春光や六本木見て通り過ぐ
春の水細枝写しやわらぎぬ
佐須村や去年(こぞ)の落ち葉ふみ碑の一つ
訪ね来て消残る雪や佐須の村
春の日や行合道に出会うかな
春の雲境の峠越えてゆく
春光や知らざる道を進みゆく
春光や梁川への道ひた走る
春の灯や金山町を通りすぐ
春の星なお我が家あり帰り来ぬ
広..
梅雨
(相馬市の道の駅でまた老人が集まっていたー避難民の補償金がやはり話題になる)
ローソンの屋根の下に燕の巣があった。すでに巣立ちするように大きくなっていた。 いつのまにここに巣を作っていたのだろうと思った。 あそこは意外と安全である。 人がしょっちゅう来るから烏とか雀にねらわれない 燕が巣を作る場所に一黒苦労する あそこはいいところを見つけたと思う..
田んぼは米を作るだけではない日本人の血肉となった風景だった
(グロ-バル化で文化が破壊される深刻さに日本人は気づいていない)
相馬市の風景
南相馬市の風景
草原のかなたに望む夏の海 老鶯や広間に障子ものを書く
この辺の不思議は南相馬市と相馬市とは今や違った風景になっていることでてある。このことは前も書いてきた。すでに津浪原発事故から二年過ぎた。でも南相馬市と相馬市は風景が違っている。..
冬の空
(新しいパナソニックの電動自転車をとりに原町へ)
クリック拡大!
今日は原町に電車でまず自転車屋に行きパナソニックの最新式の電動自転車をとりに..
街中の倉に紋かな藤の花
家新し広がる夏野住宅地
仮設の畑の広し夏の午後
ほしいまま草原を飛ぶ夏燕
自転車に遠くに行かむ夏燕
街の中羽つくろうや夏燕
水張る田田鴫のあまたいでにけり
詩碑には遠潮鳴りと若葉かな
八重桜咲きて来なれし道歩む介護しつつも今日も暮れなむ
街道に二本の松や八重桜ここに咲きにつレストラン..
写真でみる最近の南相馬市 (写真が語る心象風景)
百聞は一見にしかずという。言葉より写真が語る時代でもある。
ここも仮設なのか?人が住んでいるのか、ガスボンベなど設置しているから住んでいるのか?
それともこういうい仮設を売り出しているのか、人が住んでいる気配はない、仮設の需要が多いから作ったのか、一軒一軒の仮設である。南相馬市で1万5千戸の仮設は多いよな
大原に老人残り冬夕焼け
牛越城五輪塔や冬夕焼け
みちのくの冬夕焼けや光堂
石垣に冬夕焼けや六万石
頬伝う時雨や枯れて残る松
重き荷や自転車に坂時雨かな
山茶花の白にほのかに紅の色媼(おうな)のひそか街に残りぬ
今日は冬でもあたたかった。イオンに行く時、昔の浜街道を行く、植松から五本松に出るところで曲がった急な坂がある。あそこを年取った人がうしろにトイレットペ-パ-積んで運んでいた。あれは楽..
朝の庭影なし涼し手水鉢
草原に風のそよぎて津浪あと秋めく白し雲の広がる
街道の五本松の一本松枯れつつ残り秋の蝉鳴く
草原化した自然というのは本当に不思議である。それはいつでもモンゴルの平原に住んでいるのと多少にている。毎日あのうよな広々とした所に住んでいる人の気持ちはどうなるんだろとう思う。水田とは余りにも違いすぎるからだ。ジンギスカンやモンゴル帝国が生まれたのも歴史的必然だ..
村淋し鳴きやみがちな秋の蝉
どこにでも空家の増える秋の蝉
秋の蝉鳴きやむあわれ明日もまたここに鳴くらむ淋しき村かな
街道の残れる松や相馬より帰る夕べやかすか虫鳴く
村淋し鳴きやみがちな秋の蝉
秋の蝉鳴きやむあわれ明日もまたここに鳴くらむ淋しき村かな
上は俳句的であり下は短歌的である。これを読むと限界集落とか淋しい村を想像してしまうだろう。別にこの辺の回りの部落であり限界集落のことではない、確かなことは日本全国で空家が増えている。街の回りでもそうだし街中にも空家があるシャッタ-通り..
夕闇の雪に映えつつ枯れし松
五本松の枯れているけど一本立っている松は今や不思議である。90何歳とかで生きている老人も今は多い、その松ににあっている。あの松を見ると必ず家でもそうだがそうした老人をイメ-ジする。松は極めて人間的なのである。これが高い樅の木とか杉だとかなるとそうはならない、松は人間が立っているように昔から見てい..
寒椿最期を全うする命かな
溜め池の凍り忘れられる馬頭の碑
枯芒隣の街へ行き来かな
蝋梅や還暦過ぎし男女かな
我が庭に蝋梅の蕾かそけきや母なお生きて家のつづきぬ
今日も見る街道の松枯れにしを朽ちゆく命あわれなるかな
最近イオンができたので近道として植松の方を回る。あそこに広い溜め池があり馬頭観音の小さな碑があった。これは普通気づかない、馬頭観音の碑は多いのは当時の交通は馬車であり馬が主役だった。今の車が馬だったのである。だからこんなに多いのだ。これも大正..
優しさや介護の助け冬の鳩
認知症の介護からまた帯状湿疹から介護になった。前にも書いたけど介護とか病気になると俳句とか短歌ができやすい、正岡子規のことをNHKで放送していたのでそのことを書いた。
「優しさや介護の助け冬の鳩」この句は何なのだろうと自分自身が作って不思議だった。作った本人が不思議なのだから他の人は何のことかわからないとなるのが多いだろう。鳩のように素直であれというとき鳩は平和の象徴である。冬の日に介護で助けられている..
松一本街道に残り枯芒
悲しさや鳴かざる蝉を手にとりぬ
道の駅相馬に休め蛙鳴く
大池に写る桜や錦鯉
この辺り蝶の眠るや夕日影
蛙には土筆タンポポ大きかな
五本松昔の街道夕蛙
花散れるあとのさみしき六万石相馬の城跡誰か訪ねむ
相馬にし名残りの花や路地曲がり柳に橋や城下町かな
久方の光のどけき大池に花の散るかな錦鯉見ゆ
街道の真昼静かに鶯の鳴き蛙も鳴き花の影かな
街道の名残の松の五本かな夕日のさして蛙鳴..
街道の一すじ伸びて冬柳
昔なる原町宿や冬柳
二本の大杉ひびく秋の朝
大堀に柿のあまたや窯多し
大堀や農家の釜元柚子なりぬ
水清し夕べの流れ菊畑
夕暮れぬ旧街道や秋の薔薇
晩菊や街道暮れて行き帰り
五本松残る一本の松枯れむ晩秋の朝に我見つゆくかな
行き帰り松一本の親しかな畑の道の秋の夕暮
陸前浜街道の原町宿は真っ直ぐな道が伸びている。昔もここは真っ直ぐだった。..
夏菊やコンビニにより遠出かな
たどりつく片倉までや残暑かな 山蟻やまた一坂越えるかな 五つ石我がまた休み残暑かな 涼しさや日がなあふれぬ井戸の水 山路来て萩に野菊に薊かな 葛尾に入るや道の辺秋薊 山の墓所岩の墓建つ残暑かな 山深み家々離れ秋の蝉 山深み西日に薄迷う道 折り畳み自転車かかえ夏燕 葛尾(かつろう)へ日影の道の長々と未だ七キロ道遠しかな 山深み葛尾へ入る道長く待宵草のここに咲くかな 山深み..
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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