2023年08月20日

放射性物質を海に流す問題 (漁業者は多額の補償金を事故前にもらったことで責任が問われた)


放射性物質を海に流す問題

(漁業者は多額の補償金を事故前にもらったことで責任が問われた)

石巻市寄磯浜では、原発事故後に多くの漁師が海を去りました。当時も補償はあったものの、出荷できない時期が続いて販路を失い漁業への意欲を無くした漁師もいました。
 遠藤さんは、補償があっても風評被害が続けば漁業は衰退するとして、国には消費者が安心して水産物を食べられる体制をつくってほしいと訴えます。

処理水放出迫る 「補償が出ても…漁師の思い」

これは石巻こうのことである。原発事故の汚染は福島県だけではない韓国とか中国まで日本の原発事故で汚染水を流すなど批判されている。だから原発というのを一地域の問題として処理してきたのは間違っていたのである。環境問題は国地球全体に関係しているから世界の問題となったのである。世界に対して責任があるということである。現在は何でもグローバル化しているから一国だけが勝手な事など出来ないのである。

だから日本全体の漁業者の全漁連を相手にして東電がその許可を得ようとしているのである。それは一地域の問題として処理できないものだったのである。でも補償金となると事故前もこの辺の漁業者は舟主は特別補償金が多くて貰って原発御殿が建ったとたとか言われたのである。今その責任が問われているのである。
なぜなら福島県だけが補償金をもらってほかの人たちはもらっていないと思うからである。多少は貰ったかもしれないなそれも少ないだろう。
だからもともと原発というのは汚染は広範囲にであり事故を起こし汚染したら影響する。ということは福島県の地域だけで許可できるものでもなかった。それが今現実化しているのである。何かこの辺で起きたことは金というのはただもらえばいいとしか考えなかったがそれが意外と怖いことでもあった。
現在では何が責任かというともう特別な地位にある人だけでなく金をもえあえばそれが責任となる。なんでもいいから金になればいい金をもらえばいいそれが実際は金が責任となっていたのである。

なぜ漁業者が今になって責められるのかのそれは金をもらったからである。それは事故前からも多額の金をもらっている。それであなたたちは許可したのだから何があっても文句は言えない。
だから原発を作るときそれは世界の問題のであり環境に影響するのだから原発自体を一国とか一地域とかで処理するものではなかった。ただ事故後にその金の責任を自覚されさせられたのである。
原発を建てるに対して大きま範囲で検討する必要があった。現実に石巻まで影響したのだから福島県の浜通りだけではない宮城県の漁業者もその是非を問うべきだったのである。
そして福島県の浜通りの漁獲高などは宮城県に比べると1/10ぐらいだったのである。だから零細業者であるそんなに収入はなかったのでだからこそ東電が出す補償金が魅力となったのである。
そして風評被害は続く、安全だと言っても本当なのかとなる。放射線の問題は目にも見えないからわかりぬくいのである。
近くの井戸の水は調べてもらったから安全だというから飲んでいる。それでも不安になるからである。

確かなことはもし事故前に補償金をもらっていなければ問題なかったかもしれない。事故後にもらっても批判することはない。事故後だとみんなもらっているからである。ただ問題は事故前に多額の補償金をもらってたということだったのである。
それだけもらっていたのは福島県の漁業者だけだったろう。だから汚染水を流すなという時あなたたちは既に事故前も金を貰っているのだからそれが言えるのかとなる。
つまり現在は金が責任になるのである。ドラマでは金をもらったからと殺人までした人はいる。その金をもらったことで人を殺すことになった。別に殺さなくてもよかったのだがやはり金をもらったことで責任となっているからそうしたのである。


とにかく何であれ金を巡って人間は争いがありそれだけ金が物言う社会だからである。でも金に関してはなんでもいいから金をもらえばいいとなっている。お金がくれるからそれを断る人は居ない。それがどんな金であれもらえばいいとなる。。それがたとえ盗んだ金でもそうである。もしかしたらその時誰かを殺しているかもしれない。そうしていた金をももらう時怖いことになる。その金は呪われた金でありそれをもらったとしてもやはり呪われるかもしれない。
だから金と言うのは何でももらえばいいとはならないのである。この世の問題は金を巡って争いがありでも金というのは責任が伴っていて怖いものなのである
でも常に不正があり金を得ることが優先される。それは銀行でもそうだし自動車は会社でも修理会社でも不正して保険金をだまし取っていた。つまり何でも金になればいいということがそういう問題を引き起こすのである。それはあまりにも金の魅力が大きすぎるのであ。例えばあなたに百万でもやれくれると言ったらもらっても構わないとなる。その金の出所が何であれもらうことになるのであるそこに危険がある。

ただ正直あまりにも金の力が強くなりすぎたのであ。この辺では最底辺の暮らしをしている人が常に金に困っている人が補償金は一応16万もらいる。その日暮らしをしている人にとってはそのお金は大きなものなのである。また原発事故があってから親でも死んだ場合その補償金ももらえるのである。となると32万円ももらえるから結構大きなものとなる。
だからその金はもらえるからと金を貸してくれとなったのである。こうして人間を金を巡って日々生活している。でも金には責任がつきまとっていたのである。
現在は平等社会であり必ずしも昔の侍のように責任を負うということはない何が責任かとなったとしたら金なのである
だから今回も漁業者が事故に金をもらったということで非難されることになったのである。別に事故後にもらっていたらそれは高くなっても文句を言う人はそんなにいないだろうそれだけの被害があったのだから当然だとなる。それを事故前に手付金として多額の補償金を貰ったことが問題なのである
そのことは事故があっても何も言わないでくださいということでで金が支払われたのである

だからその金が問題になったのであだから金がもらえるからといって何でもしていいのかとなるとならない。その金についての責任が問われるのである。おそらく自分自身もそうだった。遺産が入ったとしてもそれは自分だけの金ではなかった。親は公務員であれ特別恵まれて入ってきた金なのである。そのために大金を盗まれたとか金を巡って金を得たいために介護に苦しんでいる時そんな人しか来なかった。それもやはり何か親のカルマであり因果であるただ金はもらえたのだからいいと思っていたがその代償もあったのである。独り占めするなということがあった。

どうしてその金が得られたのかそれが問題になる。金は何か具体的で分かりやすいのである。だから何か事件があればかねの流れを見るとわかりやすくなるのである。だから金は責任なのである。とにかく不正で儲けてもそれで栄えるということはあり得ないと思う。原発事故はそうした不正とかは関係ないように見えていた。でも隠蔽するとかいろいろ技術的な問題だけでなくモラル的問題もあったのである。それは巨大な国家的権力を持っていたからできたのである。権力を持つということは責任を持つということになる。その責任の自覚が無くただ金をもらえればいいとしかなくなっている。

でも東電に天下りした検事とか警察関係とか海上自衛隊とかその人たちの責任は問われていないのである。でもその人たちは金だけはもらっているのである。また東電でも幹部なども責任は問われないのである楽それはなぜなのだろうかとなる。権力を持っているから責任をとわせないようにしているのかとなる。
そこには検事とかとかか警察とか自衛隊が関わっていればそんな権力に立ち向かうことができる人はいない。だからこそ津波がその悪を暴いたのである。中国にも易姓革命がありそうして大きなな災害が起きる時政府の責任が問われるからである。中国の大洪水でもそれが起きたのである。習近平体制がその責任が問われているからである
posted by 天華 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年08月19日

日大大麻問題「検事上りの日大副学長と警視庁の太いパイプ」 「既得権バームクーヘンの隠蔽体質」-原発事故と似ていたー加治将一氏の説明がわかりやすい


日大大麻問題「検事上りの日大副学長と警視庁の太いパイプ」
「既得権バームクーヘンの隠蔽体質」-原発事故と似ていたー加治将一氏の説明がわかりやすい

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●東電も権力で危険を隠蔽して無視した

この説明はわかりやすかった。常に加治氏が指摘しているのは隠蔽体質である。だからこの事件も表沙汰にしないように日大でも隠していた。隠すことができたのは日大の副学長が検事上がりの人だったからである。つまり検事だから警察庁と通じあっていたのである。これは大問題である。
日大の検事が日大の役員として迎えることは何かあったときそれを表沙汰にしない隠すことができる。そのために検事を役員にしておく。それから学長にしたのは林真理子でありその人はどうでもいいのである。飾りとしてあるだけであり今回の事件でも蚊帳の外に置かれ何も知らなかったという。

この隠蔽体質というのは東電にもあった。東電は危険なことを表沙汰にしない隠すことができていたのである。なぜなら検事でも自衛隊でも警察庁でも天下りしていたからである。だから日大などよりもう鉄壁の守りでありそれを暴くことはできないものとなっていた。
だからこそ実際は安全でないものであっても安全神話を作られていたのである。そこには御用学者も一一役買った。マスコミもそうである。莫大な金が800億円という金が電事連とかから流れていた。一応共産党でも危険を指摘していた。でも電事連といえばやはり共産党系の人たちもいるのだから原発廃止ということにはならなかった。東電とは信じられないほどの強力な大企業であり国家と同じだったのである。そんなものに反対することは不可能になっていたのである。

内部で働いている人は配管などが老朽化していたとか危険を指摘していた。また13mの津波が来ると科学者集団は指摘していたのである。でもそれも無視された。
ともかく危険があったとしても無視されてきたのであそれができたのは強大な権力が国家でも東電と一体化したからである。
だから内部でもそこで働いていた電気関係者の人も配管など何か危険を感じていた。でもそんなこと上の人に何にも言えなかったのであるというのはそういうことを上の人に言うと仕事をもらえなくなるからである。常にそうして権力を持っているから東電には何も言えない。そのために東電は安全神話を作り実際は危険に備える安全対策もしていなかったのである。それができたのはこうして巨大な国家と一体となった権力を持っていたからである。だからそれを暴いたのは津波だったとなる。そんな巨大な権力に対抗することはできなかったからである。

ただそういう隠蔽体質をが危険なのは原発事故で証明されたように事故になったとき住民はもう故郷に住めめなくなった。住民も安全神話を信じており補償金ももらえるとか金が優先になっていたとも言える。
その後の保証金でも何兆円とかなっていることで驚いたので国が関与するとなるとそうして庶民などは考える金とはまるで違ったものとなる。この辺であまり東電を批判しないのはやはり補償金でも貰えたからである。

●原発事故の原因も隠蔽体質から起きたこと

原発事故の原因はいろいろあるにしてもやはり権力による隠蔽体質があった。それは日大の大麻事件でも同じであった。隠蔽する権力でも持っていたとなる。その象徴が検事だった人は役員になっていたことである。その検事が警視庁と繋がり隠蔽するということが出来たのである。
東電になるとそれは国家並みの権力でありあらゆる権力の中枢にある人が海上自衛隊とかでも警察関係者でも天下りしていたのである。そんな巨大な権力に対抗することは不可能だった。マスコミもただ東電から広告費として巨額のお金をもらっていた。だから事故が起きたとき朝日新聞社でも中国に東電から招待されていて飲み食いしていたのである。
だからマスコミも関わり安全神話は鉄壁なものとして作られていた。でもそのことが大事故に繋がっていたのである。爆発が起きてもそもそも安全神話があるのだから避難訓練などしていない。それで一番危険な一番放射性物質が多い場所に町長は何も知らされていないので避難したのである。

東電の人が放射性物質がどういう風に流れるか知らなかったかというと知っていたのである。それで東電の人が山の方より海の方に避難した方がいいとしてそれに従った人たちがいたのである。なぜなら海の方は0.5とかマイクロシーベルトか本当に低かったので山の方の津島になると20から30マイクロシーベルト言う恐ろしいものとなっていたのである。
そういうことになったのはそもそもは安全神話を作り事故は絶対に起きないと言うことを前提にして原発を作ったからである。だから危険があっても隠蔽できたのであそれが後々の大事故にもつながっていたのである。だから権力を持つということは怖いことなのである。そしてなぜ権力は腐敗する絶対的に腐敗する。そう言われるのは権力によってそこに危険があってもまずいことがあっても隠蔽できるということにはそのことから真実が見えなくなる
だから日大の大麻事件でも内部からも告発がありいろいろ指摘があっても隠蔽していたのである。そこには検事上がりの役員が関わっていたのではそもそもなぜ東電がこれだけの大事故を起こしたのに役員でも罰せられないそれはやはり検事でも天下りしていて身内はバームクーヘンは既得権者はお互いに守ろうとするから罰せられないと見た。

●システムを変えても人間社会は根本的に変わらない

いずれにしろ日本には民主主義は根付いていない。民主主義とは選挙の選挙をするというだけではない。様々なシステムは透明化して民主化することである。それが日本では出来ていない。報道の自由もない。今まではマスコミが報道を握り第3の権力になっていた。マスコミが真実を追求しない。やはり隠蔽に協力するものだったのである。た
だだ既得権のバームクーヘンの中にはいっていれば甘い汁を吸いるということになっていた。その報道でもテレビだと莫大な金がかかる新聞でもかかる。そのためにどうしても広告費をもらえないと成り立たないのである。それで聖教新聞すら第1の仕事はこの広告をとることだと言っていたからである。そして何か創価でも環境に良いとか原発の宣伝をしていたのはマスコミの中で二番目に大きかったのでなぜそうなるのかというと金のためいみそうしてるだけである。本当は宗教団体なのだから真実を追究するということが第一にあるべきなのである。

そもそも創価などは権力を得たいというだけである。権力を取るなら手段を選ばない。あらゆることにそのために権力を得るために工作しているのである。新聞社にも聖教新聞を刷らせて反対させないように批判させないようにさせる。福島民報も聖教新聞を刷っているからである。
だから原発のことなど危険危険を知らせないし何も言わないともなる。つまり広告費をもらうことで批判は抑えられるのである。だから大きな権力にはマスコミも逆らうことはできないのである。ただインターネットだと金ががかからないから一個人でもこうして気軽にかけるのである。ただ影響力は少ない。

ともかく加治将一氏がマスコミでも取り上げ無いのは日本のタブーに触れているからである。日本では天皇を批判できないからである。天皇は偽者だという時妄想であるもそうである。またさまざまな多分がありタブーがありそれに触れているからマスコミには出ていないのである。でも何か時事問題とかで話すとき急所を付いていてわかりやすいのである。だから新しいメディアができてそういう人も生まれたとなる。何かインターネットというのは一個人でも新聞社でもテレビ局でも出版社にもなれているので

ただ何であれ発言すれば批判はある。加治将一氏は何かアメリカに対してはあまり批判しないようである。アメリカにもいろいろ問題があるいくら民主主義があるとしてもそれも必ずしも実行されていない。アメリカの一番の問題は超格差社会であるということである。数パーセントの人がアメリカの富の半分を持っているということはもう民主主義も何もない異常なことである

そんな国がもう維持できるのかとなる。システムを変えることが大事だというはそもそもシステムを変えたところで人間が変わるものだろうか。それは社会主義システムに書いてもやはりそこで悪魔必ず生まれているのである。
だから人間というのはシステムを変えてもその中にいるそのシステムを動かす人間を変えない限り社会は変えられない。だから民主主義システムでも共産主義システムでも資本主義システムでもそこに悪が不公平が生まれ格差が生まれ公平にはならないのである。

でもその中で良心がある人はやはりこれはおかしいと思うのである。そもそもシステムを変えれば社会が改善されるということで共産主義でも生まれた。結果として粛清されて何千万人も殺されたという最悪の結果にもなったのである。だから本質的には人間社会というのはシステムを変えても変わらないように見える。人間の個々人が変えない限り変わらないと思う。つまり社会の中で詰めに不正がありそれを指摘して変えようとしない限りいくらシステムを変えても変わらないと思う

●人間の欲は消えないから悪も消えない

ともかく加治将一氏がこうして明確に悪を指摘できるのは作家というだけではない。アメリカに15年とか不動産関係で仕事していたとかその経験が大きいのである。だから常にアメリカと日本を対象的にに見て指摘できるのである。
日本だけに住んでいては日本のこともわからないのである。それは別に日常生活してれば些細な事でも日本との相違がわかる。外国では釣銭を明確に計算して出せないという。日本ではそういうことがない。そのためにかえって遅れた国ではit化して釣銭を数えないようにしたということもわかる。
また固定電話でもスマホになったということも携帯電話からスマホになったということもわかる。つまり遅れていることがかえってよく作用したのである。それは自分自身がそうだった。悪筆をなんとかしようとしてワープロを始めてた。そのワープロに通信機能が付いていたので早い時期から通信での対話などしていたのである。だから遅れてるということは返ってよく作用するということもあ
ただ問題は彼はあまりアメリカのことは批判していない。そこに多少の疑問がある。ただその批判する視点が既得権者のバームクーヘンであるということには賛同するのである。問題はその既得権者にありその人たちをどうして監視して権力を抑制しして操作するようにさせる。

つまり権力というのはそれだけ危険なものを持っているからである。そのためにさまざまな危険がありナチスのように何千万人もう死んだりとか日本の戦争でもやはりそういうことはあった。宗教というのもまた権力と一体化すると非常に危険なのである。
宗教と言うと何か平和のものと感じているが実際は宗教でも常に暴力となり平気で殺すことも是認されるのである。だから宗教対立でも常にあり戦争になっているのでそれは宗教の対立というより権力の対立なんだと思う。なぜなら人は権力を得ることを具体的に得だと思ってしているからである。だからカルト教団もここの内面の心などは全く問題にしていない。
社会で勢力を持ち権力を得ることを目的にしているのである。そして社会というのは人びとは権力に従うのである。
その権力にもいろいろあるが軍事力があり金があり今では民主主義となると数を集めることなのである。カルト教団でも何百万人もいるとなると恐れることになる数で威圧するのであるその中身は何でもいい。正義も何もない唯一がすべてであり数は力であり数を集めて社会を支配するのである。現在で力を持っているのは大衆だからそうなるのは当然である。

●権力を望まない欲のない人が治めるべき

だから理想は権力を持たない人が欲を持たない人は一番上に立ち収めることである。それで聖書では緑子に収めさせようとか老子になると治めずして治まるとかの結論になる。権力を持てばもともと欲があるのだからその欲がむき出しになって権力を利用する。それがあからさまに行われたのは中国である。皇帝がどれだけの権力を持ちその権力を利用してその欲を叶える
それが異常なほどの残虐な行為伴っているのである。
から元々宗教とは欲を抑えるかことから始まった。でもカルト宗教団体になるとどうしたら権力を得て自分の欲を達成することまでだったしかなくなった。だからこそあれだけの人間を集めることができる。ただ一票になればいいだけであり頭数を集めるだけであり後のことは何も関係ないからである。

そしてナチスのようになるのである。だから民主主義というのも今や人々はそのシステム自体を問題視している。それはほかの資本主義でも社会共産主義でも同じであシステムを変えたからと言って社会は変わらないのであそもそも人間の欲は消えないし変わらないから社会も変わらないので社会のシステムを変えても社会は変わらない。そもそも人間が変わらないのだから変わりようがないのであるシステムを動かすのは人間だからである。
資本主義がウエバーのキリスト教修道院内で始まり人々に奉仕するものとして労働がありそこから資本主義が始まったというときまさにそうである。それも全く変質してただの強欲資本主義になってしまったのである。人を助けるということなどは全くないただ自分はもうければいいというだけである。だからこのようにシステムというのは必ず人間の欲によって変質してしまうのである。

だからもともと仏教の出世ということはこの世から離脱することであったが逆にこの世で出世して欲を達成することが目的となったのである。カルト教団でわあらゆる欲は是認されるしもっと欲を持てそれがエネルギーがあることだと言って奨励されているから異常になっているのである。
そこでバチ当たるとか地獄に落ちるとか言っているけどそんなこと言える人間なのかただ自分の欲をを達成するだけを目的にしているのそいうこと自体が異常なのである。でも現代社会では異常でもでも多数になれば正常になるのであるそれがナチスだったわけである。ナチス政権も選挙で選ばれたからである。

日本は民主主義の三権分立があっても機能していない。それは確かである。だからこそバームクーヘンの既得権者は構成されてそれが原発事故であれ日大の大麻事件であれ問題が起きてくるのである。システムを変えることは必要である。でもそれが根本的な解決になるのかは疑問である。結局システムでも人間が動かすものでありそこでまた必ず問題が起きるのである。だから権力を監視するというかそういう機能は必要なことは確かである。
でもマスコミも権力に癒着して既得権」バームクーヘンになっていたのでそれはなぜかとなれば得するからそうなったのである。だから根本的に人間社会を変えるということは難しいとなるのである。聖書でも欲で滅びるというとき人間の最終的な結論はそうなってしまうのである。欲はどんなことしても消せないからである。それに対処方法は無いのでそこに人間社会の限界がある
この世の悪との戦いに終わりがないことなのである。





posted by 天華 at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年08月17日

井戸の話の続き―春雨庵のこと(百合の花、暑し、涼し)


井戸の話の続き―春雨庵のこと(百合の花、暑し、涼し)


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ここには家があったがなくなり空地になり百合の花が咲いている。この百合の花は咲いているのが多い
種が飛んでどこにでも咲いている。


井戸の水日陰に汲みて白百合のここに咲くかな暑き日続く

馬酔木(あしび)なす、栄えし君が、掘りし井(ゐ)の、石井(いしゐ)の水は、飲めど飽かぬかも

地下水の水を飲むことは水道の水とかペットボトルの水を飲むのとは違う
大地と地下と繋がり何か原始的なものにもなる。それは直接大地とつながり水をくむからだとなる。

沢庵和尚はここに上山に流罪になり春雨庵に三年住んだ。その詳細はわからないが井戸に注目した。昔は水はもらうことが多かったのだ。これは前にも書いた。町では「水をください」ともらう人が多かった。また水は場所によっていい水と悪い水がありいい水の出るところにもらいに行った。今でもいい清水が出るところには車で水を運んでくるのと同じである。水は生活の基本でありかかせないから井戸は生活の中心としてあった。だから井戸をめぐる話は無数にある
海に近い五島町一帯などは 塩水で特に水質が悪く、山手の井戸からもらい水をしていたので「五島町の水乞食」とまで いわれた。

三年を過ごしてここに井戸の水もらいし娘心に残りぬ

井戸の話(沢庵和尚の春雨庵から・・・)

埼 玉縣入聞郡堀兼村堀兼 に残 つてお り,そ れに関 して千載和歌集 に,``

武 藏野 の堀 かね の井 のあるものを うれ し くも水の近ず きにけ り

と い う歌が あつて,水 のえに くい ところで えた水 を恋い慕 う様子が 示 され
てい る

日 本 の 井 戸 と そ の 歴 史  藏 田 延 男

隣の井戸から水を汲む。 5時ごろになり日陰になっているから涼しい。井戸は戦前までもまた戦後の焼け野原になった十年間くらいは井戸水を使っていた水道はなかった。
だから何かその子供の時を思い出すと不思議になる。それは何か原始的な生活でありそういう生活は奈良時代からも続いていた。
人間は水なしでは生活できない。飲み水にも水が必要であり井戸があった。ただその井戸でも地下にありそれを汲みだすことは容易ではなかった。だからこそ堀兼という地名が生まれた。
地下水を掘り出して組み上げることが容易でないからそういう地名が生まれた。要するに地名はそれだけ生活と密着して生まれてきたのである。

ともかく今でも水は貴重である。ただその水の貴重さが自覚されない時代になった。水道の蛇口をひねればいくらでも水は出てくるとなるからだ。
でもこの辺では原発事故で放射性物質に汚染されて井戸の水とか飲めなくなった。でも隣の井戸水は検査して飲めると言われて利用させてもらった。ただ地下水から汲みだすために機械を使っている。地下水を汲みだすために釣瓶を落として汲んだりポンプでくみ出すのは苦労だった。
井戸にまつわる話は相当にある。春雨庵とは沢庵和尚が住んだところである。それは山形県にある。その近くの宿に泊まった。それは今振り返ると価値あることだった。つまりその宿が価値あるものになるのは何かそうした故事がありその近くに宿があれば価値が生まれる。そこで泊まれば自ずとそうした物語を具体的にイメジするようなるからえある。
ただ現代ではホテルでもビルが多く何か本当にビジネスホテルであり風流を感じるホテルは稀になった。
ただ泊まるというだけで何かそこに春雨庵の近くで感じた旅館とは違うのである。何かホテルになると大きくて風流あまり感じないのである。

くたびれて宿かる頃や藤の花 芭蕉

そういう感覚は現代の旅にはもうない。極端になるとホテルは巨大なレジャーランドのようになりそこはとても旅の宿というようなものではない。第一今は旅する人はいないのである。
ホテルでうまいものを食べて休養するというだけである。それが高度成長時代の会社ぐるみの慰安旅行になったときはそれで繁盛したのである。でも今になるとそういう温泉街は廃墟化してしまったのである。それは一時の夢の跡ともなった。

宿とはやどるから来ており一時的にその場に宿る。そしてその場に一時的にでも一体化するのである。でもビルになるとそういう感覚が持てない。やはり旅館のようなものが良いとなる。でも旅館になると高くなる。
それでも白河街道の福良の民宿の蔵の宿は昔を感じられて記憶するのものとなたった。ホテルとかなると記憶されにくいし風流はなくなる。それは風景と一体化しないからかもしれない。
いずれにしろ現代から旅は消失した、ということは旅の宿も消失したとなるのである。それでふりかえると記憶に残る旅にならない。ただ移動するだけの旅だとなってしまう。人間はいろいろ体験する。その体験したことがその人の人生になる。旅も体験でありそれが旅のタビトモならなかった時何か価値あるものとして記憶されないからただ時間を無駄に費やしたとまでなる。

今日も暑かった。高校野球を野球を見ていたが高校野球のいい点は一回勝負でありその一回に全エルギーを費やす次がないのである。相手に一回で勝たない限りそれで終わりになる。
だからこそ全力で力を出すのである。それがプロのように半年も試合を続けることは一回くらい力を抜いてもどうどういうこともない。次がまたあるしその一回ですべてが終わるわけでないからである。でも高校野球の場合は一回しかチャンスがないのである。だからこそそこに魅力が生まれている。

人生でもいくらでも先があり時間があると考えているが青春時代などあっという間に終わる。そして人生すら老人になってみればこんなに短いのかと驚くのでは人間が勝負するのは実際は一回くらいかもしれない。そんなに何度も何度も試合などないのであるそして高校野球となるとそうした大舞台で試合できることはその一時期を除いてあとはないのである。だからその体験は最高に貴重なものとなっているのである。

旅をするにしてもそうである。やはり旅もそんなにできるものではない。これだけ旅をした自分が言っているのだから間違いない。介護になってからすでに15年も旅していないからである。旅する時間すら実際は短いのである。旅だけではない何でも体験する時間というのは短いのである。そして今やただ旅したことを回想しているのが自分なのである。

2023年08月16日

老人は記憶に生きる―ドイツの骨董店の対になった古い椅子(詩) (人間は忘れやすいので写真でもこれ文章でも記録することが大事)


老人は記憶に生きる―ドイツの骨董店の対になった古い椅子(詩)


(人間は忘れやすいので写真でもこれ文章でも記録することが大事)


●電車や車の旅は記憶に残りにくい


そもそも情報とは何か情報は無限にある。常磐線を例にすれば上野からいわきまで普通列車が通じている。でもその間に様々な駅がある。でも記憶されるのは水戸駅とか日立などは記憶される。でもその間のさまざまな駅が記憶されないしそこの情報が実は通り過ぎてゆくだけで知らないのである

それで電車の旅という旅はただ駅名だけを記憶していた。それで私は地名に興味を持つようになったのである。要するに記憶に残っているのは駅名だからである。そのほかは景色とかでも記憶に残らないのであるだから電車の旅というのは早すぎて記憶に残らないのである。それは来るまでもそうだしバイクでもそうである。現在は交通が発達し乗り物も便利である。でもそのために帰ってその土地のことや景色でも何でも記憶に残らないのである


何か今になると私は回想する旅をしている。それが仕事のようにもなっている。あそこを旅したあそこに行ったことがあるとか思い出すのである。ただ電車の旅も相当したとしても後で振り返ると何が記憶されたかとなると駅の名前だけだったともなる。景色でも電車から見ていると次々に移っていくからもし歩くように見ているのは相当な違いなのである。景色でも一瞬のうちに電車でも過ぎ去るし来るまでもそうだしバイクでもそうである。


だから現代は江戸時代のように旅は道づれとかはない。旅と一緒にして街道を歩いてそこで何か親しくなりそして分かれ道があり分かれさりとなる。そこが地名化して残っているのである。それはそこで人が分かれて本当には一回限りの出会いであとは合わないということがあった。


今のように交通が発達していないのだから簡単には会いに行けなくなったからであるなっていたからである。そこで会うということはだから相当に今と違って貴重なことだったのである。

今なら旅で別れても飛行機でゆけば大阪までも一時間くらいで行ける。それが私が気づいていなかった。それは必ず電車とか船を利用していたからである。

でも実際は大阪から仙台から大阪まで飛行機で行けば一時間くらいなのででもそれは旅にはならない長い途中が省かれているからただ距離を縮めてしまってその途中が省かれて旅というものを体験しないのである。


だから常磐線でも上野から途中の駅があるのだがそこが記憶されない。大きな駅である日立とか水戸は記憶している。東京から近いところでは土浦がある。そのくらいしか記憶していないのである

人間の体験というのはだからいくら交通が発達しても本当にその地理とかを理解することはできない。例えば航空でもシベリア周りでヨーロッパの方に行ったがシベリアの上を飛んでも下は何も見えなかった。真っ暗闇でなっていただけである。そんな旅はつまらないと思った退屈なだけだと思った。

でもウラジオストックからシベリア鉄道に乗ればその体験は全然違ったものとなる。川は電車から見たら大きかった。それも運河のようにではなく何か激しく流れているように見えた。

その幅が広く大きなものだった。そういう川は日本にはない。でもその川でも一部を見ただけなので大陸の川はそれだけ長いからである。流氷というのがアムール川の河口あたりにできてそれがオホーツク海まで流れて来るということがある。それもスケールの大きなものとなる。


鉄道でも川でも道でもそれは長いものである。だからその一部しか実際はわからない。長い川でもやはり船で行けばその川の長さを実感する。でもただ電車はその鉄橋を渡っただけであるが確かに大きさ感じたが瞬間的に通り過ぎたのでその一部しかわからないのである。本当に川のと長さを知るとしたらやはりその川を全部ではないにしろ上流からであれ下流からであれ船で行ってみることである。

そこに大きな川の流域があり人々は暮らしている。でもアムール川だと写真を見れば壮大な森がありシベリアのそのスケールがまた違っている。ロシアとかでは広大な森がありウクライナもそうであるその森が阻み閉ざされているともなる。

それはヨーロッパの中世でも広大な森がありそれでそれぞれの国は簡単に往来はできず閉ざされていたのである。そのためにドイツの神話で民話で森の中の城で眠れる美女の伝説が生まれたというのも分かる

ドイツは樅の木が育ちおおっていた。その広大な森が樅の木の森があって黒い森といわれていた。その森をイメージして作られたのがゴシック大聖堂なのである。


●交通が発達して便利なっても人間の五感で記憶されない


ともかく何故地理を知ることが難しいのか。シベリアを飛行機で行ってもなんにも見えなかった。真っ暗闇のしか見えない。それで地理がわかるということはない。地理がわかるということは人間の実感で知るということは容易ではない。地理はいくら地図を見てもわからない、地形でもわからない。日本には山が多く峠が多い。その高低が実感できないのである。

だから峠でも歩いて超えた時はその地形を実感する。でも車で一気に登ったらその高さとか高低が実感しにくいのである。だから外部から見るときそうま地域でも飯館になると標高400mくらいあり海側とは違った気候になる。冬でも五度くらい温度が違うその代わり夏になると高原となり涼しいのである


結局人間というのは確かに機械に頼れば鉄道であれ車であれ飛行機であれその目的地に早く着く。それはそれで便利であり交流を深めることはある。でもその土地のその地理を理解したことにはならない。つまりどんなに人間が機械を使い便利になったとしても何か実感として心に記憶されることは機械に頼ってもできないのである。

ただ外国になると見慣れないものが多いから余計に忘れてしまう。それで失敗したのはもっと写真として起動記録しておけばよかったとなる。


ただその時デジタルカメラが出ていないので写真にとることが難しかった。その頃いちいち現像したりするのが金もかかるし面倒だったのである。でも老人になると必ず何であれ過去を回想する。その時不思議な事は頭に記憶されていなかったのだが写真を見てこういうところだったなと再認識することがある。頭の中にはもう何も記録されていなかったのである。

こういうことは本でもある。大量の本を買って印をびっしりとつけていたのだがその本を読んだ記憶さえなくなっていたのである。それでまた読み返してみてこういうことを書いてあったのかと感心しているのである。だから記憶を蘇らさせるためにはやはり記録しておくことが大事であり文章にしてもいい今ならデジタルカメラでとにかく記録しておくのである。そして後でその写真を見て記憶をよみがえらせるのである。


●親しくなるにも時間がかかる


人間は確かにいろいろなことを経験して記憶する。でもそれも時間が経つと60以上になれば遠い過去になり忘れてしまうのである。現実に同じ家で子供の時一緒に暮らしていた人が五年間であるがその人が記憶にないと言ったのに驚いた。何かしら五年間も一緒に同じ屋根の下に暮らして飲み食いもしていたのだからその人がいなかったということはありえないのでただその人は女性は普通の人ではない異常な人となってからそうなったのかもしれない。やはり人間は家族のことは忘れない。私の場合は特殊な事情で結婚もしないで親と一緒に60年も過ごしていたから忘れることはないのである。そして特別よくされて愛されたから今でも家に居ると家族がいるような感覚になるのである


とにかく人間は老人になれば記憶に生きる。それで認知症の人は異常になっているのだが一番印象的なことを人生で経験したことを延々と語り続ける。今のことは全く忘れても若い時の経験したことは忘れない。私の姉はシンガポールの向いのマレーシアのジョホールの赤十字病院に従軍看護婦として四年間働いた。そのことが忘れないから1000回くらいその話を聞いたのでそれで嫌になったわ延々と話す相手もないから私に話したのである。


そして驚くべきは死ぬ間際になってもその話を戦争で働いた話をして死んでしまったのである。だから一番印象に残ったのは若い時その戦地で従軍看護婦として働いたことなのである。だから戦争の経験した人は戦争のことは老人になっても忘れられない。それだけの大きな経験をしたからそうなったのである。これは特殊にしてもやはり人間というのは老人になるとその人生を語るのだから同じなのである。

そして人間というのは人間が生きるに際して盲点となっているのは時間を軽んじることである。時間の貴重さが認識できないから時間を常に無駄にするのである。金だったら常に100円でも200円でも1000円でも意識している。それで得したとか損したとか常に頭に記録されてこだわる。でも時間だけはいくらとか換算できない。それが盲点となって時間を一番人間は無駄にしているのでいるのである。


そのことは人間が親しくなれるのはやはり長く一緒に生活を共にしなければ親しくなれない。人間の親しさは時間に比例している。長く一緒に暮らしていればやはりその人が他人だとしても親しい者となる。親子でも兄弟でも遠く離れてしまうと疎遠になり。そして貴重なことは孫と接するにしても娘でも遠くに嫁げばなかなか会えない。


そこで何か祖父母でも孫は親しくなれないのである。子供の時接することは親しくすることは貴重である。なぜなら祖父母だったら死んでしまうからである。そうして孫と接する時間も短いからである。するとあまり直に接していないままでも記憶に残らないということがある。

それで結婚でも60過ぎてから離婚するということは大きな損失だとも見る。なぜなら結婚でも互いに信頼し合って親しくなれるのには時間がかかる。 60までも一緒に暮らしていて離婚するとなると他にまた親しい女性はできたとしてもなかなか親密にはなりにくい。そこには既に親密になる時間が残されていないのである

だから人間とはいくらでも時間があり離婚したらまた別の人と結婚すればいいともならない。。なぜならそんな時間が人間には与えられていないからである。でも実際は離婚している人が1/3とか多いでわまた別の人と結婚すればいいではないかとは簡単になれないのであるそれだけの時間がないからである。





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骨董店のショーウィンドウに古い二つの椅子が飾られていた。でもその写真をなくした。写真でも物だから無くすことがある。
それで失敗した。この絵はイメージクリエーターで作った。ショウウィンドウではないがイメージはできるから便利である。
ドイツでもヨーロッパでも歴史が古いから骨董品は似合っている、アンテークコインが現実に高値で今でも取引されているからである。

古い椅子が二つ

(old twined chairs)


二人は座っている

いつまでも座っている

何かを語り続けている

その人は死んでも

やはりそこに居る

そして愛し合い

思い出を語り続ける

今はその人は居ない

でも二人はいつまでもそこに居る

その土地に深く根づいた木のように

愛し合う人は 離れない

二本の木のように

その土地に根ずき思いを深める

ドイツの秋は深まる

中世の街は古く

石造りにものさびて寂びている


(秋深む古き椅子二つ ドイツかな)



old twined chairs.


They are sitting

They're sitting there forever

They're talking about something

And when they die...

They're still there.

Like a tree deeply rooted in its land

And they love each other.

And they're still talking about it.

He's gone now.

But they will always be there.

People who love each other will never leave each other.

Like two trees

Rooted in the land and deep in love

Autumn in Germany is deepening

The medieval town is old

built of stone, rusted and desolate


Two old chairs in the depths of autumn, Germany perhaps






二本の樹

柿の木に柿の実のなり

無花果に無花果の実のなり

ここに久しく変わらざるもの

風の日も雨の日も雪の日も

ただ黙しつ耐えし強き命よ

冬の日さして今休らいぬ

そは大地に根を張り変わらざるべし

昔を偲び末永き命なるべし

柿の木に柿の実のなり

無花果に無花果の実のなり

何事のなけれど争うことなく

互いに傷つけることもなく

大地に根を張り変わらずに

静かなる強き命にあるべし

そは天にてもつづきあるべし

神の園に植えられし樹よ

その実はさらに甘美なるべし

忍耐は平和の基、来世の実り

神の国はそこに作られるべし



Two Trees


persimmon tree bears persimmon fruit


The fig tree bears figs


Here is something that has remained unchanged for a long time


In windy days, rainy days, snowy days


The strong life that endures in silence


The days of winter are now at rest


Rooted in the earth, it shall remain unchanged


It must be a long life in memory of the past


persimmon tree bears persimmon fruit


fig after fig after fig.


No matter what happens, there will be no conflict


Without hurting each other


Rooted in the earth, unchanging


Quiet and strong in life


And it shall continue in the heavens


O tree planted in the garden of God


Its fruit must be even sweeter


Patience is the foundation of peace, the fruit of the world to come


The Kingdom of God shall be made there


Translated with DeepL



2023年08月14日

夏の日の田舎の小径の詩(黄揚羽、夏の雲、木陰)


夏の日の田舎の小径の詩(黄揚羽、夏の雲、木陰)

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これが本当の実在の写真


夏の日の田舎の小径


家々は離れてまばら静かなり

小経が分かれ家々に通じている

そちこちに木陰があり休む

涼しい風がそよぐ

夏の雲が高く高く峰となる

ひまわりは我に向かって咲く

揚羽蝶が夏菊にとまりしきりはばたく

嬉々として花から花へと渡り飛ぶ

なお暑い太陽が山の端に入る

人ごみの都会の中で人は疲れる

一本の大木は大地に深く根付く

古い農家はその大木になる。

人はもっとも身近な場をよしとしない

大輪の芙蓉の花がゆったりと咲き

そこに安らぎと平和があることを知るべし 


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A summer day in the countryside


Houses are far apart and sparse and quiet

A small path leads from one house to another Here

and there a shade tree rests

A cool breeze is blowing

Summer clouds form high peaks

Sunflowers bloom toward me

Butterflies perch on summer chrysanthemums and flap their wings

Butterflies happily fly from flower to flower

The still hot sun enters the edge of the mountain

people get tired In the crowded city,

One big tree takes deep root in the earth

An old farmhouse becomes a big tree.

People do not appreciate the most familiar places

A large hibiscus flower blooms slowly

And know that there is peace and tranquility there


Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)






人間はいつも見ている風景に感動しない、それがいいものだとも見ない、あまりにも見慣れた風景だからである。
でも混雑した都会と比べるとどれは得難いものになる。なんか年取ったらよけに混雑した所に行きたくなくなった。どうでしても老人は田舎志向になる。京都が良くても外人とかであれだけ混んでいたら行きたくなくなる


キアゲハと花
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ここの花は桃色だけど私が見たのは橙の色の夏菊である

ビデオに撮ったが撮れていなかった
実際に夏の雲が湧き田舎の農家にひまわりが咲いていた
イメージクリエーターとは感覚的相当違っている
ヒマワリはやはり大きくないと映えないのである。
現代は映像化の時代だからやはり写真でも動画でも欠かせないのである
言葉だと相当にイメージ力がないと鑑賞もできないからである

スーパーヒタチ南相馬市を通過−youtube始める


スーパーヒタチ 鹿島駅通過−youtubeにアップ



動画を撮るのは外だとぶれるのが問題、三脚などでぶれないようにして撮るといいが手間がかかる
動画は室内だったら楽にもなる、でも編集となるとまためんどうである
ただ表現の幅は広がる。ようするにパソコンはソフトでもつかいこなすのに手間であり時間がかかる
それはずっとそうだった、簡単に操作できるようになってもやはり手間がかかり時間がかかる
でもアップすることは簡単だった

2023年08月12日

少子高齢化は文明が発達すれば必然である (動物と人間の相違- 人間は成熟に時間がかかりすぎる―余暇を活かすことが課題に)

少子高齢化は文明が発達すれば必然である


(動物と人間の相違- 人間は成熟に時間がかかりすぎる―余暇を活かすことが課題に)


●人間は育つのに手間と時間がかかりすぎる


なぜ少子高齢化が起きているのか?それは日本だけの問題ではない。先進国では共通している問題である。 ただ、アメリカなどは高齢化している人が多いにしても大統領でも80歳になっているとしても子供の数が日本のようには少なくならない。その原因は移民がいてそれで補っているのである。 

だから、ほかの国とは事情が違う。そもそも人間というのは動物とは相当に違っている。人間が成長するにはとにかく手間がかかり時間もかかる。そのことが動物とはあまりにも違っているのである。動物は生まれてすぐ立つことができるし食べ物でもすぐに捕れるようになる。長くても一年であり。その一年かかるということも長すぎる。生まれてすぐ立って餌をとっていけるということもある。


つまり、動物は本能によってのみ生きるのである。人間のように様々な手をかける。教育するとかはないのでる。本能によって生きてゆくのである。 人間にも確かに本能はあるが人間は生まれて親からでも社会からでも教育されない限り生きる術も身につかない。その期間が長すぎるのである。人間の子供を育てるということは経済的にも相当に負担だし動物のようにはいかない。 

ただ、人間にも生殖本能がありだから先を見ないでセックスして子供を産むということがある。それで貧乏人の子だくさんというのも戦前からあったし戦後もあった。戦後の焼け野原から団塊の世代が生まれたのかそれは戦地から帰ってきた人たちが男たちがセックスして子供を大量に産んだともいわれる。それは本能の力が働いてそうなったとなる。


実際、焼け野原になって食べ物もないのになぜそんなに子供が生まれたということは理解できない。それはやはり本能の力だったのかともなる。貧乏な国ではアフリカなどの貧乏な国では、食い物わなくても本能の力によって子供がたくさん生まいる。 それは動物と同じよう同じように本能の力が働いてそうなっているということもある。

ところが人間というのは?そうした本能的なものを性欲でも抑制することもできる避妊とかもできる。特に文明化した社会ではそうした薬も作られて避妊できる。遅れた国ではできないから子供が増えたと思う。


つまり人間だけが本能だけはいけない本能に逆らい生きる動物である。 でもなぜ人口というのは地球の人口は急激に増えたのか?逆に人間が文明化したためだと思う。人間でもそもそもは生きるには必ず食料が必要であり。もしその食料がなければ。人間も生きていけない。だから、その食糧分だけの人間しか養えないから江戸時代までは農業でなったが限界になった。それ以上は増えなくなった。


●なぜ明治以後に人口はこれだけ増大してきたのか?


それは工業化したりして農業だけではない食料以外でもさまざまな職業が生まれてまた食糧でも江戸時代のように一反からとれる米の量が限られるという事も無かった。生産技術の発達で一反からとれる米の量が2倍3倍となった。すると。食糧でも2倍3倍となりそれだけの人口も増えても養うことができるようになった。


でもその中心が農業にあった。今は田舎でも農民は1割に満たないのである。つまり食料生産に従事する人はそれだけ少なくなりでも食料は供給されているのである。それは農業技術の進歩から来ている。 農業は主要な産業ではなくなったのである。それを象徴しているのは1000万の東京の人口があるとしてその人たちを養う食料がどこから来ているのか 東京の中に田畑はない食料は供給されている。江戸が百万都市だとしてもその周りはやはり田園地帯が広がっていたのある。


だから、その周りから食料が供給されていた。ただ米などは船で東北からでも江戸に集められた。だから食料のすべてを賄っていたとはならない。でも野菜などは東京周辺で江戸周辺でまかなっていた。それでその周りで特産物が生まれた練馬大根とかがそうである。また肥料でも糞尿を江戸まで農民が来てそれを取り出し運び肥料としていたのである。密接にその食糧を得るためにその周辺地帯と繋がり食料を供給していた

また、江戸前寿司というように東京湾で新鮮な魚をとりそれも食糧となっていた

ただ、江戸時代までは農業社会だから人口は抑制されて4000万以上にはならなかった。それで新潟県の人口は百万とかあり東京の人口も百万とかになっていた。実際は新潟県の人口の方が多かったのである。大正時代でも東京の人口は300万であり今の規模とは相当に違っていた。でも明治初期から比べれば相当にふえた。


●東京に人口が集中してきた歴史 


私の母も大正生まれでありその当時東京へ行く人が増えた。母も女中として東京に出た。また森林鉄道が網の目のように全国にはりめぐらされて木材とか石材とかが東京に運ばれた。また鉄道はもともと石炭を運ぶものとして全国に普及した。北海道でもそうであり福島県なら常磐炭礦は有名である。

東京は大正時代に300万人になるということはやはりそれだけ東京に人口が集中してきて、食糧であれ物資であれ必要となったからそうなった。その東京への人口集中は戦後でも高度成長時代があり続いていたのである。

ただ、基本的にはまだ日本は農業社会であり。農業で生活していたから人口の移動はそれほどなかった。


なぜ人口が増えるかという時その理由はやはり農業でも食料は増産する技術が生まれ食料は供給される。そしてその上に工業社会が生まれ工業社会になる時工業地帯が生まれて人々がそこに集中する。戦後の焼け野原から団塊の世代が生まれてその時中卒の集団就職があった。それは工業社会になり働く人手が地方から集められたのである。そうして東京は人口が今の1000万円に増大したのである。それは世界中で起きたのである。巨大な都市が生まれて農村から分離して人口が莫大に増えたのである。


ここが増えるというとき農村農業中心では増えない。それは縄文時代のような狩猟採集文化だったらやはり人口は極端に少ない。人口を増やすことができないのである。でもそこに農業が取り入れるとやはり人口が増大した。それはやはり食料が縄文時代より膨大に増やすことができたからである。

だから人口が増えるということは産業構造が変わり食料だけを生産することは第一とならず工業社会となり田畑がなくても都市化して人はそこに住む。 そこで都市に人口が集中するのである。 


とにかく明治江戸時代では3000万人くらいなのになぜ急激に大正時代では6000万とかなり人口は増え続けた。それは戦後の焼け野原でもそうだったのである。なぜこれほど人口が増加してきたのか?それはもともと農業から工業社会への変化があった。戦後、焼け野原から出発した団塊の世代が生まれた。その数も多くでもその就職先が中卒なら集団就職して都会の中小の工場で働いたとなる。つまり農業ではない中小の工場で働く場所があったからである。 


●人間は本能だけに生きない―少子化高齢化は文明化して起きた


なぜ今、少子高齢化がこれほど問題になっているのか?


日本国から日本人がいなくなり、日本民族は消失することまでなっている。それはなぜそうなったのか?それは日本だけではない。ヨーロッパとかでも少子高齢化になっている。だからそこに共通性がある。

そもそももし生物でもただ放置していれば自然の摂理で人口は調節される。動物の場合はその取れる餌によって特定の動物は増えるということはない。


人間の場合は本能によって生きるだけではない。本来は少子高齢化というのは生物界でわありえな。動物界では力が弱ったら?死ぬことになる。力があるものしか生きていけないのである。でも人間なら能力が弱くても老人になってもいろいろと手当をして長生きさせることができる。それは自然の摂理に反していても人間というのはそもそもは自然の摂理によって生きるわけではない。それが人間の特徴である。


だから少子高齢化というのは人間特有の問題なのである。自然では少子高齢化はありえない。だから大量に魚でも卵を産み本能的生殖で子孫を絶やさないのである。ところが人間の場合はそうした本能に従わずにも生きるのが特徴である抑制することもできる。 ただ、その本能に逆らえないということもある。


女性が子供を生む期間は短い。30歳までが出産適齢期である。その後になると出産することで子供に異常が生まれたりするからなるべくなら30歳まで子供を産んだ方がいいとなる。本能的にはやはり生殖作用が盛んになるのは30までくらいだとなる。ここにやはり人間も生物としての限界がある。それでも精子の冷凍保存とかなにか技術の発達で人間の場合は変えることができる。人間には別に本能的に生きるのではなく本能を抑制できる人間の文明とは、そもそもそうして生物的本能によって生きるわけではない。そこにやはり少子化となり、高齢化となる原因がある。


つまり本能的に生きる生物界では少子化などあり得ないし高齢化もありえない、ただ動物園とかペットになるとやはり寿命は延びるのである。

ただある種が増えすぎると食物連鎖のバランスは損なわれて生態系でも異常が起きてくる。 でも基本的には動物は生態系を壊したりはしない。 人間のみが生態系を壊す、だから人間というのはそもそもは本能というものから逃れられないにしろそれを抑制し。調節することもできる人工で敵にできる。


とにかく自然界では子孫を残すために大量の卵とか多くの子供を産むというのは普通である。それは人間も同じだったのである。なぜなら人間も昔なら生まれてもすぐ死ぬことも多かった。医療も発達してないからそうなった。子供を多く産まなければ死ぬのも多いのだから子供でも子沢山にしないとその社会でも維持できなくなる。

 戦前は若い人でも肺病で大量に死んで国民病となっていたのである。また疫病もあり大量に人が死ぬからやはり子沢山でないと社会は維持できなくなっていた。


医療技術が発達して食料生産でも一反あたりの収穫が何倍にもなるとか改良されてくると養う人口も増大する。高齢化になるということも必然なのである。栄養も良くなり医療も発達すれば当然、長生きする人が多くなるのである。つまり人間社会とは文明化するということは高齢化するということにもなる。ペットでも栄養をとらせて病気になっても手当てするから長生きするのである。


だから少子高齢化というのは人間社会にとって避けられないものであり、必然だということを知るべきである。それは悪いものとされているが高齢化というのは、実際は悪いものではない。なぜなら。人間早く死んでいたからである。そして長く生きることが人類の願いだったのであるだから延命地蔵とか長生きすることを願うことが人間の願望となっていたのである。


つまり人間というのは自然の本能のみに生きるわけではなく自然に反して生きるということにもなる。 それが人間の本質なのである。そしてそれが悪いものでもないのである。


●人間は成長するのに時間がかかる


とにかく人間というのは何であれ成長するに時間がかかる。その成長するというと動物なら別に知的活動などはしない。人間は知的なものを育むからそのことによって時間が必要なのである。何かを習得するにも時間がかかる。動物は本能によって餌でもとるし親から多少教えられるにしても本能的にできるのである。人間は何か教育されたり自ら育んだりしないとできない。そして知識になると膨大なものでありそれを理解するということは相当な時間がかかる。


それは私自身が一番感じたことである。何か知識でも自分のものにするには相当な時間がかかる。それは私自身が才能もないからだともなる。何か60過ぎてとかやっと70過ぎてから自分なりのものを表現できたということにもなるからである。というのはそれまでいろいろ体験したり、本を読んだりして理解するのに時間がかかったということである。

だから高齢化というのは悪いものではない。何か一つのことを理解するにも時間がかかるからある。それが今まではその時間が短かった。でもこれだけ時間があるというときもう70からでも学ぶ学ぶこともできるし表現することもできる。


だから高齢化というのは人間にとって悪いものではない。その長い人生の中で充実した人生を送ることができる。というのは退職してからも30年もあるとしたら第2の人生となってしまうのである。そこで何か実りのあることを達成できる。ただマイナス面として語られることが多いのはまだまだ高齢化ということに人間が適応してないからである。これからは高齢化ということは普通でありそれに適用して人間はさらに意味ある充実した人生を生きることもできる。


ただ、少子高齢化というのは最近起きた起きたことであり人間がそれにまだ備えていないし適応できていないのである。ただ自然界から見れば本能的に生きる動物などのようにそれは不自然なことなのである

でも人間っていうのは文明でも不自然なことなのである。少子高齢化というのも、そのために起きてくる。つまり人類は少子高齢化に生きるほかないともなる。 それが問題があるにしろその高齢化で人間の知的能力は確実に拡大し、成長する。それは私自身が遅すぎたが70過ぎでこうして何かを深く理解してインターネットで表現していることでもわかる。


つまり、これからは。インターネットとかが生まれて。個々人の表現の時代になるのでそのツールもできている。個人でもテレビ局となり、出版局となり新聞社にでもなれるからである。そこで何か表現するものが必要になる。それは高齢化の中で育むことができるのである。 だから高齢化というのは文明の中で必然的に起きたことなのである。ただ、まだそれに備えることが出来ないから問題が多いのである。老人は負担だけだとなるというときそれは介護とかの問題でありどうしても病人が増えるからである。でも老人は何かに対して理解力は深まり洞察力も深まりより成熟した人生を送るようになる。 


今は高齢化の負の部分だけが取り上げられるのはそれはあまりにも高齢者が多いことでそうなったので。だから自然ならば子だくさんである。もともとは長生きしてる人はそれだけで尊ばれた。どうしてもそういう老人はごく一部だとなり。後の大多数は無用の老人であり、ただ社会の負担であり、お荷物であるとされているのである。

でも社会も進化する人間も進化する文明も進化する。だから高齢化に適応した社会となりそれが悪いものともならないのである。ただ、少子化ということはこれまた別の問題でありいいものではない。社会の活気が失われやはり新しいものが生まれなくなるということもある。

それとは別にして高齢化というのは?文明が進んで必然的にそうなったのである。


だからどこでもそうなっていくのである。アフリカでもそうなってゆく。だからそれを止めることはできない。そういう社会に適応することであり、その社会が悪いということでもないのである。ただ。今はそのマイナス面だけが強調されているだけなのである。それぞれの人生は今までは60ぐらいで死んでいたのにそれからさらに20年以上とかとか生きるとなればそれぞれの人生を意味ある価値あるものとさらにできるから悪いものではない。ただ、その過渡期にありやはりマイナスの面だけが強調されるのが問題なのである。



●高齢化社会では余暇いかに過ごすかか問題になる


それだけ生きる時間が長くなれば暇も多くなる、会社で働きずめの人生でも。退職したらその後30年も生きるとしたらその暇をどう生かすのかとなる。

ただ、貧困化して働かざるを得ないということもある。でもそうして強制されて働くことはするべきではない。つまり人間にとって長生きすることもう一つは自由な時間を持つということである。それが人間の進歩にもなる。それは人間が望んできたものである。古代になると余暇を持ったものは貴族であった。あとの90パーセントは奴隷であり奴隷がいて貴族は自由な余暇をもったのである。そこで学問芸術とかに費やされるようになった。


それで学校というのは?スクールというのがスコレーでありそれは暇の意味だったのである。。なぜそうなのか?暇があったから労働から解放されて何か学校をつくり学ぶということになったのである。

それが高齢化でまた起きている。退職しても30年間も生きるとしたらその間に何かまた学ぶということが必要になる。理想的なのはライフワーク持って退職してもそのライフワークを続けることである。

そのためにはやはり老後でも金が必要になる。


でも今は日本が貧困化しているとき、老人でも働いている。それは食べるために働いている。でも、そのことがいいとはならない。 もはや金のために働くべきではない。食うため、パンのためにも働くべきではない。それぞれの自己実現というかしたいことをする。だからこそ暇の活用が大きな問題となるのである。


ただ、それはやはり人類が進化したのであり高齢化というのもまた人類がこれまで望んでいたことなのである。それが実現されていたのである。

でもその実現された長寿社会というのは有効に生かされないということである。それで社会全体から見てみると、こう高齢化社会の老人はただ負担になるばかりのマイナスのものとして見られる。

現実に病気の人も多い。介護になるとその負担もあまりにも大きすぎる。そこに大きな負の部分があり。若い人から社会全体から見ると、ただ重荷となり負担となり社会を停滞させる。マイナスのものとしてしか見られないのである。 

そして老人は技術の習得には遅れる?新しいものに?適応できないし利用できないとなる。それがパソコンとかITとかになじめないというのもそうである。それがまた社会全体に影響するから問題なのである。 子供でも、若い人は新しいものに。馴染み利用する。スマホなどはそうである。でも老人になると面倒だとなってしまうのである。


ただ、現代ではもうすでにパソコンは必須でありスマホも必須である。それなくして生活すらできなくなる。また創造の面でもパソコンなくしてはできなくなっている。

絵画するAIで作れるし音楽も作れるし小説でも作れたからである。だから意外とパソコンとかITは人間の頭脳と深く関係している。それが今までの技術とは違ったものなのである。


ただもともとアートというときそれを技術のことであり技術とアートは密接に結びついていた。写真というカメラ技術が生まれればそこで新しい芸術も生まれたし庶民もまた写真というものは欠かせないものとなったのである。それが今はデジタルカメラとか誰でも気軽に写真をとれるので写真の時代だともなったのである。 


だから高齢化社会になったとしても、やはりそうした技術を修得するべきだとなる。その技術の習得というのは、実は才能というより時間が必要なのである。

私は何か時間がなくなって家事とか毎日しているので新しいことワードプレスとか動画編集とかはできない。それは難しいことがあっても、時間をかけてやればできるものなのである。老人にはその時間がなくなっている。

私の場合は家事に追われるのでできなくなったのである。だから人間は時間に比例して知識も拡大するし、広めることもできる。若い時は相当に時間の無駄をしている。そして青春などあっという間に過ぎてしまう。そして40になると。白髪が入ったりしてしまうのである。


それが今までだったらもう60くらいでは死んでしまったのである。いまそいいうことはない、依然として時間がありその時間の多さで新しいことを習得できるのである。

そこに。高齢化のプラスの面がある。ただマイナスの面があまりに大きいので。そればかり強調されるのである。そこまでまた人間が進化してない適応できていないということにもなる。でも徐々にそういう高齢化社会にも人間は適応して長生きするということが人間にとって、より多くの豊かな実りを与えるという時代になるのである。その過渡期だから、いろいろと問題が起きてくるのである。 







2023年08月11日

天皇とは何なのか? (神権政治が生まれた背景ー人間は人間によって治められない)

天皇とは何なのか?


(神権政治が生まれた背景ー人間は人間によって治められない)


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加治将一

歴史的考察で浮かび上がる真実の姿。天皇ファンタジーと日本の現実


https://onl.bz/ScvG4mV


●天皇は日本独得のもの―外国の王とは違う


天皇とは何かそれは日本独特のものであり。なぜ天皇は生まれたのかその経緯はどういうものだったのか?それは神話的にもなり明確ではない。天皇が初代天皇の神武天皇は実在の天皇かどうかは不明である。でもなぜ日本では21世紀までも継続されたのか?これはやはりなんらかの存在理由がある。


それはおそらく日本という国が海に囲まれていて一つの世界になっていたからかもしれない。大陸だと必ず民族の興亡があり国でも継続しないということがある。日本は明治維新まで外国から侵略されたということはない。征服されたこともない。それはアメリカに負けるまでそうだったのである。だから日本という国は他国に異民族に支配されたということはない。だからこそ天皇は継続されたのである。でもアメリカに敗れた時天皇もアメリカに裁判されて死刑になったかもしれないのである。でもそれは日本は統治できないとして天皇温存したのである。


何か天皇というとき外国から見ると国王なのかとなる。でも国王でもない国民の象徴とかという抽象的なものになっているのである。また天皇は強大な権力を持っている存在とも違う。確かに皇居とかは広大な土地であり。東京の中でその土地の価値だけで莫大なものになる。また別荘もあり、その土地も広いから。財産は巨大なものになる。

でも中国と比べると中国の皇帝とかは欲望でも歯止めがなく宮廷に千人の女性を姓の奴隷のようにしてはべらせ使いさせまさに酒池肉林とかその中国人の欲望とは限りないのである。 

中国だけでなく大陸の帝国はその王は巨大な権力を持ち中国では地下にまで皇帝が死んでも支配しようとし大宮殿を作っていたのである。


そういう皇帝とか王と比べると日本の天皇はそんな巨大な権力を有していない。 確かに仁徳天皇の古墳などは巨大だから権力も巨大だったともみる。でも古墳というのは必ずしも墓というものでもなく天皇のために作られたというものでもない一つの共同体の象徴としてあり中国の皇帝のように一人の王のために贅沢を尽くすというそういう種類のものでもない。中国のような巨大な国家は人民は奴隷のようにされてしまう。一人の王のために絶対君主というか王がいて力で治めるしかない。それで民という字が人の目を潰すということからきている。これも中国の恐ろしさである。


日本でも江戸時代だと見ざる聞かざる言わざるとして民衆は何も言えなかった。でも中国となるとその巨大な国を治めるだけでものすごいエネルギーが必要になってくる。


だからどうしても圧政になるのである。それはロシアとか見てもわかる。広大な土地を。人民を治めるということはどうしても強力な圧政になってしまうのである。 

中国で民主化するということが難しいのはその土地が広大であり人口も十億以上いてそんな人民をどうしてまとめるかとなる。圧政しかなくなる。もう民主制度になったら収集がつかなくなるかもしれない。みんな言いたいこと言っていたらとても広大な土地と10億人以上の民をどうして治めるのかとなってしまうからである。

だから中国というのは自分の国内をまとめるだけでものすごいエネルギーが必要になってくるのである。 


●人間を治めるために神を利用した神権政治になった


それに比べると日本は小さな国である島国である。だからこそまとまりやすいのである。強大な権力を持つこともできない。それだけの土地と人民がいないからである。 

一つの国をどうして治めるのか?それが人間の政治の課題でありそれは21世紀になっても解決しないのである。

一見民主主義が良いようでもそれもうまくいっていない。一体どうしたらうまく治められるのかは永遠の課題であり。そしてそれは解決しないのである。民主主義は理想のように言うがそれもただ暴力で持って治めることを権力を得ることをしないというだけであり何か理想的なものでもないのである。権力を得る為にはどうしても殺し合いがありそれを止めるために民主主義が生まれた。

ただ、それが全て上手くいくとなっていない。ただ大陸の圧政のようなよりはましだというだけである。政権交代するために殺し合いはしないからである。


おそらく人間は永遠に治めることは出来ない。それは人間のカルマである。 なぜまた21世紀になってロシアで戦争を起こしているのか?やはりそのカルマが終わることはないからである。 ロシアも今広大な土地を持っていて人民は1億人くらいでもその広大な土地に散らばる。人々を治めるのは圧制しかないのである。大陸の巨大な国家は圧政になり王が巨大な権力を持つのである。


それはエジプトのように神権剣政治にもなり共通しているのである。王が神のようになってしまうのである。それはカルト教団にも共通している。21世紀でもやはり。政治というのは?継続してやはりを繰り返しているのである。カルト教団もやはり教祖が神の様になり崇拝させて人々を支配しようとする。それが現実に起きたのは創価の池田大作がそうでありオウムの麻原でもそうであった。幸福の科学の大川隆法でもそうであった。だから政治というのは何か依然として進歩していないのである。
ということは人間を収めるということがいかに難しいかということである。3人寄れば文殊の知恵というが反面人間関係でも3人寄れば必ず争いがありまとめられなくなる。


身近な家族でも同じなので。その中でも夫婦でも常に争いがあるのである。だからこそ結婚しても1/3は離婚しているのである。

どうしてまとめるのか?それで子は鎹となったのである。家族をまとめるのは実はその中心となるものは必要なのである。

それは前は長男はなっていた。でも戦後は兄弟長男の特権は失われ、兄弟は皆平等となってしまったのである。では家の中心は誰がなるのか?すると中心になるものが失い家族はまとまらなくなったのである。


その中心になるものは別に能力が優れたものでもない。ただ中心になるものがいないと家族でも少人数でもバラバラになってしまうのである。何か私の家族のことを延々と書いてきた。二人のの母親がいたとして争っていたが振り返れば私と言う中心になる人がいなければ家族は分裂していたのである。確かに分裂状態になってもう死んで家族は居なくなった。でも依然としてやはり家族は私を中心として存在しずしつづけたのである。

だからそこに中心となるものはどれだけ重要なものかを認識するべきなのである。


南北朝の悲劇は天皇は2人になったことなのである。壬申の乱でもやはり天皇の兄弟が二つに分かれて争うことになった。南北朝では日本全体を二分してしまったので。それは村のような小さなところでも日本全国隅々まで二分して争うようになったのである。つまり天皇が2人になるということは国が一つにならないとうことなのである。そこに中心になるべきものがなくなって二分して。争うようになったので。その傷痕はあまりにも深いものだったのである。


●家族でも治めるのには中心になるものが必要


だから天皇とは何かというと。それが渡来人であれ別に血統がは継続されているからということでもなく天皇が特別神でもなく優秀でもなくてもそれが国をまとめる中心としてある。そこに意味があったのである。その天皇は特別外国の王のように権力を持っていなかった。

確かに皇居の土地は広大である。でももしそこが天皇の住む地でないとするとどうなるか?

その貴重な森は明治神宮の森のように失われていくかもしれない。天皇が住んでいるということで手を付けることができないのである。もちろんそこで大きな問題はある。不便になるしでも東京のようなところにそういう広大な土地があり森があるということはやはりそれをそれが全部悪いものともならないのである。


そもそも、なぜ政治というものは進歩しないのか?それは人間を治めることはそれだけ難しいからである。それは家族でも治めること自体難しいことでもわかる。家族でもそうしてまとまらないから、とにかく長男を立てたのである。その長男が優秀というのでなくてもあえて長男を立ててまとめさせたのである。

徳川幕府でもとにかく長男を立てて治めさせた。その長男が必ずしも優秀でなくてもただ、天皇のように象徴としてあるだけでまとめ役として有効なのである。もしそういうものがなければ、結局昔のようで。血で血を争って権力争奪の争いになる


日本の天皇とは何か?それは日本人が歴史の中で生み出した一つの知恵の産物なのである。何か神話とかそれも作り物でも真実でなくても別にいいのである。問題は国をどうしてまとめるかということにあるからである。そのまとめ役となるものは何なのか?昔だったら長男がそれをしていた。そこにもやはり歴史的に継続した。人間の知恵がありまたそれは長子は特別神によみされるものとして尊ばれたのである。


だから必ずしも人間の世界というのはなんでも平等というものはいいというわけではない。かえって平等なことでまとまらなくなり分裂することにもなるからである。

つまり長子が特別神によみされたものとしてありそれが家を継ぐということはまた、国は国を継ぐということにもなるのである。それがおそらく天皇になるのかもしれない。 

アメリカはなぜまとまらないのか?移民の国でありさまざまな人種はが混交して広大な大陸に散らばる。それをまとめるのは一体になるのか

民主主義といってもそれでとてもまとめられない。だから、もはや限界にきている。そして再び暴力も起きてくる。ということは、民主主義というのは万能ではない。 すべて数が多いからと、それが正しいわけでもないし。それで決めることが良いわけでもない。ただ、暴力によって決めないと言うだけなのである。 


そしてどうしても政治はうまくいかないまとめられない。国を治められない。それで誰が治めるかというと聖書では緑子に治めさせようとか

老子だと治めずして治めるとか無政府的な考えにもなってしまう。

もう民主主義の選挙などやっても無駄となりかえってじ引きで決めたほうがいいと言うまでなっている。その方が公正だともなるのである。それだけ政治は人間をまとめることは難しいから、そうなったのである。 


●天皇は日本の歴史で統一するための知恵として生まれた


ともかく、天皇が何かというとき。その由来が何であれそれは一つの日本の歴史の中で生み出した知恵であったということである。

だから、それは長男が神よりよみされたものであり家を治め継ぐということまた国でも通じている。そうしなければ。まとめられないからである。そんなのは不平等だと民主主義社会では言うけども民主主義のようにただ平等を目指してもかえって不平等にもなっている。それはなぜなのか?そのことも考えねばならないのである。


日本史上では,神を祀ることがすなわち政治の根本であるとし,政治を「まつりごと」と読むのはそれゆえである。原始,古代の社会にあっては万事宗教が優先し,すべて神の意志によって行われた。風雨雷地震などの自然現象はもちろん,狩猟,農耕の収穫にいたるまですべて神意と考えられた。したがって生活が豊かに,社会が平和になるためには神に祈る必要があり,これが政治であった。この思想は古代天皇制国家統一の支柱となり,律令制において神祇官太政官に並べて設置したのもそのためである。これは中世の神道思想から江戸時代の国学へと進んだ。明治維新以後神道国家観によって天皇の「まつりごと」を強調する傾向が生じたが,特に昭和に入って天皇を現人神とし,その親政を主張する右翼運動が高まった。だが太平洋戦争後,天皇の人間宣言とともにこの思想も影をひそめた。


明治維新には西欧文明の挑戦にあって日本は混乱した。でも古代から続く天皇により国家というのが継続されて復古したのである。それは西欧文明の民主主義とか自由主義とかそうしたものとは相反するものだったのである。

ヨーロッパでは神権政治があった。またフランス革命では政教分離が唱えられて宗教と政治を分離したのである。日本では明治になっても宗教と政治が一体化して天皇が依然として活用されていた。

つまり天皇というのはそれだけ日本にとって。皇国史観があるように日本の歴史を象徴するようになっていた。

明治維新の時混乱したが皇国思想の運動があり第二次世界大戦まで継続したのである。ただ神国だから負けないということであったが、アメリカに負けて権威失墜したのである。


それは創価などでも継続されている。選挙は仏法の戦いであり仏が全面に立つのだから負けることがないとなるのである。天皇が現人神だからが戦争にも勝つということに通じている。政教一致なのである。

結局、明治維新といっても。古代の復古があり先祖返りがありヨーロッパ文明の真髄を取り入れるということはなかった。 

政治でも神がかり的なものとなってそれが300人万人も死んだ犠牲を払ったのである。それは国家のために死んだのである。それでその供養は天皇がになっているのである。でも天皇にしてもそんな大きな責任を担えるかとなったらなれないのである。 


ではなぜ300万人も死なねばならなかったのか?


それに答えることは容易ではない。ただ、政治を国家を神聖化すればそれは国家のために神聖なる国家のために死んだとなる。 でも国家自体も過ちを犯すのである。神ならば過ちを犯すことはない。国家でもやはり人間が運営しているから過ちを犯すのである。神権授与された。神から権威が与えられたとかあくまでも。民衆を支配される。支配するための方便だということもある。そうなると神にさからうことができないとなるからである。


ともかく政治が宗教に関わると狂信的になりファシズムになりやすい。特に大衆社会となった時難しい理論を大衆に言っても通じない。ハイルヒトラーということで叫び一体感を感じるのである。

また念仏とか日蓮宗だとは題目を唱えて徒党を組み突撃して行った。それは分かりやすいからそうなっていたのである。

戦って死んでも成仏する極楽に行くんだということでそうにもなった。だから宗教っていうのは、人をの上に立つとき利用すると支配者にとっては便利なものになるのでは?ただ、そこに日本の天皇が神格化されて300万人も死んだ恐ろしい結果にもなるのである。


●大衆民主主義もファシズムになりやすい


ともかく一体、誰が人民を国を治めるのか治めることができるのかとなるとそんな人はいないとなる。 人間の力では収められないとなる。必ずそこには混乱が生じてカオスとなってバベルの塔のように崩れ去る。それが人間の歴史だった。 現代というのは大衆社会である。大衆が力を持った社会である。大衆社会とは数がすべてを決めるのである。

そういう社会がどういう結果になったのか?それがまたナチスの再来であり全体主義になりファシズムになりまた恐ろしい結果を生むのである。大衆を洗脳し、先導するものはカルト教団とか必ず現れてくる。というものは大衆は考えることをしないのでカルト教団が増殖したのである。


宗教というのは一面民衆を支配する洗脳するのにいいのである。そこには別に本来の宗教などは皆無である。ただ題目を唱えればあらゆる欲望が達成されるとかで何でもいいのである。

それはついに天皇ファシズム、仏教ファシズムとなり。仏の命令で反対するもの者を殺してもいいんだとまなってしまう。それを大衆が力を持った時止めることはできない。なぜなら、民主主義とは数によって全てが決まるからである。いくら一人の聡明な人がいたとしてもそんなものは何の力もない。多数の前に何の意味も持たないのである。


だから数を集めた人がトップに立ち支配するのである。でそれはナチス的手法しかないのである。

民主主義からナチスが生まれたのもそのためだったのである。だからこの社会というのは?絶望的なのである。人間は政治に関しては人間は進歩しなかったのである。 

マキャベリも占いであれ宗教であれ政治権力を得るためなら積極的に利用しろと説いている。だからこそ為政者は信仰などなくても宗教を戦争でも政治でも利用してきた。それは人間のカルマとして継続されてきた。カルト教団が現代でも勢力を持つのもそのためなのである。


確かなことを天皇が特別優れた人でもない一つの飾り物でもある。でもその飾り物でも国家の中心としてありまとめるものともなる。

その中心になるものがない時家は分裂して国家も分裂して悲惨なことになるのであ。

その時、外国勢力が入ってきて国家自体が分裂して争い国家すらそのために疲弊して消滅してしまうということにもなる。

だから中心になるものがいかに重要かを知るべきである。中心になるものがなければ家も維持できないし。国家を維持できない。


例えばなぜ一神教が生まれたのか?それはあらゆるものが神となった。さまざまな動物でも石でもでも山でも神となった。八百万の神である。でもそうなると。バラバラにな治められないエジプトでもやはり様々な神がいて地域地域の神がいると統一国家にする一つの神が必要なのである。唯一の神がそれがなければ国も統治できないのである。 

日本では天皇とは唯一の神でありそれで国をまとめようとしたのである。八百万の神がいてもその最上階に天皇がいてそれで国をまとめようとしたのである。


とにかく注意すべきは警戒すべきは民主主義というのは大衆民主主義になりそれがファシズムとななることが危険なのである。それは歴史的にもそのためにカンボジアでも社会主義で200万人も死んだとかなる。共産主義社会ではロシアでも中国でも反対者は抹殺された。それもまた恐怖殺し合いをしない民主主義は優れているとなる。でも民主主義からナチスが生まれたのだから、大衆民主主義となるとそうともならないので。 


政治というのは人間にとって古代から。継続したカルマとなっている。人民を治める方法がないとなる。そこに人間の限界があるのである。必ずあらゆることで、人間には限界がある。政治でもそうだし経済でもそうだし科学技術でも原発事故が起きたように人間の限界が現れてそうなるのである。

人間では統治できないからそうなるのである。治めることができないのである。それで理想はこの世では成就せず天の国で神が治め、成就するのである。そしてその前にこの世はカオスの中に。バブル崩壊し人間の作り出した文明は砂に埋もれ海に沈み森に隠され埋もれる。そして。ただ、謎を語るばかりなのである。それがこの世で人間がなす文明の結果なのである。


この世とは何かといえば理想の国など作れない。むしろ人間の作った文明はただむなしく謎となり残される。エジプト文明でもマヤ文明でも中華文明でもなんでも同じである。それはただ謎を語るだけなのである。そして世界統一した平和な世界など作れない。

戦争は終わることなくあり最後にハルマゲドンが来て人類は滅びる。ではこの世は何のためにあるのか?人間は何のために生まれてきたのか?それはこの世とは?試練の場なのである。様々な試練を受けて苦しみ、悲しみ。そして神の子に神の国にふさわしいものとなるものとして試練を受けるのである。


そして神によって選別されて神の国を召されてそこで唯一の神のもとに働き仕事するのである。そこに荘厳な神の国がなるのである。それは永遠の都であり、滅びの無き都である。そこでこの世で悲しみ苦しんだ涙は拭われる。それを成すのは全能なる唯一の神であり人間の力ではできないのである。ただ人はこのように生まれて生きるのはその神の国にふさわしい人となるべく選別されるためにあるのである。そのためにこの世がある。だからこの世に理想の国などをはできない。それを求めるのはいいとしても実現するのは神の国で神自ら治めたときなる

神はそれを約束して実現するからである。ただこの世に良きものがありそれを追求する。悪しきものに汚れないようにすることが大事なのである。聖なるものというとき人間が聖なるものとならねばならないのである。神の御意にかなうものとなるようにしなければならない。そこにこの世に生きる意義があるとなる



相馬新報(小林勇一): 天皇とは何なのか、その在り方を問う (政教分離がここでも問われている―国民の総意に大衆に踏みにじられる聖なるもの) (musubu2.sblo.jp)



2023年08月08日

村は大きな家族だった (広域化グローバル化で心の繋がりは消失―モノが入っても心は繋がらない)

村は大きな家族だった


(広域化グローバル化で心の繋がりは消失―モノが入っても心は繋がらない)


●家族の範囲が狭すぎる―昔の村は大きな家族だった


今家族に何が起きているのか?家族のつながりが弱くなっている。それはなぜか?家族だけの繋がりでは足りないからである。ファミリーとはは大きな集団のことであり夫婦とか子供とか祖父母とかの家族ではない。もっと大きな集団のことである。それは村社会と似ているかもしれない。村というのはある意味でファミリーであり家族とも似ている。だから何かあると助けあうのである。農村社会であるとどうしても互いに助け合わないと仕事もできないしその共同体も維持できないからである。そのために村に生まれた子供は村全体の子供となる。


出生〜幼年期では、「帯の親:オビノオ ヤ/取上げ親:トリアゲオヤ/乳付け親:チツケオヤ/抱き 親:ダキオヤ/名付け親:ナツケオヤ/拾い親:ヒロイオヤ /守り親:モリオヤ/養い親:ヤシナイオヤ」の 8 つの事例 を取りあげる。次に、成年期以降では、「烏帽子親:エボシ オヤ/鉄漿親:カネオヤ/仲人親:ナコウドオヤ/職親:シ ョクオヤ/草鞋親:ワラジオヤ」の 5つの事例を取りあげる。 仮親制度には、親が子どもの成長を願う思いの表れとして、 呪術的な要素と社会的な要素の 2つの意味合いをみることが


これだけ村で生まれた子供には周りの人が村人が関わっていたのである。それは明らかに村という集団のコミュニティの一員として育てるためにそうなったのである。


現代の問題は家族の範囲が狭くなりすぎたのである。核家族化がそうである。ついには親一人、子一人とかになってしまった。シングルマザーが子育てするにも一人なのである。また老人でも孤独死が多くなるのはこうしたコミュニティが喪失したからである。ファミリーの語源が。実はかなり広い範囲の意味であり集団のことだった。


そうなったのはまた社会経済の構造があまりにも変化してしまったからである。今や村と言う500人くらいの単位の社会ではない。広域化してさらにグローバル化して世界の経済の中に組み込まれる。すると別に村の中でそうしたコミュニティとかに入らなくても暮らしていける。物でも世界から入ってくるのからなんでも買える

かえって村の自給自足的な生活だったらものも買えないし。生活すらできなくなる だからこそ村八分にされることは一番厳しい罰だったのである。村のの自給自足的な生活では物が買えないし、入ってこないからである。だからこそそういう背景があり村のつながりとか小さなコミュニティーの人間の繋がりは消失したのである。


だからしきりに戦後間もなくまでは醤油がないとかでも味噌がないとかでも隣の人にくれとかあり助けてくれと言えばもらえたとかいう人がいる。それは物がない時代でありみんなが貧乏だから、かえって助け合ったのである。

今は金がないとどうにもならない。隣に何かそんなものをくれと言ったら応じる人はいない。醤油もないのかとなって馬鹿にされるだけになってしまった。何か助け合うということがなくなり常に金だけが問題になるのである。


現代では金がないということはどれだけ苦しいことかわかる。隣近所する無関心であり何も金で買えばいいとなってしまうからである。

そしてあとはに福祉に頼れと言うだけなのである。奇妙なのは福士に世話になっていた人は私が困った時その人自体が福祉に頼れと言っていたのである。その人はまともな人ではなかった。でも助けたことがあったし、その母親にの親は助けられたので助けたのである。その人は死んだ。


●広域化グローバル化で地域の繋がりが希薄化


現代とはあらゆるものを買う社会である。水すら買っている。だから金がなくなれば生きていくこともできなくなる。でも子供の時使っていた態度が井戸があり今も水が出ている。夏でも冷たい水が出ている。

天然の冷蔵庫から出ているのである。

それはこの辺の原発事故でも放射性物質に汚染されていないと持ち主が言った。検査したのでそれは確かなのだろう。その水が無料だということに感心した。無料で使っていいと言われたからである。子どもの時もそうだった。それは子供の時から持続して水が出ていたのである。その時は風呂場でその水を利用して使っていたのである。だから金わからなかったのである。今は水を飲むにしろ使うにしろ金がかかるから金なしではもう何も出来なくなってしまったのである。


何か近くに味噌屋がある。前だったら必ずそのみそや辛味噌を買っていた。味噌はそこで作っているからである。でもそこから今は買っていない。一人であり出しつきでないので買っていない。スーパーでいろいろだしつきの味噌があり。味噌でもいくらでもどこの味噌でも日本中から入って来て買える。こうして近くは重要なものとならないのである。また近くと関係しなくても金さえあれば何でも買えるそこで田舎からだと言って何か助け合うということもないし。身近で何かを賄うというよりただ金を出してさえいれば何でも買える。通信販売も発達して商品の量が種類が莫大に増えたのである。金さえあれば別に近くにいなくてもなんでも買えるとなる。


ただ自転車とかは後の修理とかあるので困るのである。この辺の街の一軒の自転車の人は死んだから誰もその後見てくれる人はいない。そこでなかなか金だけでもあらゆるものが使えるとはなってはいない。こうして経済が広域化してグローバル化すると近くは大事にならない。それは交通の発達にもよる。なぜなら近くの人が梨を作っていたが相馬市まで運ぶのに15キロぐらいありリやカーで運んでいたからである。そうなると運ぶこと自体が大変な苦労になるしそれを売って金にするにも大変な労力が必要になっていたのである。でも今なら運ぶことはいくらでも簡単とは言えなくても車で運べる。その変化も大きかったのである。


なぜ無縁化社会といわれるようになったのか?無縁化社会になったは神社で無縁の場を作りそこで外から入ってくる人に商売させた。それは外から入ってくる人がいると村のコミュニティがつながりが壊されることがあるからである。それでそのような外から入ってくる人を限定するために、そうしたのである。

それは確かにそうだったのである。もはや外国からでも食糧でもなんでも入ってくる。すると村だけで何かを賄うという社会とはまるで違っている?でも実際は外国からいくらものが入ってきてもその人とつながるわけではないのである。ただ物だけが入ってくるのである。でもその物が欲しいとなれば、金が必要になってくるのである。そこで金がますます重要になってくる。人のつながりより金の方が大事になってくるのである。


ただ昔からの切れ目が縁の切れ目ということあり貨幣経済がひろがるとそうなるのが必然なのである。 外国からいろいろなものが入ってきてもそれでその外国の人間とつながりが共同ができるというわけでもない。その人は直接会うこともないしただ物を通じて外国と関係しているからである。だから何かあるとその関係も切れて戦争になったりする。人間と人間の繋がりが必ずしもものを通じて行われていないからである。

ただ、人間は金だけを頼っては生きていけない。金で全部まかなえるということはない。それは介護の時如実に表れてくる。金が物を言うということはある。でも金だけで親身になった世話はできない。そこに心が伴わないとどうしてもうまくいかない。


●物が世界から買えても心は繋がらない


でも逆に今親子でも必ずしも子を育てるより虐待したり子供でも大人になると親を虐待するようになる。老人になると力逆転してくるからである。親が虐待されているので。何かその息子は親をこき気使うというか他人のようにしか思ってない。

それで親は泣いていたのである。息子から虐待されていたのである悲しいとなる。でもそういうことは今の時代に起こっている。誰に頼るかということがそれで問題となる。その女性は息子に頼ったのだが虐待されているのである。言葉の暴力であるババとか親を病気をした親を虐待しているのである。ただ他者も家族はわかりにくい、どうしてすなるのかとなると外から見tてわかりぬいからである。


こういうことは自分も親の介護で嫌というほど経験した。 私のところに来たのは事業で失敗した人とかで金がないという人である。頼ったのはそういう人たちであり一人はれっきとした泥棒であった。それで家探しされて大金を失った。ほかの人もなんら助ける気持ちなどなかった。多少はあったがただ金が欲しいというだけできたのである。つまりそういう人にしか頼れなかったというのも自分のカルマだったのである。


ほかの人も誰に頼るかということは、老人にとって大きな問題なのである。家族がいれば息子がいれば娘がいれば兄弟がいればとなるがその人たちが助けるとは限らない。かえって嫌がられうとまれる。親が捨てられるそういう事例を知っている。その娘はひどい娘であり親が私に最後にひどい娘だと言って来てまもなく死んだのではある。その娘は介護などできない。だからそんな娘に頼ることはできないから、死んだ方がよかったのである。

こうして誰に頼るかが最後に問題になる。でも家族の範囲が小さくなるとなかなか大家族のように人手に余裕がないから介護でも面倒見れなくなるのである。 これは肉親でも同じなのである。


別に遠くから外国でも物が入ってくることは悪いことではない。でもそこで人の繋がりが出来るわけではない。だから何かあると物が入ってこなくなる。そして戦争にもなる。だから物が入ってきても互いに貿易してもそれで繋がりができるとは限らないのである。食料不足にな自分の国が最優先となり食料は入ってこないのである。 そこにグローバル化の問題がある。ただ物が入ってきて悪いということではない。問題は人間の繋がりが物が入ってきても。生まれるわけではない。それはあくまでも物のやり取りだけであり。心のやりとりは交流は無いのである。だから、金の切れ目が縁の切れ目になりやすいので。それは今の社会でどこでも起きていることである。


親が子を捨てる、子が親を捨てるカルマ (親より今は金が大事な時代): 今日の一句一首(小林勇一) (musubu.sblo.jp)




posted by 天華 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2023年08月07日

買い物の失敗 (商品を奨める人に左右される―通販でも自分に合ったものが買えない)


買い物の失敗

(商品を奨める人に左右される―通販でも自分に合ったものが買えない)

買い物では必ず失敗がある。それはどうしてかというと機械でも道具でも実際に使ってみないとわからないところがあるからである。使ってみてはじめてわかるからである。

でも店に行ってその商品を勧めるときその勧める人の影響が大きいのである。その商品について聞くとその人の説明することは商品を買うか買わないかに大きく左右される。

ヤクルトの商品を買おうとしたら何かそれがわからなかったのは炭水化物であることがいわからなかった。何かジュース類というのは砂糖などが入っていて飲むとかえって疲れる。


その商品は朝鮮人参とかクエン酸とか?入ってるとかでいいように見えた。でも炭水化物だと甘いしいいものでなかったのかもしれない。でもそこまで説明されると買う気にはなれな。だからなぜあえてそういうことを言って進めないのかというのが不思議だとなる。ただ、その女性は誠実であり何でも売るという。強引さはない。かえってそういう人が信頼される。


カメラ店のキタムラではやはりどんなカメラが良いのかと聞いて、これがいいのかと買うかと思ったが。店の人は進めなかったなぜなら写真を主にするならプロムのような動画を主にしたものは向いてないと言われたからである。

そしてカメラ自体の画素数などはあまり変わらずいろいろなものを付け加えているだけだとも言った。普通、そんなことを店の人が言わない

なぜならそう言われれば買う気になっていても買わなくなるからである。でもその店は誠実であり正直に言っているのである。

つまり何か客はこういうものが欲しいというときなかなか分からない。でも売った方が良いのだからこの人には向かないとかなっても売るのが普通である。


通信販売だとどうしてもその商品について売る人から聞くことはできない。説明はしても売る人は説明はしない。その代わりにその商品を使った買って使った人が。いいとか悪いとか書いてある。それが判断基準になるのである。ただ、商品というのはその人に合ってるか合ってないかはその人が買って使ってみない限りわからないのである。通信販売で失敗したのは小さいものだったら良かったかな大きすぎたのである。使った人がレビューしたのを読んで買った。でも前の小さい方は自分にも役立つものだった。それは大きくて一人の自分には向いていなかったで。そして使ってみるとなかなか電気が回らず熱くならなかったのである。それで失敗した。これは結構高かったから損した。


また近くの量販店ではレンジを買った。そのレンジは何か色々な事ができると書いてあった。天ぷらのようなものも何かできるようなことを書いてあった。それは3万もしたが。これ普通のレンジとしてしか使えないものだった。それを勧めたのは店の人だった。それといろいろなことができると誇大広告にもなっていたのである。だから店の人がもっと説明すればよかったと思う。そんなにいろんなことができないものだったからだ


何か商品でもなんでも進めるときその人に合ったものが必要なのである。でも売る人にとっては、その相手が何を欲しているかあまり聞かない近くのお店では田舎の店は商品が少ないから自分に合ったものを買うことは難しい。

特に自転車について折りたたみの電動自転車は外国製でもさまざまなものが出ている。でもそれを買うことは難しい。後の修理とかあり何かあると直してもらえないからである。それで買いたいのだが買いにくいということがある。


要するに買い物はその人に合ったものが必要なのである。でも田舎の商店ではその商品をみんな揃えることはできない。でも通信販売だと選ぶことができる。でもそこでも失敗するので特に着るものでも合わないことがありそれで失敗していることが多い。

ただ、普通は相手のことなど考えず商品を売る人は売ればいいという感覚になる。 相手に対してどういう商品が必要なのか?その商品がどういうものがどういう機能があり?どういうものなのか詳しくは。説明しない。なぜなら商品の種類も多く売る人もよくわからないからだと思う。


ともかくなぜ金融商品が詐欺的になるのか?それはその金融商品が余りにも複雑で理解できない。説明する方でもわからないのである。株など説明できる人がいるのかとも思う。地銀などその金融商品について投資信託であれ株であれ実際は分かっていない。わかっていないものを売るのだからある意味で詐欺なのである。普通だったらヤクルトの人がそれは炭水化物ですよと言っただけでこれは甘いなと分かる?


でも金融商品となるとそれを説明されてもわからないのである。第一株など専門家すらわからない。だから、もしそれで客が損しても売る方の責任にはならない。株が上がったり下がったりするもんですよで終わりである。要するに金融商品を売る人はその商品についてわからないしだからただ売ればいいというだけであり適当に説明して儲かるようなことを言うだけである。そして手数料を取ることだけを目的にしている。 だから今や地元の田舎でも郵貯でも農協でも地銀でも金融商品を扱っているがそれで詐欺まがいのことをするようになった。本業で儲けられないからそうなったのである。


でも売る方にしてみたら売りたいのである。だから買ってくれないようなことを言うことは?普通はない。でも実際ヤクルトとかキタムラは私は買おうとした商品をいいものでないとしてあっていないとして説明されて買わなかった。ただ売ればいいというだけでなくどういう商品なのかを相手に伝えてそれなら買ってくれということになる。ただ、売ればいいということではなかった。


商品を買うということは必ずしも売る人だけが責任あるわけではない。やはり買う人が責任になる。よく調べて、自分に合ったものを買う必要があるからである。今なら通信販売があるから様々なものから選ぶことができる。ただ通信販売でも高いものとなると簡単に買えない。失敗したら大損になるからである。 ただ、メーカー品などは信用しているから買う。それでもその商品があうかどうかは分からないのである。


とにかく今は商品の種類が多すぎてすぎて買うのも迷うのである選ぶことでも大変である。そして買ってからも操作が面倒で使えないというものも出てくる。だから今の買物というのは次から次と勝っていたら金がいくらあっても足りないとなってしまう。なぜなら高い買い物で失敗したらでは次にまた買えばいいとはならないからである。そのリスクが大きすぎるのである。


だから自分で判断できないものは買うべきではないとなる。でも普通の品物だったらある程度は判断できるる。金融商品のようにはならない大きく損することはない。それはある程度は見分けられるからである。そして買っても十万以下でありそれ以上の物を買っていない。何か怖くて買いないのである。高いのでも5万くらいだった。十万となるとリスクになる。それが買ったからといって損になるものでもない。

でも不安になるのである。 いくら商品が多いからといっても一つを選ぶとなると難しくなる。一つ買って失敗したらまた別なものを買うということができないからである。それで今の買い物は商品が多すぎるから困るのである


通信販売のレビューにしてもそれが全部。本当なのかどうかも分からない。 


review.jpg



五つ星で評価したらpaypayで3000円うれるとある。これも別に高評価にしなくてもいいが金をもらえばどうしても悪いことは書けないとなる。だからこれも問題だと思った

とにかく金でいいレビュー書かせるのも問題である。何かこうしてすべて金で左右される。通信販売でもレビューが正直に書いているとは限らないのである。ただこの商品が悪いものではなかった。ただ金をもらったら悪いことは書けなくなるのは確かである。


2023年08月06日

文系大学はいらない、理系と文系とは何なのか (原発事故ではあらゆる学問が必要になった)


文系大学はいらない、理系と文系とは何なのか


(原発事故ではあらゆる学問が必要になった)


●中世の大学は神学部、法学部、医学部だった


米国において官職・公職に就く方法が次の2つだからです。ひとつは富を持っていること、もうひとつは適切な信用保証を持つことです。最も優れた信用保証が法学の学位なのですね。それゆえ、政治家になりたい人たちはロースクールに行くわけです。

予言者と呼ばれた進化人類学者が予測「米国には“終焉の時代”が訪れ、共和制は衰退する」(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース


文系大学がいらないと言う時それは社会に出てほとんど役に立たないからである。モンゴルが侵略して殺されなかったのが職人だった。職人はやはり役に立つから殺さなかったのである。また日本の戦争でも太平洋戦争でも学徒出陣があり理系の学生は強制されなかったのである。職人も理系でありそれは社会に役立つものであり認められたものである。

文系理系と簡単に言うけどそれは命にもかかわるものだったのである

そもそも歴史的にも物つくりは理系だからである。石器を作るにしてもその石を見分けねばならない、石器でも黒曜石が貴重だった。


ただヨーロッパの大学で中世からあったのは神学部であり法学部であり医学部であった。この三つから大学が始まっている。文系の場合は神学部と法学部なのである。ただ現代になると神学部は宗教となるがそれはなくなった。でも不思議なのは大学でも宗教系の大学は多いのである。ヨーロッパから文明が入ってきた時キリスト教系の大学は増えて作られた。また今でも仏教系の大学が多い。文系がいらないというときなぜこんなに宗教系の大学が多いのかとる。


そもそも文系がいらないというとき宗教などは無駄だからいらないとなる。医学部などは今でもそうだけ医者は特別尊敬されている。病気の問題が人間にとって一番深刻だからそうなっている。だから、もともと仏教でも病気を癒すと言うことがあり科学技術が発達しない時神にでも祈る他なかったのである。現実にキリストは奇跡で病気を治したからである。だから人間にとって医学は不可欠のものとなったのである。


それから法律というのも今でもそうだが現実社会で不可欠であり実効性があり弁護士資格を持てばそれは社会で実際に役立つものである。その他の学部は経済学部とかあってもそれは何か役に立つということはない。一種の教養となる。実業とは結びつかないのである。私は経済学部で何もほとんど学んでいない。なんだ何か知らないが。マル系の人がいてマルクス経済学が教えられた。でも実際は何か経済学といっても何を学ぶのかもはっきりしない?ゼミでも1、2回教授が来ただけであり。教授は授業にすらしない教授とは一体何をしているのだろうとなる。文系だと何の研究をしているかもよくわからないのである。結局、ただそこでは遊びの場であり時間潰しの場になっていたのである。


●文系は教養である―独学できる


私の場合は奇妙だけど実際は宗教学部に入ったと同じである。カルト教団に入ったからでそれは全く大学でないか教育するということがないからそうなったのである。そもそも教授でも一回くらいしかあっていないからである。


大学とは自主的に勉強する場合であり。何かを教えるという場でも無いのでだから高校から大学の変化があまりに大きすぎて文系の場合はおかしくなる人がいる。ギャンブルに費やされたとかカルト教団に入って費やされたとか学生運動で暴力となり青春のエネルギーを発散させたとかなる。もともと文系は何を学ぶのかも明確でなくて入ってくるからである。理系の場合は少人数で実験を必ずしなければならない。レポートをさなければならない。そこで遊んでる暇などないのである。それは職人でも同じである。知っている人は大工さんは十代から修行して技を身につけたからである。つまり職人は理系でありそれは実社会で役に立つ金になるからである。


文系というときそれが実社会でどう役に立つか見えないのである。経済学部に入ってマルクス経済学を学んで、何がそれで実社会で役に立つのそれもわからない。むしろ高卒で銀行に勤めた人の方が直に経済というものを学ぶのである。ただ法律は現実の社会で役立つものであり別なのである。文系は法学部を除いて教養なのである。一般常識を身に着けるだけである。それは社会で直接役に立つものではないのである。


建築関係なら経営できるようになれば設計できるようになればやはりそれは実社会で役立つのである。


「art」は英語だけど、さらに語源を遡るとラテン語の「ars」なのね。

この「ars」には、「技術」や「資格」「才能」といった幅広い意味があったの。


このうちの「技術」には、「人の手を施して装飾する」という意味合いも含まれていて、これが現在のアートの直接の由来になっている。


ただ、この時点では「人の手を施すこと全般」が含まれていたので、医術や建築工学、学問までもが含まれていたのよ。



人の手を施して装飾する」というときそれは職人であり意外なのは医者もartととして含まれていた。人の手を使い病人を見て直すからだちなる。

ともかく今のアートは実用的なものとしてあった。今のアートは実用から離れて画家とか音楽とか特殊なものとして見られる。でももともとはアートはあらゆる実用的なもののとしてあった。


何か時代をさかのぼれば遡るほど。一つの言葉で広い分野のものを指している。時代が進めば進むほど専門家して言葉も違って使われるようになったのである。


●宗教は宗はむねなるもので古代からあった


宗教は古代からでも原始時代からでもあった。縄文時代でも宗教はあった。それは祈る姿の土偶が発見されているからである。つまり人間は無力だから神に祈ることになる。病気は深刻であり医療も発達していなければ神に祈る他なかった。だから仏教とか神道でも加持祈祷があり民衆は頼ったのである。


中世の大学は医学部と神学部と法学部だということはそこに大学のオリジンがある。ただいまの大学と違っているのは神学部が重要視されていたことではそれは明らかに文系なのでる。文系不要論を言うとき今では神学部はいらないとなる。僧侶はあれ牧師など何か社会に役に立たないそして今は地位が低い。でもなぜ神学部が重要視されたかというと、やはり人間は生きる根本として宗教は必要であり。神を知るということは一番大事なことだからである。この世の中、神などなくして成立してなぜ神が必要なのかとなるからであるなっている。


実際奇妙だが私は大学に入っても創価などのカルト教団に入ったともなる。

そこもまた宗教とはなんの関係もない場所だった

そこは選挙をのためにすべてあり宗教は御利益のためであり人間がなぜ死ぬのかなど追求する人はいないのである。そこでは政治家になりたい人や現世でとにかく成功する地位を得る金持ちになるそれを異常な熱意で追求している。世俗より世俗的な場である。それは別に宗教を看板にしなければ社会ではそれをとがめたりしないのである。

その人は世俗で成功する、金でも女でも得るためにあからさまなのである。別にそれは世俗では普通のことでありとがめることもないのである。でも宗教を看板にすると矛盾してくるのである。


人間の最大の問題は人間がなぜ死ぬかということである。


ここは科学技術かいくら発達しても解決できない。なぜなら永遠の命を与えるのは神しかできないからである。だからいろいろな知識があっても技術があっても一番優先されるのは当然なのである。ただ宗教はいくら学問してもわからない。何も聖書を読まない人すら聖霊を受ければ一発で分かるのである。だから神学部などは無用だとなってしまう。いくらそこで学問しても神についてはわからないからである。それは文系が要らないと同じである。それ文系の学問はそもそも独学できるものでありだからこそ文系大学だと遊びの場に暇つぶしの場になっていたのである。。


むしろ教会とかに行っても牧師に説教されても理解できない体験からしか理解できないからである。理系の学問となると、それは現実社会と結びついて実効性がある。文系はそもそもそういう風に社会で役に立つものでもない。ただ社会で役に立たないからといってに無駄なのかとなれば、そうでもない。つまり人間が最初に知るべきものなの神がいるかどうかであり神を知ることであるからである。それは科学技術が発達しても同じで最上階に全能の神がいて全ては成り立っているからである。


とにかくドイツだと十才で職人の道を行くか大学に行くかきめられるという。学問に適しているかどうか10才できめられるという、それも早いと思うが社会では効率的になる。なぜなら職人でも技を身に着けるのは10代になりそれも早い時期だないと見に着かないとされるからである。文系の大学はそれで何の役にもたたないとなる。


●原発事故ではあらゆる学問が必要になった


ただこの辺で起きた津波や原発事故は理系が中心であっても文系的なことも必要であった。それは学問の全般的なものに及んでいたのである。そのことを私は追求してきた。でも理系でないから原子力の事、放射線のことなどわからなかった。でもそれ以外でも広範囲にあらゆることが関係していたのである。郷土というの特定の好事家が追求するものと思っていたがそうでもなかった。なぜなら相馬藩内で400年前にやはり慶長時代に慶長津波がありこの辺でも700人溺死したという記録が残っていたからである。それはたった二行だったけどそれがいかに貴重なものだったか津波が来て原発事故になり認識されたのである


そのほかにもこの土地特有の問題があり原発の時不運にも春になると海から東風が吹きそれが風に乗って飯館村とか福島市まで放射性物質が運ばれたのである。それで放射性物質が風に乗って流れるということを知らないので浪江町の町長は一番放射性物質が多く流れた津島に避難したのである。そもそも東電では事故はないと安全神話を作っていたのだから事故が起きたときの備えなど何もしていなかったのである。それで最初に頼ったのはアメリカだったのである。日本の技術者はお手上げとなり、何もできなかったともなる。


でも現実東電に働いてした人は避難するとき海の方は安全だとして山の方に向かったが、引き返して海の方に避難したのである。だから、やはり東電の人は放射線がどういうものか知っていたのであっる。でも地元の町民には知らせなかったのである。秘密のベールに隠されてのである。ただ安全神話を作りそれで安心していたというのも大きな怠慢だったのである。

このように津波原発事故でわかったことは理系文系だけで分けられない総合的なものして郷土でも見る世界でも見ることが強いられたのである。ただ、それを見るとしたら、とても一人の人間では不可能であった。そんな知識を持っている人などいないからである。 それを知りうるのは全能の神しか無いともなる。そこに人間の限界があり。原発は人間が操作するできるものでもなかったのである。


元々宗教とは旨(むね)なるものであり総合的なものとしてあった。現代は無数のもの分化してパーツ化して全体を見ることができなくなったのである。でも一地域であれそこに生態系があり歴史がありそこには地質学も関係してさまざまなことを総合的視点で見る必要があったのである。原発となると、やはり理系が中心にしても文系も関係していたのである。


だから理系と文系を分けて文系がいらないということにはならない。でも現実問題として文系大学などいらないというとき文系は独学できるからである。実験などもしないしただ本を読むということが基本になるからある。それでそれで現実それで大学文系大学は教授が何も教えないという場所だったというのも奇妙なのである。要するに文系大学には教授などいらないのである独学できるからそうなっている。するとただそこが遊びの場となり必要ないとなるのは当然である。ただ体育系とか友達を作るとか何か学問以外での遊びの場でもそれが人生にとって無用の場ともならないのである。でもそんなところに国で金を費やすのは無駄だとの今はなる。そんな余裕がもはや国にはないからである。


●文系大学は国で金をかけるのは無駄ーただ文系的なものは必要


 だからドイツのように十歳で職人になる人と学問を追求する人を分けるということも社会にとっては効率的になる。別に文系なら独学できるからである。それより文系の大学だと何かテーマも持って追求する場であり。そういう。テーマも何も持ってない人は大学に行っても何を学んでいいかも分からなくなる。私はむしろ大学を卒業してから学ぶ事が多かったのである。大学卒業してから旅に費やされた。それで地名に興味を持ったのである。そんなこと大したことない。実用性がないといえばそれまでである。


 ともかく文系理系というとき医療の分野でも関係している。医者は理系であり薬を飲ませ治療する手術もする。患者を見るときそこには必ず精神的なものは作用する。医者でもただ金を払ってくれる患者として金儲けのさせてくれる人間としてしか今は見て医は算術となっている。だから病院は無機的な空間であるそこに精神的安らぎがないのである。それで家で死にたいというときはなぜそうなるのか?家というのもまた単なる建物ではないのである。建物を建てたのは職人である。でもそこに魂を入れるのは人間だとなる。何か家は物的な建物というだけでないものがある。


ここで人間が暮らした歳月があり家にはただ雨露を凌ぐというだけではないそこには不思議に愛というものは通い合っている。家族が死んだ後も愛が通い合っている。愛は消えないのである。だから家族が死んで13年経っても必ずしもその人の形はなくなっても見えないところで愛が通じあっているという感覚を経験する。それは説明できないものでもある。でも家にこだわるのはそういうことがあるからだと思う。死んだ家族が依然としてその家の中に居るという感じになる。だから建物は物体でありでもそこに通いあうものは愛でありそれでそこに家は単なる物体だけとはならないのである。


だからそこでも理系と文系の問題があるかもしれない。それで物と心は一体であるというのは東洋的思想である。物に憑につくというとき心が憑くということになるからである。それはやはり科学でも説明できない問題なのである。だから理系と文系とかで明確には分けられない。ただ、文系は別に大学に行かなくても教養であり本を読んでいればわかるのである。それで文系がいらないというのはそうして特別に大学という場でなくても学べるからそうなっているのである。 









posted by 天華 at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2023年08月04日

空家の庭と芙蓉の詩(夏菊、鬼百合、夾竹桃)


空家の庭と芙蓉の詩(夏菊、鬼百合、夾竹桃)

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海老への道

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このカメがいいのである

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すべてクリック拡大―鮮明に見える


夏菊や海広々と見える道
夏菊や海に向かいて走りゆく
鬼百合や今日も雷なり野を走る

芙蓉と空家の庭の石

大石はその地に根ずいたように
どっしりとそこにある
芙蓉が咲きのんびりとそこにいた
芙蓉は笑っている姉のように
おおらかに芙蓉は咲いている
海から涼しい風が吹き
夏の雲が山に湧き上がり
ここに石は動かない
でも津波に家は流され人はいない
その庭だけが残されている
雉の親子が入り込み
この庭だけが往時を語っている
またここを訪ねて暮れぬ

右田の野球場の近くに津波で流された家の庭が残っている。その庭には大きな石がいくつもありずいぶん立派な庭であること知った。その庭は津波の前でも知っていたが中に入ることができないのだから庭のことは外から見ていたからこんなに大きな石の庭がいくつのあったことでその石をじっくり見る。でも不思議なのは家にはあまり価値を感じられない。空き家でも古民家とかには価値がある。でも普通の空き家は価値がない。あるのは庭なのである。庭が立派な庭であればその方が価値がある。

津波で家が流されても石の庭は残っていた。そこにはいろいろ花も咲いていた。小さい畑もあってそこに花が咲いていた。いろいろな種類の花が咲いていた。そこに人は住んでなくても今でも咲いて小屋のようなのようなものがあるからその庭を誰も見てないというわけではない。空き家を見る場合。家にはそれほど価値あると見えないのである。でも立派な庭だと価値あると見る。

大きな平板な石がありそこに芙蓉が咲いている。それがなんともなくいいのである。芙蓉は花が大きく何かゆったりとした気分になる。それで私の姉のことを思い出すのである。姉は大らかな人でありいつも笑っていたからである。認知症になってからは悲惨だった。その笑いも消えたたからである。ただ姉にしても他者に親切だったとは言えな。だから意外と認知症になってからは誰も来ないし。死んでからも姉を偲びに来る人もいないのもそいうことがあったからなのかとなる。

私の母は性格的に何か苦労しすぎて余裕がなかった。働き詰めの一生であり子どもの時も遊んだことなどなかった。なぜならいつでも店で配達させられていたからである。それはみんなそういう時代だったのである。学校すら農休みがあり農家が忙しい時は学校も休みになったからであある。農家の子供もみんな働いていたのである。そもそも戦前なら子供はみんな働き手として育てたのである。そして親のために働かせるために育てた。それはまだ遅れた国だと日本に出稼ぎに来て親に仕送りしているのでそういう時代的に同じだとなる

ともかくそれぞれの家族の影響は大きい。家族もみんな違って私の家族は特殊だった。でも私が母だけにだけに育てられたらいいことはなかった。母は私と似て神経質であり、陰の性格だったからである。だから意外と親子でも性格的が合わないことがある。うまくいかないということもある。母の神経質的なことが細かいことにこだわることが嫌であり合わなかったからである。だから不思議なことは姉は大らかであり自分をにとってはいいものだったのである。ただ、そのマイナス点もあった。何かあまりにも自由放任にされたのでそれで問題がおきたのである。


いずれにしろ人間が形成されるには親と子とか兄弟とか姉妹とかまたは周りの人とかの影響がある。親と子だけですべてを賄うというか事足りるということはないのである。そもそも家族だけではいずれ介護とかなり。持できなくなる。家族でも昔のように大家族なら誰かが手が余っているから介護もできたかもしれない。今は家族でも核家族とかなり極めて狭い単位のものとなっている。ファミリーとは家族のことではない。大きな集団のことであり一族というか血縁でなくても小規模の会社のようなものでもあった。そういう大きな集団のコミュニティだとかえって何かあればその大きな集団の中で賄えるということはあった。 

とにかく芙蓉の花は大きく咲いてゆったりとさいているからいい、
夾竹桃も咲いていた

和名のキョウチクトウは、漢名の「夾竹桃」を音読みにしたのが語源で、漢名は葉がタケのように細く似ていること、花がモモに似ていると中国人が思ったことに由来する

確かに葉っぱ竹の葉のようにとがっている。花の名前は葉の特徴からつけられたものが結構ある。桃がついているのは花の色からそう名付けられた。でも夾竹桃には白い花があり。それも自生していた。沖縄西の西表島だったかその白い夾竹桃をジャングルで見たことがあるからである。 その庭に植えてあったのは白い夾竹桃だった。

他にもその庭には何か知らない花が咲いていたのである。
何か空き家は眼について気になる。でも家そのものには?価値が見いだせない。庭には価値を見出している。だから、その庭に花が咲いている時依然としてその庭は生きているともなる。だから空き家が多い時空き家自体の利用より庭を何か生かすという方法があってもいいとも思う。ただ、庭にも色々ありやはりいい庭は少ない。立派な庭にするには石であれ木であれ金がかかるからである。
だから立派な庭を残した家はやはり金持ちの家だったともみる。本当に私の庭は狭いから立派な庭にしようにもできない。それでも庭があればそこに自然があり安らぐのである。


2023年08月03日

成仏するとはどいうことなのかーお盆に死者が帰ってくる (その人がどう生きたの方が大事)

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成仏するとはどいうことなのかーお盆に死者が帰ってくる

(その人がどう生きたの方が大事)

●成仏しなかった非業の死

私の父親違いの兄は交通事故で40歳で死んだ。私の家は兄をよくしなかった。母は後妻に来たからである。五年間は一緒にいたのである。その五年間は貴重だったのである。なぜならもしそうして一緒に生活しなかったら兄という言う感覚も持てなかったかrである。
兄の前の兄の実の父親は東京で会社の事故で死んだので。そしてまた兄も交通事故で死んだのである。これはカルマなのかどうかわからない。ただ、そのことは私自身に深く関係していたのである。だからそれを単なる他人事とはおもえないのである。

成仏することに非常にこだわる人がいる。創価とか仏教関係では成仏しないかするかが一番問題にしているのである。そのことで信心のことが決められているのである。ただ、カルト教団の言ってることは正直宗教とは何の関係もない。デタラメなのである。第一宗教などを求めている人なんて一人もいないからである。そこに欲が何でも叶えられとしてとして入ってきている人たちである。ただ、何か知らないが異常に成仏にこだわっているのである。

成仏を考えるとき死んだ姿ではない。成仏とは何か?それは死んだ姿とか、どんなふうにして死ぬとかとかでもない。その人の一生がその人なりに全うされたかである。その生き様の方が問題なのである。死んだ姿とかにこだわってもそれで成仏するともならない。
成仏するとはその人がその人なりにその一生を全うすることにある。その人がどういう風に生きたかが問題であり、死ぬ姿を見てもわからないのである。つまり成仏するとはその死ぬ有様ではない。その人がどういう風に生きたかによって決まるのである。何かよく言われように俺は社畜なんだよなとか言って一生を終わればその人はその一生を全うしたのか?しない。すると死ぬ時どうなるのか成仏はしないとなる。

●その人がどんな人生を生きたかが問題

とにかくカルト教団などに生きている人間はみんなロボットであり教祖のコピーとなって何らその人なりの人生など生きていないのである。だから、その人生には実際は価値はない。もちろん、その団体の中では価値あるとされるが、いずれ団体も組織も消えてしまうからである。その組織団体が消えた時、その価値も消失するのである。会社で会社から退職した時その会社での役職があっても退職すればなくなる。するとその人の価値はなくなる。だから退職するとその人の価値がなくなるのであり生きがいもなくなってしまうのである。

何故ならその人はあの価値は会社があっての価値であり。その人自体の価値というのは追求されていないからである。ただ、会社で働けばやはり何かその人なりの価値として残るものはある。でもその人が地域で何か働くことができて認められるということは?難しい。村社会のようなところだったら村という世界が農村社会だったら継続される。
だからそこで死んでもご先祖様となって、その村に生き続けていたのである。そしてお盆には死者が帰ってきて村の人たちとみんなで踊るということになっていた。それがお盆の起源だとされている。死んだ死者を迎えて一緒に踊るものだったとなる。今はそんなことは全くない。そういう社会が消失したのだからそういう祭りとかも消失するのである。時代によってその価値が失われたのである。

●40歳で交通事故で死んだ兄

兄の場合はどうしてもその生を全うされたとはならない。そこに何か無念が怨念が残っている。墓を作ったの自分の家のそばに自分の墓の傍に墓を作ったのだがお盆には墓参りするのだがその娘が一人いてもその人は兄を思う心もなくなっていた。なぜなら夫婦でもめて離婚して娘がそのために父が交通事故で死んでひどい目にあったからである。それは静岡の方であり連絡は取り合っていたが、何が起きたかその時からなかった。近くにいれば何か事情も分かって援助することもあったが、できなかったのである。それで妻の方の実家に頼ったのだがそこでもよくされなくて高校出てからすぐに東京に出たのである。。だから実際あったのは子供の時一回しかその娘と会っていない。でも母が死んだときは何回か来ていたのである。ただ、それも何か遺産があるかどうかでお金のことで。来ていただけである。だからその縁も切れたのである。

確かなことは兄の霊は成仏していない。

それはその死に様のことではなく、生き様のことなのである。十分にその生を全うすることができなかった。親としてもできなかった。それを全部私の家のせいだともならない。なぜならその当時中卒で集団就職した人は大勢いたからである。ただそう、その苦労は私よりずっとあった。だから私は後ろめたいものを常に感じてきたのである。でもすべてが私また私の家にあったのかというとまたそれもわからない。あったことはあったが、全てが私の家にの責任なのかどうかは?わからない。なぜなら結婚して離婚したという時、それもそれは私の家の責任とも言えないからである。苦労したということがあり。それで負い目を感じていたのである。

●成仏するにはその人の生きざまの方が大事

ともかく成仏するというときその人がその人なりに充分に生きれば成仏する。何か自分なりに生きない、強制されて生きる。例えば医者に向かなくても医者にされたとか色々親に強制されたり親ガチャで苦しんだりする。そして自分自身の一生をただ強制されて終わるという時、その人は成仏しないともなる。そう見れば人間の一生がその人なりに充分に個性を発揮して生きたという人は稀になるかもしれない。何か常に社会であり。家であれ強制されるからである。

まず貧乏だったら食うことが大事であり。自分なりの何か才能でも伸ばすことは不可能である。そうなると自分なりの生きられなかったということで死ねば成仏はしないとなる。それは成仏の姿ではなく一生をどういうふうに生きたかである。まずカルト教団などはまったくの奴隷でありロボットでありその人なりに生きている人は一人もいない。同じ制服を着て同じ事を語っている。そして教祖の命令のままに偶像崇拝となり決して成仏はしない。だから成仏などにこだわるのはバカらしいとなる。その前にロボットの人生とか生きたとしても成仏しないのである。

私の母親は確かに100歳まで生きたがその死んだ姿も何か笑っているようで姿から見れば本当に成仏していた。ここに苦しい表情もない。私にはいつも楽に死ねたらなと言っていた。それは叶えられた。でも母親が本当に母としてまた女性として人間として充分に生きられなかった。常に働くことを強制されて働くことしかなかった。花を買うより庭に花を植えるよりそんなものいらないとして怒っていたのである。つまり花に価値を見なかったのである。これも寂しい人生であった。ただ、それは大正生まれでただ働かされるだけだからそうなったのである。

だから、また母も人間として女性として充分にその生を全うしたとはならない。もっと花に興味を持ったり何かただ働くだけだの人生でなければよかった。そうして人間とは最後に問われるのはその生き様であり成仏の相ではないのである。もちろん成仏の相が悪いと何か確かに気分いいものではない。でも私の母親は?そうして充分に自分なりに人間として生きたということはない。でも成仏の相は良かったのである。

●怨霊となる死者

いずれにしろ不慮の死非業の死は成仏していない。だから何か墓参りするにしてもそもそも成仏していないから。心、苦しいものみなるある何か圧迫される感じになる。その人なりに一生をを生きていればそうはならない。不慮の死非業の死でありそのことが頭にあり、解消しないのである。

だから、そうして。非業の死を遂げた人とか事故で死んだとかいう人はその魂はこの世に未練を残しそしてまたまた呪いともなっているかもしれない。そのためにその呪いを恐れて死者をを祀り慰霊する。靖国神社が戦没者の慰霊のなっているのがそうである。そこには生きている人たちが何か後ろめたいことがあり死んだ人の霊を鎮めるためにそうなったともなる。私自身も兄については同じことを感じているのである。成仏していないからやはり心苦しいものとなってしまったのである。でも一旦死んだ人を引き戻すこともできないしどうにもならないことである。 

死者がお盆に帰ってくると言うけどやはりこうしてその人なりの一生を生きない人は非業の死を遂げた人は成仏していないし。その霊は死者が帰ってきても村の人と笑って盆踊りをするようなことはしにくい。 ただ、今は盆踊りでも村という共同体が消失しているからなかなかこのように御先祖様とはならない。つまり死者を供養するということはやはりその生活でも継続したものがあり。それで死者を供養するということになるそれが祭りにもなる。

今はそうして昔の村のように継続する共同体というものがなくなっている。 だからこそ家すら家の共同体すら消失して墓を守る人もいなくなり。墓じまいが問題になるのである。村に生活するということがなくなり広域社会になった時さらにグローバル社会になった時そういう時間の中で形成される共同体は消失したのである。そのとき死者もその村の中に御先祖として生き続けることもできなくなったのである。 
つまり現代は空間がグローバルに拡大した。でも時間軸で形成されたものが失われたのである。
ただ一方で死者ももうこの世に帰ってきてほしくない人も多い、人を苦しめた人もいるし死んでも恨んでいる人もいるからである。だから家族でなかったら死者でも帰って来て欲しいとかみんなならないのである。

●死者がお盆に帰ってくる―御先祖様になっていた死者

つまり今は死者が継続される場がない。すると死者はどうなるか?幽霊のようにさまよっているかもしれない。御先祖様になったときはそこで継続して生きて生きている。でもその場がなくなったとき死者はどこに行くのか?死者の魂は誰が鎮めるのか?何か成仏しない人の魂は他者に害を与えるということがあるかもしれない。何か非業の死を遂げた人の霊を鎮めるために神社を立てたりした。死者が怨霊となり呪いとなることを恐れたのである。兄の場合はそういうことを感じる。
死んだらみんな御先祖様となった迎えられるとも思いないのである。

でも私の姉と母も死んだがそこには感じないので。父親でもそうである。遺影はは笑っていて笑っていて何か依然として家族とあるような感じがする。だから何かそこに成仏してはしないとは思えない。でも実際、家族でも何か?成仏していない恨みを残して死ぬ人もまたいるのである。ある母親は娘に対して【ひどい娘だわ】と呪いの言葉を残して死んだ。その娘は本当にひどい娘だったので。母親はそれなりに愛して育てた?実の母親ではないにしろ実際はその人は母親になっていたからである。でも何かもめて母親が病気になったときも何の世話もしない捨てたも同じである。ただ、母親は白血病で呆気なく死んだのである後の葬式はしたとして葬式だけなら簡単だからである。介護となると、その娘、何もできない。

実の母親は五歳で家を出て行ってその娘を捨てたのでる。だから、その母親を母親と思っていな。ただ遺産があるので、それが欲しくて老人ホームに入れているだけなのである。第一、その実の母親は認知症であり何かわからなくなっているから悲惨である。
家族でも親子でも問題があるのは人間である。そこに確執があり、争いがあり親子であっても兄弟であっても何らか争いがある。平和が必ずしもない。それがが人間の現実なのである。平和がないというとき。戦争は無いというだけではない。そもそも家族すら平和がないのである。何らかの争いがあり、確執があり平和がないのである。それは私の家でも嫌というほど経験したのである。

ただ、私の家族の場合は生前は争いがあっても今は何か今は平和になっている。だか遺影は笑っているのである。でもそうでない家族もも親子も兄弟もこの世には結構多いのである。そもそもなぜ宗教は血縁を否定したのか?それの血縁でも愛し合うというだけでなく、必ず何らかの。揉め事があり争いがあり平和がないからである。それで仏教でもキリスト教でも血縁とか家を否定したこともその為だったのである。 

2023年08月02日

カルマの法則 (他者を苦しめた者は自らも苦しめられる―苦しみカルマを自覚する)


カルマの法則


(他者を苦しめた者は自らも苦しめられる―苦しみカルマを自覚する)


若い時から病気を持ち障害者の夫を世話し続けた人がいる。何か障害者を家族に持つことはカルマなのかとなる。その人のために費やされるエネルギーが半端でないからである。50歳になっても世話し続けているからである。


カルマで怖いのは親戚であれ重いカルマを持った人と関係すると必ずそのカルマを受けることである。だから結婚は好き嫌いだけで決められないものがある。結婚すれば互いに持っていたカルマから逃れられなくなる。その結婚相手の親族と深い関係となるからである。


私が家族で介護の介護で七転八倒して苦しんだのもカルマだった。兄がいたとしても私の家では良くしていないかったからである。兄は40歳で交通事故で死んだ。そのカルマが私に回って来た。なぜなら介護となっても一人しかいないのだから全部背負うことになったからである


カルマとは法則がある


あなたのした行為が必ずあなたに返ってくる


あなたが他者を苦しめたらあなたも苦しめられる、苦しめられた他者の来る知らしめるために同じ苦しみを受けてその苦しみを理解するのである。そうでなければあなたのした行為(カルマ)のことを理解できないからである。


なぜ自分はこんな苦しみをうけるのだろうか?


それはあなたとのした行為が苦しみとなってカルマとなっていたそうなった。


なぜ私はこんなに夫で苦しむのか

なぜ私は子供で苦しむのか

なぜ私は毒親に苦しめられるのか

・・・・・・・


そこに因果関係がある。つまり夫に苦しめられるのはあなたが夫を苦しめていたからでありそれが今度は自分が今度は苦しめられることになった。そして母親が障害者の夫に苦労したことを自らも夫で苦労することによって母親の苦労を自覚する。

また他者に世話になることでもカルマになる。それが恩というときそうである。恩を受けたことはカルマとなる。だから恩を返すことを要求される。恩など返さなくてもいいとなるのも普通にある。でもそうなるとカルマがやはり課される。カルマは借金とも似ている。借りた金は返さなければならない、返さないと利子がつきさらに重くなるのである。

ただカルマの大きな問題は自分のカルマを自覚できなことなのである

全く無事平穏に生きていれば自覚できないのである。

そこにカルマの大きな問題がある。


でもからカルマを持たない人はいない。必ずカルマは人間の一生の中で現われる。 そもそも苦しみとなってカルマが現れない限りカルマを自覚できないから理解できない。すると他人がなぜあのように苦しんでいるのだろうと見る。それも他人事なのである。でも自分自身が苦しむとき自分のカルマに苦しむとき他人のカルマも理解するとなる。つまり人間というものは自分自身が苦しむ無い限り他人の苦しみに同情できないということになる。自分自身が苦しまないのだから同情もしないともなる。


だから何か苦しんでいる人は互いに同情しあうのである。痛みをわかるからである。それでそういう人たちは何とかしようとして共産党であれ創価などのカルト団体であれ藁をつかむようにして頼る

それで票を集めて幹部が権力を得ようとする。別にそうした人たちに同情しているわけではな、要するに貧困ビジネスにもなる。

第一一人くらい相談にのれるがそれが10人百人となると不可能になる。弱いものはこうしてまた餌食にされることがある。


そもそもなぜ人間に災いが起きてくるのだろうか?平穏無事に終わる人生などない。今無事、平穏無事でも。いつか必ず。苦しみを受ける。人間が苦しみから解放されるのは死ぬしかない。そしてもし苦しまない人生があったとしたらそれは何か人間として大きく欠けている。苦しまないから他者が苦しんでも同情もできないのである。でも自らが障害者の子どもを持つようになったときその苦しみを理解できるのである。


これは人間社会に共通していることである。大きく見れば人間の歴史を見ればやはりカルマの法則がそこに働いている。驚いたのは黒人の国イスラムのアフリカの国がヨーロッパの白人の女性を奴隷として売買していたことである。それもカルマとなり今度は自分たちが黒人が奴隷にされたとなる


今日本が貧乏になり外国人が日本は安いとして観光に来る。その中にはやはり売春のために来る人もいる。そのことは別に景気がいいときは東南アジアであれどこであれ貧乏な国ではしていたからである。つまりそれもカルマなのである。あなたのしたことは必ずカルマとなってかえってくる。アメリカは日本に原爆を落とした。そのカルマはあまりにも大きいものだったのである。原爆の苦しみをアメリカは知るためにはアメリカに原爆が落とされて何十万と死んでみない限り苦しまない限りわからないのである。


アメリカだけが自国が戦場になっていないから戦争の悲惨さを知らないのである。常に遠くから攻撃するのがアメリカだからである。国でもそれぞれカルマを背負っている。だから世界史でも言うまでも栄える国はない、盛衰が必ずある。アメリカも衰退の時期に来ている。

人間は絶えず戦争を続けてきた。第一次世界大戦、第二次世界大戦と何千万と死んだのである。つまり戦争はなくならないというとき人間のカルマも消滅しないということである。だからこそ、人間はそのカルマが積もり積もって最終的に人類はハルマゲドンで滅亡する。カルマの集積が限界を超えてついには自滅して行く。または神によって裁かれノアの洪水のように大自然災害が起きて滅亡するとなる。 

2023年08月01日

昨夜は遠稲妻が光り今日は朝から雷鳴り停電になった (電気が通じないことの怖さ)


昨夜は遠稲妻が光り今日は朝から雷鳴り停電になった


(電気が通じないことの怖さ)



いなづまやきのふは東けふは西

其角「曠野」


幾たびも遠稲妻や雲に月


朝の雷打ち轟きて目覚めかな


夕べは遠くに稲妻が何度も光っていた夜も光っていた。でも全然雷の音は聞こえなかった。それは遠いところで鳴っていたからだろう。そして月が光っていた。何か異様な光景だった。

そして今日は朝から雷が激しく鳴った。そして多少雨は降った。ところが南相馬市の一地区で私の住んでいる場所で停電になったのであるやはり雷が影響したのだろう。この停電の怖いことはパソコンが壊れる場合があるからだ。するとせっかく記録したものさえ聞いてしまうのが怖いのである


今回の停電は狭い地区であった。200戸だけだった。東北電力の人が電柱を見て歩いた。でも意外と早く回復した。長引くと思ったからである。それで電気が止まると冷蔵庫も止まるし食事の用意をするとき電気でするのでできないと困る。この暑い時冷蔵庫が止まることは困る。中の物は腐ってしまうからである。電気というのは今の社会で重大なものになっているか分かる。それは停電してみると分かるのである。


あらゆるものは電気を使っているからである。だから停電してみると電気のありがたみが分かるのである。ええ、東京電力の人は原発事故のとき電気なくなったらどうするのだと脅すようなことを言ったからである。それだけ電気というのはライフラインになっているのである。何かあらゆるものが電気が止まると機能しなくなるのである。だから本当は停電の対策をしておく必要がある。病院などでは自家発電の備えがあるのは当然である。命にかかわるからそうなっているのである。 


それでDellのノートパソコンは停電しても切れていなかった。だから普通に使えていた。なぜなら充電式になっていて電気が切れても電池から使えただから一瞬停電と思わなかったのである。ただ、食事の用意をしようとしたとき、電気が使えないので停電だと分かったのである。それも狭い200戸くらいが停電になった

外に出て確かめても電気をついていたからどうなったのかと心配だった。回復するとは思えなかった。停電でも長い停電というのは経験していない。それだけ日本の電気会社はやはり優れているともなる。


いずれにしろ昨日は俳句の季語だ遠稲妻となる。でもそれは秋の季語なのである。雷は?夏の季語でこれも何か?理解しにくい。まだ真夏だからである。それで秋の季語となるのは理解できない。ただ昨日は夜も稲妻が光っていた。だから朝になって。移動してきたことは理解できる。でも雨は大して降らなかった。それが何か心配なので。雨があまり降らないから。どうなってしまうのだろうという心配がある。


とにかく早く回復して助かったとなる。ガスはないので食事もできなくなる場合があった。やはりなんか天気が止まってもガスとかでも他の事でも必要なのかもしれない。だから。充電器というのは? 蓄電池が必要ともなる。何故ならこのように電気が切れるとお手上げになってしまうからである。もしクーラーなどでも電気が切れるとこれだけ暑いと熱中症で死ぬ人さえ出てくる。電気というのはライフラインであり、生命線になっている。でも原発事故のようなものはありそれもまた危険だしソーラーパネルでも自然景観を壊してまた危険でもある。だから何か電気というものが必要でも問題がある。そのことで技術的に何かできないかとなるが。それも出来ていないのである。


ただ、電気に頼り過ぎると電気がこないと何もできなくなり、お手上げになってしまう。それで津波のときどうなったか?裏山の清水を使いそこらにある木材を燃やして米を炊きそれで何とか凌いでいた。もう電気も水道も何も使えなくなったからである。そういう時帰って原始的生活をしている人は生き延びるともなるので。実際に私の戦後の子供時代の時は電気は裸電球一つであり燃料は炭であり水道もないから近くの家の井戸の水をもらっていたのである。そのときガスも使っていない。そういう生活は電気がなくても持続可能な社会となり。まさに持続するのである。電気は実際はなかなか高価なものでありそのエネルギー源となるものは石油とか石炭であり。それが日本にはない。ガスもない?それでエネルギーは脆弱なのである。


ともかくこの停電というのは一番影響が大きい問題かもしれない。もちろん食糧不足もそうだがその食料を料理する為には電気が必要だからである。そしてあらゆるところに電気を勉強を使っているから電気が通じないとお手上げになってしまうのである。ソーラーパネルなどは自宅に備えていれば自家発電できるということはある。だからソーラーパネルでも全部を否定するということはできない。個人の場合は、もしかしたらい良いものなのかもしれない。ただ、それにしても警官を壊すから嫌なのである。



2023年07月31日

なぜ新聞が読まれなくなったのか? (新聞社に勤めていた人も読んでいない)


なぜ新聞が読まれなくなったのか?

(新聞社に勤めていた人も読んでいない)

●それぞれの住んでいる場からの報道はできる時代

新聞社に勤めていた人さえ新聞を読んでいない。今日はリンクの機能がないから一つの記事について深く知ることができない。いろいろな記事が新聞に出て一覧性があるということがあったが、返ってそれが不便なのである。新聞というのはいろいろ手間とお金でかかりすぎるのである。新聞という紙面の作り方にも問題があった。

それはどうしてなのだろうかと思うと社会は人間は空間軸と時間軸で必ず起きている。そこで何か起きたとしても空間軸と時間軸で必ず見る必要がある。ところが人間は空間軸でも。狭い範囲でいつも生活している。すると例えば福島県でも何が起きているか?自分の住んでいる場所なら。わかるのだが。他だとなかなかわかりづらくなる。それは気候とか違っているからである。福島県だとハマナカアイズに分かれている。そして会津となると山国であり、その風土も浜通り相当に違っているのである。それで会津のことはなかなかわかりにくいのである。福島県といっても知ることが難しいのである。

だからこれが東北地方とかでも広がるとなかなかわかりにくくなる。つまりまず事件でも何か問題が起きた時どこで起きたかということが問題になる。だから何か起きることがTake placeなのである。場所が問題なのである。場所とは空間軸でありでもその空間軸も広いのだから分かりにくいのである。
もう一つは時間軸として事件も起きているのである。なぜなら何か事件が起きるとしてもそこに歴史というのが必ず知る必要がある。歴史という時、大げさなものでなく例えば家族があったとするとその家族も時間の中で形成されている。その時間でも親から祖父母からその前の先祖まで関係していることがある
実際、事件というのは何かそうしてカルマが関係しているのである。その家に積み重ねられたカルマは事件として現れてくるのである。だから事件でも突然起きてきても時間軸で見ないとわからないので。それは世界で起きていることでも同じである。ウクライナでなぜ戦争が起きたのかというときまず空間軸でみる。それは比較的わかりやすい。でも空間軸でもウクライナというと、ロシアというとてつもなく広いのである。延々として森が広がっている。それを日本からすると理解しにくくなるのである。そして時間軸で見るとさらに難しくなる。それはそれぞれの国に歴史がありだから問題がまた起きてくるからである。 

●空間軸と時間軸で理解する

新聞が衰退したのはマス(大衆)を相手にしている。マスコミという。何千部も売るとしたらとにかくそれだけの人数を相手にするとなるととても深く見ることは伝えることは不可能になる。その土地から離れて空間軸から離れて。ただマスコミは大衆を相手にする。それでニュースでも解説でも空間軸と時間軸で理解できない。突然。事件が起きてそれを報道してもすぐには理解できないのである。

でも狭い地域だと自分の住んでいる場所だとある事件が起きればその土地と結びついてまた、時間軸で見るから理解することがある。 ただ、その土地、土地に住んでいても。時間軸で理解することは非常に難しい。その土地に100年前、200年前、300年前にどうだったかなど理解することが難しいからである。ただ、狭い地域に住んでいればその土地のことを肌で知っているから理解しやすいとなる。 

現代の情報環境は前とはあまりにも違ってもうマスコミを相手にしていない。そのツールとしてパソコンやスマホが生まれてさまざまな情報に接する手段を得たからである。マスコミは何千万人も人を相手にしているのだからそれができない。福島県でも広いからその土地、土地のことをすべて報道することはできない。地方新聞にしてもその範囲が広いのである。また、一つの事に関心を持っても新聞だとリンクして深掘りできないから読まないと言う人もいる。それはインターネットとかで一つのことに関して深く知るということができるようになったからである。 

やはり報道するにしても狭い土地ならその土地のことを知っているから知りi抜いているからできる。空間軸でも狭い土地でもその土地全体を知るということもまた難しい。
例えば、相馬地域でも飯館村も相馬藩内であった。でもその土地ときこうでも飯館村だと平地寄り500mも高いとかとなり夏は涼しく冬は寒いとなる。その感覚的なことがわからないのである。特に私は車がないから自転車でゆくから、その感覚を肌で知るっているのである。その土地を知ることはやはり肌で知ることである。そこに車で行き来してもわからないことがある。福島県が暑いとき35度とかになると言う時私の住んでいる相馬地域はそうはならない。なぜなら海から風が吹いてきてそれが涼しいからである。

福島市は盆地でありそこで熱風は吹くとなる。それで自転車で夏に福島市の方から峠を越えて浜通りの方に出たとき涼しい風が吹いてきてほっとしたのである。なぜならそのとき熱風が盆地の方になると吹いててきていたからである。こうして。風土のの違いがありそれを遠くからはなかなか理解できない。そのことがその土地に対して何か起きても分かりにくいことなのである。それで原発事故があったとき丁度、3月11日頃海から東風が吹くのである。その風が山の方に吹いて飯館村とか、福島市まで放射性物質は大量に流れたのである。それは風の影響であり季節的な影響があり、不運だったのである。

このように、その土地のことを理解しないと何か事件が起きても問題が起きても理解しにくいのである。福島県でもハマナカアイズと広いから理解しにくい。浜通りだと福島市とか郡山市がある。中通ですらいつも阿武隈山脈高原にさえぎられていてまったく見えないのである。だから地理的に一体感を感じられないのである。むしろ仙台が交通的にも近いから仙台の方に一体感を感じるのである。まず会津となるとほとんど地理的一体感は感じない。あれほど2000m級の山々がひしめいていることで地形的にも全く別の世界なのである。この辺で高い山は鹿狼やまであり400メートルしかないからである。

地理とか風土とかは、そこに住んでみないとなかなか理解しにくい。冬になると常に雪が積もる。世界と海側のほとんど雪も降らない地域とは相当に違っている。そこに生活する感覚も相当に違っているのである。 

●新聞の構成も時代に合わない

ともかく新聞だとリンクしたり時間軸で深掘りすることがなかなかしづらい。でもプログのようなものでもリンクしたり関連付けたりできる検索できるからである。私の記事は膨大でありそこで調べようとすると難しくなる。でもリンクしたり検索窓から調べるとその一連の記事に関連したものは読める。だから深掘りできるのである。

だから誰でもできるプログのようなものでもその効果は本当に大きいのである。ただ正直私のプログはいまだに。SLL化してないしワードプレスもできないから何かもう一つ宣伝効果もないし問題がある。だから技術的な面でもっと読みやすいものに、作り直すことが必要になる?。ホームページも持っていたがそれも今はしてない活かされていない時間もなくなったせいである。家事に追われているからいろいろなことができないのである。今はコメントすらしてない。一つの記事を書くだけで結構大変なのである。そして写真とることで手間になるる。動画を試してみたが。これも手間でありなかなか出来ない。ここにやはり一人でやる。限界が出てきている。

でも一人だけ金もかからずこれだけできることは?今までにありえないありえなかったことである。毎日新聞を出している感じになるからである。 今やこれが自分の仕事である。金にはならないが仕事なのである。それで苦しいが暑かったが雲雀が原に野馬追のことを報告するために無理して行ったのである。記者でもやはり危険な場合がある。危険な場所にも行くことはある。それで取材で死んだ人もいたのである。ただ、仕事には常に危険がある。工事現場とか大工さんでも危険な仕事にもなる。だからただ、文章を書いて楽机に座っているだけで楽だとみられるが。記者となると、やはりそれなりに危険も出てくる。海外を取材するとなると、さらにそう危険である。

いずれにしろ、私自身がプログに書くだけでジャーナリストとはどういうものなのか、記者とはどういうものなのかそういうことを理解した。 仕事と言うのはなんでも実際に携わって見ないと理解できないのである。それで無人駅のボランテアをして案内をしていて鉄道に詳しくなった。乗客であるだけでわからないことを知った。。鉄道のことは理解できない。駅のことについても理解できない。でも実際駅で案内していただけで駅のことを理解したのである。

それで仙台方面に行くホームと磐城に方面に行くホームが意外と分からない人が多かったのである。そのことをいつも聞かれたので駅長にその事を言って分かりやすいように支持する看板を作ってもらったのである。これはそこに勤めていない限り分からない事だったのである。ただ、サービスを受ける側になっているだけでわわからない。その仕事に実際に携わると肌で理解するのである。でも実際は仕事には簡単につけない。だから多くの仕事があっても実際は理解してないので。仕事の苦労など外から見ていてもわからないからである。

だからその土地に住んでいる人は、その土地のことを報告することは有利である。とてもさまざまな土地のことについて。知りえないからである。またあらゆることについて報道できない。そんな専門的な知識など誰も持ってないからである。でもその土地に住んでいれば。原発事故が起きたとき私自身が理系では無いから放射線のことなどまるでわからなかった。でも事故が起きたとき海から東風が吹いて山の方に流れて飯館村などが大損害になったということは理解したのである。ほかの人はそういう土地のことがなかなかわかりにくいからです。だから地元の人が。報告することは、ほかの人より有利なのである。

●インターネットに変わられるメデアの変化

新聞の問題は配るだけ金かかるし新聞紙にも金がかかる。それは既に前時代的なものになっているのである。でも記者とかはジャーナリストという仕事はなくならない。それは簡単にみんなができるものでもないと思った。あることについて報告するにしてもそのことについて何か深く知っていなければ出来ない。まず相馬地域を報告するにしても、その土地について住んでいて深く知っていなければ。報道できないのである。

いずれにしろ新聞社とかはもうなくなる。テレビでも観なくなった。情報環境があまりにも違う変わってしまったからである。でも、あまりにも情報が溢れると今度はその情報はスモッグのようになってしまう。Facebookなどを試しにやってみたがそれはただ、世界のことは次々に写真とか動画で流れてくるだけであり。その情報の関連性がないのである。ただ、まだそれも使いこなせていない。インターネットでもいろいろなものが出てきてもなかなかわからないし、使いこなせないのである。そして動画を出してみたがそれは簡単にできない。でもその動画を編集することが面倒なのでそれをまだ出来ていない。その辺に一人でやるのは限界がある。でもこれだけの者を一人でしているのだからその。変化が大きいのである。

一人一人が新聞社になり出版社になりテレビ局にもなっているからである。この変化は大きいのである。ただ、そこで膨大な情報がスモッグのようになって肝心なものは読まれないと見れないとなるやはりくだらない刺激的なものが映像でも観て大衆化してくる。どれだけページビューを上げるとか見れるとかで金になるとかなってしまったのである。

だからインターネットの情報でもそれはもう大衆のものであり大衆的なものが受けて数ですべてが図られる。その価値が決められるのである。それが金になるということでその金のためにyoutubeとかを下らないものでも大衆向けに出しているのである。だからなんであれ大衆を相手にすると堕落するのである。カルト宗教もただ大衆を相手にしか数だけを集めているから堕落しているのである。そこに高貴なものは何もない。唯一数を集めて権力化することが目的化してしまったのである。インターネットでも広告を出して金を儲けようとするユーチューバーもいて問題になった。それは常に利益優先となり大衆化して堕落するのである。

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする

読むべき本ー場所の現象学(エドワード・レルフ)
(アイディンティティは場から形成される)

イラク戦争で油にまみれた海鳥を世界に放送してそれが嘘だったのである。回りは別に油に汚されていなかった。世界になるとこうした場のことなどわからないぁら騙されたのである

2023年07月30日

今年は野馬追に380騎しか出なかった ー迫力に欠けた (野馬追はこれから維持できるのか?−雲雀が原へ)


今年は野馬追に380騎しか出なかった ー迫力に欠けた


(野馬追はこれから維持できるのか?−雲雀が原へ)



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相馬の殿様はここではまだとのさまである

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なぜナマズのはたなのじゃわからない

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街中をつつじの赤く御行列



夏の雲湧き上がるかな旗取りて家の誉れと坂駆け上る


雲の峰高くなりけり暑しかな旗取り争う雲雀が原に


雲の峰一つ崩れてまた一つ湧き上がり高く雲雀が原かな


打ち揃う金の団扇に流山真夏の日さし輝きにけり


蝉の声今し鳴くかな旗取りに誉れを得てそ帰りなんかな




●380騎で維持できるのか


今年の野馬追に出たのは380機だった。何かこれは最盛期で500騎出ているから少ないと思った。野馬追は規模が小さくなると迫力がなくなる。380騎と500騎では相当な差がある。こんなに少なくなったのか?それはやはり津波や震災原発事故で小高区とか住めなくなり出る人が少なくなったからかもしれない。だから野馬追でも本当に維持できるのだろうかという疑問がある。少子高齢化でもありなかなか難しいかもしれない。

 

そして野馬追が維持できなくなるというときそれが歴史の保存であり変えることもできないし付け加えることもできない。となるといずれはさらに規模が縮小して見劣りして魅力がなくなる。だから確かに歴史の保存として維持することも必要なのだがもう一つ何かみんなで誰でも参加できるような仕組みを作らないと維持できないようにも思う。歴史の保存ということで、価値があるのは野馬追ではある。でもそれだけで維持できるのだろうか?

 

だから380騎となると何か迫力に欠けていた。そして神旗争奪戦でも出る人は?少なくなっている。なぜなら競馬とか神旗域争奪戦になると相当に馬に乗る訓練をしていないとできないからである。そのためにそういう準備をする人できる人は少なくなる。馬を乗りこなすということは容易でないからである。だから馬に乗り馬を乗りこなすようにしていないとできない。ただ行列ぐらいは参加できる。でも神旗争奪戦とか競馬になると相当に馬を乗りこなすことができないと参加できないそれをできる人は年々減っていくだろう。

 

●野馬追には費用がかかるー馬を飼っているため


馬を一年野馬追のために飼っておくことは相当な手間であり、金もかかる。30万から50万かかるというとこれは結構な負担になる。車一台を持つぐらいの金かも知れぬ。ただ、こうして馬を飼って日常的に馬に乗っていてこそ競馬とか神旗争奪戦には出ることができる。競馬となるとさらに熟練が必要になる

だからの馬を歴史の保存として祭りを伝えていく必要である。でもそれだけでは今や保存もできなくなるかもしれない。

一つは野馬追は馬が主役になる。今馬というのは競馬場でしか見ることもできない。馬のことがわからなくなったのである。だから野馬追というのはもう一つ馬に親しむということがある。また馬は好きな人がいる。ただ、それは。競馬を好きな人が馬を好きなので競馬に親しんでいるとやはり馬を見ているから馬はどういう馬か知っている競争に勝てる馬をみているからである。馬に詳しいのである。でも日頃はほかでは馬というものは見ないし馬に親しむこともないのである。

 

馬はもともと農耕馬としてあり曲屋で一つ屋根の下に飼って家族のようにしていたということもある。それで娘が馬と結婚したとかそういうことにもなる。子供でも馬を飼っていると犬や猫のように。ットのように親しむからである。それは確かに精神的にいい作用はある。今はみんな機械時代であり機械と親しでも生き物と親しむということが少なくなった。生き物と親しむということはやはり情感を育てるのである。だから精神的に子供に影響して情感豊かな人に育つということもありうる。

 

●神社は戦の神にもなる

 

ともかく何か380騎だと迫力に欠けていた。神旗争奪戦はもっと少なくなって迫力に欠けていた。ただ相馬野馬追の太鼓を聞いて盛り上がった。太鼓は外に響く力強いものを感じる。日本は太鼓はもとからあった。何か進軍するとき太鼓をたたいていた鼓舞した。神社は戦勝を祈願するものでもあった。

 

だから武田信玄の映画で巫女や神主の神主などが先頭に立って。戦う。神社はまだ戦いの神でもあったのである。だからこそ太平洋戦争では必ず村の小さな社でも戦の勝利を願うものでもあった。ある。寺は?ない寺にはないでも寺町とかあるとそれは防御のためにあったらしい。つまり戦国時代ともなればやはり寺でも。地域と一体となり守らねばならないから、そうなった。

 

ともかく。相馬野馬追とは300年続いて維持されてきた。相馬藩では殿様は変わっていない。国代えがない、それで相馬藩政記というのが殿様も変わらず300年継続しているのでそほかの人が学者でも参考にしているのである。記録としてやはり優れているからそうなった。

 

●小高の御家の旗は北郷から今年は出なかった


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今日もとにかく暑かった。でも何とか報告するために行った。これが金にならないが仕事になったからである。夏の雲が雲の峰となって高くなっていった。また別な方向に雲の峰は高くなった。野馬追の時はこういう風景が似合っている。広々とした雲雀が原に小高郷、中の郷(原町)、北郷(鹿島区)、宇多郷(相馬市)が主に結集する。それに加えて浪江参加する。ただ大熊や双葉まで相馬藩なのだが主流はそこになる。


それで前は鹿島の北郷から御家の旗印が出ていた。それは今年は小高から出たのだろう。旗取りには出ていた。でもその小高の人が震災後鹿島区に移住して御家の旗でで出ていたのである。でも今回は出ていな。おそらく小高え出たのだろう。歴史の保存というとき本来そこに住んでいた侍が別なところに移住して住むと歴史が別なものになってしまう。

 

だから歴史の野馬追が歴史の保存というとき人の移り変わりが移住などが多いと成立しなくなる。先祖代々のものとして伝えられる。でも相馬藩では天明の飢饉などの時に三分の一も人口が減った。その穴埋めをしたのが越中からの移民なのである。その人たちは別に侍でもない。でも1/3も移住したということは影響が大きいものだった。

 

越中から移民した人たちはわかりやすい、墓地を見れば必ず墓に戒名はなく南無阿弥陀と記されているからである。

でもその人たちは野馬追には出ない、鹿島区から只野氏が菊の紋でで出るのはもともと南朝の侍でありそれで相馬氏に組み入れられた。南北朝の戦いで霊山が炎上して落ち延びた。人たちであり元々武士だったからである。

 

いずれにしろ380騎では規模的に迫力にかけて野馬追も維持できるのかとなる。でも歴史の保存にこだわれば何か変えたり付け加えたりできない。するとどうしても維持できなくなるかもしれない。だから何か工夫としては震災大津波で空き地化したところが多い。そこはもう田畑にはならない。するとそこを何に利用するのかとなる野馬追があるからその広い土地を牧場などに利用すれば適しているとはなる。ただ、牧場にするにしても競馬馬飼うということになるかもしれない。

競馬場で働くようになった野馬追に出ていた家の人がいたからである。

 

●野馬追太鼓が盛り上げた


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今年は野馬追の太鼓がよかった。戦いを鼓舞する太鼓だったのだろう。それが響きわたった時気持ち良いものだった。太鼓の音はまた太鼓を叩く人は何か近づ力強いものを感じたからである。そういうことで何か祭りに新しく付け加えるものが必要なのである。でもそれが歴史の保存にこだわると必ず拒否されているのである。もちろん歴史の保存は必要なのだがそれに付け加えるものがないと維持できなくなるかもしれない。それが380機しか出ないということで今回感じたのである。

 

なにか野馬追には付け加えるものが必要である。相馬流れ山の歌は軍歌である。でも太鼓でも踊りでも何か付け加えないと盛り上がらず維持できなくなる。歴史の保存にばかりこだわるとそうなる

それで遠くからきた人も野馬追は一回見て終わりだなる

 

とにかく暑かったがどうしても取材しなければならないので行った。何かプログでも記者のようになる。だから苦しくても取材に行かないとならなくなった。別に金もらっているわけでも強制されているわけでもない。ボランティアの記者になっているから無理して行ったのである。熱いのは暑かったがそれほどバテなかったので取材できた。 ただ」写真はもうまくとれてはいなかったのは残念だった。



posted by 天華 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2023年07月29日

北郷(鹿島区)での野馬追祭りの儀式 (野馬追は侍の子孫しか出れない歴史の保存の祭り)


北郷(鹿島区)での野馬追祭りの儀式


(野馬追は侍の子孫しか出れない歴史の保存の祭り)


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総大将も只野氏である

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蝉鳴いて年に一度の御行列



一際に杉の旗印只野氏や南朝の末北郷の要


一同に会して相馬の殿迎ゆ法螺貝響き勇みけるかな


北郷に集う侍面々に神酒(みき)を賜り出陣かな


法螺貝の鳴り響くかな炎天に浜風にそ旗のなびきぬ


北郷に古式ゆかしく宇多郷と出陣するや儀式変わらず


街中に馬いななきてその声の馬なおを生くと響きけるかな



北郷に(鹿島区)に宇多郷の侍を迎える儀式が行われた。この儀式は変わらないのである。だから野馬追を見に来た人で歴史に興味がありこの儀式は変わらないから見たい来た人がいたのである。やはりそこまで興味を持つ人は歴史に興味を持っているのだろう。時代劇ではこうした儀式は作られる、脚色されて本当の歴史ではないのである。


野馬追の特徴はこうして歴史の保存だから勝手に変えられないのである。だから野馬追に出る家はもともと侍の家であり。甲冑とか旗が旗が伝えられてきた古い家なのでそのほかの人はそういうものは伝わっていないから出れないのであ。そのことで歴史を伝えるということで価値がある。


でも逆に参加できるのはもともと侍の家でありそのほかの人たちは参加できない。ただ見るだけなのである。だから野馬追は全員で盛り上がるということができない。そこに問題があるのだがそういう祭りだということである。別に青森のねぶた祭りなど旅行者でも簡単にハネトになれる。誰でも祭りに気軽に参加できるのである。 


北郷の鹿島区の歴史は南北朝の戦いで霊山から落ち延びた人たちの子孫のが鹿島区を形成している。その旗印は杉の旗印であるから分かりやすい。それもそれもいくつか行列に出ていたからである。 

その基は郡山市の多田野村から発していたのである。 ただ、どうして多田野村なのか?そこから先がわかりにくい。 そもそも野馬追は旗祭りというとき旗の種類が3000あるとか多様なのである。その謂れがわからないのである。いろいろ調べてみても探りようがないのである。

ただ杉の旗印はわかりやすい。


その他はいろいろあって、どういう謂れなのかわからないので。でも確かに一つ一つの旗にそれぞれの謂れがあったのだがそれがわからなくなった。またの由来は鎌倉時代までも遡る。西の方からその旗の由来があるからさらに分からな年に一回しかチャンスがない。旗の種類にしても多いからいい写真が撮れないということもある。でも何か野馬追というのは写真を撮るのにいいのである。だから写真を撮る目的だけで見に来る人がいるのである。ある人は80万のレンズを使っていたのである。カメラと言うのはレンズの方がそういう風に高くなる場合がある。野馬追は被写体としていいのではある。?


でもその機会は年に一度しかないシャッターチャンスは無い。カメラに凝ると性能もあるがいかにシャッターチャンスをとらえるかである。特に動くもの鳥などでもそうである。シロチドリを撮れたやはりここに住んでいて撮りやすいからである。遠くに行き何か珍しいものを撮ろうとするとなかなか出来ない。 また、動画を取るにしても結構疲れ写真を撮るにしろ、動画を撮るにしろ結構な労働になるので。今日は特に熱かったからぐったりとしたのである。とても明日の雲雀が原での神旗争奪戦には行けない。異常なな暑さだからである。こうなると熱中症で倒れる人がいるかもしれない。鎧兜をかぶって重いのだから余計にそうになる。



posted by 天華 at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2023年07月28日

田んぼの畦道でシロチドリを発見! 何故絶滅危惧種が多くなったのか―夜に雷鳴がひびき稲妻が見えた


田んぼの畦道でシロチドリを発見!

何故絶滅危惧種が多くなったのか―夜に雷鳴がひびき稲妻が見えた

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クチバシは短く、大きな目で餌を探していて、干潟にしばらく留まっては、さっと走り出して餌をつまんで捕らえます。

目のまりが黄色なのも特徴か、南相馬市で発見

真昼にそ海風涼しシロチドリ

真夏の夜稲妻強烈月光る


シロチドリに間違えない、目の回りが黄色の写真もあった
これも絶滅危惧種ともなっている。赤モズもそうだった
田んぼの石ころの乾いた道に発見した
ここは津波以後田の拡大化の工事をしていて石を敷いた
海岸は津波以後砂浜が減少してわずかになった。前からも砂浜は減少していた。
この鳥は砂浜の小石を何個か集めて巣をつくるとある。ということはここが田んぼの中の道でも何かこの鳥が好む場だとはなる


ツバメが1年に2回繁殖し、雛を巣立たせるのを見たことはありませんか? このように、1回目の繁殖を順調に終えた親鳥が、2回目や3回目の繁殖を試みることが、小型の陸鳥を中心に多くの種で知られています。スズメは1年に3回繁殖することがありますが、仮に1回あたり6羽の雛を巣立たせるとすると、一夏で18羽も子孫を残せることになります。

一方、海鳥の繁殖は1年に1回限りです。オオミズナギドリやウトウは、どんなにうまくいっても、1年に1羽ずつしか子孫を残せません。海鳥は、親鳥が卵を産んでから雛が巣立つまでに長い時間を要するのです。
しまぐに日本の海鳥(7)海鳥に絶滅危惧種が多いわけ−海鳥の独特な繁殖生態−

この辺の海は津波以後松原もなくなり防波堤になり風力発電の風車になり木陰がなく休む場所がなくなった。海が近いから風は涼し、でも今年の暑さはきつい、体がぐったりと疲れる。だから外に出にくい、熱中症にもなる、何か異常な暑さである。

夜に急に雷鳴が鳴った、そして稲妻が光った。雨が降ると思ったら降らない、雲ににじんで月が光っている。これも暑いので見慣れない風景にもなる
やはり異常気象なのだろう、赤モズも見つけたがこれも絶滅危惧種とかになっている。やはり生態系に異常がきたしているからだろう。
田舎だとこうして野鳥などを観察するのにいい、今日はうまく写真が撮れた。

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2023年07月27日

相馬市立谷家の歴史 (廻船問屋問屋で財を成したー原釜ー八沢浦ー小高ー請戸も商売のの湊


相馬市立谷家の歴史


(廻船問屋問屋で財を成したー原釜ー八沢浦ー小高ー請戸も商売のの湊

)


江戸時代、立谷家のご先祖様は、廻船問屋を営んでいました。

立谷するが分業して、「材木」「米」「雑貨」「海産物」および

その他の物資を江戸時代初期から、立谷一族が結束して商いをしていました。

天明・天保の大飢饉・明治10年の宇多川大洪水で、立谷家の商いは

大きい打撃を受けてしまいました。

立谷家一族中には商いを廃業する家も出て、結束の固い立谷一族が、

残念ながら、バラバラになってしまいました。


原釜は東廻航路の湊と名を高めていた。

 立屋の資産は五十万両とも六十万両ともいわれ現代(平成)に積算しました金額にして、三十〜三十五百億位ともいわれております。江戸時代前、中期の金銭価値、物価高にすると?世人之人は立谷長者と言って

西の紀国屋文エ門・・材木商(江戸時代中期の享保六年(1721年の江戸の大火で材木を買占めて江戸に材木を高値で販売して一代にして大富豪に豪遊の末に財産を失ってしまい没落してしまいました。)     

東の立谷 立屋・・・材木商、廻船物問屋

https://blog.goo.ne.jp/akatsukida/e/4a34e7eb1383aac75754bcf22fbaef6d


天明・天保の大飢饉・明治10年の宇多川大洪水で、立谷家の商いは

大きい打撃を受けてしまいました。

立谷家一族中には商いを廃業する家も出て、結束の固い立谷一族が、

残念ながら、バラバラになってしまいました。




このブログは?何かよくわからない。でも相馬市に住んでる人なのだろう。 立谷の姓の人らしい。立谷一族の一員なのだろう。今の相馬市長は立谷である。立谷の歴史がここに書いてある。でも何かその裏を追求していてこの人は恨みを持っているようだ。


ともかくここで注目したのがこの立谷家が没落したのは飢饉があったためでありまた明治十年の宇多川大洪水があったためであった。それを生々しく感じたのは天明の飢饉で相馬藩は1/3に人口が減ったからである

その穴埋めをしたのが越中からなどの移民だったのである。

それから、明治十年に宇多川大洪水があったということは宇多川の岸にそれを記した石碑があったようだ。また土手もも作ったようである。それは大洪水があったためにその土手を作ったのである。二年前とかでも

宇多川は決壊して街中が洪水になった、その記憶も生々しい


鹿島区でも自分の家でも二回床上浸水なっている。街で一番低い場所にあるからだ。他でも梁川でも水害の被害があったし丸森でもあった

だから日本は災害の国なのである。去年の大地震では相馬市と鹿島区は大被害だった。そのために家を再建することをあきらめ家を壊したい家もいくつかみかけた。


歴史を見るとき、やはり栄えた家がありその没落もありそれが歴史となっている。国自体も栄えてまた衰退して終わる。それが歴史の繰り返しである。ただ、確かにそうして一つの家から歴史を探るということはより具体的であり、身近だから歴史に興味をもつのである。



聖書でも家の物語だったからである。神に選ばれたものの人の家の物語だったのである。そして人間っていうのは自分の生まれた家に一番関心を持っているのである。特に長男は家を継ぐから家に一番興味をもつのである。


ここで興味を持ったのは家が栄えるというとき一見農家が栄えるように見えるが海に面していて意外と海を通じて商売をして栄えたのである。ただ、太平洋というのは荒いからなかなか船で航行することが難しかった。でも相馬市でも原釜が港となり商売が商売のために船で品物を運んでいたのである。その品物は主に米と材木だった。 

紀国屋文エ門みかんを運んで財を成したのではなく、材木商として財を成したのである。


だから浪江の請戸の湊からは岩手県の宮古から鉄の素材を運びそれを葛尾村(かつろう)村でで製鉄して葛尾(かつろう)

労大臣が生まれた。その財を成したのは製鉄であり米ではない。また小高には港があり蔵院があった。そこで船で運ぶものを貯蔵したり運ばれたものを貯蔵していたのである。また北海道の松前まで米を運んだりして肥料としてのニシンを船で買いつけに行っていたのである。そのとき北海道ではニシンが大量に取れたからである。それを食べるというわけでなく肥料にしたのである。肥料をなくして農業はありえないのである

それで相馬藩からは米を運んだとなる。なぜなら北海道では米はとれていなかったからである。アイヌは狩猟採集民族であり漁猟民族ったからである。


ともかく意外と忘れているのが忘れられたのは海を通じて八沢浦でもそういう記録がある。かなりの品物は船で運ばれていたのである。だから小高の塚原というところに何か商売で仕事をしていた人がいたという。その人は商人だったというのもわかる。おそらく米を売買していたみたいである。だから遠くへ米を運び仕事にする人がいたのである塚原はそういう場所だからである。津波で小高駅前まで水が押し寄せていたからである。するとそこを入江であり湾のようになった。湊には適地だたのである。


ただ、津波でそうした塚原とか小高の海の方は壊滅的打撃を受けた。その人は原町市に移り住んだのである。もう一人あった女性は越中から来た移民の人だった移民の家だった。それは海岸沿いに住んでやはり家が流された。そのために相馬藩ではう1/3が越中などから来た人たちである。相馬藩の歴史では天明の飢饉で欠け地が増えてそこに移民が入植したのである。その苦労は並大抵のものでなかった。


やはりここでも宇多川の洪水とか自然災害が契機となって立谷家は衰退してしまったのである。全部ではないにしろやはり災害というのはその家でも衰退させてしまう。津波原発事故ではこの辺では街自体が衰退してしまったからである。またこうした盛衰は交通と深く関係している。北前船が盛んなときはその寄港地となったところは繁栄した。でも来た前船が終わり運送が鉄道になった時その繁盛終わって寂れてしまったので。こういうことはどこでも起きている。交通と商売は深い関係があるからである。 


とにかく交通というのはどれだけ大きな役割を果たすか知るべきである。世界史を見てもそうである。大航海時代があったがそれによってヨーロッパに莫大な富が持たされもたらされたのである。それは海が交通路となって船で物が運ばれたからである。 米というのは江戸時代でも商品となっていたのである。そのために仙台藩では石巻から米が江戸に運ばれた。そのために仙台藩ではその米を売るために米を作る。土地を開拓しその米を江戸に売ったのである。それで飢饉の時米がとれなくなった時飢饉の原因になったのである。なぜなら米が取れなかったら他の畑でとれるものが少ないからどうしても食料を供給できなくなったからである。


米というのは商品であったのである。それは世界的グローバル化経済になるとコーヒーばかり作って商品にしているとコーヒーの値段が安くなると。そのコーヒーを作っている人は苦しくなる。そして生活も成り立たなくなる。でもその時その土地の周りをみんなコーヒーにしてしまえば食料がその土地でまかない無いから飢饉にもなるのである。そこにグローバル化経済の問題がそれは既に江戸時代でも起きていたのである。


文久元年ある城下町の一年(鈴木清著)を読む (船でニシンを買いに行っていた相馬藩の商人) http://musubu2.sblo.jp/article/189786921.html



posted by 天華 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2023年07月26日

芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など (空家の庭の不思議)


芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など


(空家の庭の不思議)



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これは赤モズだった


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空家の庭




大石に鬼百合芙蓉映える庭


家数軒大石一つ芙蓉かな


夏菊のカンナに映える六号線


隠れ見ゆ木陰に涼し小鳥かな


空家にそ老鶯鳴くや残る庭


立話海風涼し夕べかな





芙蓉と大石


どっしりと大石は黙し動かない

その前に広々とした野が開けている

すずしい風か海から吹いて来る

一本の木陰があり

ゆったりと芙蓉が咲いている

こういう風景の中で人は安らぐ

そこに人影も見えず

一本の木は静かに深く根ずき

その木は静かに大地に根ずく

白鷺は夏の日にまぶしく映えている

今日も楚々としてその細い脚で餌を漁り

この地を乱すことはない

こうしてのどかな田舎に平和がある

車もたまにしか通らない

夏の雲が白く湧きあがり

鬼百合も熱く咲く

真夏の灼熱の太陽が燃えつようやく沈む






Fuyo and one big stone


The big stone is silent and stillnes

A spacious field opens up in front of it.

A cool breeze is blowing from the sea.

There is the shade of a tree

and a big hibiscus rose is blooming.

In this kind of scenery, people feel at ease.

No manl to be seen there

one tree is quiet and deeply rooted.

Here, one tree and one big stone have taken

your own place and are at ease

The egrets are dazzling in the summer sun

Today, still neatly scavenging for food with its slender legs

And never disturb this land

There is peace in this tranquil countryside

Cars pass by only once in a while

Summer clouds rise  up white

The  wild tiger lilies bloom  with strong passion

The scorching sun of midsummer burns and finally sets




Translated with DeepL


今日も暑かった、鬼百合がが咲く時、真夏になってくる。花も季節を告げるのである。ただ、なぜ芙蓉がが初秋になっているのか?

何かそこには理由がある。 この季語は日本独特のものであり長い年月の間で作られてきた日本の文化なのである。だから季語に通じなければ俳句は作れない。すると四季が明確でない外国ではなかなか俳句というのは作れないし、理解できないのである。


鬼百合はは英語ではtiger lilieになっている。日本語の方がふさわしい。英語の機械翻訳は本当に優れている。う英語の先生はいらなくなるとまでなる。それでも多少直したのである。だからまだまだ機械翻訳だけで人間のようにはは作れないともなる。でも9割ぐらいは機械翻訳で充分なのである。韻を踏むとんればとても機械翻訳では無理になる。


ともかく近くを自転車で回る。そして何気ないところに詩的なものを発見する。 その田舎の風景があって心やすらぐのである。ただ正直、今の時代スーパーとかない所に住むのはたいへんである。買い物すらまともにできない。一人暮らしでみんな買って暮らしているからとてもスーパーのないところになど住めない。 だから田舎といっても最低で、スーパーがないところにはもはや住めない。ここは隣の市まで8キロぐらいで行ける。5万の都市があるからそれなりの用は足せる。自転車でも行けるからいいただ、暑くなったら熱中症になるから行けない夕方涼しくなるから原町まで行った。 


ともかく近くの空き家の庭はは不思議である。その庭の石造りが良くできているのである。でもその家は住みたくない。民家でも古民家でもないし何か貧弱なのである。その庭は立派だから利用できればいいと思うがまだ近くに住んでいる人が持ち主であり勝手にはできないのである。でも今の問題はこの空き家空き家が多くなりすぎたことなのである。その利用をどうするかということが課題になっている。あの庭に気づいたのはその家が空き家となったからである。空き家となるとかってに入ることが出来るからである。

そこに老鶯が鳴いて響ているのも不思議となる、この老鶯と夏鶯は同じでも相当に違った感じになる。



ともかくくまなく田舎を自転車で回っている。でも未だに発見されていない道があり場所がある。それは意外と近くの場合がある。

だから人間っていうのは本当に灯台下暗しなのである。遠くへ遠くへと出て行くのだが、近くでもいい場所があり見逃している。単純な毎日見ている風景でもそれを感じれば深く感じれば得難い物なので。

なぜなら、都会にはそういう風景が無いからである。都会で心が和むということは難しい。その田舎でも。風景画いいとしてもそこに住む人が良いとはならない。


私の場合はそこに人がいないという時、いいのである。だから神はその暮らしを隠したというときまさにそうなのである。大都会のようにビルがむき出しになる人が混雑してぎゅうぎゅうづめの電車で通うことなど地獄にもなってしまう。だから、なぜそんなところに人間が住めるのかという疑問がある。若い時はいいとして年取ってからはとてもそういうところに住めなくなる。


精神というものは、場に影響しあいます。その人の精神が場に顕現するともいっていいものです。その人物がその場をどのように清め調えているのか、あるいは荒廃したものをまたどのように甦生し以前よりも善いものへと磨き上げていくのか。これは伝承や文化の話でもあり、生き物たちはそうやって常に自然といのちと向き合いながら豊かに仕合せに生きているともいえます。

7月 | 2023 | かんながらの道 (caguya.com)


このプログに共感する、そもそも神道などなにかわからなくなっている。宗教もカルト化すると政治と経済が中心であり御利益しか求めない、それが怖いのは権力を得ることが目的化していることである

ここにはそいうことは全くない清浄な自然と合一する。そこでは全く権力とか御利益を求めていない

だから山伏とか胡散臭いとかなるが山で身を清めるということで宗教の基本を実行していたのである

現代の宗教は都会化した創価でも団地の宗教となりやがて国家権力を得るためのものとなった

心の清浄など全く求めていない、ただ神道でも国家権力と一体化したときおかしくなった

だから政教一致は危険なのである。


2023年07月25日

氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも (人間は先を見ることができないから失敗する)

氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも

(人間は先を見ることができないから失敗する)

●団塊世代の学生時代

なぜ今になって氷河期世代が問題になるのか?その時就職難でありまともに就職できない人が多かった。高校生ですら16%ぐらいしか就職できなかった。大学生は就職できなくても高校生は大概これまで就職できていたからである。だからよほど就職難であり就職ができないということだったのである。何かその時フリーターとかはモテもてはやされ、自由な仕事の仕方として奨励されたようなことがあった。でも実際は正社員として就職できない人がしかなくてフリーターとかなったのである。そのフリーターとかを新しい仕事の仕方として見ていた人もいたのであ。 

ただ世代が違うとその世代のことが理解できなくなる。そこで戦争を経験した世代としない。戦後の世代とでは、大きな差がある。まず戦争と言うのは経験できないことであり。だから戦争を経験した人の話を聞いてもなかなかわかりにくい。その中には実際に人を殺した人もいる。だから、戦争で人を殺した経験をした人はどういうことかということを理解することが不可能になる。
だから戦前世代と戦後世代は大きなギャップがあるのである。

そして団塊世代というのは、戦争が終わって生まれた人たちである。その数は多かった。都会で一クラス70人ということもあったと聞いた。それも驚きである。私の田舎では50人くらいだったの、今クラスは30人くらいなので。でも同じ年代で8教室とかあった。どれだけ数が多かったということである。だから高校に入れないと騒いでいたのである。その時集団就職があり人手不足で東京の中小の工場に働いたのである。だから中卒で。親をもとを離れて働くということはきびしいことだった。

私は三流でも東京の私立大学に入った。だからそういう厳しさはなかった。第一文系の私立などは遊びの場だったのである。変なのはゼミの教授など一回ぐらいしか見たことがない。大学の先生とは何かを教えるということがないのである。講義でも自由に休むのである。もうそれがどういうことなのか分からなかった。高校とはあまりにも違っていたのである。大学の先生というのは別にを生徒に教えることが仕事ではない。自分の研究をすることが仕事なのである。だから勉強もせずにただ遊んでるだけの人がいたり学生運動がありそこで青春のエネルギーを発散させていたのである。

というのは文系などはそもそもはまともに先生がいても教えないのである。また授業に出るのも自由であり、でなくてもいいのである。そして一年に一回試験があるが。それも形式的なものであり別にそれで落第するなど無いのである。ただ千人が入るくらいの講堂に人を詰め込んで教授がマイクで講義している。そういうことに興味もない人が多いから。一日麻雀をしていたり。遊んだりあとは学生運動にエネルギーを費やしている。

だから大学というところは一体何なんだろうと不思議に思うのである。それは高校とあまりにも違っていたからである。そのギャップが大きく。一体そこはどういう場だったのかとなる。文系の場合は特に何か実験などもしないし、レポートを出すこともないし。ただ時間潰しの場所なのかとまで思った。それで変な方向に行ってしまう人がいたのも当然である。今それが今女子大学生でおきている。
だから手に職をもつこと職人でもなった方がいいとなる。職業訓練校にでも入った方がいいとなる。文系は何も身に着かないからである。これは中国でも起きている。大学生が多すぎて就職先がないそれが大問題になっているからである。

●エリートではなくなっていた大学

今貧困化しても大学に行く。奨学金をもらっても大学に行く。でも金が足りないからと風俗の方に行って稼いでいる。そしてい一体その女子女子学生は風俗が仕事なの勉学なのかわからなくなる。そういうことはすでに団塊の世代でも起きていたのである。現実にバーテンとかして働いてアルバイトしていた学生もいたのであ。すると一体何が本業なのか?学生なのか、それともそうした飲み屋とかで働くことが本業なのかとなってしまう。毎日ギャンブルやパチンコしていた人もいる。だから、一体大学とは何の何なんだろうとなる。それは特に文系の場合はそうなることが多かったのである。

その頃から大学生等も別にエリートでもなんでもない。新宿で石を投げると学生に当たると言われていたほど多くなっていたのである。戦前の大学生とは雲泥の差がある。その人たちは将来を約束された人たちであり特別視されていた。 だから周りでも何か自由にしていても許容していたのである。それは将来日本を担う人たちだったからである。それで寮歌があり選ばれた人として見られていたのである。その人たちはエリートであり将来を約束された上に立つ人だったのである。でも戦後の大学生はそういうものでわなかったなくなった。ただ、田舎では一クラス50人居ても5人くらいしか大学にも行ってないのである。後の1/3は集団就職とかにもなっていた。高卒が三1/3くらいだったともなる。高校すらまともにいかない時代だったのである。

●氷河期世代の問題の顕在化

とにかくこうして世代ごとにその時代があり、状況は違っている。それが歳をとって振り返るとそれが何だったのかとなる。明らかになる。だから氷河期世代というのもその時何があったのかわからなくなる。でもこの氷河期世代は大きな問題と今なっている。それは無視された見逃された世代だったのである。まともに正社員になれない。就職できないそのことが今になって大きな問題となったのである。

なぜなら少子高齢化というときこの氷河期世代が結婚しないということで子どもを産まない育てないということで今深刻な問題となっているからである。団塊の世代ではほとんど結婚している。結婚してない人は例外的存在である。氷河期世代というと40から50の初めまでの人口ボリュームは多いのである。特に団塊の世代の子どもになる。氷河期世代は数がやはり多い。でも結婚していない人が多い。それが田舎でも目に付くのである。

例えばコンビニで二人人働いているその人は40代くらいである。それも結構長く働いているのである。おそらくコンビニくらいしか就職先がないからそこで長く働いている。でもコンビニで働いて結婚するとなるとなかなか難しいだろう。収入もそれほどないからである。そしてそういう場所で働いて何か身につくのだろうか?そしてその人たちを見ているともう結婚もしないし将来も独身であり仕事としたら覚えるのはコンビの仕事だったとなる。
そこでその人独得のスキルが身に着くのだろうかとなる。

そして収入も少ないから年金などどれだけもらえるのがどれだけもらえるのかわからない。他にも結婚してない40代から50の初めとかの人が結構いるなと最近気づいたのである。私自身交際範囲が狭いから昼間買い物の後に行くと目に付くのはニートとかあとはこうして40代50初めでコンビニとか働いてる人なのである。

でも田舎でも現代を反映している。氷河期世代の人口が多くその人たちが結婚しないで子供を産まないから少子高齢化は深刻になったのである。でもその時将来のことを見えなかった考えなかったそれはその人達の責任ではなく上に立つ人たちの責任でもあった。政治の責任でもあった。人間の弱点は一年先でも見えないのである。日々今に追われるだけなのである。

●人間は先がみることができないので失敗する

来年のことを言えば鬼が笑うということになる。先がわからないのが人間なのである。なぜなら津波でもそうだし原発事故でもそうである。そんな大きな事故が災害のくるなど予想もしなかった。だからたとえそういう大災害がないとしても氷河期世代というのは将来どうなるのか?それをある程度見れたから対策するべきだったのだがしなかった。それが今になっても取り返しつかないものとなってしまったのである。もう正規社員にはなれない。

そしてその後日本経済も衰退して立ち直れなくなっているのである。ただ、氷河期世代の上の50代から60代の人はバブル世代であり景気が良かったのである。ただ、氷河期世代だけが割を食ったということになる。それは戦争で死んだ人たちと同じである。その人たちは不運だったのである。この日本の将来が暗いと言う時でもこうして団塊の世代とか数が多くその人たちが75すぎると病気になったり介護になったりする。その子供たちが氷河期世代なのである。だから親を介護するにしても金かねにしてもない。それで負担がかかってくるからどうなるのかとなる。

現実にそういう人を知っている。その人も50歳くらいでで独身であり働いているのは工事現場である。でも母親が脳梗塞になったのである。母親はまだ73歳くらいなのである。そして2025年問題になる。団塊の世代の子供が親の介護に入る世代なのである。その負担を追いきれないとな。そこで悲惨な悲劇が起きてくる負担し切れないからである。

またどうしても病気になるから医療費がば増大する。その負担も大きすぎてもう金も出せないのである。
国で金をも出せないのでそのためにまた増税となり若い世代が苦しむのである。 何かもう家族でも社会自体が破綻して行く。そんなことを私は2人の親がいて介護して苦しんだからわかる。私の場合は金に余裕あったが。氷河期世代には金はない貯金すらない。そしたらどうして介護できるのか?氷河期世代の親の人は脳梗塞になった。その後遺症もあり何とか直そうとしているが。金も無いのである。つまり医療費が増大する。そのために。国は潰れるとまでなるかもしれない。それだけ医療にも金がかかるからである。 

ともかく世代の問題として氷河期世代と。団塊の世代が数が多いから社会を圧迫して大問題となっているのである。
だから日本はこの世代と団塊の世代が消えるまでは苦しむ。そこに悲惨なことが悲劇が起きてくる。それはもしかしたら戦争で死んでいくような世代と似ているかもしれない。もう介護に金を回すとか医療にお金を回すことさえできなくなる。数が多くまた医療も手厚くしていればもう限界になる。 東京では生活保護を金を出して出したくないとして、ほかの市町村に移ってもらう。そこで世話してもらうとかもなった。金を払いたくないからほかの市町村で面倒みてくれとなった。そして家族でも面倒見きれないから家族遺棄社会にもなる。

でも誰かが面倒見させられるということもある。捨てるわけにもいかないからである。いくら愛が大事だからといってそういう。老人とか病人とかあまりにも多くなると社会自体が維持できなくなる。 つまり、老人と病人によって。社会が圧迫されて社会自体が破産してしまうのではないかとも思う。でもやはり人間というのは命が一番大事でありみんな死にたくはないのである。老人もだから簡単に死ねない。そしてやはり手厚い治療もするから今は簡単には死ねないのである

するとまたそこに金がかかり、手間がかかり介護する人の負担となり恐ろしいのは共倒れになってしまうということである。私も自ら病気になり2人の親を必死に介護した。それは60代過ぎてからである。私は特別に親にはよくされて自由に生きたから親には感謝している。でも。今度は団塊の世代でも介護される側になるともうそれは出来ないかもしれない。氷河期氷河期世代とかは金もないしただ不運な世代であり割を食った世代であり親にも感謝しないだろう。だから家族遺棄社会になる。 

●先が見えずITでも遅れ失敗

いずれにしろ人間の問題は一年先すらわからない見えない。だから十年先になるとさらに見えなくなる。でも氷河期世代は何らか対策しなかったのは大問題だったのである。だからなぜ今になって少子高齢化を騒いでるかということである。その原因は氷河期世代が結婚してみんな子供を産めばそうはならなかったのである。だけど氷河期世代は政府からも社会からも放置されたのである。今になって問題にしてももう遅かったということになる。

こうして人間は先が見えないことで手を打たない。そしてその現実は目に見えて来た時やっと反省している。それで氷河期世代とは何であったのかとなるのである。でも既に時遅しになっている。それは例えばITでも日本は遅れた。それも先が見えなかったからである。私はワープロで通信をしていた。それがまさかこんなに通信が世界的になるとは思いもよらなかった。その時も先が見えなかったのである。先を見て手を打てばこうはならなかったのである。

日本人はそれだけの技術がないというわけではなかったのである。ただITというのは通信がこのように。グローバル化してその中心となる技術になることが見えなかったのである。
車などは製造業は見えるでもこのITは何か見えにくかったのである。今までの製造業と違っていたからである。だから人間というのはとにかく未来を見る先を見ることが重要になる。株でも先が見えれば大儲けになる訳である。でもその先を見るということは一番難しいのである。一年先すら何を起きるかわからない。だから来年のことを言えば鬼が笑うとなる。それだけ何が起きるかわからないからそうなる。氷河期世代も当時はどういう影響を将来もたらすのかを見なかったから今日がある。でも今になるともう遅い。それで氷河期世代が60才とかなるとさらなる地獄がまっているとなる。。
posted by 天華 at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年07月23日

今の社会は年齢ではなく価値を評価される時代になっている


今の社会は年齢ではなく価値を評価される時代になっている



●年をとっても価値を認められない


これは言えるだろう。第一もう歳を取っているからといって老人になったからといってその人が価値ある人にはなれない。これだけ老人がいればただ年が上と言うだけで誰も尊敬などしない。価値も認めないのである。
老人が老人というだけであるというだけで尊敬される時代は終わった。そういう時代は第一長生きする人が少ない。すると長生きする人は何か生き字引のようになり貴重になった。それは老人が長生きすることが極めて少ないということからそうなったのである。もうこれだけ老人が多いとなると。老人というだけで歳だけでその人の価値は何も認められない。

ただ、老人はいろいろ経験してきて積み重ねたものが必ずある。それが老人になると生きてくるのである。だから何か語るとき老人の語ることが価値あるものとな。若い人は経験してないから語ることがないのである。 だから若い人の話を聞いても、そこに価値を見出せない。

例えば。ユーチューブでおばあちゃんが料理の話をしている。それができたのは料理の経験を積んできたからできたのである。、近くで梅を漬ける人がうまい人がいるそれも経験であった。経験という時、特別なことでなすそうした日常のことでも料理のことでもやはり経験がないと教えることもできない。それが今ではユーチューブで教えてそれが人気となって収入さえあるとなる。経験は多様であり知識も多様だからである。だから今の時代、通信が発達してさまざまな情報が得られる。でもこうして情報が入らない時代は、その土地で長く生きた人が。その土地について知り抜いて教えることが必ずあったのである。

とにかく俺はお前より年が上だというだけで何か価値を認めてもらうことはない。そういう時代は終わったのである。 では何かその人の持っている価値とは何なのか?それがなければ老人で年取っているだけで何も認められないし尊敬もされない。 その人がどういう価値を作ってきたのか?それが問題になる、価値もいろいろ多様でありいろいろな分野がありそこで培ってきたものを教えることができる。農業でもそうだし大工などでも職人でもそうである。でもそこでスキルを磨き技を持たないものは尊敬されない価値が認められないのである。それで会社員になると退職するともしその価値が 会社にある時、組織にある時。その価値は消失する。そこで何か培うものがあれば。その個人の価値も認められでもそれがなければ退職すると用無しになってしまうのである。 

●会社や組織集団の価値は退職や集団の消滅でなくなる

つまり集団的価値というのはその集団を組織に従属するとき価値がある。でもそこから離れると個人となり集団組織としての価値がなくなる。企業に勤めていればその名前でその人が価値あるとまでなる。部長とか課長とかの位でも会社であは価値がある
その時、その人の個人が何をしてきたかは分からないのである。でも会社を退職するとき。その組織会社組織で培ったものがスキルが生きることもある。でもただその会社組織で地位があったからといってそれが今度は退職したら通用しなくなるのである。俺は会社で偉かったと言っても嫌がられるだけになる。

カルト教団などもその教団に組織に従属しているときはそこで価値がある。でもそういう団体組織もいずれは。消失してしまうのである。 極端な話がある国家があり民族がありその一員と言うだけで価値あるとはならない。これだけグローバル化すればただ日本人というだけで誰も価値などを認めないのである。だからあなたのプロフェッショナルは何ですかと問われた。その職業からその人をグローバル化するとみるのである。

例えば写真を追求している人は多い。でもこれもしてみると面倒なものだと思った。レンズの種類と数が多すぎるのである。それで何を買っていいかも分からない。そのレンズも。10万円以上とか高いので。80万ものレンズを使っていた人もいた。そんな高いのかと驚いた。でも写真を追求すると、そうしたレンズが必要になってくるので。そこで写真の技術も磨かれてプロoにもなりうる。それはかなり積み重ねが必要でありレンズを買ったり、いいカメラを買ったりと投資が必要になってくる。それが老人になってやはりそのスキルとか積み重ねたものが習得した技術は生きてくる。

そういうものは価値としてわかりやすい。それは芸術だとその作品からその人の価値をみたりするからである。また学者だったら論文を出したりしてその人を見て価値を判断する。そういうのは分かり易いのであ。でも人間の価値は多様であり。別にそうした特別な芸術でなくても、やはりいろいろな価値があり。それがやはり積み重ねていくと老人になって教えるものがあるとなる。とにかく人間というのは成長に時間がかかるのである。それは知識の習得でもそうだった。やっぱこれも外国を知るには。本を読んでいただけでわ分からないからである。すると実地に外国わ見聞してそれでを理解を深める。それでも外国となると理解するとき、相当に時間がかかるのである。

●その人なりの価値を作り出すのには長寿は有利

何かを会得するとか、深く理解するのは自然でもなんでも相当な時間がかかる。それで私は何か理解することが遅く60過ぎとか70過ぎになってやっと本に書いてあるものを理解しているのである。だから高齢化社会というのは、そういう点では有利である。たいして才能はなくても時間があれば積み重ねがあれば天才でなくても一芸に秀でることができるのである。そういう高齢化社会はそうして個人の価値を長い時間かけて作っていくということはできる。それは別に天才でなくても対して才能がなくてもやはり時間があると積み重ねがあると理解できるようになってくるのであ。 

だから高齢化社会は退職してからも30年とか生きるとなれば今までのような考え方では通用しない。個性をいかす見出すか表現できるかが大事になる。その人なりの価値を長い時間かけて作り出すということである。それは別に天才でなくても長い時間をかけるとできることがあるからだ。もちろん絵の才能わなければできないところがイメージクリエーターで全く絵の才能がない自分が絵を作ってるというのも不思議のである。それもやはり時代の進歩でできるようになったのである。 

これからは年をとっただけでわ何の価値も認められない。
これだけは確かである。その人なりの価値をつくっていく
それが大事になってくるそれでみんなが一様に学び行動する組織的な学校という場は時代にそぐわなくなっているかもしれない。そこでは創造性が育たないからである。学校という形式はおそらく明治になって大量の人間を組織的集団的に教育するために作られた。だから一律的であり軍隊的でありそこで何か創造性が身につくことはなかったのである。それもまた時代が変わり、価値観が変わり変革が求められているのである。

ともかく年が取ったからといって歳の差でその人を見る時代は終わった。その人がどんな経験をしてきて、どんな価値を創り出してきたかがその。人を図るものとなる。年齢を見ても分からないのである。ただ価値というのはあまりにも多様であり その価値を測ることが難しいのである。
最近。世界史に関する本を一冊買った。これも色々と難しい。でもその本の価値がどこにあるのかを知ることはかなりの洞察がないと識見がないとできない。芸術となると鑑賞すること自体が難しいのである。

でも本当の芸術作品となると芭蕉の俳句のようにそれは時間を超えて時代を超えて依然として生きている。価値が減っていかないのである。それは今ではそういう俳句でも作れなくなっているからである。時代の雰囲気から作られたものであり。今のような喧騒の時代はとても作れないのであ。だから芸術というのはその時代でしか作れないものはあり。そこに価値が。その価値は減ることがないのである。だから。芸術は長いが人生は短いとなる。なしとなるのである。他の物の価値は常に変わるからである。

人間というのは何かというと常に誰でも価値を求めている。その人なりの価値を評価されたいのである。俺は何何が出来る俺は何何が知っているとか人よりなにか優れていることを常に自慢したいマウントしてくるのである。それが人間の一番の特徴かもしれない。でもその価値は多様であり簡単には。その人が価値がないとは言えないのでは?だからこそ。平等に見るということがある。この老人は価値がないとして生きる価値がないとして捨てた方がいいとはならないのである。それはなぜかというと価値が多様化だからである。
社会的に価値がなくても家族の中では価値があり功績があった人もあるからである。それで病院だと家とか家族で作られた価値が見えない、ただのやっかいな老人の病人に過ぎないとなる。だから家で死にたいとなる。

●個々人の価値を作る時代に

とにかく個々人の価値を見るということは難しいのである。だからこそ病院だったら病気だったら誰であれ治療する他はないのである。もうこの人は何の価値もないから死んだ方が良いと言うと言えないのである。でもこんなに老人が多くなると。早く死んでくれとか集団自殺しろとかなってしまうのである。 その大きなな問題は老人でもプラスの面があるが病気になったり介護になったり、そして金がかかったりとマイナスの面が大きいからである。そして個人を見ても本当に価値ある老人価値を作り出した老人がいるのかとなるとそれはまれになるかもしれない。老人が少ない時代は少ないということでまれだということでそれだけで価値があったからである。現代の老人は老人というだけではだれも尊敬しないし、価値も認めない。あまりにも数が多すぎるからである。

 だからこれから生きる人はなにか老人になっても価値が見出される人にならないともう死んでくれとなってしまうのである。こういう時代になったことを意識して、若い時から勤める必要がある。でも若い時から老人は老人になるまでは。そこに継続したものがあり突然老人になるわけではない。若い時からしてきたことを経験してきたことを積み重ねてきたものが老人になって生きてくるのである。だから高齢化社会長生きすることはそうして個々人の価値を見出すということ、作り出すということでは有利な社会なのである。

サーバントリーダーシップとは、アメリカのロバート・グリーンリーフ博士が提唱したリーダーシップ哲学であり、
『リーダーはまず相手に奉仕してその後相手を導くものである』という考えに基づくものです。
サーバントは『使用人』や『召使い』という意味です

これは興味深いことである。 老人だから偉いとか価値あるとはならない、そういう人はただ威張るだけではない。何かを与えるものがありそれでかえって相手に与えることによって仕えることによってその価値を認めてもらう。でもそれで威張るということではない。でもそうするにしても何か与えるものがない限りできない。仕えることもできない。梅を作るにしてもその経験がないとできない。梅の漬け方もいろいろあるからである。

だから昔はお袋の味とかその家独自のものが何か伝えられたものがあり家風などがありそれぞれの家に価値があった。家にも個性があったとなる。つまり、家にもそれぞれの価値があったともなるのである。そう。でも今になると家というのは何か?みんな同じようになって、型にはまって核家族になってそして家自体に価値ある家というのは京都のような伝統を伝える職業。茶道とか花道とか何か習い事などの伝える家くらいになったのである。

もろもろの価値の根源は人間である。人間は己を維持するために。それらの価値を諸事物にに付与したのである。
人間が元で、それが諸事物に意義を人間的意義を創り与えたのだ。それゆえに彼自らを人間すなわち評価する者と呼ぶのである。(ツアストラーニーチェ)


2023年07月22日

合歓の花と待宵草


合歓の花と待宵草

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単線の線路に雨や月見草
雨しとと窓に紫陽花厨かな
夕蝉や今日も忙し買い物に

合歓の木のさゆれて川岸の道に朝涼し海よりの風
川岸に合歓の花咲き草深く待宵草も咲きにけるかな
我が庭にジャコウアゲハや朝静か大き羽根広げ休みぬ

真野川の土手どサイクリングロードは気持ちがいい合歓の花が咲いている。 そこにまた待宵草が咲く、今の時期は次々に花が咲く、合歓の花と。待宵草はあっている。ただ朝は咲かず宵にさくのはめずらしい、朝はこの辺は海から風が吹くので涼しい、今日は朝は晴れていたが午後から曇った、まだ梅雨は明けてはいない、でももはや明ける、ジャコウアゲハが今年も庭に飛んできて来て羽根を休める、その羽根は大きい

待宵草と月見草は違ったものだった。同じだと思っていた、どっちでも詩的なのである。常磐線はここは単線でありそれも原発事故があった原町からいわき市までは便数もすくないし乗る人も前から少なかった
この辺は仙台市の方が繋がりが深い、知っている人は東北福祉大学を出た。同級生で東北学院を出ている人もいる。東北福祉大学は山寺へ行く仙山線でも東北福祉大という駅がある。また仙台駅前にも東北福祉大にビルがあるから便利である、地方に大学が増えたのは地方の活性化のためでもあった。

蝉も結構鳴きだした、夕方に買い物に行くと蝉が鳴いている。とにかく家事を全部していると忙しいの、その合間にプログを書く
写真を撮ったりしている。写真を撮るということは、結構手間になると思った。ただ不思議なのはイメージクリエーターである。これで写真でも絵でもが作れるから本当に驚きである。
というのはインターネット上にいくらでも写真や絵があっても糧に使いないからである。素材でも許可がないと使いない、金もとられる。だから有料のイラストとか素材を商売にしている人は困るだろう。なにかもともとインターネットは無料から始まっている。だからなんでも有料になって歪められることもある

要するにインターネットでも金をとることだけに注目されるとやはり歪められる。現実にyoutubeでも低俗となり商売にもなったからである。何でも大衆化するとこうなてしまうのである。



2023年07月20日

金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論鑑賞(続編)ーイメージクリエーターの写真


金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論鑑賞(続編)ーイメージクリエーターの写真




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五月雨の降り残してや光堂

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イマージクリエーターでは金閣寺が出てくる、平泉の金色堂ではない、平泉の金色堂は鎌倉時代に作られていたのである。

金閣寺より古いのである。それができたのは奈良時代に涌谷の黄金山で金がすでにとれていた。他でも陸奥では金がとれていたからである。

ともかくこの絵を見ると不思議になる、椿が散ってはいないが金閣に向いて真っ赤に咲いている、そんな絵がつくられたことに驚くのである







松に寄り椿散り赤し金閣寺

苔に散る椿や赤く金閣寺

夏日射し金閣映えて京都かな

春光やみちのくの栄金色堂

風騒ぎ花も散りなん義経堂

平泉旅人去るや秋の蝉

秋深む弁慶松に金色堂

みちのくの枯野のかなた金色堂

雪の野に金色堂映え夢の跡




義満の贅を尽くして金閣寺民は苦しみ恨みも残る

金閣寺池に写りつまばゆしや千年の都に訪ふ人絶えじ

金閣寺池に写りつまばゆしもその後映る月の涼しも




平泉訪ねてあわれ春の日や虹の切れ端消えにけるかな

五月雨に朽ちず残れる金色堂みちのく遠く旅人去りぬ

金色堂心に写し帰るかなみちのくの空秋の夕映え

氷張る池に雪降り金色堂眩く映え雪踏み帰る

雪の野に幻ならじ金色堂みちのくにさらに雪は積もりぬ




1394

足利義満太政大臣となる

1397

足利義満が北山に金閣寺(鹿苑寺 - ろくおんじ)を建立

1401

明(中国)と国交の開始。明からの国書では足利義満が日本国王

1404

勘合貿易(かんごうぼうえき)の開始。

との貿易で倭寇対策に勘合(かんごう)を使用した。輸入品は銅銭(永楽通宝)・織物・書物など。輸出品は硫黄・銅・刀剣など。治安対策として倭寇の取締りを強化。


京都の金閣寺と平泉の金色堂の相違は何なのか?京都の金閣寺は足利義満が建てた別荘だという。とういうことを権勢を誇るものとして建てた。それで一階は公家式であり二階は武家であり三階は禅宗の御堂でありそこに義満は皇位継承を巡り分裂していた天皇家を統一した。南北朝の統一である。更には有力守護大名の勢力を抑止し不安定だった幕府権力を確たるものとした。

圧倒的な権力を手に入れた義満はさらなる高みを目指す。

長男・義持(よしもち)に将軍の座を渡し、次男・義嗣(よしつぐ)を天皇の子と同じ形式をもって宮中で元服させた。このことは義嗣が次期天皇になる事を示唆している。

義満は何を狙ったのか?

そう、将軍と天皇の上に立つことつまり日本に存在する権力の頂点に君臨しようとしたのである。そしてこの構図が金閣寺の建築様式に表現されているのだ。


このように金閣寺はとても仏教に帰依するとかではない。権勢を誇るものとして見せるものとして作られた。その時代は京都の中にも。応仁の乱とか争いがあり権力闘争がありその争いの後は寺に残ったりしている。柱に刀傷があったりする。京都はどうしても政治の中心でもあったからそこで権力争いの場となり明治維新でも薩長と幕府側と戦ったのである。その幕府側だった新撰組や会津を恨んで会津が悲惨な結果になったのである。




大風洪水万民憂  

歌舞管弦誰夜遊  

法有興衰劫増減  

任他明月下西楼  


暴風に 洪水に民衆は苦しんでいる

歌舞かぶ 管弦 誰か夜 遊ぶ  

こんな時に歌舞音曲 いったい誰が 今宵遊んでいるのか

仏法に盛衰があり 天変地異もそれに応じて増減する

明月が西の高楼に沈むなど どうでもいいことだ 


「大風洪水万民憂 歌舞管弦誰夜遊 法有興衰劫増減 任他明月下西楼」は、唐代の詩人白居易の詩「赋得古原草送别」の一節ですね。この詩は、白居易が長安を去る際に、友人の元凶となった罪を償うために、草原に向かって詠んだものです。この一節は、人生の無常さを表現しています。



ただ京都はそういう権力闘争の場であってもまた文化発祥の場でもある。だから中国の明からいろいろなものを取り入れたのである。この時期に日本文化と言われる猿楽・狂言・連歌などは都市・農村問わず愛好され、喫茶の風習も茶の湯として広がった

だから禅宗は文化もたらしたのである。金閣寺にもそれがとりいれられていたのである。 ただ金ぴか文化は常に権力者が作り出す秀吉の黄金の茶室でもそうである。ヨーロッパでもスペインなどは南米のインカとかから黄金を略奪して持ち帰り黄金の教会を作っているからである。信仰というより権力者の権勢を誇るものとして作られたとなる。 

一方で平泉の金色堂は民の平安とか戦乱の無き平和な社会を願い建てられ権勢を誇るものはあった。でも金閣寺と違って 仏教により平和もたらされることを願ったのである。

中尊寺の建立にあたり、「中尊寺建立供養願文」で争いのない平和な世の中にすることを誓いました。平和な世の中を目指した国造りをすること自体は、歴史の中でも極めて珍しいことです

命あるものたちの御霊は、今、あの世に消え去り、骨も朽ち、奥州の土塊となり果てたが、中尊寺のこの鐘を打ち鳴らすたびに、罪なく命を奪われた者たちの御霊を慰め、極楽浄土に導きたいと願う

それで漢詩にあるように民は苦しんでいた。 それでその頃から一揆が起きていたのである。楼閣など必要ないとその時代の権力者を批判する人なっていたのである。

金閣寺もまたそういう面があった。でもその美には魅せられる。現代で欠けているのは美なのである。東京にいた1000万人住んでいてもそこに美がないのである。だからこそ殺伐としているのである。 

なぜ金閣寺が魅力あるのか?それはお堂の中でなく寺の中でなく外に作られたからである。だから自然の風光の中で映える輝くのである。その美に魅せられるのである。だから私が訪ねたとき苔庭に真っ赤な椿が一輪散っていた。それが金閣寺にもあっていたのである。

だから不思議なのはイメージクリエーターなのである。椿は散っていないが鮮やかに金閣寺に映えている写真になっている。もう一つは五月雨の降り残してや光堂であるがそれは金閣寺をみちのくに移した感覚になる、あきらかにこれは金閣寺である。でも五月雨が降りそれが金色堂にもなる不思議がある。このAIの技術は驚くべきものがある。


ともかく、私は東北に住んでいるから平泉は近い?だから春夏秋冬と行っている。そこで違った趣がある。ただ、それは京都の金閣寺とは違う。金閣寺は豪華に潤沢に輝いている。ただ、そこには他人の平安を願うというより。権勢をを誇るものとして建てられたし義満の別荘でもあったからみちのくの平泉の金色堂とはまた違ったものである。

金色鐘声寺門開、 花香滿路春將來。 雲山四面皆明月、 水田十方是秋雷。

一休の漢詩でもあるが水田とあり秋雷は秋である。ともかく金閣寺の辺りは水田だったとなる

鎌倉時代だったらみちのくといえば奥の細道でさみしいがそれ以上に寂しい場所だったのである。平泉とは小さなみちのくの都であり京都は比べようがない。だからそれは枯野の中にあり。雪にも埋もれていたのであ。そして旅というとき目的地に真っ直ぐ行くより遠回りがいいのである。方向を定めない旅が発見の旅となる。

だから分か道がありどっちに行こうかとかなるのが旅である、そこが分かれ去りになる。それは歩く旅だからそうななった。車だったらそうはならないのである。だから現代は旅がなくなったのである。

芭蕉は石巻からどういう風にして平泉まで来たのか?それは今の石巻線を行けば分かる。その石巻線は人もわずかしか乗らない線である。その時枯野が広がっていたのである。

涌谷とは黄金が取れたとして奈良の都にも知られて万葉集に乗っているのである。だから東北というのはもともと金が多くとれていた。それで金売り吉次の伝説が生まれた。ここに金が取られると知られたのはそれは天平時代であった。黄金山があったところに御堂があり天平の字が記された瓦が発見されて話題になった。涌谷から発見されているからである。それだけみちのくというのはそれなりに古い歴史がある。奈良時代から既に奈良の都と行き来があったからである。


石巻から石巻線に乗るとみちのくでも東北でも広いと感じる。でも東北線とか新幹線で行くとそんなに感じないかもしれない。だから旅というのは途中が問題であり。その目的地になるべく早く着くということではないのである。かえってと遠回りした方がその土地のことがわかり旅になるので。そしてそういう旅のほうが記憶されているのである。本当の旅は歩く度が一番いい。そしてそこに分かれ道がありどっちに行こうかなと思案する行き先もわからないた旅が未知なる道への旅となる。だからこそ分かれ去りとかと言う地名が残っているのである。

道分かれどちに行こうか日永かな

これも時間の余裕がないとこうはならない、まず急ぐ旅は旅にならないのである。車で飛ばしても後で振り返ると記憶から消えているのである。

こうして近くだと四季折々の風情を楽しむことができる。でも。京都となると今遠い。もう介護になってから15年位旅していないのである。そして旅するにも何か外国人が多くなって混雑してそういう人混みがいやになった。もともと自分は都会の人込みなどが嫌だった。若い時はよかったとしても老人になるともうそういう人混みがいやなのである。だから早い時期に関西の方に何回も旅したのはよかった。やはりいくら時間が与えられていても金が与えられて与えられていても何かするということは限られている。時間がその前になくなってしまうのである。

そしてまた状況も変わってきてコロナウイルスとか様々なことで変化して行きづらくなったのである。やはり人が多いということは古都の京都の風情が失われるのである。それは修学旅行生が来て騒いでいた時も感じた。そこで京都の風情が失われる。京都ではしずしずと着物姿の女性がが歩いている時あっているのである。それが派手な若い女性がギラギラの服を着て肌丸出しで歩いていると何か幻滅するのである。だからインバウンドで外国人がまた増えたが京都の風情は失われる。すると日本人は京都に行かないとかなる。そこに現代のグローバル化の問題がまたあるある。金になるからと受け入れるとそこにまた問題が起きるのである。