、理解できないのである。
鬼百合はは英語ではtiger lilieになっている。日本語の方がふさわしい。英語の機械翻訳は本当に優れている。う英語の先生はいらなくなるとまでなる。それでも多少直したのである。だからまだまだ機械翻訳だけで人間のようにはは作れないともなる。でも9割ぐらいは機械翻訳で充分なのである。韻を踏むとんればとても機械翻訳では無理になる。
ともかく近くを自転車で回る。そして何気ないところに詩的なものを発見する。 その田舎の風景があって心やすらぐのである。ただ正直、今の時代スーパーとかない所に住むのはたいへんである。買い物すらまともにできない。一人暮らしでみんな買って暮らしているからとてもスーパーのないところになど住めない。 だから田舎といっても最低で、スーパーがないところにはもはや住めない。ここは隣の市まで8キロぐらいで行ける。5万の都市があるからそれなりの用は足せる。自転車でも行けるからいいただ、暑くなったら熱中症になるから行けない夕方涼しくなるから原町まで行った。
ともかく近くの空き家の庭はは不思議である。その庭の石造りが良くできているのである。でもその家は住みたくない。民家でも古民家でもないし何か貧弱なのである。その庭は立派だから利用できればいいと思うがまだ近くに住んでいる人が持ち主であり勝手にはできないのである。でも今の問題はこの空き家空き家が多くなりすぎたことなのである。その利用をどうするかということが課題になっている。あの庭に気づいたのはその家が空き家となったからである。空き家となるとかってに入ることが出来るからである。
そこに老鶯が鳴いて響ているのも不思議となる、この老鶯と夏鶯は同じでも相当に違った感じになる。
ともかくくまなく田舎を自転車で回っている。でも未だに発見されていない道があり場所がある。それは意外と近くの場合がある。
だから人間っていうのは本当に灯台下暗しなのである。遠くへ遠くへと出て行くのだが、近くでもいい場所があり見逃している。単純な毎日見ている風景でもそれを感じれば深く感じれば得難い物なので。
なぜなら、都会にはそういう風景が無いからである。都会で心が和むということは難しい。その田舎でも。風景画いいとしてもそこに住む人が良いとはならない。
私の場合はそこに人がいないという時、いいのである。だから神はその暮らしを隠したというときまさにそうなのである。大都会のようにビルがむき出しになる人が混雑してぎゅうぎゅうづめの電車で通うことなど地獄にもなってしまう。だから、なぜそんなところに人間が住めるのかという疑問がある。若い時はいいとして年取ってからはとてもそういうところに住めなくなる。
精神というものは、場に影響しあいます。その人の精神が場に顕現するともいっていいものです。その人物がその場をどのように清め調えているのか、あるいは荒廃したものをまたどのように甦生し以前よりも善いものへと磨き上げていくのか。これは伝承や文化の話でもあり、生き物たちはそうやって常に自然といのちと向き合いながら豊かに仕合せに生きているともいえます。
7月 | 2023 | かんながらの道 (caguya.com)
このプログに共感する、そもそも神道などなにかわからなくなっている。宗教もカルト化すると政治と経済が中心であり御利益しか求めない、それが怖いのは権力を得ることが目的化していることである
ここにはそいうことは全くない清浄な自然と合一する。そこでは全く権力とか御利益を求めていない
だから山伏とか胡散臭いとかなるが山で身を清めるということで宗教の基本を実行していたのである
現代の宗教は都会化した創価でも団地の宗教となりやがて国家権力を得るためのものとなった
心の清浄など全く求めていない、ただ神道でも国家権力と一体化したときおかしくなった
だから政教一致は危険なのである。
2023年07月25日
氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも (人間は先を見ることができないから失敗する)
2023年07月23日
今の社会は年齢ではなく価値を評価される時代になっている
2023年07月22日
合歓の花と待宵草
2023年07月21日
2023年07月20日
金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論鑑賞(続編)ーイメージクリエーターの写真
金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論鑑賞(続編)ーイメージクリエーターの写真
イマージクリエーターでは金閣寺が出てくる、平泉の金色堂ではない、平泉の金色堂は鎌倉時代に作られていたのである。
金閣寺より古いのである。それができたのは奈良時代に涌谷の黄金山で金がすでにとれていた。他でも陸奥では金がとれていたからである。
ともかくこの絵を見ると不思議になる、椿が散ってはいないが金閣に向いて真っ赤に咲いている、そんな絵がつくられたことに驚くのである
松に寄り椿散り赤し金閣寺
苔に散る椿や赤く金閣寺
夏日射し金閣映えて京都かな
春光やみちのくの栄金色堂
風騒ぎ花も散りなん義経堂
平泉旅人去るや秋の蝉
秋深む弁慶松に金色堂
みちのくの枯野のかなた金色堂
雪の野に金色堂映え夢の跡
義満の贅を尽くして金閣寺民は苦しみ恨みも残る
金閣寺池に写りつまばゆしや千年の都に訪ふ人絶えじ
金閣寺池に写りつまばゆしもその後映る月の涼しも
平泉訪ねてあわれ春の日や虹の切れ端消えにけるかな
五月雨に朽ちず残れる金色堂みちのく遠く旅人去りぬ
金色堂心に写し帰るかなみちのくの空秋の夕映え
氷張る池に雪降り金色堂眩く映え雪踏み帰る
雪の野に幻ならじ金色堂みちのくにさらに雪は積もりぬ
1394
1397
足利義満が北山に金閣寺(鹿苑寺 - ろくおんじ)を建立
1401
1404
勘合貿易(かんごうぼうえき)の開始。
明との貿易で倭寇対策に勘合(かんごう)を使用した。輸入品は銅銭(永楽通宝)・織物・書物など。輸出品は硫黄・銅・刀剣など。治安対策として倭寇の取締りを強化。
京都の金閣寺と平泉の金色堂の相違は何なのか?京都の金閣寺は足利義満が建てた別荘だという。とういうことを権勢を誇るものとして建てた。それで一階は公家式であり二階は武家であり三階は禅宗の御堂でありそこに義満は皇位継承を巡り分裂していた天皇家を統一した。南北朝の統一である。更には有力守護大名の勢力を抑止し不安定だった幕府権力を確たるものとした。
圧倒的な権力を手に入れた義満はさらなる高みを目指す。
長男・義持(よしもち)に将軍の座を渡し、次男・義嗣(よしつぐ)を天皇の子と同じ形式をもって宮中で元服させた。このことは義嗣が次期天皇になる事を示唆している。
義満は何を狙ったのか?
そう、将軍と天皇の上に立つことつまり日本に存在する権力の頂点に君臨しようとしたのである。そしてこの構図が金閣寺の建築様式に表現されているのだ。
このように金閣寺はとても仏教に帰依するとかではない。権勢を誇るものとして見せるものとして作られた。その時代は京都の中にも。応仁の乱とか争いがあり権力闘争がありその争いの後は寺に残ったりしている。柱に刀傷があったりする。京都はどうしても政治の中心でもあったからそこで権力争いの場となり明治維新でも薩長と幕府側と戦ったのである。その幕府側だった新撰組や会津を恨んで会津が悲惨な結果になったのである。
大風洪水万民憂
歌舞管弦誰夜遊
法有興衰劫増減
任他明月下西楼
暴風に 洪水に民衆は苦しんでいる
歌舞かぶ 管弦 誰か夜 遊ぶ
こんな時に歌舞音曲 いったい誰が 今宵遊んでいるのか
仏法に盛衰があり 天変地異もそれに応じて増減する
明月が西の高楼に沈むなど どうでもいいことだ
「大風洪水万民憂 歌舞管弦誰夜遊 法有興衰劫増減 任他明月下西楼」は、唐代の詩人白居易の詩「赋得古原草送别」の一節ですね。この詩は、白居易が長安を去る際に、友人の元凶となった罪を償うために、草原に向かって詠んだものです。この一節は、人生の無常さを表現しています。
ただ京都はそういう権力闘争の場であってもまた文化発祥の場でもある。だから中国の明からいろいろなものを取り入れたのである。この時期に日本文化と言われる猿楽・狂言・連歌などは都市・農村問わず愛好され、喫茶の風習も茶の湯として広がった
だから禅宗は文化もたらしたのである。金閣寺にもそれがとりいれられていたのである。 ただ金ぴか文化は常に権力者が作り出す秀吉の黄金の茶室でもそうである。ヨーロッパでもスペインなどは南米のインカとかから黄金を略奪して持ち帰り黄金の教会を作っているからである。信仰というより権力者の権勢を誇るものとして作られたとなる。
一方で平泉の金色堂は民の平安とか戦乱の無き平和な社会を願い建てられ権勢を誇るものはあった。でも金閣寺と違って 仏教により平和もたらされることを願ったのである。
中尊寺の建立にあたり、「中尊寺建立供養願文」で争いのない平和な世の中にすることを誓いました。平和な世の中を目指した国造りをすること自体は、歴史の中でも極めて珍しいことです
命あるものたちの御霊は、今、あの世に消え去り、骨も朽ち、奥州の土塊となり果てたが、中尊寺のこの鐘を打ち鳴らすたびに、罪なく命を奪われた者たちの御霊を慰め、極楽浄土に導きたいと願う
それで漢詩にあるように民は苦しんでいた。 それでその頃から一揆が起きていたのである。楼閣など必要ないとその時代の権力者を批判する人なっていたのである。
金閣寺もまたそういう面があった。でもその美には魅せられる。現代で欠けているのは美なのである。東京にいた1000万人住んでいてもそこに美がないのである。だからこそ殺伐としているのである。
なぜ金閣寺が魅力あるのか?それはお堂の中でなく寺の中でなく外に作られたからである。だから自然の風光の中で映える輝くのである。その美に魅せられるのである。だから私が訪ねたとき苔庭に真っ赤な椿が一輪散っていた。それが金閣寺にもあっていたのである。
だから不思議なのはイメージクリエーターなのである。椿は散っていないが鮮やかに金閣寺に映えている写真になっている。もう一つは五月雨の降り残してや光堂であるがそれは金閣寺をみちのくに移した感覚になる、あきらかにこれは金閣寺である。でも五月雨が降りそれが金色堂にもなる不思議がある。このAIの技術は驚くべきものがある。
ともかく、私は東北に住んでいるから平泉は近い?だから春夏秋冬と行っている。そこで違った趣がある。ただ、それは京都の金閣寺とは違う。金閣寺は豪華に潤沢に輝いている。ただ、そこには他人の平安を願うというより。権勢をを誇るものとして建てられたし義満の別荘でもあったからみちのくの平泉の金色堂とはまた違ったものである。
金色鐘声寺門開、 花香滿路春將來。 雲山四面皆明月、 水田十方是秋雷。
一休の漢詩でもあるが水田とあり秋雷は秋である。ともかく金閣寺の辺りは水田だったとなる
鎌倉時代だったらみちのくといえば奥の細道でさみしいがそれ以上に寂しい場所だったのである。平泉とは小さなみちのくの都であり京都は比べようがない。だからそれは枯野の中にあり。雪にも埋もれていたのであ。そして旅というとき目的地に真っ直ぐ行くより遠回りがいいのである。方向を定めない旅が発見の旅となる。
だから分か道がありどっちに行こうかとかなるのが旅である、そこが分かれ去りになる。それは歩く旅だからそうななった。車だったらそうはならないのである。だから現代は旅がなくなったのである。
芭蕉は石巻からどういう風にして平泉まで来たのか?それは今の石巻線を行けば分かる。その石巻線は人もわずかしか乗らない線である。その時枯野が広がっていたのである。
涌谷とは黄金が取れたとして奈良の都にも知られて万葉集に乗っているのである。だから東北というのはもともと金が多くとれていた。それで金売り吉次の伝説が生まれた。ここに金が取られると知られたのはそれは天平時代であった。黄金山があったところに御堂があり天平の字が記された瓦が発見されて話題になった。涌谷から発見されているからである。それだけみちのくというのはそれなりに古い歴史がある。奈良時代から既に奈良の都と行き来があったからである。
石巻から石巻線に乗るとみちのくでも東北でも広いと感じる。でも東北線とか新幹線で行くとそんなに感じないかもしれない。だから旅というのは途中が問題であり。その目的地になるべく早く着くということではないのである。かえってと遠回りした方がその土地のことがわかり旅になるので。そしてそういう旅のほうが記憶されているのである。本当の旅は歩く度が一番いい。そしてそこに分かれ道がありどっちに行こうかなと思案する行き先もわからないた旅が未知なる道への旅となる。だからこそ分かれ去りとかと言う地名が残っているのである。
道分かれどちに行こうか日永かな
これも時間の余裕がないとこうはならない、まず急ぐ旅は旅にならないのである。車で飛ばしても後で振り返ると記憶から消えているのである。
こうして近くだと四季折々の風情を楽しむことができる。でも。京都となると今遠い。もう介護になってから15年位旅していないのである。そして旅するにも何か外国人が多くなって混雑してそういう人混みがいやになった。もともと自分は都会の人込みなどが嫌だった。若い時はよかったとしても老人になるともうそういう人混みがいやなのである。だから早い時期に関西の方に何回も旅したのはよかった。やはりいくら時間が与えられていても金が与えられて与えられていても何かするということは限られている。時間がその前になくなってしまうのである。
そしてまた状況も変わってきてコロナウイルスとか様々なことで変化して行きづらくなったのである。やはり人が多いということは古都の京都の風情が失われるのである。それは修学旅行生が来て騒いでいた時も感じた。そこで京都の風情が失われる。京都ではしずしずと着物姿の女性がが歩いている時あっているのである。それが派手な若い女性がギラギラの服を着て肌丸出しで歩いていると何か幻滅するのである。だからインバウンドで外国人がまた増えたが京都の風情は失われる。すると日本人は京都に行かないとかなる。そこに現代のグローバル化の問題がまたあるある。金になるからと受け入れるとそこにまた問題が起きるのである。