2017年12月22日

小さな町の医院の跡(詩) (これも郷土史の一片だった)


小さな町の医院の跡(詩)

(これも郷土史の一片だった)

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こんなもので医者が往診していた

その医院には
何かあたたかみを感じる
こじんまりとした
昔の小さな町の医院
90すぎた母が通っていた
ここのお医者さんはやさしいと
母が通っていた
冬の日がさして
庭には石が並んでいる
山茶花もまだ咲いている
まるで肩を寄せ合う
老人のように見えた
人が住んだ所に何かが残っている
小さな町の医院
そこには何かあたたかみを感じる
それはなぜなのか?
ここに住んで地域の人とともに生きる
そういう気遣いが開業医にはある
それが病院とは違うあたたかみをかもしだす
それで今でも何かその跡に残っている
しかしこの医院も壊されるとき
そうした過去は消える
でもここにある内は偲ぶことになる
毎日ここを自分は通っているからだ

たびたび夜間に患者さんから電話があって、当時は自家用車を持たない家が多かったから、往診することが多かったのだ。
交代で当直ができる勤務医のほうが楽だと思っていた。
今どきの開業医のほとんどは、自宅と医院が別である。

父の時代でも、「ふとんが温まる暇がないくらい往診が多かった」といっていたから、祖父の時代はもっとすごかったのではないだろうか。しかし、往診が多くて儲かったという生易しい問題ではない。道路事情が現在と全く異なり、往診そのものが大変だったのである。

当時は往診が多い,往診が多いというとき車もない時代だから苦労になる,姉は看護婦であり保健婦として役場に勤めた,その時一軒一軒自転車で回っていたのだ
下駄をはいていたような時代に自転車で回って歩いていた,姉は気丈夫であり体が強いからできたのである。
昔の自転車は今の自転車とは違いいいものではなかった,でも自転車で一軒一軒回っていたのである。医者も往診が多かったというときそうである。
昔の医者と今の医者も相当に違ったものなのである。
医院といっても今のように機械などはない,聴診器中心にみる,何か手作りの医者の感じになる,だからかえって人間的になりえたという逆説がある。

江戸時代になればなぜ医は仁術になったのか?そもそも医者にかかっても直せないと患者も思っていたから直らなくても恨んだりしないのである。
それよりやさしいとか思いやりあることが医者にも望まれていたのである。
塾の先生にしても人柄がいい人が選ばれたというのもそうである。
そこでは人を見る基準が全く違っていたのである。

今はみんな技量を見るし腕に重点を置くし先生でも高い知識をもつ人が選ばれる,人柄など関係ないのである,ただ医者でも口が悪くても医者として技量の高い医者はいる
近くの医者はずいぶん自分の家では世話になったが口が悪いので母は嫌って行かなかったやさしさがなかったのである。人柄としては良くなかったのである。
でもその医者のことは誰かが話して話題になっていたのである。
それが死んでからその医者のことを誰も語らないというのが不思議なのである。
死んでからすでに十数年とかたっているのか時間がたつのが早い
そしてたちまち忘れられるのがこの世の常である。

開業医と勤務医の相違は開業医は家族をもち地域に住んで生活をともにすることである。だから近くの医者とは何か病気意外でつきあいがありもらいものしたりあげたりと頻繁にあった,その辺が勤務医とか大きな病院とは違っている
それで原町の産婦人科の医院長がそういう医者であり癌になっても最後まで地元の人に尽くすべき奮闘したのである。
それは勤務医でないからである。勤務医の人は原発事故があり南相馬市立病院をやめた人を知っているからだ,あれだけの混乱とかで嫌になりやめた
勤務医の人はそうなりやすいのである。開業医の人は土着しているからやめることができないのである。その相違も大きいと思った

何か死んでから人はいろいろふりかえるものだと思った,ささないことでも何かそれが一つの生きた証となりふりかえる,そのふりかえり語ることが老人が生きる意味だともなる老人は何らかでみんな語り部になる,ただその語り部でもうまい人とそうでない人はいるでもみんなどんな人でも人生を生きてきたのだから何かしら語ることがある
それが郷土史にもなっているのである。

自分もそうだが自分の家のことには一番関心がある,だから郷土史とは自分のじいちゃんとかばあちゃんから聞いた話からはじまると書いたのである
むずかしい歴史もあるが基本的にはそうなるのである。だから誰でもともかく一番郷土史は身近なものとしてある
何かしらみんな違った人生を生きているからそれが郷土史になるのである。

人間の不思議は必ず自分であれ家族であれ他人であれ一生をふりかえる
そこに意味を見いだしてゆく,それが基本的には歴史になる
それが日本史とか大きな歴史ではなく家族でもそうだし個々人でも平凡な人でもある
自分にとって身近なのは姉と母なのである。それが死んでからいろいろふりかえることになる
なかなか生きているとき本当にふりかえるのがむずかしい
それは家族でなくても生きている人を冷静に客観的には見れないのである。
死んだとき何か冷静に客観的に見れるのである。
家族でも他者でもこの人はこういう人だったのかと再発見が常にあるのだ

そして不思議なのはそうしてふりかえり死んだ人でも語る時,その死んだ人が生きているように思えるのである。自分はプログで語っているが誰かに語ればそうなるのである。
でも何も語らないとするときその人は死んだ人のことを語りたくないのである。
それは親でも毒親としてひどい目にあった人は親のことを語りたくないしふれたくもないとなる,だから死んでも人間はそうしてあとあとまで影響があるからおろそかに生きられないともなる

いつも自分はなんか他者にとって嫌になるかもしれないが母と姉のことが浮かんでくるのである。それだけ六十年間一緒に住んでいたことで一体化していたということの裏付けにもなる,一緒にいた歳月の長さが関係していたのである。
だから長年連れ添った人が熟年離婚になるのはもったいないと思う
その長い歳月を一緒に暮らしたことが苦い思い出なるとことは何なのだろうと理解しかねるのである。
そして一緒に墓に入りたくないというのも何なのだろうと思う
そんなら確かに早く離婚した方がいいともなる,一方で昔をふりかえり思い出を分かち合う老夫婦などは幸福だとなる

いづれにしろ何か人が歴史というとと大仰になるが思い出を刻んでいるのである。
そして最後はその思い出に生きるのである。だからいい思い出をもった人は老後は幸福だともなる,そのいい思い出とは何なのか?
それは個々人にとって違うから他者にはわかりにくいのである。
例えは苦難を乗り越えたという経験は後で悪い思い出となるとは限らない
あのときなんとか苦しいけど耐えた,今は楽だとかなりそれで幸福感に充たされる
でもそういう苦難のない人は老人になってもそういう幸福感にはひたれないのである。
だから最後に何が幸福をもたらすかも人間はわからないのである。

インターネットのプログではそうして今度は昔を語る人が増えてくる,そういう場としては向いている,それを本にして売り出そうとすると簡単にはできないからである。
これも商業主義には向かないものがあるからだ,ただこれからインターネットでも老人化してくるから思い出話に花が咲く時代がくる,
ただどれだけそこで思いで深く語られのか?浅薄な生だったら語るべきものもないとなり淋しいものとなる
大正生まれとか戦前生まれは激動を生きたから語るものがあり重いものをもっていた
現代は何か物質的には恵まれて浅薄なになっているから語るべきものがさほどないとなるかもしれない,語って面白い人とはそうして激動を生きた人だからである。


タグ:往診
posted by 老鶯 at 13:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2017年12月21日

弟に刺殺された厚生労働省幹部・北島智子 (富岡八幡神社との深い関係-縁戚関係にあった)


弟に刺殺された厚生労働省幹部・北島智子

(富岡八幡神社との深い関係-縁戚関係にあった)

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週刊現代%202017年12月30日号

こういうのは何か怖い,縁戚関係になるとやはり因縁がカルマがかりり強いものとして影響する,まず富岡八幡神社の土地をもっていたということが土地の因縁としてカルマとしてあったことである。
そして弟に姉が殺されたことも共通している

弟が姉を殺した

弟が姉を殺した

そういうことが自分の縁戚でもあった

親が事故で死んだ

その子も事故で死んだ

これも何なのだろうとなる,こういうことには何かカルマがあり影響しているのか?

カルマは何かわからないけど怖いものがある,カルマは似たようなことをくりかえすことである。それがインドから生まれたというのはそれだけ人間をインドで長い歴史のなかで見ていて統計としては見ていなくても結果として現れるからそうした思想が生まれたのである。

ただカルマにはいろいろある。

親が子供を育てられない

その子供を子供まともに育てられない

それがカルマとなっている人もいる,カルマとはいろいろあるからわかりにくい
ただ同じようなことをくりかえすことである。

殺された北島さんは優秀な人であり富岡八幡神社の宮司の人とは違っている
そういう人でも縁戚関係とかでつまづき事件が起きる
だから縁戚関係とかカルマには怖いものがあるのだ

カルマとは別に縁戚関係だけにあるのではない,例えばある人が給料が未払いだった,そこは暴力団関係で支払われなかった,その額も大きかったのである。
その分を自分が払うようになった,なぜか他人のカルマが自分に回ってきて解消したともなる

まだ逆に他人のカルマが回ってきて背負わされることがある,犯罪などがそうである。
なぜ犯罪にあうのか?そこになんの因果関係があるのか?
全くないようでもあるのかもしれないのがカルマである。
自分が大金を盗まれたこともカルマだったとなる,なぜそんな人が自分の家に来たのか?
それはただの偶然だったのか?何か因果関係があってそうなったのかとなる

なぜまた事業に失敗した人が借金を自分に要求してきたのか?それは他人のカルマを自分に回ってきて背負わそうとしたのである。
犯罪とは他人のカルマを受けることであり背負わされることなのである。カルマはめぐりまわっているのだ

そしてこの事件が2017年に起きているということは一年前だったことも驚きである。
富岡八幡神社の土地をもっていたということ自体カルマになっていたともなる
宗教団体とかに入っていて指導者だった祖父母がいたというのも何かカルマとなっているそうしたカルト宗教団体ではカルマが積まれているのである。
そういうカルマが積り積もって事件となって現れる,苦しみとなって現れるのである。

ただどんないい家庭でも家系でも負の部分をもっている,そのカルマが苦しみや事件となって現象化する
北島さんの場合は優秀な人だったから惜しまれた,そういう人でもカルマから逃れられない怖さがあった

いづれにしろ日本人の宗教はみんな現世利益しかない,御利益追及である。
それは日本人には宗教心がなくただ金を求めているだけの怖いものとなったというときそうである。宗教によるブレーキがきかないからひたすら金だけをご利益を追及する
それにやましいものを感じないのである。
神社でも何かみんな求めているのはご利益しかないのである。
千円賽銭投げたら二千円くれ一万くれとかなる富クジと同じである。
日本人にとって神様とはそんなものなのかとなる
カルト宗教団体もみんなそうした神社と変わりないのである。

金しか求めていない人間が本当は怖い,自分はそういう怖さを経験した
自分の病気も家族の介護でもただ金をとればいいしかない
もうこいつが死ねば金が入るとまで心ではなっていたのである。
保険金殺人のような状態になっていたのである。
借金した人は犯罪予備軍である。その借金でも贅沢するための見栄のための借金が現代では多いのである。もう病気で困ったからとかではないのである。

そういうふうに日本人がモラルもない金だけを求める社会と化したとき本当にこの世は地獄である。金のためならなんでもする,もう相手を人とも思わないのである。
金をとるものとしてあり金がとれないなら関係もなにもなくなる
それは富岡八幡神社のように兄弟間でもそうなる
それほど社会が荒廃してしまっているのだ
だから震災とか津浪とか原発事故とかが起きてきた,それが関係ないようで関係ある。
原発事故だって人間の限りない欲から生まれているからだ
そしてもう人が住めなくなるような悲惨な状態になったのである。

ともかくカルマはどこかで清算が強いられる,自然に消滅することはないのである。
本人が苦しみ苦しみようやくそのカルマから解放される,dischargeされる
最悪なのは事故とか事件になりそれでカルマが消滅するともなる
そのための犠牲が強いられる,死なねばならぬとなればそうである。
親とか先祖とか縁戚関係でもそういうのは避けようにも避けられない
そしてそのカルマによって殺されるという犠牲を払わされることにもなる
posted by 老鶯 at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

Cosmos of forest


Cosmos of forest


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forest in the water

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Japanese ancient pillars

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あるソフトの一部の機能から抽象画ができやすい,だから定型化して抽象画ができる
それは機械的作用であり何がそこから生まれるかわからない
つまり人間がイメージして作るのとは違っている
だから人間がイメージしないものが生まれる,AI化というのはとそういうことがほかにあるらしい,人間がイメージできないものが生まれる

それはなぜなのか?例えば小説すらAI化で作られている
そこで意外なものが生まれる,それは人間より膨大なデーターから作られるからである。そのデーターの膨大さから組み合わせから作るから人間では作れないものを生み出すのである。
人間が本でもなんでもそうだけど頭に記憶しているのは極わずかであるからだ
そこに人間の限界があるがAI化するとそれがないから人間では作れないものが生まれてくるのである。

抽象画というのは形にとらわれないから創造する範囲が無限に広がる,でも具象画から離れられない,森をテーマにして抽象画を作ってきたが抽象画でも森にしようとしていることでもわかる,森として見たいのである。
現実にある森をイメージしているしそれから人間は離れてありえないのである。



It is easy to create abstract images from some functions of certain software, so it can be stylized and an abstract picture can be created
It is a mechanical action and I do not know what will come from it
In other words, it is different from human beings making images
So, something that human beings do not imagine is born, there are other things like AI, there is something that human beings can not imagine

Why is that? For example even a novel is made by AI conversion
So an unexpected thing is born, because it is made from huge data than a human being. Because it makes from combinations from the enormous size of the data it creates what can not be made by humans.
Everything human beings do in books, but because they are remarkably few in their heads
There is human limit there, but when it is converted to AI it is not there, so something that human beings can not make is born.


Abstract paintings are boundless in shape, so the scope of creation extends infinitely, but you can not get away from the concrete painting, you can see the abstract painting made with the forest as the theme, but also by the abstract painting trying to be a forest, I would like to see it as a forest.
I imagine a forest in reality and human beings can not be apart from that.

タグ:abstract forest

2017年12月20日

丸森の春(詩と俳句)


丸森の春(詩と俳句)

丸森の全体的な写真

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桜花夕日に映えて山の里

春の暮水面に夕日映えるかな

鶯や岸辺に鳴きつ日の暮れぬ

川岸の砂地に春の日碑の古りぬ

蛇行する流れや遠く春の暮

丸森に河口想うや春の暮

丸森の峠越え去る夕桜

(金山城)

山吹や峠を越えて丸森へ

木の根古り石垣残りシャガの花

橋渡り水面に秋の夕日影

川下りいわれの石や秋の暮

石の風呂栄し家や冬の暮


丸森の春

新地より峠を越えて丸森へ
広らかに流れる阿武隈川
その岸辺の砂地碑の古りぬ
春の日さして我がそぞろ歩めり

川は悠々と流れゆく
その長々とした川も遂にかなた
波立つ太平洋にそそぐかな
港に船や海にい出るも

金山城の石垣古りて残りぬ
伊達と相馬の攻めぎあい
城主も変わり境の城かな
蔵王はなおも厳しく雪に閉ざしぬ

流れの岸に謂われを語る岩々
船は下るや岸に鶯の鳴く
橋を渡りて丸森の街並
斉理屋敷の栄えし跡かな

丸森を去るやまた越ゆ峠かな
伊達と相馬の境かな
夕桜の色濃く心にしみぬ
我が通いし道の親しも

写真を見ればわかるけど丸森は地形的に景観的に魅力がある,山間を阿武隈川が流れてくる,その山の向こうに厳しく威厳のある蔵王が聳えている,春でも雪が厚くとおっている新地も景観的に海と山が迫りいい,丸森は阿武隈川と山々と蔵王が映えるから景観的にいい,新地の峠を越えると景観が一変するのである。

日本では川というと短いし船も行き来しないから川が景観として映えない
外国では川がなければそもそも文明すら起こらなかったのとは大違いなのである。
ラインは父なる河というときそうであり四大文明が大河から生まれたのでもそうである。川なくして文明もありえなかったのである。川が文明を作ったのである。

阿武隈川はそれなりに長いし大きい川としてある,だから丸森辺りでは舟下りがあり楽しめる,川では東北では阿武隈川とか北上川とか最上川がある
阿武隈川でも一応船運があって荒浜に出て江戸へ物資が運ばれた,でもそれほどでないから知られていない,阿武隈川とかでも途中船の通りにくい場所がありそこを工事したので有名になる,最上川だってそういう場所がある,日本の川は外国のように舟運に適していないのである。

ただ丸森辺りから川は広くなってすでに海が近くなっているのである。
丸森まで来ると海も近いなと感じる,でも亘理からでも河口まで自転車で行ったが遠い,相馬市から丸森までも自転車で行けばそれなりに遠い
でも自分は何度も丸森には行ったのである。
最近の発見では森の中へ入る川がありそれをさかのぼった処は秘境だった
そしてその森の中に入って出れなくなったのは恐怖だった
それだけ丸森は地名のごとく森が広く深いのである。杉林だけどその木材資源は江戸時代から豊富だった,それで米沢藩と伊達藩と相馬藩でその木材資源をめぐって争っていたのは有名である。

丸森は石でも有名であるがそこまで自分はわからない,丸森は地形的にまだわからないところがある。だからこそ森に入る川がありそこに秘境を発見したのである。
秘境は飯館村にもあった鹿島にも橲原(じさばら)を上った奥にある,そういう場所がまだこの辺ではあるし他でもあるから外からきたときそういう場所には入りにくいのである
ある地域を知るときたいだい常磐線とか六号線にそって行く,でも福島県は会津まで横断しないとその魅力がわらないのである。福島県はそれだけ広いかである。
ただ六号線にそって行くと行きやすいから自転車でも飯館村とか丸森の方へは行かない人が多いのである。
ただ最近は六号線を自転車で通れないから飯館村とか遠回りして行く人が増えた
でもあの八木沢峠を自転車で上るとなると辛い,電動自転車だと上れるからいいが人力となると容易ではない,そういう処があるので自転車旅行は問題なのである。

いづれにしろ自分は丸森へは何度も坂を越えて帰ってきた,それが記憶となっている
それは自転車で行き来したからそうなっているのである。
自転車だと坂が記憶に残りやすいのである。あそこを苦しいけど上ったなとかが記憶として残るのである。丸森はあの峠を境に景観が一変するからそれが魅力である。

丸森の秘境へ

2017年12月19日

安らかなことが家では一番大事 (恨みが残された家には災いが起きる)


安らかなことが家では一番大事

(恨みが残された家には災いが起きる)

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冬の雲四五片垂れこめ田舎町

我が家に安らかにあれ七十年嫁ぎて死にぬ母の見守る

我が姉の自慢したる柱かなそを受け継ぎ家を守りぬ

我が家に幸のあれかし恨まれず終わりに和して安らぎにけり

田舎を象徴しているのが,この四五片の冬の雲だった,なんか陰鬱であり街にたれこめているのである。
そのあとはいろいろイメージするのが写生俳句である。

ここ十年は介護とか自分の病気とか犯罪にあうとか災難つづきだった
他のサイトでも書いてあったがカルマの清算時が来てそうなった
カルマは本当に厳しいものがあるし逃れられないものがある
人は誰しもカルマを積んでいるが自覚できないのである。
知らずにカルマを積んでいるのである。それが周り回ってくるのである。
ただ苦しみとして現れたとき自覚するのである。

何か自分はずっとこうして家のたとに追われていた,三十年間は家にいても楽だった,何もすることがなかったのである。それが介護になり追われるようになったのである。
家族がみんな死んだがやはり以前として家と格闘している感じになる
毎日家のためにすることがある,新しい石油ストーブを買った,大きなもので作業している人などが使う丸形のものである。

どうしてもあたたまらないので部屋全体をあたためるために買った
でもこれは石油を前より倍くらい使う,そして石油を缶で入れるのではないのでかなり]あふれてこぼしてしまったのである。このれも後始末も大変だった
次に絨毯を敷いたがそこにも鍋物をして油をこぼしてしまったのである。
何かこういうことが家事では結構ある,道具でも慣れればそういうことはないのである

今日はあと自転車屋に三千円でクリーンセンターにもってゆくものを頼んだ
大きなテーブルとブリキ制の衣服入れだった,車がないのでこうしたものをもっていけない,処理する車が来るが高くとられるので頼めないのである。

いづれにしろ家族が死んで感じたことは説明しようがないものである。
何かほっとするとか安らかに感じるのである。
認知症になった姉のときは家は大混乱した,でも意外と早く死んだ,そのあとすぐまた母の介護だったのだから二人が同時に介護になっていたらもうもたない,共倒れになっていた,自分も病気になりそうなっていた,そこをきりぬけて楽になった

そして不思議なのは家にいても安らかに感じる,死者も安らかに感じる,死者も別に恨んでいないからである。
それで呪われた家とか本当にあるのだと思う,自殺したとか殺人事件とか何か嫌なことが起きた家に住んでみたら悪いことが起きるというのはあながち迷信でもない
何か成仏しない恨みを残した人の霊がさまよっているのかもしれない
そんなこと自分は今まであまり考えなかった

でも家族死んでみて安らかに死んでいない人はそういう家では何か悪いことが起きる
それは理屈ではない,そういう物の怪を感じるのだ,一方で安らかに感じるときはその家は一時的に悪いことが起きたのだがそのカルマが清算されて浄化さされてそうなったのかともなる,遺産相続とかにはそうしたカルマの清算が起きると他のサイトで書いてあったが本当だと思う,カルマを清算させるために苦しみが災いが起きてくるのである。
最悪になると富岡八幡神社のように凄惨な結末になる。
金があまりにありすぎるのもその家にその団体とかにはカルマとなっているから吐き出さないと凄惨な事件も起きてくるのだ

親戚の女性の親は恨みを残して死んでいった,自分の家ともつきあいがなかったが母の実家は不和分裂の家だったのである。そしてあんなに凶暴な女性と変化したことに驚愕したし憤りを越えて恐怖だった,何かとりつかれたような形相になっていたからである。
人間は恨みとかで悪霊とかに取り殺されるということもありうる

怨霊信仰があるのもうなづける,なぜ怨霊を恐れるのか?それは良心が傷むから恐れるのである。何かやましいことがあるから恐れのである。
それは家族の間でもある,家族でも恨んで死んだ人は結構いるのだ
親戚の人はそうだった,事情は複雑でも一番世話した母親は恨んで死んだからである。
ただ一緒に住んだ家は空家であり誰も住んでいないし一緒に暮らしたこの街にも住んでいない,一年に何回が墓参りにくるだけである
でもその墓参りでも苦しいくなるかもしれない,あんな凶暴化した女性だからすでに何かにとりつかれたような恐怖を感じたからである。

その家が安らかな状態にあるかどうかは本当に大事である

なぜそうなのか?そうでないと災いを受けるからである。そういう家にかかわると災いを受けるから見逃すことができないのである。
もしそういう家に家政婦でも金をもらえるからと雇われると危険になるからだ
その家から発する物の怪が怖いのである。

これは別に人を脅かしているのではない,自分は家族を看取って感じたことだから言っている,自分が安らかに感じたから死んだ後でも何か家には影響するものがある
物の怪として家にいる感じになるからだ
こういうことは精神的なものだから説明しにくいのだ,安らかな気持ちになっている
それはどういうふうに安らかなのとなるとそれは死者を見送り死者が安らかにいるという感じなのである。そこに恨みをもって死んだりしたらそうはならないのである。
そうした家には圧迫されるようなもの平安はないのである。
だから家とは人間にいろいろに影響する場だなとつくづく思った
家はただの人がいて寝起きする箱ではない,いろいろな人間的に精神が作用してくる場なのである。

2017年12月18日

冬の暮俳句十句 (家の考察-家は自然空間を模したものとしてもある)


冬の暮俳句十句

(家の考察-家は自然空間を模したものとしてもある)


冬の暮六万石の城下かな

五本松残る三本冬の暮

乱れじや物音もせず冬日没る

石一つ村の境や冬の暮

故郷の古りにし家や冬の暮

冬の暮我が眠るは奥座敷

我が家を一人守りて冬の暮

古き家に昔を思い冬の暮

古き家や昔を想うスト-ブの火

もの言わぬ岩の重みや冬深む

奥深く岩の動かず冬の暮

冬深む奥処に岩の鎮まりぬ


半年くらい相馬市には自転車で行っていない,道の駅のところの五本松の二本の松は枯れた,松は何か一番人間に親しい,人間に見えるのである。
だから松にまつわる伝説とかいろいろ残されているのである。

冬の暮となると冬が暮れるということで12月でもいいが冬深むとなると一月からだろう。い,冬には冬の良さがあり冬は物思いにふけるのにはいい,
冬は岩と石にふさわしい季節でもある,冬に石とか岩の重みをより感じる
田舎だとそうした石と岩は近くでもある
だから自然とアイディンティティ化しやすいのである。そういう作業をしてきたのが自分だった

そして石とか岩を想う場合でも家が関係していた,家の不思議は一つの安定した場を与えることである。家があると精神的に安定するのである。
それも持ち家である程度の広さが必要である。
もしこれが借りているものだと狭い住宅だと何か精神の安定が得られないのだ
ただ一時的に借りて住んでいるというだけになる,それもまたこの世は借りの場だからという感覚になるので日本人はもともとそうして大きな家に住んでいなかった
また貧乏で住めなかった,ただ農家では家と仕事が一体化しているから家の重みがあった

昔の旧家だと奥座敷とかある,座敷は普通にあった,小高の人が50畳の家に住んでいたというのも驚きである。そういう屋敷のようなものがあった,そこは一つの城のようにもなっていた,なぜそんな家が必要だったのか?昔はみんな家に集まって法事とか行事をしていたからである。
ただ家というのは維持するのに大変だと家族がみんな死んでつくづく思った
直したりするのに金がかかる,するとある程度の資産がないと大きな家は維持できなくなる,また広い家だと掃除するにも大変になる
そして古い家は今回の地震とかで傷んだ,ひび割れしたり戸があかなくなったりした
それを直すとなるとまた金がかかり大変なのである。
だから家をもつのはいいにしても負担になるのである。

家を考えるとき奥座敷とあれば田舎だと奥座敷という場がある,この辺だと橲原(じさばら)とかはそんな感じになる,さらに奥に入ると人も住んでいない場があり岩がある
家としてイメージされることが田舎ではある,大きな家となるとそこがただ寝食するだけのものではない,精神的な場であり精神に影響するなと思った
大物は大きな家から育つと言う人がいたがそういうことはありうる
広い家に住んでいれば広い気持ちもなるが狭い家に住んでいると心も狭くなる

広い廊下は心を広くする
それは広い道路もイメージする
冬の光りが一杯さしこむ
そこでおもむろに古書をひもとき
長椅子に座り読む
八畳の奥座敷があり
そこは隠されて眠りにつく場
家は閉じた空間の中に
密なる場を与え精神を醸成する
・・・・・・

家というのは良く有名な旧家の家を紹介しているけど実際にそこに住んでみないとわからないのである。
それはどこでもそうである。住んでみないと深いことはわからない,住んでみてその土地のことがわかるのである。
家は細い廊下とか曲がりくねっているとそれは迷路のようになりそれは森の小径を歩いている感じになる,大きな庭があれば都会でもそういう感覚が生まれる
ただ都会では自然と結びつかない,田舎では生の自然と結びつくのである。
自分の家の特徴は二階の広い廊下にあった,それが外の景色と結びついていたのである。ただ自分は家に住んでいても自分の家のことがわからなかった
家族が死んで家を自分一人で住んで管理するようになってわかってきたことがある
なぜなら家族が死んでから残された家を管理するようになり家が傷んだり直すことで否応なく家に前より関心をもたざるをえなくなったのである。

細い廊下がある,廊下を曲がる
広い庭があり石がある
そこに冬の日がさしている
木の葉が散りつもり
池がありそれは森の中の沼に見える
それはより親しい空間である

家は広ければそうして一つの自然的空間を模したものとなっているのだ

住もうことのなかでのみ人間はその本質を実現することができる
住もうことは一つの確固たる位置を空間のなかにもつこと,つまりそこに属して根付いていることなのである。
しかし人間がこの位置にとどまりここを快適と感じるためには住もう「場所」はさきに我々が「体験されている空間」の自然な中心点,--]そこにこの空間のすべての道が関連づけられている
「人間と空間」オットー・フリードッヒ・ボルノウ

この本では家のことを哲学的に考察している,これは一読の価値がある
自分は実際はこの家に住んでいたとはならなかった,なぜなら家族が住んでいると自分の住んでいる場は割り当てられた部屋には住むが全体に住むということはない
自分の家で特徴なのは広い廊下と奥座敷だったからである。

家とはまた新しい家と旧家とは違っている,古い家には50年としても歴史がある
代々住むとなると家には歴史がある,一代だけでない何代かの記憶が家に詰まっているから違っているのである。そこに家の重みが生まれてくるのである。
だから原発事故など避難されて家を失った人達,大きな家に住んでいた人達がいたしその精神的損害が実際は大きなものだったのである。
それは家というものだけではない,それに付随する精神的なものを失ったからである。
故郷を失うということもそうだったのである。

2017年12月17日

新地駅俳句十句 (新地から海が見えて景観が良くなった)


新地駅俳句十句

(新地から海が見えて景観が良くなった)

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桜咲き海を望みて新地かな

船の行く山より望み朝桜

草萌ゆる電車の行きて望む海

耕やしや海を望みて新地かな

山鳩や海を望みて春の畑

海の青染まりて新地春の暮

新地より高架になりて夏の海

鴎飛び電車の行くや夏の海

文禄の碑伊達領なれや秋深む

時代毎碑の古り並ぶ秋の暮

新地駅雪の蔵王の迫るかな

新地駅おりたち二本の冬木かな

金華山牡鹿半島望めるや津浪の後の新地駅かな

相馬地方の景観は変化がある,外から見た人は電車などで通りすぎてもわからない,複雑な地形には実際はなっている,その土地のことはやはり長く住んでいないとわからない
新地と相馬市と原町とかで何が変わっているか一回くらい来てもわからない
新地は地勢が浜通りでは同じようで違っている

海と山が近く迫っているのである。海が近くすぐ岡になり山が迫っている
それで手長明神の伝説が生まれた,鹿狼山(がろう)から巨人が手を伸ばして貝を食べていたという伝説である。これは裏付けのある伝説である。
貝塚も丘にあり海に近いからである。地形を見れば納得するのである。
この地形は簡単にはわからないのである。

まず春になると鹿狼山の麓まで上ると太平洋が一望できて牡鹿半島とか金華山が見える
そこに桜が咲いていてあそこは本当に見晴らし良く春は一番眺めがいい
新地駅も高くなり同じように見えるようなったので新地駅におりて一見する価値がある。
ただ快晴にならないと見えないから注意である。

そして新地が津浪で海岸部の村が消失したけど景観的に良くなったという不思議がある。高架橋になり電車が走っている風景はなんともいえぬ海にマッチした風景となったのである。
今まで海は浜通りなのに常磐線では見える場がほとんどなかったのである。
新地から坂元から山下と海が見えるのである。
だから景観的には前より良くなったという不思議がある
松原はいいものだったが海をさえぎり見えなくしていたことがあった

この辺の景観でいいのは新地でもそうだが新地から丸森に入ると丸森も森であり秘境のような所が川を上っていったらあった,その深い森林に迷い入り出れなくなったことがある丸森は森が深くおおっていたのである。だからそこで米沢藩と伊達藩と相馬藩で森林資源の木材をめぐって争っていたのである。
丸森も阿武隈川があり森が深く景観的にいい場所である。
この辺にはまだ人があまり踏みいらない土地が残されている
飯館村にもそういう場所があったが道路ができて消されたりはした
でも森が深くつづいて森につつまれている地域という感覚はある

ただ山下から亘理までは景観的に見るべきものがない,山は低くなり変化がないのである亘理に来て阿武隈川をわたるとき蔵王が見えて変化をみることができる
だから山下とか浜吉田とかあるが景観的には魅力を感じないのである。

この辺の景観の弱点は高い山がないことである。鹿狼山でも400メートルくらいなのである。あとは高い山がないのである。それがものたりないのである。
日本はここだけではない,狭いのだが地勢が変化に富んでいるからあきないということがある。
まず大陸だ満州でもどこまでもトウモロコシ畑でたまに大きな泥川が流れているくらいで変化ないからあきるのである。
だから日本は旅行するには地形に変化があるから面白いと思う
海あり山あり川あり森ありであきないのである。季節の変化もあるからそれであきないということがある。日本は地形でも季節でも変化が激しいのである。
今年は特に暑かったり寒かったりと変化が激しい年だった

歴史的には新地には文禄の碑がある神社があった,伊達領だったのが新地だから検地のための記念の碑らしい,その神社には時代毎に碑が残されていて興味深いものがあった
新地は伊達領だったということがわかりにくい,なぜなら明治以降は相馬郡に編入されたことでわかりにくくなったのである。
蔵王も新地駅からまじかに見えた,蔵王は相馬地方だと鹿島の八沢浦からも見えていたのである。

俳句も連作でないと一句だけでは文学となりにくい,それで自分は連作を試みてきたのである。四季がありそれを連作にすると一連の作品として鑑賞できるのである。


タグ:新地駅

2017年12月16日

人間の不可解 (有能でも成功しない-神が関与しているためか?)


人間の不可解

(有能でも成功しない-神が関与しているためか?)

人間はそもそも不可解である。普通だったら有能な人間が成功するはずなのである。みんな有能なことを望んでいる,有能になるために努力している
では世の中で本当に有能な人が成功しているかとなるとしない
かえって有能すぎて失敗している人もいる

一人親方だった人は有能である。大工でも優秀である。庭仕事もできる,あの人はなんでもできる,体力も柔道の有段者のように強い,しゃべるのもうまい,だから人と接するのがうまいから営業で成功するから事業したら成功する
その他いろんなアルバイトもできる,焼き芋売りとかもしたとか何でもできるのである。だから自分は感心して見ていたのである。

でもこの人はあらゆる面で有能すぎていろいろなものに手を出しすぎていたのである。
ブラックなものにも手を出していた,そういう方面でも有能だったのである。
とにかく交渉力もあるから何でもできる,でもなんでもできることがいろいろなことをしすぎることでブラックなことにも平気で手を出す
ただもうければいいというだけになる,それだけ有能だったらブラックなものに手を出す必要もないのにさらに金儲けのためにやる
原発が建つとなると景気良くなると賛成していたのである。
その人は金儲けのことしか見ていない,だからいくら有能でもその人は有能なのかともなる

器用貧乏の特徴

なんでもそつなくこなす,対応力がある,でも一つのことを守り通すことなどができない何でもできるから手を出さなくてもいいものまでする,能力がありすぎてそうなっ,ているのも皮肉である。

有能だというとき時と所によっても違ってくる,戦場では戦争がうまい人を平気で殺すような人が有能とされる,それは非日常の現場でありそういう所で力を発揮する人はまた有能なのかともなる
人間はあらゆる面で有能な人はいない,人間が有能だというとき何かに限定して有能なのである。事業を起こした人は電気関係では有能だった
でも自ら事業を起こしたとき失敗した,経営とかまた別な能力が必要だからである。
経営は商売人になることでもある,経営と機械関係に詳しいとかは別な能力なのである。でも理系で電気関係で有能だから経営もできると自分では思って失敗した

何かそうして人間の有能さは神のような万能ではない,ある一分野でしか有能になれない天才だってそうである。生まれつき恵まれた天分をもって生まれてきたからといってそれが社会で有能にされるとは限らないのである。
なんかそれだけ天才であっても十分に能力が発揮されなかったなともなる
例えば英雄だってまず平和な時代だったらいくら有能でもその能力を発揮できない
そういう場を与えられない限り発揮できないのである。

家康が天下をとったのは別に家康が有能というわけではなかった,天才だったのは信長と秀吉だった,家康は平凡だったとされる,ただ長生きしたことと運が作用してそうなったといわれる,信長は本能寺の変で死に秀吉も死んで残されたのが家康だけだったからだと言われる,そういう運に恵まれていたからだともなる
武田信玄も病気で死んだとかいろいろ家康の時代になるまでにあって最終的に家康が天下を治めたとなる
家康が別に特別の天才でもなかったのにそうなったのである。

人間有能であることにこしたことはない,みんな有能になりたいのである。体力で強くありたいのである。自分も無能だから体力もないから有能でありたいと願って来たのであるただ人間は何か強いと思ってももろいなとつくづく思った
一人の身内は本当に女性でも男が恐れるほど強かった,でも認知症になり信じられない弱者と化してあえなく死んだ,これも信じられない死だった
最後の言葉は「俺は優秀だった」と言って死んだのも悲惨だった

人間は例えどんなに有能であっても無能化される恐怖を感じたのである。
人間が有能だというとき原発を作ってそれを運営した人達は科学者であり今の世の中では一番優秀なエリート集団だったのである。
でも事故で無能化されたのである。
そもそも人間の有能さとは賢さとは何なのか?それ自体が疑問になる
人間は賢いから原子力を作り核兵器を作った,でも核戦争で滅びたとなると最高に馬鹿だった愚かだったのが人間だったとなる

人間は神から離れて絶対に賢くも有能にもなれない宿命がある

全能の神なら賢くなれる,有能になれが人間はなれない,いくら有能だと思っても極一部のことで有能にすぎないのである。
そして何でもできる器用な人も器用貧乏とかなる,なんでもできるからとブラックなことにも手を出すのは疑問なのである。なぜならそんなことしなくてもその人は有能なのだから稼ぐことができるからである。
ただその人は金をもうけることしか考えていないのである。
そんなことみんなそうではないといえばそうなる,でも何が欠けていたのか?
肝心なモラルが欠けていたのかもしれない,いくら有能だってモラルが欠けていたらそれは人間として大きなものを欠けることになる
核を発明して原発を作り核兵器を作る有能さがあるがそれで人を殺すのにつかったら科学者は有能だったのかとなる,人類は核戦争によって滅亡させるからである。

人間は有能であることが無能に通じている
人間は強いことは弱さに通じている

人間はいくら有能になろうとしてもなれない,有能だと思ってもそれが無能に通じている認知症になれば人間は無能化される恐怖をまざまざと見たからである。
いくら体が強くても病気になれば全くはかなく死んでゆく
人間はどんなことをしても絶対的に有能な人間になりえない,超人を唱えてもニーチェは無能人間になった,つまりなんらかで人間の奢りは神によって砕かれる運命にあるのだ
人間は神なしでは有能になれないのである。
人間はいかにもろいものか様々な死を見ていたら実感するからだ

そういうことは聖書で説かれている

『旧約聖書』「コヘレトの言葉(伝道の書)」(9・11)に見られることば。「足の速い者が競争に、強い者が戦いに必ずしも勝つとは言えない」。まじめな人が報われるとは、限らない。善人が、幸福をつかめるとは限らない。知恵のある者が、勝利をつかむとは限らない。

見よ、主、万軍の主は/エルサレムとユダから/ささえとなり、頼みとなるもの――すべてささえとなるパン、すべてささえとなる水――を取り去られる。

 すなわち勇士と軍人、裁判官と預言者、占い師と長老、 五十人の長と身分の高い人、議官と巧みな魔術師、老練なまじない師を取り去られる。 わたしはわらべを立てて彼らの君とし、みどりごに彼らを治めさせる。 

あなたを導く者は/かえって、あなたを迷わせ、あなたの行くべき道を混乱させる。 (イザヤ)

だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする 者は高くされるであろう。
( 箴言16)
高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ 。 ダニエル
高ぶり歩む者は低くされる。

これは何を意味しているのか?現代に合わせればやはりこの言葉を活きている

すなわち勇士と軍人、裁判官と預言者、占い師と長老、 
 五十人の長と身分の高い人、議官と巧みな魔術師、老練なまじない師を取り去られる。 わたしはわらべを立てて彼らの君とし、みどりごに彼らを治めさせる。

 なぜこんなことが言われるのか?要するに上に立つものは有能とされてもあてにならない有能だからこそあてにならない,軍人とか裁判官とか予言者でも偽りの予言者がいる
身分の高い人はあてにならない,その人たちが民を守ってはくれない
今は政治家などは自分のことは考えても民のことは考えない
偽りの予言者はカルト教団なども取り去られる,現代なら科学者もこの中に入ってくる
科学者が今の世の中では一番有能とされているからだ

そしてみどりごに治めさせる

これはなんなのだろうか?みどりごにどんな能力があるのかとなる
神が指導者にしたのはみどりごだということである,それは最も無能なものなのである。その意味するものはなになのか?
人間はいくら有能でも有能でありえない,だから人間が有能だと思うとき無能にされるのである。みどりごは何の有能さもない,無能だから治められるともなる逆説がある
みどゃごは高ぶることはない,この世で高き地位あるものは卑くくされる
だから意外とこの世で地位ある者は天国に行けないという逆説がまたある
天国にはこの世で卑くくされた者がいるとなるのである。

こういうことは老子とか荘子の思想にもあった,無用の用というとき有能なものを否定していたのである。無用の中にこそ用があるという逆説である。
だから老子は政治を否定したアナキーになったのである。
人を治めようとする有能なものがかえって害になる,かえって治めない方がいいというときその逆説を語っているのである。
だからここには東洋思想との共通性がある。そもそも宗教は東洋から生まれた
イスラエルまでは東洋なのである。アジアなのである。
宗教の淵源はアジアにあるから共通性があるとなる
インドの思想でもなぜ座禅とかするのか,無用者になっているのか?
禅宗では大愚とか愚かなることを悟りのように見るのも不思議だとなる
禅宗とかでもヨーロッパのキリスト教から見ると理解しがたいものになる
ヨーロッパのキリスト教だと修道院から資本主義が生まれたというとき常に勤勉なもの働くものとしての思想があったからである。
瞑想があったとしてもそれはアジアのものでありヨーロッパでは勤勉に神のために働くという思想になったのである。

ともかく人間はどんなに有能だと思っても無能化する,どんなに体でも何でも強いと思っても弱者化する,それは国でも同じである。アメリカが大国が強いとは限らない
いつも大国が強いものが勝つとは限らない,だからそこに世界史にも神が関与していると聖書では見ている
国も栄枯盛衰がありいつまでも栄えた国はないからである。

人間が不可解だというときそこに人間だけでは解きあかせないものが必ずあるからだ
それは科学的なものでも人体でも何でも科学者が解きあかしたわけではない
常に不可解なものが残る,塩分が悪い高血圧になるというのもその説も嘘だったとかなる個々の人生でも不可解なのである。自分なども危険な所で死んでいたかもしれない
でも生きていたのは神の関与があったからだったとのかともなる
それでも死んでいる人は死んでいる,それはなぜだろうとなる
ふういう不可解は個々人ではいくらでもあり解明されないのである。
神の関与があるとするときそれとは結局神しかわからないかそうなる
来世のこともわからない,それは神のみぞ知るとなるからである。
タグ:有能と無能

冬薔薇五句 (芸術も修行者として真善美を追及する)


冬薔薇五句

(芸術も修行者として真善美を追及する)
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塵つかず一輪静か冬薔薇

冬薔薇ことに美し籠もるかな

冬薔薇今日も散らずや石に映ゆ

冬薔薇黄色にほのか赤み帯ぶ

冬薔薇待つ人あれや田舎駅


冬の日や墓を並べてここに終ゆ故郷あわれ我も眠らむ

薔薇は夏の季語であっても春にも咲くし秋にも咲いているし冬にも咲いている
意外と秋の薔薇もおもむきがありいい,冬薔薇はさらに季節で花が凍るような美しさがある,空気が澄んで塵もつかないとなる
芸術は俳句でも似たような類似俳句がある

白菊の目に立て見る塵もなし 芭蕉

これとにているのが塵つかずになる,知らずと覚えていて参考にして俳句は作られる
これまで作った薔薇の句だけをまとめると一つの薔薇の連作の作品となる
ただプログではどこに書いたのかもわからなくなる
だからそれをまとめようとしているのだかめんどうになる

自分はここ何年かも家のあとかたづけに追われている,片づけても片づけても片づかないのである。本を整理して片づけるのも容易ではない,本もなかなか捨てられないのはまた参考にして利用すると思うと捨てられないのである。

いづれにしろ俳句とか芸術でも一つの修行にもなる,芸術にもいろいろあるが本来は身を清めるための修行の要素がある,純な自然を見るには心も純なものを保たなければならないからである。
それは宗教にもなる,でも今の宗教はそういう場ではない,この世ではかえって汚れた場所になっているのだ。

金でも大きな金を賽銭に投げるのは欲深いやつだ

1000円賽銭入れるから神様お願い
2000円,3000円,一万にして福を与えてくれ

宝くじをねらうようにして願いをかける,神様は銀行でもない,利子つけて金を返してくれるわけではない,実はその金は放蕩する宮司とかくだらない人に入っていたのである。

要するにカルト教団でも神社でも人間の欲にまみれたところなのである。
そんなところで宗教を追及しているのは暴力団に入って宗教を追及しているのと変わりないのである。人間の様々な欲望が肥大化して集まる場所が宗教の場になってしまったのである。またそういう人を受け入れるからこそ選挙の票にもつながるのである。
まず人間の欲を否定したら人は集まらないからである。
それで面白いのはやはり大都会の神社が賽銭が多くなるのはまさにねそうである。
人が多いからそれだけ欲望もふくれあがり賽銭が集まるのである。
だから都会の宗教は経済と政治しかないのである。

本来なら山に籠もり節制して身を清め修行するのが宗教だったからである。
今の宗教にはそういうものがほとんど一切ない,ただ欲望の無限の追及しかないのであるそれは神社でも仏教でも同じである。
だからそんなところに行くのは世俗の欲深いやつでありそういう所に交わる人もまた汚れるし汚れているからそういう場に行くのである。
そんなところにもし心を清めるとしたら行かないからである。
賽銭にはこの世の欲がこびりついているのである。
その賽銭もただ今回の富岡八幡神社の事件のように放蕩して消尽されたとなる
そんなところに賽銭を投げる人も同類だともなってしまうのである。

墓を並べて眠る場はやはり因縁深い場だったのか?ふるさとはやはりそうなるのか?
自分もあの墓地に墓に眠るのかともなる
冬の日はやはりしんみりとして墓も鎮まる
毎日自分は自分の家の墓地の前を通っているから供養していることになるのだ
故郷から離れたいと思っていたが故郷は因縁深いから離れられない宿命にもある
ただこの辺では原発事故で避難して故郷さえ失った人が多いのである。
タグ:冬薔薇

2017年12月15日

15歳の少女がアルバイトの作業中、13メートル下に落下して死亡 (危険な高所の仕事)


15歳の少女がアルバイトの作業中、13メートル下に落下して死亡

(危険な高所の仕事)

警察によりますと、茨城県古河市の工場で14日午前、秋山祐佳里さんが屋根に取り付けられた太陽光パネルの点検などをしていたところ、天窓のガラスが割れて13メートル下のコンクリート製の床に転落し、死亡しました。

こんなことがなぜ起きたのか?

人手不足のためだという人もいる,日本はそれだけ人手不足で追い詰められてこんな人まで雇っているのか?まず法律違反になるのに雇っているのはなぜだったのか?

ただ前にもアルバイトで60くらいの人がアンテナとりつけでやはり屋根から落ちて死んだだからなぜそんな危険なことをアルバイトにさせるのか?
今は何かと人を雇うのに厳しい時代だからである。まるでアジアの貧乏国なのかというのもわかる,中国人などはそうして建設中にビルから落ちているのか多かったからである。
アルバイトになぜそうした危険なことをさせることがわからない,普通の雇い主だったらさせない,でもさせている,これは明かに法律違反なことはいくらなんでもわかるだろう
なぜ自分が屋根から落ちるとか興味をもっているのかというと20代の時自分も同じ経験をしているからだ
ビルの四階から本当に危機一髪で落ちなかったが落ちるところだったのである。
だからそれを時々思い出すと良く落ちなかったなとふりかえる
明かにそれで一貫の終わりになっていたのである。

なぜそんなところで働かせられたのか?それは働く場所がなくてそんなところに行った結果なのである。雇い主は危険なことでもさせていたのである。
普通だったらもし事故が起きた責任を問われるからそんなことをアルバイトにはさせないのである。

まず屋根に上がるとか高所で仕事できる人はなれた人でありそれに向いた人である。
ただ中学生は軽いからと選ばれたなのかと言う人がいる
それもありうるが女性なのにそんなことをさせるのかとなる
この雇い主の責任は重い,まず法律違反だからそれだけで罰せられる

なぜそんな場所で働いた事情はわからない,そもそもアルバイトにそんな仕事をやらせることが理解できないのである。中学出たばかりの人を雇うこと自体わからない
だからそこまで今日本が人手不足に追い込まれているのかともみる
建築関係では人が集まらなくてつぶれている会社が報告されているからだ

80才の人が東京から除染の仕事に来ていたのも人手不足のためである。
人手不足になると人を選んでいられないのである。
だから介護関係などはいつも人手不足だから変な人でも雇っている
そうなるとそういうところで世話になる老人も怖いとなるのだ

人間はなんらかの危険を経験していない人はいない,ただその時は一番危険だった
ただ近くの岩場を登っていて下に落ちて頭を打ったときも実際は危険だった
高さがそれほどないので軽傷ですんだのである。
自転車でもすぐ近くの危険な場所ではない普通のところで起きた
車輪が大きい新しいもので乗りなれていなかったのもあったかもしれない
強く顔をうちつけた,それで前歯三本を折った,それを忘れていたが抜け落ちたので思い出したのである。
この時は本当に頭打っていたら死んでいたのである。自転車も危険なものがある,この前は急な坂道がつづくところで転んだが助かったのは
その自転車はマウテンバイク風の電動自転車であり足が地につきやすいので助かったのである。やはり高くなる,足が地につかなくなるととっさのとき危険になる
ロードは早いから危険なことを知った

いづれにしろ人間は誰でも危険な目にあっている,それで死んだ人もいる
別に交通事故でも死んでいるのだから人間の死ぬ確率はある
同世代でももう一割は死んでいるからだ
これも運不運があるのか?それよりそうした危険な場所で働くというのは自重すべきである。そんなことをやらないと自分で言わないとやらせられるから困るのである。
アンテナとりつける若い人は機敏でありスイスイと屋根を歩く,恐くないと言っていた
それから船乗りも漁船がゆれても機敏に動ける,体が小さいのだけと向いていたのかとなる

ともかく人間は自分に向かないことは本当にやるべきではない,仕事でもするべきではない,させられるのも困るのである。若いときは自分の適性がわからないのである。
学校では失敗したのは自分は体力がないから体力仕事ができないから本当は頭を使う仕事をするべきだったということを自覚すればもっと勉強していた
でも勉強嫌いになっていたから就職もせずそうした危険なアルバイトをさせられたのである

だから家の職業の跡を継ぐというときは親の仕事を見ていいてそれがどういう仕事なのかわかるからいいのである。電器屋だったらアンテナとりつけで屋根に上るのを子供が見ていてその仕事を身近に知るからいいのである。
そして屋根に上ったら危険でありそのことを親から言われるからいいのである。
全然そうした経験もない理解もない人が突然屋根に上げられて仕事させられるのは危険なのである。

そのアンテナとりつけではないがはずすために手伝わされた,そして屋根に上った
そしたらアンテナが落ちたのである。それが反対方向に落ちたから良かったのである。
もし自分の方に落ちてきたら大怪我をしたかもしれないのだ
だからなぜそんなことを自分にさせたのかということがある
たいした危険がないとその人は見て自分にさせたのである。
だから何でも頼まれたからと仕事をするのも危険なのである。
怪我しなかったから良かったがもし怪我したらもうその人とはつきあえなくなっていた
それもその人にとっては苦しいことになっていたのである。
なぜなら自分はずっとその後その女性を援助してきたからである。

人間は危険はどこにでもある,毎日のようにこの辺でも交通事故が起きている,だから歩いていても自転車でも安全だということはないのである。
知り合いの女性は自転車だが安全に相当に気を使っている
自転車の危険は車から死角になりやすい,ダンプとかの陰に隠れて見えなくなる
それでまきこまれて事故になる
この辺は外部から人がかなりまだ入ってきていてダンプが通るから危険なのである。
ともかく建設現場は危険な場所である,物でも上から突然落ちてきたりするからである。だからなれていないと危険なのである,ただそういう場所はだから誰でも雇う,履歴書などいらない,ヤクザ関係の人が連れてくるからである。
原発でも危険だからそういう人を連れてくる,そして犠牲になっても責任をもたないともなる,保証されないということもある

結局そんな危険な場所にゆく奴は馬鹿だともなるがそういう人がいないと成り立たないのも建設現場である。それで確実に一定数が死んでいるのである。
タグ:危険な仕事
posted by 老鶯 at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

水戸管理局と原町の駅長が来る (無人駅の掃除する人を探していることは確かだった)


水戸管理局と原町の駅長が来る

(無人駅の掃除する人を探していることは確かだった)


水戸管理局の人が原町駅の駅長を待っていた,駅舎ないに入り電源かなにか点検するものがあるという,そこは鍵がかかっていて入れないからだ
水戸管理局の人は良く来ている,何かしら点検作業が常にある

まもなく原町の駅長が来た,そこで今まで聞いていた鹿島駅が無人駅になっこたことで、商工会の人に掃除を頼んでいたのだがそれを断られたことで新たに掃除してくれる人を頼んでいるのか?誰かNPO法人が申請しているのか?
そのことを聞いたらそれは水戸管理局でしかわからないという
契約は水戸管理局でしいるからわからないという

そこで駅前の自転車屋と話し合った

誰かが申請したことは原町駅ではわからない,水戸管理局の人が決めているからわからない」
「原町の駅長ではないのか?」
「でも誰かが申請したことは市役所ではわかるのではないか?市役所を通してしか申請はできない,直接水戸管理局に申請することはできないし聞くこともできない」
「まあ,掃除だけだから近くの障害者の施設の人が市で作ったトイレを掃除しているのだからついでにやればいいというものだよな」
「ゴミは落ちている,吸殻とか多い,自分は拾っている」

そんな話をした,でもこのトイレさえ外から来る人にはわからないのだ
それで郵便ボスとのところに小便した人がいたという
自転車屋の人はいつも見ているから知っているのである。
旅行するとすぐ近くでもわからないことが多いのである。
駅員がいればトイレどこですかと聞けるからいいのである。

そしたらスマホをもった人が来て,時刻表を見に来たと言って写真にとっていた
自分は時刻表を作っていたがしばらく置いていなかった,置くと必ずなくなっている
相当数刷って置いていた,やはり時刻表を見に来る人が多いことがわかった
原町と相馬市では時刻表を作って配っているのだろう。
浪江と小高行きの時間も出ていたから便利である。
鹿島の商工会では時刻表を作っていないのである。
時刻表の需要は確実にあることはわかった

今年一年は駅でのボランティアをしてきた,そこから見えものがあった
それはいい経験だった,やはり何でも経験である。
最近はゴミを拾うくらいで何もしていない,ただ掃除が一番の問題だからJRでは本当に掃除してもらう人を探していたのである。それは本当だったのである。
ただ水戸管理局でするもので契約もそうだから誰が申請したのかそれもわからない
市役所ではわかるはずだがそれもわかならいということでどうにもならない。
タグ:無人駅

強いられるカルマの清算 (金でもなんでもカルマから逃れられない人間)


強いられるカルマの清算

(金でもなんでもカルマから逃れられない人間)


カルマというとき金になると具体的でわかりやすい,借金になれば事情はいろいろあるにしろ具体的にカルマを背負ったことになる,その借金を他人に負わせることはできない
カルマは責任のことでもあるからだ
一旦何であれ金をもらえば責任が生じる,だから浪人は金をもらって人を殺すとかなる
ヤクザでも金をもらったから嫌だけ金をもらっているからなと人を殺すことまでする
つまりそれもカルマを金で背負わされたのである。

ここ介護などで苦しんだ自分はカルマの清算を強いられたのである。
カルマというとき自分のカルマもあるが家のカルマもある
家には必ずプラスのカルマとマイナスのカルマがありマイナスのカルマは苦しみとして現れるのである。それでなぜ自分はこんなに苦しむのか?
苦しむことによってカルマを自覚するのである。

家のカルマを背負うの長男長女になりやすいのでてある。
その家にどういうカルマがあるのか外から見ればわかりにくい,でも何の原因もなく人間はただ偶然に何かが起きるのか,事件でも何でも起きるのかも疑問なのである。
例えばなぜある人が金を盗まれたとか強盗にあうとか殺されることまである
なぜその人はそういう目にあわなければならなかったのか?
ただの偶然なのか?それもなかなかわかりにくいけどそこにもカルマの必然性があるかもしれない。

自分の場合あったのかもしれない,大金を盗まれた,それは一見自分に責任がないように見える,でも家の長男だとするとその家のカルマを背負うことになる
何か金で得したということが自分の家にあったからかもしれない,別に普通に働いて遺産を残したのだが一人は公務員でありそれで他より金が入ったということはある
公務員はみんなからたいして仕事もしないのに給料が高い恵まれていると常に批判されているからだ,確かにそういうことは公務員に実際にある,いろいろな特典が公務員にはあるからだ,それを自分は知っている

なぜそういう人が自分の家に来たのか?それもカルマだったのかともなる
人の出会いにもなんらかカルマが関係しているのかとなる
金はあればいいたまればいい,なんであれいいと思う人が多いが金に怖さがある。
金は具体的なカルマだからである。
まず自分はわからなかったが事故で死んだ人の保険金などをもらったりしたら後で災いになる,その怖さを今になると感じる,保険金が額が多いから危険なのである。
遺産でもそうである。金の額を関係している,金が大きいものとなればカルマも大きくなる
それで富岡八幡神社の清算な事件が起きた,その遺産であれ収入が桁違いに大きいものだったからともなる
そんな金が神社に集まること自体何かすでに災いとなるべきものがあった
だからカルト教団などに莫大な金があり土地でも財産があるから凄惨な争いになる

別に金があることが悪いわけではない,ただ分相応の金があれば問題が起きないのかもしれない,富岡八幡神社でもカルト教団でもあるところに莫大な金がありそれが災いとなるだから金が欲しいというけど金には何か怖いものがある
例えば宝くじで何億円とかあたった人がいるとする,するとそれに当たらない人がほとんどである。すると当たらない人の羨望が当たった人に向けられる,なぜあいつだけがクジにあたって自分はあたらないのだという不満がその人に向けられるのである。
その数も多いからその金が災いになる,それで宝くじにあたってもその後いいことなかったともなる

カルマというき家だけではない,他者のカルマも関係してくる,なぜその人がまた来たのか?その人は飲食店で働き70万とかの給料をもらえなかったのである。
その時津浪や原発事故でこの辺の仮設とかで繁盛したのである。
でもそうして働いた分がもらえなかったことを自分の所に来て嘆いていた
その飲食店は暴力団関係の人が経営していたのである。
これも本当に理不尽なことだった
結果的に自分がその金を払うことになったのである。
それは自分の家のカルマとはなんの関係もないのにそうなったのである。
その時自分も困っていることで払うようになったということもある

だから家だけではないなんらかカルマの清算が強いられる,それは他者もかかわっているそれでもう一人の親戚にあたる人にも金を払った,それもやはりカルマだったから清算したとなる,それで金は結構使ったが気持ちが楽になった
死者を恐れるのはなぜかというとき良心がとがめられるからである。
なにか死者に対してやましいことがありそうなる
それは死者に対しては偽ることができないということで深刻なものとなるのである。
だから金額まで指定して死ぬ一カ月前に母に言われたことは守った
認知症になってわからなくなったと思ったが正気にもどって大声で言ったことは忘れられないからだ,それを守らないとすると本当に怖いものとなる

いづれにしろ金に関しては自分の家であれカルマを清算したという感じになる
これからまたどうなるかわからないがそういう感じはある
この世の問題はほとんど金をめぐる問題である。
だからカルマもそこに現れのが一番多いのである。
そしてカルマとは因縁でありその因縁を切るということも悪いカルマを断つということになる
結婚でもそうであり離婚することは相手との因縁をたつことだがそれが一旦結婚するとなかなかできなくなる,つまり因縁を断つということカルマを断つということは相当なエネルギーがまた必要になるのである。

母の実家との因縁はあるが兄の墓を自分の家に建てたので因縁が切れたのかとも思う
実家の墓参りしていればやはり因縁(カルマ)はつづく,その因縁を背負うことは苦しいとなる,その因縁(カルマ)は3百万円で墓を守ってくれと頼まれた人にある
3百万受け取ったことと実家で育った人なのだからカルマを因縁を受け継ぐのである。
だから安易に金をもらうものではないと思った
そんな因縁を受け継ぐということは楽なものじゃないからだ
ただそれももし半分でも自分がもらっていたら責任がカルマが生じていた
だから墓は一人ではなく何人かで守るのがいいとなる,責任が分担されるからである。
しかし金は一人じめしようとする人が多いのである。

カルマは別に金だけではない,因縁のことでもある,悪い因縁はなかてか切れないのである。そのカルマを断つには相当なエネルギーが必要になる
結婚したり何か男女間でも縁を結ぶと縁を切るために殺されることまでなることが事件としても結構ある,縁切り寺も神社もあるのもわかる
神社は縁を結ぶ所でもまた縁を結び災いとなることもある
ともかく自分はカルマを清算して楽になったという感じはある
ただ金の問題は生涯つきまとう,金のカルマが本当に清算されるのは死んでからとなるかもしれない,死んでようやく清算されるのかともなる

我がカルマ清算して楽や年の暮

年の暮になると借金とかなんとか清算が強いられる,60以降は必ずカルマの清算が強いられる,それは苦しみとなって現れるのである。

2017年12月14日

金と宗教の問題 (宗教も金をとる口実としてある)


金と宗教の問題

(宗教も金をとる口実としてある)

金には何か必ず責任がついて回っている,金もらえばいい,もらったらどう使うとか関係ないとも考える
でも時代劇で良く浪人がいて金をもらうと誰でもいいから殺すということをする
ヤクザでも金をもらったからなと本当は喧嘩に参加したくなくても殺したくなくても殺すそれは金をもらったから責任が課せられてそうなっているのである

ではなぜそうなるのか?別に金があれば金がなくて追い詰められなければそうはならないのである。人間は金で変わる,何でも金をもらえばいいともなる,遂には犯罪を犯しても金をとればいいとなる
それは金に追い詰められれば誰でもそうなるのである。
明日食べるものがない,金がないとなればわずかの金をとるために人を殺すことだってありニュースとなる,それは追い詰められているからである。
浪人などは定収入がないからそうなりやすいのである。

人間は別に悪人でなくても追い詰められると犯罪者になる,もしそうして金にでも追い詰められなかったら犯罪者にもならない,普通の人として終わっていたとなる
だから借金に追い詰められた人は必ず犯罪予備軍なのである。
借金によって人は追い詰められているから他人のことなど考えない
どんなことであれ借金を返さねばならないとなり犯罪にもなる
そういう人が自分が困ったとき来たから恐怖だった
自分が殺されるのではないかというまでの恐怖になる
別にその人ももともと悪い人ではない,うまくいっていたときいい人と見られていたのである。

ただ人間は追い詰められると変わる,悪魔にもなる,ある人はホームレスだけど遍路のようになっていた,そして自分が金があまっていたので大きな金をやると言ったら素直に受け取らなかった,そしてではお礼に経文を唱えさせてくれといういう
その時良くそのことがのみこめなかった,経文を唱えることができるのかと思った
その人は何かホームレスとなり遍路のまねごとを覚え経文を唱えるようになった
その人は僧の修行もなにもしたわけではない,でも追い詰められているから金をもらえるならと即席で僧になり経文を唱えたのである。
その人は追い詰められてそんなことをするとなると悪人になったとなる
僧を偽り金をもらう人となった,その人は金欲しいだけであり何か修行するわけでないからである。

宗教もただ世渡りだけのものなのである。そういうことはカルト教団にもある
宗教法人になると税金もかからないしそれで収入になるし御布施でも賽銭でも金が入る
それで富岡八幡宮の宮司殺人事件では土地を所有しているから駐車場にしたりかなりの収入がありその財産争いであのような凄惨な事件になった
結果的にはあまりにも金がありすぎてその財産をめぐって凄惨な争いになった
兄弟の遺産争いならいくらでもありそれが宗教がからんでいたが実際は財産争いになっていたのである。
もともと寺とか神社でもそういう利権化した場所としてあった。
それはカトリックなどでは顕著であり土地を所有しているから権力をもっていたのであるそして世襲制であり同じようなことが起きてルターの宗教革命になったのである。

だから宗教と経済を考えるとき宗教は本来なるべくそうした利権とかかわらない,金とかかわらないことが純粋性を保てるとなる,世俗的にかかわると汚れてしまうのである。
それで出家して世俗とかかわらず僧侶は質素な生活をしていた
ただそうして出家してもそこもこの世からは離れられず世俗化しして利権化したのである
金となると何か金をもらうと必ず責任が生じている,だから責任も果たせないのに金をもらうと問題が起きる,なぜ弁護士が何もしないで百万もらったのか?
裁判もなにもしない,当事者と交渉もしない,何もしないのに百万が転がりこんだとなるそれはもめごとになり頼まれたのだからもらっていい金だともなる
でも何もしないのに交渉もしないのに受け取れる金だったのかとなると疑問になる
最初に百万とるということ自体が変だったのである。
そして何の責任も果たさないのに金をだけを受け取ったのである。

「これこれで今困っているんです」
「では百万を先にもらいます」
「それで相談にのってもらいるのですか」
「そういうことです」

しかしその弁護士は何もしていない,本当に何もしていなのに金をもらっただけなのである。実際の交渉は運送会社と保険会社で行われただけであり何もしていない
そしたらなぜその金を受け取れるのか?第一何もしないのに最初から相談料として百万も受け取るのか,要求するのか?
そしてなぜそれで金を払ったのかとなると今ふりかえると変だなと気づいた
自分はその時何かわからないから気にもしなかった

つまり金には責任が生じている,何もしないのに金をもらうことは責任を果たさないのにそうしたことは納得がいかないとなる
ただ相談料として10万くらいとられてもそれはいいとなる,百万となれば百万の責任が生じているのである。
だから何か弁護士でも推理ドラマで理不尽でもクライアントの味方として働く,それはクライアントから金をもらうから責任があるからそうなる
それは浪人が金をもらって何でもする,人殺しでも請け負うとにているのである。
弁護士はだからブラックになりやすいのである。
そんなこといったらあらゆるものがそうなりやすいし金など得られないともなる

まず飲食業があるとする,それらの仕事は簡単に百円でもごまかせない,多くは金はとれない,その仕事に見合ったものしかとれない,千円の料理を作るのにごまかせないからである。材料にしても料理するにしても千円の値段によって決まる,それを百円だけですませて利益を得ることが不可能である。そんなことしたらすぐにわかるからである。
その店は誰も次から来なくなるからである。
物を売るにしてもそんなにごまかせないのである。値段なりにしか売れないしもうけられないのである。

ただ宗教とかで金が入るのはそれだけで宗教とはまるで違った場所になっている,利権化した場所なのである。金儲けの宗教だとなる
カルト教団でもそうだし今回の富岡八幡宮事件ではあまりにも露骨に凄惨なものとして現れたから驚いたのである。

そんなことを言ったって人間は金から離れてありえないのである。自分だってそうであるただ富岡八幡神社の宮司の家族は異常である。賽銭とか土地の所有で豪遊していた,歓楽街で散財していたからだ,宗教によって神社が食い物にされていたのである。
そもそも賽銭とかオミクジとかあるがそこに願う人も祈る人もそもそも不浄なのである。何か賽銭とかにはこの世の汚れた欲をかなえてほしいという願いがこびりついていいないか?御神籤にしてもそうである。神社は何かとなるとそんな神聖な場ではもともとなかった,良く近くでクジを買う人がいつもけっこういるなと見ている
なにか一攫千金をねらう庶民が結構いることに驚く,そんなもの当たる確率からしたらほんとんどないのにクジを買っているのである。
神社でもいろいろあってもそこも何か世俗的な場である,祭りとかを継承しているから神社はまた違ったものとしてある

とにかく賽銭をもらう,その金で豪遊する,賽銭をもらうことはやはり責任が生じている何にでも使っていいとはならない,ただ宗教の不思議は遍路の真似してお経を上げていたホームレスのようにそれだけで金をもらうことが正当化される
お経を上げたのだからもらうのは当然だとなる,その人はそうして乞食ではないと威張ることにもっないたのである。
その人は乞食としてもらうことを嫌っていたのである。人間にはプライドがあるからそうなる,そしてお経をあげてやったから高額な金をもらうのも当然だとなり逆に金をやったのに礼をしろとまでなっていたのである。
こういうことはカルト教団で寺でも神社でも普通にある世界なのである。
その宮司は賽銭であれ女遊びで豪遊していたのである。

タグ:金と宗教

2017年12月13日

死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む)


死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む)


●万葉集の恋は死者を思い面影に見ること


陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを

夕されば物思ひまさる見し人の言とふ姿面影にして

たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして

里遠み恋わびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ

遠くあれば姿は見えず常のごと妹が笑まひは面影にして

年も経ず帰り来なむと朝影に待つらむ妹し面影に見ゆ


右大将道房の死後、手習いをしていた扇を見付け詠む 土御門右大臣

てすさびのはかなきあととみしかども ながき形見と成りにけるかな

(手慰みの筆の跡と思って見ていたけれど、永久の形見と成ってしまった)


面(かお)とは顔のことである。不思議と顔が浮かんでくる,死者だと余計にそうなる
それで折口信夫は

折口信夫は、「恋」とは昔相手の「霊魂を迎え招く」ことだったと言っている(「恋及び恋歌)。「恋」とはもと「魂()ごひ」だったというのである


万葉集の恋は今の恋愛ではない,死者を乞う(こう)儀式ですらあった
だから実際は死者に関するのだから深刻なものであり恋愛とは違ったものとして恋があった,死者はなんらかでそうした面影として残されたものに映る
それは遠い所に人がされば面影に見る,それは死者を思うのとにている
ただ死者は絶対にもう会うことができないのだから深刻なものとして恋がある

真野の草原の歌は真野の草原(かやはら)という遠い地に恋する人が行ったとしても面影に見えますよということである。草原(かやはら)のことではなかった
真野の草原は遠い地として奈良の人に知られていたのである。

たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして

これは死者のことかもしれない,死者は存在しなけど面影として存在し続ける
そう読めばただの恋愛ではない,深いものとして鑑賞できる

てすさびのはかなきあととみしかども ながき形見と成りにけるかな

こういうことは家族で死んでみるとわかる,こんなものが形見となって死んでしまったなということを感じる人が多い
何かありふれたつまらない日常だったことが貴重な思い出として蘇るのである。
面影として現れるのである。人間が死んで残るのはその人の思い出であり面影なのであるそれはなかなか消えないものなのである。


湯たんぽにストーブにあたたむ湯を入れぬその時姉ありあたたかきかな

我が家になお姉母ありて支えなむ今年は特に寒くなりしも

死してなお我によりくるもののけは姉母にしもありと思いぬ

ものしずか母なりし今日も寒しきも庭の石にし面影残る


常に湯たんぽにストーブであたためた湯を入れるとき太った姉が常にそこにいたのであるそれがなんでないが寒いとき姉は太っていたから湯たんぽでも温かく感じていたことを思い出したのである。
そんなときそのことに特別な思いはなかった,でも死んでみたらいつも姉がそこに笑って湯たんぽに湯を入れるのを見守ってくれたとかなる,湯も入れてくれていたのかもしれない。ともかく姉が湯たんぽの湯を入れるときそこにいつもいたことを思い出したのである何か今年は特に寒いからそんなことを思い出すのである。

もののけというとき物につく霊とかなる,この物の怪は悪いものとして憑依するものとしての霊とある,でもそれだけではなく良い霊として死者が自然物に憑くということもある石についたりもする,死者が石と一体化して伝説の石となる
それはもう単なる石ではない,完全に死者と一体となった石だとなる
死者がもののけとなり悪い霊としてつくとは限らないと思う
何か家には死者の霊がもののけとして憑いている感じになるのだ
それは悪い霊ではない,長く住んだ家から離れられずついているともなるのだ
死者はだから骨になり灰になっても消えたとはならない
何かむしろ物の怪となって長年あった場所に憑いているともなる

ものしずか母なりし今日も寒しきも庭の石にし面影残る

ものしずかな母だったというとき自分もそうだった,だから外交的な人には好かれない
外交的な人は好かれやすい,表に現れるからである。
内向的な人は表に現さない,隠忍自重している,だから石にふさわしいとなる
ただ死んでみるとそうして目立たないものが何かいつまでも残る,存在し続けるということも感じた,外交的な人には人のいい面はあるがそれがすべて表にでてでしゃばりになるのが欠点にもなる,ただ外交的とか内向的とかあってもどっちにもいい面と悪い面だしそれは悪い面もいい面となる,その両方を兼ね備えればいいのだが人間はそうなっていないのである。
正直内向的な性格は社会では損する,外交的な人が好まれているからだ
実際母はとても一人で家を切り盛りできない女性だった,何か社会のことがわからないからだ,自分もその血を受け継いでいるのである。
人間はつくづくなにもかも兼ね備えることがないから補い合うようにできているのである社会自体がそうして支えあっているのである。

●埋火の俳句より死者を思う

埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉

埋火やありとは見えて母の側(そば)蕪村

歳時記によっては初めが「埋火の」となっていますが、「埋火があるように感じられたが、母親のそばのぬくもりだった」という意味で・・・

この句も炭の時代だからこそできた句である。今はこういうことはない,エアコンとか部屋をあたたかくしてんるから何か寒々として感覚はなくなった
寒いということがないことは風流もないとなる,ただ寒いを風流と感じるのは体に自信があればそうなる,寒いとしても余裕として感じられるとなるからだ

江戸時代は裸足だったということが驚きである,女性も裸足であり靴下を冬でもはいていないのである。そんな寒い所で良く裸足でいられたと思うのも時代である。

芭蕉の句は埋火(うづび)ではそうした人の余韻を残す,それが絵画的に示されている
それは死者ではないがやはり人が去ったあとで死者ともにている
蕪村の句は本当に死者なのである。母がいつもそこにある,ぽかぽかとあたためるように母があるという感覚になる
自分には複雑な家庭でそういうことはないが母が死んでから何か母がいつも近くにいるという感覚になったのは不思議である。母のことは生きているときそんなに自分は思っていなかったからである。
つまり母が死んでからそうなった,死んでしまうと人間の見方は生前と変わってくることは確かなのである。つまり生きているときでも喧嘩していても長くあっていないと喧嘩した相手でもなつかしくなるのとにているのである。


埋火と死者

死者はなかなか消えない
埋火のように
とろとろと燃えて
消えるようで消えない
消えたと思うとまた現れる
死者はいつも身近にいるのかもしれぬ
とろとろと燃える埋火のように
あたたかく母のようにいるかもしれぬ
それは母だけではない
何かそうして愛すべき
親しい人は死んでもいるのかもしれぬ
死者はもう己を強く主張しない
でも埋火のようにいつまでも燃えている
長い歳月を共に暮らしたゆえに
死んでもやはり何かありつづけるのが死者
死者はただ残された人の心に
面影のみとして写る
その面影はなかなか消えない
埋火のようにいつまでもとろとろと燃えている
今年は特に寒い
だから火が恋しいくてまた死者の面影を偲ぶ

埋火


死者を思う時こういう感覚なのかもしれない,死者自体が埋火のような感覚になる
死者は生きている時のように騒がしいものではなく現れるかもしれない
死者は何か激しく怒ったりはしないだろう。とろとろ消えないで燃えている埋火とにているのだ。埋火のようになかなかその火は強くはないが消えないのである。
炭の時代を子供のときに経験している,それは貴重な経験だったのである。
炭のことを知っている世代はもう団塊の世代のあとはいなくなったからである。

埋火の文は老人問題に書いたがこちらにも移して一つの文にした
またここに文を加えることにもなるかもしれない
こういうことは電子空間では簡単にできる,常に加筆したり変えたりするのが手間にならないのである。だから絶えず更新してゆくのがインターネットの電子空間なのである。こ


タグ:死者 面影

2017年12月12日

遺骨は何なのか死者とは何なのか? (死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)


遺骨は何なのか死者とは何なのか?

(死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)


死者とは何なのか?生きている人が死ぬと骨になり灰になり消えてゆく,実際に20年すぎたら骨壺もないし骨もなくなっいた,そこには骨も他の人と一緒になり混ざり消えた
そこに個人を特定するものはない,抽出するものはなくなった
骨は物質だからいづれは土になるなり消える

死者とは何なのか?骨がなくなっても死者は存在し続ける,では名前なのか?
奇妙なのは母親の名前を墓に刻まない息子がいた,不肖の息子であり金がないから墓に名前を刻まないのである。だから名前がない墓は誰にお参りしているのか?
供養しているのか?これもなんなのだろうとなった

はっきりしていることは人は墓という物にお参りしているのではない,墓が石であり物なのである。では死んだ人は何なのか?死んだ人と人間がどうつきあうのか問われている
自分の家族は全部死んだ,自分では死者とどうつきあっているのか?
それは死者を回顧してこうだったとかああだったとか語る
その時死者と対話している,別に骨がなくても死者と対話しているのである。
だから骨が大事なのではない,骨がなくても対話はできる

現に自分の兄の母を自分の墓の隣に作った,するとそこには骨もないのである。
でも名前を刻み墓として供養すればそこに死者がいるような感覚になるのも不思議であるその墓の前を毎日通っているから余計に身近に親しみやすいともなるのである。
骨もなにもないのだけどそこに死者がいるような感覚になる
だから死者は骨ではない,骨はいづれ土になるなりなんなりして消えるからである。
でも骨がなくなっても死者は存在し続ける

いつまでも死別した人を忘れられないというときその死者はそうして生者の中に存在し続けているのである。つまり思い出として存在し続けているのである。
最後は人間は思いでだけになのだ,思い出が貴重なもの宝物のようになる
特に死んだ人はもう会えないのだから思い出のなかでしか存在しないのだから余計に貴重なものとして浮上してくるのである。

だから離婚して音沙汰がなくなった夫でも遺骨が行き場がなく元の妻に帰って来たとき子供と遊んだ写真をみてなつかしくなり夫を弔ったとあるのもそのためである。
死んだことで昔の楽しい一こまが蘇ったのである。
子煩悩だった人だったとかありそれで死者を思い出して弔ったのである。

要するに死者はもう二度と会えない,ただ思い出の中で会うだけなのである。
自分は家族と60年間一緒にいたから生きていたときはうざいとか思っていた
そういうことはみんなある,家族なんかうざいなとか普通にある
でも一旦死んだりすると全く違ったものとして浮上するのである。

ともかく60年間一緒にいたらなかなかその存在は消えないものとなる
何か以前として近くにいる感じになるのである。
近くで見ている感じになるのである。
だから以前として死んでも交流がつづけられている感じになる

寒いときスト-ブで沸かした湯を湯たんぽに入れていた,その時姉が必ずいたのである。
そんなことなんでもないことである。でもその時寒いが姉のあたたかさがあったなとか今になると感じる,その時は何にも感じていない,今は一人になったから余計に感じるのである。
寒々として一人寝るだけになったからである。
家族がいない家は本当にわびしいとなるからだ,家族がいれば寒くてもあたたかいということがあった,それがないから余計に淋しく寒く感じるのである。

日常のなにげないことが死んでその人がいなくなったとき感じる
それも貴重な一時としてあったが永遠にないとなるからだ
ただ何かそれだけ長くいるといるような感じになるのだ
人間はそんなに死んだ途端にすべてが消えることはないのである。
確かに人間としての物質としての人間は消えても人間は以前として何かを伝いありつづけるのである。

俳句で死者を考えると

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埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉

埋火やありとは見えて母の側(そば)

歳時記によっては初めが「埋火の」となっていますが、「埋火があるように感じられたが、母親のそばのぬくもりだった」という意味で・・・

この句も炭の時代だからこそできた句である。今はこういうことはない,エアコンとか部屋をあたたかくしてんるから何か寒々として感覚はなくなった
寒いということがないことは風流もないとなる,ただ寒いを風流と感じるのは体に自信があればそうなる,寒いとしても余裕として感じられるとなるからだ

江戸時代は裸足だったということが驚きである,女性も裸足であり靴下を冬でもはいていないのである。そんな寒い所で良く裸足でいられたと思うのも時代である。

芭蕉の句は埋火(うづび)ではそうした人の余韻を残す,それが絵画的に示されている
それは死者ではないがやはり人が去ったあとで死者ともにている
蕪村の句は本当に死者なのである。母がいつもそこにある,ぽかぽかとあたためるように母があるという感覚になる
自分には複雑な家庭でそういうことはないが母が死んでから何か母がいつも近くにいるという感覚になったのは不思議である。母のことは生きているときそんなに自分は思っていなかったからである。
つまり母が死んでからそうなった,死んでしまうと人間の見方は生前と変わってくることは確かなのである。つまり生きているときでも喧嘩していても長くあっていないと喧嘩した相手でもなつかしくなるのとにているのである。


埋火と死者

死者はなかなか消えない
埋火のように
とろとろと燃えて
消えるようで消えない
消えたと思うとまた現れる
死者はいつも身近にいるのかもしれぬ
とろとろと燃える埋火のように
あたたかく母のようにいるかもしれぬ
それは母だけではない
何かそうして愛すべき
親しい人は死んでもいるのかもしれぬ
死者はもう己を強く主張しない
でも埋火のようにいつまでも燃えている
長い歳月を共に暮らしたゆえに
死んでもやはり何かありつづけるのが死者
死者はただ残された人の心に
面影のみとして写る
その面影はなかなか消えない
埋火のようにいつまでもとろとろと燃えている
今年は特に寒い
だから火が恋しいくてまた死者の面影を偲ぶ

埋火

死者を思う時こういう感覚なのかもしれない,死者自体が埋火のような感覚になる
死者は生きている時のように騒がしいものではなく現れるかもしれない
死者は何か激しく怒ったりはしないだろう。とろとろ消えないで燃えている埋火とにているのだ。埋火のようになかなかその火は強くはないが消えないのである。
炭の時代を子供のときに経験している,それは貴重な経験だったのである。
炭のことを知っている世代はもう団塊の世代のあとはいなくなったからである。

ともかく死者とどうつきあうかとなるとこれも一様ではない,でも現代は死者とのつきあい方は何か変だなと思う,死んでから知り合いでもない人が集まり合葬するとかもそうである。それは時代の反映なのである。
なぜならもともと村を中心に生活していたとき人は村でみんなと生活して死ぬときも一緒だったからである。同じ村の中の共同の墓地に葬られたからだ
それはこの辺ではホトケッポとか呼ばれている,仏方とか地名にもなっいるからだ
現代では村とかの親密なコミニュティはない,だから全然知らない人が集まり一緒に葬られる,死んでからそうなるというのも変なのである。

これも生と死は連続したものとしてあるからそうなっているのだ
死によってこれまで生きていたことが全く断絶することなどありえないからそうなっている,死んでもやはり生前の人を思い出して死者を見ているからである。
死者になったからといって全く別人になったものを見たりできないからである。
いづれにしろ今年は寒い,寒い時また感じるものが違ってくるのである。

NHKクローズアップ現代『あなたの遺骨はどこへ〜広がる“ゼロ葬”の衝撃〜』

この番組は深く追及している考えさせる番組である。こういうのがyoutube に見られるからいい,すると何回も見れるし考えることにもなる,他に墓について考えるものが出ているからいろいろと理解が深まるのである。
それがメデアの変化なのである。

母の命日に兄の墓を建てる (これも不思議なの宿縁か?-なぜ人は死者を恐れるのか)

母の命日に兄の墓を建てる

(これも不思議なの宿縁か?-なぜ人は死者を恐れるのか)

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兄の墓




これも偶然だったのか?母の命日に兄の墓を自分の隣にたてた,それなりに立派である。
原町の実家には骨が入っていたが骨壺もなにもなくなり土と化していたからもってきようがない,だからここには骨は入っていないのである。

でも墓を建てたのは母の実家の墓を守る人が確かに兄と5年間一つ屋根の下で一緒に暮らしていたのに知らないというのである。
そしたら供養にもならないだろう,知らない人を供養できない
そもそも墓の不可解はいろいろ書いてきたけど墓というものを供養しているのではない
人を供養しているのである。

その人を知らないとなれば供養もできない,知らない人でも話を聞いたりしてそういう人だったのかと知ればいいがそれすら知らないとなれば要するにその人は存在しないとなるのだ,存在しないものとして消されたのである。
時間がたてばそういう人はいくらでもいる,歴史的になるとその人が本当に存在したのかどうかもわからなくなるのだ,だからこの人が存在していたということが驚きにもなる

娘はいてもひどい目にあったから供養する気もしないし関心もないから自分が供養する他ない,自分の墓はすぐ近くで毎日その前を通っている,すると毎日手を合わすことすらできるから供養するにはいいのである。
墓も遠くになると疎遠になる,墓参りするのがめんどうになるのだ

墓が大きくしていたのは戦前頃まで焼かないで土葬だった,そういう実話として自分の家でも姉の母は自分の母と違っていたが姉がシンガポールに四年間従軍看護婦として勤めて帰ったとき母が死んでいたのである。
それで母をみたいと墓をあばいて見たら顔でもまだ形をとどめていてきれいだったという土葬だったからそういうことができた,これも戦争の悲しい物語である
その姉も死んで8年とかなる

母も死んで3年がたってしまった,時間の過ぎるのは早い,今日は母の命日であり兄の墓を建てることと命日が重なった,これも不思議といえば不思議かもしれない
自分の家は兄には悪いことをしたということがあり自分が供養した
ただその後の責任は全部自分の家にあるとはならない
なぜなら別に不遇でもそれなりに普通に生活している人は多いからだ
それは結婚してその結婚生活に失敗して経済的に破綻したからである。
そして交通事故で死んだのである。
そうしたことが全部自分の家の責任とはならない,だから娘は父親でも供養する気持ちがないのである。

なんか人間は死んでもめんどうである。墓の問題は結構めんどうなのである。
人間の最後の問題として墓がある,その墓でもなくなるとその人の存在はなくなるのか?
別に墓がなくても人間はいろいろと存在し続ける人はいる
英雄とかなると伝説としていつまでも語り続けられるのである。
人間は最後は物語にストリーになりヒ-ストリーになるのである。
必ず家族でも死んだら物語を残すのである。
だから残された人は自ずと語り部になるのである。

いづれにしろ何か宿縁というのはあるのか?母と兄とはいろいろあり兄は母を恨んでいた
でも大人になってからは恨むこともなかった
そして兄は娘を一時児童相談所にあづけることになった
何か本当に母とにているのである。何かそこにカルマがある,カルマとは同じことが運命的にくりかえされることなのである。

ともかく兄の墓を作ったことでまた母の遺言を果たしたことで楽になった
自分の勤めは果たしたとなる,今墓で母と兄も結ばれているともなる
墓は分離するのは良くない,それは実際の家族でも何でも分離していることになる
不和になって分裂していることになる
母の実家のは墓はそうである。みんな不和分裂している,実家の墓でもその墓を守ってくれと長男にあたる人に300百万で頼まれても墓は維持できなくなる
遠いし墓参りにくるだけでめんどうになるからだ
だから自分は頼まれなくて良かったと思う

つまり墓のめんどうなのは墓の因縁を墓にうめられた人たちの因縁を背負うことになるから簡単に墓など金もらったからと継げるものではない
悪い因縁があり祟るということもありうる,だから墓は墓という物を受け継ぐのではない何かそうしたその家であれ因縁を受け継ぐことになるから金だけでは簡単に受け継ぐことはできないのである。
そして心から供養する気持ちのない人も墓を受け継ぐことはできないだろう
そこに墓のむずかしさがあったのである。

墓建てぬ母の命日寒しきも息子とともに安らぐべしかな

神社には、無念の思いで死んでいった人の祟りを鎮めるために、神として祀って慰める神社があります。
怨霊信仰、御霊信仰といわれる神社です。
平将門や崇徳上皇を祀った神社などは、そういうものに該当すると思います。

確かにみんな死者が往生したわけでもないし成仏したわけでもない,そういう人はまれなのかもしれない,人間はなんらか未練を残して死ぬのが多いのである。
それはカルト教団に入っていても同じである。むしろそこの方が不孝な人達の集まりだから未練を残して怨霊になるような人が多いだろう。

自分でも死者ををどうしていいかわからない,ただ恨んでくれるなとなるのは確かであるその不孝な死は本人の責任も大きいがいろいろ事情あって墓を建てた
安いものだったから良かった,でもそれなりに立派なのである。
墓はあれで十分だと思った,あれならあとかたづけるのにも墓を守る人がいなくなったら楽だからである。

いづれにしろ人は死んでもそれで終わるわけではない,その後も墓とか具体的な問題が残る,明らかに靖国神社があるけど死んだ人の霊が靖(やす)かれということがある
死んだ人に対してそう祈る,そして悪いことが死者が祟らないようにする
でも実際に「ひどい娘だわ」と自分に最後言って恨みを残して死んだ人を知っている
そうなると何か死者の霊は休まらないともなる
自分は祈る必要もないが娘はやはり墓参りする,するとそれを偽ることはできない
だから死ぬときでもそうして恨みとか残して死ぬのはあとあとまで祟るとなるから怖いのである。それで怨霊を祭る神社が生まれたのである。

ただ今回の富岡八幡神社の宮司殺人事件のような人は怨霊にもならない,あまりにも利己的な身勝手なものであり怨霊神社となったのは何か理不尽な結果として死んだ人達のことを恐れたのである。それはなぜか?
そこに心のやましさがありそれで死者を恐れたのである。
今回の事件はそんなこと一切ない,あまりにも汚れた宮司の継承問題であり
その悪は一切事件を起こした人にあったからである。
呪われるのはその事件を起こした人達であり回りの人はなんの関係もないのである。
怨霊として祟るというとき一体誰に祟るのか?
自分自身の不徳に祟るからそれは全部その本人にかえってゆく,回りの人は関係ないのである。

ともかく自分の墓なら毎日通る道にあるからそこを通るたびに手を合わすこともできるし何か死者と一緒に暮らしているという感覚にもなる,離れていると墓だって疎遠になる
だから墓でも親の墓は子供の移った先に移動しているのである。
何か自分は責任を果たしたという感じになり楽になった,死後でも死者が安んじるようでないと祟るとはならないまでも嫌な感じになるからだ
死者とは何かわからないしやっかいな問題だったのである。
タグ: 怨霊

2017年12月11日

田舎の冬の一日(写生俳句)


田舎の冬の一日(写生俳句)

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石の庭志操を守る冬薔薇

冬紅葉母の命日偲ぶかな

冬日さし蔵の農家や古りにけり

冬日さし干し物に大き庭の石

冬椿福祉施設を囲むかな


今日でやっと歯医者が終わった,今年は二回歯医者に行った,相馬市の方は遠いのでやめた,ここは原町が近いことで助かっている,なんとか電動自転車で行けることである。
受け付けの女性はそれなりに年配であり感じがいい,治療が終わったら「お疲れさまです」と言われたとき本当に歯の治療もいたいし嫌だから慰められた,そこに癒しがあった,実際は福祉とか医療でも癒しの仕事である。
癒しを与えるような女性だと何か病気すら直る感じになる

正直病院はそういう癒しの場ではない,何か癒しがない無機質の殺伐とした感じなのである。
ただ受け付けでも何か印象がいいとその歯医者はやはり患者が集まるともなる
原町のYという歯医者だった,大学はいい大学ではないがそれもわからない,医者とかは生来のものがある
器用さとは生来のものでありそういうものも大事になってくる
開業医でも病院でもその場を良くするのは看護師が大きな役割をになっている
だから医者だけでは好感もてる医院や病院を作れないのである。

歯医者くらいならいいが他の重篤な病気になると診る人も余裕がなくなるのである。パンを買うのがイオンでもあり何か原町には用事がある
相馬市の距離は倍以上であり最近半年以上自転車で行っていない
相馬市にもまプリントする用事があるのだが行けない

何か家事だけでも忙しい,自分の家は寒いのは古い作りの家だからである。すきま風が入る,すきま風は床下からも入ってくる,前が広くあいて部屋になっていないのもそうである。
店をしていたから広いから風が吹き抜けのように入ってくる
だから下の茶の間は広いし石油ストーブでも部屋中が温まらないのである。
でもこういう寒い家を直さないで良く住んでいたなと今では思う
他はいろいろ直したのに肝心なことが直さなかったなとも思う
ある人は部屋をあたためるようにリホームしたというのもわかる
やはり老後はこれでは辛いとなる

何か家事をしていろいろ気づくことがあった,家事することはいろいろあるからわからないのである。やはりこれも経験していないからわからないのである。
人間は基本的に何でも経験していないとわからない,社会のこともわからないのである。本を読んでもわからない,株だって実際にしてみなければわからないのである。
世の中生きるのに経験することは限られているし知らないことが多すぎるのである

youtube が便利なのはそうした日常の知恵が紹介していることである。
畳の下に何か敷くと風が入らなくなるとかも紹介してあった,リンゴを毎日食べているが良く洗わないで皮ごと食べていた,皮に栄養があるというから食べてたいたのである。
それと早く仕事しないと時間の余裕がなくなるからである。
家事だけ丁寧にしていたら時間がとられ他のことはできなくなる
前は介護もしていたから余裕がなかったのだ

冬の日はやはり田舎がいい,より落ち着くのである。
冬薔薇というとき志操守るというときふさわしいとなる,志操を守るということは大事である。志操を守ることには命もかけることもある,志操が守れなければ死ぬというまでに大事ともなる,それは金より大事にもなるが現実は志操などより金だとなっているのである。何かを守るべきものがある。それを譲れないものがある。
ただその時相当に苦しむことは確かである。

明日は母の命日だけで何もしない,何かやはり師走であり追われている,自分は介護始めてから何か生活が追われている,結局家事とかみんな自分でしなければならないからである。

仕立屋にはじめて行くや冬の日やぬいあわせしてジャンパーを着る

ボケットが切れていてぬいあわせしてもらったのである。300円だった,こんなこと頼んだこともないのである。そんなことしてくれる所がまだあったこともからなかった,いつも通る所に仕立屋がまだあったのである。今はみんな新しいものを買うからそんなことしないと思っていた

明日は母の命日だけで何もしない,何か生活に追われてできない,何でも一人ですることは身にあまることになる,母は一生忙しく過ごした人だから師走に死ぬのは安ていたのである。
そして冬紅葉もあっていたから冬紅葉忌ともなる,一生が何か不遇だったともなるからだ
写生俳句というとき現実の生活そのままを写し取ることでもある,だから洗濯物が干してあってそこに大きな石があるというのも写生であり何かを語っているのである。
大きな石がありどっしりとありそこに生活があるとなる
写生によって何かを語らせるのが写生俳句なのである。

鹿島の福祉施設が集中している所に冬椿が囲み咲いている,それもにあっている,福祉となると冬椿とかがにあう。
でも実際の中味は福祉にはいろいろ人でもなんでも問題がありすぎるのが実情なのである。
ただ冬椿に囲まれている景色は外から見ればいい感じになる

2017年12月10日

常に変わる社会の人間や物の価値 (資本主義社会はその変化に対応するシステム?)


常に変わる社会の人間や物の価値

(資本主義社会はその変化に対応するシステム?)



最も強い者が生き残るのではなく、

最も賢い者が生き延びるのでもない。

唯一生き残るのは、変化できる者である。ダーウイン

人間の価値は常に変動している,農業時代は力持ちが価値があった,だからどこの神社でも比べ石がありその石を持ち上げると一人前として認められた
米俵とかをかつぐことができないと一人前に認められないからだ
女性すら力持ちの方が嫁としていいとまでなった,美人でも農作業ができなければ役にたたないとなるからだ
大きな祭りの藁人形をかつげると一人前として認められたとかもある
それだけの力があれば大人の仲間入りできたのである。
だから農業時代の価値基準は力があることだったのである。
それは男女でもそうだったのである。女性も農家に嫁げば力仕事をしなければ勤まらないからである。

人間の価値は常に変わっている,明治時代になると福沢諭吉が「学問のすすめ」を書いた人間の価値は侍のように刀をさして武道にすぐれていればいいとはならなくなった
学問が立身出世になるから学問に励めとなったのである。
実際学校で勉強嫌いででも自分でもそうだが勉強できないものは力仕事を以前としてしなければならない,建築関係でも力仕事をさせられる,すると体力がないもの力持ちでないものは勤まらないのである。
だから自分は勉強嫌いであり社会のことがわからないで失敗した
なぜなら自分は体力がないのだから勉強して頭を働かす仕事をするほかなかったのであるそういう自覚が全くなかったのである。
自分は他の人と比べて体力がないのだから勉強して頭を使って生きるという自覚がもてなかったのである。

ともかく価値は常に変動している,職業でも前は繊維関係とか石炭関係とか花形産業であった,鉄道も国鉄時代では地方でも有力な就職先だったのである。
国鉄職員が多かった,それで社会党が国鉄の組合をバッグにして野党第一党となっていたのである。そして民営化したとき社会党の力もなくなり消失したのである。
産業自体の価値が時代によって技術革新によって変わるのである。
だから人間社会では変化に対応できないものは滅びるのである。

日本が経済大国になったのは電気製品などの製造業が世界一になり世界に売れた結果として経済成長して豊かになった,その時電器製品がテレビなどが日本の製品が一番すぐれていたからそうなったのである。今ではそういうテレビとか電器製品は韓国と中国とかと同等になり売れなくなった,自動車だけはまだ日本の製造産業を支えている
他は韓国でも中国でも追いつかれて東芝でもシャープでも売られているという時代になった

アメリカがなぜ世界を以前としてリードしているのか?
それは日本のような電器製品からITに移行したからである。インターネットなど通信とかコンピュターなどの技術革新をした結果とてして世界をリードしている
今度はAI化による技術革新時代に入るとまた人間の価値が変わる
常に人間はそうした技術変化がありすると社会自体も変わってしまう
今までの体制では会社でも生き残れなくなる,人間を見る価値観も変わる
新卒一括採用とかも変わる,会社を発展するにはどういう人間がいいのか価値があるのかという見方が変わるからである
今までのように人間を見ない,会社にだけ忠実なロボットのような人間はいらないとかともなる

価値が変わるというとき過去には塩が価値があり塩が経済の重要な産物であった,それで砂漠では塩と金が同等のものとして取引されていた
それだけ塩が価値があった,日本でもいたるところに塩の道があり塩が重要な産物だったのである。
でも今は塩などいくらでもあるし米ですら減反政策とかなり余ると価値のないものになるこうして価値が常に変動している

石油の値段が下がった→アメリカがシェール石油をとる技術を発明したため
ある会社が価値が上がった→何かの新技術を発明したから
ある会社の価値(株)が下がった→技術が停滞して遅れをとったため

会社の株がグローバルに上がったり下がったりしているのは価値の変動が常に起きているからである。それがグローバル資本主義のシステムなのである。
その他でもいろいろな要因が株は上がったり下がったりする
経済も変動する社会に合わせるからそうなるのである。
こうして変動する社会に対応するのが資本主義だからこそ矛盾していても生き残っているということになる
強い者が勝つのではなく適応するものが生き残るというのが資本主義社会の思想だから生き残っているのかとなる

職業でも地方では銀行員などが硬いものとしていい職場とされていた,でも地銀はもう役割がないとかなり証券会社の出先機関の役割しかないとかいづれはなくなるとか言われる銀行自体が事務などがAI化されて不用になり大量リストラに現実にされている
AI化で人間が不用になるのが四十パーセント以上日本であるというのも驚きである。
AI化で効率化されると人間の価値も変わり不用となりリストラされるのである。

そうして価値から考えるとき,みんな金に紙幣に価値があると思っている,でも金といっても紙は紙切れにすぎない,黄金ではないからだ,だから金は数字にすぎないというとき今ではそうである。だから突然その貯金の数字でもゼロになるという恐怖につきまとわれているのだ
それで現物で米俵を蔵に蓄えるとか黄金でもつとか土地をもつとかなったのである。
チューリップバブルではチューリップが異常な高値となり売買されたのである。
それはバブルだからそうなった,つまり金をもっていても金自体には価値がない
その金で買えるものに価値がある,だから投資というとき価値があるとういものに投資しているのである。だから投資先も常に変わることにもなる
それを見抜けば株式市場でもうけられるとなる
それには相当な知識が必要であり素人には無理だとなる
投資信託でもその基本的なことすら理解できないのが自分だったからである。

人間社会は常に価値が変わっている,原子力発電は福島の事故が起きる前は価値あるものだったのである。電気自体の価値は現代社会ではその価値は増大している
電気自動車でも膨大な電気を必要としている,ただ原子力は事故が起きてから中国でもソーラーパネルとか風力発電とかにシフトしている
だから突然に価値が急変することがありそれで株の暴落にもなるのである。

いづれにしろ資本主義社会では今や銀行であれタンス預金であれ金だけ蓄えていてもそれは紙にすぎない,数字にすぎないという感覚をもつ必要がある
金の価値も常に変動している,金をもっていたとしてもインフラになれば半分に価値が下がることもあるし文字通り紙屑にもなってしまうのである。
資本主義社会が投資から成り立っているというときそれは価値あるものが変化する
時代時代によって価値あるものを追及して投資して新しい分野を開きそこに富が生まれる
だからdarkness tigaで多国籍企業の価値は下がらないから株をもてと言っていることはそういうことかと理解する,株というのが投資というのが資本主義社会の基本にある
でもその資本主義社会でどう生きるかわからないのである。
銀行も間接投資会社でありやはり株式会社資本主義社会のシステムの中に作られていた
でも本来は間接投資より直接投資が本来の資本主義なのである。
ただ株のことが投資信託でもわからないから銀行がプロだと思ってまかせている
でも今や証券会社の出先機関が銀行なのかとなっているのである,だからもう必要ないと言われるのである。

これは常に価値が変わっているからそうな,銀行に金を預けていれば利子がつく時代が終わったとき銀行はもう必要ないとなる
だからそもそも銀行員でないにしろ銀行を利用する人も銀行の価値や見方を変えねばならないのである。一体銀行は何するところなのかとなる
それも時代の変化で価値が変わったくるからそうなる
その価値が変わることについていけないから銀行でも今までと同じように見ている
それで失敗するということがある
ただでは正直金をどうすればいいのか?資本主義がそういう仕組みでシステムで動いているということは理解しても現実にどうしてその資本主義のシステムで働いたり利益を得るのかとなるとなかなかわからないのである。
そして自分の場合は他にすることがあるからまかせる,でもその結果としてもうけることができず損するともなるのである。
posted by 老鶯 at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

地球の驚異(Wonders of the earth)


地球の驚異(Wonders of the earth)

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これらも写真から変形したものである。でも洞窟から鹿が見える絵は自分でも不思議である。
これはインターネットのサイトの絵画にあったものである。
だから鹿とか一部分は著作権違反になる,でもこれが不思議なのはやはり一つの新しい創造となっていることである。
単なるコピーではないのである。
だからやはり創作になっている,それはコンピュターによって作られた新しい芸術である
ただなんらかで原作があり著作権違反となるのがある,そこがやはりこのコンピュター芸術の問題なのである。


These are also modified from the photograph. However, it is marvelous that you can see the deer from the cave.
This is in the paintings of the Internet site.
So deer or part will be a copyright violation, but this is strange is that it is still one new creation.
It is not just a copy.
So it is still creative, it is a new art made by computer
However there is an original in somehow and it is a copyright violation, there is still a problem of this computer art. Of art

2017年12月09日

盛岡短歌十首(秋から冬) (盛岡は芸術都市:詩人の街(続)


盛岡短歌十首(秋から冬)

(盛岡は芸術都市:詩人の街(続)


盛岡は芸術都市:詩人の街


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盛岡の城跡歩み静かかな紅葉に映えぬ岩手山見ゆ

盛岡の城跡に来て寒しかな散れる紅葉を踏みて帰りぬ

中津川岸辺のベンチ石により秋の日さして流れの音聞く

中津川は流れ静かに木の葉散り岸辺をそぞろ歩む人かな

盛岡の中津川の岸老木や秋の日のさしてそぞろ歩みぬ

盛岡に銀行古りぬ秋の薔薇咲きてあわれや街を歩みぬ

盛岡や朝の光りに紅葉映え流れ二筋街中流れぬ

盛岡の公園の池凍りけり城跡静か昔の跡かな

真向かいに迫り望みぬ岩手山雪にし寒し朝の盛岡

雪埋もる小岩井の森聞こゆるはしきりにたたく啄木の音


盛岡は街として東北では魅力がある,東北では街自体に魅力がある市は少ない,
盛岡は街としての魅力もあるし自然環境としてもいいのである。
岩手山があり北上川が流れ中津川が街中を流れている
それで落ち着くのである。城跡もありと城下町の雰囲気もある
そこに啄木と宮沢賢治が詩人が育ったのである。
それは盛岡という街があったからだともなる
田舎だけではそうした文化とかははぐくまれない
ヨーロッパでも中都市にフィレンツとか他でも文化が栄えたのである。

盛岡の雰囲気と仙台の雰囲気はかなり違う,盛岡はなにか鄙びたものとハイカラなものが混合している,それは戦前から明治からでもそうだったのである。
だから賢治みたいな詩人が生まれたのである。
鄙びたものとモダンなハイカラな文学を創造したからである。
それはやはり盛岡という街があったことも影響しているのである。

平泉は古都だとしてもそこにあるのは金色堂だけであり跡は大泉が池とかあるが街はない周りは田んぼだけなのである。だからみちのくの古都として偲ぶといっても金色堂だけだから淋しいとなる,後は北上川と田んぼを見るだけだともなるからだ
仙台も森の都といっても何か盛岡と比べると城下町としてもそうした雰囲気を感じないのである。

街には明かにそれぞれの雰囲気があり個性がある,だから何回も原町市だった,南相馬市の原町区と城があった相馬市が雰囲気が違うと書いてきた
それは外から来た人にはわかりにくいのである。
原町はいち早く明治以降原町機関区としていち早くモダンな近代化した街だったからである。
小岩井農場も牧場も近代的な農業として作られたのである。
それで賢治の「注文の多い料理店」という童話が作られたのである。

他でも街には個性があるが一回くらい行ってもわかりにくいのである。
仙台とか盛岡は近いからわかりやすいとなる,会津若松市は有名だけどあそこに城下町の雰囲気がそんなに感じない,なにか城から離れた所が田んぼになっていて虫が鳴いていたのが印象に残ったのも不思議である。
城下町として感じるものがそれぼとない,ただこれは人によって感じ方が違うから感じる人は感じる,自分が東北で一番魅力を感じるのは盛岡である。
あとは弘前市だけどそこは遠いからわかりにくいとなる

みちのくは平泉までだったというとき盛岡まで芭蕉も行っていないというときみちのくと言っても広いからそうなる,青森はみちのくとしても果てになるからだ
盛岡は仙台からも近いから身近なのである。
新幹線で今や仙台から五十分でありここから仙台へ行くより本当に早いのである。
だから新幹線で盛岡に行くと不思議になる,岩手山でもすぐ近くにあるように見えるから不思議である。新幹線は距離の感覚を変えるのである。

岩手県に盛岡がありそこに啄木とか賢治が生まれたのも育ったのもやはり環境が影響していたのである。詩人をはぐくむ街として盛岡があったともなる
仙台からだと詩人は生まれにくいだろう。ヨーロッパでもフィレンツにルネサンスが生まれたのはそれだけ文化を育む都市だったとなる
ただ一回くらい行ってもわからなかった

盛岡の城跡は石垣でも端正に感じる,平地にあり平城であり落ち着いた感じになる
城跡の雰囲気でも違っている,ただ盛岡の歴史となるとわからないことがある
仙台の青葉城とはまるで違った感じである。山城と平城の相違が大きいのである。
そして何か落ち着く平静の感覚になるのは城の石垣が幾何学的に整然として配置されているからである。ピラミッドを見ると落ち着くというときとにている感覚である。
東北では小高い丘とか山城系統が多い,白河城でも二本松城でもそうである。
会津は平城である。盛岡は城跡と街が調和している,北上川と中津川が街中を流れているのも情緒がある。心洗われる感覚になる

タグ:盛岡

2017年12月08日

富岡八幡宮4人死傷の深層 (神社も寺も教会も聖なる場ではない)


富岡八幡宮4人死傷の深層

(神社も寺も教会も聖なる場ではない)

  瓦解する神社

神社本庁「恐怖政治」の実態、地方の大神社で全面戦争も

これは何なのだろうとなる,これは急激に起きた事件ではない,前からもめていたのである。
神社本庁と地方の神社の争いがあった,この神社本庁とは何なのか?
これは権力機構としての神社を統括するものだった
悪く言えば地方の神社から金を吸い上げる組織なのとかなる
暴力団の上納金のシステムなのかとなる

なぜなら跡目相続でもめているというとき神社本庁もその地方の神社の宮司になるために争うというからだ
天下り先として地方の神社に神社本庁の職員がなる
そして東日本震災で寄付された御料米が職員に配られていたというのもそうである。
利権化した団体でありただ上納金を吸い上げる本元が神社本庁なのかとなる

そもそも宗教は無形だったものが有形化資産となったときそれをめぐって争いが起きた
カトリックでは土地を所有することによって財産を築き腐敗した
土地をもつだけで相当な財産を所有したからである。それは日本でも寺領がありそこは治外法権のうよになり国のようになり僧侶が支配したのである。
その僧侶が武士になったという説もありえないことではない,なぜなら寺領を武力でも治めていたからである。

平安時代後半は社会が乱れ、強い勢力を持った寺社が自衛するようになり、所有する領地の治安維持や公家・武家・悪党・他の寺社などに対抗するため武装。

ヨーロッパでは騎士団が形成されたし十字軍もあるから宗教は戦闘集団としても形成されていたのである。
そういう歴史があるから権力争いが宗教でも起きてくる

明治維新のとき廃仏毀釈がなぜ起きたのか?それは江戸時代は寺が幕府から役所の一部のようにされ優遇されたからである。それで天皇がもちあげられたとき右が勢いづいて
廃仏毀釈が荒れ狂ったのである。これも宗教の権力争いだったのである。

宗教の争いというとき宗派の争いとかあるがその根底に利権をめぐる争いがある
人間は土地でも建物でも金でもなんでも財産となるものがあればそれをめぐって争いとなる,だから宗教の理想は何ももたない無一物なのである。
キリストやシャカは家もないしこの世に安んじて寝る場所すら確保できなかった
そんなことをまねする人など今はいないのである。

神社も一つの権力化したものとみることができる,神社の意義は何なのか?パワースポットとかとして今では重宝される
神社は土地と深く関係して生まれているからだ,それで津浪で神社が建っている,社がある所が津浪からまねがれたということで話題になったのである。
ここでも烏崎の八幡神社が津浪からすれすれで残ったというのもそうである。
ぴったり津浪の来る高さにあったということも不思議なのである。
そこに霊験があったともなる

神社が場所に関係しているというとき飯館村に山津見神社などもそうである。あの奥深い場所がそうなのである。佐須とは焼き畑地名であり狼は祭っているのは農作物を鹿とかイノシシとかに荒らされるから天敵の狼が神ともされたのである。

神社が場所と深く関係しているというときエレサレムを首都にするということでもめているがやはりそこが聖地だということで争っている
本当は聖地は常に移動している,聖地は常に汚されるからだ,そんなに争う場所に神はいたくないとなるからだ,だから今神は砂漠にその住処を求めたというのもわかる
今はヒマラヤ辺りが聖地となる


古代に度々都を移したのはそこが汚れてしまうからである。政争があったり何やかやと汚れる,平城宮でも呪いの木簡が発見されたりする,それで心機一転するために都を移したのである。それは古代だから移る未開の土地があったかからできたことである。
人間はただ常にフロンティア求めてきたのである。
日本だと北海道になる,そこで空気まで違っているからだ
そのフロンティアが世界的に消失したとき宇宙にフロンティアぁう求めるようにもなったのである。

いづれにしろ東京などに宗教の本部があるとしたらそれは政治化したものであり暴力団の本部と同じである。上納金を吸い上げるためのものでしかない
神社はもともと地域の土地に根ざしたものだとするとなぜ神社本庁に組み入れられるのかわからないからだ,ただ権力機構化して上納金を吸い上げる組織だとなる
ただ巨大組織は宗教でも共産主義国家でも中央集権となり中央に権力が集中されて管理されるようになる

神社でも寺でもカルト教団でもそこは組織化して権力化した団体である。
そういう所に本来の宗教はない,韓国系統のキリスト教団体とかエホバならアメリカ系の政治的団体として日本を支配するための出先機関なのかともなる
そこに自主性はないのである。
宗教をもとるなら組織とか団体とかに入るべきではない,教会にも行くべきではない
そこも組織であり組織的に人を支配するための団体だからである。

創価なども巨大な権力機構であり何をしようとしているのか?
それは権力でもって日本を支配しようとしている,宗教はその道具にすぎない
狙いは権力なのである。どんな人でも人を選ばず会員とするのは票として権力をもつためにそうしている,数を集めるためならどんなことでもするとなる
そして池田大作が死ぬと分裂して内部で権力争いになる
莫大な有形資産をもっているからである。その争奪戦になり分裂してゆく
それがかつて人間がしてきた繰り返しカルマだとなるのだ

何か宗教を看板にしている所はすでに汚れているのだ,だから神社でも寺でもキリスト教関係でもイスラムでもなんでも汚れた場所なのである。
だから奇妙なのはそういう場所に行くと心も汚れるのである。
だからかえって山岳宗教など迷信的だとかなるが山の気にふれて心を清めるのだから宗教施設などで祈るよりいいとなるのだ
まず都会にある宗教施設はもう宗教ではない,政治であり経済であり権力の場として機能しているだけである。

寺には行くな
神社には行くな
教会には行くな

どこに行けばいいのか?山を仰ぎ自然の気に触れた方がいいとなるのだ,そこにこそ神道がある,神がすみ心が浄化される真直になるのである。
posted by 老鶯 at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年12月07日

原町の時刻表 (小高行きの時間が出ていた)


原町の時刻表

(小高行きの時間が出ていた)

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道の駅にあった原町の時刻表に小高行きの時間がでている,こさを見れば小高に行くときは便利である。浪江行きとはなっていないが浪江行きも小高行きだと行くのかもしれないこれは浪江駅が開通する前に作られたので出ていない

これも時刻表として自分の作ったものに入れればいいがめんどうでできなかった
自分が駅に置いた鹿島駅の時刻表は結構枚数を置いたが今でもなくなる
だから相当な量が必要になる,千枚とか必要になるのかもしれない,
それ以上必要にもなる,ただ最近駅でしていることはタバコの吸殻とか拾ったりゴミを拾ったりしているだけである。

駅舎のホームの蛍光灯が二つ点滅していので連絡した,それは了解したから交換するだろう。その他何かいろいろあったが話だけで終わった
ただ一年間ボランティアのまねごとをして面白かった

鉄道の旅が長いし世話になった,でも鉄道員のようなまねをしてみたら鉄道も違ったものにみえる,これは簡単にはわからないものだった
車掌に手をふって電車を見送ったときなんともいえぬ不思議なの気分になった
鉄道員としての鉄道を維持する連帯感を感じたのである。

人間の仕事はいろいろあってわからない,まず鉄道を利用するのと鉄道を維持するために働くのとはまるで違ったものとなる,鉄道会社で働くということは何か義務感とか大げさになれば使命感みたいものが必要になる,だから生きがいになるのである。
自分も鉄道を維持しているんだというものを感じる
それはボランティアのまねごとでも感じたからである。

自分は働いたことがないから会社員になったことがないからそういうことがわからなかったのである。鉄道員が映画になったように何かそこには人生そのものが鉄道とともにあったとなる,だからこそ愛着が生まれたのである。
どんな仕事でも長くしていればそれに愛着を感じる,ガンになった人が倉庫で働いた人とまた働きたいというときもそうである。
なぜなら仕事というときそれが給料をもらうとういだけではない,人生そのものになる
これもふりかえればそれが生きた証だとなってしまうのである。

冬の日の故郷(写真俳句)


冬の日の故郷(写真俳句)

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前畑を手入れす老人冬の菊

新築の家の隣に冬柳

冬日さし寄り合い並ぶ石残る

山茶花や石の残りて医院かな


この写真家から読み取れるのは何か?
この老人は前の畑だけど手押し車を押してきたのか?手押し車が脇に置いてあるからだ
前畑だからなんとか畑にして仕事しているのだろう。
前畑とか前田というのは家の前だから仕事しやすいのである。
それは姓にもなったのが日本である。後畑という地名も浪江にある

肉眼で見たときはこの車椅子は良く見えなかったしシャベルも良くみえなかった,写真にとると見えないものも写っているのだ
写生俳句が写俳が一つのジャンルを形成したのは時代である。

新築の家に冬柳がしだれているがそこはもともと古い農家であり新しい家はこの辺ではまだ建ち続けいるからこの辺の変化を示している

次にいつも通る路地裏の医院である。これはこの辺では知られていた,母も通っていた
このお医者さんは老人に親切だとかやさしいと言っていた
もう一人の医者はこの辺では有名だった,その話の出ないことはなかったのである。
でも口が悪く母は嫌っていたのである。
ただ医者としては優秀な人だったのである。
不思議なのは死んでから全く話をする人もいないのである。
一時息子が跡を継いでいたが原発事故で東京にもどり母親は施設に入りいなくなった
そういう家の変わりようが普通にある

この医院はいかにも作りからして古いし地域に親しまれた医院だということがわかる
その頃大きな病院は少なく開業医が多かったからである。
この空家となった医院を見ているとだから不思議である。

冬の日がさして庭には石が並んでいる,それがまるで年寄りが肩寄せ合って並んでいる感じに見える,開業医は人間的な所があ地域に土着して根ざしているのが違うのである。
大きな病院は無機質であり人間味がないのである。
そして勤務医と開業医ではかなり違う,開業医は地域の人と親しくならねばならない,そこでコミニケーションもしなければならないから違っている
この医院にはそうしたものが今でも感じるのである。

ともかくその後には人がいなくなっても何かが残る,近くの空き地には一本だけ松が残っている,それが近くでも誰が住んでいたかもわからないのが不思議なのである。
住む人もこの辺では変わった,だから外から来た人がかなり移り住んでいる

ただ人間は常に変わる,人でも何でも変わる,だからこうした変化は世の常だったのである。ただこの辺はその変化が激しすぎたのである。

金に働くカルマ (後で意識される怖いものとなる金もあるので注意)


金に働くカルマ

(後で意識される怖いものとなる金もあるので注意)


金にどうしてカルマになるのか?それはわからない,金というとき何かカルマが働くとしてたら大きな金である。
百万以上の金だろう,その他の金は日常的なものに使うのだからいちいちカルマがあるとか気にかけていたら生活もできなくなる

ただ金にはなんらかカルマがつきまとっている,それも意識しなくてもそれがいつか意識させられる,その金は親から受けるカルマもある,自分だけのことではない,遺産とかなると親も必ず関係しているからである。

ふりかえると例えばなぜ弁護士は裁判もしない,何もしなくても百万の金が転がりこんだのか?職業柄そうなったともなる
運送会社に兄が勤めて死んだときそこに保険金がおりることになった
自分は車をもっていないのだからそれすらわからなかった
でもなぜ骨を置いておけとかいろいろいいふくめていたのか?
休業補償など書類でもなかなか書いてもらえずでもめた

それで困って弁護士に頼んだのがそれは仙台である。事故は静岡で起きたのだから弁護士は何もしない,本当に何もしない,裁判にもならない,保険会社の人が何度も運送会社の人に頼み書類を書いてもらったのである。
弁護士は何もしていないのに百万円が労さず入ってきたのである。

ただ頼みに行ったら報酬として百万円必要だとして払った,でもその弁護士は何もしないのである。何か裁判の結果として払うならいい,何もしないのにもらったのである。
ではこの弁護士が悪いかとなるとそうともならないだろう。
第一頼みに行ったのだからそうなった,ただそれが事前の報酬として必要なものだったのか?なぜなら何もしないし実際に手続きしたのは保険会社の人だったからである。

ただ何もしないで漁夫の利を得たとなる,弁護士という職業自体そういう争いごとがあり利益を得る,職業柄そうなったということである。
でもそれは十万くらいならいいがなぜ百万も必要だったのか疑問なのである。
弁護士も何かブラックな職業だというときこういうことがあるからかもしれない。
つまり報酬費用として払うなら最初から百万を払う必要はなかったか要求すべきではなかったからだ

ただそうして別にその金は今度は離婚した親が病気になったとかで子供がまだ中学生だったりして実際は使われたのである。離婚しなかったら保険金は妻に全額入っていたのである。ところが事故を起す数カ月前とかに離婚していたからもらえなかった
でも実質は親が使っていたのである。

そして同じようにその娘も子供のために使うと言っても自分のために使っていた
高校を卒業して学校に入るために使うというがその人は金が入るとぱっぱっと使う女性である。それは父親とにていたのである。
だから母が最後に金をやれとして遺言した金をやったが実際はすでに使っていた

だからその娘も同じカルマを金でくりかえしているのである。
ただ事故で死んだ人や不孝で死んだ人の金は本当は非常に危険なものだった
人の不孝があり残された金だからである。
子供は無駄に使うにしろ使う権利があった,その他はなかったのである。

まず金もこんなふうに厳格に考えたら金はたまらないだろう。
ただ金には本当に受け取ってはならない金があることは確かである。
それがその時は意識しないで金があればいいとなり受け取る
でもそれが後でカルマになるから怖いのである。

そもそもこの世で毎日事件が起きている,強盗だって起きている,それはただの偶然なのだろうか?
このことはいちいちその人のことなどわからないから知り得ようがない
ただ何か偶然として事件が犯罪が起きているように見えてもそうではないのかもしれない何かの必然性があって起きているのかもしれない
自分も犯罪にあって大金を失ったとしても何か冷静にふりかえるとそれももしかしたら自分が親から受けたカルマだったのかともなる
なぜそういう人が自分の家に来たのか?それも不思議だとなるからだ

カルマはその時は意識しなくてもいつか意識させられる,その時カルマに気づくのである親のカルマも受け継ぎカルマを意識するのである。カルマは自分だけではない伝えられるからだ
カルマは悪いことばかりではない,ここで損したけどここで得したというとき何か金の帳尻が合う,そういうことを経験している人が結構いると思う
損ばかりしているとは限らないからである。

いづれにしろ金は別に正当な理由があれば大金でももらってもカルマとはならない,悪いとはならない,何か正当な理由なしでもらう金が災いを生む
一千万でも拾って幸運だったとはならないのである。そこにその金をもらう正当な理由がないからだ,法律はなんでも理由を追及しているのである

巨大の遺産分けでも苦労して介護した人がもらえないというのは理不尽だとなる
それでただ血のつながりだけから遺産分けするのも不公平になる
ただそうしているのは原則として公平だからそうしているだけであり何でもみんな公平にはなりえないのである。

ともかく金は怖いものをもっている,何でも金ならもらえるならもらえばいいとはならない,何らかの理由が必要でありそれならいい,ただ問題が起きるのは百万以上だろう。
その他いちいち金についてカルマだとか考えていたら生活もできなくなるからだ
ただ受け取っていい金といけない金は確実にあるのだ
それが災いをその時は意識しなくても後で意識させられるから怖いのである。

タグ:金のカルマ

2017年12月06日

力を与える死者(詩) (人間の命や人生は自分だけのものではない)


力を与える死者(詩)

(人間の命や人生は自分だけのものではない)

母の面影
時にして浮かびぬ
その残せし家に
石一つ
目立たざるも
辛抱強き人かな
かつて姉はおおらかに笑いぬ
母はやさしく微笑みぬ
我はこの家にはぐくまれしも
母こそあれ
姉こそあれ
今我を思う人の一人だになし
何故か責めらるのみ
冷たき無情の世よ
時にして浮かびぬ面影や
姉死して八年
母死して三年
時はたちまち過ぎゆきぬ
我はなおこの家にありて偲び住む
今年もはや暮れんとす
力強く生きた人
誠を生きた人
辛抱強く生きた人
その人は死んでも
家の国々の霊となり
国々を見守りぬ
死者はその家の人とともに
国々の人と共に生きている
そういう家は国は強い
力は祖先からも与えられる故に
力は神から天から地から与えられるもの
汝一人にしては成せず
力は与えられものなれば・・
姉はおおらかに笑いぬ
山のごとしかも
母はやさしく微笑みぬ
石のごとしかも
二人は我を支えにしを・・・


感覚を鋭くすれば、亡くなった愛する人があなたに寄り添ってくれるのを感じることもできるのです。

そういうことは確かにあるのかもしれない,何か面影が浮かんでくるというのもそうである。つまりそこにいるような感じである。見えないがいるような感じである。
自分の場合は六十年間一緒にいたということの影響が大きいのである。

死者とは何かというとき死者とはその人の生前の継続として死者がある,死者となっても全く別なものに死を境にしてなるのか?
人間は死でもってすべてが断絶するように思う
死が骨と灰にしてしまうからである。するとどうな生き方をしようと金持ちであれ貧乏人であれ悪人であれなんであれみんな死ぬとなればそんなことに意味がないともなる

でも死者は生前が全く切り離して考えることはできない,極悪人がいたとして死んだから全く生前のことと関係ないように見る人はいないのである。
子供でも親でも毒親だったら死んだからと供養すらしないのである。

人間の一生など自分勝手に生きればいい,一回限りの人生だ,その人の自由に勝手にいきればいいとはならない,それが子とか子孫とか周りに必ずなんらか影響するからである。
人間の一生とか人生とか命とかは自分だけのものではない

みんな自分さえ良ければいいんだ,自分の人生は命は自分だけのものだということにとらわれている,他人は関係ないことだと思ってもその人生とか一生が他人に影響を与える
特に子や子孫に必ず影響を与えるのである。
すると自分の一生や命も自分だけのもではないとなるのである。

考えてみると自分だけを自分のためにだけ生きているとなるとかえって疲れる,自分のエゴのためにだけ生きていると疲れる,力も出ないのである。
母親は子供を生むとかわるというとき自分より子供のために生きるとなるからである。
だから母は強いとなる,自分のだけにため生きることは力が出ないのである。

要するに死者といっても死者を感じる人と感じない人とがいる,何かそこにいるなと感じる人もいれば感じない人もいる,それは生きている人にもよるじ死んだ人がどういう人だったかにもよっている
自分はあまり母のことは思ったことはないが死んでから何か思うようになったのも不思議である。生きているとき主役ではなかったから思わなかったのである。

人間が生きたというときいろいろある,でも死者はどうしたら喜ぶのか?死んだ人は喜ぶことがあるのか?それもわからないが死者は讃えられれば喜ぶと感じる
卑しめられれば喜ばないということがある,だから戦争で死んだ人達が貶(おとし)められれば死者は喜ばないのである。そこに英霊とか崇めることの問題が生じてくる

ただどんな人間でも完全な人間はいない,マイナスな負の部分が必ずある,だから死者は異常に美化して神のようにするのは問題なのである。
死んだからといって生前の継続であることは変わりないのである。
でたらめな生き方をした人が死んで突然変わることはないのである。

別に自分の家族が理想的なものではない,誠を生きたともならない,マイナスの部分も大きかったのである。ただ自分にとっては概していいものとして働いたから偲んでいるのである。そして力を与えられているのである。

まずひどい娘だわとか言って死んだ母がいるけどそういうのは子供でも死者が力を与えないだろう。恨んで死んだからである。そこに介護とかが苦しくても無情にできない切実な問題がある,親子関係でもいろいろあるからその辺の事情は外からわかりにくいのである。

本当に誠に生きた人は後世の人に力を与える,それは家族でなくてもそういう人はいる,だから人間はそういう人に習い努力すべきだとなる
ただ人間は死んで終わるわけではない,何か死者でも時間がたって家族でもそんな人だったのかと気づくことがあるからである。
生きているときはわからないが死んで気づくことが結構あるのである。
だから人間は死んですべて終わりにならないことだけは確かである。

2017年12月05日

墓の変転する顛末 (墓も無常をまねがれえない)


墓の変転する顛末

(墓も無常をまねがれえない)

墓は分離してあると良くない,原町でも遠いとなる,なぜ自分の家の方に兄の墓を建てるのか?それは事情があってそうなったのだ,兄は自分の家の戸籍には入っていない
意外と戸籍に入る入らないかはあとあと大事になる
財産の問題にもなる,戸籍に入れなかったということはそれだけ入れたくなかったのである。ただ五年間は一緒に子供のとき同じ家で生活していたのである。
だから覚えているのである。

ところが母の実家で暮らすようになってからは行き来していたが一緒に暮らしていない
その家で一緒に暮らした女性がいたがその女性は兄を覚えていないというから不思議なのである。ただその女性は人格的に異常化して普通の人でなくなったからそうなったのか?

ただ実家の墓はその家継ぐ長男にあたる人が墓を守ってくれと三百万はらって頼んだのである。もともと実家で育った人だから実家の墓を継ぐべき女性だったともなる
ただその女性は実家の姓とは違ったものとなって墓も別にあるのである。
そして住んでいる場所が原町でとなく遠いから困るのである。
何か墓でも遠くなると管理しずらくなるからだ
要するに墓が実家の墓,そこから別れた姓が別になった墓,そして自分の墓がある
何か生前も不和分裂の家だったのだが死んでからもそうなっているのだ

墓が分離していることはやはりその家も分離しているのである。
その女性は狂気のように自分の家に来て別れもう会うことはない
結果的に自分は兄の墓を自分の墓の隣に墓標として建てる

なぜそうしたかというと近ければいつでも供養しているとなるからだ
毎日のように墓の前を自分は通っているからだ,そしたら墓もいつも一体であり死者とも一体だと気持ち的になるのである。

墓でも遠いところから墓参りにきている人がいる,良く仙台ナンバーはみかける,この辺では仙台に移り住む人が多いかである。
広域社会になると全国に散らばりすむようになり家族もばらばらになる
すると墓を守るのは誰かとなり継ぐ人もいなくなり捨てられるようになるのが多くなる

だから墓は立派なものを建てるべきではない,墓標のようなものでいい,そしたら十万もかからないのである。あとでかたずけるのも楽である。
それは家とにているのだ,大きな家は空家になったらかたづけるのが金もかかるしやっかいなものとして負担になるのである。

そして墓は共同的な墓の方がいいとなる,なぜなら十人が一カ所に埋まっていれば誰かが墓参りしてくれるからである。一家族だと絶えてしまうのが多くなるからだ
そして個々人の墓標を建てあとは取り払えばいいのである。
墓だっていつまでも残せないからである。
実家とか長男とかが家族の中心にあったときは家は維持できたが今はできないのである。

いづれにしろ兄の墓の顛末も奇妙なものだった,交通事故で死んだとき運送会社で墓を作ってやると言って自分の家ともめたのである。
その時自分は車をもっていないから事情がわからなかった,ここでも車をもたない人は今の社会がわからないのである。
保険金をもらいたくてそんなことを言ったのである。そして骨を渡さないとかもめたのである。その時妻とは離婚していた
なんでも乞食のような恰好をしてきたのを雇ってやったととかしきりに恩きせがましくいい,墓は作ってやるから代理人にしろということだったらしい
自分は事情がわからないので帰ってきたのである。

ただ兄はその運送会社に入って喜んでいたことは確かである。
仲間ができてその仲間と死ぬ前に仕事で自分の家に寄ったのである。
その時は喜んでいたからその運送会社の社長とか仲間が別に悪い人達でなかった
それは保険金が関係ないときである
人間は保険金とか大きな金になると目がくらみ欲がでて悪魔に変身するのだ
そういうことは世の常である,だから人間の欲は本当に怖いのである。

ただ正直なぜめんどうな問題に事件にまきこまれたのか?
それは自分たちの家のせいではない,夫婦が不倫したり離婚したり経済的に困窮したのは自分たちの責任ではないのである。

とにかく兄の墓がこんな事情で静岡で死んでそして母が骨をもってきて原町の実家の墓にうめた,そして今度は自分の家の墓の隣に墓を建てて供養することにしたのである。
実家の墓はたまに墓参りするにしても将来的には自分はかかわらないかもしれない
兄の墓ともなっていたので墓参りしていた,後は墓をまかせられた女性に託すほかなくなる,その責任は自分にはないからである。
だから墓を守れと頼まれるのも実際は難儀なことだったのである。


ともかく墓の物語は死んだ人の人生の物語だともなっていたのである。
ただ兄の墓を兄を知っているひとはいなくなった,ここで子供のとき遊んだ仲間がいてもそれも年取って忘れる
人間はみんな忘れられる,墓だって遂には誰の墓なのかもわからなくなる
そして捨てられる,その人のことを知る人もいなくなる
それが人間の無常なのである。墓地とは無常の場所なのである。
近くの神社の墓地でもそうである。
子供のときその墓の上で遊んでいた,そこは人が埋まった場所だったのである。

そんなふうにもうその墓に埋まっている人は誰も知らない,江戸時代の墓も多いからだ
ただ自分は墓に関心をもって調べているから江戸時代の年号が刻まれていると貴重だなと思うくらいなのである。
結局墓も無常をまねがれないのである。いつまでも残すことは何でもできない
だから立派な墓など作るべきではない,簡単な墓標で共同的な墓がいいとなるのだ
それなら壊すのも簡単だしまたその墓地は他の人が使うこともできるからである。

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小池の墓地に倒れた墓だがこれも誰も参るものがなくなりこうなった,もしこの墓をお参りする者がいたら倒れたままでなく
立てておく,ということは誰もお参りするものがなくてこうなったのである。
だから無常なのである。

お墓の処分は宗教的な感情対象物として「現時点ではまだ適切な処分規定は定まっていません。」産業廃棄物として指定できる自治体(市区町村)もあれば、地域の関係団体などからは「廃棄物として適当ではない」という意見もでている県もあるようです。

産業廃棄物の品目の規定や解釈は、各地方自治体に任せられておりますので、自治体によって相違することが多いためのようです。


墓は何なのか?それがわからないからこうなる,墓と碑は違っている,墓は供養するものである。碑は記念するものである。だからデザイン墓は墓なのか記念碑なのかとなる

なにかモニュメントのようにしている現代の墓は墓なのかという疑問もある

記念碑にするときは何かに功績があった人であり生前に自分の記念碑を作るというのも変なのである。

なぜなら一旦記念碑でも墓でも捨てることがむずかしくなるからである。

ただ記念碑なら捨てやすいかもしれないが墓だと捨てにくいとなる

墓には骨がなくても霊魂が入っていて供養する対象としてあるものだからである。



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人間の最後のメッセージ (人間が死んで残すものは何なのか?)


人間の最後のメッセージ

(人間が死んで残すものは何なのか?)


人間はみんな死ぬ,そしてどんな平凡な人でも何かを残して死ぬ,そしてその一生を残された人がふりかえるようになる,自分の家族はみんな死んだ
最後にやはりそれぞれメーセージを残したのである。

母の場合は認知症になり金のことがわからないのに金額まで指定して最後の力をふりしぼるようにして大声で自分に言った
それには驚いたので孫を家に泊めてその金を支払った

その金は金だけのことではなかったのだ,孫に母の気持ちを伝えるものだったのである。孫はいろいろ不孝だったけど母は孫を思っていたということである。
他に誰も孫を思うものはなくなっていたからだ

でもその孫は金が使ったとかでたらめな生活をしている,だから金をやってもその金は活きていないのである。
そして母が金だけでない,孫に伝えるものがあったのだ
孫の行く末を思っていたということである。誰も思う人がいなくなったが母は思っていたそのことを孫は受け止めていないのである。

人間が残すことは何のなのか?それは芸術家なら作品とかなる,でも普通の人でも何かを残してゆく,その人の人生そのものが後世に残すものとなる
母の一生は苦労の一生だったとかなる,ただ戦後は食べ物とか贅沢はしていた
楽な面はあった,戦前はみんな貧乏だったから母だけではない,大正生まれとなるとみんなそうである。だから一般的に大正生まれは辛抱強い人が多いのである。

人間はどんな人でも何かしら伝えるものがある,ただ自分の家のことだと関心をもつが他人の家のこととなるとわかりにくいから関心がもていないのである。
なかなか事情がわかりにくいのである。

母が最後に残した誰かだす草稿の手紙は宝物になった,家宝というとき物に注目するが実際はその家に残されたものは物とか財産だけではないのだ
何か家訓とか残る家はそれなりに精神的財産を残しているのである。
そういう家は栄えるとなる

いづれにしろ人間最後に残す言葉は重いものとなる,キリストの死はあまりにも壮絶だったのである。でもそこで最後の愛をその最大の苦痛の中で示したとなる
それは普通の人にはとてもまねできるものではなかったのである。

それは別として普通の人でも最後に残す言葉は重い,認知症になっても最後は正気にもどるというのも不思議だがやはり人間は最後になれば違うのかともなる
ただ無惨に死んでゆくものもあるからみんなそうとは限らない,ただ人間最後に残す言葉は重いものとなる

そしてそれは後世のものに家族なら遺族に伝え残される,人間はみんな死んでゆく
では何を残すのだろうか?財産にみんな注目しているがそうではない
その人の人生を後世に残す,でたらめな人生を送ったもの親でも家族は供養したりしなくなる,それはただ苦しめられた人でしかなくなるのである。

人間がどう生きるかは別に自分の人生だから自分勝手に生きればいいとはならない,別に平凡な人でもそうである。その子供に孫に影響するのである。
ただその子供にしてもそんなことを言ってもそれを重く受け止めないでいい加減に生きる人はいる,最後のメッセージでもそれを重いものとして受け止めないのである。

人間は歴史をもつというときそれは家族に歴史がありそこから何かを教訓としてくみ取り後世に伝えるということがある,だから歴史というとき何かむずかしいのだが家族にも歴史がありそこから親や祖父母の人生を知ることも歴史を知ることなのである。

自分の家族の歴史でも一人は離婚したて交通事故で若くして死に悲惨だった,確かに不遇だった,でも不遇だからといってそれがその人の人生を決めてしまうのか?
もし不遇な運命でもそれなりに普通でも生きたとなれば家族に残すものがあった
つまり不遇な人だと不遇を普通に生きただけで称賛すべきものとなるからだ

とにかく人間は最後からふりかえり考えると人生でもいろいろなことが理解しやすい,若いときなど無我夢中で生きているからわからないのである。
でも人生をどう生きるべきなのか?それはいろいろあるから個々人で別になるから簡単には言えない

でも何か不遇でもなんでも辛抱強くあれというのも基本的に生きることにはある
不遇でも辛抱強く生きろということが大正生まれとかの人からは学ぶのである。
今の人は文句ばかり言うことが多い,近くの障害児を六十以上まで世話した人はそのことについて他者には口を閉ざしていた
一方で障害者をもって人は延々と人にその不満を言う,だからなぜあの人は不満を言わなかったのか?ただ耐えていたのかとなる,それも普通はできないことである。

こうしてただ教訓を残すというとき楽な人生を送ったら残らないのも逆説である。
苦しいけど生きたというとき後世に残すものがある,子は親の背を見て育つというときもそうである。楽に過ごす親を見ていたら楽に生きるのがいいとなるからだ
苦労はしたくないとなるからだ,ただ苦労でもすべてがいいとはならない,母の場合は苦労ばかりで花でもなんにも興味をもたなかったからである。
だから索漠とした人生でありマイナスの面があった

母の三周忌は命日は十二月十二日である,これも一生90過ぎても忙しく働いていた母にふさわしかったなとなる

2017年12月04日

老後は減らす生活を目指す (物を買わない,新しい物を買わない)


老後は減らす生活を目指す

(物を買わない,新しい物を買わない)

●スマホはやらない
●ノートパソコンは買わない
●動画はやらない
●印刷はコンビニで
●なるべく物は減らす
●物をなるべく買わない
●新しい本もなるべく買わない
●なるべく何回も同じもの読んだり見たりする
●生活をシンプル化する
●野菜果物は買う

スマホは本当は今の生活では不可欠である。でも老人には目に悪いし疲れるからしない方がいいともなる,パソコンはずっとしていたからしてもいいがスマホは別である。
ノートパソコンもこれも旅行したりすると必要になったりするがそれもめんどうである。何かノートパソコンを三万で買ったが故障して使えなかった

動画をとろうとソニーの日ビデオカメラをアクションカメラを四万で買ったがこれも使えなかった,実際はこのカメラは不良品になっていたのだ
ASUSの三万のノートパソコンも壊れやすいものだったのである。

印刷するにしても意外とめんどうでありインクが消耗してコストがかかる,するとコンビニで10円でも二十円でも印刷した方がいいとなる
機械をもつことが意外とコストがかかりめんどうになる
つまり印刷などはかえって個人でするより自動でも装置がついている場でするのがいいとなる,それは相馬市にあるが遠いのでできないので残念なのである。

自転車でもロードを買ったがこれも早いので危険なことを知った,だから必ずしも老人には向いていない,安定しマウテンバイクの電動自転車の方が向いていた
老人にとって危険なものがかなりある,使いたなせないものがかなりあることがわかった
本でも電子本でも読める機械を買ったがこれも読みずらかった,要するに便利でも使いこなせないという問題が老人にはある
新しい本と古本を集めたがこれもみんな読めない,読む気力がつづかない
そして忘れやすい,だから買ったとしても何度も読んで脳裏に刻む,記憶するのがいい
それはテレビでもインターネットの放送でもそうである。
その点youtube は何度でも見れるからいいのである。一回限りでは頭に入らないからである。

新しいものはなるべく買わないようにした方がいい,本でも古典的なものを何度も読むのである。百回読んでもそういうものは糧になる,ヘルダリーンの詩などは最近読んでそうだった,他にいろいろな現代の詩などは読まない方がいい
ただ今まで研究してきた分野では資料とか本はそろえている必要がある
でも新しい分野のものは買わない,買っても読めないし理解できないからだ

ともかく老人は消費意欲が衰える,消費できないのである。
そして教訓として

あきらめてシンプルに生活しろ

いろいろ買って何かを身につけようにもできない,だから何でも買うというのもあきらめることである。このあきらめるということが大事になる
もういろいろなことはできないからだ
自分は家事を全部しているとそれだけで手間になるからだ
野菜とか果物は健康のために食べていた方がいい,なぜなら老人にとって健康が最も大事なものだからである。

本当は株とか投資信託とかもすべきではないのかもしれない,つまりこれも理解できないからである。基本的なことすら理解できないのである。
若いときからしていれば経験で理解するがそれができないからである。

老人にとって大事なのは本当はいくら利子がつかないにしろ理解できないものに手を出すのは危険である。つまりそうしたこともあきらめろともなる
実際は自分はしているがもうかっていないからだ

意外とこのあきらめるということは今までもしていない
それが老後にきて現実にあきらめざるをえない,しかしあきらめきれないのである。
物を集めたものが捨てられないでゴミ屋敷にもなるである。
何かそれはあきらめきれない結果としてそうなっているのだ

何か物をもっていることが老後は負担になるのである。確かに家があればいい,でも大きい家となると修繕がありまた金がかかる,それで仮設を今壊しているが建てるのも簡単だったし壊すのも簡単だなと見ている
大きな家となると壊すのにも金がかかりこの辺では事情かあって壊すのに二百万くらい市から支援されたのである。

ある人は体が動けなくなり家に住めなくなり車に住んでいた,そして這ってやっとコンビニに買い物に来ていたのである。家が負担になり住めなくなったのである。
家を放置して車に住んでいたのである。
家を維持することが負担になりそうなった,家すらあっていいようでも負担になる
あることが負担になる,九州くらいの土地が今誰の持ち主かわからなくなっているという山林などがそうなっていて困っている,利用するにも土地の所有者に了解をとらなければならい,でもその土地の所有者が無数にいて細分化して利用できないのである。
これもあまりにも明治維新後私有権を認めた結果なのである。

何かもっていること所有していることはいいことのように見えても負担になるのだ
ただ人間はあきらめきれない,いつまでも生に執着して延命してでも生きる
それが本能だからどうにもならない,でも老後はあきらざるをえない,だから生活をシンプル化することがかえって楽になるのである。
それは欲を減らすということが若い内はむずかしいが老後は欲を減らすことが強いられてもいるのだ

禅宗だと無一物だとか無欲を追及してきた,それが老後には強いられる
いろいろなものをもっていることが実際に負担になるのだ,最後は家そのものが負担になるのである。
もし簡単な仮設とかあばら家とかだったら未練なく壊すことができる
大きな家は未練が残り壊すのにも金がかかり負担になるのである。

ともかく老後はあきらめるということが強いられる,その前に自らあきらめるという生活をする,何か執着してもあきらめざるうえないからである。
そして生活をシンプルにしてこれまでやってきたこをやる,やれることはやる
写真を追及していたら継続してやる,でも動画となるとめんどうだからしないとなる
そういうふうにやれることとやれないことを明確にしてあきらめることが大事になる
これを書いたの自戒のためである。

2017年12月03日

冬の俳句十句(冬の南相馬市を回る) (常磐高速のセディティとは何の意味なのか?)


冬の俳句十句(冬の南相馬市を回る)

(常磐高速のセディティとは何の意味なのか?)

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貨物船一二艘行く冬の海

貨物船進むも遅し冬の雲

海近し冬タンポポや浜通り

朝日さし梢鋭く冬の樹々

落葉踏み深野の墓地牛のいる

木の葉散り深野の墓地またたずぬ

深野の墓地に枯木の影静か

冬日さし一村の墓地またたずぬ

高速のセディティに休む冬の空

晩菊の土地に根付きし暮らしかな

冬薔薇二輪のみかな闇つつむ


松の苗津浪の跡の海老浜に植えて育つや冬の日なりしも

忘れらる墓また一つ我が墓地に見いだしあわれ冬の日暮れぬ


昨日は右田とか海老浜に行った,海老浜からは太平洋を望み貨物船二艘ほど見えた,ゆっくりと進んでゆく,
今日は山の方に行き常磐高速のセディティ鹿島に寄った,意外と近い所にあった,
自転車でも行きやすい場所だった,車をもっていないと車のことがわからなくなる,
それは社会のことがわからなくなることなのである。

場所がわからないので深野(ふこうの)から鹿島の方の小山田に遠回りした
深野(ふこうの)は何か不思議な場所の魅力がある
深野(ふかの)ではないふこうのということが地名としていいのである。

そして台地の上の墓地は古い,落葉していて踏むと牛がいた,この辺は牛を放射能で飼わなくなったが最近また牛を飼っている家がある,もともとあそこは牛を飼っていたのである。
何かそれが墓地とマッチしているのも不思議である。
牛がいると何か精神に影響する,どっしりとした気持ちになるから不思議なのである。
牛がいるといないでは田舎でも違ったものとなる
飯館村は牛の村だった,牛がなければ飯館村ではなかったのである。
だから飯館村は田んぼも土が削り取られたりもうかつて村の様子ではない
無惨な村となった悲劇である,それは自分にとっても大きな損失だったとなる
精神の安らぐ場所としてあったからである

浜通りはあたたかい,昨日は寒かったけどタンポポが咲いていた
海が近く海の影響を受けやすい,だから津浪もあった
一方山も近いのである。山は低いが飯館村となると高原であり標高が高いのである。
だから飯館村に行くと空気も変わる,何かが違うのである。
そして一軒一軒の家が森につつまれている広い土地なのである。
常磐高速ができたら飯館村にも回る人が多かったに違いない
今は行っても放射能汚染のフレコンバッグとか田んぼもない風致も損なわれた
それが残念だったのである。

sedate(セディティ)

sed- 座ること・腰掛けることを表す印欧語根(sit)。語幹sessを持つ語(assess, possessなど)、reside, sessionなどの由来として、座ること、据えること。

この言葉が何なのかわかりにくかった,鎮座するという日本語を機械翻訳したらこの言葉がでてきた

鎮座するというときsed- 座ることだから通じている,鎮静するという意味でもある

 北風(キタ)唸る−残る雪(真野ダムへ)

真野川に鎮座する石がこれだった,これは見えにくいから気づきにくいのである。
地元にいてもわからなかったのである。隠されるようにあったからである。
何か電動自転車をセディティに置いて真野川を上る観光計画があるという
電動自転車だと坂を上りやすいからである。
その時この隠された石を見るべきだともなる

セディティとはこの石のことなのである。cool sedate stoneなのである。

ともかくこの辺は本当に変わった,津浪や原発や常磐高速などもできて変わった
何かかえって都会化したのである。
常磐高速の影響は鉄道より大きい,人の出入りがここの方が断然今は多いからである。
自分は車をもっていないから車のことがわからないから今の社会から取り残されているのである。逆に自転車だと風景と一体化するから俳句でも短歌でも作れるとなる
車は遠くに行くのにはいいが景色をゆっくり見ていられないのである。
運転に気をとられるから景色が見れない,ただ常磐高速で一回くらい東京に行ってみたい高速道路から見える景色はまた違っていたからである。
ただそのバスが出ていても普通のバスであり四時間も乗っていたら疲れる
そういう気力がなくなってしまったから長い旅行をしていないのである。




自分の墓地にまた一つ江戸時代の碑を発見する


自分の墓地にまた一つ江戸時代の碑を発見する


我が街の家の墓地への情をつづる (文語体で記す)

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姓が違ってる墓は明治時代まであった,家が有力なものだったら嫁いでも姓を名乗ったとなるのか?

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捨てられた墓



不詩朗謡

不詩(文)朗謡-朗詠

朗謡-朗詠・・・暗唱
詩に文にせず暗唱せよ
謡(うた)いなさい

これもなぞである。最後の字はわかりにくいが不詩朗は読める。朗は名前だと思ったが違う。
朗謡-朗詠かもしれない、ただこれが何を意味しているのかわかりにくい、詩にしないで朗詠しなさい、暗唱しなさいなのかとなる。詩文にしないで暗唱して覚えなさいということなのか?
推測すると天保となるとまだ庶民では字を書けたり読んだりできる人はまれだったろう。
字が書けたり読むことが普及したのは江戸時代後半、特に幕末辺りに寺子屋が増えて読み書きができる庶民が増えたのである。ここは一つの寺子屋のような役目を果たしていたのかもしれない、暗唱することに学びの重点があったからこのような戒めの碑を建てたのだろうか?他に儒教が普及してそうした戒めの碑がほかにあったようだ。南相馬市鹿島区の

町内の墓地の碑の謎

これは前に書いた街内の墓地のことである。鹿島御子神社の隣にある,ここは神社の領域だったが寺ができて神宮寺になった,そういう所は全国でも多い。
ここにこの碑があるのは寺子屋があったからだろう。

      1772年安永1年壬辰11月16日改元 
  1773年安永2年癸巳  
  1780年安永9年庚子  
  1781年天明1年辛丑4月2日改元 
  1788年天明8年戊申  
  1830年天保1年庚寅12月10日改元 
  1843年天保14年癸卯  
  1844年弘化1年甲辰12月2日改元 
  1847年弘化4年丁未  
  1861年文久1年辛酉2月19日改元 
  1863年文久3年癸亥  
  1864年元治1年甲子2月30日改元 
  1865年慶応1年乙

ここで一番目立つのは大きな安永時代の碑である。

光明真言を唱えつつ大師堂に向かいます。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどまじんばら  はらばりたや うん」
(移動のとき光明真言を唱えるのは有縁無縁の霊魂を供養するため)

空海の密教の祈りの塔だった,空海を祖師とする仏教である。
明治維新がすでよら百五十年前とかなりそれから百年前は安永である。その安永から天明になった,その時この辺は天明の飢饉で三分の一に人口が減ったのである。
なぜ自分の家のすぐ近くの神社にも天明の碑があるのか?
なんらか町内でも天明の飢饉の影響があった,その記念のためなのかもしれない。

天保となると明治維新に関係し人達が生きていた時代である。だからかなり身近なのである。
今回発見したのは「弘化」と刻まれた墓である。小さな墓である,僧侶の墓だろう。
僧侶の墓は多いし残りやすい,文久の墓もあった,ここは密教系の寺がありやがて廃寺になり墓地になった,だから相当数の骨が埋まっている場所である。

ただ墓と碑は違う,暗唱せよと記したものは碑である,記念碑とか戒めの碑である。
人が埋まっている墓とは違う,戒名とか記されていれば墓である。
鹿島神社があり鹿島町と前はなっていた
そしてこの辺で一番古い家は南北朝時代に霊山から逃れてきた只野氏なのである。
その人の墓は寺の内にあるというのもわかる
しかしここももともとは寺であった,そこに墓地もあったとなる

いづれにしろあそこの墓は狭いし入り組んでいる,でも古い墓地だったのである。
そしてまた人が死ぬから墓が増えるのだからあそこはもう増やせないのである。
墓が残っていても供養しない墓もあり墓が無縁化したものが集められている場があった
墓の墓場が増えているのも昨今である。
墓が個々人とか家の墓とか維持するのが現代はむずかしくなっている
だから共同墓地化するのがいいのかもしれない,例えば十人でも埋まっている墓があればその子孫の誰かがお参りするからである。そこは墓として維持できるからである。

母の実家の墓を三百万もらって墓を維持してくれと頼まれても無理である。
そんなことを背負わされなくてつくづく良かったと思う
なぜなら墓というのはその家の因縁とか負の部分も背負うことになるからだ
それを代々背負いつづけるのも容易ではないからだ
だからいづれは絶えてしまい墓を処理することが大変になるのである。
自分は兄の骨を母の実家に埋めたのでお参りしていた
それがめんどうになったのである。隣の街ですらそうなのだからもう離れていると墓も疎遠になりやがては捨てられることになるのである。
だから原発避難区域では移動した場所に墓も移すようになるのである。

人間最後に残すは残るのは墓だけどそれも忘れられる,もうただ墓だけが残りその人がどういう人だったのか何もわからないのである。
ただ暗唱せよというのは碑であり墓とは違う,それは記念碑であり死者を供養するものではないからだ,だから墓石屋が兄の墓を碑と記せといったのは間違いだったのである。
忠魂碑とかあるがそれも死者のことではない,記念碑なのである。
そして今は何か変わったデザイン墓があるがあれもその人の記念碑のようになっている
墓とは違う感じになる,何かその辺の混同が起きているのである。
時代と共に何でも変わるから墓も変わってもしかたがないがやはり墓と碑は違うのである
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この墓は僧侶の墓ではない,居士とは僧侶に準じる人とあるが僧侶ではない
ただ院とは記していないが院があり道があり戒名があるからそういう位がある人だったとなる,大姉もそうである。ここでは男性二人に女性二人が記されている
なぜ四人も一緒に一つの墓なのか?紋も記されて立派なのである。
これはいつの時代なのかわからない,江戸時代なのか,明治時代なのかわからない
ただ四人も名前が記されているのはなぜなのか?そこに何かの因縁があってそうなった

忘れらる墓また一つ我が墓地に見いだしあわれ冬の日暮れぬ

posted by 老鶯 at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代