2017年03月08日

今日の鹿島駅 (名取の空港から大阪へ行く人)


今日の鹿島駅

(名取の空港から大阪へ行く人)


今日は風もないから電車は遅れない、ここ三日くらいは風がなくおだやかなので遅れがない。今日であった人はどうも記者らしい、どこかで見た顔でもあった。

「名取から大阪に行くんです」
「大坂まで飛行機で、いくらかかります」
「8000円です」
「それは安いな、新幹線だったら大坂まで3万以上かかる、そんなに安かったのか」
「常磐線が仙台まで通じたので名取の空港に行き安くなったんです」
「でも最近毎日のように風で遅れているから困る人もいた、新幹線に乗り遅れたとかいう仕事の人がいましたよ」
「名取まで直通だし何便かは大阪に行きます」
「大阪城の桜は見物だったな、西を旅すらなら大阪へ飛行機で行った方がいいな」

仙台空港から大阪への飛行機代が8000円というのは安い、沖縄に仙台空港から行ったけど3万だった、帰りも3万だった、往復6万となると高い、そんなに安いのかという驚きだった。
これはいろんな航空会社があり選び予約するのが結構むずかしいかもしれない、ただこれだけ安いものがあるのか?
普通は2万5千円くらいになっているからだ。
つまり常磐線が仙台まで開通し結果として名取へ行くのが便利になったから利用する人も増えるとなる
でも大阪も外国人だらけというとき何か泊まるホテルさえ確保できない、カプセルホテルには泊まれるのか?自分が泊まっていたのは東京ではカプセルホテルだった。
今になると外国人でホテルは泊まれない、何か外国人が増えて窮屈になっている
だから日本人が日本を旅行するのに向いていないともなった。
東北辺りはまだ空いているから旅行はしやすいだろう。

もう一人であった人は地元の人であり東北サッシの人だった

「あの人は社長なんですよ」
「ええ、あの人がですか」
「神奈川の人なんです」
「東北サッシというと桜田山にありずいぶん古い」
「50年たちました」
「その頃からあったのは知っています」
「今は人手不足で困っています」
「なかなか熟練しないとやれない仕事でしょう」
「70人くらい従業員がいますが人手がたりないんです」
「この辺は仕事が復興事業で増えましたから」

社長は神奈川の人でありその人を駅に見送りに来ていたのである。自分も一緒に見送ったのである。無人駅になりホームに出入り自由だからできる
その社長はこの土地の人と縁故ある人であそこに会社ができた。
駅にいると意外とそこが人の出入りする場所、情報を得る場所交換する場だということがわかった、今日は会社員と見ていたが征服が背広のような黒だったからそう見た
その女性は相馬高校だった、その制服だった、前は紫色の縞模様だった、だから征服も変わった、何か会社員のような制服に見えた
何でも吹奏楽部に所属していてその関係で来ていたらしい。

ともかく駅は意外といろんな人が出入りする、若い人でも年寄りでもそうである。
なかなか若い人と話す機会がないがあそこでは話せる
つまり駅では同世代の人とか年寄りとかばかりいるむけではない、世代だけではない、いろんな人が職業も様々な人が出入りしている場である。
今はまだこの辺は工事関係者も外部から来る人が多い、だからソ連時代にミシンを売るためにガサフスタンまで行っていた人に出会ったことは驚いた。
その人はこの町に住んでいるのである。

自分にとっては駅は面白い場所だと気づいた、いろいろ話できるし情報も得ることができる、大坂間で飛行機で8000円で行けるのは意外だった、特別安い切符を手に入れたからかもしれない、飛行機代も季節により変わってくるからである。

そして無人駅でも困ることがあると利用している人も言っている、何かとまどうことがあるからだ。最近は風で遅れることが最大の問題だったのである。
遅れると新幹線に間に合わないとか飛行機だともう乗れないとかまでなるから怖いのである。

ともかく自分は旅をしてきたから乗り物には興味がある。飛行機でもかなり乗ったからだただ飛行機のことについては良くわからない、だから8000円で大阪に行けるとなるとそこから瀬戸内海と九州に行った方が得だと思った
ただ春になれば外国人も増えて日本は旅しずらくなった。自分が旅したとききは一番いい時期だったともなる、これ時代なのである。
何かするにもいい時代と悪い時代があり時代の影響をまねがれないのである。



東北サッシ工業株式会社

本社工場
〒243-0401
神奈川県海老名市東柏ヶ谷6丁目20番32号
TEL 046-231-4021 FAX 046-231-4026

・東北サッシ販売株式会社
南相馬市鹿島区寺内字迎田39
TEL 0244-46-5291(代) FAX 0244-46-5292

・東和工業株式会社
南相馬市鹿島区江垂字桜平41
TEL 0244-46-2131(代) FAX 0244-46-2125

・東北精工株式会社
南相馬市鹿島区南柚木字仲板282

東北サッシの本社は神奈川県にあり鹿島区にこれだけ会社がある。
東北サッシはこの辺では大きな就職する場になっている
ただ人手不足なのは全国的にもそうだがここは特にそうなっているのである。

資本主義社会は資本蓄積がない人は豊かになれない (今はそれができないから貧困社会になった)



資本主義社会は資本蓄積がない人は豊かになれない


(今はそれができないから貧困社会になった)


資本主義は何かというときそれを学問的に定義しても普通はわからない、資本主義だから資本を中心にした制度であり主義だともなる。
資本というのには実際は社会の中で多様である。土地というのも大きな資本である。
土地をもっている人は日本では得に金持ちに成りやすかった。
今でもそうである。農業はまず土地がなければ土地という資本をもたなければなりたたない、土地という資本があり労働がそこにつぎこまれて生産があり収穫があり実りがあり
富をもたらす。

資本主社会は土地であれなんであれ資本をもたないものは豊かになれない、土地と家をもつとそれも資本となり資本蓄積が生れて豊かになる基礎が生れる
でも土地と家を買ってもローンになると資本蓄積はまだ成らないとなる
土地と家が財産となるとき資本蓄積が起こりそれを受け継ぐ人は豊かになる
ただ今はかえって土地でも家でも空家からするとそれが資本として有効なものにはならない。豊かな家は先祖からの資本蓄積がある場合が多い、一代で豊かになることはむずかしいからである、だから先祖が悪いと豊かになれないとなる
あいつは遺産をもらってたいしたことしなくても豊かになっているというとき妬む時、それはその人の先祖が悪いともなる

共産主義はこの先祖からの資本蓄積を否定する思想だった、元から土地をもっているとか金持ちとなっている人は不公平だという思想である。
先祖からの資本蓄積を否定する思想なのである。
伝統的な考え方でば聖書でも豊かなにるのは先祖のおかげだという思想がある。
つまり共産主義の考え方はそうした歴史の否定なのである。
だから中国では文革革命でそうした歴史的なもの文化的なものでも破壊したのである。
つまり先祖を無視して一から平等にしてやり直すことだったのである。


ともかく何か基礎としての資本蓄積があると豊かになりやすい、何もないところから資本がないところから始めるのは相当な努力が必要になるからだ。
自分の家では店を始めるとき50万くらいの金がないとできなかった。駄菓子屋のようなものをするにしてもそれだかけの金が必要だったがその金が用意できなかったが自分の姉はしっかりものだからその金を用意したがその苦労を語っていた。
つまり自分がこうして楽していられるのは親のおかげなのである。
親に恵まれたから楽していられるとなるのだ。

資本蓄積が成されたからである。自分の母親も60歳の時、一カ月三万もらった。
60から100歳まで生きたのだからその額も大きくなったのである。
3万×12×40=14400000となった、1400万になった、その金を全然使わないからそうなったただその金も全部ではないにしろ盗まれたからなんのためにためていたのかわからない。でもよくよく考えてみるとその金は国から支給されたものである。その時は国民年金のように全然積み立てをしていないからである。
経済的に60以上の人が貯金の8割をもっているというとき30年前頃で貯金していると金利が高いから20年とか貯金していると倍になったからである。
貯金していた金利は当時のままであり下がらないからそうなった。
今の老人はそうして資本蓄積して金を持っている人はもっている、もっていない人はもっていない。

いづれにしろ金も資本主義社会では大きな資本であり株でも債権化されて資本主義市場で金が働くのである。人が労働しなくても資本が金が働く仕組みになっている
そういうシステムがない時代があった。土地とかでも売り買いがあっても今のように債権化して世界市場で売買されることはなかったのである。
だから資本主義社会とは資本が何でも金でも金を生むシステムである。
株をするにしても元金が大きければギャンブルのように大きな金が入り格差社会になったのである。もともと元金が資本がない人は豊かになれないシステムなのである。
株でも一億円とかあればそれが元金となり金持ちになれる、でもその一億円の元金を作ること自体が普通の人にはできないから株の世界には入れないのである。

資本主義の特徴としてはどうして豊かになれのか?それは土地とか資源の豊かな国は豊かになれる、それが前は地主でありグローバル経済になると石油をもつ国は豊かになれる、でも石油を精製する技術が中東ではないから豊かになれない、技術力が関係してくる。
それからイノベーションがないと発明がない資本主義では豊かになれない、常に発明を求める技術力を求める社会である。
そもそもヨーロッパが豊かなになったのは世界貿易の結果である。それは大航海時代からはじまる、最新式の船を造りアジアに進出して貿易で富を得たのである。
その時航海は危険だからみんなで金を出し合ったのも資本主義のはじまりという人もいる一方で勤勉に働いてマックスウェバーの宗教が勤勉を生み資本蓄積が行われたからだという説がある。この二つは資本主義の基本にある。

技術力というとき発明というときコンピューターの発明は大きかった。
それがスマホとかになり世界的革命となり普及した。そのITの技術力でアメリカが優れていたから世界をリードするようになり豊かになった。
パソコンの発明は実際画期的なものだった。自分が抽象画を作ってつくづく不思議だと思うからだ。全く絵の才能がないものが絵を作り楽しむことができる不思議である。
そういう芸術の分野でも精神の分野にも技術は影響していたのである。
そういう発明をするものは資本主義では世界をリードして金持ちになる
アメリカがエジソンを生んだようにアメリカが豊かになれたのはそういう発明があったからだとなる、医療分野でもガンの薬が百万とかで新しいものが効果あるものができているそれが馬鹿高いにしてもそれがガンに効くとなると買う人もいる、それよりそんな薬が発明される手いることに驚くのである。

とにかく今はいろいろ不満があっても資本主義社会にグローバル化経済の中で生きているするとそういうなかで生きることを否定しても否定できない、それが現実だからである。それでdarkness duaではそのことを説いているのである。
どうしたら資本主義社会で生きぬくかという知恵である。
でも明らかなことは資本蓄積がないと豊かにはなれない、金持ちにはなれない
一千万をためるのに一万貯金して30年とかなると嫌になるだろう。
自分の母親はそういうことをしてきたが使う必要もなかったからそうなっただけなのである。

なんかそのこと自体がいかに今の社会が貧困化しているかの証明である。
高度成長時代だったら貯金が倍になったのだから容易にできたことだからである。
その時の金の価値は二倍三倍だった、なぜなら一千万貯金したら二千万になったからである。今の一千万は一千万の価値もないのである。
高度成長時代だったらこんな金の計算はしていないからである。
非正規雇用者とかなるとじり貧であり貯金もできない、日本も貧困化社会になっているからどうして生きるかとなると節約とか働きつづける意外道がないとなる
老人になっても働き続けるほかない社会だとなってしまったのである。





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2017年03月07日

故郷の駅の八重桜(詩) 思い出のある場所が故郷


故郷の駅の八重桜(詩)

思い出のある場所が故郷

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信号室があり新しく鉄塔が建てられた

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建物財産標とは、国有鉄道(→JR)が建物の用途毎に設置した
建物の分類や建物の使用開始(或いは登録)年月日を示した札である

M 30年とあるのは

1897年(明治30年)
1898年(明治31年)
Mは明治のことでありこの駅舎は明治30年に建てられたから古い
そして31年に鹿島駅が開業した

30年に中村駅が開業して31年に原ノ町駅が開業した
ともかく建物財産標はそれだけ古いものであり鹿島駅は古い駅舎そのままだった


ふるさとの駅に
八重桜咲き
その花の影に
我がたたずみて
電車を待ちぬ
そのあたたかき
ほのぼのとしたる
八重桜かな
母のごとしか
姉のごとしか
我を待ち迎え
見送りしものあり
しかし悲しかも
その八重桜は切られて
その根のみ残りぬ  
ああ 我が母も姉も死ぬ
我を迎え待つ者のなしも
我はただその切られし
切り株を見るのみなりしも


一本の桜と古い駅

鹿島駅には八重桜が咲いていた、それが5年8カ月ぶりに再開したとき切られた、根が残っているがそれが桜となるのかわからない
自分はいつもその八重桜の下で電車を待っていた、電車は待つということがありそれが人間的なのである。待つということは人間的時間を作り出している
今は忙しいから待つ時間がもてないのである。10分20分でも待つ時間があるとそれが人間的な時間となり思い出となる。だから新幹線は何か思い出となりにくい、ただ目的地に行くだけだとなるから旅にはあまり向いていないのである。

昨日も広島から来た人がいた、何か駅舎の作られた年を見ていた、36年前とか書かれていたのか?これには注目していなかった。ここも5年ぶりとかに再開したので鉄道マニアでも来る人がいる。広島は遠いなと思った。ただその人とは会話は成り立たなかった、会話できる人とできない人がいる

ともかく毎日駅に行くとそこで人とふれあうことができることがわかった。
自分は家族がいなくなって本当に淋しくなった。もう待っている人も誰もいない、それが悲しいとなる、八重桜はほのぼのとしてあたたかい、桜とは違ってすぐ咲いてぱっと散るのとは違う趣がある。それはぱっと桜が咲いて散った後ほのぼのと咲くのである。
それは何か母のごとく自分の場合は姉のごとくとか愛を感じる
複雑でもそうである。八重桜はそういう家族の愛を感じるのである。

その八重桜が切られてないことがショックだった、信号室があって何か鉄塔を建てたために切った。それが残念だった、切り株だけが残っている、この根からまた新しい八重桜が咲くのだうか?
その八重桜の根を見たとき自分の家族が死んだのでそれを同時に思ったのである。
根だけしか残っていない、それは墓だけしか残っていないとかともなる
何か故郷というときそういう思いとか愛着がある場所なのである。
家族をみんなもっているからそういう愛のある場所である。

ただ家族に愛があっても故郷の人は愛があるかというとまた別である。故郷を一茶のように嫌悪するものもいる、ただこの辺では故郷とは何かとか避難したり故郷自体が消失したりしたから考えるようになったのである。
津波でも村そのものが消失したりしたからそうした愛着ある場所がなくなった
そのことがショックだった、老人が帰りたいというときそこに愛着があるからである。
それが失ってみてわかる、それがあるときは考えないのである。
だからここでも八重桜が切られてなくなったとき自分も考えたのである。
それが貴重なものであり思い出の木だったのである。
そういうことがこの辺ではいたるところで起きたのである。

右田の一本松というと津波で残った松だがあれはそもそも松原としてあったから一本の松としては意識していなかった。松原は一本一本の松を意識しない所だった
駅の八重桜は一本の木として意識していたのである。
要するに自然でも人間化する、八重桜には家族とか母とかでも人間をみるのである。

ともかく家族をみんな亡くして誰も待つ者もいない、それが淋しい、世間の風は冷たいが家族の愛につつまれていたときを思い出すのである。
それが思い出となってしまった。今は自分が待っていて迎え見送りしているというのも奇妙だとなる。
駅が結構いろんな人が出入りする、すると淋しさもまぎれるのである。
一人暮らしの人が老人がスーパーなどに毎日行くというときその気持がわかる
そういう人が出入りする所で淋しとかがまぎらわすのである。
それは妻を失ったとか一人身になった人しかわからない心境である。

家族が死んだり愛する者が死んだりするとそれがずっと尾を引いて癒されないのである。それはなぜか、死んだ人とは二度と会えないからである。会えないからこそまた悲しみがつのってくる、生きているときは嫌な人でもあったことはある、でも死ぬと二度と会えないから余計にまた会えたいとなるのである。
だから人間は二度と会えないということで会っていると有意義になる、一期一会とかなる自分は60年も一緒にいたからそのことで忘れられないとなる
だからどうしても老人は故郷に思い出のある場所に帰りたいとなるのである。

木造の古い駅舎

2017年03月06日

コンビニで監視カメラが警備会社とつながる 相互信頼のない殺伐とした社会


コンビニで監視カメラが警備会社とつながる


相互信頼のない殺伐とした社会



近くのコンビニで何かしきりに警告している、何なのかと思ったら監視カメラがカウターの前に二台大きなのがすえつけられていている、そしてそのカメラは警備会社と直通であり盛んにそのことを警告している
そのコンビニは前とは違い警戒を強めている、万引きなどを警戒している
それは前にもあったがその警戒の度合いが強いのである。
何か見て回っていてのだが何か買うのかと店員が言ってくる
何も買わないものは早く出て行きなさいという感じである。
そして立ち読みも禁止していて店に長くいま人を警戒している
すぐに目的のものを買って店を出て行ってくださいという感じである。

自分はオカズなども買ったからそういう客ではない、ただ何があるのか見て回っていた。ともかく買物はどういうものがあるかを知ることが意外とむずかしいのである
ゴンビニによっても売るものが違うからである。
だから何を買うのかが問題になる。それで見て回っていた。
でもそうしていると何かうさんくさい何も買わないで見て回るだけの人だとされる
だから何を買うのか買わないなら出て行ってくれと店員が口には出さなくても強いている
ではなぜこんなふうに変わったのか?やはり万引きなどが多いからなのか?
そこの店はこれまで外部の除染関係とか工事関係者の利用が多かったのである。
何かそういう理由があるのか?そこはセブンエレブンではない。
でもその警戒ぶりは異様にも思えた。
地元でもコンビニに十年通っても今はお得意様とはならない、それはどこでもそうであるコンビニでもスーパーでもお得意にはならない、そして客も信用できないからそうした厳しい監視体制をとる、警備会社にたのみ警察が直結しているともなる
コンビニ強盗にも備えているということがある。

そういう店に入ると何かとげとげしくなる、ゆっくり品物を見ていられないのである。
もちろん立ち読みもできない、そういう余裕がない店になる
何か自分は息抜きに店を利用するということがある
毎日三軒は店を常時回っている、それだけ買うものがあるからである。
あのようになるとあそこの店には行きたくないともなる

もう資本主義社会をつきつめてゆくと金だけの社会になる、人間関係も金しかなくなる
実際には自分はそれを経験した。
要するに「お前のために働いているのではないんだよ、金のために働いているんだ」となっているのが普通である。
労働はすべて金のためでありその人のためではない、お前のために働いているのではない金のためであるのをつきつめてゆくと自分が経験したように相手が介護で困っていようが病気だろうが関係ない、金さえとればいいとなり実際盗まれたり虐待されたのが自分である

その人は借金しているから自分のためには何一つ軽い荷物すらもつのを嫌がっていた。
ただただ金がほしいしかなかったのである。
それが極端になると相手のことなど全くかまわない、金さえもらえばいいとなり強盗にもなる、そういう経験もしてきた。
だから家の中に人を入れるのは今はとても信用できる人がいないから一番危険になる
そこに経済的格差が大きいと本当に危険になる
家で働くものはよほど信用がある人でないと危険極まりないものとなっている
それはみんなその人のために働いているのではない金のために働いている社会だからである。

結局江戸時代の貧乏の暗黒があった、容姿のいいものは遊女にされ不細工な女性は過酷な紙漉きをさせられたとか暗黒があった。
現代もまた相互信頼がない暗黒社会である。それはアメリカとにてくるのである。
アメリカをまねて日本も資本主義社会になったからである。
もちろん金が常に人を支配してきたとういことはある
でも何か現代はそれが異常化している、それはアメリカでは他人は信用しない、玄関に人が来れば銃をかえまているのがアメリカである。
まさにこのコンビニはアメリカと同じになっていた。客が来ても信用しない、銃をかまえている、即警備会社から警察に監視カメラがつながっているのである。

ともかく現代の暗黒もまた江戸時代などの暗黒もあるが変わらないものがある。
貧困社会になれば余計にそうなる、資本主義社会は金がないともう余裕などもてないものになっている、清貧などありえない、基本料金として水道からガスから電気から通信費でもかかるから清貧はありえないのである。
金がないということはそうして精神的余裕がてないのである。
自分は今まではそうだったが金が入った結果精神的余裕がもてるようになったのである。このくらいの金はたいしたことがないとかなった、今まではそうではなかった。

もう日本も貧困社会になるとみんなさらに余裕がなくなる、物があふれていても金がなくて買えないとなるとかえって餓鬼地獄のようになる。そして唯一の頼りが金だけになる
人が働く動機も金しかないというとき殺伐としたものになる
遂に極端になると金をめぐって殺すか殺されるまでなる、メキシコなどは貧困社会でありギャングが横行するから実際にそうなっている
そういう殺伐とした社会では金持ちでも安穏とはしていられない、メキシコでは金持ちが誘拐されるのが多いからである。
いくら個人が余裕があったとしても回りがみんなそうなったらとてものんびりとしてはいられないのである。そういう経験をしてきたから今の世の中はかえって江戸時代よりも貧乏な時代よりも暗黒だとさえなる
結局この世の中から暗黒はdarkness duaではないがなくならない
一見現代はいい面も多々あるが金のないものにとっては地獄なのである。
その傾向は貧困化しているから日本でもますます強まり相互信頼もなくなり殺伐となってくるのである。

タグ:監視カメラ
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2017年03月05日

今日の鹿島駅(春の日) (10年ぶりにいわきをまわり来た人)



今日の鹿島駅(春の日)

(10年ぶりにいわきをまわり来た人)

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紅梅や仙台に通ず線路かな

鹿島駅十年ぶりに来たりしと春の日さして鉄道の旅



今日は風がなく遅れがなかった、春の穏やかな日だった。土浦ナンバーの水戸管理局の人が信号室を見て回っていた。一人はこの前来た検査車両に乗ったことがあるという。
あの検査車両は浪江とか双葉大熊まで電車を通すために実験している車両である。
浪江は今年中に再開する、3月30日で避難解除になるからである。

そして双葉から大熊とかを通っていわき市までも開通する、その工事は点検ははじまっていたのである。ただ放射線量が高いので双葉とか大熊の駅にはとまらないという。
浪江から双葉に入ると0・5マイクロシ-ベルトから7マイクロシーベルトになるから高いから止まれないことがわかる。でもそうなるとなかなか双葉、大熊などの復興は遅れるとなる。いづれにしろいわき市までも通じる日が近いことを知った。

今日会ったのはいわき市からこっちに回って来た人だった、何かこっちに縁があったらしい人である。茨城の大学に在学していたというからだ。
震災前に来る予定だったがこれずに10年ぶりに来たという。鉄道の旅が好きだとは言っていた。今日は日曜日だから仕事ではない。
10年ぶりに来たとなればなつかしいのかもしれない、仙台まで開通したので来たのだろう自分でも介護ですでに東京に十年以上行っていないのである。

昨日は福島市からタクシーを貸し切りで鹿島駅まで来た人がいた。前も福島市からレンタカー借りて来た人がいた、鹿島では待ち合わせ場所がないので駅にしたという。
福島市から来るのは福島市に県庁があり仕事で福島市から南相馬市に来るということがある。新幹線を利用しても遠回りで時間がかかるから金がかかっても会社なら金が出るからタクシーできた。福島市には貸し切り専用のタクシーがある。
辰己屋というタクシー会社である。この会社を近くの人が知っていた。

近くに星自転車屋と大沼菓子店がある、10年ぶりに来た人は香の蔵でお土産を買った
うまいと言っていた。前に東京から来た人がわざわざ六号線の香の蔵にお土産を買いに行った、あそこまで行くのは不便である。
スーパーキクチの方が近い、あそこでも菅野漬け物屋のものは売っている、数はすくない

とにかく駅はこうして出会いの場所なのである。外から来る人が必ずいるしまだ工事関係とかで来る人もいる、やはりまだ開通したばかりだから外から来る人が多い
だから意外と何か用がある、別にいなくてもいいがやはり無人駅は困ることがある。
3月4日からの時刻が変わるので時刻表を置いたけど風で飛ばされていたのである。
それを原町駅に連絡したらすぐにまた置いた、セロハンで箱をはりつけて飛ばないようにしていた。時刻表をみんなもってゆく

ともかく紅梅が咲いて線路は仙台に通じているのがいい
いわき市まで通じればさらにいい、ただ特急ヒタチは走らない、もう走る姿を見れないとなるのは残念である。新幹線があるから時間的には東京まで行くのは変わらないからである。でももう一度鉄道ファンなら乗ってみたいということがある。
ただ十年以上その人もこっちに来なかったが自分も十年以上介護とか東京に行っていないのだ。時間がすぎるのはとにかく早いのである。

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福島貸切辰巳屋タクシー


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 常磐線の復旧に400億円かかっているからすごい、でももうけているのは新幹線でありあとは5パーセントしか収入がない
新幹線に接続するものとしてローカル線がある。ローカル線が維持できるのは新幹線があるからだとなる
これが鉄道の経済の実体なのである。

時代を越えられない、時代の犠牲となる人間 (大奥という場で犠牲となった絵島ーNHK歴史秘話ヒストリア)


時代を越えられない、時代の犠牲となる人間


(大奥という場で犠牲となった絵島ーNHK歴史秘話ヒストリア)



大奥の絵島の事件は何であったのか?結局大奥という江戸時代の女性が政治化した権力争いがありそれが原因となっていた。
そもそもそうした大奥というものがあること自体、江戸時代は今になるとありえないイメージもできないものとなっている
そんなところに何千人も女性がいたのかというのが謎になる
将軍の種を宿すためにそんなことをしていること自体江戸時代の暗黒があった
だから今になると江戸時代は庶民はいい顔していたとか言われるが政治は暗黒だった
ただどんな時代でも明暗があるから一がいには言えない

結局絵島はこうした江戸時代の大奥とかの今ではありえないものとして大奥という場の犠牲者だったのである。
それが時代でありその時代で人は必死に生きねばならなかった。
絵島は出世したのだからその大奥に適合したのだが反面そういう場所で犠牲者になったのである。
平賀源内でも天才だったけど才能を認められで発揮できずに死んだとかも時代のためである。
あまりにも時代に先んじている人物は時代に合わないものとして活かされないのである。
だからタイムマシンで過去に戻っても結局人間はその時代に適応しないかぎり生きられない、戦国自衛隊などの映画でもいくら戦車とかをもっていっても機関銃でもそんなものはガソリンがないとか弾がなくなるとかでいづれは使えなくなる、すると生き残るためにはその時代に適合するほかない、刀や槍で戦うほかなくなるのである。
その時代を越えて人は生きられないのである。

これは戦争などでもそうである。太平洋戦争では3百万人が死んだ、自分の姉も赤紙一枚で招集されてシンガポールに従軍看護婦として働いた。
そこで塗炭の苦しみを味わった、第一そうして3百万人が死んだのである。
その中には優秀な若い人もいたが高橋英吉なども才能を発揮できず死んだ
才能を発揮できないというときそういう人はいくらでもいた。
戦前に北海道に開墾に入った詩人の猪狩満直などもそうである。
病気で過労でで死んだのである。それが呪いとなっている

そういうふうに才能が発揮できずに死んだという人は無数にいる、その屍の上に才能を発揮できる人がいる、いくら才能があっても時代が悪ければ才能は発揮できない
何かたいしたことはないようでも自分が描いているパソコンの抽象画でもそうである。
自分でしていても不思議なのである。絵が描けなくても絵を作ることができることが不思議なのである。これもパソコンが生れたらでありまさにart(技術)が生れてできた芸術なのである。技術の進歩があってできた芸術である。

時代というとき技術も関係している、外国に行くというとき船でしか行けない時代と飛行機で行ける時代はあまりにも違うのである。外国に行けたのは極少数の選ばれた人だけである。今は誰でも行けるのも違っているし時代である。
そうなると新たな芸術でも学問でも生れる、なぜならそれだけ視野が広くなるからである現代人はそれだけグローバル化して視野が広くなっているのである。
ただ実際に外国に行ったことがある人とない人では相当な差があるし外国に住んだ人と住まない人でも外国の理解では差がある。
でも狭い村から出たことかないというのが普通だった時代とは余りも違っているのであ

人間が時代を越えられないというとき、例えば現代に生きていても現代という時代は技術的な面では越えられない、自動運転が普通になったとき交通事故もなくなったときどうなるのか
なんで交通事故であんなに死んでいたのかと不思議になるのである。
でもそれは時代であり時代の犠牲者だったとなるのは同じなのである。
貧乏でもそうである。戦前とかの貧乏は今とは比べようがない。
自分の父親は明治生まれであり最後は戦後十年くらいたってサシミを食べられるようになったが病気になり食欲がなく食べたくないと言って死んだ
これも時代だったのである。そのときはみんな貧乏だったからである。
バナナなどはこの辺に売っていない、病気の時仙台から買ってきたのである。

人間は時代を越えられないし時代の犠牲者となる、歴史を学ぶということはそうした人間の苦労をふりかえり今を考えることである。昔が良かったとかではない、そのいい面とまた暗黒面をふりかえることである。
女性でも絵島は当時だったら最高の職についたのである。でも大奥などという今ではイメージもできない場がありそういう場の犠牲者だったのである。
それは時代がそうしたのでありその時代を越えられないからそうなった。
そういうことは歴史では常にある、貧乏だったというとき江戸時代なら美人は遊女にされ不細工な女性は紙漉きさせられたとなる
それもどっちが過酷だかもわからない、そういう時代でありその犠牲者だともなる

とにかく歴史を学べばそんな時代と比べて今はいい時代だなとなる、その喜びをかみしめることができる、そうでないと今の時代にも不満ばかりになる
でも今の時代でも時代の不満があるのが人間社会である。いくら過去と比べても今の時代の苦しみがありそこに関心が集まり過去はそんなに考えないのである。
人間は歴史をふりかえれば犠牲の歴史でもあった。その犠牲の上に今日があるということも考えねばならない、それが現代の苦しみのみに注意が向けられて過去は忘れるのが人間なのである

タグ:絵島

2017年03月04日

春の絵(おたまじゃくし-tadpoles) ( 具象画からも抽象画が次々にできる)



春の絵(おたまじゃくし-tadpoles)  


具象画からも抽象画が次々にできる      


An abstract picture is made from a representational painting in sequence

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green and water




これはずいぶんまえになるけど貼り絵をしていた、それを忘れていたのだが整理したら出てきた一枚である。
これは骨の折れるめんをとな作業だった、こんなこと自分には向いていなかったけど自分には絵にしたいという欲求があった、絵の才能が全くなくても絵にして現してみたいという欲求である。
それで貼り絵をしたのである。正直うまくいかなかった、めんどうな作業でありこんなことをしていたのは暇があったからである。 

その頃何か自分は暇に悩んでいたのである。勤めてもいないし三食用意されているから家事もしていないから暇が時間がありすぎるほどあった。それで困っていたくらいである
今になるとそういう時があったというのもあっというまにすぎてしまった
それから介護とか自分の病気とかに追われることになった。
そして今でも家事は一仕事だからあまり介護が終わっても暇がないのである。

この絵は何か稚拙なんだけど今見るとそれなりに生命力を感じた
何か自分は団塊の世代でありその時子供が本当に多かった、だからどこでも子供が騒いで活気があった、それはおたまじゃくしがうようよ生まれくるのと同じだったのである。
それがなんだか今は少子高齢化になり子供も少なくなり活気がないとなる 
特にこの辺は老人は外より10パーセントも多いから余計にそうなっている

とにかく具象画でもこのように抽象画になる、抽象画の範囲は広いし形にとらわれないからいくらでもできるとなる、それがパソンコで可能になったのである。
とても貼り絵などではめんをとすぎて表現はできない、抽象画は表現の範囲が広いからいくらでもバリーエーションができる、それが不思議なのである。


It is a picture that this sets up paper though it becomes much before it and makes. I left it, but am one piece that came out when I arrange it.
It was careful work, and this was tiring. It is the desire that the desire that I want to make a picture to oneself though I did not turn in a such a thing own minute does it to a picture even if there is not the talent of the picture which there was at all and wants to show.
So I put it and did a picture. To be frank, the reason why it is the troublesome work that did not go well and did something like this is that there was time. 

Though it was unpolished what this picture was, it was the just same as anything oneself who felt vitality as such when I watched it being a post-baby boom generation, and one cup of ladle being born in it that therefore a child made noise anywhere, and there was vigor which there was really many, and a child coming then.
Because there are more 10% than the outside, this neighborhood where it somewhat becomes the low birthrate and aging now, and the child decreases, and it is if there is not vigor in particular do not go along the old man even more and is 

Anyway, it that it was when it was possible plenty because the range of the abstract picture which became the abstract picture in the representational painting in this way was wide and was not kept in the form was enabled in computer.
It which can change plenty because a range of the expression is wide as for the abstract picture which I put it and am over noodles with the pictures and can hardly express is mysterious.
posted by 老鶯 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

車の話題 (車と鉄道が合体する場としての駅を考える)


車の話題


(車と鉄道が合体する場としての駅を考える)


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鉄道社会なら借金せずともどうにか暮らせるが 
車社会では大部分は嫌でも車のローンを抱える事になる。 
しかし、税金すげー払ってるよな考えたら。今年からリサイクル料金もいるしな。 
もうすぐ車検で頭痛いよ。駐車場代だの車検・税金、保険料とかに随分使ってるな。 
別に車が絶対必要な訳じゃないし、どうしてもの時は 
レンタカーやタクシーで代用できるからなぁ。手放したら海外旅行2回ぐらい行けそうだ・・ 

地方はフリーターでさえも車が必要。 
例え貯金無くともフルローン組んででも車が必要。 
自動車税、ガソリン代、オイル交換、タイヤ交換、その他諸々・・ 
果てしなく金が必要。 はよ脱出したいわ。 
しかし、車関係に金掛かって貯金が溜まらない。 何の為に働いてるんだ俺? 
ガソリン税、重量税、自賠責、自動車保険、維持費、 
取得税、駐車場、車検、リサイクル料、自動車税、消費税、 


自分は車をもっていないから車のことがわからない、すると実は今の社会もわからないのとなる、なぜなら今の社会は車なしではありえない社会だからである。
自分は家庭環境に恵まれて別に仕事もしなくても良かったから車がなくても良かった。
おそらく車をもっていたら自分は事故で死んでいた。
なぜなら自分は車を運転できない、注意散漫でできないからだ。
自分は金はあっても車をもつ気になれなかったのはそのことがある
そして車だと自然を遮断する、自転車だと常に風を感じるから自然を感じる
今の季節なら海から東風(こち)が吹いて来ているから春を感じる
この東風が3・11に吹いたため飯館とか福島市まだその風に乗って放射性物質が運ばれたのである。
車はまた注意していなければならないから外の景色をゆっくり見れない
ただ密閉した箱の閉ざされた空間が移動するだけだとなる
風を感じないというとき風土も感じないとなり旅したことにもならなくなる

とはいえ現代で車をもたない人は変わり者であり貧乏に見られる、仕事でも車が必要だからまともな仕事につけないともなる、車のことがわからないと実際は社会不適格者になっているのが現実である。そもそも自分は社会不適格者だったのである。
社会に適合できなかった、それが学校時代からはじまっていた、集団生活ができない、そこには甘やかされて育ったということもあった。
ただ大学に入ってから体育系の部に入ったりカルト宗教に入ったりしてなんとか集団生活になじもうと必死だったのである。
ただその後は仕事は流れ作業のようなものしかしていないから仕事を嫌悪するようになってしなかった。家庭環境に恵まれたからそういう生き方もできたのである。

車をもたないということは原町の六号線から入るモスバーガーを20年間知らなかった
あそこは車しか入れない場所だと思っていたのである。
あの辺には喫茶店がなくていつも困っていた,自分は喫茶店が好きだった、喫茶店で物思いにふけるのが自分だった、今やこの喫茶店はめっきりへった。
でもあそこに20年間も喫茶店としてあったのに気づかなかったのは車を利用していなかったからなのである。そういうことは今の社会では相当にある。
車をもたないということは戦国時代なら馬をもたないと同じとなってしまう。
足軽として仕えるような身分になっているのだ。足軽とはまさに足で歩くほかない職業だったのである。

ともかく田舎では車がないと生活できないというとき農業でも車なしではできない、軽トラックを必ず使うからである。最近知人が80近くになるのに新しい軽トラックを買った
農業しなくても軽トラックは必要なのである。それで軽トラックが一番売れていることでわかる。
ただ新地から鹿島に通っている人が50過ぎだろうか?免許もっているのに車が金がないというのはどういうことなのか?そんなに貧乏なのか?
中古品で20万で買える、その金もないのか、ガソリン代とかかかるとか言っていたがそんなに貧乏なのかとなる、車は実際はいろいろ保険とか車検とかかかる
金のかかるものである。自分は車を乗っていないからその分一千万くらいはトータルで金がかかっていない、残ったともなる
ただ車を知らないということは現代の社会を知らないということなのである。
それは何かと自分は隠者のような生活をしていたから社会を知らなかったのである。

なぜ車のことをしらないと社会の不適合者になるかというと社会自体に関与できないということもある。
例えば今この辺は津浪や原発事故で困っている、ではその復興にどうするかというとき車社会になっていれば車をどう活かすかが問題になる
とすると車を乗っていない者はそのことがイメージできないのである。
でも鉄道には関心をもっていたから鉄道の駅の回りに駐車場を広く新地とか山下では作ったので鉄道と車が合体したようになり駅周辺が活性化した。
別に鉄道利用しない人も車で駅周辺に集まるとういことがあるからだ。
そして鹿島駅に福島市から来た人は待ち合わせ場所として駅を利用していた。
目立つ所がないのと道の駅がここにはないからだ。
駅はやはり街の中心としてありその再開発として考える必要もある。
浪江でも鉄道が開通したら駅中心のコンパクトシティにするようになる。

いづれにし日本は貧乏社会になっている、消費者金融から借りている人が一千万人いる。その数も多い、近くでもみんな借金している、遂に犯罪者になる人もいた。
金をもっているようでも立派な家に住んでいても借金していそうしている借金社会になっているのが現代である。
ただ車が買えないというのは相当な貧乏だと思う。
車というとまだアジアの後進国では買えない、ベトナム辺りでもホンダのバイクとかが交通手段であり道一杯にバイクであふれているのである。
だから車が普通にあふれている光景が世界ではすべてではないのである。
カンボジアではバイクで観光していて中国人がそのバイクを土地の人に貸して商売している、あんな商売なら資本金があればできるなと思った。
なぜならバイクはそんなに高くないからである。カブであり安いからである。
カブの時代が日本にもあったことを思い出したのである。その時は車は普及していない

ふりかえると高校生まで蒸気機関車で原町まで通っていたことの不思議である。
トンネルをくぐると煙で煤になっていたからである。しかしその後すぐ電気になりその頃一番鉄道が利用されていたと南相馬市のチャンネルで放送していた。
あそこにホーム側とは待合室側でソバなどが食べられる丸屋の経営の店があった。
あういうものが手きていたことはやはり繁盛していたからである。
鉄道の利用客が多かったからである。国鉄時代を築いた一時期があったからである。
自分の母親が原町で原町紡績-原紡に勤めていたがその原紡に引き込み線がある写真があった。鉄道と直結していて運ばれていた。戦前であれ原町からも森林鉄道網が縦横に走っていた。そして木材とか石とかを積み出して東京に運んでいたのである。
それは資源を国内で利用していたから全国的にそうだったのである。
だから原町駅にもその貨物をのせる引き込み線かあった
それが車時代になり鉄道は衰退した

だから常磐線でもそうして繁栄した時期の半分以下の乗客になっているだろう
だから何か400億もかけてよく鉄道を復興したと思う、それだけの利益をこれからあげられるのかとなると疑問だからである。でも鉄道はこれからまた見直され利用されるようになるかもしれない、車だけに頼る時代は今やまた車が売れないとか買えないとか貧乏時代になるとまた変わる、車はなにかと金のかかるものだからである。
それでも車のことがわからないと社会はわからないのが現代である。

鹿島駅の前は駐車ス-ペスが狭すぎる、自転車置き場がある所は個人用の駐車場として決められている、だからあそこにはとめることは違反なのである。
つまり鹿島駅は駐車場がないことが一番の問題なのである。
通りが廃れたものただ車が通過するだけだから廃れた
駐車場を広くとれないからである。それで新地駅とか山下駅は駐車場を広くとれたし山下駅にはキクチスーパーができたから駅前に人が集まるようになった
車と鉄道が合体したような場になったのである。




タグ:車社会
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2017年03月03日

今日の鹿島駅 風で遅れて新幹線で帰れない人がいた


今日の鹿島駅


風で遅れて新幹線で帰れない人がいた


今日も風が吹いて電車が遅れた

「新幹線で帰るつもりが帰れなかった」
「仕事だと困るでしょう、時間を決めて合うこともあるし時間どおりに運行しないと予定が狂う」
「この前は相馬市からバスで仙台に行きました」
「そうですか?まだ仙台までの直行のバスが出ている、バスは風と関係ないからいい

こうも毎日遅れると困る人がいる、バスもだから必要ともなるな」
そういう仕事の人もいた

もう一人は前にも見かけていたが新地の人だった
仕事でいつも鹿島に来ていた
話できな人かと思ったらできた

新地駅は立派になっていいよな」
「俺は運転免許もっているが車買う金ないんだよ」
「運転できるのか?、中古安いじゃないか」
「金がねえんだよ、ガソリン代もかかるしな」
「車はもつだけで車検とかもあるし金かかるよな
自分は金はあるけど運転できない、運転免許あるのにもったいないな」
「金がねえんだからしょがねえよ」
「世の中金があっても何もできるわけじゃないよ、うまくいかないんだよ
自分は自転車で原町や相馬市に買物しているよ」

あの人は話できない人かと思ったら話できる、これだけ話すればそれなりにその人のことがわかる。
もちろん車が運転できても車を買う金がないから鉄道を利用している
そういう人もいたということである。

「新地の駅は新しくなっていいよな、何であれだけの土地があるのに家がたたないのかなやっぱり金がないのかな、鹿島では三つくらい新しい街ができたくらい家が建ったけどな」
「家は建たない、金がねえんだろう」
「新地に原発の補償金はおりてねえらからな、その差は大きいよ」

新地の駅前に広い宅地用の土地があるが家が建っていないのは変だなと思った、鹿島では次々に新しい家がたち三つくらい新し街ができた、だからそれと比べるとなぜあれだけの広さの土地にまだ家が建ってないのかなと思った。
新地に他から来た人も小高でも大熊とか浪江とかからも来て建てた人がいる、小高の人が建てたとは聞いた、やはり原発の補償金がもらうのともらえないのではその差が大きい
津浪で家を流されても津浪の被害だけでは金が入らないからだ。

ともかく駅はいろんな人が出入りする場である。地元の人でも外部の人でもそうである。今日はおしの人が来ていた、最初わからなかったがしゃべることができない、耳が聞こえない、字は読めるからスマホを見ていた、説明したらなんとかわかったみたいだ。
別に障害者でも来るがめずらしいとは思った。
つまりいろんな人が駅には出入りしているのである。


人間が本質的に変わらないから諺(ことわざ)も生きている (人間の行為はすべてカルマとなっている)


人間が本質的に変わらないから諺(ことわざ)も生きている


(人間の行為はすべてカルマとなっている)


損して得をとれ

ただより高いものはない

金の切れ目が縁の切れ目


損して得をとれというとき何か商売するにしてもすぐにもうけがでるということはない、それは事業でもそうである。そういうことで自分も失敗している
何かすぐにもうけがでる、成功するということを考える
実際はそうはいかず出費ばかりでもうからないなとなる
商売でもすぐにはじめて繁盛するようなのはなかなかないだろう。
人間はだから最初損して得をとれということに耐えられないのである。
ただ損ばかりしているだけじゃないかとなる

損したくない反面として「ただより高いものはない」ともなる
ただでやってもらいたいと思うが誰もそんなことはしない
何かするには必ず代償を要求してくるのが人間でありこの世である。
ただでやまことはかえって高くつく
人はちょっとしたことでもただではやらない
ちょっとしたことでもただでやるとかえって百倍も高くつく

例えば車がないから車をもっている人に頼むとするとタクシー料金より百倍も高くなるかもしれない、ただでやりますよ、頼んでくださいと言ってもらってもでは必ずお礼をしなければならない、いくらでもいいですよというがそれが普通の料金より馬鹿高くなる
「いくらでもいいですよ」ということはその上限がないことだから馬鹿高くなる
だからそういわれても頼めないことがわかる
ただ近くで車を利用するときは知人に2000円を払うということを決めて頼んでいた人がいた。それもやはり親しい人間関係があってできることである。
だから車をもっている人がこんなにいるのに頼めないのである。
「いつでも頼んでください」といわれてもいくらと決まっていない、「いくらでもいいですよ」ということは上限がないからかえって高くつくのである。

まず事業して借金していたような人に頼んだら怖いことになる、その人は金に窮しているから頭に金とることしかないからだっだ
だからほんのちょっとしたことでもしてもらったら恩きせがましくなるし金を要求する
それも額が百倍になってしまう、上限がないからである。
だから本当にただより高いものはないことを知った

要するに人間はどんなささいなことでも一杯のお茶を運ぶにしてもただではやらないことなのだ、だからこそ金で払うシステムを作ったのである。
いくらいくらで何かをすれば決めて払うのである。「いくらでもいいですよ」とはしないこれだけのサーズヒにはこれだけの金を払うというシステムを作って社会が成り立っている、だがその決められたものならいいが決められないものになると法外に馬鹿高いものとして要求されるのである。
でも家族がいないとかなると何かあったとき一杯のお茶でも入れてもってきてもらうことに百倍の料金が必要になることがある。
家に来た人は盗むことしか考えていなかったから実際は百万倍もの金を払うことになったのである。
それだけ人はただでは働かないものだと知った

この諺は矛盾しているのだけで損して得をとれというのも真実である。それは経験上そういうことがあるから諺になる。損したようでもそれが得となってかえってくるというのも真実である。こんなことをただして何の見返りもない、こんなことをしてどうなるのか?
でも商売だと最初からもうけがすぐにでることはむずかしい
でもサービスがたりないのか、お客さんの要望に答えていないのかとか、徐々にお客さんの要望に答えてゆくようにする、その時どうしても最初は損することになる
その損がやがて得にむずびつくようになる

そもそも相手に何か尽くして損することはないのである。こんなことして何の得にもならないからやらないというのが普通である
でも小さなことでも人間のすることはなんでも「カルマ」になっているのだ。
カルマとは行為のことなのである。何かの行為がささいなことでもカルマとなる
例えそれがすぐに返されなくてもいつかまた自分に跳ね返ってくることがカルマの法則なのである。
人が困ったとき何かをしてやればささいなことでもそれがカルマとなってゆく
それはされる方もした方もそうなってゆく
そしていつかその帳尻は合うようになっているのがこの世なのである。
だからこの世にはカルマの法則が貫かれている

損したと思ってもそれが得に結びついているのである。
「こんな金にもならない、得にもならないことをして何になるんだ」
そう思っているとき実は最も得なことを徳を将来に積んでいたのかと後でわかることがある。

いづれにしろここ十年の介護とか自分の病気とかで社会経験を積んだから諺は人間が変わらないから今も生きていると思った。
確かに便利な世の中になったが本質的に人間は変わらない、だから諺が今もつくづく生きている、むずかしいことだけが真理ではない、庶民もその生活の中で普遍的な真理の言葉を残しているのである。

posted by 老鶯 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年03月02日

松川浦の現在の情況 (松がなくなり日影がなくなった)



松川浦の現在の情況

(松がなくなり日影がなくなった)

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前の船溜

春の光がまばゆく反射していた

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まだ残っていた一本の松

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松を植えた所は広い、ここはもともと松原だった

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中島への橋ができていた

クリック拡大

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前の松原の道




仙台から来た人が松の苗を植えていたけどあそこ広い、もともと広い所だった
何にもなくなった、潮が引いて松川浦に一本の松が残されていた
磯部でもなんにもない、津波の恐ろしさは何もなくなる
それも一瞬でそうなったから恐ろしい 

あそこに家があった人はただ茫然としているだけだったろう。
人間は家族でも死ぬとただ茫然として力をぬけてしまう
津波だと余計にそうなった、家だけではない村自体が消失したからである。
あそこに昔を偲ぶものはない、集落があったところにも松を植える
あとはソーラーパネル場になった。

船溜は船がもどって何艘か漁をはじめている、あの辺には結構家があったけど何もない
あの松が育つには時間がかかるしそのうち老人は自分でも死んでいる
中島に橋をかけたが松が育たないと景色が良くならない
景観まで全部破壊されてしまったのである。

そして海があっても松がなくなり日影がなくなった
だからソーラーパネルでも暑く感じるし日影ないので夏でも休む所がないのが問題である。
景観も松がないので殺風景になったのである。
自分は右田の松原の日影で暑いとき休んだいた、クーラーがなしでもいい場所だったのである。
だから夏になってもこの辺は海が涼しいとしてもそうはなっていない
そして松が育つまでは時間がかかるから困るのである。
生きている内に松が育ち木蔭ができるのを見ることはできないとなる
それが残念だとなる
タグ:松川浦
posted by 老鶯 at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2017年03月01日

パリの旅の回想ー東駅界隈(秋の短歌十首)


パリの旅の回想ー東駅界隈(秋の短歌十首)
  
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パリの東駅
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パリの東駅のサンマルタン運河
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セーヌ川で洗濯している女
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落葉せしパリまで来てそ安宿を探す我かな年も古りしを

運河ありパリの裏町安宿は満員なりし落葉踏み去る

パリにつく東駅かな運河ありたどり歩みぬ秋の夕ぐれ  

東駅パリの下町運河にそ枯葉の木々を写しけるかな

パリの秋路地を歩みてあわれかな人種様々行き交う人かな

秋のくれセーヌの岸辺絵描きかなノートルダムの寺院も古りぬ

ルーブルの窓に枯木や石の橋歩みてあわれ偲ぶ歴史を

傍らに彫塑の像やもの思ふルーブルの秋我もめぐりぬ

かたわらに貴婦人の彫塑かなローマの女や秋の日暮れぬ

ルーブルの絵洗濯女のあまたかな橋も古りにし秋の夕ぐれ

セーヌの橋によりにつ恋人の愛を語るや秋は深まる

パリの街秋も深まるもの思ふセーヌの岸や石の橋かな 


東駅とサンマルタン運河(写真) 

  

アポリネールの「ミラボー橋」


日々は去り
去った時も
昔の恋も帰ってはこない
ミラポー橋の下 セーヌが流れる

夜よこい 鐘よ時を告げよ
日々は過ぎ 僕はとどまる  

パリには春と秋に二回行ったけど記憶が定かでなくなった、でも思い出す旅は外国までつづいている、外国はまた記憶しにくいし忘れやすいのである。
パリの東駅についた、写真を見たら確かに教会があった、ただ東駅がどうなっていたのかわからない、写真を見てこんなだったのかとなる、駅はゴシック建築のようにヨーロッパ
では威厳があり日本とは違っている、なんかヨーロッパでは建物が立派であり威厳があるそれがヨーロッパの歴史であり文明だということを一番感じたのである。
石の文明であり石が恒久性をもっているから歴史を偲べる、ローマ時代のものもそちこちに残っているからだ。ヨーロッパは石の情緒なのである。
石の橋にもたれるときそれがヨーロッパ的情緒になる、その感覚は日本では感じることはできないのである。



ネッカー川の石橋

ネッカー川の石橋古りぬ
その冷たき石の手触り
市門のありて中世の街
ゆるやかに川の流れて
落葉踏むその岸辺
城砦も古りイギリス門とあり
この城に嫁ぐ王妃の物語
晩秋のハイデルベルグ
ここは古都にして学問の府
その歴史をここに刻みぬ
その岸辺の公園を一人
そぞろ歩みてもの思ふ
もの寂びて薔薇の花の赤しも
我が旅の記憶ここにとどまる



これはパリではないがやはり石の橋ということで共通している  
もともと木の橋だったが洪水が度々あり石の橋にしたとある
石の橋はやはり木の橋のように簡単には作れない、だから石の橋があってももともと木の橋が最初にあったとなる

ハイデルベルグ 

ともかく自分は旅を外国までつづけていた、それでいつも安宿を探していた、それが外国までつづくとは思わなかった。東駅におりて安宿を探したがそこは満員だった、とても言葉が通じないからそういう安宿に泊まるのは自分には無理だった、でもヨーロッパは意外と旅行しやすい、ユースホステルも多いし年配の人も利用している。
外にも安宿が多い、でもなかなか探せないということはある、でもヨーロッパは宿が多いのである。ホテルが本当に多いので旅行しやすい。
でも日本と同じように安い宿を探し歩くとは思わなかった。

自分はハックパッカーでありヨーロッパ旅行でも安い旅行しかしていない、旅で一番かかるのは宿代でありこれは日本でも変わりない、食事はほとんどマグドナルドとかでハンハーガーだった、何かレストランはヨーロッパでは一人では入りにくい場所である。
だから最低の食事しかしていない、自分の場合は食事とか余り興味がない、旅することに重点を置いているからである。
日本でもうまいものを食べたことがない、ありきたりのものであり千円くらいしか使っていない、というのは食事に金を使うと長い旅はできなくなるからだ。
自分は貧乏旅行者でありずっとそうだった。

金がなくても実際は旅は世界でもできるものだと思った。その時は円高だから旅しやすいということもあった。一ドル80円とういいう時代があったからだ。
バックハッカーの時代は今では終わった、それでdarkness duoサイトは面白い、沈没したとかしていて経験を積んだことを書いている
そういう人がかつていてその経験を書いているのである。
自分はそういう人ではないが一応年になってハックパッカーを経験したのである。
ただこれも十年間くらい介護に追われていたら記憶がうすれてしまったのである。

でも短歌にするというときパリはつくづく芸術の都だとなる、パリにいるだけで芸術家になった気分にさせられるのである。橋にもたれているだけで歩いているだけで何かそれが絵になっているのがパリなのである。
ただ最近移民が増えすぎてその情緒が失われたと言える、やはり異国情緒があってこそ旅もいいとなるが移民が増えすぎるとそれも失われる、今は日本だって外国人だらけになると嫌な感じになり旅行したくなくなったのとにている。  

何度も言っているけと旅でも記憶が大事になる、何か記憶に残らないと行ったいうことにもならない、団体旅行ではなかなか記憶には残らないだろう
今になると海外旅行も自転車旅行もできない、肉体的にも精神的にもできない、気力もない、だからやりたいことは若い内に早めにやらないとできなくなる、登山だった自分は体力がないから今はできない、結局老人はこうして回想しているのが至福のときだということがわかったのである。
でも記憶されていないならその至福の時もないから何でも記憶するように生きるということ旅でもそうしないと後で何も残らないということになるのである。
つまりその時間は永遠に帰ってこないのがショックになるのである。
タグ:パリの東駅

2017年02月28日

右田がメガソーラーパネル場になる 交差点の道路で警備員と話していたら地震になった


右田がメガソーラーパネル場になる


交差点の道路で警備員と話していたら地震になった

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右田がメガソーラーパネル場になる-クリック拡大ーパノロマ写真

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第二の津波を防ぐ堤防

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津波から六年目で切った木の根からまた芽がでて伸びていた



右田の広大な津浪の跡がメガソーラー場の工事をしていた、半分くらいはできた
何に利用するのかと思っていたがソーラーパネル場だった
磯部でもソーラーパネル場になったからここもなった

大成建設が請け負い子会社が仕事しているという、あれだけの広さだと大きな建設会社でいなとできないと思った、ただ大成建設が請け負ったとしても電気関係だから子会社に仕事をやらせている

その警備員はいろいろ話した、亘理の鳥の海から来た人であり津浪の被害にあったという二階の家で二階に避難して助かったという、亘理というとここから近い、高速道路ができたから通うとなればできる、サントリーの関係の仕事をしていたが津浪で流されてなくなりこっちの仕事に来たという

「この道路は津浪を防ぐために高くした、次の津浪を防ぐのはあそこの堤防なんですよ」
「この道路は幅広いから津浪を防ぐにはいいでしょう」

津浪は三段階の堤防で防ぐことになる、それから高台も海岸沿いに作った、津浪にはこれだけ備えたから今度防げると思う

その右田の交差点で警備員と話しているとき地震が来たのである。
道路がぐらぐらと結構長くゆれた、信号もあったが電信柱がゆらゆらゆれた
道路があれだけゆれたということは相当な大きな地震だったのである。
なんかこの前も地震がありまた地震がこの辺で増えてきた。

ともかくあそこは車がひっきりなしに通る、原町の方は通行止めになっている
地震を警報するアナンウスがスピーカーから流された、震度5弱ときいてそれくらあると道路のゆれからは感じた
あんなに道路がゆれるということは怖かったからである。
家だったらもっとゆれていたことは確かである。
何かこの辺は不気味である。まだ余震があり大きな地震が津浪さえくるかもしれない
それも原発の祟りなのかもしれない、神に呪われた場所なのかとさえ思ってしまうのである。

ともかくあれだけのメガソーラーパネル場ができると人の出入りがある、それでまだ工事関係者が入っている、それで福島県全体でも倒産件数が全国で一番低いのである。
ただその工事も一段落したということで補償金がもらえなくなり会社経営も苦しいと訴える人がでてきている、これからはやはり工事が減れば外部から入る人もへりその関係で経済の活気もこの辺では失われてゆく、そういう傾向はすでに現れているのである。

ただメガソーラーパネル場を見たときまだ大きな仕事があったとのかとみる
ただこれはそんなに時間はかからないみたいだ、組み立てるにも時間がかからないから長くつづく工事ではない、だから後は保守点検だけであり人手はそんなにいらないだろう。ただソーラーパネルがどれだけ収益になるのかはわからない、どれだけ発電力があるのかわからない、その材料が産業廃棄物となるからやはり環境破壊だという人もいる
環境破壊にはコスト的にそうだから原発とは変わりないという人もいる

ソーラーパネルというと自然であり環境破壊しないようで後始末するとき環境破壊になるそして長い間使っていると自然の風雨にさらされて傷んでくるからどれだけもうかるのかはコスト的にはどうなのかは疑問を呈する人もいる
ソーラーバネルで植物工場を経営した人も採算がとれないとかでやめたという報告もあるだからなかなかうまくいかいないのかとも思う

この辺はやはり以前として変化なのである。右田がソーラーバネル場になったのもそうである。風景が右田の松原であったのとは余りにも違ってしまった。
景色的にはいいものではない、でも土地を活かす方法がないので磯部と同じくソーラーバネル場になった、土地をもっていた人もそれで金になることもあるからだ
ただコスト的に採算がとれるのかどうかは長い目で見ないとソーラーバネルの場合はわからないとなる



村民らは今月1日、手仲村長が林地開発の不許可を府に求めるべきだとして、723人分の署名(うち村内在住者367人分)を村に提出した。同保育園に子どもを通わせる母親は「なぜ、保育園や小学校の近くで大規模な開発をするのか。理解しがたい」と眉をひそめる。

飯館村の草野でもソーラーパネルがしきつめられていた。それが何か前の素朴な村の感じを喪失さはた、景観的に似合わないのである。
それと有害なこともあり環境破壊にもなっていた
それで実際にそこに住む人が保育園などがあるから反対していた
ソーラパネルも実際に反対する人たちがいた。
ただやはり税収があり村としては今になると収入を得たいとなる
それは結局原発とにている、有害でも金がほしいとなる

右田の場合はあそこには人が住んでいない、磯部でもそうである。だから反対運動は起きないからいい、でも昔の松原の景色からすると環境的にはいいものではない
夏だって涼しいという感じはなくなる、光が反射して暑いとなる
海老の方はソーラーバネルがないのでいい、田舎はまだ広いから自然空間があるからそういう場所はさけるほかない。あそこは将来的にも憩いの場所とはなりにくくなった。

この辺は小高でもそうだが浪江でも空き地になったところがソーラーバネルとかになりやすいのである。土地が活かせないからそうなる
そこにも問題があった、どうしても利益優先になるから反対できないのである。
どっちにしろ人間が作り出すのもは環境破壊になるのである。
風車の発電でもそうである。音がうるさいとかあり現代の技術は環境にはやさしくないのである調和しないようになっているのである。



大成建設、短工期・低コストを実現した杭基礎架台「T-Root」を共同で開発

大成建設は積極的にソーラーバネルの開発をしている
杭基礎架台というのは建築会社の専門となるのだろう。
電気は電気で他の会社と提携している


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鹿島駅に止まった「電気・軌道総合試験車」は格好いい (浪江まで開通する準備らしい)


鹿島駅に止まった「電気・軌道総合試験車」は格好いい


(浪江まで開通する準備らしい)

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この車両は、線路に異常がないか走行しながら検査する「電気・軌道総合試験車」とか「検測車」と呼ばれる車両。
この白地に赤いラインの外観の車両は、JR東日本が2タイプ所有する。
1つは、電車(モーターで走行)の「East i-E」。茨城の勝田の車両基地に所属。

この列車を見たことがある方は、かなりラッキーかも。日本中に1本しかなく、神出鬼没な列車だから。
ただし、秋田市内の車両基地(秋田車両センター=一つ森公園と金照寺山の間)に所属しているから、秋田では他地域よりは見やすいかも。

今日止まったのはこの車両だった、客車かと思ったが「電気・軌道総合試験車」というものだった、なぜこれがここに来たのか、線路の点検などで一両くらいのはくるがこんな長いのは来ない、だから珍しいし写真をとった

これは3月に浪江が避難解除になり電車も開通するということでそのための点検に来た電車だった。
この車両は一本しかないというと滅多に見れないものだとなる
インターネットだとすぐわかったから便利である。

鹿島駅に毎日行ってきるけど何かあるのが不思議である。
この前は中国語で話している人がいた、中国人が二人にベトナム人が一人だった、
これも不思議な関係だと思った。
ベトナム人を中国人が案内していた、その中国人は日本語がしゃべれたのである。
それで迎えに来た車にそのベトナム人をのせたのである。
工事関係か除染関係かそういう人がまだこの辺には来ている

仙台に行くという若い女性がいた、その人はなまりが違っていたらどこと聞いたら宮城県の人だった、宮城県は近いけど語尾に「だっちゃ、だっちゃ」というのが違っている
相馬ではだべとしか言わないからだ。新地ではもともと伊達藩だからだっちゃというらしい、新地の女性でだっちゃと言う人がいたからである。
なまりなつかし停車場というのはやはりそうである。
言葉にはなまりがありその人が土地の人とは違うなと判断する、でも今は標準語を話すから分からないことはある、でもなまりはでてくる、それでお里が知れるとなる
それがまた面白いともなる

ともかく鉄道好きなのはこうした車両に魅力を感じる人もいる
自分は鉄道の旅が長いから興味がある
浪江まで開通することもかなり復興にはなる
やはり新地や山下のように駅前を開発して人を集めるというのも見習うべきだろう。
鉄道が街の基点、玄関口になることを見直すことも必要である。
新しい街作りというとき長い通りの商店街は向いていない、なぜなら車の時代だから車と鉄道とが合体したような新地とか山下駅が参考になるのである。

「お帰りなさい」というとき上がり志向から下り志向になる時代でもある
駅は「お帰りなさい」というだけではない「行ってらっしゃい」という見送る場所でもある、だから自分は行ってらっしゃいと見送りしているのである。

原町区の上渋佐で死んだ人は全部65才以上だった (津波で淘汰された老人)


     
原町区の上渋佐で死んだ人は全部65才以上だった


(津波で淘汰された老人)

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全部死んだ人は65才以上だった



 東日本大震災の死者のうち60歳以上の比率は64.4%であり、東北3県沿岸市町村人口の同比率30.6%の2倍以上となっている。60歳代、70歳代、80歳以上の比率は、人口比率のそれぞれ1.4倍、2.3倍、3.3倍となっており、高齢者ほど死亡率が高くなっている。津波被害から逃げたり脱出したりする困難性が加齢により大きく影響を受けた様子がうかがわれる。地震の発生した金曜日午後には通勤者は自宅にいなかった場合が多いことも影響していると考えられる。また同じ年齢階級で男女を比較すると男性の方が高い倍率となっており、車中での溺死者や数波にわたる津波の間に自宅に戻った者に男性が多かった、あるいは女性を優先して逃れさせた様子もうかがわれる

高齢者が死んだ人が多いというときそもそも高齢化社会であり老人がどこでも多いから比率的に死ぬ割合も多かったのである。
でも上渋佐では65才以上でありそれ以下の人はいなかった。もともともこの辺も老人が多いからだとなるのはわかる。それにしてもこれだけ老人が多いということはその理由は何なのだろうとなる
気にかかるのとグラフで50才の人も多く死んでいる、これは50才の人も人口比率で多いからである。


若い人が通勤していて若い人とともに逃げられなかった。車を運転できない老人も多かったからなのか?今は農村部でも会社員になっているのが多い
すると一日家にはいないのである。その時若い人がいないから老人は対応できなかったのかとなる

若い人でも家族が心配でもどりそのために死んだ人もいる、老人が家に残っていたからである。これも順序が逆だったと思う、若い人は生き残るべきだった
老人は経験があるからというが津波の場合はそんな経験をしていないからかえって津波なんて来ないよ、来たことがないとか言って逃げない人もいた

そして言われるのは介護しなくて嫁は得したなとか言う人もいる、そういう時代でもある高齢化社会というのは何か自然の摂理とも反しているのである。
高齢者のために若い人が介護して犠牲になるというのは自然の摂理に反している
自然では子孫を残すために莫大なエネルギーが費やされている、卵子も膨大に生むし鮭などは産卵が終わったら役目を終えて死ぬ
自然は次代の命の方に関心がある、老人とかだけではない、群れのなかで弱ったものは他の動物の餌食になる、そうして種の保存が成されている

人間でもやはり次代のために子孫のためにエネルギーがそそがれる、子育てがそうでありそれが苦労でも苦労ともならない、次世代のために人は働いているのである
今苦労して働いたとしても恩恵を受けるのは次の世代である。
自分など遅かったが遺産をもらったというとき親が苦労して残した金を自分が使うのであり親ではなかったともなる

だから老人のために若い人のエネルギーが使われるのは何か自然の摂理に反しているのである。そういう社会は異常であり未来を作らない社会である。
もちろん介護というとき個々に事情があり家族も関係しているから社会的問題として考えるとき、社会的に考える時は違っているのである。
自分は親には特別良くしてもらったから必死で介護したのである。でもそれが社会にやはり負担をかけたりしているから自分だけの問題にはならなかったのである。

ともかく親であっても老人を助けるために若い人が死ぬというのは自然の摂理に反していた。なぜなら若い人が死ねばその村なり町なりが維持できなくなるからである。
そういことが津波の被害地であれ原発の避難地域であり起きているからだ。
津波でもやはり無情になるが老人は淘汰されたのは自然の摂理だったのかともなる

そもそも老人は何かこうした災害であれ変化に弱いのである。それで原発事故で死者がないというが関連死が多いのである。避難先で死んだ人が多いのである。
それは老人は変化に弱いから適応できないからそうなる
若いときは適応力があるからそうはならない、そういうことはいろいろなことで起きる
海外旅行などは自分は50才でしたから四苦八苦してしてきた
海外旅行は別に言葉ができるかできないかではない、どこでも英語が通じる訳でもない
一番大事なのは異なった世界での適応力なのである
だから言葉ができなくても海外旅行はできる、若い人は勘がいいからその場のことが勘でわかるからできるのである。
老人は適応力と勘が鈍くなるから言葉と関係なく適応力がなく海外旅行でも苦しむのである。

だからつくづく

「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない、
唯一生き残るのは変化できるものである」ダーウィン

これが自然界の掟でありまた人間界にもあてはまるのである。
それが津波とかでも起きたし原発事故でも起きている、この辺の復興をどうするかというとき街自体が村がが消滅する危機になっているときそれに対処することができない
その大きな変化に老人は対処できない、ただ故郷に帰りたいというのわかってもこれだけ変化するとその変化に対応できないのである。
だから震災関連死で死ぬ人が多かった、でもそれが自然の摂理だともなる
老人は復興の足かせにもなるから淘汰されるべきだともなる
それで女川では老人は口だすなと言って街の復興に取り組んだのである。
何にもなくなったのだから全く新しい発想が必要になったからである。

双葉辺りで病人が老人が病院に置き去りにされたというときもその非は大きいにしても若い看護師が率先して逃げたというときもそうである。
やはりそれも若い人は生き延びるべきであり死にかかった老人は捨てられてもこういう場合は特別だからしかたがないという見方もある。
自然の摂理は子孫を残すことであり子孫の繁栄なのである。すると子供をもっている若い母親は放射能が危険だとなると異常なほど危機を感じて自主避難までしている
それは次代のものを育むのが母親だから自然の摂理でそうなったともなる

自分も親戚だったけどそういう経験をしている、病気の人を見捨てて登山とかしていた。それで怨まれたということはある。でもその時登山して疲労困憊して何もできなかった。自分は体力がないから登山は辛かったのである。
でも自分はその時登山して良かった、今になると体力的にできない、自転車旅行だって遊びだと言ってもできないからである。
つまり老人のために若いときするべきこともしないとしたら親でも怨むようになるだろう自分は介護してもしたいことをさせてくれたら怨まないし介護をしたのである。

高齢化社会の負担は社会的にも大きいしそれが若い人の負担となるのは問題なのである。だから何かのきっかけで自然災害であれ老人は淘汰されるかもしれない、自然は神でも次の世代、子孫の繁栄の方を望むからである。
だから老人にもいろいろ人がいても子育てが終わった老人はなんのために生きているのだろうと疑問を呈する人がいても不思議ではないのである。
ただ老人全般ではそうなるが家族があり個々の事情が違っているから等しくは考えられない、でも自然の摂理はやはり子孫を繁栄させるために淘汰するということか働く
それは非情にもなるがそれが自然の摂理だともなる

ともかく変化に対応できないのが人間にとっても致命的なのである。現代は技術的にも変わりやすいから特にそうなる、変化に対応できないことが致命的になる。
ただ老人にも強みはある、経験は役に立つし洞察力は高まるなど若い人よりかえって創造力があるともなる、自分のしている抽象画は現代の最先端の技術からartから生まれたのだがでも自然を見る目を養ってきた経験からも生まれているのである。
だからすべて若い人が有利に働くとは限らないのである。

posted by 老鶯 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2017年02月27日

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posted by 老鶯 at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2017年02月26日

NHKのフェクニュースの解説を今日のテレビでしていた NHKも中立ではないマスコミは局の意図をもって報道解説している


NHKのフェクニュースの解説を今日のテレビでしていた


NHKも中立ではないマスコミは局の意図をもって報道解説している



これでわかった!世界のいま ▽偽ニュースが拡散中! なぜ世界はだまされるのか 
2017年2月26日(日) 18時10分〜18時42分 NHK総合

日本ニュース】米 偽の記事「フェイク・ニュース」信じた男が発砲


アメリカのある大学の実施した世論調査では、 
「メディアの方が信頼できる→39% 
トランプ政権の方が信頼できる→49% 
でメディア不信は深刻」、

大体本当に事実だけ伝えているニュースやマスコミなんて存在しないだろ 
発信側が意図的に作成した作文伝えてるだけ 

マスメディアはスポンサーから金をもらって 
スポンサーに都合がいい記事を書くのが仕事なんだから 
信じる方がバカとも言えるな


NHKの今日の番組ではフェクニュースがトランプ大統領側から流されのが多かったとして解説していた。
そこにすでにNHKの意図があった。

トランプ 偽ニュース,トランプ 偽ニュース、トランプ 偽ニュース

それを図解すると何かすりこみができる、つまりNHKはトランプ大統領側にはついていない、アメリカのマスコミと同じだった、日本のマスコミもトランプ大統領側についていないから流されるニュースはトランプに不利なニュースばかりだったのである。
それでも当選したことは驚きだった、マスコミの権威が地に墜ちたとして大きな報道の転換を迎えたことである。それはインターネットの影響も大きかった

メデアはメディウムに中間とあってもそうはなっていない、最初から局の意図をもって報道して編集している、コメンテーターもその編集の一員として配置している
自由な発言は許されていない

トランプ 偽ニュース

NHKはこの意図をもってトランプを批判していたのである。
ただNHKでも他の局でもわかりにくい面があるがそこは巧妙に中立を装い視聴者を誘導しているのである。
ただ事実を報道しているわけではないのである。そこがわかりにくい,誰かがそんなことはないよとか反論できないのがテレビだからである。

この辺でも原発避難民のことで補償金で問題が起きて対立があった。
その時も自分は書いてきたが原発避難民側にNHKが立って報道していた
それも巧妙だから地元でもすらわからないものがあった。
だからこんなことを話題にしたのは自分だけかもしれない

原発避難民を応援する、批判はしない、批判する人は発言させない

こういう意図をNHKはもっていて報道していたのである。
現実に補償金で不満な人たちや津浪被害者は発言させていない
そしてなんで原発避難者で苦労しているのに仮設に住んでいて受け入れないのかとか
言わせていた
それは理由がありあまりにも手厚い補償が原発避難民にされていたからである。
そして外部から今でもボランティアが来ていてかわいそうだと応援しているしそういうこともありなぜ地元の人は応援しないのかと余計になった。
ボランティアが悪いというのではなくそういう気持ちにさせた。
その後は両方で仲良くすることで祭りが行われたとかNHKでは報道していた

要するに報道は中立ではありえないのである。どの放送局もその局の意図をもって放送していると見るべきである。ただその意図が見えにくいのである。
いかにも中立の報道をしているように見えるのである。
それは外部からの自由な発言がインターネットのようにできないようにしているからである。
「そんな貧乏な人がいるんですか」とか言えない、確かめようもない
NHKで報道した貧乏な若い女性はNHKが貧乏のことを報道するので使われていたのである。その女性はそれなりに贅沢もしていたのである。
NHKがフェクニュースを流していたし他の局でも自分たちの意図があり報道して解説している。第一その事実も確かめようがないのである。
それがグローバルにになると余計にそうなる、それでイラク戦争のとき油まみれの海鳥の写真を信じた世界中で信じてイラクはひどいなと世界中でなったのである。
情報はアメリカならアメリカで意図をもって有利なものを流すのである。
それがフェクニュースになっていた。
その事実を確かめる術がないからそうなる

そのフェクニュースが有効になるのは何かそういうデマが広がるのはそういう社会状況が生れているときみんな信じやすい、熊本地震の時は動物園からライオンが逃げたというときもそうである。地震で混乱状態にあり信じやすかった。
その時も写真が出ていたので信じやすかったのである。

この辺だと補償金で対立したから

小高の人の車が傷つけられた

こんなフェクニュースを流すと信じる人がでてくる、いわき市でも実際にあったからである。ただこの辺ではそこまでは起きていないのである。
フェクニュースが信じやすい状況があり信じられて拡散されるのである。

放射性物質の高い黒いダストの塊りがある

こんなことも報道されてこの辺で騒がれたこともある

そこでインターネットは危険だとマスコミで言うがまたマスコミもそうして自分たちの意図をもち誘導するためにニュースを解説して偏向させているのである。
だからどっちもどっちだと今ではなったのである。

要するにマスコミの報道だったら解説でもマスコミの意図がどこにあるのか見抜くことである。それはインターネットなどの反論などが役にたつのである。
そのままテレビの報道や解説を鵜呑みにしないことなのである。

結局こうしたことが起きるのは

古代ギリシア語ではδημαγωγός(デマゴゴス)と言う。日本においては主に、意図的に虚偽の情報を流し、嘘をついて人を扇動しようとするさまを指してデマゴーグと批判として用いられるが、「流布された誤った情報」の意味でのデマ、それを意図的に流すものとしてのデマゴーグは日本に限った用法であり、本来「嘘」の意味は無い。
語源は「民衆(δῆμος / dēmos)を導く(ἄγειν / agein)」であり、本来は民衆指導者を指すが、アテナイではペリクレスの死後、クレオンを初めとする煽動的指導者が続き、衆愚政治へと堕落した。このことから「デマゴーグ」は人々の感情や偏見に訴え、力を得る政治家や権力者の意味で使われるようになった。また、彼らの民衆煽動はデマゴギー(Demagogie)と呼ばれる
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ギリシャのようポリスの直接民主主義でもこういうことが起きていた、ただ嘘というものではなかった、狭い地域では嘘はばれやすいのである。
例えば相馬地域とか福島県でも嘘はばれやすいからフェクニュースは成り立ちにくい、これが全国レベルになりグローバルになると嘘でもフェクニュースは信じやすくなるのである。






2015-2017 相馬地方のニュースのまとめ


2015-2017 相馬地方のニュースのまとめ



2015-12月 母死亡

2016-1月 母の供養

2016  南相馬市鹿島区にシシドスーパー開始

新鮮なので評判がいい

隣に復興住宅(五〇戸くらい)完成

主に浪江の人、外部の人が入る

原町のキクチスーパーの隣に三階建ての復興団地完成

雲雀が原に五階建ての復興団地完成

全部で一〇〇〇人くらいの規模か?

鹿島区の川子に大きなパークゴルフ場完成

鹿島の仮設食堂のあつみ食堂やめる

野菜食が多かったので自分には打撃

鹿島区のローソンの向かい側の屋形の土とる場所から古墳発見

相馬市の入母屋風の市役所完成

公共の施設は入母屋風に統一しているのが相馬市
城下町としての情緒を大事にした街作りをしている

常磐線が仙台まで開通

新地、坂本、山下の駅前開発

新地には温泉がでて施設ができて駅前に大きな駐車場ができていた
山下に大きなキクチスーパーができる

2017

南相馬市立病院にヘリコプターの着陸場がある脳卒中センター完成

ここの担当の副医院長は手術がうまいと評判

同級の人が脳卒中になり一命をとどめる、他に癌で一人、糖尿病で一人死んだ

新田川の岸辺の公園の脇にテニスコート六面を作る工事開始
運動場を拡大する

原町区の六号線のダイユーの仮設の宿泊所を撤去



津浪と原発事故以後の相馬地域の変化は大きい、それが今もつづいている
ただ仮設の宿泊所が撤去されたということでも除染関係とかの仕事は相当に減っている
地域のニュースとういとき毎日の生活で直接ひびくから中央のニュースより身近なのである。

復興住宅も原町区だと本当に大きいから驚く、1000人規模で大熊とか双葉とか主に浪江の人が入る、ここからだと浪江が近くだから見に行けるから便利だと言っていた。
仮設に住んだり復興住宅に住んだり原発避難者も津浪の被害者も大きな変化を経験した

脳卒中センターなどが完成したのも大きなことかもしれない、同級の人が脳卒中になったが早くみてもらったので助かった、つまり脳卒中はどれだけ早く治療するかで生きるか死ぬかになる、他に近くで癌で死んだり糖尿病で死んだ同級の人がいた。
なんか病気とか死とかが身近になる世代になった。

一番の変化は自分にとっては常磐線の仙台までの開通だった。
それで毎日のように鹿島駅が無人駅になったのでボランティアの案内をしている
なんか自分は鉄道には世話になったし好きだからである

新地駅も新しくなり駅前が開発している、温泉も出たというからその施設もできる
でも駅前にはまだ空き地が多く開発されていない、鹿島区だと三つくらい新しい街ができた、そこに新しい立派な家が建てられたのである。
それはやはり原発の補償金をもらった人たちが建てたとなる
新地では津浪の被害であり原発の補償金はもらっていないから建てられないかともなる

新田川の運動場のある所から拡大してテニスコートが六面できる、これも広いと見た。
それからすでに鹿島区の川子にパークゴルフ場ができてあれも広いのである。
あそこは憩いの場所となると思った、景色もいい場所なのである。

ともかく他にニュースはある、建物も建っているからこの辺の変わり方は大きい
それは新しい施設ができていいことでもあった、ただ小高とかはさびれてしまった。
でも高校が開始すれば多少は活気がもどる

浪江の人たちが主にあれだけの数の復興住宅とか団地に移る、だから原発というのはそもそも広域的に相馬地方全体の問題として最初から検討しなければならないものだった。
今になって補償金でもめるのは双葉とか大熊と富岡とかの一地域の問題としていたからである。
今になればこうして相馬地域でも中通りでも福島県全体をまきこむ問題だったのである。だから最初から広域的に考えて検討していれば共同責任となり補償金でももめなかったのである。
今になってなんだ補償金をもらう人ともらわない人が争うこともなかった。
なぜなら原発はそうして相馬地域全体でも決めていたら責任も全体にあるからだ。
何か原発事故以後こうした責任がそれぞれに問われたのである。
漁業権でもそうだった、漁業組合の責任も大きかったのである。

いづれにしろ地域は密接にそれぞれの生活がかかわりあいがある。
昨日はキクチスーパーでマグロの解体をしていてトロとかが売れていた。
人で一杯でありこんなに南相馬市に人がいるのかと思う
土曜日はイオンでもそうだが混むからねそう見る

津浪原発事故後でいい面はいろいろな施設が作られたことである。
ただこれからは仮設のプレハブの宿泊所が撤去されたように仕事も減ってゆく、外からくる人もすでに減っている,除染も減っている、つまり仕事がなくなってくる
でも人手不足なのは少子高齢化のためである。
まずこの辺は他に10パーセント高齢化している、若い人は流出して帰ってこない、看護師なども子供を連れて流出して帰ってこない、だから脳卒中センターでも看護師不足とかなっているだろう。

ニュースというとき一地域でも様々なものがある。要するにニュースというとき一人一人がニュースなのである。狭い地域だとそうなる。
東京のことなどそこに何ができても便利でもここでは関係ないのである。
仙台なら多少関係はあるが毎日の生活には関係しない、自分は毎日買物している
スーパーとコンビニとツルハとかによる、意外は買物が一仕事なのである。
それだけ買うものが多い、料理するにしても何を買うのかわからなかった
どこに何を売っていることを知ることの方が料理するより先に知るべきことだがそれがわからなかったのである。
それでシシドスーパーができたので良かったなとなる

ともかく自分は良く介護していたとなる、今も家事に追われているから良く介護していたなと思う、それは母の場合はあまり手がかからなかったからだと思う
そうでなければ自分は不器用だしずぼらだからとても介護などできなかったからである。自分の一身上でも10年間は四苦八苦してのりこえたのである


「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない、
唯一生き残るのは変化できるものである」ダーウィン

この辺で起きていること自分に起きたことでもこのことがあてはまるのかもしれない
あまりにも大きな変化のためどまどうだけになる人もいる
何をしたらいいのかもわからない人もいる、老人は特に変化に弱いからそうなる

今までの過去がなくなるとき一体どうしたらいいのか?
街作りでも全く新しい発想が必要になる
変化することができる者がこういう所では生き残るとなる
変化できないものは街自体でももう維持できないからである。
それは津浪の被害地でも起きているのである。

インターネットなんかでもそうである。新しい技術が生れるときそれに適応できなくなるそこでは新しい発想が必要であり変化が求められるからである。






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2017年02月25日

新田川の公園にできるテニスコートは広い (風致が損なわれる問題もあったー久々に桜井古墳による)


新田川の公園にできるテニスコートは広い
    

(風致が損なわれる問題もあったー久々に桜井古墳による) 

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このテニスコートは六面だから広い

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桜井古墳の所まで津波が来ていた
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壊されるフレハブの宿泊所

みちのくの桜井古墳や冬の雲

みちのくの桜井古墳や冬の暮

東風(こち)吹いて桜井古墳海近し


新田川岸辺を歩む人一人老人多し冬の日暮れぬ

赤々と冬の没りて雲染めるここに住みにつ命はぐくむ


今日ひさしぶりで桜井古墳の方に行った、そしたら新田川の岸辺の公園の隣がテニスコートにするために工事していた。
女性が一人歩いていたので話した

「ここはなになるんですか」
「テニスコートで六面できるそうです」
「ずいぶん広いな そんなにテニスする人がいるのかな」
「若い人にはいいじゃないですか」
「そういうことは言えるかもしれません、自分としては安らぎの場として老人が散歩するのにいい、憩いの場所の方が良かったな」
「それもあるけど若い人にはいいじゃないですか」
「大きなパークゴルフ場が鹿島区にできた、あれは老人向きだからここは若者向きも必要なのかもしれません」
「ここはすでに震災前にテニスコートにする予定だったんです」
「そうですか、すでに決まっていたから実行したということですか」
「でも何かここは新田川があり風光明媚だからテニスコートにするのももったいない所だった、木を植えて花を植えたりした方が良かった気もする」
「それも言えますが若い人の要望もあるでしょう」
「別にテニスする人は今は若い人とは限らないですから、それも必要とは言えます、でも市民が議論しても良かったのかもしれません、まあ、桜井古墳の方は散歩するにいいですからここはさけてもかまわないですが・・・・・」   

何か自分が一番常に気になるのは自然景観なのである。突然自然景観が壊されることがあるのでそのことが残念に思うのである。
人間は普通自然景観に敏感ではないから利益にならないから簡単に破壊されることがあるただ運動場を見ると手狭になっていることはわかる。
そしてテニスをしたことがないものはテニスのことはわからない
テニスをしたい人の要望もあるからここを公園にするということは議論が必要になる
若者が運動するというとき老人ばかりの要望を聞いていられないからである。
ただ高齢化社会となるとき安らぎや憩いの場所が多いと暮らしやすいとなる
別にこの辺は自然がないというところでもない、都会とは違うからである
だからここはそんなに問題にすることでもないかもしれない
ただ新田川があり景色がいいからその景色と調和するのがいいと思っただけである。

桜井古墳は海に近かったしもともと海に向いた古墳だった、何か港のような感じにもなる実際に津波はここまで来ていたからもともとは八沢浦と同じく海だったのである。入江だったのである。その海に面して桜井古墳があった
海に面して古墳があったというときここもそうだが名取の雷神塚古墳でも海から離れているようで実際は海が近かった、仙台の遠見塚古墳でもそうである。遠く見るというとき海を見ていたのかもしれない、海と関係して生活していた人が作った古墳だとなる
たださの古墳にしても観光の目玉ともなりにくい、古墳はなかなかわかりにくいのである真野の古墳からは金銅双魚佩(ぎょはい)出たので目だったがそれでも城のようには目だたないから観光としては歴史的なものとしては注目されないのである。 

今日は東風(こち)が一時吹いた、あとはまた北風になった、そして3月11日は東風が吹き放射性物質が飯館村から福島市までその風にのって流れたのである。

ダイユーの仮設は壊されていた、これを見ても徐々に除染も終わり人が減ってゆく、この辺はそうなると一時の工事とか除染のバブルも終わると経済的影響は大きくなる。
外からの人が来なくなるからである。

帰りは雲が赤く夕日に染まる、ここに住みついて雲が赤々と染まってゆく
何か報道するということはプログでもしてみると近くのことでも関心をもち住んでいる場所を良くしたいとかなる、それは自分が住んでいるからそうなる
旅などではそういうことは思わない、ただ通りすぎてゆくだけだからである。
でも人間は最後はどこかに定着して命をはぐくまねばならない、報道することは何か政治とも関係している、ここはこうしたほうがいいとかなるからである。

一人一人議員になったように狭い場所だとなりやすい、だから原発に無関心だったのはなぜだったのかとなる?
それは報道する者の責任だったかもしれない、第一今ならインターネットでフログなどで発信して報道できるがそもそも一般市民はできなかったからである。
こうしてフログなどでも書いて発信できると違っていたのである。
報道の役割は意外と大きいのである。知らされなければわからないからである。
だからこそマスコミは第三の権力になっていたのである。
民主主義は報道が大きな力をもつからこれが機能しないと今回のような原発事故とかになりとりかえしのつかないものになる
そもそも原発には許可なく誰も立ち入れないし報道機関が報道しない限りわからないものだっからである。

2017年02月24日

貧困化する日本で社会不安が増大する



貧困化する日本で社会不安が増大する

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●金でめんどうみてもらへ
●金をくれ
●金をよこせ
●金をください

最初の人は全く金に困っていないが人格異常になっていた、何か遺産が入る人だったのである。ただその遺産でもめたりはしていた。
「金をくれ」と来た人は火をともすような生活をしていた。おそらく年金だけは少なくて暮らしていけない状態だった、国民年金でもそうだし厚生年金にしてもまともな会社に入っていなければもらえない、その女性は10万以下しかもらっていない、でもカラオケだとか趣味とかに金を使っていた、だから節約するにしてもそうした楽しみを奪われたくない、つきあいもしたいとなり金が必要になる
そもそも10万以下ではカラオケにもつきあいもできないのである。

「金をよこせ」という人は事業に失敗していたからこれも切羽詰まっていた、自分が介護とか病気になり借金をせまってきた、最初はわからなかった、成功していたと思っていたのである。家族すら知らなかったのである。パチンコ屋に妻が勤めているということでわかったのである。
事業に失敗したとなるとその額は大きくなる、そしてその人は節約していない、いい車をもって外見は成功した生活をしているのである。だから知らない人はやはり成功していると見ているだろう、ただパチンコ屋に勤めているということで金に窮していることがわかる
その人は何かまだ成功するとしている、事業も別に継続しているからだ。
ただ借金の額が大きいからそういう人は軽く百万とか平気で要求するから怖い
だからそういう人と付き合えるのは事業して何十億とかある金持ちしかいないだろう。
そんな人と付き合うとなると怖いとなる、保険金殺人とかの危険もあり何か自分もそういう恐怖になった

最後の人はやはりサラ金からも借金していてヤクザ風の取り立て屋が来た。
でもその額は小さいのである。その女性は一万とか二万とか少額の金を借りてやりくりしていたのである。だから自分はそれを払ってやった。
その人は見栄もなにもないし贅沢もしていない、ぎりぎりでずっとやりくりしていたのである。その日暮らしのような状態であり今でもそうである。
でもサシミなどは魚屋で新鮮なものを食べていた。
ただ人に頼むのがうまい、たけている、処世術がある。
「金をくれ」とか「金をよこせ」とか命令してそれを実行している人とは違う、見栄もなにもないのである。他の人は見栄があるからそういうことはできない

いづれにしろダークネスデュオで言っているように日本も貧困化している、ただそれが現代では見えないのである。着るものでも食べるものでは昔の貧困とは違うからである。
自分の父親は明治生まれでサシミなど酒のつまみに食べすに終わっている
味噌を焼いたようなものを魚にしていたのであてる。
そしてサシミ食べれるようになったけど食べたくないと言って病気で死んだのである。
貧困は自分の子供時代はみんなそうだった、第一物が何もない、電化製品もない、飯台が一つしかないという生活はみんな共通だった
そして農家では卵を食べることができたからかえって自給自足で贅沢だったのである。
街の人は卵を食べていない、自分の家では店をしていたから卵を買うことが仕事にさせられたのである。ものがない時代の貧乏だった、その時はみんな貧乏だったのである。
今は物がある時代の貧乏なのである。これほど物が世界から集まり何でもあるが今度は金がなければ買えないという貧乏なのである。そして格差社会になった貧乏である。

格差社会というときこれは世界的問題である。グローバル経済になるとどこの国でも格差社会になる、グローバルに企業が低賃金の労働者を求める、企業は競争に勝たねばならないからみんなそうなる、そしてAI化とか機械化が進んでゆく、コストを人間にかけられないからである。人間より機械の方が企業にとっては都合がいいのである。
そこにあるのは人間を見る論理ではなくより効率的に企業を経営するという企業側の論理しかないのである。だから非効率な人間は切り捨てられる
それがコンピューター化や機械化でますますめんどうな人間はいらないとなる
グローバル経済になれば低賃金化した職業が増えるし貧困化した人間が増大するのであるグローバル経済はアメリカでもそうだけど極一部の人に富が集まるシステムである。
スキルをもった頭脳となる部分に富が集中するのである。
そして人間を雇うよりそうした頭脳となる人たちはより効率的にするために人間は切り捨てられるしグローバルに低賃金化して雇うのである。それは世界的なものでありアメリカでもそうだしどこの国でもそうなっているのだ。

これほど借金してやりくりしている人が多いということは社会的不安が犯罪でも増大す
る、まず高齢社会になり国民年金だけでは生活できない、貯金ある人も少ない、その人たちは生活保護になり国の財政を圧迫するから75歳まで働けとなった、もう75歳までは老人ではないから福祉サービスも受けられない、国でも出さないとなったのである。
自分が助かったのは介護であまり金を使わなかったことである。
手間がかかったが金はそんなにかからなかった、そのうち死んだので金はかからなかったでも介護だと長くなるし一千万とか二千万使ったという人がいるからこれも負担なのである。高齢化社会は介護の負担が金だけではない労力としても負担が大きいのである。
それはみんなにのしかかってくる負担なのである。

こういう時代は社会不安が増大してくる、その犠牲になったのが自分である。格差社会となり金持ちでも安心して暮らせない、困窮している人が増えれば犯罪は増大してくる
怨嗟も大きくなる。
ただ自分もそうだが犯罪でも被害にあわないかぎり実際にそうした貧困化している人と会わない限り感じないのである。だから自分はこれまでそんなことを感じない状態にあったからみんないい人だと思っていたのである。
現実はあまりにも違ったものだったのである。
ただ自分も贅沢などしていない、旅するにも温泉宿になど泊まったことがないし土地のうまいものも食べたこともない、そんな金の余裕がないからである。
本を買ったりしたがほとんど何か贅沢などしていないのである
小遣いを多少もらっていただけだからである、だから百万の金を使ったことがないのである。家だって親が建てたからそこに住んでいたというだけである。
要するに自分が贅沢だったというとき時間だけが与えられたというだけだったのである。
ともかく借金で汲々としてやりくりしている生活はどこで破綻するかもしれない、そして何かローンで家を買った人なども退職してからも余裕がないのである。
ローン地獄となる、それも経済成長しないから誤算だったとなる
そもそもそんなに借金でやりくりしているということがまちがいだった、節約すべきだったと言うのもわかる、節約が唯一の道だったというのわかる
で物があふれいる時代は節約することがかえってむずかしい、物がない時代はそもそも買いたいものもないのだから節約もないのである。
だから事業に失敗しても以前としてレベルの高い生活をしているが借金を返すことに汲々していてもそうしている

そういうことは理に反しているけど現代はそうなっているのである。
だから「絶対に借金はするな」となるがそれが実行されずにそのために回りの人もまきこまれることが怖いのである。犯罪の被害者になり自分のように脅迫されるとかもなる。
そもそも節約しないで他人が金あるからとそれを借りてまた脅迫してでも犯罪でもとるということがおかしなことなのである。
そんなに金を出せる人がいるのかとなる、自分だってそんな金はないけどそんなことはかまわず要求してくる、遂に奪えばいいとなる、そして自分のことなど死のおうが何になろうがかまわないとなっている、だから金は怖いとなる
この辺で補償金でもめたけどこれもどうにもならない、どんなことしたって金をもらったものが勝ちだとなるからだ。そういう社会になっているからである。
もらえるものはもらう、金がもらった方が何であれ勝ちだとなっている社会だからであるそして人心の荒廃がすすんでゆくのが現代なのである。。

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posted by 老鶯 at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部